節分の鬼について
今日は我が中学校の一般入試でした。今回もまた国語の本文はワタクシの書き下ろしです。今回のテーマは「節分の鬼」。いかにも最近作った感がありますな(笑)。
では、その文を公開します。実際の問題にはもちろん傍線部や空欄があり、また難しい漢字にはルビが振ってあります。
おっとその前に…実は今日、入試が終わったあと、急きょ東京にて「王仁三郎フォーラム」の立ち上げに参加しました。出口汪さん、出口光さん、道幸武久さんらを中心として「出口王仁三郎を世に出す」試み。
「幽閉された本来の救世主の解放」ですね。これはまさに今回の文章のテーマとも符合します。シンクロニシティですね。
では、お読み下さい(「豆」知識としても面白いと思いますよ)。
「節分」
もうすぐ節分ですね。
みなさんは節分には何をしますか。まず最初に思い浮かぶのは「豆まき」でしょう。
鬼は外。福は内。
こう言いながら豆を投げます。家や学校によっては、お面をかぶった鬼役の人が登場し、豆を投げられて逃げまどう、なんてこともありますね。
そして、年齢の数だけ豆を食べます。みなさんはまだ十二個くらいしか食べられませんから、少し物足りないかもしれません。かといって、みなさんのお父さんお母さんや私のように、四十個も五十個も食べていいと言われると、それはそれで困ってしまいます。とても食べきれませんので(笑)。
ところで、みなさんは、節分という日がどんな日か知っていますか。
ただ豆を投げて食べる日ではありませんよ。
「節分」…「季節を分ける」日と考えると分かりやすいかもしれません。つまり、季節と季節の境目です。
ですから、もともと節分は一年に四回ありました。分かりますよね。春夏秋冬それぞれの境目は四回あります。
その中でも、特に重要だと考えられたのが、今の季節の節分です。つまり、私たちの言う節分とは冬と春の節分だということですね。
たしかに、節分の次の日は毎年「立春」です。このころになると、暖かい日も少し増えてきますし、夕方五時ごろになっても明るくて、ああ日が伸びたなあなどと感じることもあるかと思います。また、杉の花粉が飛び始めて、みなさんのまわりでもくしゃみをする人が増えることでしょう。
実は、季節の変わり目というのは、病気になりやすい時期です。気温の差が大きくなったり、毎日の疲れがたまってきたり、なんとなく気がゆるんだりして、体の免疫力が下ってしまうのだそうです。
また、心の面でも、時々気をつけないと、できるなら楽をしたい、自分だけよければいい、というような気持ちが芽生えてきたりしますね。「鬼」は、そんな私たちの悪い心、ずるい心の象徴でもあるのです。
昔の人たちは、こうした自然の変化と自分の変化に敏感だったのでしょう。季節の変わり目に体や心におとずれるピンチを「鬼」というこわい存在にたとえて、それをやっつけたり、封じ込めようとしたのです。
その一つが方法が「豆まき」というわけです。
豆にはふつう煎った大豆を使います。豆は煎るとちょっとした石のように固くなります。それを武器にして、鬼をやっつけるのですね。実際、悪さをする鬼の目を煎り豆でつぶしてやっつけたという昔話もあります。
それなら最初から石を投げればいいような気もしますが、昔の日本では、豆のような穀物には特別なパワーがあると信じられていました。きっとそのパワーも利用しようと思ったのでしょう。
また、豆を煎るということには別の意味もあります。それは、もう「芽が出ない」ということです。火を通した豆には、いくら水をやっても芽が出ませんよね。そうして、悪い芽も封じ込めようという願いがこめられているのです。
実際に鬼がいるかどうかは別として、このように、自分たちの命にかかわる病気やケガなどから身を守るため、いや、それ以前にそういう災いがあるということを思い出すために、節分という行事が日本中に広まり、この科学の進歩した現代社会にもちゃんと残っているのでしょう。
ところで、最初に「鬼は外。福は内」と書きましたが、ちょっと違った言葉を唱える家や地方があるのを知っていますか。こんなふうに言うそうです。
「鬼は内。福は内」
「福は内。鬼も内」
どうですか。面白いでしょう。なんで、「鬼」まで内に誘ってしまうのでしょうか。みなさんはどう思いますか。
実はいろいろな理由があるようです。
ちょっと考えてみてください。自分の苗字に「鬼」がついていたらどうでしょう。たとえば「鬼塚さん」とか「鬼頭さん」とか「九鬼さん」とか。自分がそういう苗字だったら、なんとなくいやですよね。そういう苗字の家では「鬼」もちゃんと中に入れてあげるわけです。
また、鬼もかわいそうじゃないか、という考え方もあるようです。先ほど「災いを忘れないように」ということを書きましたが、もし、鬼のおかげで大切なことをちゃんと思い出したのなら、もういじめることもない、いや、それどころか感謝すべきだ、という考え方もできますよね。
そういう気持ちで、鬼も家の中に入れてあげてもてなしてあげるという場合もあるのです。どうですか。そんな考え方したことがなかったでしょう。でも、ちょっとそういうふうに考えてみると、いい話のような気もしてきます(ちなみに我が家ではその考え方にのっとって「福は内。鬼も内」と言います)。
さらにもっと進んで、「鬼」が一番偉い神様だという考え方をする人たちもいます。「今はみんなに嫌われているけれど、本当はいい神様なんだ。ただ、とっても厳しいのでみんながいやがって封じ込めてしまったのだ」と。
これも面白い考え方ですね。たしかに自分が嫌っている人やものが、本当は正しかったり、偉かったりすることってありますよね。ただ、怒られたり、痛い思いをするのがいやで嫌っていることがあるものです。
さて、今日は「節分」について少し勉強してみました。こうして、当たり前になっている行事や習慣の意味を学び直してみると、自分や世の中が違って見えてくるから面白いものです。
勉強の楽しみを教えてくれた「鬼」さんには、やっぱり感謝しなければですね。
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