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2014.02.02

貞明皇后(大正天皇皇后)

Th_empress_sadako た変な言動を…と思われるでしょうね(苦笑)。
 他人からすると理解しがたいでしょうけれども、私としては非常に大きな示唆を得たので、ごく簡単に書いておきます。
 今日はふと思いついて、というか相棒の言うがままに、武蔵陵墓地を参拝しました。
 相棒というのは出口王仁三郎です。ほら、もうアヤシい(笑)。
 王仁三郎が自身の分身であると称した手びねりの楽茶碗「耀わん」。昨日は「王仁三郎フォーラム」で大人気でして、気分が良かったのでしょうかね、今日も朝からぐいぐい私を引っ張って不思議なところへ連れてゆきました。
 まあ、そういうこともあるんですよ、世の中には。信じない人は信じなければいいだけです。
 で、だいたいそういうふうに連れてゆかれる時は、何か大切な気づきを与えられるものです。
 今回も私としてはある意味盲点だったことを教えてもらいました。
Th_img_4334 武蔵陵墓地は大正天皇、貞明皇后(大正天皇皇后)、昭和天皇、香淳皇后(昭和天皇皇后)の四陵があります。
 もう何回も参拝しているのですが、いつも問題なのはどの順番でお参りするかです。皆さんはどうされていますか?いや、参拝しない日本人がほとんどですし、存在すら知らない人も多いですよね。
 私、いつも自分の心の中で迷っていたんですよ。どういう順がいいのか。
 もちろん、決まりはないので、自由と言えば自由ですが、いざ自由と言われるとこれはなかなか難しい。
 しかし、今年になって初めて耀わんと一緒に参拝しましたら、もう私の意思は関係ないんですね。まさに大正、昭和の時代、天皇家と微妙な関係にあって日本を動かした王仁三郎の意思で決まるんです。
 ある人に言わせれば、昭和天皇が生涯その名前を口にしなかった三人が、出口王仁三郎、北一輝、三島由紀夫だそうですが、正直今は完全に和解し、いや和解どころか和合して、共にこれからの日本、世界の平和と繁栄を霊界から期待していることがひしひしと伝わってきます。
 で、今日はですね、どういう順番だったかというと、昭和天皇、香淳皇后、大正天皇、貞明皇后という順でした(前回とは違う)。
Th_img_7709 そして、最後、貞明皇后の陵の前で、耀わんとともに拝礼いたしましたところ、にわかにポツリポツリと雨が降ってまいりました。そして、私にはなんとも言葉にならないあるメッセージが降りてきました。
 あえて言葉にするならば、「貞明皇后の母としてのお気持ち」ということでしょうか。
 はっとしましたね。今まで日本の近代史を考える時、どうしても明治、大正、昭和、それぞれの天皇陛下を中心にとらえがちでした。
 特に昭和生まれの私としては、昭和天皇に対する思い入れが強かった。
 しかし、考えてみれば、あの昭和天皇の激動のご人生を、最愛の息子の母として、そして、現人神であり、国の王であり、象徴であった天皇陛下の母として、貞明皇后はどのようなお気持ちでご覧になり、感じておられたのか。
 恥ずかしながら、そのような視点は今まで全くありませんでした。
 しかし、今日、それが本当にドドドッと降りてきた。降り出した雨は、私の涙雨ともなりました。
 日本は母性の強い国です。人類の歴史の縮図のような昭和天皇のご人生を、母なる視点からとらえ、そしてその全て、和霊も荒魂も幸魂も奇魂も、大きな「愛」で包み込んでおられたであろう貞明皇后と、ひとしきり霊的に会話させていただくことによって、私には、日本の未来のあるべき姿を直観にて感得することができたように思えました。
 貞明皇后さまのそのご人生とひととなりにつきましては、おそらく皆さんもほとんどご存知ないと思います。まずはWikipediaで、その概要をお知りになるとよろしい。
 いろいろな意味で、日本の歴史の立替え立直しに貢献した方だとつくづく感じます。
 最後に、貞明皇后さまのお言葉の中から、印象に残るものをいくつか。
 まずは、戦中のお言葉です。王仁三郎の言葉にも似ていますね。

「(大東亜戦争について)もう台湾も朝鮮も思い切らねばならない。昔の日本の領土のみになるだろうが、勝ち負けよりも、全世界の人が平和な世界に生きていくことを願っており、日本としては皇室の残ることが即ち日本の基です」

 大正天皇は優れた漢詩をたくさん残しました(こちらの記事参照)。また、お父様の明治天皇の影響もあって和歌もいいものを残しています(こちらの記事参照)。
 奥様の貞明皇后は漢詩も残していますが、和歌の方が得意でした。生涯にわたり歌を詠み続けました。
 その中で、いくつか抜粋いたします。僭越ながら多少私に関係するもの、すなわち、富士山、養蚕(絹織物)、琴、神道を詠んだものです。

 けふぞ見しむかしの人のうたひける
    かのこまだらの雪のふじのね

 わが国のとみのもとなるこがひわざ
    いよいよはげめひなもみやこも

 少女子(をとめご)の弾く手妙なる琴の音に
    松の風さへ吹き止みにけり

 ふじのねのいただき白く雪みえて
    みやこの秋に初霜のふる

 外国のひとのこころをみたすべく
    よきまゆ糸のとりひきはせよ

 八百万の神のたゝへし一笑ひ
    世の喜びのもとにてあるらし

Amazon 母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出


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