もう一つの富士山(その10)…2月24日にちなんで
今日もまた「…日にちなんで」シリーズ。そして、久々の「もう一つの富士山」シリーズ。
昨日の記事では、富士山を天皇と重ねて思いっきり持ち上げましたが、今日はズドンと下げます(笑)。
いかにもこのブログらしいですね。いや、ことはそんなに単純ではありません…。
というわけで、今日は2月24日。なんの日かというと、直木賞のもとになった直木三十五の命日です。南国忌といいます。ここから今日は話を広げていきましょう。
芥川賞の芥川龍之介は誰でも知っているし、みんな読んでるし、実際評価も高い。
では、一方の直木賞の直木三十五はどうか。だいたいこの人の名前がちゃんと読めない人もいらっしゃるのでは。
別に難しくともなんともないんですよね。「なおきさんじゅうご」。ご存知の方も多いと思いますが、「直木」は本名植村宗一の「植」を分解したもの、「三十五」は年齢がもとになっています。31歳の時「三十一」というペンネームにしてから、「三十二」「三十三」と増えていって、ちょっと事情があって「三十四」は飛ばして「三十五」、また理由があってそこでストップ。そのまま43歳で亡くなっています。
彼は大衆文学作家としてそれなりの評価と人気を得ていました。まあそうでないと直木三十五賞なんてできるわけありませんからね。しかし、彼が映画監督としても優秀だったことは意外に知られていません。
それ以上に直木の作品はほとんど読まれていないというのが現状です。私もほとんど読んだことがありませんでした。
で、最近、青空文庫でちょこっと読んでみた「三人の相馬大作」という作品に、一瞬「富士山」が出てきまして、それがちょっと心に引っかかっていたんですね。
こんなふうなシーンです。
相馬大作、相馬大作と、豪傑のように――来てみれば、左程でも無し、富士の山だ。紙の大筒など、子供欺しをしおって――
そう、ここに出てくる「来て見ればさほどでもなし富士の山」という、川柳というかことわざというか慣用句を久しぶりに見たような気がしたのです。
この「ことわざ」、一般には「大げさに言われていても、実際に見てみると、たいしたことがなくてがっかりすること」の意味で使われています。
実は、この「五七五」の句は、川柳ではなくて短歌の一部です。元ネタと思われる長州藩士村田清風の歌は少し違っています。
来て見れば 聞くより低し 富士の山
釈迦や孔子も かくやあるらん
「見る」と「聞く」とが対照されている感じですね。そして、大胆にも釈迦と孔子を見下しています(笑)。
まあ、この歌の裏には「知識として知るだけでなくちゃんと自分の目で確かめろ」というメッセージがこめられているのだと思いますがね。百聞は一見に如かず。
また実際、富士山に住んでいる私でも、その日によって、「今日の富士山は高いな」とか「大きいな」とか、その逆だったり、自分の心を反映しているのか、その見え方が変わることもあるのです。
釈迦や孔子というと、我々はついつい盲目的に「正しい」「素晴らしい」と思いがちですが、やはり彼らの言葉や事蹟を鵜呑みにするのではなく、体験的に自分の血肉にしていかねばなりませんね。
さてさて、そんな深い意味があったはずの村田清風の歌が、その上の句だけが残り、さらに改作されて、川柳のように、あるいはことわざのように使われるようになったのは、おそらく明治の終りくらいではないかと思います。
詳しくは書きませんが、歴史的に見ると、江戸時代、富士山は富士講の信仰対象になると同時に、聖俗両方の意味で大衆性を背負うことになりました。庶民の「お富士さん」という感じです。
これはこれである種の「国譲り」であると私は考えているのですが、それが現代まで続いていて、富士山は単なる観光施設、見世物になってしまった感もあるわけですね。聖性が忘れ去られてしまった。
そんなところに、もう一つの富士山(その1)昭和13年「防共盟邦親善富士登山」に書いたように、不自然に「聖性」を持たせようとした時期もありました。
そして、それを敏感に察知して、それこそ「さほどでもなし富士の山」で小説を書いてしまったのが、太宰治です。それについては、もう一つの富士山(その7)太宰治『富嶽百景』で私見を述べさせてもらいました。
それは、昨日の話と関連させますと、近現代における天皇の真の聖性の低下にも重なってきます。
「日本を、取り戻す」ために、まず我々がしなければならないのは、この両者の聖性の復権なのではないでしょうか。
これは現代的な意味での右翼化なんていう次元ではないのは、私が天皇、富士山双方に与えられた不自然な近代的意味を否定していることからも分かるでしょう。
もっともっと、長く深い「文化」の問題なのです。歴史の問題ではありません。
今後も「もう一つの富士山」を通して、我が国の本質に迫っていきたいと思っています。
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