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2013.10.31

モルゴーア・クァルテットによる「プログレ」

 日は朝からぶったまげました。NHKBSの「クラシック倶楽部」、いきなり司会がピーター・バラカン。土曜の朝じゃないぞ(笑)。
 そして、かっこ良すぎ。
 プログラムは次の通り。う〜ん、やられたなあ。

 モルゴーア・クァルテット~プログレッシブ・ロックに挑む~

「21世紀のスキッツォイドマン」
  (作曲)キング・クリムゾン (編曲)荒井英治
「月影の騎士」
  (作曲)ジェネシス (編曲)荒井英治
「弦楽四重奏曲第7番作品108」
  (作曲)ショスタコーヴィチ
「悪の教典#9第一印象パート1」
  (作曲)エマーソン・レイク&パーマー (編曲)荒井英治
「暗黒」
  (作曲)キング・クリムゾン (編曲)荒井英治

 第1ヴァイオリンで編曲者でもある荒井英治さんは東京フィルハーモニー交響楽団のソロ・コンサートマスター。ロック大好き男。
 第2ヴァイオリンの戸澤哲夫さんは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のコンサートマスター。
 ヴィオラの小野富士さんはNHK交響楽団の次席ヴィオラ奏者。
 チェロの藤森亮一さんはNHK交響楽団首席チェロ奏者。
 うまいのは当然ですね(しかし、実際にはロックということで許されるであろう音程の不正確さなどはありましたが)。
 ヴァイオリン族の楽器がロックに関わるということで言えば、私の音楽体験のベースにあるELOカンサスメタリカとそれをチェロで弾いちゃうアポカリプティカ、ビートルズの完コピ古楽合奏団Les Boreadesなどを聴いて来ました。
 そして、自分自身もエレクトリック・ヴァイオリンを振り回してロック(もどき)をやってきたし、それこそ「プログレッシヴ・バロック」という合奏団を組織していたという経験もあります。
 しかし、さすがにモルゴーア・クァルテット並みのチャレンジは初めて観た、いや聴いたなあ。この完成度は完全にクラシックの系譜上にある。ショスタコーヴィチとなんら変わりませんでした。いや、ショスタコが二流のプログレという感じ(失礼)。
 もともとプログレッシヴ・ロックは、大衆音楽であったロックが芸術性に挑戦したものでした。当然そこにはクラシックの技法が積極的に取り入れられました。
 それが、時代を経て、こうした逆流現象を起こしている。これは実に面白いですね。そして、自然でもあります。
 だいたいが、いつも言っているように、ヴァイオリン族なんてのは実に野蛮な、ロックな楽器だったわけです。
 だから、放送の冒頭から四人の奏者の弓の毛がぶっちぎれているを見て、ああ、これこそヴァイオリン族のあるべき姿だと思ってしまいました(笑)。
 荒井さんのプログレラヴぶりには感動ですね。それが編曲や演奏からガンガン伝わってくる。他の奏者たちも、すっかり荒井さんによってプログレに開眼させられちゃってる。いいことです。
 それにしても、やっぱり当時のプログレの皆さんって、すごい作曲センスと演奏技術を持っていましたね。
 本当にいろいろ意味で久しぶりにドキドキさせられた音楽番組でした。プログレの魂はまだ生きてるなと。
 

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2013.10.30

追悼 川上哲治さん

20131031_95213 た昭和の偉人逝く。川上哲治さん。昭和の野球少年であったワタクシにとっても偉大な神様でありました。
 1965年から1973年までのV9時代、その後半はまさに私も野球に興じ、巨人軍多摩川グランド(の横の空地)によく通っていた頃であります。
 ここのところ岩谷時子さん、やなせたかしさん、そして川上哲治さんと続けて昭和の偉人が亡くなりましたが、お三人とも93、4歳ということで、本当に長生きでいらっしゃいましたね。
 あの時代の方々は生き強い。戦争を体験されているというのは大きいでしょうね。若い頃の栄養状態は決してよくなかったと思うのですが。やはり生命力というのは、そういう生物学的なものとは別の次元にあるのでしょう。
 さて、打撃の神様川上哲治さんに関しましては、ワタクシは野球とはまたちょっと違う方向で間接的なご縁があります。
 川上さんと私をつなぐハブは美濃加茂の妙法山正眼寺であります。
 私の奉職する中学高等学校の初代名誉校長は、正眼寺の住職であったかの名僧梶浦逸外老師です。
 逸外老師は、川上哲治さんや笹川良一さんなど、まさに昭和の巨人たちに慕われ、尊敬された「日本で一番やかましく高潔な」超巨人であります。
 川上哲治さんは正力松太郎さんに逸外老師を紹介されたとのこと。その時のことを、川上さんは次のように記しています。

 …正力さんの添書をもって正眼寺を訪ねたのは、昭和三十三年の十二月であった。
 この時、逸外老師はわたしに数々の質問をされたが、ある質問の答えにわたしが「球が止まって見えた」と答えたのに対し、「よし、君は野球で一応のところは得ている。しかし、それだけでは駄目だ。それをもっと掘り下げて、諸事万般に応用が効くように修行することだ。今、自分が見えるところに酔っていたら、野球だけの人生で終わってしまう。技術の面では本物であることには間違いないが、しかし氷のように固まってしまっている。これから私も指導するから、君もそのつもりで氷を水に溶かす修行をしなさい。水に成り切れば、高い所も低い所も自由に流れることができ、顔も洗えれば飲むこともできる。そして最終的に、野球道というものをつくり上げていくことを約束するなら許そう」といわれた。
 わたしは、大変ありがたいお言葉と受けとり、その二日後から約1か月の僧堂生活に入った。僧堂での老師の指導は恐ろしく厳しいものであったが、遷化されるまでの20余年間、その修行は続いた。
 厳格な老師は、「一方、やさしい人でもあった。監督に就任してからのことであったが、わたしのチームが三戦、四戦と敗けが続いていた時、老師から電話があって「おめでとう」いってこられた。
わたしには、何の意か分からなかったが、「四連敗もしていればこれ以上悪くはならんだろう。これからは登るだけだ。これが勝ち続けていたのでは、いつ敗けるのだろうかと心配でたまらん」とおっしゃる。「窮して変じ、変じて通ず」とは、老師からよくいわれた言葉だが、敗けた時にはその敗因を考え、二度と失敗しないように心掛けることになるから、ひいては勝つことに通ずることを教えられた。まさに、あの九連覇の因は正眼寺にあった、と思っている。(「底なし釣瓶で水を汲む - 逸外老師随聞記」より)

 有名な「球が止まって見えた」という言葉は、逸外老師との会話の中で発せられたものだったのです。
 動いているボールが止まって見えるというのは、たしかに「禅的」ですね。しかし、それはスタートであり、そこからいかに自らの人生全体、あるいは世の中全体に「禅的体験」を敷衍していくか。さすが逸外老師は禅僧としてもレベルが違います。
 いずれにせよ、私としては、間接的にではありますが、しかし、非常に本質的なところで川上哲治さんとご縁をいただけたということは望外に幸せなことです。
 私はもちろん「球が止まって見えた」という境地には至っていませんが、ただ、実際にそういう世界がこの先にあることだけはなぜか確信しています。そういう風景に身を置くことができるかどうかは、ただただ未来への夢を持つことと、そして、それに見合った修行的な生活をするかにかかっています。
 そんなことを改めて思い起こさせてくれた川上哲治さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

Amazon 底なし釣瓶で水を汲む - 逸外老師随聞記

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2013.10.29

カホン(Cajon)

Img_7462 ェンバロ用の椅子…に見せかけて、実は打楽器です。
 下の娘の誕生日プレゼントに買いました。
 下の娘は全く欲のない人間でして、プレゼントもいらないとか、なんでもいいとか、お米でもいいとか、まあ不思議なことを言ってました(笑)。
 では、家族として使える物を買おうということで、カホンを買ったということです。
 カホン、ご存知ですか?
 ペルー生まれの打楽器です。簡単に言えば、椅子代わりにもなるただの箱。その箱を叩くと響鳴してなかなかいい音がします。
 最近ではストリート・ミュージシャンがドラムス代わりに使っている光景をよく見ますね。
 今回ウチで買ったのは友澤木工さんの製品。そのデモ演奏動画があったので、どうぞ。

 基本は穴の開いたただの箱ですが、中に響線が4本張ってあり、さらにスナッピーも装着されています。それぞれの張り具合や位置を調整できます。
 シンプルなだけに調整のしがいもあるし、なにしろ演奏のヴァリエーションが無限にあります。
 叩く場所によって、それこそいろんな音色を楽しめますね。手ではなく、マレットやブラシを使うと更に可能性が広がります。
 普段はチェンバロ用の椅子として活躍しますし、カホンを叩きながらチェンバロを演奏するという荒業もできる(笑)。いや、カカトで叩くこともできるので、ヴァイオリン弾きながらとか、一人バンドができるんですよ(ま、今のところそんなテクニックはありませんが)。
 持ち運びも簡単。ウチは家族バンドをやってますから、これからはこれも車に積んで運び、下の娘に叩かせようかと思っています。あいつ楽譜読む気とか全くないから、打楽器が向いてるだろう。
 お値段もそれほどではないし、楽器として使わない時は、椅子や何かの台として使えるので邪魔になりません。おススメですよ。
 ストレス解消に叩くのもいい。ただし、けっこう大きな音がするので、近所迷惑にならないように(笑)。
 一つ心配なのは、あの穴から猫たちが入り込まないかということです…というか、入っているとこ見てみたいかも。入れてみよう(笑)。

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2013.10.28

『安倍晋三と岸信介』 大下英治 (角川SSC新書)

20131029_91511 400ページを上回る分厚い新書。しかし、読み切るのにそれほど時間は要しませんでした。
 まあ、私の読書法は精読しない「即読」ですから。内容を把握、記憶していくというよりは、読みながら別のことを妄想するという感じ。
 すなわち、その本の情報を風景として眺め、その時自分がどんなことを思うか、思い出すか、思い描くか、それが肝心なのです(変な読み方ですみません)。
 では、この「安倍晋三と岸信介」という壮大な風景を見て、私に何が降りてきたかというと、それは「安倍寛」です。
 そういう意味では、この記事も全くレビューの体をなしていないものになってしまいます。いつもの読者の皆さんは慣れていらっしゃると思いますが、検索していらした方には…どうもすみません。
 安倍寛(あべかん)…そう、安倍総理のもう一人のおじいちゃんです。
 ご存知のとおり、岸信介は母方の祖父。あまりにも有名な昭和の妖怪です。
 一方、父方の祖父が安倍寛です。
 全く不思議なもので、ちょうど今日、東亜日報(!)に「安倍首相、もう一つのDNA」というコラムが掲載されました。安倍寛をほとんど知らない私たち日本人にとっても、なかなか分かりやすい切り口の記事です。ぜひお読みください。
 私は政治や歴史にはとんと疎いので、別の観点から申しますが、やはり私としても「もう一つのDNA」に注目したいと思います。
 安倍晋三総理のお父さん安倍晋太郎は「俺は岸信介の娘婿じゃない。安倍寛の息子だ」との思いを強くしていたと聞きます。それはそうでしょう。
 晋三さんには当然、岸信介の遺伝子も流れ込んでいますから、お父さんとは違った感覚であって構わないと思います。
 しかし、ご本人にしても私たちにしても、その関心が母方の祖父にだけ偏るのは問題がある、いやそこにこそ意味があると感じます。
 たとえば私なんかもですね、父方の祖父と母方の祖父では、母方の方が意識の上では印象が強い。同じ私学の教員ですし、父方の祖父よりもずいぶん長生きして、「大人の私」に大きな影響を与えました。
 安倍寛は昭和21年に若くして亡くなっていますので、晋三さんにとっては全く実感のないおじいちゃん。それに比べ、この本にもあるように、岸信介はずいぶんと晋三さんを身近に置いて可愛がったようです。
 だから私もよく理解できるんですね。
 しかし、私の場合、最近、無意識の中から、父方のDNAが蠢きだしているのを感じているのです。そのことについては『諏訪大社と武田信玄』という記事に少し書きました。
 私が妄想するに、今、安倍晋三首相の中にも、「安倍氏」の血が動き出しているのではないかと。そして、これは妄想ではありながら、なぜか正しいとの確信さえあります。
 「今松蔭」と呼ばれ、地元では大変な人望があったという安倍寛。そして、政治的には反戦派、ハト派、平和主義者として評価されています。しかし、その一方で、病気や家庭の問題を抱え、決して幸福、順風満帆だったとは言えない人生を送っているのも事実です。時代も悪かったのかもしれません。
 いずれにせよ、安倍晋三の中に、あまりに対照的なDNAが流れていることに対して、私はある種の希望を感じます。
 7月に記事「菅菅諤諤?」で軽く触れたとおり、安倍晋太郎さんは自らのルーツを奥州安倍氏、安倍宗任であると強く信じていたようです。その事実は昭恵さんにも直接確認しました。きっと晋太郎さんは父である寛さんから、そういう話を聞いていたでしょう。
 安倍晋三、安倍晋太郎、安倍寛〜奥州安倍氏〜そして…。この流れは、これからの日本にとって、非常に重要になってくると思います。
 今、「体」の世界では岸信介にスポットライトが当たっていますが、「霊」の世界ではしっかり安倍寛が生きています。そこにこそ、私は大きな意味を見出します。
 なぜなら、私の知る限り、安倍晋三首相は「霊主体従」の人だからです。

Amazon 安倍晋三と岸信介

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2013.10.27

感謝!400万アクセス達成

20131028_110130 かげさまで、当ブログは昨日400万アクセスを達成いたしました。本当にありがとうございます。
 2004年5月2日に始めた「不二草紙 本日のおススメ」も今年で10年目。いちおう一日も欠かさず書いてまいりました。
 もともとは、まだブログが一般的でなかった頃、私の個人サイト「不二草紙」の「一日一つおススメコーナー」として始めたものでした。
 それをココログに移行したのが、たしか2004年の9月だったと思います。そこからアクセス数をカウントし始めましたから、丸9年での400万アクセス達成ということですね。
 それこそ最初は一日10件くらいしかアクセスがなかったのが、今ではだいたい2000くらい。本当に「継続は力なり」だと思います。
 実はここのところ少しアクセス数が減っています。というのは、Googleのアルゴリズムが変わったおかげで、私のブログの検索順位がかなり下がったのです。
 まあ、これは分相応ということで納得しています。以前が高すぎたんですよね。私のハッタリ情報にGoogle様が騙されていたということです(笑)。
 この10年ほどの間に、世の中も私もずいぶん変わりました。その変化の中で、ある意味、このブログの内容やスタイルはあまり変わっていないとも言えます。
 完全なる書きおろし。書き下ろしではなく「書き降ろし」ですよ。つまり、「自動書記」の一種です。
 これを書こう、こう書こうなどとは一切考えず、「降りてくる」ままに親指シフトキーボードを叩いているだけです。
 そういう意味では、私はまさに「ミーディアム(メディア)」。イタコみたいなものなのです。
 ですから、皆さんもこのブログの言葉は、私が書いていること、私の経験や考えではなく、神の思し召しだとお思いください(冗談です)。
 いやいや冗談でなく、そうした「他者性(モノ性)」はいろいろと不思議なことを引き寄せました。ネット上の八百万(の半分)のアクセスが、リアル世界でのとんでもないご縁を生み続けています。
 正直、このブログを始めていなければ、今の私のこの生活、人脈、人生はありません。自分で自分を褒めてあげたい…ではなく(笑)、誰にともなく感謝いたします。これぞ霊界の仕組みでしょうか。
 それにしても、一番最初の記事と比べると、ずいぶん文章が長くなっていますね(苦笑)。饒舌になっているということでしょうか(長すぎて読む気がしないとよく言われます)。
 これを機にまた短めの文章を心がけましょうか…無理か。
 あっそうそう、これを機にと言えば、アクセスカウンターを変えました。それこそ時代が変わり、スマホからのアクセスが半分くらいになりましたので、そちらのアクセスも漏らさず数えてくれるものに変更しました。
 次はとりあえず八百万(やおよろず)を目指します。
 毎日のように欠かさず(懲りずに)読んでくださっている方々、そして検索で通りすがってくださった方々、皆さまに心から感謝申し上げます。
 今後とも変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。少しでも世の中を良くするために役立つ情報を発信していけるよう精進します(もちろん「古今東西 硬軟聖俗 なんでもござれ」なので玉石混交ですが)。

 

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2013.10.26

『次に来る自然災害 地震・噴火・異常気象』 鎌田浩毅 (PHP新書)

173143_01_1_2l 明のアウターライズ地震M7.1、びっくりしましたね。
 私の富士山のラドン濃度観測からすると「富士山から比較的遠い地域で中規模以上、27日から1週間が注意期間」でしたので、直前の注意喚起をする前に発生してしまいました。
 今回は規模の割に揺れが小さかった。それはもちろん震源が海溝の外側ということで、陸地から300km近く離れていたからです。
 しかし、これは逆に言うと怖いことです。
 明治29年6月15日に発生した明治三陸地震では、最大震度は秋田県で震度4であったにも関わらず、岩手を中心に太平洋側に巨大津波が襲来しました。最大遡上高はなんと38m超。
 住民は震度3程度だったので大いに油断してしまい、2万人以上が亡くなっています。
 マグニチュードは8.5。震源は陸地から200キロ東方。規模も距離も今回の地震とは違いますが、陸地での揺れはほぼ同じ程度でした。
 明治三陸津波は海外にも到達しています。ハワイで波高10m、アメリカ西岸で3m。
 揺れの大きさと津波の大きさは全く比例しないことが分かりますね。
 こういう知識があるとないとでは、命を守れるかどうかに大きな差が出ますね。
 今回の津波注意報は1mということでしたが、明治三陸津波の知識を持っていた人はより厳重な注意をしたことでしょう。それで良いのです。
 私もすぐに上記のような内容をツイートしました。結果として空振りでしたが、それで大いに結構です。
 今回、地震に関する注意喚起が遅れたのは、正直言うと台風に気を取られていたというのもありますね。27号、28号の動きばかり追いかけていましたから。
 本当に日本というのは自然災害の多い国ですね。
 さてさて、この本は、そうした日本を襲うと予測される(ほとんど100%の確率)、大地震、津波、火山噴火、台風、異常気象、ゲリラ豪雨、落雷、オゾン層の破壊などについて、我々素人にもわかりやすくその現象、メカニズム、対策を解説してくれています。
 やはりそれぞれの自然災害についての知識があると、的確な避難や対策が可能になりますし、パニックに陥ることもありません。
 そういう意味で、この本は実に素晴らしい本です。難しくなりがちな科学的事項を易しく優しく語ってくれているのです。
 以前紹介した鎌田さんの富士山噴火に関するこちらこちらもそうでしたが、鎌田さんの人柄というか、私たち庶民に対する科学者としての愛情のようなものが伝わってくるんですよね。
 やはり研究者の究極の役割というのは、自らの専門的知識を庶民に啓蒙することだと思います。そこには当然、愛情や善意が伴うべきですね。
 というわけで、この本は日本人なら必読の書と言えそうです。最後は自らの判断で自らの命を守るしかないのです。正しい知識を身に付けましょう。
 逆に…あんまり言いたくありませんが、こちらのような扇動と悪意に満ちた本を書くような人には科学者を名乗ってほしくないですね(苦笑)。

Amazon 次に来る自然災害

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2013.10.25

『新約 出口王仁三郎の霊界からの警告』 武田崇元 (学研パブリッシング)

224 日、中二病の話を書きましたね。私の中二病の原点は武田崇元さんにあるかもしれません(笑)。ムーとか八幡書店とか。
 特に八幡書店さんにはお世話になりましたし、今でもお世話になっています。富士古文献(宮下文書)のこともありますし。
 八幡書店の社主である武田崇元さん、まあ内外からの毀誉褒貶の激しい方ではありますが、1980年代からの第二次オカルトブーム(第一次は戦中まで)の立役者として非常に重要な人物であることはたしかです。
 オカルトというと眉をひそめられる方が多いでしょう。しかし、それはある意味では「戦後レジーム」からの脱却の一つの方法であったとも言えます。
 戦中までのいわゆる「心霊ブーム」は当時の日本の政治、軍事、経済、文化、そしてもちろん宗教にも多大な影響を与えています。いや、影響ではなく、それらの本体であったとも言えます。
 もちろんそれは、西洋の帝国主義、あるいは国際金融資本などに対抗する純日本的な霊的世界という、ある種のフィクション(カタリゴト)として機能していた部分もあります。
 ただ、やはりフィクションとしては片付けられないモノがあるのも事実であり、私はそこにどうしても反応してしまうのです。これはもう理屈(コトワリ)ではありません。
 どうも日本人としての自分の遺伝子に、そういう中二病の病巣があるようなんですね。
 年をとったら、きっとそういうモノに反応しなくなるのだろうと思っていました。私の父親なんか完全なる唯物論者なので、いまだに私のこういう言動に批判的ですしね。いちおう子どもの頃から、大人の男というのはそういうものなのだろうと思っていましたから。
 しかし、どうも私は死ぬまで「霊(モノ)的世界」と付き合っていかなければならないような予感がするんですよね。いや、予感じゃなくて確信だな、これは。
 教育者がそんなことでいいのかと、それこそ戦後レジームに慣らされた大人から批判を受けそうですが、教育こそ、「イキモノ」相手の仕事であり、市場経済の外にあるべきモノであります。霊的人間でないと教育はできないとまで思っています(もちろん、幽霊が見えるとか、そういう次元ではありませんよ)。
 というわけで、久しぶりに(1983年の初版以来ですから30年ぶりに)再登場した武田崇元さんの「出口王仁三郎の霊界からの警告」、これは戦後のそうしたモノ世界の集大成として、素晴らしい力作になっています。
 こういう世界に初めて踏み入る方にはちょっと難しい、それこそアブナイ内容かもしれませんが、たとえば30年前にはそういう世界に親しみ、今は立派な大人になってしまった方などには、非常に懐かしく刺激的で、そしてとても新しい「今」的な作品になっているのではないでしょうか。
 オカルトブームの最前線を戦ってきた武田さんならではの、豊富な知識と思索、そして直観が満載。さらに不思議なほどに日本文学の香りが漂う文体で、ぐんぐん私たちを「モノガタリ世界」に引き込んでいきます。筆力あるわ。
 私個人としても、ここ1年ほど出口王仁三郎が発動しまくっているのを感じています。もしかすると、(その表現がいいか悪いか別として)第三次オカルトブームがやってくるのかもしれません。
 それは「モノ」の復権です。近代西洋的な「コト」世界に対して、幽閉されていた「モノ(霊・神・魂・鬼)」の反撃が始まる…中二病すぎますな(苦笑)。
 いや、冗談ではないのです。歴史はそうして動いてきました。モノとコトのせめぎ合い。
 出口王仁三郎は「霊主体従」あるいは「霊五体五」を標榜しました。「霊」はモノ、「体」はコトです。近代日本は「体主霊従」の世の中になってしまいました。
 私は今、「霊」だけではなく、それを体現することを実行しています。ただ思っていたり、願っていたり、祈っていたり、研究したりだけではダメなんです。形に表さないと。
 以前の私はある意味「霊」に偏っていました。しかし、今年2月、仲小路彰に出会ってから、「体現」の具体的方法を学びました。
 私にとっては、出口王仁三郎と仲小路彰は一直線上に並んでいます。まさに二人の「霊界からの警告」が聞こえてきています。
 そんな霊的(中二病的)世界に興味のある方は、ぜひこの武田崇元さんの本をお読みください。あなたの人生そのものの目的が変わるかもしれませんよ。

Amazon 新約 出口王仁三郎の霊界からの警告

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2013.10.24

中二病と神〜「空想少女への恋手紙」

Kuro_131024miku021 日から「デジタルコンテンツEXPO 2013」が始まりました。
 そこで人気なのが、初音ミクと握手できるという「Miku Miku Akushu」です。
 大の大人が、自らの妄想を実現するために、超最先端の技術を駆使している様子、あるいは、それを体験して心から感動している様子は、これはこれで素晴らしく日本的な光景であると思います。
 すなわち「中二病」は日本のイノベーションの源泉なのであります。
 いやあ、つくづく自分も中二病だと思いますよ。そしてそれを誇りに思います(笑)。
 中二病の治癒を拒んできたおかげで、世界を動かすまでになりました…って、かなり重症ですよね(笑)。ま、本当だから仕方ありません。
 その病気の基本には妄想力があります。妄想力とは未来に対する創造力です。過去や現在、あるいはお金や物質に対する興味や執着がない代わりに、こういう世の中にしたいという未来への興味や執着は人一倍あるのです。
 自分に未来に対する妄想は、あえて言うなら、そういう理想の世の中を創ることに貢献している自分像ということになりましょうか。
 未来は目に見えない、そしていくらでも変えられるモノです(過去は変えられないコト)です。それに執着するということは、当然、非現実的なモノ、たとえば「霊」や「神」の世界も普通に信じることになります。
 近代はそうしたモノを排除してきました。本来人類はモノ世界をコト世界よりも上位に置いて生活したきたはずなのに。
 特に日本人はつい最近まで(おそらく戦中まで)モノを上位に置く生活をしてきたと思います。また、その傾向が強い民族であったと思います。
 今日は、そんな日本が得意としている「中二病」について、リアルな考察してみました。というのは、中二の娘がまさに中二病真っ盛りでして、その言動が面白すぎるというか興味深すぎまして(笑)。
 たとえばテスト勉強のやる気を出すために、自分の好きな二次元キャラを妄想して、「頑張れ!」と言わせるとか、妄想世界のキャラが実在しているのではないかと探してしまったり、あるいは街で突然出会ってしまうのではないかとドキドキしたり(笑)。
 しかし、これは笑えませんよね。私も昔はそうでしたし、今でも、ちょっとジャンルは違いますが、亡くなってこの世にいないはずの出口王仁三郎や仲小路彰の「声」を聞こうとしたりしてますからね。
 で、実際、私もそれで自分の人生を動かしているところがあったりする。全然娘を笑えません。
 あと、娘の話で面白かったのは、たとえば「ガチで二次元に恋した時にありがちな事」にあるように「恋したキャラが見ているような気がしてゴミを拾ってしまう」というようなことがあるという話。
 つまり、いい人になっちゃうわけですね。これって「お天道さまが見てる」っていう日本の古典的な行動規範じゃないですか。お天道さまとは、すなわち「神」と言っていいでしょう。
 オタク文化の中では「神」とか「ネ申」という表現がよく出てきます。これもまた、オタク文化や中二病がある種の宗教性を帯びている、いや、もともと日本の宗教性というのは、そういう種類のモノであるということかもしれません。
 西洋キリスト教文化のような、はっきりとした「コト」で固められた世界とは違う感覚です。
 そう考えると、私たち日本人の大人たちも、自らの中二病を封じ込めるのではなく、もっともっと解放していいのかもしれません。
 もちろん、あんまり重篤になって現実世界での適応力を失ってしまってはいけないと思いますが。
 ということで、最後に昨日娘が聴きながら泣いていたミクの曲を紹介します。
 なになに、どれどれ、と私も歌詞を見ながら聴いてみたところ…泣いてしまいました(笑)。
 胸キュン進行満載ですね。というか、この歌詞世界こそ「もののあはれ(不随意への詠嘆)」ですよ。
 これで泣ける大人は立派な中二病なのでしょう。皆さんもぜひ試してみてください。

「空想少女への恋手紙」

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2013.10.23

『闇金ウシジマくん』 真鍋昌平 (小学館ビッグコミックス)

Ushijimakun 段あんまりマンガを読まない私ですが、これは結構読み進めています。
 しかし、エンターテインメントとしてのマンガではなくて、ドキュメンタリーというか、教材的な感覚で読んでいる感じですね。
 ドラマや映画にもなりましたから、そちらでどういう話かご存知の方もいるかもしれませんけれども、不思議なもので、マンガの方がリアルな感じがする。
 真鍋さんの絵はどちらかというと歪み系だと思うのですが、それが堕落していく人間、そして搾取する人間の内面を描き出しているようです。
 この1巻で、いきなり借金返済のために風俗で働かざるをえなくなり、そこからどんどん地獄に転落していく女が描かれています。これと同じようなテーマ、シチューエーションで人間の内面をえぐり出したのが、この前紹介した、実相寺昭雄のAV「アリエッタ」でした(あれは本人の濫費癖ではなく、夫が借金を残して死んだのが堕落死の原因でしたが)。
 考えてみれば、実相寺昭雄のあの「歪み」というのも、登場人物や社会の内面の「歪み」を表現するものでしたね。
 そうしたものに我々が共感し、あるいは恐怖するということは、私たちの目(脳)は、世の中をそのように歪ませて見ている部分があるということだと思います。
 一方で完全なる「真・善・美」を求めつつ、その半面で常に「嘘・悪・醜」におびえている私たちがいるのでしょう。
 それはさらに抽象化するなら、ワタクシのいつも言う「コト」と「モノ」になるでしょう。私たちはそういう「モノ」に目をつぶりがちです。
 しかし、こうして真鍋さんや実相寺のように、それを象徴化して(すなわちストレートではないけれども)見せてくれる「モノガタリ」にも、私たちは一定の魅力(必要性)を感じるものです。
 そういう意味で、「コト」というフィクションにまみれた現実社会に、ぽっかりと「モノ」の穴を開けてくれるこういう作品というのは消えることはないでしょう。
 面白いですね。コトがフィクションで、モノがリアルというパラドックス。
 つい最近も、このマンガが「鬱マンガ」ランキングで断トツのSランクになってました。それなのに600万部売れるというのも、まさにパラドックス。
 というか、「漫」画が「鬱」というのも、すでにパラドックスですよね。いや「漫(すず)ろ」という言葉には本来「不本意だ」という意味がありますから矛盾ではないのか。つまり、「漫=モノ(外部・不本意・不随意・アンコントローラブル)」そのものだということです。
 日本というのは実に面白い国です。
 1巻はKindle版ではたった99円です。1巻だけでも充分ドヨ~ンとなりますし、勉強にもなりますから、皆さんもぜひ(と、不快をおススメするというパラドックス)。
 
Amazon 闇金ウシジマくん(1) (ビッグコミックス) [Kindle版]

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2013.10.22

ボストン 『ドント・ルック・バック』

Boston Don't Look Back

 、私以外の家族はカラオケへ。最近は「ボカロ縛り」で歌うことも多いとか。
 カミさんは歌ならジャンルを問わない人です。尊敬する歌手は美空ひばりと初音ミクというからある意味すごい。
 あっ、そう言えばちょっと前に美空ひばりとボーカロイド。という記事を書いたっけ。
 娘たちはこのご時世のオタクたちのご多分に漏れず、本当に「ボカロ」が好きです。私も文化現象としてのボカロには興味があります。
 たしかに20世紀末には、シンセサイザーやMIDI、シーケンサーなどが登場し、私たち素人が音楽制作のチャンスを得ました。
 しかし、ボーカル(歌)に関してはどうしようもなかった。MIDIでは歌詞は表現できません。そして21世紀、革命が起きます。ボーカロイドの登場です。
 これは音楽史上最大の出来事であったと言っても過言ではありません。
 人間の歌や楽器は自然発生的、同時多発的に生まれたと思われます。そして西洋音楽を象徴する楽譜(タブラチュア)は古代にその萌芽が見られますが、今の五線譜が確立したのは16世紀のことです。
 そして、MIDIが登場したのが1980年。MIDIの発想はあくまで西洋近代音楽の五線譜の上にありますから、テクノロジーとしては、いわばピアノロールなどの楽器自動演奏と変わりありません。
 そうした発想自体はおそらく古代からあったでしょうし、また、バッハなどが頭の中でそういうことを夢想していたとしてもおかしくありません。
 しかし、人類史上誰がいったい、「歌」を機械が歌う時代が来ると考えたでしょうか。これは本当に大変なことです。
 そして、予想されていたような不自然さはたしかにあるものの、しかし、そこに別の「味わい」を感じてしまうほど、初音ミクはそのキャラクターも含めて素晴らしかった。日本発の音楽革命です。
 ウチの上の娘は中二です。演奏するのはジャズばかりですが、聴いたり歌ったりするのはボカロばかり。うん、たしかにボカロは日本人特有の中二病を映す音楽ですね。すなわち「超素人(スーパーアマチュア)」の音楽。社会的な常識や羞恥心を超越した「厚かましい(痛い)自己表現」の場。いや、もちろんいい意味で言っているのですよ(笑)。
 ということで、前置きが長くなりましたが、ボカロ縛りカラオケに興じる中二の娘を見てましてね、自分の中二時代、この時期には何を聴いていたのかなとふと思いまして、思い出してみたら(調べてみたら)、これでした。ボストンのセカンド・アルバム。
 そうで久しぶりに聴いたんですけど、なかなかいいですねえ。懐かしいし、今聴いても新しい。
 で、よく考えてみたら、これも「スーパーアマチュア」による作品ですよね。
 そう、ボストンって当時私は普通にバンドだと思ってましたけど、実質的にはトム・ショルツによるソロ・プロジェクトなんですよね。そう、まさに一人オタクワーク。
 トム・ショルツはマサチューセッツ工科大学出身の技術者。ポラロイド社の社員だった。
 彼がいわゆる宅録をしたデモテープをレコード会社に持ち込んで、結局、バンドということにして売りだした。たしかに当時、アメリカン・ハード・プログレ・バンドは一つのブームになっていましたから、ライヴのことなどを考えると当然の措置だったかもしれません。
 しかし、問題はやはりボーカルだったわけですよ。トム・ショルツはそんなに歌はうまくなかった。そこで、オーディションをしてブラッド・デルプを抜擢したわけです。今なら初音ミクちゃんが歌ってくれますが(笑)。
 このアルバムの音楽的なことは書きだすときりがないのでやめておきます。まあ、一言で言うと、タイトル曲「Don't Look Back」の完成度が高すぎるということでしょうか。
 当時のアメリカのロックはイギリス以上にキャッチーなギターリフを求めていたような気がします。そういう意味で、この曲のリフというか、ギターのフレーズは素晴らしい「節回し」であります。
 その独特のエフェクトも相まって、まさに「ボストン節」を生み出していますね。
 「No Synthesizers Used」「No Computers Used」という意味では、現代のボカロ音楽とは大きく違うとも言えますけれども、その根本は「超素人」が芸術的にも商業的にもプロを凌いだということで共通しているかもしれませんね。
 いやあ、それにしてもなんか懐かしかったなあ。「振り返るな」と言われると、ますます振り返りたくなるのが人情であります(笑)。
 アルバム全体としては1曲目タイトル曲(ファースト・シングル)のインパクトが強すぎて、その後がなんとなく物足りない…そんな感覚も当時と同じでした。

Amazon Don't Look Back
 
 

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2013.10.21

『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション』 カーマイン・ガロ著 井口耕二訳 (日経BP社)

人生・仕事・世界を変える7つの法則
135083_01_1_2l 前紹介した『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』の姉妹編。相互補完関係にあると言っていい本。
 今日は生徒の勉強合宿の合間に、若手教員とのミーティング。そこでスティーブ・ジョブズの話をしました。
 「タスクやミッションだけではなくビジョンを共有しよう」
 学校とメーカーとは似ている部分もありますが、当然根本的に違う部分も多い。しかし、ビジョンを持つということは、どんな職業であれ大切なことです。
 ちょうどそのミーティングが始まる時でした。私も関わらせていただいている、ある国際的ビジョンが具現化するという連絡をいただきました。近くニュースにもなることでしょう。
 志や能力のある方々とビジョンを共有すれば、個人レベルでは夢物語にすぎない大事業も、一瞬で現実のものになるのだなと実感する瞬間でした。
 誰でもイノベーターになれると、ジョブズは言います。
 日常生活においても本来はそうであるはずです。この本に「いつもどおりは不幸を招くレシピ」というカーティス・カールソンの言葉が引用されていましたが、全くそうです。
 しかし我々はどういうわけか、日々、不幸を招くレシピを選びたがる。夢の実現に向けて人生を歩む人は3%しかいないと言います。それはなぜなのでしょうか。
 おそらくジョブズの言うとおり、イノベーションには大変な情熱と忍耐力が必要だからなのでしょう。
 私は「世界改造業者」を標榜した出口王仁三郎の人生に触れているので、日常どころか地球レベルでのイノベーションを夢想することに全く抵抗がない人間で、その他97%の人にはずいぶん呆れられますが(笑)、それでも懲りずに中二病を治そうとしません。
 いつかも書いたように、中二の頃には100%の人が中二病なので、みんながライバルですけれども、中二病歴35年にもなると、それこそ97%(もっとかも)のライバルたちが諦めて脱落していくので、馬鹿みたいな夢の実現者になれる確率が高まるのです。
 ミケランジェロのこの言葉が引用されていました。
 「目標が高すぎて届かないことよりも、目標が低すぎて簡単に届いてしまうことのほうが、普通、害が大きい」
 なるほどですね。私もそう思います。
 ジョブズはこう語ります。
 「自分の心や直感に従う勇気を持とう。本当はどういう人になりたいのか、意外なほど分かっているものなんだ」
 諦めるというのは小賢しくなることです。楽をしようといこともありますが、社会の常識とやらに毒されてしまうという部分もある。
 社会の常識や個人の知識なるものは、実は全て過去の産物です。
 私は「時間は未来から過去へと流れている」と考えていますから、流れ去っていってしまった過去にはあまり興味はありません。過去はせいぜい参考資料であって、自分の思想行動を決定する直接的な要因ではありません。
 ジョブズは「地平線の向こう側を見る」という言い方をしますが、それはつまり未来志向ということでしょう。川の上流を遠望するということなのでしょう。
 それも悲観ではなくて楽観。
 また、ジョブズは有名なホッケー選手の言葉を引用しています。
 「パックがあった場所ではなく、パックが行く先へ滑るようにしている」
 そう、その通り。私たちの現在の行動の原因は未来にあるのです。未来のビジョン、イメージ。ワタクシに即して言うとハッタリと妄想(笑)。
 ジョブズと私の共通点があるとすれば、「禅」に親しんでいることでしょうかね。禅で言うところの「私」を捨てるということは、まさに過去と現在から解放されるということです。
 ジョブズには遠く及ばなくとも、少しは宇宙にインパクトを与えたいなあ…せめて、我が身の近くの小宇宙にでも…いや、中宇宙くらいは行けそうな気がするぞ(笑)。
 
Amazon スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション
 

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2013.10.20

富士山初冠雪その2…そして仲小路彰の女性文化論

 士山の初冠雪。昨日アップした写真を撮ったのち、また何枚か撮影しましたので掲載いたします。

↓午後は、富士山を覆っていた雲も去り、雪化粧した様子がはっきり見てとれました。
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↓実に女性的な富士山ですね。薄衣をまとったお姫さまという感じです。
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↓あんまり近寄ると女性に失礼でしょうか(笑)
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↓ちょっと引いてみます。西から龍体がからみついてきます。
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↓ちょっとピンボケですけど、これまた不思議な写真になりました。
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 富士山と女性と言えば、今日は実にミラクルな瞬間を体験いたしました。
 世の中が動く時というのはこういうものなのなのでしょう。
 まるで幕末維新の胎動のごとき決然たるエネルギーの流れ。そこにほんの少しでも関われて嬉しく思います。
 場所を隔てて同時に大きなコトが成り立っていく。こんなことが実際あるのですね。シンクロニシティーの存在を確信し、その歴史的意義を学んだ一時間でした。
 と言っても皆さんにはなんのことやら分からないと思いますが、すみません、あと一ヶ月もすれば自ずと世に出ると思います。
 ただ、今日はその奇跡の源泉となったある文章を紹介しておきましょう。
 ほとんど世に出ていない文章です。
 最近私がご縁をいただいている忘れ去られた昭和の大天才、仲小路彰の残した文章の一節です。「新しい女性文化時代への道」の冒頭部分。
 まさに今日がその時代への第一歩となったと、のちに語られるようになることを願いながら、ここに転載しておきます。

『いま世界歴史のあわただしく激動する大きな転換期にあって、これまでのすべての存在はあらゆる意味でその本質からの変革を示しつつあるのをみるとき、まことに女性の問題こそ最も重要な、云わば次の文化形態を決定する意義をもつことを理解するのであります。
 この現実世界における数千年にわたる戦争の時代より、はじめて世界平和の夜明けが、最も暗い夜の底から明けそめようとしています。そこに戦争そのものが力の斗争としての男性中心の事象であったことに対し、真の平和とは美と愛の象徴としての女性の特質を表現するものにほかならないと思われます。次に来る世界構造は、旧き男性を主体とした発展よりも、むしろ新しい女性を主体としたきわめて深く高度な内容を持って展開するのであろうことは、歴史の創造的な流れを明視するものにとってはまことに明らかなところであります。(仲小路彰)』

 さあ、これから富士山、女性、平和という大きな流れが生まれそうですよ。お楽しみに。

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2013.10.19

富士山初冠雪

 1ヶ月遅れの初冠雪。しかし、一気に中腹まで。
 こういう初冠雪は初めてです。一晩にして冬景色。
 私たち北麓の人間からしますと、こういう姿こそが富士山らしい。雪のない富士山はほんの2ヶ月ほど。ちょうど麓の人間がストーブをつけない期間と重なります。
 我が家でもさすがにストーブが再稼働しました。
 今日はそんな冬を予感させる富士山の写真をいくつか掲載しますね。

↓雨が降っていますが、富士が現れ始めました。
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↓こういう富士山、好きなんですよね。チラ見せ(笑)。
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↓ほとんど水墨画の世界です。
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↓富士山の肌理がくっくり。
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↓富士山を通りカーブする龍脈が活性化していますね。
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↓不思議な光や色が映り込んでしまいました。
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 神々しさを増した富士山。ラドン濃度もやや高め。生きてますね。何かが起きそうな予感がします(いいことですよ)。


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2013.10.18

『出口王仁三郎とミロクの世』出口光・出口汪・道幸武久

O0185026011317522148 夜は、最近運命的に(つまり必然的に)出会った方と、「みろくの世」についてじっくり語り合いました。
 今、私の周囲にはそこに関わるであろう重要人物が自然と集まってきています。本当に不思議です。
 もちろん、その結集のきっかけになっているのは、出口王仁三郎の耀わん「十和田」です。
 2006年10月1日、十和田は縁あって我が家にやってきました。その日から7年。あまりにいろいろな方との出会いがあって、それはもう完全に人知を超えた世界、つまり神の仕組みであるとしか思えないようなことの連続でした。
 昨年から今年にかけてはとうとう…もう言うまでもありません。
Photo しかし、今考えてみると最も不思議だったのは、出口王仁三郎のひ孫である出口光さんと出口汪さんとの出会いだったかもしれません。
 お二人は我が家に耀わんがあることなど全くご存知なかったし、共通の知り合いもいなかったのに、いきなり私とつながったのです。これはもう王仁三郎の意志だったとしか考えられません。
 もちろん、出口汪さんについては、私の本職である国語教育では間接的にお世話になり続けていました。つまり、汪さんが起こした「国語学習革命」に完全に乗っかって(参考書などで勉強して)、授業を展開していたのです。そして、今でも、汪さん開発の「論理エンジン」は我が校の国語教育の根幹にある教材です。
 そして、光さんに関しては、名著「天命の暗号」を読んで、大きな感銘を受けてはいました。
 しかし、耀わんが来てからすぐにドドドーンとあっという間にお二人とつながってしまったのには驚きました。そして、実際にお会いしてから「実は我が家には耀わんが…」ということになったから、お二人もまたビックリ。
 さて、それ以来本当に公私ともどもお世話になっている光さん、汪さんが、道幸武久さんと対談している動画がこちらです。
 短いながら、出口王仁三郎という巨人について、そしてその曾孫である光さんと汪さんのお仕事と志、さらには、間接的ではありますが、私が何を目指しているのかを知っていただくのに好都合な対談だと思います。
 私もこれを観て聴いて、いろいろな感慨にひたるとともに、今日の自らの対談も正しかったと確信しました。

 ついでと言ってはなんですが、丹波哲郎さんによる王仁三郎と大本の紹介ビデオもなかなか面白い。こちらもどうぞ。


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2013.10.17

『アリエッタ』 実相寺昭雄監督作品

0811260000170 月から始まったNHKBSプレミアムの「怪奇大作戦 ミステリー・ファイル」が実に面白い。
 私の原体験の一つであるオリジナル1968、9年の「怪奇大作戦」、そして2007年のセカンドファイルも再放送されています。
 その独特の「怖さ」は、当然のことそうそうたる脚本家メンバーによる暗く深いストーリーにも依拠していますが、やはり監督さんたちの技量による部分も大きい。
 特にオリジナルの名作「京都買います」や、実質上の遺作となったセカンドファイルの「昭和幻燈小路」における実相寺昭雄の「変わらぬ」独特の映像&音響世界は、私にとってはある種のトラウマとなっています。
 実相寺の作品の特徴は、人類の罪を感じさせる後味の悪い脚本、傾き歪んだ映像、突如挿入されるフラッシュバック的異世界(宗教的なものが多い)、繰り返される象徴的音などと言うこともできるでしょうけれども、そうした分析的な要因よりも、総体的に現代人の心の奥底にある「モノ」を喚起していることに本質があると思います。
 さて、そんな表現者(東京藝術大学名誉教授まで務めた)実相寺昭雄が手がけたAV(アダルトビデオ)があることをご存知でしょうか。「ラ・ヴァルス」「アリエッタ」…。
 実相寺は一時期、過激な女優加賀恵子と組んで、「エロス」をテーマに人間の欲望と現代、そして宗教性(罪と聖)を描くことに力を注いでいました。
 私はある時期、実相寺の作品のコレクターでしたから、当然それらも手許に所持しておりました。AVというメディアであり、その正統的な意味においてもそれなりな内容でありながら、鑑賞している内に涙が止まらなくなり、すっかり心も体も萎えてしまうという問題作。そう、実に深い問題提起作でありました。
 特に「アリエッタ」の完成度は高い。その「アリエッタ」、誰かに貸して返ってこなくなってしまいました。ですから、もう15年くらい観てません。
 私、この「アリエッタ」で気になっていたことがあるんです。ずいぶん前にブログのどこかにも書いた気がしますが、作品の最後に流れる音楽が頭を離れないのです。
 実相寺は作品の最後にクラシックのピアノ曲を使うことが多かった。哀しい物語の最後にわざと(?)長調の曲を持ってきたり、実にうまかった。
 この「アリエッタ」では、いかにもフランスバロックな曲がピアノで演奏されています。私、この曲が誰の何という曲なのか分からないのです。
 ラモーやクープランやダングルベールのような響きですが、有名なクラヴサン曲(Menuet en Rondeau)なのでしょうか。それとも、それに擬したオリジナル曲なのでしょうか。どなたか教えてください。
 というのも、今年になって、その最後のシーンがYouTubeにアップされたのです!素晴らしい。
 全く変なシーンはありませんから(ある意味変なシーンですが…笑)、安心して(?)ぜひ実相寺ワールドを垣間見てください。
 田口トモロヲ演じる公務員に加賀恵子演じる主人公が殺されるところです。死への恍惚…哀しいんですよ、これが。そして、流れる音楽。
 う〜ん、誰かビデオ返してくれ!

Amazon 実相寺昭雄コレクション[エロス]

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2013.10.16

『ゲイリー・バートン&キース・ジャレット』

41xoeqiial_sl500_aa300_ ラミー賞をアルバム7作で受賞しているジャズ・ジャイアント、ヴィブラフォン奏者ゲイリー・バートン。
 彼の業績については私がいちいち語る必要もないでしょう。
 今年も来日して、愛弟子(と言っていいでしょう)の小曽根真さんと素晴らしいデュオを聴かせてくれたようですね。
 ライヴに先立ち発表されたニュー・アルバム「TIME THREAD」も聴きましたが、相変わらず素晴らしいアンサンブルでした。
 こちらの小曽根さんのインタビューで二人の出会いが語られています。音もちょっと聴けますのでどうぞ。ヤマハのピアノの露骨なステマ(笑)になってますが…。

 ここでは言及されていませんでしたが、最初のセッションでのゲイリーと小曽根の会話はなんともいいですね。

「君は伴奏がいかなるものか、全くわかっていないな」
「コードは間違っていなかったはずです」
「コードやリズムが間違っていたわけではないよ。では君は僕がこの8小節でどんな演奏をしたか覚えているかい?」

 これはアンサンブルが会話であることを非常に端的に表わしていますね。
 さて、今日はそんな巨匠ゲイリー・バートンにも若かりし頃があったというおススメであります。
 小曽根さんはどちらかというとチック・コリア系のピアニストですよね。実際、ゲイリーはチックとの共演も多い。
 一方、これは私の勝手な感覚なんですが、ゲイリーの透明感(それにはいろいろな要因が働いています)が、キース・ジャレットのピアノと合うような気がするんですよね。なんとなくですが、そういう「音世界」を妄想できる。
 しかし、ある意味意外なことに、二人の共演はたった1作しかありません。それも1970年ですから、今から四十数年前。
 デュオではありません。ゲイリーのバンドにキースがゲストで招かれたという形でしょうか。
 まあとにかくこれを聴くといろいろと衝撃的です(笑)。先ほど妄想した「音世界」と正反対の「音世界」が広がるのです。
 説明不要。とにかく聴いてみてください(全5曲のうち4曲はYouTubeで聴けます)。

 全く想定外の音ですが、これはこれでカッコイイと言わざるを得ませんな。二人の巨匠にも青春があったわけです。その時々にしかできない音楽がある。音楽、特にジャズは人生を映しますね。

Amazon キース・ジャレット & ゲイリー・バートン タイム・スレッド

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2013.10.15

『つくることば いきることば』 永井一正 (六耀社)

20131016_94925 本を代表する、いや世界を代表するグラフィック・デザイナー永井一正さんの珠玉の銅版画と言葉たち。
 シンプルであり複雑であるというこの世界がそのままこの本に封入されている…だからこそ、心打たれました。ぐんぐん響いてくる。
 あえてこの銅版画や言葉も「デザイン」だと言いたいと思います。
 私たちは世界の全てを意匠化して認識しています。言語であれ、絵画であれ、音楽であれ、全てそうです。その技法が違うだけ。
 そういう意味の上で、私は究極的に「デザイン」に興味があります。というのは…では、その意匠化の主体たる私たちをデザインしたのは誰なのか、つまり、人間や動物や植物や、あるいは富士山をデザインしたのは誰で、どんな意図をもってそういう形にしたのか、そこに最終的な興味があるのです。
 もしかすると、永井さんの視線が抽象から動物や植物に向いたのは、そういう意味があるのかもしれない…この本を眺めながら、そんなことを思いました。
Img_7405 まったく不思議なもので、実は、私にとっては憧れ以上の存在であった永井一正さんが、私たち夫婦のためにサインまでしてこの本をくださったのです。
 ご縁というのはあっという間に自分を取り囲む環境のデザインを変えるものです。たった一滴の雨水であっても、その落ちた場所が大河であれば、一瞬にして自分も大河の一部になる。
 畏れ多いことでありますが、こんなご縁を作ってくださったのは、これまたご縁でつながった絵本作家の仁科幸子さん。永井一正さんの仕事仲間であり、この本の企画者でもある方です。本当に感謝です。
 そんな不思議なご縁をとりもってくれたのは、「芸術は宗教の母」と言った出口王仁三郎の耀わん「十和田」です。おそらくはあの十和田のデザインは、地球そのものなのでしょう。あるいは宇宙。まさに神の造形。
 王仁三郎の「物語」は、まさに「モノをカタる」、すなわちモノのコト化です。私の中では、未分化な「モノ」をデザインして「コト(カタ)」にはめていくことが、そのまま「デザイン」だと思っています。
 驚いたのは、この永井さんの本の中に、たくさんの「モノ」への憧憬が表現されていることでした。特にこれだ!と思ったのは、

 わたしが変なあり得ない動物を描いたりするのは、
 動物というこれだけはっきりとした種の中にも、
 境界線のない割りきれないものがあるからで、
 目に見えない未分化の部分を描けなければ、
 真理は見えてこないように思う。

 という言葉でした。ここにこそ、「デザイン」の本質、私の言う「モノを窮めてコトに至る」の本質、そして、世界の人生の本質が表現されています。
 そのほかにも、禅に通ずるページ、また、時間は未来から過去へと流れているという私の仮説を証明してくれるようなページも多々ありました。
 もちろん、私だけでなく多くの人たちの心に、そして生命に響く銅版画や言葉が満載です。
 きっと、こんなにこの本に力があるのは、永井さんの空洞のような「飢餓感」が満ちているからだと思います。空洞のような飢餓感という言葉は一見暗くマイナス方向に響きそうですが、決してそうではありません。
 私はこの本を読み終え、そして眺め終えて、ああ、永井さんの飢餓感とは「人のためになりたい」という欲求そのものなんだなと感じました。
 もしかすると来春、永井さんにお会いできるかもしれません。もし、神様のデザインがそうなっているとしたなら。

追伸 ちょうど仁科幸子さんがブログで耀わんとワタクシのことを紹介してくださりました!

Amazon つくることば いきることば

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2013.10.14

『明日への遺言』 小泉堯史監督・藤田まこと主演作品

 またまテレビをつけたら始まるところでした。思わず引きこまれて観た110分。
 ここ数日語ってきた「死なない力」を超えた、「死ぬ力」の存在を痛感させられました。
 元東海軍司令官、岡田資中将は、最後まで日本の男であり続けました。戦犯として裁かれる中、部下を守り、米軍による無差別爆撃を国際法違反だと主張し、結果として絞首刑となりました。
 その戦後の戦いを彼は「法戦」と呼びました。「法戦」という言葉の中には、二つの意味があるなと思いました。
 裁判における「法律の戦い」。そして、岡田が深く信仰していた日蓮宗の教えに基づく「仏法の戦い」。つまり「ほうせん」と「ほっせん」。 
 映画というよりもドキュメンタリー・ドラマという感じでしたね。その点、映画としての評価は微妙な部分があるかもしれませんが、変に感動大作に仕上げず、淡々と事実を描いた点は、逆に現実の重みと深さを伝えるのに寄与していたと思います。
 そして、なんと言っても藤田まことの名演技。ほとんど演技ではなく、藤田まことそのままでしたが、結局、それが名優たるゆえんとなるのでしょう。他者(モノ)を招くという意味での(世阿弥の言う)「ものまね」の境地に至っています。
 おそらくは藤田まこと自身が、岡田資のような男だったのでしょうね。古き良き日本の男。
 「生きる力」でもなく、「死なない力」でもなく、「死ぬ力」というのは、現代ではほとんど無価値となってしまっています。
 命より大切なモノがある…言葉としては簡単に言えますが、実際私たちには命をかけて守る「他者(モノ)」があるのでしょうか。
 戦後の教育は「何よりも自分の命が大事」と教えてきました。もちろんそこにはアメリカの意図も含まれているでしょうが、それだけでなく、日本人自身も結局「自己保身」の道を自ら選んだような気もします。
 その結果がこの世の中であり、私たちは「明日へ遺すべきモノ」を何も持たず死んでいくことになっています。
 本当にそれで良いのか…この映画はそんなことを考えさせてくれました。
 単純に戦中、戦前に戻れと言っているわけではありません。まずは、私たちの先祖らが正しいと思って行動したその事実をしっかり自分の中にも認めるべきだと言っているのです。
 頭から否定したり、無視したり、卑下したりするのは間違いだということです。
 いつも書いているように、私たち現代日本人は「近過去」のことを知らなすぎです。知らされなさすぎです。私たちを形作っている「近過去」を知らずして、どうして今と未来の自画像を描けるでしょうか。
 今まだその「近過去」を生きた方々はご存命です。しかし、もうあと数十年でその「近過去」は「過去」となり、「歴史」となってしまいます。私はなんとなく焦りを持っています。
 おそらく安倍総理も同様なのでしょう。安倍さんはそれこそ命がけで何かを貫こうとしています。様々な批判や妨害に合いながらも、うまくすり抜けつつ、最後は「明日への遺書」を残せる日本になるよう、今頑張っていると感じます。
 もともと私は安倍さんや自民党の思想信条、政治手法に絶対的賛成の立場でありません。今でも各論的にはずいぶん合わないところがあります。
 しかし、命がけでやっているなということが、たまたま比較的身近にいて強く感じるので、ならば応援しようと思っているのです。
 最近、私は人の見方が変わりました。見方というか感じ方ですね。「無私」「無我」なのかどうか。本気で「世の中を良くしようと思っている」かどうか。そういうモノを直感的に捉えられるようになってきたような気がします。
 この映画に強く共感(感動ではない)したのもそういうことかなと。
 もう一つ、いわゆる「東京裁判」のような戦後戦犯裁判についても、その実情を知らずに、アメリカの思惑通り進んだ不公平裁判だと言い切る方も多いのですが、この映画に描かれているフェザーストン主任弁護人を代表とするアメリカ人たちも、立場を超えた一人ひとりはヒューマニズムに溢れた人間であるということが分かりますね。
 いろいろな意味で公平に描かれた秀作でありました。ぜひご覧ください。

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2013.10.13

『レジリエンス・ジャパン 日本強靭化構想』 藤井聡 (飛鳥新社)

41zdbv9pidl_sx350_ 「業論」の続き。
 国家として「死なない力」を身につけるにはどうしたら良いのか。その答えがこの本にあります。
 民主党政権の「コンクリートから人へ」というもっともらしいスローガンが全くの嘘であったことは、震災や笹子トンネル事故を通じてはっきりしました。
 もちろん、「人よりコンクリート」だと言っているわけではありません。「人のためにはコンクリートも大切だ」ということです。特に「非常時」において。
 大地震など、日常的に表面化しない無意識領域は、個人の経済の俎上には上がりにくい。そこは国家が高次元な、大局的な立場から、しっかり守ってやるべきです。それが政治の、そして「経世済民」の本義であったはずです。
 ポピュリズムはその正反対の立場にあって国民を先導、煽動します。
 その結果何が起きるのか。起きてみて気づくのでは遅いのです。いや、起きても気づかない人たちも多い。あるいは、マスコミを中心に、相変わらず「無駄」「非効率」として本来の「経世済民」を否定して、目先の自己の利益に執心するような輩もいる。
 公共事業、談合、土建屋などという言葉はすっかり「悪」になってしまいましたよね。しかし、なぜ、日本でそのようなものがある種の「文化」として成熟してきたかという部分に目を向けると、そこには「知恵」が浮かんできます。
 「レジリエンス」というカタカナ語はあまり好みませんが、「強靭」には「しなやか」な感じがあまりありませんから、まあ仕方ないでしょうかね。
 「備えあれば憂いなし」「柳に雪折れなし」…藤井さんは安倍内閣の官房参与として、こうした本質的な日本の「知恵」についてずっと訴え続けています。
 藤井さんを中心にして、その本質的な「知恵」について3時間にわたって語られた、昨日のチャンネル桜の「闘論!倒論!討論!」が実に秀逸でした。
 いまだに「コンクリートから人へ」が正しいと思い、公共事業、談合、土建屋などという言葉に嫌悪感を覚える方はぜひ頑張って3時間しっかり見てほしい。
 そして、なるほどそういう考え方もあるなと思われた方は、ぜひこの本をじっくり読んでみてください。
 

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2013.10.12

『修業論』 内田樹 (光文社新書)

219092_01_1_2l 日は生徒の全中優勝祝賀会で、ロンドン五輪柔道銀メダリストの平岡拓晃選手のお話をうかがう機会を得ました。
 全中決勝で負けた側からのお話、非常に説得力がありました。平岡選手は様々な苦難、すなわち北京五輪での屈辱的敗退や、怪我、病などを乗り越えて五輪銀メダルを勝ち取った方。そこには深い精神性が感じられました。
 今、様々な問題があるとはいえ、柔道は柔道。やはり「道」であり、練習というよりも稽古を積む武道です。スポーツではありません。
 そう言えば、先月、ニュージーランドからの訪問団をお迎えした折、柔道と剣道の実演を見ていただきました。私がなんちゃって英語でいろいろ解説したのですが、日本語で日本人にさえ「武道」を説明することはありませんから、これはなかなか難しくも面白かった。
 言うなれば、この内田さんの「修業論」に書かれていることを、外国人の子どもたちに一瞬で伝えねばならないわけで、まあ、はっきり言って無理です(笑)。
 しかし、あとで引率の先生から「武道の説明が分かりやすかった」とおっしゃっていただき(たぶん…なんちゃってリスニングなので)、ちょっと嬉しかった。
 おそらくは「武道はこれこれこういう点においてスポーツとは違う」ということを強調して説明したからでしょう。そこだけは通じたのかもしれません。
 その時、「武道」を細分化して、「Do you know Judo?」とか「Do you know Kendo?」とか「Do you know Karate?」とか聞きましたが、さすがに「Do you know Aikido?」に対しては「…」でした。
 この本はその合気道の稽古、修業のあり方をベースにしています。
 私は直接武道はやっていませんが、多少、禅に親しんだり、格闘技全般の観戦が好きだったり、また、合気道の創始に深く関わっている出口王仁三郎に興味があったりしますので、比較的楽しく読むことができました。
 それこそ、スポーツや科学や言語、あるいは根性論という「コト」の対極にたしかにある「何か(モノ)」を、私も追求していると言えばしていますからね。私の言う「死なない力」に近いことも書いてありますし。
 ただ、なんとなく思ったのは、内田樹さんは非常に頭が良いので、おそらくは言葉(コト)でモノを説明できるし、その行為自体の矛盾のようなものも感じずにいられるのでしょうが、私のような凡人には、ちょっと「説明的すぎる」かなと。
 そういう意味で、頁を開く前に思った「修業じゃなくて修行じゃね?」的な違和感は、読了後、逆に消えたかもしれません。なるほど、「行(おこなひ)」より「業(わざ)」の方が言語的(コトとの親和性が高い)かなと。
 私と内田さんの違いは、頭の出来の違いだけでなく、目指す所もちょっと違うのかと(当たり前ですけど)。
20131013_92536 今日の平岡選手には「修業」よりも「修行」のオーラが出ていた。「金」ではなく「銀」だったことによって、彼の「修行」はさらに深まったのかもしれません。そして、まだ終わっていないのだなと感じました。
 勝負を超えたところにあるべき「何か」に達するためには、とことん勝負にこだわらなければならないのかもしれません。まさにそれは「禅」的な手続きですね。
 私ももっと勝負にこだわってみましょうか。逃避的平和主義、消極的平和主義ではなく、積極的平和主義ですね(笑)。

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2013.10.11

『私がUZUを始めた理由』 安倍昭恵 (世界文化社)

安倍昭恵の日本のおいしいものを届けたい!
20131012_62919 日、本校は創立50周年でしたが、ご祝電をくださったファーストレディー安倍昭恵さんのお店「UZU」はちょうど開店1周年だったんですね。こちらも祝電をお送りしなくては(笑)。
 昨年の10月10日。開店のセレモニーには私もちょこっと顔を出させていただきました。
 昨年の今頃といえば、安倍晋三さんが奇跡的に自民党総裁選を勝ち上がり、いよいよ第二次安倍政権が誕生するかという機運が高まってきた時でした。
 そんな時でしたから、未来のファーストレディーが居酒屋を経営する!?ということで、当然バッシングも起きかけましたが、しかし、そこはさすが昭恵さん、決してひるむこともなく、自分の信念を貫き通しました。
 日本の(特に山口県の)おいしいものを届けたい!
 考えてみれば、ご主人もすごいですよね。私だったら(って、あり得ませんが…笑)、ぜったいダメ出ししますよ。それを、たった二つの条件(お店でお酒を飲まない、1年経って赤字だったら閉店する)を出しただけで許してしまうのですから、なんとも懐の深く広い方。そして、ご夫妻の相互信頼の強さ…。
 このUZUの経営が象徴的なように、昭恵さんは従来のファーストレディー像を大きく変えるような志と行動力を持っていらっしゃいます。
 まあ、考えてみれば、私のような一庶民と対等にお付き合いくださるというだけでも、かなり破格な総理夫人であります。
 今日も、さっそく昨日のお礼のメールを差し上げましたところ、大変ていねいにご返信くださり、また、ワタクシには過分なオファーまで添えてくださり、なんとも恐縮してしまいました。いやいや、恩に報いるために頑張りますぞ。

 素材、原材料が国産
 化学調味料不使用
 野菜は露地もの
 魚は養殖ではなく天然もの
 生産者とのコミニュケーションを大切に

 こうした約束を守りながら、ある意味素朴な家庭料理をメニューとしたお店。お米には昭恵さん自らが育てた「昭恵米」を使い、お酒は山口県産の日本酒を中心に取り揃える…。
 まさに、「日本の食卓を取り戻す」お店であると言っていいでしょう。
 この本には、そんなUZUのレシピがたくさん紹介されています。どれも家庭で簡単に作れるもの。シンプルだからこそ、作り手の心が反映すると言ってもいいかもしれません。それぞれの家庭の味がそこに生まれることでしょう。
 …と、紹介しつつ、実は私はまだお店でお食事やお酒をいただいことがないのです。東京ということもあってなかなかうかがえません。開店の日に立ち寄らせていただいただけなのです。
 どなたか一緒に行きませんか?
 ところで、この「UZU」という店名、天の岩戸開きの立役者の一人、アメノウズメの名にちなんでつけられたと、この本にも書いてあります。
 実は、この名前を決めるにあたって、昨年の8月に我が家で起きたある出来事が大きな影響を与えているのです(たぶん)。あの時の昭恵さんの驚きの表情は忘れられません。
 私の人生もあの日を境にずいぶん変わりました。昭恵さんに感謝です。御恩に報いるため、私のできることは全てし尽くそうと思います。
 昭恵さん、UZU開店1周年(つまりご主人との約束は果たしたわけですね)、本当におめでとうございます。近いうちに必ず遊びにうかがいます!

Amazon 私がUZUを始めた理由

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2013.10.10

50周年記念式典・祝賀会

Vlcsnap2013101109h22m19s241 の奉職する高校の創立50周年記念式典と祝賀会が行われました。
 二人の管長猊下をはじめとする臨済宗を代表する高僧の方々、五輪7回出場を誇る橋本聖子参議院議員をはじめとする代議士の方々、山梨県知事さんや富士吉田市長さんらをご来賓にお招きし、記念式典は我が校らしく厳粛な雰囲気の中で執り行われました。
 そのような方々が、単なる儀礼的なご参列ではなく、本当に心からお祝いの思いを持って本校を訪れてくださったこと、これは本当にありがたいことであり、あらためて8000人を超える卒業生の力と支えてくださった皆さんの御恩を深く感ずる時間でありました。
 また、総理大臣夫人安倍昭恵さんからのご祝電もいただきました。これは、この山梨県というある種特殊な教育環境の中で、40年以上にわたって私学人として孤軍奮闘してきた理事長の業績を、総理夫妻が認めてくださった証であります。
 多くの皆様のご祝辞にも深く感じ入りましたが、やはり、人造り、地域の人材育成、教育はアナログであるべき、人のプラスの面を見るなどと語る理事長先生のお言葉には、あらためて自分の使命を確認させられました。
 しかし、なんと言ってもこの式典の主役は在学生たちです。この50年の重みをしっかり受け止め、見事な態度や演奏などで素晴らしい場を作り上げていました。伝統の力というのはすごい。前日まではいろいろと心配なこともありましたが、やはり本番ではしっかりやってくれました。
 祝賀会では、またまた運命的な驚きの出会いがありました。もう全てが必然ですね。そのまま力強く進めということだなと痛感しました。
 これからまた100周年を目指して新たなる半世紀のスタートを切らねばなりません。私も私のやるべきことをしっかりやっていきたいと思います。
 皆さん、本当にありがとうございました。


 

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2013.10.09

富士山と雲たち(まとめ)

↓まずは朝の富士山から
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 務校の創立50周年記念式典・祝賀会を明日に控え、ドタバタと忙しくしております。
 そんな中、生徒が「先生、富士山すごいよ」と教えてくれたので見てみると、たしかにすごい「雲」。生徒たちも一生懸命写真を撮っていました。
 私の撮った写真はのちほどまとめて見てもらいましょう。
 台風が近づくと、富士山にはその影響でいろいろな雲が顕現します。
 このような独立峰でなければ、こういうことはないわけで、そういう意味で富士山は、台風にかぎらず、いろいろな天変地異の「予知装置」となっているのです。身近なところでは笠雲。
 私がやっている大気中ラドン濃度計測や電磁波異常観測などもそういう意味です。
 そう、今思うと、やっぱりあの大震災のあとは本当にいろいろな気象現象が観察できました。やっぱり何かが異常だったのでしょう。
 たとえば、震災1ヶ月後のこちらなんか、やっぱり非日常的です。ここまでというのはあまりない。
 それから、日暈と環水平アーク
 さらに反薄明光線(裏後光)
 吊し雲も見事でした。
 もう一つついでに破れ笠雲(リング雲)
 これは今となっては偶然やこじつけと言われてもしかたないと思いますが、巨大地震の10日ほど前に、私は富士山の雲に異常を感じていました。こちらです。
 さて、今日はどんな富士山と雲だったかと言いますと…南から湿った空気が流れ込んだせいでしょうね、それこそ非常に蒸し暑苦しい衣をまとった風景でありました。
 どうぞご覧ください。富士山の裾野が紅葉しているのも分かりますね(本当に夕刻、富士山と雲、月と金星がとても美しかったのですが、ドタバタしていて写真が撮れませんでした)。

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2013.10.08

藤巻亮太 『オオカミ青年』

31iw5gix35l_sl500_aa300_ 1年前発売のアルバムをなぜ今なのか。
 それは今日という日を待っていたからです。
 昨年、何人かの知り合いの方から、「藤巻くんのソロアルバムのレビューをしてくれ」とオファーを受けていましたが、そのたびに「時機が来たら」と答えてきました。
 その時は、自分でもそれがなんの時機なのか、さっぱり分かっていませんでしたが、とにかく「もっとあとにその日が来るな」という勘が働いていたのです。
 実際、今日のこの機会がやってくるというのを知ったのは、つい2週間ほど前のこと。そして、皆さんはきっと私がアレンジしたことだとお思いになることでしょうけれども、実は私は今回の舞台の準備には全く関わっていません。
 だからこそ面白いですし、本当にご縁を感じますね。
 いろいろとお約束があるために、細かいことは書けませんが、とにかく素晴らしいパフォーマンスでした。今までの流れからあえて言いますが、今日は正直「うまい!」と思いました(笑)。いや、本当に心に響く歌。言葉。たたずまい。
 ちょうど昨年の今頃、あのNHKのドキュメンタリーを観て、こんな記事を書きました。今日、実際に藤巻くんとお話してみて、あそこに書いたことが、それほど大きく間違っていないのではないかという、まあこれも私の勘ではありますが、そう思いました。
 そして、予想通り、あるいは予想以上に彼は進化、深化しているなと。それは音楽だけでなく、生徒たちに向けた多くの言葉たちにも感じることでした。
 私自身としては、藤巻くんが今から登る舞台が、あのフジファブリックの志村正彦くんが夢に見た場所であり、そして実際にその夢を実現して涙しながら歌った場所であるということを、改めてお伝えすることができたことに一つのお役目を果たしたような気がしました。
 「ここだったんだ…心に刻んで歌いたいと思います」…彼はその言葉どおり(少なくとも私の知るかぎり)最高のパフォーマンスを披露してくれました。きっと志村くんも喜び、そして感心してくれたことと思います。本当に二人には感謝したい。
 そんな思いを抱きながら、あらためて聴く彼のソロアルバム「オオカミ青年」は、その言葉や音粒一つ一つに意味があるように聞こえます。
 それは彼の葛藤がより高次元に結晶した姿であり、そういう意味では、私たち聞く側にもそれなりの体験や思索を要求するものなのでしょう。正直、私は今日までレビューをする資格がなかったのかもしれません。それを私自身、勘づいていたのでしょうね。
 今日はリハも拝見し、本番では演奏されなかったものも含めて、懐かしい曲たちが新しく生まれ変わっていく瞬間を目の当たりにしました。
 そこに見え隠れする、藤巻くんのアーティストとしての生き様…それは予想通りある種の宗教性を帯びていると感じましたが…には、圧倒されるとともに、どこか微笑ましいところもあり、いろいろな意味で心動かされました。
 とにかく、自らの殻を破るために、自分や世界を違った視点から見直してみたい方には、このアルバムをじっくり聴き込むことをおススメします。
 あえて、「今の自分」で勝負してくれた藤巻くん。その勇気と信念に感謝です。ありがとうございました。生徒たちの人生にもきっと一つの景色として今日の素晴らしい体験が生き続けることでしょう。

Amazon オオカミ青年

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2013.10.07

『日月神示が語る今この時』 中矢伸一・内記正時・黒川柚月 (ヒカルランド)

富士は爆発するぞ! 緊急未来予測シミュレーション
20131008_131032 日の続きになります。最近出たこの本も、日月神示に興味のある方必読の書ですね。
 中矢さん、内記さん、黒川さんというエキスパートたちによる鼎談。鼎談だからこそ読みやすい。
 また、巻末に掲載されている資料篇、「終戦直後の天明直筆、ガリ版『日月神示』」、「天明編集『予言と霊界』」が非常に貴重。これだけでも買う価値があります。
 エキスパート3人はそれぞれに守備範囲や感覚が違うため、鼎談の内容は広く深いものになっています。
 また、お三人の誠実で冷静なお人柄のおかげで、決して暴走することなく(笑)、ある意味実証的な内容ですね。
 私は、中矢さんと内記さんには直接お会いしてお話させていただいたことがあります。お二人ともに、信念が強く真っ直ぐな方。しかし、一方で謙虚さやユーモアを持ち合わせた方でしたので、私もすっかりファンとなってしまいました。
 ところで、この本の表紙にはいきなり「富士は爆発するぞ!」とあって、まあ、それでつい手にとってしまう方も多いことでしょう。私もそうでしたが。
 しかし、私にとっては予想通り、「富士爆発」というのは、たとえばそれによって日本が壊滅するとかそういう話ではありません。
 もちろん科学的には「必ず富士は爆発(噴火)する」わけであって、別にこの言葉は大げさでも嘘でもありませんよね。
 ただ、それを合図にして、あるいはそれを一つの比喩として、日本が立て替え立て直しの時機を迎えるということはたしかなようです。そういう意味での「大変動」は起きるのでしょう。
 巻末の天明自身による富士爆発予言は、私にとってはちょっと「やりすぎ」な感じがあります。注意喚起を超えてしまう、(今も盛んな)危惧や恐怖を煽る内容に偏っているかもしれません。正直、霊的な信憑性(そんなものがあるのか知りませんが)はないし、私の知りたいこともあまり書かれていないと感じました。ま、あくまで私のトンチン勘ですけど(笑)。
 それ以上に、ここでも鼎談での黒川さんの言葉にいろいろ刺激を受けました。いずれ黒川さんにもお会いしていろいろ教えていただきたいと思います。
 それにしても、最近の私にとっての昭和19年というのは、いろいろ深い意味がありますなあ。
 たとえばこの本にも紹介されていましたが、我が家にあって大活躍のあの出口王仁三郎の耀わんは、昭和19年の12月28日に突然制作が始まります。
 そして、その日、岡本天明の富士と鳴門の神業も始まります。
 また、仲小路彰が山中湖に疎開してきたのも昭和19年。
 私にとってはこの3人は完全に同じ霊統。それぞれの次元で「霊」と「体」をつなぐ存在です。しかし、また、この3人で全てだとも思いません。まだ、つなげるべき人がいるような気がしています。
 とりあえず、この3人のことをもっと勉強しなければ先に進めそうにありません。
 一人ひとりとってもトンデモない小宇宙です。これは大変ですなあ。でも、一方でとても楽しみです。
 いろいろな人の力を借りて、なんとか生きている内に目に見える結果を出したいと思っています。

Amazon 富士は爆発するぞ! 日月神示が語る今この時 緊急未来予測シミュレーション

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2013.10.06

『岡本天明伝』 黒川柚月 (ヒカルランド)

[日月神示]夜明けの御用 初めて明かされる雛型神業の足跡!
20131007_110435 日もまた、岡本天明ゆかりの「鳩森八幡神社」を参拝してきました。いや、音楽の練習場所がそのすぐ近くでして、必ず通りかかるので、ならばと境内を軽く参拝しているだけなのですが。
 しかし、今日はちょっと違う感じがしました。というのは、最近この本を久しぶりに読んでいるからです。
 ここがその舞台なのか…そう思うだけで、当然いつもの風景が変わって見えます。
 とにかくですね…変な表現ですが…これはなんだか分からないけれども、とんでもなくスゴイ本です。
 ある程度そういう世界に詳しい私でも、あまりにも初めて知ることが多すぎて、正直まだしっかり理解できていません。もう三度ほど読み返したのですが。
 こういうフィールドワーク的な原典研究を、黒川さんというお一人の方がされたという事実だけでも、本当に恐ろしいくらいすごいことです。
 もしかすると、これ自体が「神業」なのかもしれませんね。
 日月神示、王仁三郎、富士、甲斐、十和田、諏訪、三島由紀夫、笹目仙人など、最近私が深く関わっているキーワードがどんどん出てくるだけでも恐ろしい。それもかなり具体的な形で初めて私の前に現れるから、ひるんでしまいます。
 漠然と感じていたモノがこうして歴史的なコトとして提示されると、私には実に不思議な感覚が湧いてきますね。
 一つは、なるほど!という驚き。もう一つは、これは本当なのか?という疑念。それらがないまぜになって、結局「なんだか分からないけれど、とんでもなくスゴイ」になってしまう。
 前者の驚きは納得でもあります。それはおそらく自分の勘とのマッチングが良い情報なのでしょう。反面、後者のような疑念は、自分の勘とのズレが生むものです。
 私は全く科学的な(手続きを踏む)人間ではないし、正直言うと、そういう検証作業が苦手です。だから、いつも受け売り、というか、他人の褌で相撲を取ってばかり。
 たとえば黒川さんのお書きになった情報の必要なところをかいつまんで自分の知識にしてしまう。ある意味かなり怠惰でずるい人間です。
 今回もそういう気持ち満々で読み始めたのですが、途中から…何度も書いているように…恐ろしくなってしまいました。これはあまり軽々しくつまみ食いできないぞと。
 一つの例としては、甲斐の御用に関する新事実。
 桜沢如一がここに関わってくるとは夢にも思っていませんでした。ジョージ・オーサワ(桜沢如一)と言えば、マクロビオティックの元祖としてあまりにも有名です。
 彼の原子転換も含めた、ある種のトンデモな(疑似科学的)な言説は、あの時代の空気としては全く普通の領域にあり、最近あの時代のそうした「自由」な空気に興味を持っている私としても、彼は一つの興味対象でしかありませんでした。
 あの頃の「自由」のほとんどが、現代では「トンデモ」「疑似科学」などと非難、揶揄されている中で、なぜ「マクロビオティック」はいまだこんなに人気があるのか。これはたしかに「疑念」を生んでいましたが、まさか、こうして日月神示、岡本天明と強く結びつくとは…。
 私は基本、現代のなんちゃってマクロビには大反対の人間です。どちらかというと自己流の「一日一食」主義を実験中(もう10年目)で、まあ少なくとも桜沢如一よりは長生きしようと企んでいます(笑)。
 それはいいとして、とにかくこの本の情報があまりにも詳細にわたって「出来すぎ」なので、私は混乱しているのであります。
 もちろん、黒川さんの研究はこれで終わったわけではなく、ほんの麓に到達しただけかもしれません。いや、きっとそうだからこそ、その背後にある巨大な山塊に私は恐怖しているのでしょう。
 日月神示については、まだまだ私は勉強不足。いや、まだその時機が来ていないと思っていました。そろそろかなとも感じますが、なにしろ怠惰なの人間ですから、ほかのことにかまけて当分手を付けられそうにありません。
 せめて、この本を時々読み返してみて、その時々の自分の勘にまかせていろいろ夢想してみようと思います。
 黒川柚月さんの今後の研究成果に大いに期待したいと思います。

Amazon 岡本天明伝

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2013.10.05

アリス 『遠くで汽笛を聞きながら』

 日のNHK「SONGS」はアリスでした。久しぶりに大好きな「遠くで汽笛を聞きながら」を聴き、思わず涙してしまいました。
 復活アリスの動画がないので、キンちゃん抜きの名演をどうぞ。

 この曲が発売されたのは1976年。私は12歳。四つ上の姉がアリスのファンでよく一緒に聞いていました。いろいろな名曲がある中で、私はこの曲が特別に好きでした。
 コテコテのコード進行でありながら、品位のある整ったメロディーと深みのある歌詞、圧倒的な歌唱のおかげで、歴史に残る超名曲となっていますね。
 堀内孝雄と谷村新司のツイン・ヴォーカルって…考えてみると、とんでもないっすね。
 さっき家族と「ゆず」って下手すぎるという話をしてました。ちゃんとハモってない。ま、そういう庶民性が人気の秘密なのでしょう。カラオケで素人が挑戦したくなる程度の実力(笑)。
 それに比べて、アリスってカラオケで挑戦しにくいですよね。チャンピオンとか盛り上がりますが、二人で上手にハモリつつ聴かせるのは難しい。ただ声を張り上げればいいわけじゃないですからね。
 いやあ、それにしても「遠くで汽笛を聞きながら」、素晴らしい名曲ですね。歌詞もなんとも深いなあ。作詞谷村新司、作曲堀内孝雄…。
 ところで、この曲を聴きながら、思い出したことがあります。
 今日は横田めぐみさんの49歳の誕生日なのです。
 こちらに書いたように、めぐみさんと私とは幼なじみと言ってもいいご縁があります。
 めぐみさんが拉致されたのは1977年。この曲が発売された次の年です。彼女もきっとこの曲を耳にしていたことでしょう。
 私はその後のアリスの名曲を聴くことができましたし、こうして復活アリスを聴くこともできた。めぐみさんはその後のアリスは知らないのだろうなあと思うと、この曲の歌詞もメロディーもまた心に沁み入るのでありました。めぐみさん、歌が上手でしたし。
 めぐみさんが祖国に戻り、アリスのニューアルバムを聴く日が必ず来ると信じます。

Amazon ALICE XI

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2013.10.04

戦没者の慰霊はどうあるべきか

20131005_94736 日は非常にナイーヴな問題について少し語りましょう。あくまで「少し」ですが。
 驚きましたね。今日、ジョン・ケリー国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官が千鳥ヶ淵墓苑で献花をしたというニュース。
 マスコミで解説されているように、これは安倍総理の「靖国神社≒アーリントン墓地」発言を受けてのものなのでしょうか。
 今月の中旬には靖国の秋の例大祭が行われ、安倍総理が参拝するかどうかが注目されている折、ある意味では見事なパフォーマンスであったと思います。
 はたして総理は例大祭に参列するのでしょうか。すべきなのでしょうか。
 靖国問題について、世論はず〜っと、「すべきだ」と「すべきでない」と「興味ない」に分かれています。何事もそうですけれども、こういう三者に分かれている時というのは、絶対に良き結論には至りません。一部の勝ち負け論議になってしまい、それこそ戦争の原因にさえなってしまうこともあります。
 おそらくその三者は、「戦争はいけない」「命は大切だ」「ご先祖様を供養することは悪いことではない」という点においては基本同じはずなのに、結果として献花…ではなくて喧嘩になってしまうのは実に残念なことです。
 私は、そういう状態こそが「戦後レジーム」であると思います。二元論的視野狭窄。
 結局、仲小路彰の言うように、二元論のどちら側も唯物論に陥っているということでしょうか。
 私は今年こそ、そこから脱却して、我々は(世間で流行っているのとは違った意味で)アセンションを起こさなければならないと思っています。
 8月に紹介した堀内光雄さんによる『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』も非常に示唆に富む内容ではありましたが、しかし、やはり論議の次元は「戦後レジーム」でした。
 では戦中・戦前レジームはどうかというと、たとえば、先月紹介した丹下健三による『大東亜建設忠霊神域計画』、これはたしかに次元は高いけれども、やはりまだ何か足りません。
 そうです。結論的に言ってしまうとですね、戦没者の定義が狭いということなのです。つまり、未来において慰霊、顕彰すべき「戦没者」は、大東亜戦争戦没者だけではなく、世界史、人類史上全ての戦争の戦没者なのです。
 実は、これは、仲小路彰の考え方の受け売りです。いや、受け売りというのは少し違う。私は完全に彼のその発想に共感し、納得しているのです。
 「地球戦没者慰霊・顕彰施設」の建設。
 私は今、真剣にそれを実現したいと考えているのです。
 何をトンデモないことを言っているのかと思われそうですね(苦笑)。
 しかし今、実際に大きな動きが始まっています。もちろん反対勢力による妨害活動などもありえますが、もうそろそろそんなコトでは止められない、巨大なモノが動き始めているのです。
 もちろんそれは宗教という枠にも収まりません。宗教関係は宗教関係で、また別の動きがあるでしょう。それはそれで結構です。ぜひ両輪としたいところです。
 というわけで、「少し」と言っておきながら、なかなか壮大な話になってしまいましたね。
 しかし、こういう壮大な良き妄想というのは大切です。何と言われようとやるしかありません。
 

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2013.10.03

臨済寺(静岡市)参拝

Img_7370 縁あって静岡市の大龍山臨済寺を参拝させていただきました。
 臨済寺は修行道場なので通常は一般公開はされていませんが、今日は妙心寺派の高僧の皆さんに混ざらせていただき、野狐禅師のワタクシも奥の奥まで拝観させていただきました。
 静岡市大岩と言えば、私が中学時代の一部を過ごした場所。いろいろな思い出があるところです。また、通っていた高校もすぐ近くでしたので、臨済寺には何度か足を運んだ記憶があります。
 そのころはこうして坊主頭になってホンモノのお坊さんに混じって参内するなんて夢にも思いませんでしたね。まったく人生はどうなるか分からない(笑)。
Img_7369 いやあ、本当に素晴らしい叢林でありました。修行道場としての風格はもちろんお見事。どの一隅にも禅の奥義が感じられました。
 また、今川氏の菩提寺であり、徳川家から格別な庇護を受けておりましたから、さりげなくとんでもないお宝がゴロゴロ…いやいや、そういう目で見てはいけないのか。
 まあ、詳しい寺史縁起は他のサイトに譲るとしまして、私が現地でふと思い出したことを書いておきたいと思います。
Img_7364 臨済寺は開山が二人いるという珍しい寺ですが、実質的な開山は雪斎長老です。雪斎は太原宗孚とも名乗る名禅僧。
 太原は京都の妙心寺や大徳寺にもゆかりの深い僧ですが、彼とその両寺にまつわる面白いエピソードがあります。
 妙心寺の古記録である正法山誌などによると、太原はある時、宋の牧渓による観音像、左右猿鶴の画三幅と銅銭五十貫文のどちらか一方ずつを、妙心寺と大徳寺に寄進することとしました。
 まず妙心寺にどちらを望むかたずねたところ、妙心寺は銅銭がほしいと答えました。その結果、大徳寺には画三幅が贈られました。
 妙心寺はその金で現存する山門を造営したとのこと。また、大徳寺に贈られた画は今では国宝となっています。
 実はそんな現金な(失礼…笑)妙心寺は「算盤面(そろばんづら)」と呼ばれるようになりました(今でも言われている)。一方、現金よりも茶の湯や絵画などの趣味(?)に力を注いだ大徳寺は「茶面」と呼ばれています。
Img_7358 それぞれの「アダ名」がついた理由には異説もありますが、たしかに妙心寺派のその後の(コンビニの蔓延のごとき)すさまじい教勢拡大には、巨大なカネ勘定が絡んでいたことはたしかです。ま、近世とはそういう時代だったのでしょう。
 そのへんにつきましては、こちらを読むとよく分かります。
 ちなみに京都検定にもよく出る、「◯◯の〜面」には他にも次のようなものがあります。覚えておきましょう(笑)。

『建仁時の学問面』
『南禅寺の武家面』
『東福寺の伽藍面』
『相国寺の声明面』

 どれもちょっと皮肉が入っていますが、そんなところも京都の雅なユーモアなんでしょうね。
 

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2013.10.02

伊勢神宮遷御の儀に思う…

Plc13100220530010p1 職首相の参列は戦後初だとか。意外と言えば意外です。
 日本の歴史と文化と精神を象徴する「式年造替」「遷座」「(国)譲り」については、5月に『出雲大社の遷座祭に思う…「国譲り」とは』という記事として比較的詳しく書きましたので、ぜひご覧ください。
 そこで特に強調しました「第二の国譲り」の話。物部氏と聖徳太子の話ですね。そこには大物主の鎮まる三輪山が登場していますが、総理夫人である昭恵さんは今日の伊勢遷御参列の前に、しっかり大神神社に参拝しています。
 これは偶然かもしれませんが、実は式年遷宮(式年造替)にまつわる話として、昭恵さんと「第二の国譲り」についてかなり詳しくお話をしたことがあるのです。かなり重要な資料もお渡ししてあります。
 昭恵さんは本当に直観が豊かで鋭い方なので、その行動にもしかするとその話が少なからず影響を与えているかもしれません。
 もしそうだとすると、総理の陽のお働きを支える、見事な陰のお働きをなさったと思います。これこそが実は感動すべきことなのです。日本を取り戻すための重要な陰陽の作用はすでに動き始めています。
 言うまでもなく、伊勢神宮内宮には天照大御神が祀られています。首相の国連での演説にもあった「女性の力」を象徴する神様ですね。
 今、世の中で起きていることは本当にいろいろと象徴的です。
 もしかすると、消費税増税も「第六の国譲り」の一部なのかもしれません。
Gedc4992 ところで、今日富士山には久しぶりに「龍脈雲」が発生しました。大神神社や伊勢神宮のある西からの気の流れが富士に集中し、そして富士山でやや進路を変えて大正天皇や昭和天皇の陵のある八王子付近を通って一気に皇居に向かう。
 私は日本が良い方向に変わっていく大きなエネルギーを感じました。それと同時に近未来的な意味での自らの行動指針が決まりました(というか、向こうからやってきた)。
 頑張ります。


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2013.10.01

税金の払い方…「知恩者解報恩」

News185193_pho01 倍総理は来年4月消費増税を決断しました。
 17年ぶりの増税が、これも17年ぶりの米国政府一部機関閉鎖と重なったあたり、昨日の記事でほのめかした「裏」を感じるものがあります。
 ところで、昨日も書いたとおり、これは私たちにとってチャンスであるとも言えます。
 経済と財政のバランスこそ、今、世界において国家が信頼されるための最大のファクターとなっています。
 結局のところ、国内経済の発展のためには、そうした国際的な信頼を得なければならないわけです。
 そういう意味でもチャンスだと言えます。実際、小幅ながら株価も上がりましたね。
 近視眼的に考えれば、物の値段が上がるとか、景気回復の腰が折れるとか、そういう実に庶民的な言葉も出てきます(もちろん、それも事実なので悪いことではありませんが)。
 しかし、今こそ日本人は「遠視眼的」な発想を持つべきなのではないでしょうか。
 それはエコノミーという世界におけるギブアンドテイクに限らず、人間の心や行動におけるギブアンドテイクの関係についても言えるのです。
 来週、私の奉職する学校で創立50周年式典が行われます。私にとってもいくつかの意味でとても重要な日となりそうです。
Img_5821 我が校のある部屋に、昭和の名僧、臨済宗円覚寺派管長であられた朝比奈宗源老大師の書があります。まさに我が校が創立したその50年前に揮毫いただいたものと思われます(ちなみにあの「水戸黄門」や「大岡越前」の文字も師によるものです)。
 「知恩者解報恩」
 恩を知る者は恩に報ゆるを解す…と訓むのでしょうか。
 禅語としては「知恩方解報恩」というのがありますね。朝比奈宗源老大師も深く研究されていた「臨済録」にある言葉です。
 いずれも、「人のおかげさまで生きていることを知ると、その恩に報いることができる」と解釈することができます。
 税金というのは、実は非常に遠視眼的なギブアンドテイクです。もうお分かりと思いますが、私たちは近視眼的になると「税金を搾り取られた」という言葉を発します。
 もちろん、私たちの今の生活は、過去の誰かの税金によって支えられているわけで、これは仏教で言う「恩」にほかなりません。
 「四恩」という言葉があります。仏教における四つの恩の形態のことです。
「布施」=分かち合い
「愛語」=優しい言葉
「利行」=利他的な行為
「同事」=平等な態度
 税は布施と利行に該当するでしょうか。
 そうした「恩」によって私たちの生活(生命)が保たれているということを意識すれば、それに報いるために喜んで税金を払うことができるようになります。
 そうそう、この前、税務署長さんらに演説してしまったのですが(笑)、日本の学校では「税」は搾り取られるものとして教えられるんですよね。つまり、歴史教育においてです。「年貢」ってそういうイメージがあるじゃないですか。小学校の時から、「年貢を搾り取られて貧苦にあえぐ庶民」像ができあがってしまう。これはいけませんね。
 本当なら、私たちが有史以来、いや地球創世以来、いや宇宙開闢以来ずっと、無数の縁と恩によって生かされてきたということを教えるべきなんでしょうね。そうすれば、私たちは無限に「布施」できるはずなのです。
 まあ、そんな理想論、理念的、宗教的なことを言っても、やはり増税は増税、搾り取られてるんだよと言う人がいるのも理解できます。しかし、せめて、どうせ払うなら「いいことをしている」と思いたいですし、「いずれ子孫に返ってくる」と思っていたいですね。
 皆さんも、それぞれの次元で、「税金の払い方」を考えてみてはいかがでしょうか。

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