月見里(やまなし)神社
毎年、初詣する神社は直観に任せて決めております。今年は清水の月見里笠森稲荷神社を参拝しました。
自分でも意外や意外、初めての参詣であります。やはりこのタイミングだったのでしょうか。お参りしなきゃと思いつつもう三十年近く経ってましたからね。
というわけで、突然ではありましたが、静岡市の実家から山梨に帰る途中、家族と、そして出口王仁三郎と(!)立ち寄ってみました。
出口王仁三郎と(!)というのは、たまたま王仁三郎作の耀わん「十和田」を静岡に持って行っていたので、それを持って参拝したということです。
「耀わんはワシの分身じゃ」と王仁三郎は言っていましたから、明治31年以来116年ぶり?
そう、明治31年、王仁三郎はかの高熊山修行ののち、自らにかかった神が何者なのかを審神(さにわ)してもらうために、清水の稲荷講社の長澤雄楯(かつたて)を訪ねています。その場所がこの神社です。
長澤雄楯は霊学の父と言われる本田親徳(ちかあつ)の高弟で、本田の鎮魂帰神の法を継承していた人物です。
細かいことは省きますが、その長澤の審神の結果、王仁三郎は出口直と出会って大本の関わり、教団を巨大化させていきます。そういう意味で、この神社は日本の近代史の一幕のスタート地点(の一つ)と言えるのです。そしてその近代史は現代に大きな影響を与えている…。
今は住宅地の中にあって、それこそそんな大きな意味を持つ神社だとは思えない佇まいで鎮座していました。
実は王仁三郎没後、弟子の中野與之助がこの神社のすぐ脇に「三五教(あなないきょう)」という団体を設立しました。長澤がちょうど半世紀前に「50年後にここ清水市玉の井里に『三五』と書いて『あなない』と読む世界的な宗教が生まれる。そこから神の道を全世界に開く」という神示を受けていたからです。
王仁三郎ファンならよくご存知と思いますが、「三五教」は霊界物語に登場する善玉集団ですね。
そのリアル三五教は、この地に総本部を置いていましたが、今は掛川に移ってしまい、本部の建物自体は近所の寺の駐車場になってしまっていました。残念。
ちなみにNPOや学校経営で有名なオイスカは三五教が母体となっています。
さてさて、細かい説明は良しとしまして、王仁三郎を背負っての初詣をしまして感じましたのは、やはり、今年が日本の大きな転機になるということでした。そのために、私たち日本人は、魂のプチ(プレ?)立替え立直しをしなければならない。
私は非常に明るい未来のイメージを抱くことができました。とりあえず心配せず邁進せよというメッセージをいただきました。ありがたや。
ところで、皆さん、もしこの神社を参拝されたなら、拝殿の左側にある小祠(稲荷神社)にも立ち寄ってください。
そして拝礼後に中を覗いてみてください。
右の穴から覗くと、お狐さまがいらっしゃって、ああなるほど稲荷だなと思います。実は私は右側からしか覗かなかったのですが、カミさんがふと左側から中を覗いてみると…。
一瞬ギョッとしますよね。無数の首人形が奉納してあります。
私、知らなかったのですが、この首人形たち、「あやかりく」という清水独特の伝統工芸なのだそうな。
この神社に残る伝承によりますと、「堀尾市郎左右衛門さんの泥で作った首人形を似肖像(あやかりく)と言い、源為朝にあやかって、強い子に育つように神社から一本(一体)を預かり、子供の枕元に置いて祈ったとあり、子供の病気が治ると市郎さんでもう一本を買い求め二本にして神社に奉納した』ということだそうです。
子どもたちにとっては玩具としての着せ替え人形であったとともに、親にとっては信仰の対象だったわけですね。
なお、最後に、長澤雄楯と出口王仁三郎が後年対談した内容が公開されていますので、もし興味をお持ちになった方はお読み下さい。こちらです。
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