『底なし釣瓶で水を汲む - 逸外老師随聞記』 梶浦逸外(著)・谷耕月(編)
良い時には逃げよ(良いことは必ず追いかけてくる)。悪い時には「しめた」と思え(悪いことと友だちになろう)。
この本で何回か繰り返され、特に印象に残った言葉です。そして、私にとって最も共感できる言葉でもありました。
なるほど私はいつからかこのように生きるようになっていました。
直接梶浦逸外老師の教えを受けたわけではありません。しかし、逸外老師は私の奉職する学校の初代名誉校長、そしてこの本を編集した谷耕月老師は二代目名誉校長、そして現在の正眼寺住職山川宗玄老師は現名誉校長です。
私もきっと老師の皆さんの教えを受けたどなたかから、多くの言葉を受け継いでいるのでしょう。
これこそが法灯なのかもしれません。
悪い時には「しめた」と思う、あるいは「しまった」と思いそうになったら「しめた」に言い換えるというのは、本当に日常的に、常識的にやっています。
教育というのはそういうものだとも言えます。生徒や学級に何か問題が生じた時こそが教育の機会。生徒、クラス、教師の成長の場であります。
だから必要以上のリスクヘッジはしません。仕事においても、人生においても。
よくいろいろなところで話すのですが、我々人間は「痛み」がないと成長しない、成長痛や筋肉痛がないとだめなのです。
「悪い時」というのは心が痛む時です(体が痛む時もある)。それが来たら、やったー!チャンスだと思います。
ピンチはチャンスとか言うじゃないですか。本当にそうです。
実際、痛い思いをして損をしたことはありません。間違いなく、心にも筋力や持久力が身につきます。もちろん、技術や知恵も身につきますし、自分の気づかなかった能力や適性に気づかされることもあります。そして自信も手に入りますね。ほら、得ばかり。
ま、根がポジティブなんでしょうね、私。
この本を読んでわかったのですが、やっぱり、私の人生に「禅」が与えた影響は計り知れません。
私自身は、皆さんもご存知のとおり、頭だけツルツルのエセ坊主。野狐禅にもならない野狸禅。いや、狸にも申し訳ないな、野糞禅でいいや(笑)。
しかし、野糞にも野糞なりの道というのがあるのでしょうか(?)。たしかに、妙な自信…いや、自信というと尊大な感じがするな、自然体とでも言えばいいのでしょうか、とにかく「大丈夫」な感じが常にあるんですね。なんとかなるという根拠のない確信。
この本を拝読して、ますます自らの野糞禅に邁進しようと心に誓いました。
本当に心が軽くなる。そしてこだわりがなくなるんです。逸外老師のお人柄に包まれて、なぜかとても安心できる。ありがたいことです。
皆さんもぜひご一読を。先日紹介した川上哲治さんの文も載っています。
Amazon 底なし釣瓶で水を汲む
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