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2013.11.30

あらためて大東亜戦争を考える

 常に勉強になりました。
 先日、『防衛省と外務省 歪んだ二つのインテリジェンス組織』の記事で特定秘密保護法案に関して述べた最後に、次のように書きました。

 しかし、そこには何か非常に大切な視点が欠けているようにも感じる。
 私もその視点を学校で習ってきませんでした(逆の意味の特定秘密が保護されてきた?)。今、自分は教師として、あえてその視点も教えていきたいと思っています。あくまでも、未来の人類が「理想」に近づくために。

 今日はここで言う、「非常に大切な視点=逆の意味の特定秘密」が語られた素晴らしい討論を紹介します。反対派(反日派?)の方もぜひご覧いただきたい。そうしてから是非理想を掲げて反対していただきたいと思います。
 私たち日本人が知らないこと、知らされていないことがこれほどあるのです。いろいろなことを議論するなら、やはりフェアな場でやりたい。
 バランスを取るために、このような「地上波では絶対に放送されない」番組も皆さんに観て、聴いていただきたいのです。
 もちろん、ここでの議論は一つの判断材料にすぎません。それこそイデオロギーの押し付けはいけませんからね。
 しかし、おそらくは「日本人」にとってはあっという間の3時間でしょう。勉強することは楽しいことです。


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2013.11.29

谷川徹三による出口王仁三郎「耀わん」評

443161 が家でお預かりしている出口王仁三郎の耀わん「十和田」が元気です。
 茶碗が元気とはどういうことかとお笑いになる方も多いでしょうね(笑)。しかし、事実として日本を世界を動かしているという感覚があります。お分かりになる方にはお分かりになるでしょう。
 耀わんってなんだ?という方のために、私は何度かこのブログで紹介をしてきました。最近も、「耀盌(ようわん)王仁三郎の楽焼き」という動画を紹介しましたね。たとえば、この動画をご覧になれば、ただの茶碗ではないことだけはお分かりなると思います(唯物論的に言えばただの茶碗ですが)。
443162 昨年の今頃には加藤唐九郎による出口王仁三郎「耀わん」評という記事を書きました。かのカリスマ陶芸家加藤唐九郎は耀わんをいかに捉えていたかの一端を紹介しました。
 実はその後、大本の百二十年記念事業を担当されている方から御連絡をいただきまして、この記事の載った雑誌「目の眼」をお送りすることになりました。なんでも、この文章は大本の方々も存在を知らなかった(忘れていた)そうで、貴重な資料になるとのこと。
 王仁三郎再評価に少しでも貢献できまして嬉しく思います。
443163_2 さて、今日も一つ貴重な資料を紹介します。谷川徹三の耀わん評です。谷川徹三は言うまでもなく、日本を代表する哲学者。法政大学の総長でもあった方です。谷川俊太郎のお父さんですね。
 実はここに載っている文章のうち「天国の美–耀盌–」という長文は、いくつかの他の書物にも引用されているものですから、それほどプレミア度は高くありません。しかし、この「蕾」という雑誌に載った記事の冒頭部分「耀盌 出口王仁三郎・出口直日の芸術」の小文は貴重かもしれません。
 昭和50年12月1日発行となっていますから、ちょうど今から38年前ですね。季刊「蕾」は、今も刊行されている骨董の月刊誌「小さな蕾」の姉妹誌とのこと。結局、この季刊「蕾」は1年間5号までしか刊行されなかったようです。
23007001591_2 私は古書店で見つけて購入しました。最初は耀わんが出ているとは思わなかった。背表紙に「井伏鱒二・谷川徹三・松本清張・安東次男・藤原審爾」とあったので、妙に惹かれて手にとった次第です。これもご縁ですね。
 谷川徹三はどちらかというと王仁三郎の作品よりも王仁三郎の妻すみ子や娘直日の作品に魅了されたようですね。耀わんにも最初は興味がわかなかったようです。けっこうそういう人いますね。あまりに神々しくて(まぶしくて)目を覆ってしまうのでしょうか。
 では、記事の内容の一部をテキスト化しますので、お読みください。

「耀盌 出口王仁三郎・出口直日の芸術 谷川徹三」全文
 大本教の代々の教主が、絵画や書、陶芸などに豊かな才能をもっておられることはよくしられている。ここにかかげる王仁三郎氏の耀盌は楽焼である。
 耀盌は加藤義一郎氏(逸翁美術館副館長、すでに故人)が命名したといわれる。氏が或る日、備前の金重陶陽と素山氏に会われたとき、はじめて王仁三郎氏の陶器に接し、感激のあまり、星の輝きになぞらえて耀盌という名を考えたのだという。また三代目直日教主の陶器についても故小山富士夫氏は浜田庄司、荒川豊蔵、石黒宗麿、金重陶陽、上口愚郎氏など多くの作品とくらべても、ひときわ私の心を惹く作であると書いて、その素心をたたえている。
 色感に「わび」「さび」を強要されつづけたわれらは、この明るい純粋な色さえ忘れかけていたのだ。これらの茶碗には従来のお茶の茶碗としては、想像もできない色彩がある。フランス絵画風のこの明るいおおらかな色彩に、王仁氏の宇宙感さえも感じられるのである。この色はまさにゴッホを思わせる世界である。
 
「天国の美–耀盌– 谷川徹三」の最後の部分
 …ここには大きな芸術的意志がある。一つ一つの作品には、無心の三昧境が見てとれる。しかしその全体を貫くものは大きな意志と信念である。その茶碗の厖大な数もそこに独自の意味をもって来る。その芸術的意志はその宗教的意志と一つなのである。
 王仁師が自分で制作はしたけれど蒐集はしなかったというのも、ここから理解することができるように私には思える。彼はどこまでも創造者である。そしてその創造は一人の予言者の幻視によるものなのだ。

大本の芸術

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2013.11.28

アルビノーニのラルゴ(作品2より)

Albinoni1 化祭が終わり、我が中学の弦楽合奏部は新たなるステージへ向けて練習が始まりました。
 とりあえずクリスマスに向けて何かやろうということになりまして(仏教校ですが)、2,3年生にはこの曲を与えました。
 作品2のソナタ2番の1楽章。ラルゴ。クリスマスにふさわしい聖なる響きです。ほとんど知られていない隠れた名曲です。
 アルビノーニと言えば「アルビノーニのアダージョ」が有名ですが、あれは実はアルビノーニでもなんでもなく、現代の作曲家ジャゾットの完全なるオリジナルです。というか、あれはどう聴いてもバロックではありませよね。あの時代、ああいう似非バロックが流行りました。
 こちらは正真正銘のアルビノーニの「ラルゴ」です。たしかにアルビノーニの緩徐楽章はどれも美しいですよね。日本人好みの叙情性があります。
 生徒はもちろん初めて聴く曲です。ほとんど自分の趣味ですね。私、アルビノーニ大好きですから。しかし、なかなか演奏する機会はありません。
 特にこの作品2なんか、ほとんど日本では演奏されないのではないでしょうか。
 ソナタ(シンフォニア)とコンチェルト集と題されたこの作品2は、ある意味、アルビノーニらしさが満載の素晴らしい曲集です。
 まず、5声のための合奏曲集であるというところがよい。原譜では、ヴァイオリン2本に、アルト・ヴィオラとテナー・ヴィオラ、そして通奏低音という編成になっています。
 中期バロックによくある、中声部の充実した響き。これがいいんですよねえ。
 非常に美しい和声に満ちているとともに、アルビノーニらしい対位法も聴けます。アルビノーニのフーガ楽章はシンプルでキャッチー。完璧に私好みです。
 ま、つまらぬ説明はいいとして、とにかくお聴きください。キアラ・バンキーニたちによる名演です。
 自分もいつか古楽器で弾きたいなあ…。

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2013.11.27

『防衛省と外務省 歪んだ二つのインテリジェンス組織』 福山隆 (幻冬舎新書)

210837_01_1_2l 本版NSC(国家安全保障会議)の創設関連法成立。非常に喜ばしいことです。
 この本で特に強調されている、防衛省と外務省による二重管理、いやお互いの足の引っ張り合いの度合いは軽減することでしょう。ようやく国家としてまともな方向に動き始めました。
 NSCによるインテリジェンスの統一的なコントロールができるようになるのと、特定秘密保護法案による防諜とは当然のことながら深く関わっていますので、なぜ片方、あるいは双方に反対する方々がいるのか、正直私の常識からすると信じられません。
 まずはこの本を皆さん読んでみてください。とても分かりやすく、しかしリアルに書いてくださっているので、誰もが「知らなかった…これは国家の危機、すなわち自分の生命の危機だ」と思うことでしょう。
 はっきり言って、私も最近までは知らなかった。と言うより興味がなかった。しかし、少し生活や思索の次元を上げてみたら、こんな国際的な常識すら知らなかったのかと愕然としました。
 国家による情報の管理と言うと、すぐに「戦争する気か」と言い出す左巻きの人たちがいますが、それこそ自分の身に引きつけてみる、つまり、個人的な人間関係と情緒に次元を下げて考えてみれば、すぐに分かることです。
 相手と争わないために「相手を知り、自分を知る」のです。また、「弱点はさらさない」のです。
 情緒的なヒューマニズムこそ「言葉」だけの理想主義です。いつも言っているように、私たちは理想を目指すべきですが、現実には人間の次元がそこまで高くない。あるいは自分はそこまで行っていても、相手がそうでない場合もあるという現実を想定しなくてはいけません。
 戦後日本人は(左翼を中心に)あまりに善人になってしまいました。個人のレベルでは、それでもいいでしょう。せいぜい「正直者は馬鹿を見る」程度の損害で終るでしょうから。お金は奪われても命までは奪われないでしょうね。
 実際、日本はお人好しすぎて、アメリカさんやらにお金をずいぶん持って行かれましたね(苦笑)。まあ、それはそれで「布施」、「ノーブレス・オブリージュ」とも解釈できるのでいいとしましょう。
 しかし、軍事が関わってくると、一気に私たちの生命が侵されるレベルにまで行ってしまいます。それを避けるには、筆者の福山さんが言うように、私たちは常に「防寒着」を着ているべきでしょうし、ある部分では冷徹に「性悪説」をとるべきでしょう。
 とにかく相手があることなのですから。自分が善人だからと言って、相手も善人であると考えるのは、論理的におかしいと子どもでも分かります。良き方に信じたいが、やはり万が一のケースに備えるのが、国家の役割でしょう。
 とにかく近代国家として、あるいは独立国家として遅すぎたのです。あまりに遅すぎたので、我々庶民の感覚が鈍ってしまっている。だから、反対派が「知る権利が奪われる」とか、「情報操作だ」とか、「戦前に帰ってしまう」とか、そういう情緒的な判断しかできなくなってしまう。これは恐ろしいことです。
 私も個人のレベルでは、原発反対、消費増税反対、TPP反対、秘密保護法反対などと言って満足することもできます。ある意味簡単です。
 しかし、そこには何か非常に大切な視点が欠けているようにも感じる。
 私もその視点を学校で習ってきませんでした(逆の意味の特定秘密が保護されてきた?)。今、自分は教師として、あえてその視点も教えていきたいと思っています。あくまでも、未来の人類が「理想」に近づくために。

Amazon 防衛省と外務省

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2013.11.26

『ウェアラブル革命』 (NHKクローズアップ現代)

Imgres きなりウルトラセブンの「ビデオシーバー」で始まった今日のクローズアップ現代は興味深かった。
 Google GlassやiWatchの登場が間近になった今、ある意味では私たちの世代の子ども時代の夢が実現することになるわけですね。
 逆に言えば、私たちの世代が子ども時代の夢を実現したとも言えますね。
 携帯端末や身に付ける端末については、今年4月に携帯電話誕生40年、いや75年、いや…という記事を書きました。
 そこにも書きましたが、すでに大正時代に出口王仁三郎は霊界物語15巻に次のように記しています。

「昔のように今日の時代は、毛筆や、鉛筆や、万年筆などの必要はありませぬ。ただ指先をもって空中に七十五声の文字を記せば、配達夫はただちに配達してくれますよ。私がひとつ手本を見せましょう。この交通機関は二十一世紀の初期から開始されたのですよ…さあ、これで手紙を書きました。文字が音声を発する時代となってきました」

 今、まさに二十一世紀の初頭。たしかにスマホの画面をタッチしたりフリックしたりして文字を入力しいてる様子は「空中」で文字を書いているに等しい。
 そして、今日番組で紹介されていたウェアラブル・コンピュータが一般的になれば、本当に空中で入力することも可能になるに違いありません。
 あるいは音声を文字に、文字を音声に変換する技術は、もうすでに実用的なレベルにまでなっていますね。
Photo34371 眼鏡型の端末では、視界に画像を浮遊させることができるため、ますます「空中」感は強くなります。
 王仁三郎はこうした科学技術の発達が「みろくの世」を現出させると言っていますから、このような流れに大きな期待を持ってもいいのではないでしょうか。
 一方で、番組で解説者の黒崎政男さんも危惧していたように、私たちの情報が集中的に管理される「超監視社会」になっていく可能性があるのも事実です。
 現状でも、私はGoogleに代表される「諜報」活動に違和感や嫌悪感を感じています。それがさらに進むことははたしていいのか。
 あるいは人間のロボット化。人間が機械に指示されて動く。
 しかし、王仁三郎が言うようにテクノロジーの進化が「みろくの世」を招来するものだとしたら、やはり私たち人間自身のレベルを上げるチャンスと捉えるべきなのかもしれませんね。
 歴史上、無数のテクノロジーの進化があり、そのたびに私たちは常に心配をし、しかしそれを乗り越え、それに適応し、結果として進化を遂げてきたと思います。
 私はそういう意味で、違和感や嫌悪感を持つことを前向きに捉えています。ただ心配するだけでなく、自らの進化のチャンスと考えるのです。
 3年後には1億台以上のウェアラブル・コンピュータが普及すると試算されています。はたして私はそれらとどう付き合っているのか、そしてどう進化しているのか。また、世の中は本当に良くなっているのか。
 楽しみにしたいと思います。
 ちなみに私が個人的に期待しているのは、ソニーの「カツラ型端末(スマートカツラ)」です(笑)。

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2013.11.25

もう一つの富士山(その6)三島由紀夫と富士山

20131126_101113 日は「憂国忌」。
 三島由紀夫の命日。昭和45年11月25日、三島は市ヶ谷駐屯地にて割腹自決しました。
 今日はそんな三島の晩年と富士山との関係を深読みしてみましょう。
 久しぶりの「もう一つの富士山」シリーズですね。
 まずはこれまでの「もう一つの富士山」シリーズを復習してみましょう(自分でも何を書いたのか忘れているので)。

 その1昭和13年「防共盟邦親善富士登山」
 その2昭和17年の吉田口登山者は20万人
 その3超大型戦略爆撃機『富嶽』
 その4渡邊はま子『愛国の花』
 その5丹下健三『大東亜建設忠霊神域計画』

 なるほど、「もう一つの富士山」とは、「国体の象徴」ということですね。それは違う言い方をすれば、「防共の象徴」でもありました。つまり、共産主義から国体を守るための砦。
 もちろん、当時の日本の国体の敵は共産主義だけではありませんでした。米英の帝国主義、植民地主義、あるいは国際資本主義も大いなる敵でした。
 では、戦後の富士山はどうなったのか。
 一般には、富士山は「日本の象徴」ではありましたが、「国体の象徴」ではなくなってしまいました。戦後天皇が象徴するモノが変わったように。
 戦後世界はすぐに米ソ冷戦時代に突入します。アメリカの子分になった日本は、言うまでもなく新しい意味での「防共の砦」となっていきました。
 これは、ここのところ何度も書いている「国譲り」の本質が現れています。表面上(意識上)、相手に譲っているように見せかけ、実は無意識の領域でその本流の濃度を高めていくという、日本的な文化継承のあり方です。
 つまり、一般国民の意識とは裏腹に、潜在的に富士山は「国体の象徴」度を高めていたとも言えるのです。
 それを敏感に察知し、意識的に表現し続けたのが三島由紀夫であった、というのが私の考えです。
 決して私は三島をよく読んでいる者ではないので、あまり偉そうなことは言えません。しかし、それをなんとなく確かなものだと思うようになったのは、実は安倍総理の発言がきっかけでした。
Imgres 今年6月11日、安倍総理は王貞治さんと富士山についての対談をしています(こちらで読めます)。
 その中で総理は次のような発言をしています。

 富士吉田の北口本宮冨士浅間神社に木花開耶姫(このはなさくやひめ)が祭ってあります。三島由紀夫の「豊饒の海」(著者晩年の長編シリーズ)の「暁の寺」(第3巻)に、そこに行く場面がありましてね。三島が、都良香(みやこのよしか)が書いた「富士山の記」(漢詩文集「本朝文粋」の中の一編)を引用してですね、その中に白衣を着た美女が富士山の頂で、舞を舞っている幻想を見たということが書いてある。
 裾野では穏やかな風が、だんだん頂上に行くと、突風になっていく。それが雪煙を舞い上げて美女が2人ともに踊っているという姿、つまりそういうさまざまな幻想に変わっていくと。端正の極限であり、同時に、あやふやな情念と、正にそれがともに存在するというふうに書いていたのを今、ふと思い出したんですが、そんな山なのかなと思います。
 
 「豊穣の海」は三島最晩年の作品。遺作と言ってもいい。安倍総理が挙げた部分はこちらで一部読むことができます。
 三島の主張は非常に簡単に(乱暴に)まとめれば、憲法改正、国防軍設立ということになります。そういう意味で、安倍総理が三島にシンパシーを感じるのは当然と言えば当然。
 当時の三島が最も恐れていたのは、まさに共産主義の襲来であって、それこそが見えざる国体の危機そのものでした。
 その危機感が最高潮に達した時、彼は富士吉田の冨士浅間神社に取材をし、富士を照覧称揚し、そして作品化した。この意味は非常に大きいと、私は思っています。
 私、実はまだ三島にちゃんと対峙していません。なんとなく微妙な違和感があるのも事実です。
 しかし、富士山について考える時、どうしても避けて通れない存在であることもよく分かっています。
 そろそろ勇気を出して踏み込む時が来ているのかもしれませんね。


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2013.11.24

実写版「うる星やつら」第4弾!

Vlcsnap2013112514h09m24s3 かげさまで中学校の文化祭も大盛況、大成功のうちに終了いたしました。ありがとうございました。
 毎年のことですが、子どもたちの力には感動します。本番の数時間の中だけでも、恐ろしいほどに成長していきます。
 和太鼓、演劇、ダンス、弦楽合奏、能楽、ジャズ、合唱…本当にどれも素晴らしかった。どこへ出しても恥ずかしくないレベルだったと思います(手前味噌ながら)。
 今年の文化祭のテーマは「和」でした。単純に平和と言ってもいいのですが、私個人としては、いつも書いているように、そこには聖徳太子の採用した「和」の精神、すなわちニギハヤヒが象徴する「和魂(にぎみたま)」を見たいと思っています。
 和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)との関係性における「積極的平和主義」と言ってもいい。お題目だけの「平和」「戦争反対」には断固反対します。
 というわけで、私はそれを体現するために(?)、今年は「お笑い」担当という感じでした。
 一つはコント部を新設して、生徒たちに質の高いコントをやらせること。これも大盛況、大成功でした(たぶん)。自分も勉強になりましたし、苦しみながらも楽しめました。
 人を笑わせることの難しさ…笑われるのではなく、笑わせるのですから。
 コントは演劇の王様。教育的な価値が高い。これはマジです。全国でも珍しいコント部をこれからもさらに発展させていこうと思います。
 二つ目は今年で4回目となる1年生による「実写版うる星やつら」です。
 これはいわゆる「プレスコ」。つまり、ホンモノのアニメの音(すなわち声優さんの声など)に合わせて、演技をするというものです。
 これまた、けっこう教育的価値があるんですよねえ。編集の魔術、つまり我々がどれだけ騙されているかを知る機会にもなります。
 今年も作品を特別公開いたします。例年通り、プライバシーの問題に鑑み、画像サイズを極小にさせていただきます。また、今まではフラッシュ動画として公開していましたが、iPhoneやiPadで観られないとの意見をいただきましたので、一般的な動画ファイルに変換しました。
 では、こちらをクリックしてお楽しみください。原作は「花輪先生登場!これが青春だね」です。途中だいぶカットしていますが、ドタバタ感はしっかり出ていると自負しています(笑)。
 

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2013.11.23

『地球を斬る』 佐藤優 (角川文庫)

20131125_112412 務省のラスプーチンによるインテリジェンス的地球解説。
 SankeiBizの人気コラム「佐藤優の地球を斬る」(最新号はこちら)の前身であった2006〜2007年までのコラムをまとめた本です。
 ちょうど第一次安倍政権の頃の話なので、今回改めて読んでみることにしました。この時代に現在の直接的ルーツがあると思うからです。
 この本には、佐藤さんがのちに自らのコラムを検証した文章も加えられています。その検証が2009年あたりですからまた、近過去の復習にはちょうどいいですね。
 佐藤さんの言う「インテリジェンス」とはつまり「諜報」のこと。相手に知られずその相手が持っている重要な情報を手に入れることです。
 たとえばこの本を読むと、ここのところ騒がれている(反対されている)特定秘密保護法案が、いかに国際的には普通であり、また今までの日本がいかに諜報および防諜に関して異常に甘かったかが分かるでしょう。
 実はここのところ、複数の方から、私も「防諜」意識を持った方がいいと言われています。たしかに、このブログなんか情報の垂れ流しですからね(笑)。
 ただ、総理夫人ともよく話すのですが、私たちはあえて情報を流すことによって危険を回避しているのだ、隠したものこそが諜報の対象となるのだから、という考え方をしています。
 もちろん、書く書かないには独自の基準はあります。その独自の基準とは実は「直観」「勘」なんですけどね(笑)。どういうわけか、私はその「直観」「勘」には妙な自信があるのです。
 そんないい加減な…というわけで、それこそインテリの方には私のインテリジェンス意識の低さが心配でならないようですね。
 ただ、たしかにメールの内容や電話の通話内容まで間違いなく把握されてますよ、と言われると、たしかに気分がよくありませんね。気分がよくありませんから、なるべく無駄なやりとりはしないように気をつけるようにはなりました。
 まったく不思議なもので、1年ちょっと前までは、自分がそんな立場の人間になるとは夢にも思っていませんでした。
 またまた中二病を発症していると言われそうですけど、まあしかたありません。妄想にしてはリアルすぎるので(笑)。
 …と、こうして、私にも「インテリジェンス」意識があることをさりげなく発信することもまた、実はカウンター・インテリジェンス(防諜活動)になるのです。まさに見えない敵との情報戦ですな。
 先日、外務省の方とミーティングする機会がありました。単純な私は、佐藤優さんこそが外務省の方のイメージだったので(強面?)、実際お会いした方のあまりの柔和さ、謙虚さには驚きました(笑)。もちろん、非常に頭がいいのは間違いなかったけれども。
 さてさて最後に、この本でなるほどと思った箇所をいくつか。
 筆者が創価学会を擁護する理由を語る部分で、出口王仁三郎の大本の弾圧の話が出てきました。大本がやられた後、キリスト教がやられたように、創価学会糾弾の後にはキリスト教への検察の圧力がかかるのではないかと言うのです。なるほどそういう発想ですか。ちなみに佐藤さんはクリスチャンだそうです。
 それから、今の北朝鮮の平壌市民の心理の説明として、昭和20年の東京都民と同じだろうという話。これもなるほどと思いました。よく理解できました。つまり、負けると分かっているが降伏するつもりはない、最後まで戦い玉砕するということ。
 そして、だからこそ、日本が本土決戦の前に無条件降伏したように、北朝鮮にも軟着陸の可能性があるというのです。なるほどですね。
 あと私は全くの不勉強で知らなかったのですが、北朝鮮の先軍思想は1960年台の韓国における朴正煕政権がモデルになっているんですね。朴正煕は言うまでもなく朴槿恵現大統領のお父さんです。

Amazon 地球を斬る

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2013.11.22

家庭の幸福は妻への降伏

1466252_674686102570975_1860314795_ い夫婦の日にちなんでか、安倍総理がFBに左の写真と「家庭の幸福は、妻への降伏」という名言を掲載しました。
 考えてみると、私、時は別々ですが、夫妻ご両人からこの言葉を直接聞いたことがあるんですよね(笑)。
 ご縁あって、総理夫妻を身近に感じている私としては、この言葉に潜む深い深い意味がよ〜く分かるのであります。
 もちろん、お二人は大変仲良く、そしてお互いを尊重しあっている、そうしてお二人ともが最大限に活動し、それぞれが世の中に貢献しているという、理想的なご夫婦であります。
 陰陽相和すという意味においても、まったく理想的なご夫婦でいらっしゃいますね。
 いろいろ言われるのは、お立場上しかたありませんよね。しかし、そんなことさえも自らのプラスのエネルギーに変える力をも持っていらっしゃいます。
 さてさて、総理の「家庭の幸福は妻への降伏」という言葉ですが、これはまず一つに、「国譲り」の伝統を受け継いでいるものだと考えられます。まあ、こんなこと言うのは私だけでしょうけれど(笑)。
 私の「国譲り」観はこちらに書きました。ぜひお読みください。
 まあ、簡単に言えば「負けて勝つ」ということでしょうかね。
 「降伏」することによって「支配」するということもあるのです。
 ちょっと前の日本では、女性の方が男性に降伏したふりをして、すなわち、男を手のひらの上で転がしつつ支配するという図式が普通でしたっけ。
 そう考えると、総理夫妻の場合は立場が逆転しているわけですね。実は、こうした逆転は歴史の中で何度か繰り返されてきました。
 21世紀はすなわち「女性」が主役の時代となりつつ、「男性」が裏側から支えるという時代になるのです。私もそういう予感がしています。
 「いい夫婦の日」である今日、「いい夫婦」かどうかは分からない(笑)私たち夫婦は、「いい夫婦」である安倍総理夫妻のためにひと肌脱がせていただきました。
 安倍総理夫妻のためということは、つまりこの日本のため、アジアのため、そして世界、いや地球のためであります。
 総理の発想を昭恵さんと私たちが具現化する形になります。いよいよ面白いことが始まります。もちろん私たちだけでなく、時空を超えたいろいろな魂が後押ししてくれています。
 「面白し」という日本語は、本来「一面真っ白」、つまり「見渡す限り明るくはっきりしている」という意味です。
 未来は面白い。未来は明るいのです。
 私も未来を面白くするために、総理夫妻を見習って妻に降伏してみます(笑)。意外にウチは亭主関白なので。


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2013.11.21

赤津眞言さんの演奏動画をいくつか

 日、我が校に来てくださったバロック・ヴァイオリニストの赤津眞言さんの演奏動画をいくつか紹介いたします。
 まず、赤津さんの主宰するOrchestra Van Wassenaerの日本ツアーから二つ。昨年のツアーです。3本のヴァイオリンがテーマ。
 3本のヴァイオリンと言えば、なんと言ってもパッヘルベルのカノンでしょう。通奏低音は、今回来てくださった武澤秀平くんと岡田龍之介さんです。
 

 つづいて、ちょっと珍しい曲。カイザー作曲、通奏低音抜きの3本のヴァイオリンのための協奏曲です。テレマンの4本のものは有名ですが、これは初めて聴きました。

 次は、赤津さんの師匠であるシギスヴァルト・クイケン率いるラ・プティット・バンドの2011年来日公演から。ヴィヴァルディのラ・フォリアです。かっこいい!

 珍しい楽器、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを演奏する赤津さん。名曲ブランデンブルク協奏曲第5番の第1楽章です。

 赤津さんはヴィオラの名手でもあります。同じくブランデンの6番から第3楽章。

 また来年お会いし、共演させていただきたいと思っています。ありがとうございました。

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2013.11.20

贅沢なバロック・コンサートでした!

Img_7521 遽、中学校にて秋の芸術鑑賞と称して、赤津眞言さん、武澤秀平さん、岡田龍之介さんのコンサートを開催いたしました。
 古くからの友人である三人の国際的な演奏家の皆さんにおいでいただき、生徒や保護者の皆さまにお聴きいただく、このなんとも贅沢な企画は、今年で4回目となります。
 昨年はちょっと
 演奏された曲目がすごい…って何がすごいかというと、ほとんど本邦初演というような曲ばかり。
 かなりバロックに関してはマニアックであると自認するワタクシでも知らない曲ばかり。中には名前も初めて聴くという作曲家も。
 今日のプログラムはこんな感じです。

『波間の真珠たち』
~18世紀ドイツ、大きなうねりの間に輝くその光とは~

赤津眞言…バロック・ヴァイオリン
武澤秀平…バロック・チェロ、トレブル ガンバ、ヴィオラ ダ ガンバ
岡田龍之介…チェンバロ

ゴットフリート・キルヒホフ (1685~1746)
 ヴァイオリンソナタ 8番 ヘ長調
アダージョ / アレグロ / アモローゾ / ヴィヴァーチェ / ブーレとロンド

ヨハン・ゴットリブ・グラウン (1702/3~71)
 ヴァイオリン、ヴィオラダガンバと通奏低音のトリオ イ短調 アダージョ

クリストフ・シャフラトゥ (1709~63)
オブリガートチェンバロとヴァイオリンのデュオ 1番 ニ短調 ポコ アレグロ / アダージョ / アレグロ

ヨハン・アドルフ・ハッセ (1699~1783) ヴァイオリンと通奏低音の為のソナタ 5番 ニ長調
ウン ポコ アンダンテ / ウン ポコ レント / アレグロ アッサイ

ヨハン・メルキオル・モルター (1696~1765)
ヴァイオリン、トレブル ガンバと通奏低音のソナタ イ長調 2楽章 (楽章表示無し)

赤津眞言 ヴァイオリン
ベルギー、レーメンス音楽研究所客員教授 国立音楽大学、オランダ、デン・ハーグ王立音楽院卒業。モダンヴァイオリンを守岡輝、 バロックヴァイオリンを小野萬里、シギスバルト・クイケン、室内楽を千成千徳各氏に師 事。第5回国際古楽アンサンブルコンクール2位。レザール・フロリッサン、ラプティッ トバンド、ターフェルムジークトロント等ヨーロッパ内外の団体の演奏に参加、クレン デ、レザグレモン、ムファッティ等ではコンサートマスターを勤め、世界各地で演奏、録 音活動を行っている。国内ではバッハ・コレギウム・ジャパンで演奏。室内楽を精力的に 各地で演奏している。 また後進の指導にも積極的に関わり、アントワープ音楽院、ミュンヘンの音楽学校でのマ スターコースをはじめ、日本でも毎年公開レッスンを行う。オーケストラ ファン・ヴァ セナール、声楽アンサンブル、アトナリテ・クール主宰。

武澤秀平 チェロ、トレブル・ガンバ、ヴィオラ ダ ガンバ
桐朋学園大学音楽学部音楽学科講師。 東京藝術大学器楽科チェロ専攻卒業。同声会賞受賞。チェロを崎野利明、山崎伸子に、 ヴィオラ ダ ガンバを福沢宏各氏に師事。バッハ・コレギウム・ジャパン、クラシカル・ プレイヤーズ東京、"E.A.S.T"、"Ensemble Les Nations"、ザ・ロイヤルコンソートのメ ンバー。

岡田龍之介 チェンバロ
洗足学園音楽大学、都留音楽祭講師。 慶応義塾大学経済学部、東京藝術大学楽理科、同大学院修了。音楽学を門倉一郎、チェン バロを有田千代子、渡邊順生の各氏に師事。全国各地での演奏会、韓国やドイツでの公演 も多い。ソロ、教育活動にも力を注ぐ。ソロCD「銀色の響き」(レコード芸術誌準特選)な ど9枚のCDをリリース。古楽アンサンブル "ムジカ・レセルヴァータ" 主宰。

Img_7522 なんともマニアックな、しかし、魅力的な珠玉のバロックたち。
 演奏はもう今までもなく最高級。赤津さんの内側から沸き上がってくるような音楽の生命感、ますます磨きがかかりましたね。
 武澤くんのチェロ、ガンバも相変わらずすごいエネルギーの波を感じさせます。ただ上手いだけではない。安定の上にダンスがある。
 岡田さんの通奏低音も言うまでもなく素敵。決して目立ちすぎることなく、しかし、単調になることもなく、音楽をしっかり支えています。
 まあ、演奏された曲については、なんというか、こういう「新曲」を聴く喜びって久しぶりだなあと思いましたね。バロックにはまだまだ知られていない曲がたくさんたくさんあるのでしょう。
 赤津さんはそういう曲を発掘する研究者としても非常に重要な仕事をなさっていますね。
1475789_396425410490204_1039786151_ そして、ボーナストラックとして、不肖ワタクシも緊急参戦し、コレッリのトリオ・ソナタからシャコンヌを演奏させていただきました。
 このような日本の誇る古楽の第一人者とご一緒させていただくのは、本当に夢のようなことです。本当に長く続けてきてよかったなと思います。
 そして、中学弦楽合奏部の部員たちには、アンサンブルの醍醐味を感じてもらえたかと思います。
 本番15分前に突然楽譜を渡され、打ち合わせもリハもほとんどなくいきなり合わせても、あれだけ楽しい演奏ができる。
 まさに、楽器を通じて音楽で会話するという感じですよね。それを生徒たちには知ってもらいたかった。
 もちろん、私の演奏はヘロヘロでしたが、それでも「楽しそうだった」とは言ってもらえました。
 皆さん、ありがとうございました。また、こういう機会を作りたいと思います。
 音楽は楽しいなあ。ライヴはいいなあ。そして、演奏できるって幸せですね。
 

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2013.11.19

YouTubeの動画から音楽CDを作る。

20131120_213514 ミマセン、更新が遅れております。
 中学の文化祭が目前となり、生徒も先生もめちゃくちゃ忙しくしております。プラス私的にも今までにない壮大なプロジェクトが動き出しておりまして。さらに公私を混同したイベントも…。
 しっかし、この「学園祭前夜」的な感じ、いいですよね!まさに「ビューティフル・ドリーマー」の世界。
 そうそう、今年も1年生は、「実写版うる星やつら」をやります。撮影&編集も大詰め。今年も楽しい作品になりそうです。
 それから、私の担当は「コント部」(笑)。いったい教頭は何をやっているかと言われそうですね。ま、お笑い担当ということです。
 いや、いちおう顧問をしている弦楽合奏部の指導もぬかりなくやっております。あとは、各学年の担任のサポート。特にパソコン関係、AV(オーディオ・ビジュアルですよ)関係は私の得意とするところでありますから、いつでもドンと来い!という感じであります。
 で、近年一番多いのが、演劇などの効果音や音楽の音源編集ですね。
 私はそれをどうやっているかを紹介しましょう。ちなみに私はMac使いです。
 まあ、便利な時代になりまして、ほとんど欲しい音源はネットで無料で手に入ります。
 ここは教育現場ですので、著作権についても一般よりは許される部分が多くなります。これから紹介する方法は教育活動の範囲内なら法的にも許されています(逆に言えば教育以外の目的で使用すると法に触れるかもしれません)。
 まず、音楽ですが、これはとにかくYouTubeが便利。学校で必要となるもので手に入らないものはないと言ってもいいでしょう。
 さて、そのYouTubeの動画からどのように音を抽出してCDなどにするかということです。
 私はとりあえずYouTubeの動画をダウンロードします。
 ソフトは「Xilisoft YouTube ダウンロード for Mac」というフリーソフトを使っています。
 ダウンロードしたファイルはmp4形式のファイルになります。それをQuickTimeで開き、「ファイル」→「書き出す」→「オーディオのみ」という手順で音声のみを抽出します。
 結果、音声のみのmp4ファイルが生成されますので、それをiTunesでプレイリストに入れてオーディオCDとして焼きます。
 おそらくこれが一番簡単な方法ではないでしょうか。
 以前は、こちらで紹介したQuickTimeの記録機能を使って、ある種アナログ的な手法で録音していました。それに比べると格段に早くCDが出来上がります。
 このような手順でさっさと仕事をこなしていくと、クライアントである先生方もさすがに驚嘆するようです。ま、そんなところで尊敬されてもしょうがないんですがね(笑)。
 というわけで、今日も朝から晩までMacBookと向き合って楽しく仕事しております。


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2013.11.18

『危険な宗教の見分け方』 田原総一朗・上祐史浩 (ポプラ新書)

20131119_120807 は嘘はつきたくありません。正直に言います。
 上祐さんの話は正直面白かった。そして異様に共感する自分がいました。
 その自分の危うさともしっかり顔を突き合わせていたいし、これからもそうしていきたいと思っています。
 ある意味では、そういう態度に基づく(妙な)自信があるので、私はこのブログで平気で「トンデモ」なことを書けるのかもしれません。
 以前、元オウム幹部野田成人さんの『革命か戦争か オウムはグローバル資本主義への警鐘だった』の記事に書いたように、上祐さんやその他オウムの信者だった人たちと私は同世代。育った環境や受けた教育は共通しています。
 しかし、野田さんの本を読んだ時とは、また違った不思議な共感がありました。
 「ワン・オブ・ゼム(その他大勢)」になりたくない。自分が世界を変える。宇宙開発に興味あり。神秘体験や超能力などのオカルトに興味あり。誇大妄想と自尊心。自己の価値を最大化。
 上祐さんが語るそれらの言葉を私は完全に共有できます。ある種のノスタルジーすら感じるほどに、私は上祐さんの話に引きこまれていきました。まるで自分のことのようだ…。
 あの頃、私も仏教に興味を持ち始めていました。正直言うと、初期のオウム真理教は、私から見ても、日本で最も純粋な出家集団に見えました。
 では、なぜ、私はオウム真理教に入信しなかったか。
 それはおそらく、私に勇気と根性がなかったからでしょう。出家する勇気がなかっただけでなく、やはりあの厳しい修行に耐える自信がなかった。もともと怠惰で楽することばかり考えている人間ですから。
 そんな俗人で良かった。
 実際、「紙一重だった」という感じがないのも事実です。
 それは、「直観力」という、それこそオカルト的な力が私にあったからだと思っています。
 怠惰である上に、「なんとなく違う」という直観があったから、オウムに接近せずにすんだのでしょう。鬼に金棒だったわけです。
 しかし一方で、そんな私の怠惰で直観的な生き方を心配してくださる方々もいらっしゃいます。具体的には、私のプログでの言説をオカルトだ誇大妄想だと心配してくださる方々ですね。まあ、そうでしょう。霊的な話が多いですし、出口王仁三郎もよく出てくるし、えっ?またウソ言って〜的な内容もしょっちゅうですからね(笑)。
 ただ、自己分析して面白いのは、私に「オウム的」な部分があったおかげで、今の妄想実現力が培われたという事実です。これはたぶん正しい。最近よく使っている言葉でいうなら、「中二病が治っていないどころか重篤化している」ということでしょうか。
 そういう意味で、オウムを「卒業した」野田さんや上祐さんの「今」も、私はかなりのレベルで共有できます。
 たとえばこの本の後半で、聖徳太子の名前があがり、「和」と「輪」という言葉が象徴的に使われ、さらに富士山麓の聖徳寺まで登場するとなると、いつかゆっくりお話をしてみたいような気さえするのでした。
 上祐さんは、大東亜戦争と同様にオウム事件は「総括」されていないと言います。たしかにそうです。
 しかし、一方では、「総括」できない、無理に「総括」する必要はないという気もします。
 やはり、これからは「コトよりモノ」の時代なのではないでしょうか。言語化される明確な「コト」は、結局帝国主義や原理主義的宗教を生みます。得体のしれないぼんやりした「モノ」を総体的に(直観的に)捉え、共有する時が来ていると思うのでした。

Amazon 危険な宗教の見分け方
 

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2013.11.17

偏光フィルム

31pfq1dhdl_sl500_aa300__2 わぁ~、公私ともに忙しすぎ。そして、珍しくかぜなどひいてしまいました。
 睡眠時間もキープしなければならず、プログを書く時間がありません。
 よって、今日は軽めに。
 最近買って重宝しているもの第3弾。
 これは普通の人は買わないだろうなあというもの。偏光フィルムです。昆布ではありません(笑)。樹脂製の偏光フィルター。
 何に使うか。
 基本的に写真撮影用です。
 まず、iPhoneのカメラレンズの前に設置します。ケースの間に挟むだけです。
 こうするとどういう効果があるのか。
 実はまだちゃんとテスト撮影してないので、以前偏光サングラスを通して撮影した田沢湖と十和田湖の写真をご覧ください。
 偏光フィルターを通さないと、ぜったいにこんなに美しい色は出ません。というのは、ご存知のように、水面が太陽光や空を反射して、白っぽくなってしまうからです。
 釣りをする人が、偏光サングラスをかけますよね。そうすると、表面の反射が見えなくなって、水底まで見ることができるようになります。
 分かりにくいかもしれませんが、たとえばこれは学校の液晶テレビを撮ったものです。当然、外の光(風景)が画面に反射して写りますよね。

Img_7515

 これに購入した偏光フィルムを装着すると、次のようになります。

Img_7516

 多少違うのが分かるでしょうか。本来黒い画面が、より黒く写っているとも言えます。
 偏光フィルターは、このように水の撮影にも有効ですが、青空もより青く写ります。空にもたくさんの反射光、拡散光があるからです。
 虹も肉眼よりも鮮やかに撮影できます。
 また、森の緑も鮮やかに写ります。葉っぱもたくさんの光を反射していますからね。
 全体としてコントラストが上がるので、ある意味ウソっぽい写真になるとも言えます。そこが面白いのですね。
 このフィルム、透過率が35%くらいですから、ちょっと暗いところだと外した方がいいのですが、普通に昼間の屋外や明るい室内の撮影でしたら問題ありません。
 ま、iPhoneのケースに挟んであるだけですから、取りたい時は簡単に取れますし。
 なんと言っても、このフィルムは安い。8センチ四方の板が10枚で、私は1000円で買いました。
 iPhone用に使ったのは1センチ四方。はさみでチョキチョキしました。あとは何に使おうかな。
 あれ?今は値段が2倍になってる。それでも安いですよ。

Amazon 偏光板(10枚組) 


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2013.11.16

SONGS 『ちあきなおみ』

Pic_131116 やあ、素晴らしい。今日のNHKのSONGSは「ちあきなおみ」でした。膨大なレパートリーからほんの一部の紹介ではありましたが、まあ、うまいこと…そして、楽曲の素晴らしいこと。
 再放送は来週木曜日深夜25時30分からです。見逃した方はぜひ。
 今日流れた曲は以下のとおり。

四つのお願い
喝采
矢切りの渡し
霧笛
星影の小径
紅とんぼ
黄昏のビギン
冬隣

 やはり、いろいろな作詞家、作曲家が彼女の唄声にインスパイアされたのでしょうね。シンガーソングライターの時代、あるいはシロウトの自己満足の延長線上にあるボカロ楽曲の時代には望めない次元の高さです。
 ウチの歌謡曲バンドでも「ちあきなおみ特集」やろうかな。ボーカリストの力量が問われますな(笑)。抜き方が難しいだろうな。本人は任せろと言ってますが(笑)。
 ちあきなおみをバンドでやる楽しさは、ジャンルが広大無辺であることです。アイドルポップス、歌謡曲、ジャズ、フュージョン、AOR、シャンソン、ファド…。
 私たちのようにジャンルを問わず音楽を奏で、歌を歌うことが好きな人種にとっては最高のお手本です。
 同様の幅の広さのある歌手としては、もちろん美空ひばりを挙げねばなりませんが、残念ながら、私たちが共有している70年代後半、80年代のややバブリーなおしゃれサウンドがないことなんですよね。
 その点、ちあきなおみは、80年代に名アルバムをたくさん出していますからね。
 80年代のキラキラサウンドに彼女の枯れたボイスが浮かび上がり、なんとも言えない味が出ています。
 そんな彼女の歌手生活後半の偉業もたくさん聴くことができるメドレー(80曲!)をどうぞ。

 今でもお元気で歌っていらっしゃるのでしょうか。

Amazon 歌手-ちあきなおみ

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2013.11.15

夕焼けと富士山

 日は寒かった。麓は冷たい雨。五合目より上はたっぷり雪が降りました。
 夕方になって急激に天気が回復し、富士山は見事な夕焼けに染まりました。
 あまりに美しかったので、生徒たちにもスマホの使用を許可して、大撮影大会になりました。
 私もiPhoneでパシャリ。iPhoneでもこれだけきれいに撮れるんですね。
 では、時系列的にご覧ください。言葉はいらないと思います。もちろん写真からは伝わらない空気感やスケール感というのはあると思いますが、皆さんの想像力で補ってください。
 私には、やはり龍神さまがお出ましになったように見えましたね。

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2013.11.14

安倍昭恵さん来訪(第四章)

Img_7491 ァーストレディー安倍昭恵さんと富士山麓で7時間たっぷり、語り合ったり、いろいろ計画したり、鑑賞したり、学んだり、瞑想(妄想)したり(笑)、食べたり飲んだり…。
 本当にありがたい(めったにない)機会をいただきました。
 まさに今日という日に、このようなことが実現できたのも、お互いに「不思議ですねえ」としか言いようのない偶然に偶然が重なったからです(すなわち必然)。お互いに本来の予定とは全然違ったとも言えます。
 今回は鳴沢村の我が家でではなく、山中湖村と富士吉田市のあちこちを移動しながらの交流でした。まさにご縁の生む不思議な仕組み(しぐみ)。
 写真は昭恵さんのFacebookから拝借。
 ウチの学校にちょっと寄ってもらってジャズバンド部の演奏を聴いていただきました。生徒たちも目を真ん丸にしておりました。これをご縁に彼ら彼女らの活躍のフィールドがさらに広がることでしょう。
1450942_10152053644256779_186213057 もう1枚は宮下織物さんでの写真。これもまた不思議すぎるタイミングでのご縁。もうあまりに偶然が多すぎて驚かなくなっている私たちですが、さすがにここ1ヶ月の展開はないなあ…。
 その他、今日は重要な人と場所を共有することができました。しかるべき場にしかるべき人が集まると、そこには大きな渦が生まれます。天の配剤こそ自然のエネルギーなのでしょうね。
 7時間の中で交わされた話の内容に関しては、これから少しずつ実現されていくことでしょうから、それをお楽しみに。まずは来月、体現します。
 身に余る光栄でありますが、昭恵さんとはすっかり肝胆相照らす仲にならせていただけたと感じます。
 私と昭恵さんに共通しているモノがあるとするなら、ある意味馬鹿なくらい(失礼)純粋に世の中をよくしたい、私たちの言葉で言うなら「みろくの世」を実現したいと思っているというところでしょうか。
 そのスケールや実行力、そして影響力は雲泥の差ですが、魂の奥底の部分ではしっかり共有できていると(勝手に)思っています。
 そのようなご縁とご恩に報いるよう、これからも私(わたくし)を捨てて、天の声に従って働かせていただこうと考えています。
 個人的には、宮下文書と出口王仁三郎と仲小路彰が富士山で統合されていくことに感動を覚えております。
 また、近いうちにお会いする機会がありそうです。本当にありがとうございました。

参考 安倍昭恵さん来訪(第三章)

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2013.11.13

ハンディ・ビデオ・レコーダー 『ZOOM Q2HD』

 近買って重宝しているもの第二弾。
 ようやく理想的なものが出たなという感じです。
 音楽をやっている関係で、練習や本番の録音、あるいは録画をどうするかというのは大きな問題でした。
 今までも、大昔は録音機能付きのウォークマンやMD、あるいはMP3プレーヤーなんか使ってましたね。懐かしい。
 で、最近はいわゆるデジタル・レコーダーが発達して、それなりに便利にはなっていました。
 しかし、たとえば、私が使っていたTASCAM 『GT-R1』「Click Voice Slim」なんかは、それなりに良かったのですが、やっぱりバッテリーに関して不満だったんですね。
 それはビデオについても同じです。結局専用の充電池を使う、あるいは充電池が内蔵されているための不便や不安。
 また、音質や使い勝手も満足行くものではありませんでした。
 しかし、このZOOMのQ2HDはそんな今までのいろいろな不満や不安を一気に解消してくれました。
 まさにワンタッチでPCM録音+HD録画+シェア(ライブ配信)という優れもの。さらにバッテリーは乾電池(eneloopも)。先日ある式典を録画しっぱなしにしましたら、3時間撮影し続けてもまだバッテリーは残っていました。音声だけだと4時間近く録れました(カタログデータよりも長い)。
 本当はいろいろ録画、録音したものを皆さんに観て聴いていただきたいのですが、残念ながらほとんど全てが著作権と肖像権に引っかかるものなので(笑)、すみません。
 代わりに公式サイトにあるプロの皆さんの実例をどうぞ。
 お値段もお手頃です。1万3千円程度ですからね。それでこのクオリティー&利便性。音楽愛好者なら絶対にゲットすべきアイテムです。
 皆さんもぜひ!ちなみに私は黒を買いました。
 あえてぜいたくを言うなら、静止画が撮れたらいいなあ。そして、マイク部が回転できるようにしてもらえると、モニターの確認や横置きに便利になると思います。

Amazon ZOOM Q2HD

ZOOM公式
スペシャルサイト

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2013.11.12

USB給電+HUB機能付きOAタップ 『Unitap』(プリンストンテクノロジー)

Ph02 近買って重宝しているもの。
 どうもパソコン周りがごちゃごちゃして気分が悪かったので、少し整理してみました。
 今までこういう発想ってなかったのではないでしょうか。いわゆるテーブルタップにUSBポートが付いているんです。たしかに、スマホなどの充電用のUSBポートが付いているものはありましたが、そこにUSBハブとしての機能も持たせてあるんです。
 普段使っているのが古いMacBookなので、当然周辺機器を揃えるとUSB端子が足りません。そこでハブの登場となっていたわけですが、ただ単にタコ足式に増やすと、当然のことながら電力が足りず、作動しない機器が出てきたりします。
 今までは、ACアダプターから給電するタイプのハブを使っていたんですが、それもなんだか電圧(電流?)が不安定な感じだったんですね。
 さらにウチにたくさん転がっているiPhoneやらiPodやらなんちゃってタブレットやらの充電にUSBポートを利用しようとする人たちも現れ、そのたびに抜き差ししていろいろ不都合が生じたりしていたわけです。
 そこでUnitapの登場となりました。けっこう最近発売されたんですよね。これはいいですよ。
Photo01 右の図のように給電専用のタップとして使うと、AC×2、USBは2.1A×1、1A×1となります。
 2.1Aは最近のタブレット(iPadなど)の充電や、iPhoneの急速充電に使えます。1AはiPhoneなどのスマホやiPodの一般的な充電に利用します。
 この時は、残りの三つのポートからは給電されません。ただの穴になります。
Photo02 一方、普通のタップには見られない、しっぽのようなUSBケーブルをパソコンにつなぎますと、いわゆるUSBハブになって、五つあるUSBポートのうち正面の四つ(先ほど1Aを給電していたポートも含めて)は、一般的な500mA給電となり、パソコンの周辺機器と接続されます。
 そして横っちょの2.1Aポートはそのまま、2.1A給電専用ポートとなります。
 ウチではこの使い方です。横の2.1Aポートには常にiPhone5のLightning - USBケーブルケーブルが接続されており、正面の四つのポートには周辺機器が接続され、そして、ACボートの一つには、アップル純正のあの白くて四角いUSB電源アダプタが常に挿してあります。
 というわけで、だいぶパソコン周り、というか裏側がスッキリしましたし、充電ポートの取り合いもなくなりそうな感じです。
 ちょっとお値段高めかなと思いましたが、まともなテーブルタップとUSBハブを買えばこのくらいになりますから、まあ良しとしましょうか。今まで安物買いで銭を失ってきたので(笑)。
 私、昔から、こういう「これとこれが一緒になってればいいのに」的な製品好きです。
 あっそうそう、さらに私なら、ここにカードリーダー(SDカードだけでもいい)をくっつけますね(笑)。もっと売れるんじゃないでしょうか。あとAC出力用コンセントが四つくらいあると更に良かったかも。

製品公式

Amazon Unitap

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2013.11.11

『プア充 −高収入は、要らない−』 島田裕巳 (早川書房)

51rgvjkmkl 教学者の島田裕巳さんによる本。
 たしかにこれは宗教書ですね。特に仏教の教えに近い。
 お釈迦様は財産と子どもにこだわるなと繰り返し説いています。まったくそのとおりで、昔も今も、私たちはお金と自分の子どもにとらわれて振り回されています。
 お釈迦様ファンである私も、とにかくその二つの「宝」にこだわりを持たないように努力しているつもりです。
 そうすると、たしかにいろいろな悩みや煩悩がなくなって楽に生きられますし、小さな欲望は叶わなくとも、なんだか望外なことが叶ったりする。これぞ智慧(般若)なのでしょうね。
 ということで、この本はとりあえず二つの煩悩の素の一つたる「カネ」にこだわらないで楽に生きようという内容の本です。
 先ほど述べたようにプチ修行生活をしている私としては、非常に共感できる内容でした。
 もちろん、今の私は、ここで言われているような若者ではありませんし、ここでベストインカムとされている金額より多少は多くの収入がありますが、基本としては、お金にしがみつくことは全くないので、島田さんが言うように幸せな生活を送れています。
 あっ、それから、昨日の話にも通じるところがありましたよ。昨日、「祭は非日常」であって毎日やっていてはダメということを書きましたよね。
 この本の第三章は「毎日がハレではつまらない」です。同じことですよね。毎日ゴージャスじゃつまらないのです。
 プアだと、そういう意味で「祭」を体験できる。たしかにそうだと思います。1年に1回、数年に1回のぜいたくが至高の幸せになる。
 ということは、やはりこの本は神道的であるとも言えますね。やっぱり宗教と関係してくる。
 いや、考えてみれば、宗教というのはどの宗派も究極的な幸福というものを目指すわけで、最終的には同じようなことを言うことになりますし、実はどの宗教も近代化の中でどのように進化したかというと、結局「お金(財産)」とどう付き合うかを諭す内容になってきたわけです。
 おそらく原始宗教は、人間の本能との闘いの中から生まれてきたものでしょう。そこに「貨幣」という悪魔的イコンが加わって、その闘いはさらに厳しく激しいものになった。
 違う言い方をするなら、旧来の宗教が「貨幣教」に侵食されたわけですよね。
 ところが、最近、どうも貨幣教では幸せになれないということが分かってきた。と言いますか、お金は自分をある領域に関しては幸福にすることはできるけれども、それが他人の幸せ、地球の幸せにつながるかというと、どうもそうではないということに、人類は気づき始めたわけでね。
 私の仏教に対する根本解釈は「自分が幸せになる方法は一つしかない。それは他人を幸せにすることだ」なのですが、それがなんとなく分かってきた人たちが増えている。特に日本では。
 以前、「成長→成熟」という記事を書きました。そこにもあるように、私たち日本は成熟の時を迎えているように感じます。
 安倍政権が取り組む成長戦略に関して、私がなんとなく「古臭い」感じを受けるのは、たぶんそういう理由だと思います。
 なんとなく、いい年した大人が成長を追い求め続けるのはカッコ悪いような気がするわけです。
 それこそなんとなくでもいいのです、私の言うことに「そうなのかもなあ」と思う方は、ぜひこの本を読んでみてください。
 人間関係こそが財産、その人間関係は人に迷惑をかけることによって生まれる…などなど、私が生徒たちに言い続けてきたことが書いてあります。
 全体がドラマ仕立てになっていて、とっても読みやすく、理解しやすい本となっていますよ。

Amazon ブア充

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2013.11.10

祭と荒魂(国文祭フィナーレに思う)

5044890c073b4 梨県で通年開催されていた「国民文化祭」がフィナーレを迎えました。娘の所属する我が校のジャズバンド部も最終ステージに参加するということで、私も観に行ってきました。
 ステージの内容については細々と思うところはありましたが、今日は少し高い次元からの感想を書きたいと思います。
 まず、国文祭史上初めてという「通年開催」についてです。我が山梨県はずいぶんと頑張ったと思います。はたして今後、このような形式での開催があるのか。とりあえず、来年の秋田国文祭は従来どおりの期間限定(10月)開催になるとのこと。
 この通年開催の是非は、ある意味では祭の本質に関わってくる問題ですね。
 私の感覚からしますと、日本の祭はその非日常性にこそ意義があります。ですから、通年開催となった場合、1年間を非日常にしなければならないわけで、それは想像したとおり、そして実際にそうであったとおり、非常に難しいことです。
 はっきり言えば、今回の富士の国やまなし国文祭は、せっかくのエネルギーが時間的に大きく分散してしまい、その本来的な目的が達成し得なかったように見えました。
 山梨県内で、それも仕事柄この祭に関わる機会が比較的多かった私でもそう思うのです。一般の県民や、ましてや他県の人たちにとっては、「えっ?そんな祭やってたの?」的なムードであったと思います。
 国文祭に比較される期間限定開催の国体でさえ、なかなか「お祭り」にならないのですから、より地味な(?)文化祭はなかなか盛り上げるのが難しい。
 本来なら47年に一度の割合でしたやってこない国文祭ですから、もっともっと盛り上げるべき、いや盛り上がるべきなのでしょう。
 国体もそうですが、こういう国民行事、いや国民祭は、その開催県においては、正直お荷物になっているような状況です。
 つまり、そこにある「非日常性」「祭性」というモノが軽視され、単なる競技会、発表会になってしまっているのだと思います。
 いささか乱暴なまとめ方になりますけれども、私にとっての「祭」は、「荒魂(あちみたま)」に対する人間の「おもてなし」です。
 いつも書いているように、神々の世界(すなわち自然界)は、1割(もしくは1分)の荒魂と9割(9割9分)のバランスで活きています。
 近代的な考え方だと、私たちは人間に害を及ぼす「荒魂」的なモノは、法や科学技術などで封じ込めることになりますが、たとえば日本の古来のやり方では、それに対して、ある種活躍の場を与えたり、おべっかを使ったり、持ち上げたり、あるいは慰撫したりして、少しずつガス抜きをするような機会を作ってきました。
 その代表的なものが「祭」です。実際に、日本の祭には、人間が命を落とすような荒々しい神事がたくさんあったりするじゃないですか。
 しかし、そうした機会がないと、もう一方の「和魂(にぎみたま)」は活性化、あるいは継続しません。
 そういう意味で、今回の国文祭はちょっと「非日常性」が薄らいでしまったかなと。
 実際、地域の祭も通年やっていたら、もう祭じゃなくなっちゃいますよね。
 もちろん、半世紀に1回巡ってくるものだから、その1年を大きな非日常にしようとしたという、そのアイデアと勇気は素晴らしかったと思いますが、実現するのは難しかったということでしょう。
 オリンピックでさえ、基本4年に一度、そしてたとえば東京では56年ぶりに開催されるけれども、やはり1ヶ月くらいの中で全部収めるわけです。
 そうして「荒魂」を時空ともに凝縮することによって、「和魂」を時空ともに拡大するのです。それが日本の神道の知恵です。
 今日、来年開催の秋田県から、「なまはげ」がやってきました(私のなまはげ考はこちら参照)。太鼓を叩きました。まさに「荒魂」です。彼らが登場して、一気に会場のムードが変わりました。何か象徴的な感じがしましたね。
Img_7482 そして、秋田の和魂の象徴、すなわちニギハヤヒの分霊(?)はスギッチでしょう(笑)。
 スギッチとはいろいろと因縁浅からぬワタクシ。まさか地元山梨富士吉田でツーショット写真を撮る日が来るとは…。
 ワタクシゴトではありますが、来年、秋田での国文祭に、娘たちのジャズバンド部も参加することになっており、おかげさまで、秋田の親戚の皆さんにお披露目ができます。まったくタイミングが良くてビックリしています。
 今日、秋田の国文祭のパンフレットをいただきました。スギッチがたくさんいました(笑)。国体でスポーツをするスギッチも可愛かったけれども、文化に親しむスギッチも可愛かったなあ。
 スギッチは永年利用されるゆるキャラですが、富士の国やまなし国文祭のキャラ「カルチャくん」は、このあとどうなるのか、ちょっと心配でした。

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2013.11.09

パーセルの名曲・名演奏をどうぞ

50fly1 日、私もヴァイオリンで参加させていただいた「トークと歌・古楽アンサンブルで親しむ“パーセルのオペラ”」が大盛況のうちに終了いたしました(コンサートの様子はこちらを御覧ください)。
 ご来場くださった皆さん、お楽しみいただけたでしょうか。
 演奏した私は本当に楽しかった。パーセルのオペラの演奏は初めてでしたが、素晴らしいプロの皆さんの演奏と、朝岡さんのトークのおかげで、自分自身いろいろな発見があり、感動のうちに演奏をさせていただきました。
 あのようなサイズと形式のコンサートはいいですね。オペラ全編を当時の様式で完全に再現するのも意味があるでしょう。しかし、今回のように現代日本人のために咀嚼して提供するのも非常に有意義だと感じました。
 またこのようなコンサートに参加させていただきたいと心から思いました。ありがとうございました。
 とは言え、バッハやヘンデル、ヴィヴァルディなどと比べると圧倒的に知名度の低いパーセル。
 私は以前、「夭折の天才作曲家 ヘンリー・パーセル」を書きました。そこで何曲か代表曲を紹介しましたけれども、今日はとてもいい動画を見つけたので、皆さんに紹介させていただきます。
 これは2010年のフランス・ボーヌの国際古楽祭の様子のようですね。フランスでドイツの歌手アンドレアス・ショルとイタリアのアンサンブル、アカデミア・ビザンチナが、イギリスの作曲家ヘンリー・パーセルを演奏する…いいですね。
 そして、私たち日本人は今日、日本で日本人のために演奏しました。
 天才の作品はこうして時空を超えて何度でも蘇るのですね。
 では、お楽しみにください。

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2013.11.08

三つの「君が代」

20131109_223421 化の日(すなわち明治天皇のお誕生日)の記事に「五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」を観に行ったと書きました。
 実はそこで、初めて「初代君が代」を全部聴きました。明治3年にイギリス人フェントンによって作曲されたものです。
 君が代の歌詞と音楽の歴史については、書きだすと本当にキリがなくなりますし、それぞれに対する私の意見や、いわゆる国家としての君が代問題についてもかなりの分量になってしまうので、今日は全部割愛させていただきます。また、いつかじっくり語りたいと思います(いつになるやら)。
 まあ、とにかくですね、最低でも「君が代」を3種類作曲され公にされているのです。
 我々が歌っているのは第二の君が代。第二の君が代は林廣守ら日本人が旋律を作り、ドイツ人エッケルトが和声をつけたものです。
 この第二の君が代が初めて演奏されたのは、明治13年の天長節、すなわち11月3日ですから、文化の日は「君が代の日」でもあるわけですね。
 そして、第三の君が代は文部省が公にしたもの。これは正直ひどい。イギリスの俗歌に歌詞を乗せただけ(笑)。
 今日はこれら三つの「君が代」ほかをまとめて聴いていただきましょう。
 この動画では他にも歌詞違いなども含めてごった煮にしてくれていますが、これはこれでなかなかおいしいですね。1曲目が第三の君が代です。そしてフェントンのが初代。二代目は皆さんよくご存知ですよね。

 文部省のにならなくて良かった(笑)。フェントンの方がまだいいですね。ただ、歌詞の切れ目が不自然すぎる。
 やっぱり第二のがいいですね。これもまた、ルーツにいろいろ問題があると言えばあるのですが、まあ、とにかく世界的に見ても(聞いても)かなり変な音楽なので良しとしましょう。
 そう、西洋の和声をつけても全く西洋音楽になっていないのがいいのです。だいたい調性が謎ですよね。律音階とか言われますが、実はそれとも微妙に違う。ハ長調(イ短調)と同じ楽譜なのに開始音も終止音も「レ」ですからね。短調か長調かも分からない。そんな二元論は超越している。
 冒頭と最後にエッケルトが和声を付けず、ユニゾンにしたのは正解です。他国のように行進曲風(軍歌風)ではないし、なんとも言えない味がありますね。西洋でも中国でも朝鮮でも、そして日本でもない、まさに世界を「和する」日本を象徴するような音楽です。
 これがオリンピックなどで流れると、会場が異様な雰囲気になりますよね。大いに結構なことだと思います。不思議の国ニッポン。
 ということで、またいつかゆっくり一つ一つの君が代について論評したいと思います(いつになることやら)。

Amazon 三つの君が代―日本人の音と心の深層
 

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2013.11.07

『そうだったのか!アメリカ』 池上彰 (集英社文庫)

20131108_112238 バマ大統領に変化が見られます。すなわち、アメリカという国の「生き方」が変わりつつあるように見えます。
 何がどう変わったのか、そして、これからどう変わっていく可能性があるのか。それを知るために、まずは今までのアメリカを復習しようと思い、この本を読みました。
 非常に分かりやすく、よくまとまった入門本であると思います。目次を見てみましょう。

第1章 アメリカは宗教国家だ
第2章 アメリカは連合国家だ
第3章 アメリカは「帝国主義」国家だ
第4章 アメリカは「銃を持つ自由の国」だ
第5章 裁判から見えるアメリカ
第6章 アメリカは「移民の国」だ
第7章 アメリカは差別と戦ってきた
第8章 アメリカは世界経済を支配してきた
第9章 アメリカはメディアの大国だ
オバマ以降のアメリカ

 どの章もたしかに「アメリカだなあ」と思わせますよね。
 それぞれについて、歴史的な事実をしっかり復習させていただき、今までのイメージがちゃんとした知識になった感じがしました。
 しかし、その結果、そのイメージの全体像、すなわち「私の中のアメリカ」が大きく変わったかというと、ほとんど変わりませんでした。
 やはり一口にアメリカと言っても、たとえば日本ほどの均一性はありません。あまりに多様で、あまりに個性的なファクターが、まるで点描のように集まって、結果として一つの絵画(イメージ)が出来上がっている感じがします。
 そんな、ある意味実体のないアメリカを象徴するイコンが大統領です。大統領はアメリカを言語化します。
 これは日本の天皇とは正反対のあり方だと思います。島国ということもあって実体性や均質性が比較的高い日本を、言語を超えたモノで象徴するのが天皇。
 どちらが正しいとか優位だとかは別として、少なくとも私たち日本人は日本的な仕組みの中で統合されているわけですから、表層がアメリカナイズされても、その深層は変りようがないことは確かだと思います。
 そういう意味で、池上さんが冒頭で言うように、私もまた「アメリカが嫌いです。私はアメリカが大好きです」という矛盾の中にいつもいる感じがしています。
 そして、「日本にとってそれほどアメリカは影響力があるのか」という疑問にも常につきまとわれています。
 「全てアメリカの言いなり」と言うけれども、本当にそうなのか。「GHQによって骨抜きにされた」と言うけれども、本当にそうなのか。
 このように、私たちにとってアメリカはアンビバレントな存在感を持った国であり、好き嫌いを超えて、どこか依存し続けている存在でもあります。
 それはまるで、子どもの親に対する気持ちに近いのかもしれません。現代日本は良きにつけ悪しきにつけ、アメリカによって生み育てられたという事実が、その表面を覆っているのでしょう。
 しかし、先ほど書いたように深層部はまた違うはずです。
 敗戦(というレッテル)によって、私たちは現代の「国譲り」をしました。私の考える「国譲り」とは、簡単に言うと、「負けて勝つ」、「無意識化の中に本質を純化して残す」という手法のことです。
 ここへ来て、現代日本の深層に残された日本的なるモノが活性化しつつあると感じます。
 アメリカ(オバマ)はそこを敏感に察知しているのではないでしょうか。
 もちろん、日本のみならず、アメリカ・コーティングされた世界中の国々の深層部が活性化しているのかもしれません。
 それはすなわち表層部の弱体化、あるいは劣化ということかもしれません。
 いずれにせよ、コーティングはあくまでコーティング。しかし、それが剥がれそうになれば、当然、その部分的な補修に取り掛かるでしょう。
 オバマの変化はその現れであると感じます。アメリカから目を離せませんね。

Amazon そうだったのか!アメリカ

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2013.11.06

Mac OS7 on Macintosh Plus(エミュレータ)

20131107_105416 故知新。Mac OS7をMacintosh Plusで動かす様子をエミュレートしてくれるのが、こちらのサイト。
 思わずいろいろいじってしまいました。なかなかリアルにエミュレートされており、タイムスリップしたような感覚を味わうとともに、面白いもので、妙に新鮮に感じましたね。
 まさに温故知新。スティーブ・ジョブズの基本理念、革命的なアイデアがそこに感じられます。
 今のiOSやOSXも、そのベースの部分においては、OS7とそれほど変わりはありません。その変わらなさと、一方で時代の先端をリードし続けた「不易流行」こそがApple製品の魅力です。
 私のコンピュータ初体験はFM–TOWNSで、Macに触れたのは結婚してからのことです。カミさんが使っていたLC630をいじっていてすっかりはまってしまいました。
 というか、TOWNSもWindows3.1を搭載してしまい、どうもWindowsになじめなかった私は、とっととMac OSに乗り換えたのです。
 その後はMac一筋。おかげで職場ではただ一人Macで仕事をしており、皆さまにご迷惑をおかけしております(笑)。
 とは言え、ずいぶん時代も変わりまして、たとえば先生方や生徒たちにおけるiPhone占有率は急上昇しており、広義のMac OSを使っている人の割合は、あの頃からすると信じられないくらい大きくなっていますよね。感慨深いものがあります。
 そんなMac OSのルーツを知るのに最適なのが、今日紹介するエミュレータです。いやあ、なんとも懐かしいですね。
 漢字Talk7。今思えば「漢字Talk」ってなんだ?どういう意味?という感じですけど、やっぱりどこか洗練された雰囲気、オシャレな気分にさせてくれるモノを持っていましたね。
 基本TOWNS–OSも、WindowsもMacintoshの二番煎じだったわけで、ある意味ではMac OSのシェアは潜在的に広がり続けていたということもなりますね。
 懐かしみながら、ちょっとこんなことを考えていました。

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2013.11.05

担板漢にはなりたくない。

Images いぶん前、新婚の頃でしょうかね、カミさんと一日中バカな言葉遊びをしたことがあります。
 「◯ん◯ん◯ん」という言葉の挙げっこです(笑)。
 たとえば、アンバンマンとか安心感とか新幹線とか三分間とか晩餐館とか万景峰とか板門店とか天津丼とか担々麺とか…。
 くだらないけれども非常に面白くエキサイトしました。これって、たとえばネットで検索して見つけるのが難しい、というか、ほとんど無理じゃないですか。今どき、こういう人間ならではの記憶の引き出しゲームってなかなかないんですよね。
 で、その時は、何時間もそんなことをやりあって、何十もの語彙が出されて、お互いネタ切れになってきたところで私が、「妊娠線!」と言ってギブアップ勝ちした記憶があるんですが、今になるともっといろんな言葉が出てきます。
 その当時知らなかった言葉を新たに覚えたというのもありますね。その一つが「担板漢」です。
 「たんぱんかん」あるいは「たんはんかん」または「たんばんかん」。ご存知ですか?
 私は禅語としてこの言葉を覚えました。何の本に出ていたか忘れましたけれども。
Imgres 「担板漢」、その字のごとく「板を担いでいる男」という意味です。
 板を担いでいる人間には、板の片面しか見えませんよね。さらには板に遮られて向こう側の風景も見えません。つまり、「担板漢」とは、物事の一面しか見えていない状態のことを言うのです。視野が狭く、自分の考えにこだわってしまう人。
 たとえば昨日の「山本太郎問題」にしても、ほとんどの人は、担いだ板の「山本太郎のふるまい」という側面しか見えなくなっていて、その裏側にある天皇陛下のふるまいについては、ほとんど誰もが言及しなくなっていました。
 私は、人に「アマノジャク」とよく言われます。自分でもそうだと思います(笑)。
 それは実は意図的にそうしているということもできます。つまり、人が言っていることの裏側をあえて見てみるということですね。すると、案外モノの本質が見えてくることがある。
 なんとなく皆さんもお分かりになるでしょう。
20131106_110236_2 こんなことは大人にとっては当たり前でしょうけれども、私は、物事を見て判断する時に、「一」からスタートして「二」、そして「三」…そして最低「六」まで行ってみることにしています。
 すなわち、一つの考えや感情が湧いた時は、それをすぐに表明するのではなく、まずその裏側、反対意見、矛盾点に立ってみることをします。違う言い方をすると、とりあえず「二元論」で世界を見てみるということです。
 そして、次は二元論を超える視点を探してみるんですね。盲点を見つけるのです。それこそアマノジャクと言われるゆえんかもしれませんが、実はそれが案外楽しいんですよ。
 板を担いだ時は、とりあえずちょっとその板を持ち替えてみて、裏側はどうなってるのか見てみる。さらに、その板にも厚さがあるでしょうから、その細い狭い側面も見てみる。
 そうすると、お分かりになりますよね、四角い板には、最低でも六つの側面があるのです。そして、さらにその向こう側の空間まで含めると、ほとんど無限の風景が広がってくるのです。
 そういうイメージで立体的に世の中の事象を見ると、本当にたくさんの発見がありますし、世の中の多様性に感激しますし、また二元論的な対立を避けることができます。
 ぜひ、皆さんも何かを考える時、板を担いでいる(担ぎ直している)自分をイメージしてみてはいかがでしょうか。


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2013.11.04

山本太郎問題

7242_1 意見をとのことなので、少し。
 タイトルは「山本太郎問題」としましたが、この「問題」は今回の「直訴の無礼」に限らないわけですね。
 たしかに、山本太郎自身の「問題」もあります。いちいち挙げませんが、まさにシロウトは政治に関わっていはいけないということが起きていますね。
 しかし「問題」の本質は、実は違うところにあります。
 それはつまり、山本太郎一人ごときに、シロウトである民衆はともかく、政治や言論のプロが振り回されているという問題です。そして、その結果、大切なことを忘れているということです。
 実際、天皇陛下は見事にスルーしたわけですから、私たちもスルーしつつ、内側で心を痛めればいいのではないかと思います。
 これは文化の問題です。昨日書いた通り、文化とは言葉にならない、だから法で全て解釈できるものではありません。まずそこを勘違いしてはいけない。
 ああいう場で、ああいうものを、ああいう形でお渡しするというのは、国会議員である以前に、一人の日本人として実に恥ずかしいことであります。「恥」は明文化できません。
 山本太郎自身が恥をかいたわけですから、彼自身が自らの国会議員としての不適格性を認識し、さっさと自ら職を辞すればよい。私が望むことはそれだけです。
 もちろん、現代ですから、腹を切れとは言いません。しかし、私が間違ってそんなことをしてしまったら、きっとあまりの恥ずかしさと日本の文化に対する申し訳なさで切腹したい気持ちになるでしょうね。
 逆に、天皇陛下は見事でした。あのような無礼もしっかり受け取りつつ、きれいにスルーした。まさに清濁併せ呑む度量の大きさを顕された。
 国にはいろいろな民がいます。その全てを包み込む「和」の精神がそこには感じられました。
 そういう意味では、山本太郎もある種の国民の代表なのかもしれませんね(苦笑)。
 では、一人の戦後教育の被害者が馬鹿なふるまいをしてしまったということでいいのか。いや、よくない。そこにこそ「問題」を見るべきです。
 おそらく聡明なる天皇皇后両陛下はこの「問題」を、福島の実態を知るというよりも(私たちよりずっと知っておられるに違いありません)、そうした戦後の実態を知る機会とされたのではないでしょうか。そして、そこに心を痛められたに違いありません。
 私たちも陛下のお心を察し、同様な憂いを抱けばいいのです。古来、天皇と私たちの関係はそういうものであったと私は考えています。
 繰り返します。山本太郎「問題」とは、山本太郎自身の問題と言うよりは、私たちが彼の低い品性に振り回され、天皇陛下の高い品格から学ぶことを忘れていることです。
 最後にもう一度上の写真をご覧ください。天皇陛下、皇后陛下のお顔、お姿から何かが伝わってきませんか。それを読み取るのが、私たち国民の大切な義務です。

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2013.11.03

文化の日に思う…おそるべし日本文化

 日はいろいろあったので日記風に。
 お昼までダラダラし、上の娘とその友だちを乗せて東京へ。
 千駄ヶ谷のいつもの駐車場に車をとめて娘たちは秋葉原、私は明治神宮へ。
 そう、今日は文化の日。娘たちは「サブカルチャー」を満喫しにアキバへ、私は明治天皇のお誕生日をお祝いしに明治神宮へ、というわけです。
Img_7466 「文化の日」がかつての天長節、明治天皇の誕生日だということを、皆さん知ってましたか?
 今日も明治神宮には大変たくさんの日本人、外国人の方が参拝されていましたが、今日がまさに御祭神様のお誕生日であるということを、どのくらいの方が意識されていたことでしょうか。
 もしかして、外国人の方の方がよく分かっているとか。
 その事実を知らないで参拝している日本人が多いとすると…クリスマスにその意味を知らずに教会に通うクリスチャンみたいなものか(笑)。
 だいたい、明治神宮には明治天皇が祀られいてるということすら知らない、ほかの普通の神社と同じ感覚で参拝している日本人も多いのではないでしょうか。これはすごいことですよね。
 いや、私はそれを憂えているわけではありません。そうした無意識化(コト化ではなくモノ化)こそが、日本の「文化」そのものだと思っているからです。
 無意識化することによって生き残るということがあるのです。たとえば真剣に戦前を否定するとするならば、国家神道の象徴たる明治神宮など、とっくになくなっているか、あっても普通の人は参拝できなくなってしまいますよ。そうですよね。
 戦後レジームだのWGIPだのGHQの陰謀だのいろいろ言われることも、あれらだって実は私たち日本人の深いの知恵だということもできるのです。
 だって、いつも書いているように、最も戦前戦中嫌いなはずの学校現場には、ものすごくたくさんの戦争文化が無意識化されて残っているじゃないですか(高校野球やリコーダーや体育座りやラジオ体操の話はブログにも書きました。探してみてください)。
 面白いですね。
 さて、明治神宮でお誕生日祝いをした私は、初台までお散歩。向かうは東京オペラシティです。
 いつもはトイレを借りるばっかりのオペラシティ(笑)。今日は3階にあるアートギャラリーが目的地です。
Img_7473 「五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」という興味深い展示を観てまいりました。
 最近、その道の専門家でもある調律師の梅岡俊彦さんにいろいろ教えていただきながら、ちょっと日本の洋楽受容のプロセスを勉強しております。特に古楽。
 残念ながら古楽はほとんど登場していませんでしたが、いわゆるクラシックの分野の展示は、なかなか興味深いものが多々ありました。
 ヨーロッパが400年ほどかけて積み上げてきた文化を、ほんの数十年で自家薬籠中のモノとして、あるいはそれを凌駕していってしまう日本の恐るべき受容能力と、そして、苦悩しながらも「日本的なるモノ」と西洋的なるコトを見事に融合していってしまうその包容力に驚きを禁じえませんでした。
 ほとんど笑っちゃうほどです(笑)。音楽だけでなく全てについてですからね、実際は。まあ異常ですよ、世界標準からすれば。
 全体としては1000円の入場料でも納得の展示内容でした…いやいや、待てよ、一つ不満があったな。古楽がなかったことではありません。
 娘たちは車の中でもまたアキバでもボカロ一色でしたが、初音ミクの誕生が展示の中の巨大な年表に記されていなかったのだけは納得がいきませんでした(笑)。
 さて、初台から再び歩いて千駄ヶ谷へ。9日のコンサートの練習です。
 素晴らしいコンサートになりそうです。まだチケットありますので、ぜひおいでください。
 ある時期、私はなんで現代日本人である自分が、17世紀のヨーロッパ貴族音楽なんかやってるのかと疑問に思ったこともありましたが、今は完全にそんなつまらんレベルでの悩みは乗り越えてしまいました。地球、宇宙レベルで見りゃ、時空を超えて同じ人間のやってることですからね(笑)。いや、まじで。
 さてさて、練習が終わって娘たちと合流し、途中楽天の優勝に歓喜しつつ(判官贔屓も日本文化ですな)富士山に戻りました。
Img_01 そして録画してあったNHKスペシャル「至高のバイオリン ストラディヴァリウスの謎」を鑑賞。いかにもNHK的(日本的)な科学的分析の成果と限界という感じの内容でしたね。それなりに面白かった。
 なんとなく単純に、ストラディヴァリウスも完成当時はモダンぽい音がしてたんじゃないのかな、などと意地悪な感想も持ってしまうのでした(笑)。
 私のバロック・ヴァイオリンは故デイヴィッド・ルビオによるアマティのコピーです。聞いた話によると、ニスには火山灰を配合したのだとか。まあ、いろいろ謎があるから魅惑的なんですよね、ヴァイオリンは。
 ところで、タイトルですが、ストラディヴァリウスと表記するなら、バイオリンもヴァイオリンの方がいいような気がしますが。これもまた西洋文化受容の問題ですか。


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2013.11.02

耀盌(ようわん)王仁三郎の楽焼き

 つも使っているMacBookが事情で手元にないため、記事を書くのに非常に苦労しております。
 親指シフターは大変です(笑)。
 ということで、今日はYouTubeの動画を貼り付けます。
 最近、我が家には毎日のようにお客様がいらっしゃいます。皆様、それぞれ別々の分野でご活躍の方々ですが、共通していることは、真剣に世の中がよくなるようにと尽力なさっていることです。
 そして、皆さんの来訪の目的は、我が家でお預かりしている出口王仁三郎の耀わん「十和田」との出会いであります。
 本当にここのところ「十和田」が大活躍なのです。奇跡の連続。皆さん、それを体感してお帰りになられるようです。
 実は日本を動かす、世界を動かすあの方もあの方も…。
 (変な話ですが)最近特にお茶碗自身がその存在を発信したがっているので、今日は耀わんについてご存知ない方のために分かりやすい動画を紹介させていただきます。
 興味をお持ちになった方は、ぜひ我が家においでください。見るだけでなく、触っていただき、また、富士山の水を注いで飲んでいただいたりすることができます。
 今こそ、みろくの世実現のために体現力を結集いたしましょう。


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2013.11.01

デジカメ・キット『Bigshot Camera』

 ょっとこれ、ほしいですね。
 コロンビア大学の教授が子供のために開発したキット。
 いや、子供のためと言いつつ、箱には「8歳から108歳まで」と書いてある(笑)。面白いですね。
 20個弱の部品数ですから組み立ても簡単。
 そして、スケルトンなので、組立後も手にした部品が見える。
 詳しいことはこちらの記事をご覧いただくとして、何がいいかというと、まずチープなところ。
 最近のデジカメにはない遊び心がありますね。かと言ってトイカメラと言うのはもったいないくらい高機能です。
 いや、高機能と言ってもチープな高機能ですよ(笑)。
 まず面白いのは手回し充電機能。電池切れの心配がありません。いつも書いているように、デジカメとケータイ(スマホ)のバッテリー問題はなかなか解決しません。精神衛生上よくないんですよね。
 だから私が持っている数台のデジカメは全て乾電池仕様です。このビッグショットは充電式電池ですが、手回し機能があるので、ある意味乾電池仕様以上の安心感ですね。
 それから回転式のレンズ交換機能があること。普通のデジカメでもあまり見ませんよね。
 それもノーマルとパノラマ(魚眼)と3D。ステレオ写真マニアとしてはたまりませんね。
 上に紹介したレビューを見ると、画質もいい味ですね。トイっぽいけれど、トイよりは普通。私にとってはちょうどいい感じです。
 そう、あんまり画素数が多く、また画質がシャープですと、いい写真を撮るのが大変になるのです。大変というのは真剣に撮らなければならないということです。
 内蔵メモリーに120枚保存できますから、まあ普通の使い方なら充分ですよね。そのあたりのさじ加減が見事ですね。
 案外これは理想のデジカメなのではないか。
 実はもう数年前に開発されていたのですが、ここへきてようやく日本でも発売になりました。
 もうすぐアマゾンでも購入できるようになるとのこと。
 自分へのクリスマスプレゼントに買おうかなと考えています。
 今日は事情でパソコンが使えないのでこのくらいにします。

Amazon 組立式DIYデジタルカメラ【Bigshot Camera】

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