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2014.01.16

UFOと宇宙人

 さんはUFOを見たことがありますか?
 未確認飛行物体という意味では、ほとんどの方がYESと言うのではないでしょうか。あれはなんだ!?という意味では。
 この動画は面白いですよね。あまりにリアルで笑ってしまいました。
 私は天文が好きで夜空を眺める機会が多いですし、また、UFOブームだった少年時代は東京の大田区に住んでいまして、学校や団地の屋上で「ベントラベントラ…」と言って(笑)UFOを呼ぶことも多くありました。また、今ではUFO目撃情報の多い富士山に住んでいますし、比較的UFOを身近に感じてきた人間です。
 たとえば、星空を一晩中眺めていれば、不思議な飛行物体に必ずと言っていいほど出会います。いちおう流星や人工衛星や飛行機などを無数に見てきた経験から、これはさすがにあり得ない動きや光り方をするなとかいうモノを見ちゃうんですよね。ありゃなんだ?と分析しているうちに消えてしまう。
 しかし、たとえば目の前にドーンと現れるというようなことは今までにはなく、まあ死ぬまでには一度でいいから宇宙人にも会ってみたいなんて思ったりしています。
 もういい歳なのでなるべく積極的にそういうチャンスをつかもうとしていますよ。たとえば、最近、UFOを呼ぶことに関しては当代一という方とご一緒する機会があったのですが、どうも私がいると彼らは来ないんだそうで、おかしいなあ、おかしいなあとおっしゃってました。その後私がいなくなったら大量に飛来したとか(笑)。どんだけ宇宙人に嫌われてるんだ?
 というか、その方に言わせると、私自身がどうも地球人じゃないらしい(笑)。そういう発想はなかった…いや、幼稚園の頃、たしかに不思議な文字を使って宇宙と交信していた記憶がある。もしかして…。
 ま、違う意味で生徒たちには宇宙人呼ばわりされてますが(笑)。
 UFO(特に空飛ぶ円盤)は、また違った意味では時代を映すモノでありコトであります。ご存知のように、UFOブームは米ソ冷戦時代に華やかでした。
 一つには敵国の秘密兵器という発想もあったでしょうし、地球滅亡の危機をある意味初めて経験した時代ですからね、宇宙人に助けてもらおうとか、あるいは逆に、地球人の力をはるかに凌駕する力を持った生命体の存在を信じることによって、現実的恐怖から逃避したりとか、まあいろいろな意味合いを読み取ることができますね。
 たとえばその時代に目撃されたUFOがそうであったように、未確認な「モノ」というのは、私たちの心とその集合体としての社会、時代を映すものであって、そういう意味では「リアル」な「コト」です。
 物体として科学的に存在しているかどうかは別として、私たちの脳がそのように認知した時点で、人間の言語上は「事実」になります。
 この前紹介したNHKの超常現象番組(今週の土曜日にもあります)に見られるように、もしかすると、またUFO、超能力、予言ブームが到来するのかもしれませんね。
 先ほど書いたように、私にとっては、そういう「モノ」に関する意識、記述それ自体も「事実」「真実」なので、はなから否定したりすることなく、逆に興味を持って接してきたつもりですし、また、そんな自分を客観的に見てきたつもりです。また、これからもそうしていきます。
 私の「モノ・コト論」では、脳で言語化できないものは「モノ」、言語化できるものは「コト」としています。「モノ」を「コト」化したいというのは人間の原初的な欲求です。言語化して安心を得たいのですね。モノノケは怖いですから。
 そういう意味で、この動画のようにあまりに明瞭に「コト」化すると、なんとなく安心するというか、つい笑ってしまうというか、「モノ」の魅力がなくなってしまう一面もありますね。夢がなくなる。
 ということは、やっぱり一生宇宙人には会わない方がいいのかな…いや、自分が宇宙人なんだって(笑)。向こうも会いたがらないのは、やっぱり会っちゃうと夢がなくなるからかな(笑)。

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