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2013.12.31

追悼 大瀧詠一

Oth13123114110022p1 晦日に悲しい訃報が…。
 大晦日と言えば紅白。今年の紅白を観ながら、大滝詠一さんのすごさ、そしてあの頃の日本ポピュラー音楽の豊かさを再確認しました。
 とにかく最近の曲は単純。ほとんど民族音楽のレベルです。いや、それが悪いというわけではないのですが、猫も杓子もで5時間近く聴かされるとさすがにきつい。
 演歌はまあ、そういうジャンルだからいいとして、いわゆるJ-POPもほとんど基本コードが三つくらいしかなく、メロディーはペンタトニック。
 「日本を、取り戻す」という意味では原点回帰もいいでしょう。しかしなあ、あまりにパターン化するのは、これはこれで日本らしくない。ごった煮でいいダシが出るのが日本でしょう。
 大滝詠一さんはアメリカン・ポップスの影響を大きく受けながら、しかし、圧倒的な「日本」を感じさせる楽曲を作りました。
 複雑なコード進行やメロディーも駆使しますが、ポイントではペンタトニック使ったり、結果として日本語が生きていますよね。
 というわけで、本当なら、追悼大滝詠一さんということで、森進一さんには「冬のリヴィエラ」を、松田聖子さんには「風立ちぬ」を、ついでに小泉今日子さんには「怪盗ルビイ」を、そして薬師丸ひろ子さんには「探偵物語」を歌ってもらいたかった。
 YouTubeの動画でその夢を実現してみましょうか。大滝さん本人にも登場願います。

 冬のリヴィエラ(森進一)

 夏のリヴィエラ(大滝詠一)

 風立ちぬ(松田聖子)

 風立ちぬ(大滝詠一)

 怪盗ルビイ(小泉今日子)

 快盗ルビイ(小泉今日子&大滝詠一)

 探偵物語(薬師丸ひろ子)

 ご冥福をお祈りします。

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2013.12.30

「disappointed」とは

Images 倍総理の靖国参拝に対してアメリカが「失望した」との声明を出したと報道されています。
 ウチでは、もうその第一報の時から、ここでの「disappointed」って「失望した」じゃないんじゃね?みたいな会話をしていました。
 もちろん、ウチは総体的には首相の靖国参拝に賛成の立場なので、多少贔屓目に見ているところもあって、すなわちマスコミの報道には懐疑的なところがあってですね、ついつい細かいことに目が行くというのもあるでしょう。
 しかし、私のような中学英語レベルの人間でさえも、「disappointed」と「失望した」には意味的な距離を感じざるを得ません。
 もちろん、アメリカは基本批判をしていると思います。それはそうです。実際に近隣諸国との緊張が高まりましたからね。ほめてはくれないでしょう。
 たしかに英和辞典をひくと「disappointed」の最初に「失望する」が出てきます。それをそのまま、誰だか知らないけれど、おそらくは批判的な潜在意識のおかげでしょうかね、「おお!アメリカも怒っている」と思って採用してしまった。
 ちなみに「disappointed」をCAMBRIDGE英英辞典でひいてみると、次のような説明があります。

unhappy because someone or something was not as good as you hoped or expected, or because something did not happen

 お分かりになりますよね。期待がはずれてがっかりする感じです。
 では、「失望」を日本国語大辞典でひいてみましょう。

期待していたことが外れてがっかりすること。また、その結果、将来に対する望みを失うこと。

 おお、前半はまさに「unhappy because someone or something was not as good as you hoped or expected, or because something did not happen」そのものです。
 問題は後半です。「また、その結果、将来に対する望みを失うこと」、ここが先ほど書いた両語の「距離」なんですよね。
 「失望」はまさに「望みを失う」という、将来にわたる不幸まで想像してしまう言葉なのです。なんか修復不可能な感じさえする。
 「disappointed」という言葉を選んだのは、それなりの重みがあるとは思いますが、それは中韓に気を遣ってのことでしょう。
 日本の内政的にはそれほど気にしなくていいような気がします。
 どちらかというと、国内に、鬼の首でも取ったかのように今回の総理の行動を批判する日本人がいることが心配ですね。
 26日当日に書いた感謝!安倍総理「鎮霊社」参拝という記事にあるように、そろそろ靖国とは別の施設が必要な時代になっているのかもしれません。もちろん、靖国をないがしろにするわけではありませんが。
 それから、あの声明の最後の文の和訳についてもいろいろ言いたいところですが、時間がないので割愛。そろそろいろいろなサイトでいろいいろな意見が出始めていますし。
 最後にネットで見つけた面白いAAをどうぞ。ホントにこういうことだったらすごいな(笑)。

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2013.12.29

「へこたれる」とは

1312_05 日「チョップ(手刀)の神秘」の記事で触れた、力道山没50年追悼記念興行『プロレスの力』がサムライで放送されていたので観戦いたしました。
 デビュー戦を親子タッグで勝利した「力(ちから)」選手が、試合後のインタビューで「へこたれることなく…」という言葉を使っていました。
 なんかプロレスで「へこたれる」という古典的な言葉を聞くのは久しぶりのような気がして、逆に新鮮でありました。
 へこたれる…皆さんはこの言葉にどのようなイメージをお持ちでしょうか。
 力選手は、一般の辞書の冒頭にある「つらくて中途でくじける。だめだと思って元気をなくす。まいって途中でほうりだす。へたばる」という意味で使ったのでしょうね。
 プロレスはまさに「へこたれない」姿、心を表現する文化です。特に日本のプロレス文化は。
 「へこたれる」は「へこ」と「たれる」に分かれます。そう、無理やり漢字で書くなら「凹垂れる」なのです。
 つまり「凹む」と「垂れる」の組み合わさった言葉なのです。たしかにそういうイメージありますよね。
 語誌的に言いますと、この言葉はそんなに古い言葉ではありません。江戸時代に使われ始めたと思われます。
 古い用法を見ると、「座る」「くたびれて腰を下ろす」という意味で使われています。「マア下にへこたれなさろ」のように。
 それが明治になって、比喩的に心理状況を表すようになりました。「心が折れる」というような意味ですね。
 ところで、「へこむ」という言葉ですが、その「へこむ」ことを表す擬音語(擬態語)として、「ペコっと」とか、「ペコペコ」とか言いますよね。
 そう、日本語の「はひふへほ」は上古は「pa pi pu pe po」と発音されていたと考えられているんです。だから、「へこむ」は「ペコム」と発音されていたのです。オノマトペとしては古い形が残ったわけですね。
 同様の現象としては、「ひよこ」と「ピヨピヨ」の関係が思い出されます。古くは「ピヨコ」だったわけですね。
 おならの「屁(へ)」や排泄を表す「ひる」なども「ペ」「ピ」という音から生まれた言葉かもしれません。
 じゃあ「母(はは)」は?そうなんです。古代にはお母さんは「パパ」だったわけです(笑)。面白いですね。
 おっと話が逸れました。
 「へこたれる」は「凹垂れる」。たしかに凹んで垂れちゃうというのは最悪な状況ですね。私も「へこたれることなく」頑張りたいと思います。
 
 

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2013.12.28

あんしん監視カメラ for iPhone

20131229_133352 跡が起きました(笑)。
 たまたま寝室に転がっていた懐かしいiPhone3GSを見つけまして、電源ケーブルを接続して電源を入れてみたら、ななななんとちゃんと起動しました。
 って、当たり前じゃないの?とお思いの方がほとんどでしょうね。
 実は、このiPhone3GS、完全に死亡したと思っていたのです。
 なにしろ、半日雪の中に放置し(つまり落とした)、その数ヶ月後には、沸騰した味噌汁の鍋の中に落下させ、熱すぎて1分ちかく救出できなかったという過去があるのです。
 さすがに、味噌汁ダイブの時は、バックライトもつかず完全に死亡したと思って、たまたまその日に発売だった4のホワイトを買いに走りました。その日の記事はこちらです。
 あれから2年と8ヶ月。まさか復活するとは!いったいどういう仕組みでこういうことが起きるのだろう…Apple製品ってすごいな(笑)。
 ということで、なんとなく懐かしいアプリたち…それ以前に画面の粗さが懐かしかったな…をいじっていたりしていたら、ふと思いつきました。
 もったいない。なにかに利用しよう。
 そう、皆さんもそうでしょうけれど、機種変するとそのたびにiPod touchが増えていきますよね(笑)。つまり、通話できないだけであとの機能はほとんど使えるiPhoneがたまっていく。
 ちなみに今は5を使っていまして、4は子どもおもちゃになっています。
 で、懐かしい3GSでを何に使おうかと考えたんです。あっそうだ!カメラの機能は使えるのだから、これをウェブ・カメラにするというのはどうだろう。
 というわけで、最初はUstreamでライヴ配信でもしようかなと思いましたが、そこまでヘビーに使わなくてもいいと考えなおし、この無料ソフトを入れてみました。
 というのは、私、毎日大気中のラドン濃度を測定してtwitterで発信してるんですが、外出していると家人に測定器のところまで行って見てもらうことになる。
 家族みんなで出かけてしまったり、旅行に出かけたりするとそれも不可能。まさか猫にお願いするわけも行かず(笑)。
 今までは、MacBookを測定器の前に設置して、iCamというソフトを使って外出先のiPhoneで確認するというようなことをやっていましたが、わざわざMacBookを動かすのも面倒。
20131229_132714 そこで、お釈迦になっていたiPhone3GSを使おうということです。
 この「あんしん監視カメラ」は動画のストリーミングではなくて、5秒に1枚の静止画です。はっきり言って、こういう使い道の場合は、軽い静止画の方がいい。
 さらに私の3GSのiOSは4のままなので、そういう古いOSにも対応してくれていてうれしい。つまり、眠っている古いiPhoneの有効利用という意味で開発されたのでしょう。
 さっそく使ってみましたが、全く問題なく動作しますし、ブラウザで確認するタイプなので、端末を選ばず便利ですね。
 とりあえず年末年始は静岡の実家に帰りますので、さっそく役に立ちそうです。

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2013.12.27

トゥーツ・シールマンス 『ライヴ3』

Toots Thielemans - Live 3
Tootsthielemanslive3lprecord539195 日はちょっとオシャレなジャズを聴きながら、たまった年末の仕事をしております。
 私にとってオシャレなジャスの代表選手はハーモニカ奏者(ギタリストでもある)のトゥーツ・シールマンスです。
 特にこの1978年のライヴ・アルバムは演奏はもとより選曲がよすぎる!なんともアンニュイな感じがオシャレであります。
 若き日のジョン・レノンにも多大な影響を与え、ビル・エヴァンスやジャコ・パストリアス、さらにはスティーヴィー・ワンダーやクインシー・ジョーンズらとも共演する幅の広い音楽性を持った天才音楽家です。
 アルバムの一部がYouTubeにアップされていましたので、皆さんもぜひごゆっくりどうぞ。

 ちなみに91歳の今でもバリバリに演奏しています。すごいレジェンド。16分過ぎからの「枯葉」は絶品。禅の境地ですな。


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2013.12.26

感謝!安倍総理「鎮霊社」参拝

006 倍首相が靖国神社を参拝しました。
 それはそれで非常に意義深いものがあると同時に、正直問題もあります。それらについてはここに書ききれませんので今日は割愛させていただきます。
 しかし、今日はある意味もっと本質的なことを述べておきたいと思います。
 まず昨日の話の続きから。
 昨日はGHQによる日本人総クリスチャン化計画とその失敗について書きましたよね。実はそれに伴って、国家神道の象徴たる靖国神社を焼き払おうという計画がありました。
 焼き払った上に、そこにドッグレース(競犬)場を作ろうと真剣に考えたというのですから、まあなんというか、とんでもない話です。
 結果として、ローマ教皇庁代表のビッテル神父らの反対によって、そのメチャクチャな計画は白紙となって、今に至っています。その時のビッテルの言葉。

「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」
「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」
「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」

 まあ宗教者として当たり前の言葉であるとも言えましょうが、感動的でもありますね。いやあ、もし本当に焼き払われていたら…。
Photo_05 ところで、今日私が書きたいのは、靖国神社本体のことではありません。「鎮霊社」のことです。
 ニュースでも少し紹介されていたのでご存知の方も多いと思いますが、実は今日、安倍さんは現役首相として史上初めて「鎮霊社」に参拝をしました。
 今年、私も何度か靖国神社を訪れました。そう、生まれて初めて、日米終戦の日と日米開戦の日に参拝し、不戦の誓いをすることができたんですよね。それはそれで個人的に非常に感慨深いことでした。
 その時、私も実は「鎮霊社」にお参りしています。実を言うと、本殿参拝より先に「鎮霊社」参拝をしました。毎回そうです。
 鎮霊社というのは、靖国神社の本殿の脇にある小さなお社です。1965年に創建されました。そこにはどのような神様が祀られているのか、そこを参拝することにどういう意味があるのか、今日の安倍さんの言葉を引用してみましょう。

「鎮霊社は靖国神社に祭られていない全ての戦場に倒れた人々、日本人たちだけではなくて諸外国の人々も含めて、全ての戦場で倒れた人々の慰霊のためのお社であります。その鎮霊社にお参りをいたしまして、全ての戦争において命を落とされた人々のために手を合わせてご冥福をお祈りし、そして二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代を作る、その決意を込めて不戦の誓いをいたしました」

 鎮霊社の創建事情にはA級戦犯合祀問題が絡んできたり、ちょっと複雑なものがありますから、上掲の総理の言葉をそのまま受け取ってはいけない部分もありますが、現状においては、たしかに「世界中の戦没者慰霊」の場としては、鎮霊社が最もふさわしいと、私も考えています。
 実を言うと、私はここのところ昭恵夫人を通じて、総理に「地球戦没者慰霊」のお話をさせていただいています。この「地球戦没者慰霊」という言葉と発想は、かの知られざる昭和の天才、仲小路彰の発案です。
 それを実現できる施設を、なんらかの形で富士山麓に創るというのが、仲小路の、そして私の夢なのです。
 靖国は靖国で大切な神社です。靖国に眠ること、そして靖国で戦友や遺族に会うことを心から願った英霊に対して、絶対に失礼があってはいけません。どのような政治的な事情、あるいは信条的な事情があっても。
 ですから、それとは別に、天皇陛下、首相も含む世界中の全ての人が参拝できる施設を別に創りたいのです。もちろん宗教法人としてではなく。
 その実現に向けては大変な困難が伴うと思いますが、私は諦めたくありません。
 少なくとも今回の総理の鎮霊社参拝は、その夢への第一歩としての意味があったと感じましたし、実際総理もそのようにお考えになってくれていると信じています。
 そういう意味で、私は今日のニュースに非常に感動しました。
 未来に、人類の夢が実現した時のために、今日このことを記しておきます。
 そして、あさって家族で再び鎮霊社参拝をしたいと思います。

靖国神社公式


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2013.12.25

国際基督教大学(ICU)とは?

↓2009年11月
091105019 日はクリスマス。
 八百万の神々を信ずる者として、当然のごとくキリスト教文化にも親しんできた私ですが、やはりコトを窮めていくとモノに至るということでしょうかね、最近ではクリスマスというと「いよいよ日も伸び始めるなあ。新しい文明のスタートだ」というような感慨の方が大きい。
 いや、案外そういう感覚の方がイエスの実感に近いのかもしれないなどと、それこそなんとなく直観的に思ったりするのです。
 そういう態度や感慨を、コトにこだわる原理主義者たちは非常に忌み嫌いますね。クリスチャンに限らず。
 さてさて、そんなクリスマスにちなんでというわけではありませんが、今日は午前中ICUの問題を解きました。面白い問題ですよ。日本的な大学入試とはえらくタイプが違います。
 本校でもICU(国際基督教大学)は生徒の憧れの大学の一つです。単なる偏差値で測れない「本当に頭がいいヤツはICUに行く」的な都市伝説が、この田舎の学校にも伝播してきています。
 今も一人教え子が通っていますが…ICUほどその本質が理解されていない大学もないでしょうね。というか、その存在を知らない人も多い。早稲田・慶応・上智は知っているけれども、それと偏差値ランクでは勝るとも劣らないICUのことは知らない、あるいはICUという呼称は知っているけれども、「国際基督教大学」と書かれると、えっ?そんな大学あるの?のような反応をする方も多い。
 ICUの創立は1953年。非常に簡単に言いますと、敗戦後の日本において国家神道を排除し、そして、日本国民の総キリスト教信者化を果たすためのプログラムの一環として作られたのが、この国際基督教大学です。
 ドイツ式の教育がなされてきた日本の大学界に、アメリカ式のリベラル教育を導入しようとしたわけですね。
 これにはGHQの総司令官ダグラス・マッカーサーも大いに賛同しました。マッカーサー自身も敬虔なクリスチャンで、日本人全てがクリスチャンになることを心から願っていたようです。
 ただし、マッカーサーは強制的に日本人をキリスト者にしようとしたわけではなかったようです。案外に東洋的な宗教観に共感しており、どちらかというと、自らの知っているキリスト教の思想と古神道や仏教の思想に共通点があるということに好機を見出していたようです。
 つまり、「日本占領は、アジアの人々にキリスト教を拡めるための、キリストの生誕以来の、比類ない機会である」と真剣に思っていたのです。
 その実現のために、ポケット聖書運動を展開したのは有名な話です。約一千万冊の聖書を全国津々浦々に無償配布しました。
 日本人は喜んでその聖書を受け取ったと言います。
 なぜなら、その聖書の神…いやいや、紙は非常に薄く、巻きたばこの巻紙として最適だったからです。1ページずつ破いて刻みタバコを包み、プカプカとやらかしたわけです。
 まあ、そうやって日本人の肺に教えがこびりついたわけですから、もしかするとGHQの作戦は成功したのかもしれませんね(笑)。
 ちなみに送り込まれた宣教師は約2500人。ザビエルの時代どころの話ではありませんね。キリスト教国アメリカは相当頑張りました。
 国際基督教大学の方も、まあそこそこの入学者はキープされ、そして、現在のある種特別な地位を獲得して立派に存続しているわけですから、失敗とは言い切れません。
 しかし、宣教師や聖書や大学が鳴り物入りでやってきた割には、実際のところキリスト教信者はほとんど増えませんでした。
 やはり宗教以前の八百万の神信仰は強いですねえ。これもある意味「国譲り」の成果とも言えます。こうして、国民のほとんどがクリスマスで大騒ぎしていながら、ほとんどそれを宗教的な行事とは思っていません。恐るべし、日本人。
 ICUに至っては、そう最近では眞子内親王殿下が入学されたじゃないですか。来春にはICUの大学院に進学されるとも。
 これも日本の皇室がキリスト教に負けたわけでは全くなくて、逆でしょう。結局、キリスト教をも取り込んでしまっているわけです。実際、皇室内におけるキリスト教の歴史を調べると、そのへんの構造がよく分かりますよ。
 というわけで、仏教校の先生である私は今日、ICUの問題を解き、続いて学習院の問題を解き、東大の問題を解きました。面白いですね。

ICU公式

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2013.12.24

もう一つの富士山(その9) 志村正彦と富士山

Img_7639 日は私たちファンにとっては、クリスマスイヴである以前に、志村正彦くんの命日です。
 我が校の前にある月江寺の池付近にもたくさんのファンの方がいらしゃっていました。もうあれから4年になりますが、彼の存在感は全く小さくなることはありません。それどころか、私にとってはどんどん大きくなっている。
 先日、この月江寺の池周辺にちなむ夭折の天才3人について紹介しました。こちらの記事です。
 太宰治、李良枝、志村正彦。この3人に共通しているのは切ないほどの叙情性です。それは圧倒的な自意識の裏返しでもあるわけですが、それを支える「場(トポス)」というのは非常に重要だと思います。
 そう考えると、太宰と李が「富士山」を否定的に(そして最後は肯定的に)描くことによって、その自意識の矛盾(好悪)を作品として昇華したのに対し、志村くんは直接的には歌詞の中に富士山を描くことはしませんでした。
 しかし、それを遠く仰ぐ「場」としての「いつもの丘」や「東京」を物語の舞台に設定しています。
 そのバンド名はもちろんのこと、ことあるごとに富士山について語ってきた彼が、あえてその作品にその主役を登場させなかった(あるいは登場させる前に亡くなってしまった)ところに、私は深い抒情を感じます。
 ちょっと話がぶっ飛びますけれども、志村くんの中には、日本最古の古事記や日本書紀に一切「富士山」が現れないというのと似たような意識が働いていたのではないかとも思われます。
 すなわちそれは言葉にならない畏敬の念、恐怖にも似た彼岸感だったかもしれません。私のいう「モノ」ですね。「コト」にならない「モノ」。
 私たち凡人はいくらでも富士山について語れます。つい最近も私はある短歌雑誌に「富士七首」を投稿しました。私にとっては富士山は「おいしいネタ」なのです。作品らしい作品、すなわち「それっぽい」風景を作り出すのに、富士山のような造形と文化的肥沃さと知名度はうってつけなのです。
 もちろん、太宰や李は、そんなエセ歌人とは違って、もっともっと真剣に富士山に対峙し、悩み、苦しみ、そして最後は和解するというプロセスを作品化しました。
 志村くんは、ある意味では、太宰や李よりももっと富士山を身近に、しかしだからこそ遠く感じてもいたのかもしれません。
Img_7645 言葉にすると嘘くさくなる。
 富士山の麓に生まれ育ち、東京に出てからも、遠くその三角錐のシルエットを眺めた彼にとって、あまりに富士山は「本物(モノ)」であったということでしょうか。
 しかし、本当に不思議なのは、彼の歌詞世界には必ず富士山が背景として存在しているということ。これはたまたま私が富士吉田にいるから感じるのではないと思います。
 背景であるからこそ、見えないからこそ、こちらは見ていないけれどもいつも見られているからこそ、ホンモノ。
 そういう感覚、おわかりになるでしょうか。
 あの時にも書きましたが、彼の訃報を聞いた25日の翌日、私は志村くんの実家を訪ねて年明けに彼と会う約束をとりつけるつもりでした。彼が久しぶりに年末年始富士吉田に帰ってくるということを聞いていたからです。
 彼と会っていたら、私はあるお願いをする予定でした。2010年春開校することになっていた我が中学校の校歌(あるいは愛唱歌)を彼に作ってもらおうと思っていたのです。
 今にして思えば、そのお願いは実現されなくてよかったのかもしれません。
 当地の校歌と言えば、必ず「富士」を詠み込まなければなりませんから…。
 その中学校も今年開校4年目を迎え、第1期生が系列の高校に進学しました。開校と同時に私が作った弦楽合奏部もずいぶん上手になりました。
 今日は部活動で志村正彦追悼演奏をしました。演奏したのは「虹」と「Bye Bye」。中学生たちは本当に志村くんの音楽が大好きなのです。
 演奏の前に、生徒たちと「両国」の「虹」の動画を観ました。私もあそこの場にいた一人です(その日の記事はこちら)。個人的にもその夜のことは忘れられません。
 この日の志村くんは、たしかに一つの頂上に立っているような感じでした。

「虹」

「Bye Bye」

 あらためて当地(この場)が生んだ天才のご冥福をお祈りしたいと思います。

Amazon 志村正彦全詩集

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2013.12.23

天皇陛下の傘寿を祝す…国譲りと憲法問題について

20131224_102909 日は天皇誕生日。陛下、八十歳になられ、ますますお元気で何よりです。
 私はカミさんの英語教室のクリスマス発表会の練習に駆り出されておりました。こんな大切な日に異教の王の誕生を祝うとは何事だ…お叱りの声が自分の胸の中から聞こえてきそうですが、ご心配なく。
 ウチのカミさんの英語教室は、英語を通じて日本人らしさを教えるという謎の秘密組織です(裏の名を English School「Conservative」というらしい)。当然、今日の発表会にあたっても「今日はどなたの誕生日とこころえる!」というところから始まっていました(笑)。
 クリスマスを前にして、畏れ多くもやや存在感が薄くなっている、この世界最古の王家(国家)の今上天皇陛下のお誕生日でありますが、そこがまた実に日本的でもあるわけです。
 ここのところ何度も書いているとおり、「国譲り」の精神こそが、本当の「和」の精神です。表面的なことにとらわれていてはいけません。
 そういう意味で、今日の陛下の記者会見のお言葉には本当に心にしみるものがありました(記者会見の全文はこちらでお読みください)。
 もしかすると「Conservative」(保守派)の方々には少々不本意に聞こえたかもしれませんが、特に日本国憲法について語られた部分は、本来の「国譲り」の精神の発露であると私には感じられました。
 すなわち次の部分です。

『戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時のわが国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います』

 安倍総理は改憲に燃えているようですが、陛下は現行憲法を「守るべき大切なもの」と語りました。それ以前に日本国憲法を作ったその主体を「日本」としていらっしゃいますね。
 また引用部分の最後の「知日派の米国人」に対する感謝の言葉も大きな意味があると思います。
 私は表面的なことはともかくとして、深い部分では「憲法9条は昭和天皇のご発案」という意見に賛成する立場です。
 一方で、国民の中から改憲論議が出てくるのはいいことだと思っています。現実的に国民投票ができるように手続き部分の改正はすべきだとも思っています。
 ちょっと反発も食らいそうですけれども、今日の陛下のお言葉に力を得てあえて言いますと、私はたとえ国民投票をしても、現行憲法の主たる部分は変わらないと思っているのです。
 だからこそ、どんどん論議が沸騰して、そしてちゃんとした手続きを経て、堂々と国民投票すればいいということです。
 憲法改正反対の方々、特に左派の方々の意見をお聞きすると、とにかく自信がないように感じるのです。国民投票したら改憲派が勝ってしまうに違いないという恐怖心を持っているように見える。
 いや、自分たちの意見が正しいと思うなら、正々堂々と勝負すればいいではないかと言うと黙ってしまう。
 そんな時は、私はこう言うのです。「大丈夫ですよ。最後は天皇陛下の鶴の一声がありますから」と。
 だから、私は安倍総理が憲法改正こそ自らの使命と考えて邁進することを是とします。そして、今日の陛下のお言葉をももちろん是とします。そのパランスでようやく「和」であると思うのです。
 陛下と総理、はっきり申して勝負は決しています。
 そこには言葉で表現しきれないモノが働いています。かの聖徳太子は自らの苦悩の末に「国譲り」の本質を直観しました。
 現行憲法がアメリカに押し付けられたものであっても、日本語として不十分であっても、また内容が玉虫色であっても、実はそこにこそ本質が隠されているということを、陛下も苦悩の末に充分にご承知であるのです。
 日本の精神は事細かに正確に科学的に「コト化」してはなりません。いや、コト化できません。
 せいぜい十七条くらいでいいのです。

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2013.12.22

Lenovo IdeaPad Miix2 8

51acflzrbl_aa300_ え置き用にタブレットを買いました(笑)。
 いや、ホントなんですよ。こういう使い方する人も珍しいでしょうね。
 でも、いろいろ考えてこれが一番安上がりだったので。
 WindowsPC買うの初めてです。いや、正確に言うと初めて買ったパソコンがFM TOWNS MF/Freshで、あれはWindows3.1搭載してたから、およそ20年ぶりだな。1994年か。ちょうど30歳になる年だったな(笑)。
 で、どういう事情で今回このWindowsタブレットを購入したかというとですね、職場でMacを使っているのは私だけでして、まあいろいろと不便があったわけですよ、ここ15年くらい。
 だいたい教育現場というのは、それこそTOWNSからWindowsに主流が変わって以来、書類は全てWordとExcelで(ま、いまだに一太郎使ってる人もいますが…笑)、Mac使いにとってはそれが非常なる面倒を生んでいたわけです。というか、教育現場に限らずそうですよね。
 Mac用のOfficeや互換フリーソフトを使っていた時期もありましたが、やはり微妙にレイアウトが崩れたり、マクロがうまく働かなかったり、ずいぶん不快な気分を味わったり、味わわせたりしてきました。
 しかたなく、Mac上でWindowsを走らせようかとも思ったのですが、仮想化ソフト+Windows+Officeとなると、かなりの出費になることが分かりました。
 では、思い切ってWindowsPCを買ってしまおうか…いやいや、ほとんど使わない(使いたくない)のに、大枚はたくのもなあ…と思っていたところ、パッとと思いつきました。
 そうか、WindowsタブレットはiPadやAndroidタブレットとは違って、基本的に小さなPCでだったな。言わばマウスとキーボードのないPCであると。
 実は私、WindowsはMac上ですでに使用していたのです。それはつまり、LogMeInでリモート操作していたのです。
20131221_204712_2 これを使わない手はない。WindowsタブレットはマウスとキーボードのないPCなのだから、まさにこの使い方にうってつけじゃないでか。だって、Macにマウスとキーボードがあるんですから。
 で、調べてみたらこのLenovoのタブレットが最新のWindows8.1を搭載していて3万円台で買えることが分かりまして、さっそく注文してみました。
 はい、結論から申しまして、大正解でした。全く問題なく使えます。
 最新のオペレーションシステムと最新の統合ソフトが普通に使えます。もちろん、Mac上から親指シフトでWordに入力したりできますし、重いとかモサッとするとか、そんなに気になりません。
 セカンドディスプレイの設定をすれば、タブレット自体のディスプレイはオフにして使えます。つまり、タブレットを据え置きのPC本体として使えるわけです。
 loginは、仮想化ソフトと同様に同一画面上でMacとWindowsのファイルのやりとりもできますし、プリンターの共有なども簡単です。
 もちろんBoot CampでWindowsを走らせるのとは速度は違いますが、Windowsをメインで使うのではなければ、はっきり言ってこれで十分ですよ。
 Windowsをこういう使い方している方はあまりいないと思います。Mac使いの方はぜひ試してみてください。私は当分これで行きます。
 いや、単純にタブレットとして持ち運ぶこともできますから、Windowsマシンをドンと買うよりずっとお得で便利ですよ。

PS リモートアクセスはTeamViewerの方がレスポンスがいいですね。ただし、インライン入力がなぜかできないのがちょっと。

Amazon Lenovo IdeaPad Miix2 8 (Atom Z3740/32GB/2GB/Win8.1/8型HD IPS/ブラック/Office Personal) 59404411

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2013.12.21

怪奇大作戦 『京都買います』 実相寺昭雄監督作品

 中、BSプレミアムで久々に放送されました。
 私、5歳の時にこれをリアルタイムで見て、妙に仏像に興味を持ちました。今こうして剃髪してエセ坊主をやっているのは、実はこれが原点だったりして。
 これって現代(昭和)の仏教説話ですよね。平安あたりから昭和までを一気につないだ名作だと思います。
 佐々木守の脚本も説話として優れていますが、やはり何と言っても実相寺昭雄の異形の映像美が素晴らしいですね。言うなれば説話に基づく絵巻物という感じです。
 今観ても、そのテーマ性、そして描き方も、古くて新しい感じがします。
 日本古来の伝統文化と近代化との関係、恋情という煩悩と仏教の悟りとの関係…では、仏像への愛情は仏教的に許されるのか…、信仰と観光との関係などなど、いろいろと考えさせられますね。
 非常に短い作品でありながら、妙に心に残る…と言えば「妙心寺」も映っているような気がしますが、どうでしょう。
 このあと、実相寺昭雄は映画監督デビューを果たし、ATGの諸作品を製作します。そこでも仏教ものをいくつか見ることができますね。仏像+バッハ無伴奏(の伴奏付き版)とか、ありましたねえ。
 そう、この作品でも、日本的なモノと西洋クラシック音楽との融合が見られます。
 その傾向は晩年まで続き、最近紹介したAV作品「アリエッタ」でも同様の手法を用いています。
 そう考えると、音楽的にも今の私の趣味に影響を与えているかもしれませんね。
 やはり幼少期の体験というのは大切ですなあ。はたして今どきのテレビ番組には、そういう力があるのでしょうか。

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2013.12.20

北海道の滑らない靴

Img58466223 雪が降りました。
 基本、ここ富士北麓も太平洋側ですから、一冬でそんなにたくさんの雪が降るわけではありません。
 しかし、逆に本格的な雪国ではないために、ここは雪が降ると実に面倒なことになります。
 つまり雪の処理が下手くそなんですよね。まあ、静岡生まれの私からするとよく分からんのですが、積雪日本一にもなったことがあるという秋田の豪雪地帯出身のカミさんからすると、もう全然ダメダメなのだそうです。除雪の技術というか作法がなっとらんと。まともな道具も売ってないし。
 たしかにドカンと降ると数日はほとんど被災地という感じで、特に車での移動は大変です。
 とにかく気温が低くなるので、昼間一度溶けた雪が朝凍るということの繰り返しで、春先までは常に凍結に注意して走行しなければなりません。
 雪が溶けて再び凍ると、場所によってはほとんどよく整備されたスケートリンク状態(ミラーバーン)ですから、そんな所ではスタッドレスタイヤも全く役に立ちません。
 スパイクタイヤがOKだった昔は良かった。たしかにあれは効きました。ただし、乗り心地が悪い、うるさい、道路が削れるということで基本禁止になってしまいました。
 おっと、今日はタイヤの話じゃなかった。靴の話です。車が滑るんですから、人間だって滑りますよね。
 私の通っていた都留の大学なんか、南国から入学してくる学生も多くて、冬になるとみんな一度は転んで、場合によっては骨折なんてこともよくありましたっけ。
 で、私も時々滑って危ない場面に遭遇するので、今年はとうとう「滑らない靴」を買いました。自分へのクリスマスプレゼントの一つです(笑)。
 この靴のシリーズはその名も「北海道の滑らない靴」だそうです。ずばりスパイク・シューズですね、これは。
 いろいろな型がありましたが、私はビジネスにもカジュアルにも使えそうなこのタイプにしました。
 さっそく新雪、圧雪路、凍結路を歩いてみましたが、たしかにこれは滑らん。強力ですね。
 圧雪路用のパターンと、凍結路用のスパイク、そして新雪などに有効な3cm5時間という防水。
 これは素晴らしい。
 しかし!スパイクタイヤと同様、乾燥路ではちょっとうるさい。というか恥ずかしいかも(笑)。いかにもスパイク付いてます感をアピールしてますな。
 まあ、それでもやっぱり滑らないというのは大きいですね。背に腹は代えられません。
 今年の冬はこれにお世話になろうと思います。
 当地の靴屋、あるいはホームセンターなんかで売ったら絶対売れると思うんだけどなあ。商売しようかな(笑)。

◆アイスバーンに強いメンズ靴◆鋼鉄ピンスパイク付紳士靴◆雪道の防滑カジュアルシューズ◆ノ...

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2013.12.19

ヨハン・ルートヴィヒ・バッハ 『葬送のための音楽』

 日も喪に服し、ふさわしい音楽を聴いて過ごします。
 大バッハの親戚にあたるヨハン・ルートヴィヒ・バッハの「葬送のための音楽」です。
 大バッハはこの8歳年上の親戚バッハの音楽を非常に高く評価し、自ら写譜をして何度も演奏しています。
 今までほとんどその作品を聴く機会がありませんでしたが、最近は優れた演奏会や録音に恵まれるようになってきました。
 たしかにこの「葬送のための音楽」も細部にわたってなかなかよく出来ており、大バッハへの影響も聴いてとれます。
 特にアリアの優れたメロディーは大バッハを凌いでいるとも感じます。分かりやすさと深さのバランスが非常に良いと感じます。
 これはもっともっと高く評価されて良い音楽です。

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2013.12.18

ビーバー 『レクイエム イ長調』

 切な方がお亡くなりになりました。哀悼の意をこめまして、ビーバー作曲の鎮魂歌を聴きたいと思います。
 どうぞ安らかにお眠りください。宗教を超えて祈りの共鳴は天まで届くと信じます。

H. I. F von Biber - Requiem à 15 in A-Dur

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2013.12.17

『世界震源地図』 (東京大学地震研究所)

Img_7621 場の同僚が買ってきてくれました。さっそく地図を広げながらしばし話しました。
 自然科学的な見地でこの地図を語れるのはもちろんとして、社会科学的な資料としても大いに語れますね。
 すなわち、政治や経済、そして歴史や宗教をこの地図上で語るのです。
 この地図は、1977年1月から2011年3月までの「Global CMT Catalogue」のデータに基づき、世界地図にM5以上の地震の震源をプロットしたものです。
 同じ地図の立体版(ペンタグローブ…正十二面体)も買ってきてくれましたので、さっそく組み立ててみました。
 眺めていると本当にいろいろなことが分かってきますし、感じられますね。もちろん、日本がとんでもない世界一の地震国であることが一番最初に分かりますよ。
 震源地は基本的にプレートの沈み込むところです。そこは非常にダイナミックな地球の運動点であるとも言えます。実は私たち人間の生活というのは、地球という生き物のダイナミズムの上にあるんですよね。
 以前、「メタンハイドレートは救世主か悪魔か」という記事を書きました。そこにも実は震源地図が出ています。そう、次世代埋蔵資源の一つであるメタンハイドレートの分布地図と比較しました。
 20世紀は石油の世紀であり、戦争の世紀でした。もともと戦争というのは食料の奪い合いから始まりました。つまり、エネルギーの奪い合いです。
 そう、20世紀は石油の奪い合いの世紀だったわけです。たとえばそういう視点をもってすれば、ウランを原料とする原子力発電が、ある面では戦争の抑止力として働いたことがわかります(今でも働いています)。なぜなら、ウランの埋蔵分布は原油のそれとはずいぶん違うからです。
 さらに、次世代資源であるシェールガスやメタンハイドレートもまた、それぞれ他の資源とは違った分布をしています。ネットで調べてみてください。
 そうして、それぞれの土地(国)に豊富な資源を使ってエネルギー問題にとりかかることは、国際紛争を軽減する有効な手段になるでしょう。
 こうした本物のグローバルな(地球地理的・地球史的)視点というのは大切ですね。なんでも原発反対とか、そういう現代人の視野狭窄の原因は我々教員にあるのではないかという話になりました。
 世の中を見る方法、そして自らの人生設計をする方法として、こうしたグローバルな視点とローカルな視点のバランスをとるということは非常に重要だと思います。
 私は以前から日本は地熱発電と蓄電で行け!と言っています。たとえば、4年ほど前に書いた地熱発電とEDLCという記事ですね。これなんかも、当然グローバル&ローカルな発想です。
 さらに私は、そのグローバルとローカルを結びつける手段として、よく「雛型理論」を使います。相似、フラクタルですね。個人を社会に投影したり、その逆をしたり、時間軸での投影を試みたりします。そうすると見えてくる真実というのがある。
 先ほど述べた、個人レベルでの食べ物の奪い合いが国家の戦争に拡大されるのもその例ですよね。
 また、未来を予測するのにも、そうした投影法は有効です。
 その他いろいろなことを話しましたが、たとえばこうした地図をもとに、理科だけでなく社会の授業をやってもいいですね。あるいは英語や国語や数学も可能かもしれない。
 そういう有機的な授業、教育というものをもっと学校ではやっていかなければならないかもしれません。
 自然災害と宗教との関係も面白そうだなあ。私はまずそこから考察してみます。

東京カートグラフィック

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2013.12.16

チョップ(手刀)の神秘

Bbsd131216karatensbig 日は力道山没後50年の日でした。そして今日、力道山の孫である「力(ちから)」がプロレスデビューしました。力は全日本、ノアで活躍した百田光雄さんの息子さん。実に三代にわたってプロレスラーを継いだことになります。
 力道山については、没後半世紀過ぎても、その評価は難しい。生前から毀誉褒貶相半ばする人物でしたからね。
 しかし、実際戦後日本の精神的復興に大きく寄与したのは事実であり、日本史上に名を残す巨大な存在であることには変わりありません。
 今日の力のデビュー戦では、祖父ゆずりのチョップも見られたとのこと。力道山と言えば空手チョップでしたからね。ルー・テーズ戦の空手チョップを見てみましょうか。

 チョップというのは、実にプロレス的な技です。プロレスでは基本パンチが禁止されているため、手による打撃技は自然チョップになります。
 もともとチョップ(手刀)は日本の武術のみならず、世界の格闘技の中にも存在していました。拳によるパンチは破壊力が大きく、すなわち、相手にダメージを与えることもできる代わりに、自分の拳をも傷める可能性が高い技です。
 そこで、手刀を相手の急所に入れることによって自らを守りつつ相手にダメージを与える方法が進歩しました。
 プロレスでは、急所を狙うこともありますが、一つの儀式(挨拶)として逆に相手の鍛えている所、たとえば胸板を狙って打つこともよくあります。
 プロレスは単純な勝ち負けの競技ではなく、お互いの良さ強さを引き出し合いながら協奏していく特殊な文化です。つまり、チョップを打たれる方も鍛え上げた肉体と精神を表現することができるのです。
 有名なチョップ合戦を見てみましょうか。これは興奮しましたね。涙が出ました。小橋建太vs佐々木健介の伝説的名勝負です。

 飛び技、大技連発のプロレスが横行し、またパンチが主流の総合格闘技全盛の時代によくぞやってくれました。東京ドームに響き渡るチョップの音。高山選手が解説で「祭」と言った意味がよくわかりますね。プロレスは神事なのでした。
 さてさて、総合でもチョップが繰り出されたことがありますね。それもモンゴリアン・チョップ。もちろん使い手はプロレスラー桜庭和志です。これまた伝説のホイス・グレイシー戦。1時間16分40秒あたりから見てください。しっかし、プロレス以上にタフな試合でしたね、これ。

 というわけで、プロレスにおけるチョップを見てきましたが、「手刀」の持つ神秘性、宗教性がお分かりになりましたでしょうか。あくまで「刀」なんですよね。
 ちなみに大相撲で懸賞をもらう際に「手刀を切る」動作をしますよね。左、右、中と。これは日本神話の造化三神に対する敬意を表しています。すなわち、中は天御中主神、右は高皇産巣霊神、左は神皇産巣霊神です。


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2013.12.15

演奏会告知! 2/11『洋館サロンで祝うエマニュエル・バッハの生誕300年』

 日はバロック・ヴィオラを携えて東京へ。2月11日の演奏会へ向けての練習です。
 この演奏会は「洋館サロンで祝うエマニュエル・バッハの生誕300年」と銘打ち、素晴らしいソリストをお迎えして大バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの名曲をお届けいたします。
 
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 エマヌエル・バッハはけっこう好きな作曲家なんですが、実は演奏会で演奏するのは初めてです。
 いやはや、ヴィオラで良かった…ヴァイオリンはめちゃくちゃ難しい。ハイドン並み…というか、あの時代、すなわち前古典の頃って、音楽的な大変化とともに、ヴァイオリンの技法の開発も進んだんですよね。
 今日も練習しながら、「いったいお父さんはどんな教育をしたんだ?」と思うほど、ある意味破格の連続。厳格な父親とは正反対ですよね。
 まあ、時代に取り残され「バッハ」という孤高の音楽ジャンルを完成させてしまったお父さんは、息子たちには「今風な」「食っていける」作曲家になってほしかったようで、この期待の次男には、友人で売れっ子ミュージシャンだったテレマンの名にちなんで「フィリップ」と名づけたとも言われていますね。
 たしかに聴きやすいキャッチーな面と、その場で驚かせるショッキングな面とを併せ持つ、なかなか刺激的な音楽が展開されています。
 今回私は2曲だけの参加ですが、昔から好きだった協奏曲イ長調を演奏できるのはラッキー。
 このコンチェルト、ソロ楽器によって三つのヴァージョンがあります。すなわち、フルート、チェロ、チェンバロです。
 今日、スコアを借りてきたんですが、実に興味深いですね。それぞれのソロ楽器の特性によって、ソロのパートが全く違った音になっている。編曲の技がよく分かりますし、楽器の個性を知る勉強にもなります。
 今回本番ではチェロ・ヴァージョンを演奏するのですが、今日の練習ではチェロの方はお休みでしたので、ソロパートはフルート(フラウト・トラヴェルソ)とチェンバロで代弾きしてもらいました。
 それはそれでなかなかいい。しかし、チェロもいいだろうなあ…今から次回練習が楽しみです。
 考えてみると、私、高校時代静岡でロストロポーヴィチのソロでこの曲聴いてるんですよね。それで好きになったんだった。今、思い出しました。
 ということで、この名曲をとりあえずYouTubeでお聴きください。1楽章と3楽章の明るさと2楽章の暗さのコントラストは、バロックを超えてたしかに疾風怒濤の域に入っていますね。


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2013.12.14

感謝!…日・ASEAN特別首脳会議夫人プログラム

Img_7584 晴らしい好天に恵まれ、富士山麓山中湖ホテルマウント富士で行われたプログラムが無事終了しました。
 本当にたくさんの方々の心のこもったおもてなしのお陰様です。ありがとうございました。
 富士山においでになったのは、安倍昭恵夫人、インドネシアのユドヨノ大統領アニ夫人、ベトナムのズン首相キエム夫人。
 都合により当初の計画よりも少人数になってしまったのは残念でしたが、しかし、たった3時間弱の滞在のために、わざわざ片道2時間半の道のりを経ていらっしゃってくださった3人のファーストレディの皆さんと関係者の皆さんには、おそらく大満足のプログラムになったと思います。
 21世紀は女性の時代。アジアの時代。平和の時代。その象徴としての富士山。
 それが、具体的な言葉ではなく、音楽、能、織物、和食、真珠を通じて見事に発信されました。
 万感が胸に迫り、私も何度か涙ぐんでしまいました。
Img_7597 今回のプログラムについては、実は私たち夫婦も企画段階から関与させていただきました。と言いますか、本当にありがたいことに、昭恵夫人は私の思いつきのアイデアに共感してくださり、そしてその実現にご尽力くださいました。
 今日、会食の中でも昭恵夫人からお話があったとおり、私たちはお会いするたびに、「富士山を地球平和の発信基地にしよう」と夢を語り合っています。
 そこに今年の世界文化遺産登録が重なり、総理自身も「今回の夫人プログラムは富士山の見えるところで」とおっしゃってくださいまして、不肖私が富士山麓に住む市民の代表として歓待の場を設ける一助をさせていただくこととなりました。
1509699_10152124671051779_144890057 最初そのお話をいただいたのは、2ヶ月前。一通のメールがきっかけでした。そこで得意のはったりを発揮して「お能はいかがでしょう。富士山にちなんで羽衣とか。そして、その羽衣に富士吉田の織物を使うというのは」と提案させていただきました。
 結果として、その全てが実現したどころか、ご到着の歓迎には我が校のジャズバンド部も使っていただくこととなり、さらには織物については、私の全く想像しなかったようなとんでもない動きが起こってしまいました。
 本当のことを申しますと、実は織物関係にはほとんど知り合いがいなかったのです。今思えば、ずいぶん無責任な提案でした(苦笑)。
Img_5193 しかし、本当に不思議なことにその話が始まる寸前に、今回お世話になることとなった宮下織物さんと、ウチの家内がほとんど偶然(今となっては必然ですが)出会ったり、ほぼ同時に私が堀内詔子衆議院議員に出会ったり、その後も恐ろしいほどに話がトントン拍子に動きまして(とても語り尽くせません)、今日のこの日の大成功を招くに至ったのでした。
 お能の方も、総理のお母様の家、すなわち岸家代々が、この富士山、特に冨士浅間神社にゆかりの深い梅若さんの後援会長さんであるということもあって、スムーズに実現に向けて動きました。
 まさにゼロからのスタートであったモノが、こうして2ヶ月でしっかりとしたコトに至るというのは、それこそ「言霊(コトタマ)」の力であると痛感しないではいられません。
Img_7591_2 そして、それを体現するのは、常に人。人の縁。それも今生きている人だけではなく、先人の魂や志も強く関与しているのです。
 ワタクシ的に申せば、ずっと自身が関わってきた宮下文書(秦氏や宮下家)や出口王仁三郎、仲小路彰らの「富士高天原の復活」「天教山(富士山)こそ宇宙の中心」「富士山を地球平和の象徴に」という構想が、時代を超えて今日体現されたとも感じています。
 とにかく、そのようないろいろな人のお力添えによって、今日の素晴らしい舞台が完成したとしか思えません。感謝しても感謝しきれない、なんとも言えない気持ちです。
Img_7593_2 はっきり申して関与された方々にとっては「ムチャぶり」でした。しかし、鶴の一声、天からの詔というか、ある種のトップダウンというのは重要ですね。我々しもじもに「私(ワタクシ)」が働く暇がない。その結果、全てが調和して同じ方向に動くことができる…。
 昭恵さんとも、また関係者の皆さんともお話ししたとおり、これは第一歩です。今を生きる私たちの理想(夢)に向けてのスタートにすぎません。もっともっと体現していかなければならないことがたくさんあります。
Img_5154 ますます直観力を鍛えて、ワタクシを捨てて精進したいと思います。本当にありがとうございました。
 織物に関する奇跡についてはまた機会を改めて記事にしたいと思います。
 それにしても、まさか各国のファーストレディの皆さんとメインテーブルでお食事をさせていただくことになるなんて、まあ数ヶ月前には(いや実際には昨日そう告げられました…笑)全く想像できませんでした。人生何が起きるか分かりませんね。

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2013.12.13

「輪」と「和」

As20131212002072_comml 年の漢字は「輪」ですか。
 漢検協会を敵に回している(いた)ワタクシとしては、あんまり興味を持ちたくないネタであるはずですけど、なんだかんだ気になっていました。
 やはり基本は東京五輪の「輪」ということでしょうね。そして、日本中が輪になって盛り上がった、支援の輪も広がったとのこと。
 「輪」は音読みでは「リン」、訓読みでは「わ」ということになります。
 「wa」の音から、輪と和をひっかけて語っているのを見かけますが、「輪」の「わ」は訓読み、「和」の「ワ」は音読みです。
 しかし、全然関係ないかというと、そうでもありません。昔の日本人もこの二つの漢字には関連性を感じていました。
 「輪」という漢字が輸入された時、それは日本語(和語)でいうところの「wa」であるということが分かった。そこで中国の読みとは別に「wa」と訓むようになったわけですね。
 それとは別に「wa」という音を表すのに万葉仮名ではどんな漢字を使ったかというと、主に「和」を使ったわけです。そこから平仮名の「わ」、片仮名の「ワ」が生まれたことはご存知でしょう。
 すでにそこに「輪=和」という関係が成り立っていることになりますね。
 ちなみに和名類聚抄という平安中期の辞書にも「輪=和」と記されています。
 実は、その後、「wa」音を表す万葉仮名にも「輪」が登場してきます。普通万葉仮名は当時の中国語の音、すなわち漢字の音読みを借りて日本語の音韻を表すものなのです(夜露死苦のように…ん?「夜」は訓読みか…笑)。「wa」に「輪」を使うというのは、すなわち「輪」の訓読みを使っているということになり、ちょっと珍しい例となります(借訓仮名と言います)。
 それから、やはり意味の重なりにも注目しなければなりませんね。
 たとえば、「人の輪」というのと「人の和」というのと、なんとなく似たイメージがありませんか。手をつないでいる様子がなんとなく和やかさを象徴しているというか。
 「和の精神」は「輪の精神」であるとも言えるわけですから、今年の漢字はなかなか良いものが選ばれたと思います。
 私としてはもう一つ、「輪」が花を数える助数詞になっているということも忘れてはいけないと思います。
 花を「輪(わ)」と捉える感覚、これはいいですねえ。中国ではそういう数え方をしないようですから、日本のオリジナルなのでしょうか。
 つまり、五輪はオリンピックである以前に、花が五つ咲いているという意味になるのでした。
 あっ、あと「輪」と「和」というと、花輪和一を思い出すな(笑)。

 
 

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2013.12.12

『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』 小津安二郎監督作品

20131213_90046 日は小津安二郎の生誕110年、そして没後50年の日。
 そう、小津はちょうど暦の還る60歳の誕生日にその人生の幕を閉じました。さすが天才は違うなあ。
 そんな天才の映画人生を偲んで、今日のGoogleのトップ画像は「東京物語」のあのシーンでしたね。
 私は久しぶりに「生れてはみたけれど」を観ました。高校生にはよく教材として見せていた作品です。最近は中学生と高校生の受験指導が主なので、ちょっとご無沙汰でした。
 まあ、今は便利な時代でして、こうしてYouTubeに稀少フィルムも含めてたくさんの小津作品が公開されています。
 言うまでもなく、「生れてはみたけれど」は代表的な戦前の作品の一つ。昭和7年、近代化する東京郊外の一家族の風景でありますが、今見ても面白いだけでなく、家族の変容、父権の失墜、会社組織のあり方など、現代日本を予言したような内容でもあります(小津の作品はそういう評価が可能なものが多い)。
 この作品で私が特に印象的なのは、前半の明るさと後半の暗さのコントラストですね。バロック的です。
 私は同様の印象を、ロベルト・ベニーニの名作「ライフ・イズ・ビューティフル」にも感じました。ベニーニは小津のこの作品に影響を受けたのではないでしょうか。
 前半のくだらないとも言える明るさ軽さのおかげで、後半のシリアスなテーマ性が浮き彫りにされるということですね。
 当然「生れてはみたけれど」はサイレント映画です。サイレント映画の見方はいろいろありますね。授業では弁士ヴァージョンを観せていました。現代の子どもたちには、やはり音声がないのは厳しいようです。ある種のスーパー(テロップ)はありますが、フォントがオシャレすぎて(笑)、読みきれないようですね。
 今日は、ドナルド・ソシンの見事な即興ピアノによるサウンドトラックヴァージョンでご覧いただきましょう。これはこれでいいですね〜。
 ちなみに劇中、異様に頻繁に行き来する電車は池上線だそうです。まあ蒲田映画全盛期ですからね。
 池上線は、雪が谷大塚に住んでいた私も昭和の時代によく乗っていた電車です。昭和7年当時には既に蒲田、五反田間が全通していました。さらには、雪が谷大塚から奥沢に向けて今はなき支線も走っていたんですね。当時の東京郊外(当時の郊外)の開発ラッシュが目に浮かびます。

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2013.12.11

「非核三原則」に見る理想と現実と言霊

Photo11 「兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という言葉が初めて正式に発せられたのが、1967年(昭和42年)の今日12月11日です。
 いわゆる非核三原則ですね。これと沖縄返還によって時の総理佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞しました。
 この非核三原則と沖縄返還をアイデアとして提示したのは、佐藤総理の影のブレーン、かの仲小路彰だと言われています。山中湖のホテルマウント富士で密談があったとのこと。昭和の裏面史の一幕ですね。
 仲小路のことですから、おそらくは、その密談の中にはいわゆる「密約」に関するものも含まれていたかもしれません。
 最近、特定秘密保護法にからめて、再び「密約」問題が持ち上がっている感じですね。密約に関しては、赤旗の不破哲三さんによるこちらの一連の記事が分かりやすい。
 もちろん共産党としては許すべからざる「密約」でしょうし、一方で現実問題としては「密約」なくしてことは進まなかったというのも事実でしょう。両方理解できる自分がいますね。
 いつも書いているように、理想は大切ですが、その理想というゴールのみを見て、現実的な道のりを考えないというのは、人間のある種の怠慢だと思います。そしてその怠慢は不機嫌を生みます。ゲーテは「不機嫌は怠慢の一種です」と言いました。
 私は自他の「不機嫌」が大嫌いなので、現実の道のりに関しては怠慢になりたくないと心がけています。まあ、うまく行かないのも自分の現実なのですが(苦笑)。
 仲小路彰は「未来から現在を見る」というスタイルを取りました。そこにはもちろん未来から現在(現在から未来ではない)に至る「道のり」も含まれています。
 当然そこには「密約」的なプロセスも含まれていたことでしょう。
 そうしたことも含めて、佐藤栄作がノーベル平和賞をとったことに対して、今でも内外から批判が絶えません。
 しかし、あそこで「密約」込みの非核三原則さえなかったとしたら、はたして今の日本は、世界はどうなっていたでしょうか。オバマ大統領のノーベル平和賞はあったでしょうか。
 私は、非核三原則の実質的な内容や運用はさておき、「持たず、作らず、持ち込ませず」という理想へ向けての「言霊」があの時代に発せられたことにこそ意味があると感じています。
 仲小路や佐藤は、当然その密約が公然のものとなり、それを批判されること、そして名実を一致させよという不破さんのような意見が出てくることも想定していたことでしょう。
 また、佐藤さんとも大いに縁のある安倍晋三のような男が、この時代にこのような動きを見せることも想定していたに違いありません。
 私たちは、実はそのあと、仲小路彰がどのような道のり、道筋を描いていたかを学ばなければなりません。非常に難しいことですが。
 このように「言霊」というのは、ある未来の時点での理想を設定し、そこへ向けての新たなるプロセスの可能性を生む働きがあります。
 たとえその発せられた現在において「嘘」であってもいいのです。
 日常生活において、私はそれを「妄想」とか「はったり」とか言っています(笑)。
 しかし、実はそうした「妄想」や「はったり」こそが、その時々の「現在」を変える唯一の原動力になっていくのでした。
 

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2013.12.10

THE YELLOW MONKEY 『空の青と本当の気持ち』

 日はボーナスの日でした。しかし、私にとってはお金よりももっと嬉しいことがありました。
 15年越しの妄想が実現しそうです。我ながら引き寄せすぎですな(笑)。本当に妄想力、言霊に感謝です。
 そんな素晴らしいことのあった瞬間、この曲が頭に浮かびました。大好きなイエモンの曲の中でも、この曲には特別な思い入れがあります。いや、純粋に好きなんですよね。
 作詞は吉井和哉さん、作曲はギターの菊地英昭さん。
 いやあ、まずタイトルがいい。シロウトなら「青い空と本当の気持ち」としそうなところですよね。修飾語と被修飾語の関係から言うと、そうなって当然ですよね。実際歌詞の中で英語では「Blue sky and true mind」となっている。
 それを「◯の◯と◯の◯」という詩的なリズムを優先して、と言うより純粋な感性によってでしょうね、「空の青と本当の気持ち」とした、と言うか「なった」。
 もう私はこの段階で、詩人吉井和哉にノックアウトされるわけです。
 歌詞全体も素晴らしい「詩」ですね。みずみずしく、しかし切ない、青春や中二病という言葉がふさわしいような(失礼)言葉の数々。
 50近くなった私でも胸がキュンキュンします(笑)。
 彼とは不思議な縁があって、ずいぶん前になりますが、間接的に交流があり、CDにサインをしてもらったりしました(こちら参照)。
 今回はその不思議なご縁がさらに発展しそうな気配。ありがたいかぎりです。
 そして、この曲に関しては、エマさんの曲が素晴らしすぎる。
 だいたい、日本のロックでは8分の12拍子の曲は名曲になる傾向があるんですよね。そうそう、同じイエモンの「JAM」が代表的な例です。

 この8分の12のリズムは、純粋な日本人には苦手なはずです。日本古来の音楽にはないリズムですから(韓国にはたくさんあります)。
 しかし、そこにうまく日本語が乗ると不思議と名曲ができるんですよね。
 菊地さんの作ったメロディーは本当に歌詞を見事に活かしていると思います。素晴らしい飛翔感。メジャーコードとマイナーコードの転換の妙もシンプルながらお見事。まさに若かりし頃の微妙にうつろう心理を表現していると言えましょう。
 そして、なんと言っても日本ロック史に残るあのギター・ソロが美しすぎます。泣けますね。後奏のギターも切ないなあ。
 あらためて、洋楽一辺倒だった私を、日本のロックに目覚めさせてくれたTHE YELLOW MONKEY、そして吉井和哉さんに心から感謝します。
 というわけで、この曲を吉井さんと熱唱するのが、次なる私の妄想です(笑)。

Amazon FOUR SEASONS
 

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2013.12.09

「まつりごと」とプロレス

20131210_102157 日は藤原龍一郎さんと束の間の「プロレス文化」談義をさせていただき、とっても楽しかった。
 私たちにとってプロレスはまさしく「文化」です。
 今日、そんなプロレス文化をよく理解されている東スポの柴田惣一さんの「宮内庁とプロレス」という素晴らしいコラムを読みました。感動しました(笑)。
 考えてみると、柴田さんは学習院の出ですからね。本流です。さすが。
 プロレスをよくご存知でない方にとっては、あんな八百長とか、あんな茶番とか、子供だましとか、野蛮だとか、そういうイメージしかなくて当然です。私はそれを否定しません。プロレスが分からないヤツは…とか言いません(笑)。
 しかし、本来相撲が持っていた「神事」の側面をプロレスが継いでいるというのも事実であり、そうした文化論的、もっと言うなら神道的な捉え方をしていくとプロレスの本質がよく分かります。
 そうそう、こちらに書いたように、あの2011.3.11の大震災の日、本来なら大相撲春場所が行われているはずでした。しかし、多くの不祥事によって戦後初めて本場所が中止になった。営々と続いてきた「地鎮」の神事が行われなかったのです。そして…。
 あの時は、全日本プロレスが大相撲の代わりに神事を行いました。こちら3.21両国大会です。
 最近私の中でキーワードになっている「国譲り」の要素もプロレスには顕著に見えますよね。「負けて勝つ」というやつです。
 プロレスは単なる勝敗にはあまり価値はありません。負けっぷりというのも非常に大切です。散り方。逆にそういうところに感動したりする。負けることによって、魂をリングに観客の心に刻み込むことができる。
 また、何度負けても立ち上がることが許される。負けることによって強くなる。そういう世界観です。
 その点、一時期はやった総合格闘技はまさに新自由主義的な勝ち組負け組の二元論的世界。ここのところ一気に衰退してプロレス世界に呑み込まれていきましたが、これは当然であり、また喜ばしいことです。昨日、藤原さんともそういう話をしました。
 「宮内庁にも宮様にもプロレスファンがいる」という柴田さん情報も嬉しいですねえ。やはり、その本質である「まつりごと」を理解されている方が多いのでしょう。素晴らしい。
 ちなみに、私の「まつりごと」論はこちらに詳しくあります。「神を敬い慰撫・鎮魂し、祈願感謝すること、言霊を操り、神を鎮め、民を平穏に導く」「正邪善悪のバランスを取る」ということですね。
 その記事には、民主党による消費増税案と自殺者の増加について書いてあります。はたしてその流れをくむ来春の消費増税の結果はいかに。安倍内閣による「まつりごと」の成果が問われることになりますね。


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2013.12.08

『王仁三郎歌集』 出口王仁三郎(著)笹公人(編) (太陽出版)

20131209_123525 日は歴史的特異日
 その日にふさわしいある画期的(奇跡的)な本の出版記念祝賀会に出席させていただきました。
 「王仁三郎歌集」…生涯に15万首短歌を詠んだと言われる出口王仁三郎。2位の明治天皇の12万首を上回り、世界一の多作歌人ということになります。
 しかし、その歌はほとんど忘れ去られていました。ただでさえ宗教家の歌は警戒されます。それに加えて、一時的にであれ、やはり「国賊」扱いされた人間ですからね。そして、あまりに夥しい数はもうそれだけでも、人を寄せつけなくなります。
 そういう意味で、おそらくはほとんど無意識的に、すなわち読まれる前に葬り去られてきたのだと思います。
 しかし、とうとうその一部が世に出ることとなりました。本当にいろいろな意味で大変なことです。
 その偉業を成し遂げたのは、日本を代表する若手歌人である笹公人さんです。笹さんは、私の短歌の(あるいは人生の)師匠でもあります。
 私は笹さんの指導のもと、天命歌会のメンバーとして、そして短歌雑誌「未来」の笹欄の同人として月に10首程度の歌を詠んでいます。
 月に10作るだけでも、正直大変。それを王仁三郎は日に数百の歌を詠んだというのだから恐ろしい。
 あらゆるタイプの歌を詠んだとともに、当然その質も正直ピンキリ。
 そのほとんど全ての歌に目を通し、まずは数千に絞り込み、そして、最終的に328首を厳選した…言葉で書けば簡単ですが、それは恐ろしいほどに過酷な作業だったと思います。
 ちょっと考えてみてください。短歌は三十一文字の世界最短の「物語」です(俳句は瞬間をとらえるものなので私は物語だと思っていません。いわは俳句は写真、短歌はショートムービーです)が、それも15万集まれば、単純計算で500万字近くになります。
 あの源氏物語でさえ100万文字くらい。その5倍の文字を読まなければならなかったわけです。どれだけ大変なのか想像できますよね。
 それもかの王仁三郎の言霊ですから、それを全部浴びるといったいどうなってしまうのか…想像するだに恐ろしい。
 ちなみに王仁三郎自身の霊界物語は1000万文字以上。15万首の歌を読むということは、あの厖大な物語の半分を読んだのと同じことになるわけですね。
 何が笹さんをしてそこまでさせたのか。これはまさに天命だと思います。
 このたびの出版にあたっても、いくつもの奇跡的なことがあったと言います。私も耀わんに関わってそういうことがあまりに度重なったのでよく分かります。これはもう偶然ではなく必然なのです。
 その天命に目覚め、そこから逃げず、しっかり全うし体現した笹公人さんに最大の賛辞と感謝の意を表したいと思います。
Img_7567 今日はそのような必然で出会ったであろう方々といろいろお話をさせていただきました。特に、笹さん、出口汪さん、出口光さん、飯塚弘明さんと公開座談会をさせていただいたことは、私にとっても非常に光栄であり、また自らの天命をも感じる良い機会となりました。
 その他、希望の河で解説を賜った歌人の藤原龍一郎さんにもようやくお会いすることができました。
 藤原さんとは、これまた不思議な不思議なご縁があって、プロレスでもガッチリつながっていたんですよね。そんなわけで、藤原さんとは短歌の話ではなく、「今日は力道山の刺された日ですよねえ」などという、これまたマニアックな会話に終始いたしました(笑)。
 いずれにせよ、今、いろいろなところで出口王仁三郎が発動しています。そういう時を迎えているようです。
 私も近々王仁三郎のスピリットを発信したいと計画しています。私もまた、いろいろな形で世に埋もれているモノを掘り起こすことが、自分の天命だと感じているのです。
 笹さん、本当におめでとうございました。王仁三郎の言霊を浴びた笹さんも、そしてこれからそれを浴びるであろうこの世界も次元上昇することでしょう。
 最後に、ふと開いたページにあった王仁三郎の歌を一つ。ものすごく癒やされました。普通の人なら、単なるツイッターのつぶやきになってしまうでしょうね、これは(笑)。

 感情に左右され易い自分は言ひ過ぎたあとで後悔してゐる

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2013.12.07

『Bigshot Camera』&『LAST CAMERA』が来ました!

51waovq74l_sl500_aa300_ 月おススメした『Bigshot Camera』が届きました。
 ちょっと早い自分へのクリスマス・プレゼントです。
 せっかくですので、発売記念のセットを買いました。フィルムカメラのキット『LAST CAMERA』も付いています。
 それぞれ単品で買うと『Bigshot Camera』は8400円、『LAST CAMERA』は4095円ですから、このセット9450円はずいぶんお得です。
 しばらく忙しいので組み立ては冬休みになりそうですが、箱を開けてパーツの全体像を眺める、この感じがなんとも懐かしくドキドキしますね。私、かなりのプラモデル少年でしたから。
 特に『LAST CAMERA』は完全にプラモデルですね。
 カミさんや長女は「めんどくさそう」「理解できない」と言って呆れてますが、下の娘はちょっと興味がありそう。下のはちょっと男っぽいところあるからな。
Img_7569 最近も技術の先生と話したんですが、近頃の男の子はプラモデルをはじめとする「組み立て」をやらないなと。そしてその逆の「分解」も。
 たしかに最近の各種製品は分解できないものが多い。ま、分解してもコンピュータの基板が出てくるだけで、つまらないんですけどね。
 昔はテレビだろうが、時計だろうが、自転車だろうが、自動車だろうが、とにかく分解して組み立て直すってことをやってましたね。その途中で感電したり、爆発したり、いろいろありましたが(笑)。
 そうしてモノの仕組みを知っていったような気がします。
 それからプラモデルみたいに、設計図を見て組み立てていくという作業ですね。3次元を2次元化した図を読み取って、手順にしたがって丹念に丁寧に作業をしていく。そういう経験って大切だと思うんですけど。
 今やプラモデルも一部のオタクの趣味になってしまったようです。せっかくの日本独特の文化なのに。
 Bigshotの方は普通の「キット」ですね。アッセンブリーという感じです。それでも、さすが教材として開発されたものらしく、デジカメの仕組みを学ぶことができそうですね。
 あえて学校の職員室で組み立てようかな。生徒たちが興味を持つかどうか…。

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2013.12.06

もう一つの富士山(その8) 李良枝 『富士山』

090525_01 日、「もう一つの富士山」シリーズで太宰治の「富嶽百景」を紹介しました。
 そこにも書きましたが、私の奉職する学校のある場所と太宰は縁が深い。それだけでも非常に特別なことです。
 しかし、ある意味恐ろしいことに、その特別なトポス太宰によって独占されているわけではないのです。
 夭折の天才…そう、太宰以外にも、この土地は夭折の天才を生んでいます。それも少なくともあと二人…。
 その一人は、このブログで何度も紹介している天才ミュージシャン志村正彦くんです。ロックバンド、フジファブリックのフロントマンだった彼は、4年前のクリスマスイヴに29歳の若さで突然この世を去りました。
 そして、もう一人の天才。彼女も彼らと同じように、よく月江寺の池を訪れていました。彼女の名は李良枝(イ・ヤンジ 本名は田中淑枝)。「由照(ユヒ)」という作品で、第100回芥川賞を受賞した小説家です。
 彼女は志村くんと同じく下吉田に住み、下吉田第一小学校、下吉田中学校、そして吉田高校に通いました。
 吉高時代、家出をし富士吉田を離れ、京都や東京の生活を経たのち、韓国に渡り住むことになります。そして、芥川賞を受賞した3年後突然亡くなりました。享年37歳。
 彼女の人生と作品を知るにはこちらの論文がよいのでは。
 実は私、つい最近まで李良枝の作品を読んでいませんでした。なぜなら、ちょっと怖いところがあったからです。
 彼女の生まれた西桂町の生家は、私が若かりし頃住んでいた尼寺のすぐ隣の隣でした。その後、彼女も私も富士吉田市下吉田に引っ越しています。もちろん、時代がずれているので直接関わりがあったわけではありませんが、山田流の箏曲をやっていたり、あるいは朝鮮半島の文化(伽耶琴など)に興味を持ったりと、私の人生とかぶるところがけっこうあったのです。
 それがなんとなく怖かったというわけです。お分かりになりますか、その怖さ。
 しかし、ようやく解禁の時が来たようです。
 最近、絶版になっている全集を古書店で手に入れました(この全集には月江寺境内で撮られた写真も載っています)。
 今日はその中から、一時期高校教科書にも掲載されていた素晴らしいエッセイ「富士山」をお読みいただきます。
 文体から内容まで、まるで太宰が乗り移ったかのような作品。今、この名文が地元の人の目にもほとんど触れないというのは非常に悲しい状況です。
 彼女にとっての富士山は、まさに「もう一つの富士山」でした。
 太宰ファンにも、志村ファンにもぜひ読んでいただきたい。


   富士山          李良枝

 (1)

 十七年ぶりに、生まれ故郷の山梨県富士吉田市に帰った。
「由煕」を書き終え、発表したあとの昨年十月頃からのことだが、私の心に、自分でも想像できなかった変化がおこり始めていた。
 富士山を見たい。
 無性にそう思うようになった。
 十七歳で高校を中退し、家出同然に故郷を離れてから、十七年たって、帰ろう、富士山と対してみよう、という気になったのだ。
 新宿から特急あずさ号に乗り、大月駅で河口湖行の富士急行線に乗り換えた。二輛編成の車内は、下校中の高校生でほぼいっぱいだった。
 私はドアの前に立ち、外の風景と向き合いながら、サングラスの中で目を閉じた。
 もうすぐ富士山が見える。
 走り出した電車の車輪の音を聞き、振動を感じながら、しばらく目を開けられずにいた。
 自分が故郷を出たときと同じ十代の若者たちが、この空間を共有している。屈託のない、はつらつとした声とことばを耳にしながら、若者たちもそれぞれの心の底に不安と悩みをひそませていることだろう、と昔の自分に重ね合わせて想像した。
 私は、富士山を憎んできた。
 物心ついた頃から、家の二階から見える富士、学校の窓から見える富士、いつも自分に何かをつきつけ、にじり寄ってくるような富士を憎みつづけた。
 家庭の中は、両親の不和のために、暗くじめじめしていた。心の中は、言葉にならない不安と昂ぶりでざわめいていた。何故生きているのか、生きなくてはならないのか。自分の生、人の生を認めようとするきっかけさえ摑めず、この世界を憎悪していた。美しく、堂々として、みじろぎもしない富士山が、憎くてならなかった。
 故郷を飛び出した。
 それでもなお、富士山はつきまとった。
 田中ではなく、李を名乗るようになってからは、日本の、朝鮮半島に対する苛酷な歴史の象徴として立ち現れ、韓国に留学してからは、自分のからだに滲みついた日本語や、日本的なものの具現者として押しよせてきた。
 私はひたすら富士山を拒んだ。一体、どこまでつきまとうのか、と幾度となくその姿を罵倒した。
 けれども、実はいとおしかったのだ。
 そんな気持ちが許せなく、否定しようと抗ってはみたが、富士山は底知れぬ強さを秘めてびくともしなかった。時おり私は、稜線の美しさや威容にあこがれ、誇らしく思い返している自分に気づくようになった。富士山は、動かずに、深奥に猛火を抱き、聳えつづけている。そう在りつづけてきたと思うだけで、胸が熱くなり、頭の下がるような感動にふるえた。

 目を開いた。車窓の光が眩しかった。
 私はそっとサングラスをはずし、富士山を仰ぎ見た。

 (2)

 富士山をとりまき、まるで富士を守るようにして連なってる山脈の一つに、三ツ峠という山がある。
 私は、三ツ峠のすぐ麓の村に生まれ、そこで三歳半まで育った。富士吉田市にはその後移り住み、十七歳まで過ごしたのだが、富士吉田市を訪れた翌日、南都留郡西桂町にある自分の生まれた家に行った。三十年ぶりに見る村であり、家だった。
 西桂町役場の角を左に曲がると、突然、前方に三ツ峠が広がった。
 思い描いていた姿よりも意外に低く、頂きき線が丸みを帯び、やわらかなことに驚いた。そのうちに、山から伝わってくる何かに打たれ、押さえこまれ、からだが重くなっていくような感覚にとらわれ始めた。
 山に向かって伸びている道の、ガードをくぐったすぐ右側に道がある。道を入った奥に生まれた家がある、と車を運転する友人に私は話していた。右に入る道が見つからないまま、友人は車を走らせた。
 三つの頃の、古い記憶が鮮やかによみがえっていた。からだが、やはり重くなっていく。その感覚は、自分に記憶の確かさを信じさせ、胸の奥に声にならない声を湧き上がらせた。
 薄青い空の下に、ゆるやかな稜線を描いて続いている三ツ峠。深い緑色が伝えてくる懐しさ。濃淡の、色合いの、厚みとしか表現のしようのない樹木そのもの、山そのもののふくらみ。
 立ち現れた記憶の画像は、三十年前のその時、直接目にしている山の光景とはっきり重なっていた。
「違う、来すぎている」
 私は言った。
 近すぎる、右に曲る道はもっとうしろの方にある、と妙に切迫した思いにかられながら、三ツ峠から後退りするように車をバックさせた。
 遠近感が一致した。
 見ると道があった。細く、長い道が、人家の横に伸びていた。車が入れないほど狭く目立たない道であったために、私も友人も気づかずに通りすぎていたのだった。
 車を近くに止めて降り、路地の入口に立った。三ツ峠との隔り、その姿との遠近感が、やはり記憶と等しいことにあらためて安心し、歩き出した。
 土手の上を走る富士急行線の線路と、見つけたばかりの路地は平行し、その間に人家、畑、私の生まれた家が並んでいる。家の裏側は墓地で、路地の突き当たりに、長得院というお寺が昔のままに残っている。
 何もかもが小さく見えた。
 広々としていたはずの畑も、大きかったはずの家も、小さくこぢんまりとしていた。踏みしめている路地も、もっと広く、長かったはずだった。自分のからだが大きくなった分だけ、風景の方は縮んでしまったのだ、とひとり言に笑い、また三ツ峠を見上げた。
 目の位置が昔より高くなっていても、山との遠近感は少しも変わっていなかった。

 (3)

 三日間、富士山を見続けた。
 雲をかぶっている富士も、眩しい光線の中に雪の白さを輝かせている富士も、夕暮れの濃い藍色の空に浮き上がった富士も、どんな瞬間の姿を目にしても、美しい、と私は口の中で繰り返していた。
 生まれ故郷を訪ね、旧友たちに会い、自分の生まれた家も見ることができた私は、旅を終えて東京に戻った。
「次は、いつ日本に帰ってくるの?」
 ある友人が言った。
「それで、今度はいつ韓国に帰るの?」
 友人にはそうも訊かれた。
 帰る。
 自分は日本にも帰り、韓国にも帰る。
 単に愛憎という言葉でくくってしまうのもためらわれるような富士山に対する複雜な思いとともに、この〝帰る〟という言葉にこだわり、苦しんできた過去の日々を思い返さずにはいられなかった。
 帰ってくる。
 帰っていく。
 けれどもすでに、少しのこだわりもなく〝帰る〟という言葉を二つの国に対して使い、いついつ、と答えている自分がいた。
 富士山を見たい、とソウルで思い始めたのも、意外な心の変化だったが、実際来て、直接故郷の空気を味わった旅の、その渦中でも、私は、自分自身の心の状態に驚かされ続けていた。
 何でもなかった。
 憎み、恨み、拒んできた富士も、それでもいとおしく、胸が衝かれるほど懐かしかった富士も、過ぎ去った記憶の中の歪んだ姿として遠いものとなりきっていた。
 富士山はただ在った。
 それを見つめて、美しいと呟いている自分も、ただそう在り、平静だった。
 東京からソウルに戻ったあと、全羅道を旅した。
 山から目を離すことができなかった。
 車窓の右側、左側、そして前方に映し出され、現われ出てくる山々に圧倒された。
 目に入ってくる限り、一つひとつの山、稜線の流れに、頭を下げたくなるような気持ちで見入り、見つめ返した。
 祖先たちが仰ぎ見てきた光景。
 そこに在り続けてきた光景。
 すべてが美しかった。それだけでなく、山脈を見て、美しいと感じ、呟いている自分も、やはり素直で平静だった。
 韓国を愛している。日本を愛している。二つの国を私は愛している。
 そんな独り言を静かに聞き取っている自分自身にも出会っていた。
 意味や価値をおかず、どのような判断や先入観も持たずに、事物や対象をソノマの姿で受け止め、対することはできないだろうか。
 長く迷いながらも、ずっと求め続けてきたひそかな願いは、ようやく、その一歩が実り始めてきたように思える。
 瞼に、富士山を描き出してみた。
 車窓の外には、蘆嶺山脈が広がっていた。
고맙습니다コマプスムニダ(ありがとう)」
 同じ呟きを、私は、この今も繰り返している。

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2013.12.05

『江戸の金山奉行 大久保長安の謎』 川上隆志 (現代書館)

4768456693 年、こちらという記事でちょっと紹介した大久保長安およびこの本。
 あれから早速注文して読んでいたのですが、なぜか記事にはしませんでした。私の直観が「あとで」と言っていたのです。
 そして、今日その時が来ました。
 いろいろときっかけがあったのです。
 一つは、甲斐の国の「秦氏」が動き始めているということ。大久保長安は秦氏の末裔です。
 そして、その秦氏が深く関わっている「能」と「織物」と「山」、そして「アジア」もまた、ここ富士北麓で動き始めているということです。
 その最初の集大成というか、集大成の始まりが来週体現されます。今はまだ特定秘密(!)なので、その行事が終わったら報告します。
 もう一つ、おとといある方からメールをいただきまして、そのテーマが大久保長安だったです。
 その方と私は直接面識はありませんが、カミさんが今年富士北麓で行われた国際コモンズ学会で知り合いになっていました。
 そのメールで紹介されていたのは、大久保長安と八王子の治水についてのワークショップでした。大変興味深い内容なので、皆さんもこちらでご覧ください。
 このワークショップの中心になったのは「大久保長安の会」。この会の話もこの本に出ています。
 そんなこんなで、もう一度この本を引っ張り出してきて再読してみたというわけです。
 やはりタイミングは大事ですね。前回読んだ時は、あまり気にならなかったところが、急に面白く感じられて驚きました。今年はちょうど没後400年だし。
 この本の特徴は、長安の先祖である秦氏の源流を朝鮮半島に求めていることです。もちろん、ある意味それが一般的な説であるとも言えます。
 ちなみに甲斐の国富士北麓の秦氏、たとえば「羽田氏」などは、秦の時代の徐福を祖先としています。しかし、様々な風習などはどちらかというと朝鮮半島に近い感じがする。まあ、当時は中国も朝鮮も日本から見れば一つの「外国」だったのかもしれませんし、実際地続きの大陸と半島とは深いつながりがありましたからね。半島は大陸の属国だった時代が長いし。
 実際、日本に渡ってきた秦氏は百済の弓月氏と言われていますが、彼らは自らを秦の始皇帝の末裔と名乗っていました。そういうスケールで言えば、大陸、半島の区別は意味がないと言えるでしょう。
 それにしても、本当に「謎」の多い人物ですね。去年書いた記事の「謎」の部分を引用してみます。ちょっと長いけれども、もう一度自分でも復習してみたい。

 大久保長安は猿楽師でもありました。金春流の能を舞っていたということです。秦氏の末裔とも言われる長安は、芸能者であり、かつ非常に優秀な鉱山技師(山師)でもありました。
 全国を行脚する芸能者が裏社会のネットワークの一員であることは決して珍しくありませんよね。彼もそのような人間であったと予感されます。
 彼の死後、家康が異常なまでの憎悪を抱き、なかば腐敗した長安の遺体を掘り出させ、お膝元の安倍川でさらし首にしました。子息七人にも切腹を命じ、完全に血統を断絶させるという、なんとも異常なほどの行動に出ています。
 これは「大久保長安事件」として一般に言われているようなスキャンダルではなく、おそらくはその裏にある「霊力」を恐れてのことではないか推測されます。
 かつては武田氏が、そして当の家康が、それこそ異常なほどに重用したのにも関わらず、死後そこまで恐れられるということに、私は妙に関心がわきます。ちょっと私なりに調べてみようと思います。
 大久保長安と言えば、甲斐の黒川金山開発も有名ですよね。黒川金山と言えば、今回の企画展では全く触れられていませでしたが、「おいらん淵」のことを思い出します。
 今では心霊スポットとして名高い「おいらん淵」…私も大学時代、天文部の観測会で一之瀬高橋に向かう途中偶然真夜中に立ち寄ってしまい、恐ろしい体験をしています。
 実際にあそこで多数の女郎を殺害したかどうかは、学問的には証明できていませんが、それほど恐ろしい伝説が残ることの裏には、大久保長安の霊力と怨念が関係していると感じます。あんまりそういう視点で語る人いませんよね。久しぶりに行ってみようかな…いや、怖いからやめとこ。
 大久保長安は「浅間神社」を信奉していたようですね。彼が発展させたと言っていい東京の八王子には、彼が作った浅間神社や富士塚が残っています。
 それから、いわゆる大久保長安の埋蔵金。箱根に眠っているとか。ネットで調べると、なんだかそれについて出口王仁三郎も太鼓判を押しているようです。知らなかった。
 というわけで、秦氏、能、金山、霊力、浅間神社、富士山、出口王仁三郎と、私のアンテナに引っかかりまくりの大久保長安なのでありました。(引用終わり)

 今回新たに思いついたのは、「織物」についてです。八王子は織物の街ですよね。八王子の織物文化も大久保長安が持ち来たったに違いありません。やはり「秦氏」の臭いがプンプンします。
 さらにこの本で興味深かったのが、「長安キリシタン説」です。なぜか甲斐で斬首され葬られたキリシタン大名有馬晴信との関係も謎すぎます。
 私のみならず、こうした「謎」の人物にロマンを感じた人も多いようで、この本には長安をモデルに書かれた小説などの紹介もあります。村松梢風から松本清張、山田風太郎、隆慶一郎、半村良、荒俣宏などなど、これまたそうそうたる作家陣が並んでいますね。読んでみたくなりました。
 私が名づけた「web0.0」というプリミティブなネットワーク。それを、戦国末期から江戸初期にかけて復活させ、ある意味国家を裏から操った大久保長安。
 もしかすると、長安は現代に甦りつつあるのかもしれません。ちょっとそんな気がしています。

Amazon 江戸の金山奉行 大久保長安の謎
 

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2013.12.04

アイソン彗星とラブジョイ彗星に思う

Pn2013112901001406ci0002 NHKの特番も大変なことに(笑)。
 冒頭でタモリさんがいいこと言ってましたね。大彗星が消えてしまったことの方がレアなことで、それを目の当たりにできたのはラッキーだということですね。
 いやはや、しかし、こんなことになろうとは…。
 今年1月、私も「2013年はスーパー彗星イヤー」という記事を書きました。アイソン彗星は昼間見えるほどの大彗星、500年に一度のショーが見られるのではと…。
 まあ、思い通り行かないのが自然。それこそが私の言う「モノ」性です。ですから、こういう時は「もののあはれ(不随意に嘆息する)」でいいのです。特に日本人は、そこに「美」を見てきたわけですから。
 そんな大切なことをアイソン彗星は私たちに教えてくれたのかもしれません。50万年もかけてわざわざおいでになって、自らの命と引き換えに…。
 上の写真なんか見ますと、まるで美しく散らんとする特攻隊のよう…なんてこと書くとまた怒られるのでやめます。
201312043529931l しかしまた、別の意味での「もののあはれ」、すなわちプラスの意味での不随意、意外性もありました。
 ご存知の方も多いと思いますが、実は今、別の彗星が肉眼で見られる光度にまだ増光しています。
 ラブジョイ彗星(2013)です。私、最近朝起きられないのでまだ観測していないのですが、おそらく富士山の我が家からだったら、肉眼で見つけることができると思います。双眼鏡があれば全く問題なく見つけられるでしょう。
 現在、光度は4等級。彗星のように面積のある天体の場合、同等級の恒星よりもぼんやりして暗く感じられますから、4等星が見えるからといってどこでも見つけられることはありません。
20131203j04w350 だいたいの場所はこれでお分かりになるのでは。
 今、日の出は6時半くらいですから、5時半くらいまでは薄明の影響もなく見つけやすいと思います。
 これから太陽に近づくので光度は上がりますが、逆に高度は下がってきますので、今がちょうど見頃です。
 私も2,3日中に頑張って早起きしてみます。しばらくは月の明かりもありませんし。写真撮影にも挑戦します。
 空の暗い「田舎」に住んでいらっしゃる方はぜひ。
 大彗星は凶兆と言われていますから、アイソン彗星が不発に終わったのは良かったのかもしれません。代わりにラブジョイ彗星ということで、大難が小難になったのかも。
 ちなみにLovejoyとは、オーストラリアのアマチュア天文家、コメットハンターさんのお名前です。なんとも縁起のいい名前じゃないですか(笑)。


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2013.12.03

アルビノーニ 『オーボエ協奏曲ニ短調作品9の2』 (ホリガー、イ・ムジチ)

1193110716 日紹介した「アルビノーニのラルゴ」、中学校の弦楽合奏部で練習をしておりますが、いやあ、いい曲ですね。
 和声を担当するパートもよくできている。特に絶妙な不協和音がいいなあ…ある部分なんか、ビートルズのレット・イット・ビーで使われている(ポールがピアノでミスタッチした?)美しい不協和音とそっくりです。
 その他、「胸キュン進行」のオンパレード(笑)。「艶歌」大好きな私にはたまりませんな。
 レット・イット・ビーと言えば、あの冒頭のコード進行、簡単に記せば、Ⅰ→Ⅴ→Ⅵm→Ⅳという展開ですけれど、意外にもあのようなコード進行のクラシックの曲はあまりありません(たぶん)。
 で、私が唯一知っているのは、これまたアルビノーニです。かの有名なアダージョ…と言っても、あの「アルビノーニのアダージョ」と称するジャゾットの曲ではありません。
 アルビノーニの代表作である協奏曲集作品9の中でも、最も有名な第2番のオーボエ協奏曲ニ短調の第2楽章です。
 バロック名曲集などによく取られていますから、ご存知の方も多いのでは。
 私も、それこそ中二の頃、バロックに目覚めた頃ですね、この曲を死ぬほど聴きました。もちろん、ハインツ・ホリガーとイ・ムジチの演奏ですよ。あの究極の名盤。
 あのレコードは私にとっての原体験です。ヴァイオリンに関しては、フェリックス・アーヨに憧れましたし、オーボエの音もホリガーのものが普通だと思っていました。
 今になってみると、二人ともちょっと特別な音作りをしていますよね。普通じゃない。どちらかと言うと細めで透き通った音です。
 この二人の音は、今でも大好きですから、やっぱり原初体験というか初恋というのは生涯忘れられないものなのですね(笑)。
 さてさて、高校生だった私、とにかくこのアルビノーニの「アダージョ」が大好きすぎてですね、ヴァイオリンの発表会か何かで弾こうと思い、静岡から東京銀座のヤマハまで行って楽譜を買ったのです。
 で、買ってみて、弾いてみてビックリ!
 なぜなら、私が聴いていた旋律と楽譜が全く違ったからです。
 そう、私がアルビノーニのメロディーだと思って聴いていたのは、ホリガーによる即興(編曲)だったわけです。
 ある意味ショックでしたね。そして、ますますバロック音楽に傾倒することになります。そうか!バロックは楽譜通り弾かなくていいんだ!作曲の才能も活かせるんだ(当時は自分に作曲の才能があると思っていた…苦笑)。
 というわけで、あれから30年以上経ってしまいましたが、今でもこの録音は最高に大好きです。
 ただ、レコードを聴く機会もほとんどなくなっしまい、実際には耳にすることがなかったのですが、まあ現代は便利な時代ですね、今年ようやくYouTubeにアップされましたので、久々にじっくり聴きました。
 いやはや、素晴らしいですね。ホリガーはすごい。すごい音楽性です。そして、あらためてイ・ムジチの演奏力、合奏力のすごさに驚嘆。録音もいい。
 さあ、皆さんもぜひお聴きください。懐かしいなあという方もいらっしゃるでしょうし、初めてお聴きになって感動するか方もいらっしゃるでしょう。
 2楽章だけでなく、1,3楽章も素晴らしい曲であり、演奏です。
 せっかくですから、私の音楽人生を決定づけた30年前の驚きを分かっていただくたために、2楽章アダージョの楽譜もアップします。今、このために切り貼りしました。

 

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Amazon アルビノーニ協奏曲集

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2013.12.02

『底なし釣瓶で水を汲む - 逸外老師随聞記』 梶浦逸外(著)・谷耕月(編)

20131203_124253 い時には逃げよ(良いことは必ず追いかけてくる)。悪い時には「しめた」と思え(悪いことと友だちになろう)。
 この本で何回か繰り返され、特に印象に残った言葉です。そして、私にとって最も共感できる言葉でもありました。
 なるほど私はいつからかこのように生きるようになっていました。
 直接梶浦逸外老師の教えを受けたわけではありません。しかし、逸外老師は私の奉職する学校の初代名誉校長、そしてこの本を編集した谷耕月老師は二代目名誉校長、そして現在の正眼寺住職山川宗玄老師は現名誉校長です。
 私もきっと老師の皆さんの教えを受けたどなたかから、多くの言葉を受け継いでいるのでしょう。
 これこそが法灯なのかもしれません。
 悪い時には「しめた」と思う、あるいは「しまった」と思いそうになったら「しめた」に言い換えるというのは、本当に日常的に、常識的にやっています。
 教育というのはそういうものだとも言えます。生徒や学級に何か問題が生じた時こそが教育の機会。生徒、クラス、教師の成長の場であります。
 だから必要以上のリスクヘッジはしません。仕事においても、人生においても。
 よくいろいろなところで話すのですが、我々人間は「痛み」がないと成長しない、成長痛や筋肉痛がないとだめなのです。
 「悪い時」というのは心が痛む時です(体が痛む時もある)。それが来たら、やったー!チャンスだと思います。
 ピンチはチャンスとか言うじゃないですか。本当にそうです。
 実際、痛い思いをして損をしたことはありません。間違いなく、心にも筋力や持久力が身につきます。もちろん、技術や知恵も身につきますし、自分の気づかなかった能力や適性に気づかされることもあります。そして自信も手に入りますね。ほら、得ばかり。
 ま、根がポジティブなんでしょうね、私。
 この本を読んでわかったのですが、やっぱり、私の人生に「禅」が与えた影響は計り知れません。
 私自身は、皆さんもご存知のとおり、頭だけツルツルのエセ坊主。野狐禅にもならない野狸禅。いや、狸にも申し訳ないな、野糞禅でいいや(笑)。
 しかし、野糞にも野糞なりの道というのがあるのでしょうか(?)。たしかに、妙な自信…いや、自信というと尊大な感じがするな、自然体とでも言えばいいのでしょうか、とにかく「大丈夫」な感じが常にあるんですね。なんとかなるという根拠のない確信。
 この本を拝読して、ますます自らの野糞禅に邁進しようと心に誓いました。
 本当に心が軽くなる。そしてこだわりがなくなるんです。逸外老師のお人柄に包まれて、なぜかとても安心できる。ありがたいことです。
 皆さんもぜひご一読を。先日紹介した川上哲治さんの文も載っています。

Amazon 底なし釣瓶で水を汲む

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2013.12.01

もう一つの富士山(その7) 太宰治『富嶽百景』

20131202_130429 宰の「富嶽百景」はずいぶん前に一度おススメしました。こちらです。
 そこに書いた「富嶽百景」の舞台には、その後、まさに私の職場である中学校が建ちました。私は、太宰が寝泊まりしたその場所で教師をやっているのです。まったく不思議な縁であります。
 以前の記事を書いたのは2006年11月。今から7年前です。実はちょうどその頃、私は出口王仁三郎の耀わんを手に入れたのでした。その後の様々な人生の変化は全く恐ろしいものがあります。
 今日も実はその耀わんをリュックに背負ってある所に行ったのですが、そこでまさに耀わんの結ぶご縁で知り合い、今や一大事業をご一緒させていただくまでになった安倍総理夫人昭恵さんにばったりお会いしました。
 いや、ばったりどころか、何百もあった席のある場所にすわったら、目の前の席に昭恵さんがお座りになったのです。もうお互い驚くより何より大笑いしてしまいました。昭恵さんは予定を変更してそこにいらしたとのこと。またまた富士山と王仁さんにいたずらされたという感じですね。
 太宰との縁も、おそらくはそういう類のものであると思います。こういうことを言うとまた馬鹿にされてしまいますが(笑)、私、太宰から直接いろいろなことを聞いています。その内容については、このブログにも少し書いてありますから、右の「人気検索ワード」から探してみてください。
 で、数日前、やはりピンと来たというか、天から降ってきたことがありました。それが今日か書こうとすることです。
 かの有名な、教科書にも載っている「富嶽百景」。私もその舞台に住んでいるという意味も含めて、非常に好きな作品です。
 しかし、実を言うと、なんとなくテーマが捉えにくいというか、太宰が言いたかったことが、いわゆる教科書的(虎の巻的)な解釈だとなんか弱いなあ、太宰が満足してないなあと感じていたのです。
 そんな「不安」が、自分としては解消しました。
 異様なほどに富士山を否定する太宰。しかし、最後は「ありがとう」と言って峠を下りる。そこに、それまでのダメダメな太宰と、しかし人々によって「再生」する太宰を見るというのが一般的な解釈ですよね。
 まあ、それでも充分に感動的な文学だと言えますけれども、そこには大切な視点が欠落していました。
 つまり、執筆時の富士山の在りようです。
 太宰が御坂峠に来て「富嶽百景」を執筆したのは昭和13年秋から14年初めのことです。
 そう、昭和13年の富士山と言えば、もう一つの富士山(その1)に書いたとおり、「防共盟邦親善富士登山」が始まった年です。
 その前からその兆候はあったと思いますが、まさに昭和13年の富士山は、「防共」「反共」すなわち、守るべき神国日本の象徴としての完成を迎えたわけです。ちなみに、その年の4月、国家総動員法が発布されています。日本の歴史の大きな転換点となった年であると言えます。
 ご存知のように、学生時代太宰治は共産主義活動をしています。根性なしの意気地なしであった太宰は(失礼)、友人が治安維持法で逮捕されたり、プロレタリア文学が弾圧されているのを見て、うまいこと適当に、そしてずる賢く逃げまわったとも言えます。
 つまり、結論から言えば、太宰は「富嶽百景」において、昭和13年の富士山に対し精一杯の反抗を試みているんですね。
 ただし共産主義者の立場から、ということではありません。ある意味もう少しいい加減なレベルでの反抗だと思います。親父に対する反抗期のごとく。
 しかし、さらに複雑なことには、その反抗は富士山への愛にもなっている。まさに親父への愛憎のごとき構造ですね。
 すなわち「単一表現」を求めることによって、富士山をその時代の日本人による身勝手な意味付けから救い出そうとしているようにも読めるわけです。
 あるいは、けなしたり、ほめたり、いろいろな手段を使って「矮小化」することによって、「肥大化」させられた富士山を救っているとも言える。
 細かい読み込みはこれからしてみますが、とにかく、このような新しい(古い?)視点でこの作品を見直すと、太宰の新しい(古い)意味が浮かび上がってくるかもしれません。
 さあ、皆さんもこの「名作」を新しい(古い)視点で読みなおしてみてください。こちらからどうぞ。おそらく冒頭部から違った意味が立ち上がってくると思います。
 

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