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2013.09.30

消費税増税の裏に何があるのか…

 て、明日の夕方には消費税増税の発表があるのでしょうか。総理は何も言っていないのに、新聞やテレビではもうすっかり増税が決定したかのような報道が。
 もちろん、増税しないという選択肢もまだ残っていますし、いずれにしても、いきなりのショックよりも、前もってある程度の覚悟をしておいてもらうというのは、演出的…いやいや、危機管理的に間違ったことではありません。
 土曜日にチャンネル桜で放送された、消費税増税反対論者たちの熱い討論が実に切実でした。
 しかし、景気回復の腰折れを承知であえて増税に踏み込む安倍首相の真意はどこにあるのか。この討論からは見えてくるでしょうか。
 今、ここには書けませんが、私はある程度分かっているつもりです。財務省や世界経済うんぬんではありません。ましてや木下さん個人とか、あるいは逆にユダヤ財閥がなんだかんだという話ではない。
 もっと、深く、未来的な話です。
 私たちには直接見えない大きな力が、ある面では日本にとってマイナスのプレッシャーとして襲いかかっているのも事実ですけれども、しかし、それも必要なる「荒魂」なのです。
 まさに新生日本のための産みの苦しみ。私は基本的にはプラスに考えようと思っています。
 この討論では水島先輩(高校の先輩です)に対して失望したというコメントが多くありましたね。逆に倉山さんの勢いある「正論」に味方が多かったようです。
 私は逆でした。この夏には、水島さんとも倉山さんともお会いしましたけれど、もうその時、私には言葉にできないある種の直観が働いていました。
 私は水島さんの微妙な変化こそが、日本の良い変化の兆しだと思います。
 皆さんはどうお感じになるでしょうか。
 また、明日、総理の発表があったら何か書こうかと思っています。

 もちろん、増税延期の可能性もまだ残っていますよ。

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2013.09.29

告知…11/9『トークと歌・古楽アンサンブルで親しむ“パーセルのオペラ”』で演奏します。

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2013年11月9日(土)午後2時開演(1時半開場)
横浜市開港記念会館講堂

入場料: 3000円(前売り・予約 2500円)(全自由席)

 オペラ
「ディドとエネアス」 抜粋 
「妖精の女王」より アリア・合唱 他  

朝岡聡さんのご案内による演奏会形式のコンサートです。
 
出演

ゲスト  
木島千夏(ソプラノ)
藤井大輔(バスバリトン)
小野萬里(バロック・ヴァイオリン)
櫻井茂(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
寺村朋子(チェンバロ)

アンサンブル山手バロッコ(朝岡聡主宰)
朝岡聡(お話、リコーダー)   
加藤詩菜(ソプラノ)、曽禰愛子(メゾソプラノ)、並木隆浩(テノール)、曽禰寛純(フラウト・トラヴェルソ、リコーダー)、角田幹夫、原田純子、山口隆之、小川有沙(バロック・ヴァイオリン、ヴィオラ)、飯塚正己(コントラバス)

詳細、チケット購入はこちら

 日の結婚式から江戸で車中泊して、今日は一日演奏会へ向けての練習。
 5弦ヴァイオリンで即興演奏から、バロック・ヴァイオリンでパーセルへ。ジャンルは違えど音楽のスピリットは変わりません。まず自分が楽しまなければ。
 私は久しぶりの練習参加。超一流のプロの方々と練習するというのは、ある意味プレッシャーもありますけれども、しかし、やはり発見が多くてとにかく楽しい。こういう勉強は楽しいよなあ。学校でもこんなふうな体験をさせられればなあ。
 これは楽しみな音楽会になりそうですよ。ぜひ皆さまにおいでいただきたい。
 あらためてパーセルという作曲家の天才性を確認させられます。何度かブログにも書きましたが、彼がもっと長生きしていたら、近代音楽は全く違った進化をしていたかもしれません。
 あるいは、彼が現代に生まれていたら、どれほど画期的な音楽を創っただろう。そんな妄想をもかきたてる音楽たちです。
 …と、言葉で語るより、聴いて観ていただくのが良いかと。ホグウッド指揮による「ディドとエネアス」です。この演奏、舞台もすごいな。


 

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2013.09.28

ジェイク・シマブクロ 『143』

Jake Shimabukuro - 143 (Kelly's Song)
Img_7309 日は東京で教え子の結婚式に出席。冒頭のスピーチを任されていたことをすっかり(わざと?)忘れて、またまたアドリブでやってしまいました。
 ま、教え子たちがたくさんいたので、いつもどおりで良しということで(笑)。私がまじめにスピーチしたら逆に笑われちゃいますからね。
 さらに余興まで即興でやってしまいました。いちおうこれをやろうということは聞いていましたが、新郎の弟くんの弾くウクレレと合わせるのは本番が初めて。あっ、私が弾いたのは5弦ヴァイオリンです。
 かなり酔っ払っていたせいもあって、実に気分よく演奏させていただきました。何をやったか全く記憶にありませんが(笑)。
 いやあ、このジェイク・シマブクロの「143」、いい曲ですね。コテコテと言えばコテコテのコード進行の連続ですが、おかげで即興もやりやすかった。
 皆さんもぜひお聴き下さい。まずはアルバム・ヴァージョン。

 ヴァイオリンが入ってますね。もちろん私は全く違うことやりましたが。
 ウクレレのソロヴァージョンもどうぞ。うまいなあ。ウクレレ界に革命を起こしましたね、彼は。

 シマブクロという名前から分かるように、彼は日系5世です。沖縄系でしょうか。
 彼の恐るべき演奏技術と、音楽センスがよく分かる演奏を一つ紹介します。あのクイーンのボヘミアン・ラプソディをウクレレ一本で見事に弾いています。

 ちなみにジェイクの弟ブルースも名ウクレレ奏者です。兄弟の共演をどうぞ。

Amazon Peace Love Ukulele

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2013.09.27

メタリカ 『エンター・サンドマン』

Metallica 「Enter Sandman」
201309269764891n 日の続き。
 安倍首相の国連での演説もなかなかいい内容でした。「ウィメノミクス」に象徴される女性文化の再評価については、この夏、私も昭恵夫人を通じて具体的に首相に進言させていただきました。
 安倍首相はニューヨークで計3回の演説を行いました。ものすごいバイタリティーですね。日本の勢いを伝えるのにこれほど効果的なことはありませんね。素晴らしい行動力であると思います。
 そして、その内容がなかなか良い。うまい。ライターさんがどなたかは知りませんがお見事です(元「日経ビジネス」の記者さんだとか)。そういう優秀なブレーン、スタッフでしっかり固められている感じが伝わってきますね。
 さて、今日はそんな優れたスピーチの中で、私も思わずほほえんでしまった内容について書きましょう。
 昨日少し触れたハドソン研究所での演説の前に、安倍さんは日本の首相としては初めてニューヨーク証券取引所で演説を行いました。これもまた、いい内容でしたね。こちらでぜひ全文をお聴き(お読み)ください。
 そのスピーチの最後に、ロックバンド「メタリカ」の名前が出てきます。安倍さんの口から「メタリカ」が…もうそれだけでも非常に刺激的ですよね。特にその日のアメリカ人にとっては実にタイムリーで洒落たトピックだったはずです。う〜ん、うまいなあ。
 というのは、あのヤンキースのクローザー、リベラ投手の入場曲がメタリカの「エンター・サンドマン」であり、そのリベラ投手の引退セレモニーが行われた22日に、メタリカ本人たちがゲリラ・ライヴをやったんですよね。それが全米の大きなニュースになりました。
 ということで、今日はその様子をご覧いただきながら、リベラ投手とともにメタリカの偉大さをも再確認してみましょうか。

 私、けっこうメタリカ好きなんですよね。記事としてはS&Mなどを紹介しています。このすさまじいライヴ・アルバムにも「エンター・サンドマン」が収録されていますね。そっちもぜひ。カッコいい!

Amazon S&M(特別版) [DVD]


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2013.09.26

安倍首相がハーマン・カーン賞受賞

Nshinzoabelarge570 のニュースは地味に重要ですね。今日未明にハドソン研究所で行われた受賞記念演説の内容もなかなか意味深でした。
 ご存知のようにハーマン・カーンは、あのガンダムのハマーン・カーンの語源になった人。そして、スタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」のストレンジラヴ博士のモデルの一人と言われています。
 ハーマン・カーンが早くから日本の高度成長や国際的地位の向上を予言していたのは有名な話です。安倍総理の大叔父である佐藤栄作さんにも大きな影響を与えていました。
 カーンはドクター・ストレンジラヴのモデルになるくらいですから、ある意味過激な平和主義者でありました。20世紀中に日本は核武装するという予言も残しています。
 カーンの専門分野は「未来学」でした。今、私が注目している仲小路彰の「未来学」とはやや趣を異にしますが、未来を「読む」という基本の部分、あるいは「原子力」に注目していること、平和のためには戦争の研究をしなければならないという点では似ているとも言えます。
 レーガン元米大統領、チェイニー元副大統領、キッシンジャー元国務長官…ハーマン・カーン賞の歴代受賞者を見ると、そういったカーンの思想傾向が反映されていることが分かりますね。そして、今回安倍さんは外国人としては初めて同賞を受賞することになった。
 ここで地味に(笑)書いておきますが、これは安倍さんが将来「ノーベル平和賞」を受賞する前触れの一つです。これが私の「未来学」的予言です。
 今回の北米訪問の中で時々聞かれる「積極的平和主義」という言葉。これこそが21世紀の平和主義の主流となっていくでしょう。
Kahn 先にことわっておきますが、私の究極の理想はその先にある真の平和(地球平和)です。しかし、現在の人類はまだそのレベルにまで至っていない。だから、その先に行くために、現実的な平和主義を掲げて実行しなければならないと考えています。
 私は比較的安倍総理に近い立場にいさせてもらっていますのでよく分かっています。安倍総理の見据えている理想的な世界観を。
 もちろん、その理想が安倍さんや私が生きている間に実現するとは考えていません。未来への道のりをつけることこそが、私たちが生きている間にすべきことです。だから今、「積極的平和主義」が必要なのです。そこを理解しないで、それこそやれ右翼だ、軍国主義者だなどと言ってほしくないですね。
 理想は非常に大切です。だから私は左翼の方々をも理解しますし、ある部分では尊敬すらしています。しかし、それだけでは、彼らの理想は実現しないのです。
 そういう意味で、私はカーンや仲小路や安倍さんは優れた「理想主義者」であり、「現実主義者」であると思うのです。
 いろいろと話が飛んでいますが、最後に私の未来学的予言をもう少し。
 やはり、7年後の東京オリンピックが鍵を握りますね。安倍さんも「積極的平和主義」の象徴として五輪を捉えているようです。
 そして、そこで存在感を示すのが、その先の理想的地球平和、すわなち「みろくの世」の象徴たる「富士山」ということになります。
 最近何度も書いているように「荒魂」が「和魂」を招来するということですね。
 さらにそこに大きく関わってくるのが「女性」です。安倍さんの国連での演説が楽しみにですね。
 非常に素晴らしい、そして面白い、楽しい流れになってきました。
 ハーマン・カーン賞から、こんなことを感じ、考えているのは私くらいでしょうから、だからこそここに書いておきます。


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2013.09.25

探検バクモン「"性"をめぐる大冒険 完結編」 (NHK)

20130926_90531 6月に放送されて物議をかもしたバクモンのLGBT特集。再放送を中二の娘と一緒に観ました。
 ウチはあらゆる面でボーダーレスな家なので、お年頃の娘と父親がこういう番組を並んで観ていても大丈夫。それも父親はオヤジシャツにブリーフというあられもない姿(笑)。
 そうそう、先に書いておきます。この番組の再々放送が金曜深夜にあります。御覧になってない方はぜひ…9月28日(土)午前1:15~<総合>(金曜深夜)再放送予定。
 爆笑問題が新宿二丁目を舞台にLGBTの本音と文化に迫る2回シリーズの完結篇。LGBTってお分かりになりますか?
 L…レズビアン
 G…ゲイ
 B…バイ・セクシャル
 T…トランス・ジェンダー
 つまり、性の世界でのマイノリティです。現在、世界基準ではこうしたマイノリティの人権や文化が大いに認められつつありますが、日本ではまだまだ差別的な目で見られることが多い。
 私は、仕事柄、そして音楽を趣味にしているからでしょうかね、比較的LGBTの友人や知り合いが多くいます。
 そういう中で自然に生活してきた…というより、そういう方々がいわゆるマジョリティよりも不思議な魅力を持っている場合が多かったからでしょうか、正直言うと違った意味での、つまりプラスの意味でのボーダーを自分と彼ら彼女らの間に感じてきたのです。
 それもまたある種の差別ではないかと言われかねませんが、お分かりになる方にはお分かりになるでしょう。そんな次元で私は言っているのではありません。
 だいたいが、マイノリティだマジョリティだというのは、多数決の論理、あるいは民主主義の論理であって、非常に近代的な感覚なのです。
 民主主義は多数決の論理ではない、少数意見を尊重する主義だと言う人もたくさんいますが、少数という言葉を使っている時点で、数の論理の上に成り立っている主義であることを証明してしまっていますね。
 私は近代よりも古い人類の知恵に興味がある人間なので、現代日本の「遅れた」文化や社会習慣を、西洋的な発想で、すなわち今の欧米の文化をそのまま輸入して「進化」させていくことにはあまり賛成できません。
 そういう意味ではLGBTという呼称にもちょっと違和感があります。また、もしマイノリティと言うとするにしても、「性」の分野だけがこうしてクローズアップされていくことにも少し抵抗があります。
 古来の日本には「異なるモノ」に対して「聖性」を感じ取る独特な感性がありました。一つ一つについてはここでは挙げませんけれども、その象徴が天皇であったりした時代もけっこうあります(今でもそうかもしれません)。
 数の論理ではなく、また西洋近代的な価値基準でもない、問題解決のための知恵があるような気がしてなりません。
 マジョリティも所詮マイノリティの集合体にすぎませんし。どんどん微視的になれば、どれもが孤立した個であって、さらに微視的になっていくと、いつのまにか素粒子という非常に単純な共通項になっていってしまうというパラドックスも生じます。
 微視が巨視になってしまうという矛盾こそが、「コト」を窮めて「モノ」に至り、その先には「マコト」があるという宇宙の本質なのです。
 なんて、とんでもなく微視的(巨視的)な話になってしまいましたね(笑)。
 いずれにせよ、この思い切った番組には、不思議な「聖性」が感じられたのは事実です。はたして皆さんは何を感じるのか。自分を測る試金石として金曜深夜の再放送をご覧になることをおススメします。

探検バクモン公式

 

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2013.09.24

『エルミタージュの猫たち~女帝と猫と名画の奇妙な物語』 NHK BSプレミアム

20130925_105742 わぁ〜、サンクトペテルブルク行きたくなっちゃった。
 昨年放送され見逃してしまった番組の再放送がありました。
 サンクトペテルブルク、エルミタージュと言えば、昨年、出口王仁三郎関係で知り合った指揮者の藤野栄介さんがいらっしゃる。これはお願いして案内していただかねば。
 なんでもエルミタージュ美術館ではエカテリーナ二世の時から猫を飼っているのだとか。もちろん、収蔵品をネズミから守るためです。
 そう、猫は世界中どこでも人間の生活を守ってきたのです。この富士山麓でも、絹織物をネズミの害から守るために、猫を神様として祀っています。
 まあ、それにしてもエルミタージュの猫たちはなんとも幸せそうでしたね。なにしろエサ係や医療係など、正式な職員がたくさんいるのですよ。うらやましい…いや、猫じゃなくて、その仕事がうらやましい(笑)。
 番組観ながら一番興奮していたのはカミさんです。猫キチにはたまりませんね。
 そして、「私がたくさんいる」と。それはどういう意味かというと、そう、ウチのカミさんの顔ってどう見てもロシア人、それも西部の方の顔なんですよね。東欧系とも言える。
 たしかにあの街に行っても全く違和感ないでしょう。私がソウルで韓国人に道を聞かれたように(笑)。
 それにしてもエルミタージュ美術館の猫たち、みんないい具合に肥えてたなあ。ああいう太った半野良猫たちって一番カワイイ。人間と一緒に暮らしているけれども、しかし自由で気まま。
 猫の平和は人類の平和…というような言葉が紹介されていました。分かります。
 第二次世界大戦とその後の猫の受難と復活はそのままサンクトペテルブルク(レニングラード)の受難と復活の物語となっていました。
 子どもたちの描いた猫の絵によるアニメーションがなんとも良かったなあ。もう町並み自体がまるで絵本の世界ですからね。
 もちろん、エルミタージュ美術館が所蔵している素晴らしすぎる美術品の数々については、語り出せばきりがありません。その一部が日本に来た時には私もよく観に行きました。
 しかし、なんと言いましょうか、そうした名画の数々に負けない猫たちの美しさとでも言いましょうか、そうですね、ウチの不細工な猫たちを見ていても思うのですが、猫って完璧なデザインしてますよね。
 いろいろな動物たちの中でも秀逸に「人間好み」のデザインです。これは、自然の進化というよりも、明らかに人間に好かれるように進化している。
 これはおそらく種の生き残りのための手段だったのでしょうね。
 逆もあるじゃないですか、不快害虫という、まさに人間のわがままな美意識(醜意識?)のレッテルを貼り付けられたカマドウマとか、逆にあれも秀逸すぎますよね。人間に嫌われることによって敵を避ける方法をとったとしか思えません(笑)。
 その点、猫はその性格や動きも含めて見事に人間好みに進化していますね。
 そして、面白いのは、今日の番組でも紹介されていた名画の中の猫たちが、実はあんまり可愛くないということ。
 これは日本の絵画においてもそうなのですが、いわゆる写実に走ると猫は可愛くなくなる。
 それがたとえば、この前紹介した仁科幸子さんのネコなんか、とっても可愛くて、猫の本質を表現している。
 これは私たちの実感が、決して写実に基づくものではないことを証明しています。先ほど書いた、性格や動き、我々との時間、そして進化の意志まで含んだ総体としての「猫」は、決して写実では表現できない。
 特に日本人は「イメージ」で対象をとらえますからね。それがたとえば西洋では印象派という技法として受け入れられたわけじゃないですか。
 この「写実」の問題は、実は西洋絵画にとっての大きな壁でした。特に、輪郭線を失ったダ・ヴィンチ以降は。
 …と、そんな屁理屈も全く気にせず、自らの「美」を自然に表現しているエルミタージュの猫たちは、猫こそがもしかすると神の創造した最も優れた造形なのではないかと思わせるに充分な「たたずまい」をしておりました。
 ああ、行きたい!行こう、いつか。

エルミタージュ美術館の猫軍団

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2013.09.23

キングオブコント 2013 (TBS)

22669052 とといのジャズ、昨日のプロレスに続いて、私のお好み文化である「コント」。
 どれも「呼吸」が大切。シナリオとアドリブ、そしてリズム。だからこの三つは難しいし、うまく行くと深いものとなる。
 中学の学園祭に向けて「コント同好会」の部員募集をしようと思っています。まじめな演劇もやるのですが、一方で幕間にコントもやります。もちろん私にとっては演劇とコントは全く同じ次元に存在しています。
 そういう意味でも今年度の優勝者すなわちキングが「かもめんたる」になったのはいいことです。なぜなら、彼らはしっかりしたシナリオと演技力を持つ、どちらかというと芝居系のお笑い芸人だからです。
 実際、彼ら「劇団」を名乗っていた時もありますからね。
 ファイナルに残った他の芸人さんたちは、どちらかというと、テレビ的なその場しのぎに陥っている傾向が強かった。本人のキャラで勝負とか絶叫とか。
 いつ消えるか分かりませんが、とりあえず「かもめんたる」の決勝の二つの作品を観てみましょうか。

 こんな私にもコントへのこだわりというのがありまして、たとえば二人でやるコントでしたら、一人はごく普通の人、もう一方はグレーゾーンな人という設定にします。
 今日のかもめんたるで言えば、2作ともに槙尾ユウスケさんが前者、岩崎う大さんが後者ということになります。まあ当たり前のこととして、それがツッコミとボケという漫才の対照と重なっているくるわけですが。
 で、最近の芸人さんは後者、すなわち漫才で言えばボケの方に、顔や体型も含めてあまりにキャラが濃い人が多く、その結果、その人が演ずる架空のキャラのレパートリーが少なくなってしまうという問題点があるんですよね。
 そうしますと、テレビ的な刹那芸ならともかくも、劇場でワンマン90分とか、演ってる方も観ている方もきつくなってしまう。
 その点、かもめんたるは二人ともちょうど良いキャラの濃さ(薄さ)だと感じました。そして、実際お二人の演技力は細部にわたって見事なので、安心してストーリー(シナリオ)に入っていけるんですよね。
 まあとにかくいろいろな文化、特に演劇文化の中において、「笑い」が一番難しいのはたしかです。悲しみや感動で涙を誘うのは難しいけれども、「笑い」で人を泣かせるのは至難の業であります。
 だから教育現場で使えるんですよ。生徒の勉強という面でもですが、教師のテクニックとしてもね。
 そういう意味でほかのファイナリストの方々は今ひとつ物足りなかったかなあ。いろいろクレームがついたというアルコ&ピースの「精子と卵子」ネタはけっこうジーンと来ちゃいました。文科省推薦(笑)。
 かもめんたるは早稲田大学のお笑いサークル出身。私は彼らのようなどこか知性も感じさせる芸が好きです。今回もシナリオの言葉選びが絶妙だと感じました。今後の活躍に期待したいところです。
 そして、彼らが活躍できるような場をもっとたくさん作ってほしい。今、まともなお笑い番組はNHKにしかありません。民放さんももっと文化の継承と向上にしっかり役割を果たしてほしいですね。

キングオブコント公式

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2013.09.22

WRESTLE-1 旗揚げシリーズ 石川大会

20130923_104519 9月8日に旗揚げした武藤敬司の新プロレス団体W-1の石川大会をテレビで観ました。
 9/8の旗揚げ戦もテレビ観戦しまして、「新しい」プロレスへの期待とともに、その難しさもつくづく感じました。
 教え子の女の子が最近武藤と飲みに行ったりして、同郷(富士吉田出身)ネタで大いに盛り上がったそうで、旗揚げ戦も招待されたのかリングサイドで生観戦していました(うらやましい)。
 武藤選手はウチの学校の母体となっている月江寺の檀家さんということもあり、私の妄想計画の中では、近いうちにお会いしてプロレスと教育と富士吉田について語り合う予定です(笑)。
 さてさて、そんな世界の武藤敬司が今までの多様な体験をもとに理想のプロレスを目指すW-1でありますが、今日は旗揚げシリーズ最終戦、石川大会を行いました。
 当日発表される取組とその結果はこちら
 いやあ、この結果には表れていませんけれど、メイン終了後のあの「先生」の暴れっぷりはすごかった(笑)。裏投げ連発してましたからね。
Images そう、裏投げと言えば馳浩先生です。石川県選出の馳先生、サムライのテレビ中継の解説者として呼ばれていたんですよね。
 まず、その解説がすごかった(笑)。下ネタ連発なんてもんじゃない。面白すぎ。
 いい「先生」ですよ。そう、馳さんは高校の国語の先生であり、プロレス道場の先生であり、そして今や自民党の先生です。
 私はそういう「先生」像を理想としているんですよ。クソ真面目ではなく、下ネタも含めた「荒魂」をしっかり持っている先生。
 東京五輪も決まり、またレスリングの種目残留も決まって、ますます政治家としても忙しくなっていくでしょう。こりゃあ、このくらいの「元気」がなければ国や世界を動かせませんよね。
 プロレスラーが政治家になることがけっこうありますけれど、実は当然のことなのです。プロレスを理解されている方にはよくおわかりでしょう。
 さてさて、そんなわけで、すっかり主役を馳先生に取られてしまった武藤率いるW-1でありましたが、いやなかなか内容の濃い大会でしたよ。
 馳先生、もちろん下ネタだけでなく、かなり厳しい解説をしておりました。そんな「先生」がリング下で観ているわけですから、選手たちは気が抜けません。だからということもあったのでしょう、第一試合からかなり「見せる」「魅せる」レスリングが展開されました。
 たしかに、エンターテインメント性とスポーツ性のバランスが良かった。いろいろ難しいことを言わずとも、武藤の目指す理想のプロレスというのはここにあるのかなと思いました。基本私も賛同しますよ。
 プロレス史の中で言えば、馳と武藤が壊したモノがあるのも事実です。しかし、今になってみれば、たしかに彼らが時代を動かしたというのもたしか。もちろん、彼らが目指したモノを勘違いしてしまった人たちもたくさんいましたが。
 そういう意味で、これからの武藤&馳の活動には注目です。最初の彼らの革命からはずいぶん時間が経ってしまいましたが、だからこそ分かってきたコトがあるのです。とりあえず私はそうです。
 昨日のジャズの話とも通じるのですよ。通じるではなく、全く同じなのかもしれない。ぜひそのあたりについても武藤さんや馳さんとも話したいですね。
 いやあ、楽しかった。次は生観戦したいと思います。当日まで分からない「X」とか、シリーズ内で同じカードを複数回組むとか、案外いいですよ。

WRESTLE-1公式

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2013.09.21

富士学苑中学・高校 ジャズバンド部 第11回リサイタル

Img_7293 日はジャコ・パストリアスの命日。そんな日にジャズの遺伝子を未来に継ぐ若者たちの演奏を堪能させていただきました。
 我が富士学苑中学・高等学校のジャズバンド部「Moon Inlet Sounds Orchestra」のリサイタル。
 ちょいと手前味噌になってしまいますが、今最も熱い学生ビッグバンドと言ってもいいMISO。その活動の集大成たるリサイタル、高校3年生の最後のステージということもあり、毎年特別な感慨をもって聴かせていただいています。
 11回目のリサイタルのテーマは「11 Da Capo 〜新たなる始まり〜」。なるほど、今年は創部10周年、そして本体である高校も創立50周年ということで、新たなる歴史のスタートの年であります。
 Da Capo ということは、様々な展開や変化を経て、もう一度原点(テーマ)が再現されるということです。それはクラブとしても個人としても基本に立ち返ってさらなる発展を目指すということにほかなりませんね。
 学生バンドの宿命であるメンバーの1年更新。タイムリミットのある中で、縁あってその年に集まった生徒たちによって、それぞれの年ならではの音楽が生まれるというのは、たしかに音楽が流れの中で有機的に変化していくことと似ています。
 音楽の本質は繰り返しと変化、形式と破格のバランスです。ジャズで言えば、楽譜とアドリブという言い方をしてもよい。または、不易流行の妙とも言えましょうか。
 それが学生バンドの場合は、部員の更新という形で、内部的にも象徴的に起こってくるわけです。その全体をプロデュースしてキャラクタライズしていく顧問の先生は、壮大なるコンダクターの役割を果たしているわけですね。
Img_7294 この10年のそれぞれの年度のバンドを思い出してみると、もちろん技術的なことではいろいろなレイヤーがありますけれども、しかしそれぞれがそれぞれに個性的で魅力的でした。
 今日も第2部でOB・OGバンドの演奏がありました。それぞれの顔を見て音を聴きながら、まさにそのことを思い出していました。ああ、クラブ(バンド)の歴史がそのまま魅力的な音楽のようだなと。
 今年度のバンドも今までの先輩方に負けず個性的な音楽を聴かせてくれました。中学の1期生は高校1年生となり、その後輩たちも増えて、今までにない幅の広さとなりました。その中での切磋琢磨…そこには協和音も不協和音もあって当然です…が音楽性に厚みを与えていたと思います。
 現役バンドはアンコール含めて18曲ですか。スタンダードからAKBまで、実に幅広いジャンルをカバーしていましたね。私としては、現代の若者たちが演奏するスタンダードが特に印象に残りました。1930年代から60年代の名曲たちが、こうして全く色褪せず弾き継がれていることに、より大きなスケールでの「生命の継続と進化」を感じました。
 そういう意味で、今日会場に駆けつけてくださった内堀勝さんのアレンジはお見事としか言いようがありませんね。スタンダードを現代的に生まれ変わらせる、その技術と感性と勇気は、まさに尊敬に値します。ありがとうございました。
 最後にワタクシ事となりますが、昨年中1で1曲だけ弾かせてもらったウチの娘、2年生になりまして、昨日は全曲ベースを担当させていただきました。正直1年でここまで弾けるようになるとは思いませんでした。環境というのは本当に素晴らしい。ありがたい限りです。
 中二病真っ盛りの娘、帰宅後「今日はジャコの命日だったんだよ」と言ったら、「もしかして降臨してた?」とトンデモナイことを言っておりました(笑)。
 ステージの最後には全く想定外の、理事長からのとんでもないオファーがありましたが(笑)、それもまた我が家にとりましては、実にありがたいお話でした。もう来年の秋田での国文祭が楽しみでしかたありません。
 というわけで、最後に一番大切なことを。高校3年生の諸君、本当にお疲れ様でした。この3年の経験は絶対にこれからの人生に活かされます。とりあえずは、これからも音楽を続けて下さい。


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2013.09.20

「無敵」とは

無敵の笑顔
1234271 敵…なんともカッコイイ言葉ですね。
 私も「無敵」に憧れています。プロレスなどの格闘技も大好きですし、その他のジャンルでも、たとえば「無敵のベーシスト」などと呼ばれる人たちいますよね。
 ちなみに、私にとっての最強の…いや、最高の「無敵」は出口王仁三郎です。
 では、そもそも「無敵」とはなんなのでしょうか。一般には、辞書にそうあるように「相手になる敵がいないほど強いこと」ですよね。無敵艦隊とか。つまり、最強=無敵。
 もちろん、そういう意味での「無敵」に憧れるというのもあります。たとえばジャンボ鶴田とか(笑)。
 一方、こういう言い方も可能かと思います。
 「実際に敵という存在がない」
 たとえば孟子の「仁者無敵」がそれを表していると言えましょう。つまり、「仁者(徳の高い人)には敵というものが存在しない」ということです。「敵を作らない」と言ってもいいでしょうね。
 これにも憧れます。私は比較的敵を作らない…いや、相手は敵だと思っているかもしれないけれど、そういう空気に疎くてお応えすることができない人間ですね。たぶん(笑)。
 とりあえず嫌いな人がいないのです。苦手な人はいますが、かと言ってその人を嫌いになることはない。また思想信条が正反対でも決してケンカにならない…どころか仲良くなってしまう。これは得な性格ですね。親に感謝(親は決してそういう性格ではありませんが…笑)。
 それから、こういう考え方もありだと思います。
 敵と意識的に一体化して、結果として敵がいなくなる(敵が自分自身になってしまうとも言える)。ちょっと禅的な境地ですね。自他不二。これもある意味最強の技です。
 もう一つ、こういうのもありでしょうか。
 「敵」という概念自体がない。
 まあ、「無敵」と言った時点で「敵」という概念を否定しているわけですから、理論上は矛盾してしまいますが。でも、可能性としてはありです。それを他人が表現すれば「無敵」としか言いようがありませんから。
 いずれにせよ「無敵」がかっこよくてスマートであることはたしかですね。
 ジャンボ鶴田さんは、今の私と同じ年齢、満49歳で亡くなりました。そういう意味では病魔という敵には負けてしまったとも言えますが、亡くなって本当に「無敵」になったというのも真実ですね。
 だいたい亡くなってしまうということは、現実界において闘うべき敵はいなくなるということです。また、生ける者どもとてしても、その亡くなった方の「最強伝説」を生み出すことができます。もしジャンボが生きていて◯◯と戦ったら勝っただろう、というような。
 仏教においても、死んで仏になるというのは、ある意味では「無敵」になるということですね。お釈迦様レベルになれば、生きながら「無敵」になる、すなわち「無私」になることができるのでしょうけれども、私たち凡夫にとってそれは非常に難しいことです。
20130216084719a22 その点、出口王仁三郎は生きながらにしてけっこう「無敵」に近づいた人だと思います。その境地に至る彼の方法は、敵はたくさん作るがそれすらプラスに転じて行く、すなわち敵である相手をいつのまにか味方に変えてしまうというものなんですよね。
 国家すら敵に回しつつ、結局国家を味方につけたというか、国家の味方になっていった。
 そう、最近私が言っている「荒魂1:9和魂」という神の世界の力学を利用しているように感じるのです。
 仁者無敵とか、汝の敵を愛せよとか言うのは、どこか偽善的、不自然的であるような気がしませんか。汝の敵を愛せよというのは、片思いにしてしまえ!という、ある意味ずるい方法です。
 たしかにそれらができれば理想であり、ある種の神的な境地と言えましょうが、現実にはそういうわけにはいかないというのは、私たちは経験的に、いや本能的に分かっています。
 そう考えると、日本の神道の世界というのは非常に現実的であると言えそうです。面白いですね。
 私の理想はそういうところにあるのかもしれません。非常に現実的な理想ということです。
 はたして生きながらにして「無敵」になれるのか。私は私の方法でそれに挑戦していきたいと思っいています。

Amazon 無敵艦隊
  

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2013.09.19

『星ねこさんのおはなし ちいさなともだち』 にしなさちこ (のら書店)

Img_7281 秋の名月。20時13分、煌々と輝く満月を初めてお会いする方と眺めました。
 またまた不思議なご縁から、絵本作家の仁科幸子さんが我が家を訪問されました。
 不思議なご縁というのは、全て「必然」。例外なく「初めて会った気がしない」ものです。
 今日もいきなりのお月見。まだお顔を覚える前にいきなり暗闇で空を見上げるわけですから、面白いものです。
 それもかなり高い次元でのお話をしながらのお月見。それでも自然なのですから、それこそ不思議ですよね。はたして前世でお会いしていたのか、それとも来世でお会いしていたのか(笑)。
 その後、深夜までまあお互いお話が止まらない止まらない。数時間の間にものすごいスケールの物事に命が与えられ、未来が明確にイメージできるようになってくる。こういう出会いというのは、本当にエキサイティングなものです。
 間を取り持ってくださった方(この方とも全く不思議としか言いようのないご縁です)にも心から感謝です。
 とてもここには書けないようなことばかりなのが少し残念です…というか、書いても理解してもらえないような話ばかりですね。
 しかし、それが必ずや現実として結ぶであろうことは予感できます。より現実的になってきたところで、皆さんには公表していこうと思います。
 仁科さん、あの日本を代表するデザイナー永井一正さんと非常に懇意にされており、お互いに仕事上影響も与え合っているということで、そちら方面のお話も私にはまるで夢のようなことばかりでした。
 永井一正さんは、このブログではやっぱり危ないよな…東京電力のロゴマークという記事に登場しています。そう、皮肉なことになってしまいましたが、あの東電(TEPCO)のマークは永井さんの代表作の一つなのです。
 その記事にも書いてありますとおり、天才のデザインは見事に「イコン」として機能し、ある意味作者の意図を超えたところにまで成長してしまうものです。
 私はそういう意味において永井さんに対する敬意といいますか、一種の畏怖の心をもってあの記事を書きました。
490501505709lzzzzzzz_2 そうした天才の素顔、あるいは天才の天才たる所以を目の当たりにされている仁科さんのお話は、実に興味深く感動的なものでした。
 そして、もちろんそんな天才たち(永井さんのほかにも錚々たる方々の名前が…)と対等以上のおつきあいをされている仁科さん自身の作品もまた、実に魅力的であり、普遍性を持つものであります。
 今日は、この「星ねこさんのおはなし ちいさなともだち」をお土産に携えて我が家を訪問してくださいました。ありがとうございます。
 猫好きということもあって、早速読ませていただきました。今日のお話の中にあったとおり、絵本というのは「未来の大人である今の子ども」のために「昔の子どもである今の大人」が物語るものです。最近増えつつある、子どもに媚を売ったような、その場受けを狙った「ヘタウマ」な作品とは大違いで、「今の大人」が読んでも実に心温まる、そして何か大切なものを気づかせてくれる美しい作品でありました。
 さあ、これから仁科さんと一緒にどういう物語を紡いでいけるのか、私も非常に楽しみになりました。ありがとうございました。そして、今後もよろしくお願いします。

Amazon 星ねこさんのおはなし ちいさなともだち


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2013.09.18

F.クープラン 『葦』

Img_7258 トラス・チェンバロが我が家にやってきまして、朝から晩まで弾きまくっております。
 昭和49年製ということで、ウチのカミさんと同い年です(笑)。ジャックが丸々一本なくなっている以外は大変状態がよく、半日かけて調整しましたら、なかなか素晴らしい音を響かせてくれるようになりました。
 手に入らないと思ったジャックも、ウチの歌謡曲バンドのサックス&ベース奏者でもある「飯塚楽器工房」主人が譲ってくれるということで、完全復活の日も近いですね。それにしてもまさか身近な人がほとんど唯一の部品所有者だとは…世間は狭いですなあ。
 普段鍵盤楽器をほとんど弾くことのない私が、異様なほどに入れ込んでいるので、家族は驚いております(笑)。
 不思議なもので、下手くそすぎる私の演奏なのに、子どもたちは「もっと弾いて」とせがみます。というか、音量的にも、また音色的にも心地よいBGMとなるようで、テレビがついていようが、パソコンからボカロが流れていようが、「うるさいからやめて!」とは言われません。ピアノじゃそういうわけにはいきませんよね。
Img_7260 特に面白いのは、バッハのゴルトベルク変奏曲を練習している時です(もちろんまだアリアだけ)。家族も猫もみんな寝ちゃいます(笑)。さすが不眠症のための音楽。あまりに効果絶大で驚きます。これもピアノではこうはいかない。
 さてさて、ほかに何を練習しているかといいますと、クープランですね。大好きなフランスものをこうして自分で弾ける日が来るとは…(涙)。
 とりあえず楽譜を入手して始めたのは第13組曲。まだ冒頭の2曲しか手をつけていませんが。
 特に「葦」は私の大好きな曲です。初めて聴いたのはフォルテピアノの演奏でした。ラジオで聴いたのですが、あれって誰の演奏だったのだろう。もう今から30年くらい前の話なんですが。夢かなあ(笑)。
 その後、クラヴサンではユゲット・ドレフュスのCDを買った記憶があります。CD出始めの頃。DENONのPCM録音シリーズでしたね。
 そして30年して自分で弾く「葦」。たどたどしい「葦」ですが、なんとも言えない感動があります。
 実際楽譜を前にして鍵盤を押して弦を弾くと、不思議ですねえ、今まで感じることのできなかった、知らなかったクープランがそこに「いる」のです。なんともぜいたくな追体験ということになりますね。
 さて、今日はそんなクープランの13組曲を、皆さんにも聴いていただこうと思います。若くして亡くなった伝説のクラヴサン奏者、スコット・ロスの演奏です。
 思えば、スコット・ロスと縁の深かったクラヴサン製作家であるデヴィッド・レイさんとは、私、面白い縁があるんですよね。
 私が20代の頃、ロスが亡くなってしばらくして、レイさんが当時私の住んでいたお寺(荒れ寺)に遊びに来たんですよ。今思うととんでもないことですね。スコット・ロスの思い出話をしましたっけ。
 では、どうぞ。1曲目が「ゆりの花ひらく "Les lis naissants"」、2曲目が「葦 "Les rozeaux"」、3曲目「胸飾りのリボン "L'engageante"」…と続いていきます。

Amazon クープラン「葦」(ユゲット・ドレフュス)
 

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2013.09.17

『北朝鮮はどんなふうに崩壊するのか』 惠谷治 (小学館101新書)

217043_01_1_2l 11年前の今日、北朝鮮が正式に日本人拉致を認め謝罪しました。
 あれからもう11年なのです。もちろん、その後一部の拉致被害者が帰国を果たしましたが、まだまだ全面解決にはほど遠い状況です。
 昨年9月の横田滋さん早紀江さん講演会という記事にも書きましたとおり、私は横田めぐみさんと同い年の幼なじみです。記憶はほとんどありませんが、同じ砂場やブランコで遊んだ仲だったようです。
 昨年ご両親と45年ぶりの再会を果たし、そこで安倍政権誕生への期待を語り合いました。その後、安倍さんが自民党総裁選出馬を表明し…その後の流れは言うまでもありません。
 また、政権交代後、秘密ノートにもありましたように飯島勲参与が電撃訪朝したり、最近では北朝鮮が東京五輪への投票をしたりなど、いろいろと動きがあるようです。
 私があるルートから聞いたところによると、北朝鮮は安倍政権にすり寄る気まんまんなようです。
 それはもちろん北朝鮮が国際的に孤立を深め、内政的にも財政的にも国民生活的にも完全に行き詰まっているからです。
 この本では、そのような現状での北朝鮮が、どのように崩壊していくのかを、いくつものパターンを想定してシミュレーションしています。
 そこに至る情報分析も非常に詳細で、正直私にはよく分からないほど専門的な内容もありました。逆に言えば、謎のベールに包まれた国も、ここまで分析できているのだということです。
 民間レベルでこうなのですから、国家レベルとしては、私たちがいろいろと論評するのもおこがましいほどに、いろいろ分かっているのでしょう。
 そういう中でのギリギリの交渉が水面下で行われているわけです。
 そんな中、北朝鮮が日本に近づいてくるのは、はたして我が国にとってプラスなのかマイナスなのか。
 私は…あくまで得意の「勘」ですけれども…良いことだと思っています。拉致問題の解決に向けてもそうですが、それ以上に北朝鮮の国民にとって長期的に見ても良いことになりそうです。
 まあ、安倍政権になって日本の国際的な立場も上がり、また経済的にも持ち直すことになれば、それは北朝鮮にとっても都合のよいことが増えるでしょうね。逆に、中国、韓国にはあまり期待していないということでしょうか。
 私も、拉致問題の解決に向けて、自分のできることは水面下、いや水面上でやっていきたいと思っています。
 ああ、そうだ。今日は金丸信の99歳の誕生日なんだよなあ…(この意味分かりますか?)。

Amazon 北朝鮮はどんなふうに崩壊するのか

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2013.09.16

『大人が知るべき一覧表』 (アントレックス サプライズBOOK)

20130917_100047 ァミリーマートで買いました。
 そうなんですよね。アントレックスの書籍って、今までの流通ルートは完全無視で新たな市場を開こうとしている。
 アントレックスは主に雑貨(ZAKKA)を扱う会社ということで、異業種だからできる新しい発想ですよね。「本」の業界って異常に保守的ですから、中からは革命が起こりえない。電子書籍の時代になっても、基本は変わっていないし。
 たとえばこの本、一般の書店はもちろん、Amazonなんかでも売ってません。結局、Amazonも日本的な出版流通の中でやってますからね。
 アントレックスのSWAT事業部でプロデュースするサプライズBOOKは、なんと「情報雑貨」を標榜しています。
 これはナイスなアイデアだと思いますよ。なるほどと思いました。
 たとえば、江戸時代の多くの出版物は、けっこう「おしゃれ雑貨」的に受け入れられていたと思うんです。
 エンターテインメントであり、コンビニエントであり、教養の源であり、そして携帯して「粋」だったのですから。
 明治以降、「文学」という舶来の概念のために、すっかり「芸術」化してしまった書籍文化。もちろん、雑誌という文化はありますけれども、しかし、それは用がすめば捨てられてしまうものであります。
 その点、たしかにサプライズBOOKは雑貨的な感覚で「所有」されるが、決して堅苦しいものではない。
 今日買った「大人が知るべき一覧表」なんかも、絶対役に立つので、カウンターに常に置いておきたい。そういう独特の存在感を持っています。
 いや、実際のところ、この本の内容は、まさにかゆい所に手が届く感じですし、しかし、一方で盲点といえる生活の中のニッチなニーズに応えている部分も多く、また、「一覧表」というくらいですから、見事にコンパクトかつ分かりやすくまとまっている。
 ふむ、たしかにあると便利な雑貨に近い。もちろん、お値段もお手頃。過度に主張しないデザインもよし。実用性+付加価値。
 さて、内容ですが、章立てと概要は次のようになっています。

第1章 身近なIT・家電の常識
(1)モバイル・ITの基礎
(2)家電の扱い
第2章 知っておきたい暮らしの知恵
(1)住居と生活に役立つ知恵
(2)健康の常識 
第3章 知って役立つ暮らしの制度
(1)困ったときに役立つ制度
(2)暮らしに必要な届出
第4章 知っておきたいマネーライフの基礎
(1)お金を守り増やすには
(2)マネートラブル対策
(3)身近なマネー
第5章 社会人として知っておくべきマナー
(1)歳時記
(2)冠婚葬祭のマナー
(3)お付き合いのマナー
番外編 現代を読み解くデータ集

 どうですか。役に立ちそうでしょう。約200ページで税込み580円は安い。まさに雑貨的です。
 そして、今気づいんたですけど、ここに書かれた内容って、学校じゃ教えないことばかりですね。教科書に書かれてない。
 いちおうガッコーのセンセーをやっている者として、これは逆に興味深い。そっか、学校って「雑貨」的な知恵を教えないんだよなあ。教室からは実際の「雑貨」は排除されるし。芸術品はいいけれど、雑貨はダメ(苦笑)。
 えっ?センセーは雑談王じゃん?雑貨ばっかり扱ってるよ…という声が聞こえてきそうですが(笑)。

アントレックス公式 

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2013.09.15

ジャコ・パストリアス/ビレリ・ラグレーン 『バードランド』

20130916_132720 日は娘の所属する富士学苑中学・高等学校ジャズバンド部とエリック・ミヤシロさんの共演を聴きに行って来ました。
 河口湖ジャズフェスティバルのトリとして登場の彼女たち。相変わらず魅力的な演奏を聴かせてくれましたよ。
 特にエリックとの共演は良かった。エリックの音楽性の大きさが、子どもたちをインスパイアしていて感動的。
 これですよね。ホンモノのミュージシャンとの共演体験の価値は。私も若い頃に、いや今でも経験していますよ。乗せられて自分の潜在的な才能が開発される瞬間。幸せですよね。
 ベース担当の娘も興奮していました。中2にしてそんな体験できるなんてうらやましい限りです。指導してくださる先生、そして一緒に演奏してくれる先輩、後輩たちに感謝ですね。
 親バカで申し訳ないのですが、私個人としては娘がジャコ・パストリアスが弾いた曲をやっていることに、なんとも言えない感慨をおぼえました。
 特にエリックとの共演「Birdland」、そして合同演奏の「Chicken」。若い頃にイヤというほどジャコの演奏を聴いてきましたからねえ。
 もちろん娘はまだまだですが、ジャコに憧れて真似しようとしているようですから、まあいろいろ壁にぶつかりながらも上達していくことでしょう(ちょっと悔しい…笑)。
 さてさて、なかなかかっこいいアレンジの「バードランド」を聴きながら、このライヴ音源のことを思い出していました。これ、すごいですよ。
 あの Live in Italy と同じ年、ドイツでのライヴです。ビレリ・ラグレーンのギターとジャコ・パストリアスのベース、そしてドラムというトリオによる「バードランド」。
 3人(ほとんど二人と言ってもいい?)で、これだけファンタジックなバードランドが実現できるんですからねえ。二人とも恐るべしです(特にビレリ)。
 まあ、とにかく聴いてみてください。さて、下の娘にギターを買い与えようかな(笑)。

Jaco Pastorius Trio - Birdland - Live 3/22/86

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2013.09.14

越乃鹿六 純米吟醸 (近藤酒造)

Kanban 日、下の娘は運動会。放送係もつとめ頑張っておりました。私は応援席にて締め切り迫った短歌を七首作りました。
 上の娘はグルメサーカスでの演奏。AKBのメンバーと一緒だったそうです。乃木坂の次はAKBか。やるな。
 で、お疲れさんということで、家族で寿司でも食べに行こうと思ったら、子どもたちは疲れきってしまったのか「行かない」と言い出す始末。しかたなく(?)カミさんと二人ですし兵衛に行って来ました。
 そうそう、今日は安倍総理がウチのすぐ下のゴルフ場で英気を養っていました。あんな山道に報道陣がたくさん。時々すし兵衛の隣の焼肉屋に夕食をとりに行くので、もしかしてお会いできるかなと思ったら、今日は森の中の中国料理屋さんに行ったようです。あそこはたしかにおいしい。
 私はすし兵衛で、ミルキーなエンガワを3皿いただきながら、日本酒をいただきました。いつもは久保田や獺祭をいただくのですが、お店の方にすすめられてメニューにはない「越乃鹿六」を飲んでみました。
 「越乃鹿六」と言えば、美味しんぼで「ワインよりも魚介類に合う酒」として紹介されていましたね。ならば寿司にも合うだろうと。
 ふむふむ…う〜んこれは…うわぁ、これって「日本酒」なのかなあ。日本酒だと思わなければ、たしかに淡麗辛口で寿司の風味を損なわない。
 そうなんです。吟醸香は比較的はっきりしているのですが、舌の上に乗せるとまるで水のようです。その名も「上善如水」でもここまでではない。
 米の味がしない…とも言えます。それを良しとするかどうかは好みの問題でしょう。
 お店の方にも言いましたが、これってワイングラスとかで出した方がいいですね。日本酒に先入観を持っている女子なんかには、「ライスワイン」とか称して出せば人気が出るかもしれませんね。
 たしかにここまで水のようですと、お食事の味の邪魔はしません。美味しんぼによると魚介類の風味を豊かにするということですが、私にはその意味がよく分かりませんでした。久保田を先に飲んでいたからかなあ。
 しかし、日本酒の幅が広がり、多くの人に飲んでいただくにはこうこうお酒があってもいいでしょう。
 私のような日本酒好きのおじさんには物足りないと思いますが。
 案外安いですので、お店の方々にとっては好都合ではないでしょうか。美味しんぼで絶賛というブランド力は大きいですし。

Amazon 越乃鹿六 純米吟醸1.8l

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2013.09.13

バッハ 『平均律クラヴィーア曲集』 ルイ・ティリ(オルガン)

61kcaoopecl_sl500_aa280_ 日、我が家にアトラス・チェンバロがやってまいりました。チェンバロのある生活というのは若い頃からの夢でありました。こうしてご縁があって、それを叶えることができました。ありがたいことです。
 徐々に調整などをしていくつもりです。状態は良いので、充分本格的な使用に耐えうると思います。
 さて、その貴重な楽器を譲ってくださった方が、このCDを貸してくださいました。
 私も本当にいろいろな「平均律」を聴いてきましたが、これは初めてです。そして、これがまた素晴らしい演奏だった。
 「クラヴィーア」という言葉は「非オルガン鍵盤楽器」を表す語だと理解していますので、このオルガン版は歴史的、学術的には邪道ということになるかもしれませんが、バッハ自身もこの曲集をオルガンで一度は弾いたことがあるだろうと想像されますので(逆に弾いていない確率の方がずっと低いのでは)、これはこれで間違いではないと思います。
 「平均律」の中には、明らかにオルガン的な効果を狙ったものが散見されます。あるいは、オルガン的に音を伸ばしていたり、ぶつけたりしたい部分がありますよね。
 特に曲のおしまいによくあるオルガンポイント(オルゲルプンクト)。たとえば有名な第1巻の第1番の、あのフーガの最後も「ド~〜〜」とずっと鳴らし続けたいところです。
 たとえばチェンバロやピアノであれをあの通り弾くと、最後の終止和音の最低音のドがもう消えちゃってるんですよね。だから、なんとなく締まりが悪い(笑)。
 かと言って、最後におまけのように最低音を弾くのもなんとなく憚られる。これって鍵盤奏者の悩みの種だったりするわけです。
 それがオルガンならば楽譜通り、つまりバッハの意図の通り響くわけですから、これはこれでやっぱりありだと思います。
 いやあ、それにしても、その冒頭の有名な前奏曲からして、この演奏は驚きでした。オルガンだからゆっくりやるのかなと思いきや、驚くほどの高速演奏。これがまたカッコいいではありませんか。
 今、このCDは手に入りにくくなっていますが、iTunesで購入、また試聴できますのでぜひ。
 1973~1977年の録音ということですから、今となってはかなり古い時代の演奏になりますけれども、いやいや全然古びていない…どころか、非常に新鮮に聞こえます。
 曲の解釈はもちろん、ストップの選択、ペダルの使用も非常によく考えられています。
 フランスのオルガニストであるルイ・ティリは、どちらかと言うと近代のオルガン作品の演奏が得意だったようですね。オルガンも歴史的オルガンではなく近代的な楽器のようです。
 しかし、そうした「古楽」にとらわれていない姿勢が、結局のところ功を奏しているのではないでしょうか。
 バッハはもともと時代性を大きく超えた、ある種抽象的な存在ですからね。
 今こうしてこの演奏に出会えたことも何か因縁を感じます。本当にご縁というのはありがたいものです。私も頑張っていただいたチェンバロで平均律に挑戦してみたいと思います。もちろん「非平均律調律」で。
 ↓それにしてもなんでAmazonではジャンルがロックになってるんだ?(笑)

Amazon Bach : Le clavier bien tempéré Louis Thiry

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2013.09.12

「おもてなし」とは…

 川雅美さんによる「オ・モ・テ・ナ・シ」スピーチが評判です。
 まあたしかに外国の方々に効果を与えるには充分すぎるほど完成度の高い内容でしたね。安倍総理も含めて、その他のプレゼンターの方々も素晴らしかったと思います。
 日本人が日本人としてあれらをそのまま受け取って「気恥ずかしい」とか「不自然だ」とか言うのは、それこそ日本流に言えば「野暮」ですよね。
 というか、それ以前に、実は最初の高円宮妃殿下久子さまのお言葉が素晴らしすぎましたね。お言葉だけでなく、なんというかたたずまいというか…会場の空気が全く違いました。
 あれこそが、皇室の存在理由でしょう。日本という国のたたずまいや志を一瞬で体現できるのは、やはり皇室の方々のみです。
 久子妃殿下の「たたずまい」にスペインのフェリペ皇太子は一言「負けた…」と言ったとか。
 それこそ2600年を超える皇室の、すなわち日本国の歴史と伝統の重みを感じたのでしょう。
 さてさて、滝川雅美さんのスピーチに話を戻します。滝川クリステルさんと言った方がいいのでしょうか。いや、私はあえて日本人滝川雅美としてあの場に立ってほしかったなあ。
 このスピーチのキーワードとなった「おもてなし」。どういう語源や語史があるかご存知ですか。
 ネット上にはまあいい加減な説が蔓延していますねえ。「裏表なし」なんていうのは語呂合わせにすぎません(笑)。
 私のように古典に親しんでいる者にとって「御もてなし」という言葉を聞くと、まずあれを思い出すのではないでしょうか。
 源氏物語の冒頭、桐壷の巻のこれまた冒頭部分です。

 いづれの御時にか、 女御・更衣あまた侍ひ給ひけるなかに、 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり。
 はじめより我はと思ひ上がり給へる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉み給ふ。 同じほど、それより下臈の更衣たちは、 まして安からず、朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、 いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせ給はず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。

 周囲の嫉妬を買ってストレスで弱っていく桐壷の更衣を、帝がより可愛がるシーンですね。
 この「御もてなし」はどのようなニュアンスなのでしょうか。ちなみに、いっこうに進まない私の「無手勝流源氏物語プロジェクト」(全文現代語訳計画)によると、次のように訳されています。

 …のちのち語り継がれんばかりの異常なおもてなしぶりです。

 おいおい、ほとんどそのまんまじゃないか(笑)。いや、ということは、同じ意味で使われているということでしょうか。
 実際、この場面では帝が更衣を歓待し寵愛しているわけですから、私たちが外国からのお客様を歓待し心から愛情をもって接するというのと同じニュアンスであると言えます。
 しかし、源氏物語のこの場面での「御もてなし」を「おもてなし」と訳せたのは、あくまでこのコンテクストだったからです。
 もともとの「(御)もてなし」はもっと多様な意味を可能にする言葉です。源氏物語には「(御)もてなし」は名詞、動詞合わせて330回以上用いられています。たまたま見た「乙女」の巻だけでも15回も使われていました。
 それらに対して、私は次のような現代語訳を与えています。

「(ご)様子」「執り行う」「ふるまい」「とりはからい」「態度」…

 実は私が「御もてなし」を「おもてなし」と訳しているのは、前掲の桐壷の文しかないんですよね。
 こうして見ますと、「もてなす」は「持て成す」であり、「ある意識や習慣や計画を持って(以って)ことを成す(実行する)」という意味だということが分かります。その一つに「他者を歓待して寵愛する」という意識と行動があるということです。
 また、それぞれの使用例で重要なのは、特に「御もてなし」の場合、他者から見て、それが特別な価値のある意識と行動として映っているということです。ただ「〜した」ということではないのです。
 ちなみに「悪い意味で特別」な場合もあります。他者をだます意図をもって、別の何かに見せかけるという行動です。あるいは桐壷の更衣に対する帝の態度のように、結果として他者に不快な感じを与える場合もあります。
 滝川さんのおっしゃる「おもてなし」はもちろん、他者を感動させるような意識と行動ということになりますね。
 そういう意味では、冒頭で触れた高円宮妃殿下久子さまの「たたずまい」こそ、私たちが目指すべき「おもてなし」であると言えましょう。
 私はあのプレゼン全体を見て聴いて、そのように思いました。意識と行動の裏に感じられる、無意識的かつ不可視なる品格。
 この7年間で私たちは、それを取り戻さねばならないのでしょう。


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2013.09.11

アトラス・チェンバロ

Img_7246 ったく不思議なご縁というのは続くものです。
 まさかこんな身近なところにAtlasチェンバロがあるとは思わなかった。そして、それをお譲りいただくこととなりました。う〜ん、不思議だ。
 この伝説の(?)モダン・チェンバロが鎮座していたのは、職場である学校の目と鼻の先。持ち主の方の娘さんは、ウチの娘と一緒にジャズバンド部のリズム隊の構成員をしております。
 今日さっそくお宅におじゃまし現物を拝見&試奏させていただきました。多少手を入れれば充分使えるレベル!素晴らしい。
 このアトラス・チェンバロは、今はなきピアノメーカーであるアトラスピアノ製造が昭和のある時期に生産していた、国産の量産型チェンバロです。
 古楽ブームの中で、東海スピネットとともにけっこうな数が世に出回ったと聞いています。
 私は一度か二度、実機を触ったことがありました(いつどこでかは忘れましたが、二十年くらい前の話です)。
 もちろん量産型のチェンバロですから、ヒストリカルなタイプとは根本的に違った風合いなのですが、今日いじってみて改めて感じましたのは、「なかなかいい音がする」ということです。
 モダン・チェンバロらしく、全体に頑丈な作りです。家具のような厚めの合板で無骨に作られている感じです。
 しかし、まあメインテナンスや調律のことを考えると、このように頑丈な作りになることはやむを得ません。
 逆に言えば、こういう構造でありながら、正直驚くほどにいい音がするなと思いました。いちおう多くのヒストリカルなチェンバロを聴いたり弾いたりする機会の多い私からしても、その音色はもちろん、鍵盤のタッチや撥弦時の感触なども非常によく出来ていると感じます。
 たとえば最近で言えば、ローランドのデジタル・チェンバロなんかあるじゃないですか。鍵盤のタッチなんかもそれなりに工夫されていますけれども、やっぱりあの指に伝わってくる「弾く」感覚は再現できませんよね。
 近いうちにもらいうけて我が家に運び入れます。そして、いろいろ調整してみたいと思います。
 私は基本的に鍵盤楽器は弾けないのですが、自己流の調律(もちろん非平均律です)をするのが趣味でして、それだけでもきっと楽しい毎日になるでしょう(笑)。
 欠落している部品があったので、「アトラス チェンバロ」で検索してみたら、出てくるのは全部知り合い。先日いらした調律師の方はもちろん、ウチの歌謡曲バンドのメンバーが二人も出てきた(笑)。いったいどんな歌謡曲バンドなのでしょう。
 そうそう、この当時のモダン・チェンバロって、けっこう歌謡曲にも使われてますから、そういう使い方もしてみようと思います。
 まずは、部屋を片付けて場所を作らなければ。楽しみです。

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2013.09.10

『日本語からたどる文化』 大橋理枝/ダニエル・ロング (放送大学テキスト)

20130911_110533 週まで再放送されていまして、毎回ワクワクしながら勉強させていただきました。あんまり面白かったからテキストを買ってしまいました。
 先日、「国語学の基礎」を紹介しましたら、けっこう興味を持ってくださった方がいらっしゃいました。
 私たちがあまりに無意識的に使っている「日本語」について、あえて意識化してみると非常に面白い発見があるものです。
 何か面白いことないかな…と思っている方には最高のネタなんですよね。なにしろ、自分がサンプルですから。もちろん周辺の他者もサンプルです。
 大橋さんはコミュニケーション学、ロングさんは社会言語学がご専門。いったいどんな講義が展開されているのかというと…こちらをご覧ください。「時間」の回です。
 日本語と時間…私の最近のテーマそのものですよね。「時間は未来から過去へと流れている」という感じ方にも触れられています(ちょっとだけで、基本は過去から未来という流れで話が進んでいますが)。
 全ての回のテーマを列挙しておきましょう。

第1回 「日本語文化論」ことはじめ
第2回 名前
第3回 地名
第4回 食物
第5回 空間
第6回 身体
第7回 服装
第8回 時間
第9回 物品
第10回 タブーと婉曲表現
第11回 人間関係
第12回 言語接触
第13回 アイデンティティ
第14回 言語習得
第15回 変化するコミュニケーション文化

 どうです?面白そうでしょう。詳しくは放送大学のシラバスでご確認ください。
 それぞれのテーマについて「自己発見」の連続です。何気なく話していたこと、やっていたことの意味が分かってくる。分かってくると分けられる。すなわち分類されていきます。まさに学問の楽しみですよね、「コト化(意識化)」は。
 そして、そのコトどもを再び無意識のモノに還元すると、私たちの生活は豊かになっていくのです。久しぶりに私もそういう意味で学問した気がしました。
 学生時代のワクワク感ってこういうふうだったよなあ…。
 私たち日本人は、大学で初めて「学問」の楽しさ、面白さに触れるんですよね。小中高にはほとんどワクワク感がない。自分の授業もそうなんですよ。もっと楽しくしたいんですけど、違う意味で楽しくしちゃってる(笑)。いかんな。
 というわけで、実は今の日本のテレビ番組で一番面白いのは「放送大学」なのでありました。BS(231など)で見られるようになりましたからね。皆さんもぜひ一度どうぞ。

Amazon 日本語からたどる文化

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2013.09.09

祭の賑わい

H00036_main 日の続きとなります。
 オリンピックは地球規模での「祭」です。
 最近私がよく言っているように、「荒魂(あらみたま)」を定期的に召喚することによって「和魂(にきみたま)」を再生、再構成、安定化するというのが「祭」の本質です。
 スポーツというのは、それ自体は「戦い」であり、「荒魂」です。しかし、その戦い、勝敗を超えたところに、感動や友情や平和が訪れるというのは、皆さんも体験的によくご存知でしょう。
 「スポーツ」という語は、古フランス語のdesport(気晴らしをする)を語源としています。そして、desportはラテン語のdeportareから派生したと考えられています。
 deportareとは「ある物を別の場所に運び去る」という意味です。「port」に「de」が付いているわけですね。何を「運び去る」のかというと、「日常」です。
 つまり、スポーツ自体が「非日常」であり、「ハレ」であって「祭」であるということですね。
 その「運び去る」力こそが、「荒魂」です。「荒魂」はエネルギーの発散、衝突です。
Top_view_img1 今日ちょうど新潟県小千谷市の知り合いから「片貝まつり」第一日目の報告を受けました。そう、おにいちゃんのハナビの舞台となったお祭りですね。
 あの祭では、もちろん「花火」が「荒魂」の象徴になっています。花火玉に籠められたエネルギーの爆発です。
 そして、もう一つ、二日目に行われる「成人戦」という「戦い」。詳しくはまた報告をいただいてから紹介しますが、新成人を大人たちが通せんぼする、すなわち大人になるための「荒魂」による通過儀礼があるのだそうです。これは非常に興味深いですね。日本人古来の知恵がそこにあるように感じます。
 そして、その報告メールの中に「賑やかし」という言葉がありました。一般的に言えば「囃し」ということでしょうか。
 この言葉を見た時にピンとひらめきました。なるほどと。
 皆さん、賑やか、賑わうという言葉の語源をご存知でしょうか。
 「にぎわう」は古くは「にきはふ」でした。そう、「にぎわう」の「にぎ」は「和魂」の「にぎ」なのです。
Nigihayahinomikoto 日本語の「にぎ(にき)」は、栄える、穏やか、きめこまかい、調和するといった語感を持っています。平和的に発展するという感じですね。
 「にきはふ」の「はふ」は「延ふ」、すなわち「一面に伸びる」という意味です。現代語では「はびこる」にそのニュアンスが残っています。「幸い(さいわい)」は「幸(さき)」が「一面に伸びる」という意味ですし、「災い(わざわい)」は「業(わざ)」が「一面に伸びる」という意味です。
 「にぎやか」の「やか」は形容動詞を作る語尾であり、「にぎやかし」は「にぎやかす」という動詞の連用形が名詞化したものですから、「賑やかし」の本質は、「栄えさせる」「調和させる」ということになります。
 その「賑やかし」の手段が、歌であり舞であり楽器であり踊りであるというわけですね。
 そう、一見「にぎやかし」や「はやし」は、「荒魂」のエネルギーを増幅する機能を持っているように感じられますが、実は単純にそういうことではなく、「荒魂」の暴発を防ぐ役割があるのです。
 つまり、歌や舞によって「荒魂」を慰撫鎮魂するわけです。その結果、まさに「にぎ(和)」が「はやされる(生やされる)」ことになる。
 そして、神と人の共同作業によって非日常が演出されて、結果として日常に平和が到来するのです。
 2020年の東京オリンピックは、ぜひ、日本のこうした「祭」の本質が地球全体に発信される機会となることを祈ります。いや、そうしなければなりません。
 大げさに聞こえるかもしれませんが、東京と富士山を中心とする「日本」が地球の次元上昇のお役目を担っているのです。そのための7年間。私たちにとって本当に重要な時間であることがお分かりになるでしょう。
 「祭の賑わい」…それを作り出すためには、私たち人間が一方の主役とならなければならないのです。

片貝町煙火協会の公式サイト


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2013.09.08

祝!東京オリンピック開催決定

T_rtr201309080013 う、皆さん充分すぎるほど盛り上がったと思いますので、私は多少冷静にと思うのですが、なかなかそうもいきません。
 まず、招致決定への一連の流れが非常に神がかっていますよね。4年前の失敗も含めての流れです。
 多少今回の裏事情を知る者として、私はそのことを強く実感しています。
 実はこの流れが一気に勢いを増したのは、昨年の夏からです。そして、この流れ、この勢いは、少なくとも今後7年、いや10年は続くことでしょう。いや、続けなければなりません。
 私もこの10年に人生をかけようと思っています。つまり、日本のため世界のため、地球のために無私の心で貢献したいと、真剣に覚悟しているのです。
 前回の東京オリンピックが私の生まれた年に開催された、もう少し具体的に言うと、私が生まれて2ヶ月くらいして開催されたというのも、自分にとっては非常に象徴的です。
 ご存知のように、1959年、東京オリンピック招致が決定した時の首相は岸信介さんでした。安倍晋三首相のおじいさんですね。そして、64年、五輪が終わってすぐに池田内閣に代わって佐藤栄作内閣が生まれ、佐藤さん在職中に札幌オリンピック招致が決定しています。
 そういう運命というのもあるのでしょうね。面白いものです。
 今日、五輪招致が決定したあとこんなツイートをしました。

日本の復活に「祭」が果たす役割は大きい。お年寄りは長生きしようと思うだろう。若い人たちは家族で祭に参加しようと思うだろう。それだけでも国は変わる。こうして未来に原因を作るのがマツリゴトの本質だ。安倍さんGJ!

Obyv028_01toky_g_20130907163910 言葉によって国民の「集団気分」を作るというのは、政治家の大切な仕事の一つです。
 こういうお祭りごとがあると、必ず冷めた人や反対する人が現れるものですが、それもまた実は「祭」の一部に過ぎません。
 私もけっこうそういう少数派の方に回りたがる性質の人間ですけれども、今回はいろいろご縁もあり、またお役目もあるようなので、しっかり「囃す」側に回ろうと思っています。
 2020年の東京五輪は、単なる「日本の東京で開催されるスポーツの祭典」という意味には収まりきらない世界史的事業になることでしょう。
 そして、これは一つ予言めいたことを書いておきますけれども、東京の霊脈(龍脈)の原点としての「富士山」が非常に大きな意味を持つことになります。
 西洋スポーツも軽々呑み込んだ本当の意味での「日本文化」が世界に発信される、素晴らしい機会となることでしょう。
 これは必然です。必然の流れであり結果なのだけれども、しっかりそれが顕現してくることに、私は驚きと感動をおぼえずにいられません。
 私たちの意思を超えた何かが動き出しているのを実感しています。
 日本人よ、今こそ本来の力を発揮しようではありませんか。

追伸 レスリングも種目として残りました!これも必然とは言え、本当にうれしい。
 


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2013.09.07

『大東亜共同宣言』を聴く

20130908_72404_2 70年前、昭和18年の11月、東京で大東亜会議が開催されました。
 今日はその会議で採択された「大東亜共同宣言」を復習してみましょう。
 私もそうでしたが、ほとんどの現代日本人はこの宣言をちゃんと読んだことがないでしょう。
 戦後教育のある傾向によって、私たちは、たとえば大日本帝国憲法や教育勅語やこの大東亜共同宣言などを「読まずして」批判する、あるいは拒否、嫌悪することがほとんどです。
 もちろん私は、戦前、戦中の様々なイデオロギーや言葉に、単純に賛同するわけではありません。しかし、かと言って、最初から無視し拒否するような姿勢はとりたくありません。
 当時の表現者の意図はどうであれ、言葉というのは未来にも永劫意味を持ち続けるものです。その現代的な意味を確定していくのが、表現者にとっての未来人である私たちの義務であると思います。
 そういうつもりで今日は大東亜共同宣言を聴いてみましょう。「読む」だけでなく「聴く」ことにより、私たちの解釈はより先鋭化します。
 さて、大東亜会議の参加国、参加者は以下のとおり。

日本:東條英機内閣総理大臣
中華民国(南京)国民政府:汪兆銘行政院長
満州国:張景恵国務総理大臣
フィリピン共和国:ホセ・ラウレル大統領
ビルマ国:バー・モウ内閣総理大臣
タイ王国:ワンワイタヤーコーン親王
インド:自由インド仮政府首班チャンドラ・ボース

 この会議に対する戦後の評価も当然のことながら厳しいものです。大東亜共栄圏構想自体、そして大東亜戦争自体がハナから否定される傾向にあるのでしかたありません。
 しかし、明らかな人種差別の傾向が内包されている米英の大西洋憲章に対して、当時アジアが危機感を持つのは当然のことであり、また、その防衛的な危機感の統合を日本がリードすることになったのは、歴史的な必然であって、到底「間違い」とは言えません。
 一方で、会議のあり方や共同宣言に対して、参加者から不満があったのもたしかです。しかし、ある意味ではそのように一枚岩でないところがリアルでもあります。つまり、傀儡を集めた形式的な会議であったとは言い切れないところに、この宣言の現代的な意味を見出すこともできるということです。
 これは、大東亜共栄圏構想、大東亜戦争の大義の本質に関わるところになりますが、米英の帝国主義、植民地政策に対抗し、人種差別を撤廃して、アジアの自主独立を目指すという共同宣言の内容は、その言葉の意味を純粋に受け取れば非常に素晴らしいものであり、また実際にかなりの部分で現実化したと言えなくもありません。
 少なくとも、当時の多くのアジアの民が、高邁な理想を抱いてこの言葉を純粋に信じて戦ったことは事実です。それを「一部の政治家、軍人にだまされていた」と簡単に決めつけてしまうのは、あまりに失礼な態度です。たとえそういう一面があったにせよ、「信じられた言葉の意味」の方に目をつぷるのはフェアではありません。
 ぜひ皆さんも、現代人(過去から見ると未来人)の立場で、これらの言葉の現代的な意味をフェアに確定しようとしてみてください。
 では、文字を読みながら、こちらをクリックして音声をお聴きください。当時の共同宣言採択時の貴重な音声です。

抑〻世界各國ガ各其ノ所ヲ得相倚リ相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ
然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞シウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因ココニ存ス
大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス
一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス

Amazon 大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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2013.09.06

『日本語の大常識(これだけは知っておきたい)』 金田一秀穂 (ポプラ社)

20130907_81257 「語学」の基礎。今では「日本語学」と言わなければならないのかな。いや、「国語学」と「日本語学」では、やはり雰囲気が違う。「国史」と「日本史」の違いくらい違う。そこが日本語の面白いところですよね。
 誰かが図書館から借りてきたらしく、さりげなくテーブルの上にありました。思わず手にとって開いたら、面白くてというか、なんとも懐かしくて一気に読んでしまいました。
 さすが「金田一」さん。私は国語学徒でしたから。文学部国文科国語学専攻ですよ。コテコテですな。(間接的にですが)お世話になったのは「金田一春彦さん」。そういう時代です。
 ちなみに我が大学はいまだに「文学部」の単科大学ですし、「国文科」とか「国語学」という名称を使っています。時代に流されない。いいことです(笑)。
 この本、大学で最初に教わることがだいたい網羅されています。それも小学生にも分かるように面白くやさしく。
 日本語の豊かさに驚くと思います。何気なく使っている日本語の奥深さに気づくと思います。
 日本語の豊かさ…こういう言い方すると他の言語が豊かではないのかというクレームがつくのですが、実際日本語は多言語に比べて豊かな部分が多い。もちろんその逆の領域もありますけれども、客観的に見て豊か度はかなり高い。私は世界一だと思います。そう思うと「国語」に対する誇りも生まれますよね。
 そう、こういう内容って小中高では全然教えないんですよね。「国語」という教科があるのに。いつも言っているように、「国語」が「国文学」の授業になってしまっている。もっと言語的な事象を教えるべきです。「国語」で言語的事象を、芸術科目「文学」で文学鑑賞と創作を。これが私の主張です。
 ところで、ポプラ社の「これだけは知っておきたい」シリーズですけど、これって大人が読むべきですね。
 もともと日本って、大人がマンガを読んでいてもおかしくない国じゃないですか。だったら、こういう本ももっと読まれてもいい。もし、こういう本を電車の中で開くのが恥ずかしければ、電子ブックで読めばいい。こういう本こそ電子化すべきなのかもしれませんね。
 そういうブームを起こすというのはどうでしょう。もともとこういう本はそんなに売れませんから、電子化して100円とか200円とかで売る。けっこう売れますよ、きっと。
 そうすると日本人の大人の教養が豊かになる。つまらん大人向けの雑誌読むよりずっと国力アップにつながります。私が文部科学大臣だったら、これやりますね(笑)。
 ところで、「大常識」という日本語、これもある時代を映す流行語の一つですね。「常識」という言葉自体が、「お前こんなことも知らないの?」という強迫観念を持った言葉です。そこに「大」という、まあこれもまた日本語独特の強調語がくっついて、さらに我々に学びを強要する(笑)。
 しかし、だいたいこの手の本って、我々にとっては全く常識ではないマニアックな内容なんです。この「日本語の大常識」もまさに、国語学専攻基礎レベル。どちらかというとトリビア的な(これもまた流行カタカナ語)内容ですよね。
 ま、教養とは常識的なトリビア(雑学)のことですから、それでよしと。
 ほかのシリーズも子どもに借りてきてもらって読んでみようと思います。教養人になるぞ(笑)!

Amazon 日本語の大常識
 

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2013.09.05

清里で「昭和アイドル歌謡祭」を!

Gedc2470_2 年に続き、2年生の自然教室で八ヶ岳山麓清里へ行ってきました。
 清里と言えば、私たち世代からすると夢のリゾート地ですよね。リゾートというかデートスポット?
 私も山梨の大学に入学した今から30年ほど前、何度かドライブがてら行った覚えがあります。
 天文愛好会に所属していましたので、野辺山の宇宙電波観測所の見学や、入笠山での観測のついでに立ち寄ったこともあります。
Gedc2471_2 当時はまさに清里ブームの絶頂期。メルヘンでパステルカラーな(笑)建造物やグッズやフォントが溢れておりました。
 懐かしいですね。たしかに大学生にとっては、清里のペンションに彼女とお泊まりなんていうのは、まあ夢の夢でありましたな。
 そんな清里もバブル崩壊とともにブームが一気に沈静化し、すっかり静かな田舎に戻ってしまいました。
Img_7201 しかし、だからこその味わいもあります。あの、まるで原宿のような喧騒や、若い男女の爽やかに見せかけたエロドロな空気は消え去り、まさに「清らかなふる里」という感じになっています。
 一方、当時の建物やフォントがそのまま遺跡のごとく残っているところもあり、それはそれで結構楽しめます。
Img_7183 私の娘を含めた女子中学生たちも「カワイイ!」を連発しておりました。なんだか30年の時を経て、親子で何かを共有していることに感動してしまいました(笑)。
 巨大なキノコやミルクポットに書かれたパステルカラーのフォントは、さらに彩度を落として淡い思い出の象徴そのものとなっています。
 再整備された駅前には、かつて小海線で活躍したC62が静態保存されています。なんともレトロとモダンな風景ですぞ。
Img_7184 駅前にちょっとしたステージがしつらえてあります。それを見て、ここで「昭和アイドル歌謡祭」とかやったからいいんじゃいの!?と思いました。
 いや、冗談でなく、あのシチュエーションはいいですよ。私の世代にとってはきっと懐かしい場所ですし、人集まりますよね。
 当時のアイドルの方に参加していただくのはもちろん、私たちのような歌謡曲バンドが演奏してもよい。どうでしょう。いいアイデアでしょう。
 普段は静かな村でいいと思いますが、たまには往時の賑わいを取り戻すのもいいのではないでしょうか。
Img_7203 今日も中年の夫婦や老登山者集団が静かに散策していました。たまに若いカップルも見かけました。
 ちょうど私くらいの年齢層はあまり来ていません。ある意味最も清里に思い入れがあるはずなのに…まあ、いやな思い出がある人や、今のパートナーとは違う異性を思い出さざるをえない人もたくさんいるでしょうけど(笑)。
 「昭和アイドル歌謡祭」…まじに動いてみますか。

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2013.09.04

もう一つの富士山(その5)丹下健三『大東亜建設忠霊神域計画』

Kenzo_tanges_130904014357 日は丹下健三の100歳の誕生日。Googleのトップロゴにも「世界のタンゲ」が登場していてビックリ。
 古き良き時代の新しき悪しき漢であった丹下健三。最近、ますます彼の魅力に惹きつけられているワタクシであります。
 「古き良き時代の新しき悪しき漢」は「新しき悪しき時代」においては「古き良き漢」となるわけですよ。最近、そんな男たちに(いや女にも)異常に興味があります。
 丹下健三については、私も過去いくつかの記事を書いてきました。ちょっと自分自身でも復習してみます。何を書いたか全く覚えていないので(笑)。

追悼 丹下健三 幻の迷作『駿府会館』
『丹下健三 いにしえから天へ地平へ』 ハイビジョン特集 シリーズNIPPONの巨人
丹下健三+メンデルスゾーン=聖なる俗 その1
丹下健三+メンデルスゾーン=聖なる俗 その2

 お〜、なるほど。なかなか面白い(笑)。勉強になりますな(自分で言うな)。ま、それほど私は書いたこと言ったこと思ったことを忘れてしまう人間なのです。
 そんなわけで、今日は忘れないうちにこの話を書いておきます。
20130906_65301 皆さんは丹下健三のデビュー作をご存知ですか。実はそれこそが「もう一つの富士山」に関係しているのです。
 富士山吉田口登山者が20万人を超えた昭和17年、すなわち富士山が国威発揚、防共の象徴としてピークを迎えつつあった1942年に、日本建築学会が「大東亜建設記念営造計画」というコンペを開催しました。
 そして若き丹下健三が出品した「大東亜道路を主軸としたる記念営造計画–主として大東亜建設忠霊神域計画–」が第一位を獲得します。
 昭和17年はまだ有利に戦局が動いていた時期。コンペの趣旨も「大東亜共栄圏確立ノ雄渾ナル意図ヲ表象スルニ足ル記念営造計画案ヲ求ム」というものでした。
1106212809 丹下案は、その趣旨に見事に適うものだったと言えます。東京(皇居)から富士山に向かって「大東亜道路」と「大東亜鉄道」を走らせ、富士山東麓を「忠霊神域」にしようという壮大なプランでした。
 大東亜という発想は、丹下の当時の思想とも合致するものだったのではないでしょうか。彼は建築において、ヨーロッパ・モダニズムをいかに日本的なモノで凌駕するかというテーマを持っていたのです。
 その一つの答えとして「皇居」と「富士山」という二つの「象徴」を結び、そこに英霊のエネルギーを集中させようと企みました。その中心基地となるのは富士山を借景とした鉄筋コンクリート構造寝殿造りの神殿。
 やはりここでも富士山は現代とは違った意味を持ってそびえ立っています。
 この丹下の発想は、戦後さまざまな人たちによって提案された富士山麓首都移転計画、あるいは知られざる仲小路彰による山中湖畔地球戦没者慰霊施設の計画、あるいは皇居富士山遷宮計画などとも重なってきます。
 また、私なんかからしますと、富士高天原復興運動ともつながっているように感じられます。時空を超えた「日本的なモノ」のエネルギーがうごめいていますね。
 この設計図、今ではいかにも丹下らしいと簡単に評価できますけれども、考えてみると当時としては(いや現代においても、未来においても)かなりぶっ飛んだアイデアだと言えます。
 この丹下案をNHKの番組のためにCG化したものがありました。その「真剣なぶっ飛びぶり」を擬似体感してみてください。

 実は、この気宇壮大なプランは縮小化されて戦後に実現しているのです。広島ピースセンター。それもまた何か象徴的ですね。

Amazon 丹下健三 伝統と創造 瀬戸内から世界へ
 

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2013.09.03

『本当はすごい神道』 山村明義 (宝島社新書)

20130903_181016 日から八ヶ岳山麓で自然教室があって引率しなければならず時間がありません。
 そんなわけで本日のおススメは短めに。
 この新書、届いてすぐ、1時間ほどで読みきってしまいました。得意の「即読」です。「即読」できるということは、ほとんど知っている理解している内容だとも言えます。
 「本当はすごい」と銘打っているということは、世間では神道はあまりすごくないと思われているということでしょうか。
 たしかに、この本の冒頭で紹介されている有名スポーツ選手や有名会社が神道にぞっこんなことは、あまり知られていないというか、あまり意識されていないと思います。
 たしかに神道のすごさとは「意識されない」ところそのものであるとも言えましょう。
 ですから、「本当はすごい」なんて言うこと自体、ある意味野暮というか、ナンセンスなんですね。しかし、実際こうして再発見を促さねばならないほど、その「無意識」が「潜在意識」ではなく本当に「無」になりつつあるのが現代だというわけです。
 安倍総理が「取り戻す」と標榜しているモノは、かなりの部分で「神道」のイズムやムーブメントに重なっていると、私も思います。
 もし皆さんが、自分の中の「神道」が、無意識から無へと変わりつつあるなと予感したり、あるいは、そうですね、「神道」を「しんとう」ではなく「しんどう」と読んだりしているとしたら、ぜひこの本を読んで、意識的に自らの中の「神道」を復権させてみてください。
 そういう意味では非常に読みやすい、そしてしっかり核心に触れている良書だと思います。おススメします。
 私も神道のスイッチを入れて、富士山から八ヶ岳に向かいます。

Amazon 本当はすごい神道

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2013.09.02

渚ゆう子 『京都の恋』・『京都慕情』 (ザ・ベンチャーズ作曲)

20130903_93343 5月に実現した、私の尊敬するプロレス史研究家の方との対談の原稿が、今日メールで届き、思わず熟読して一人ニヤニヤしてしまいました。
 時間にして5時間強の対談。そのほんの一部を活字にしてくれたわけですが、それでも15ページに及ぶ長編となっています。
 いや、自分で言うのもなんですが、めちゃくちゃ面白いんです(笑)。ホントに対談者である小泉悦次さんがうまくまとめてくださいまして、プロレスというジャンルを超えて、最近の私が言いたい文化論がほとんど全て詰め込まれている。
 キーワードは「狼藉者」です。もうそれだけでも面白そうでしょ(笑)。
 今月の中旬には、その対談(闘論)が掲載された同人誌「Big Pink」が刊行されるとのことですので、皆さんもぜひ!
 まあいつものことですが、私の話はあっちこっち飛びまくりです。小泉さんも私以上に様々なジャンルに造詣が深く広い方ですから、読者はついてくるのが大変?
 そんな中で、ザ・ベンチャーズの話が出てきます。スタン・ハンセンとベンチャーズの共通点やらなんやら。外つ国の狼藉者が日本の好々爺になっていく(笑)。
 そんな中、小泉さんがベンチャーズ作曲の「二人の銀座」を紹介したりしています。実はこれもまた不思議なシンクロを感じました。というのは、昨日導かれて白鳥山に向かう途中、カミさんがずっとベンチャーズ提供の日本の歌謡曲を聴いたり歌ったりしていたのです。
 そう、この前の土曜日NHKのSONGSにベンチャーズが出演したんですよね。その録画をおととい家族で観て聴いて、いろいろ感動していたところだったのです。
 私はもちろん、人間ジュークボックスのカミさん、そして最近すっかりベーシストとなった上の娘なんかも、それぞれの視点(聴点)で、「いいなあ〜」と思っていたところだったのです。
 というわけで、今日は今度ウチの歌謡曲バンドでもやりたいねと話したベンチャーズ歌謡の中から、渚ゆう子さんの歌った2曲を紹介します。皆さんもちろんお聴きになったことがある名曲ですが、もしかすると、作曲がベンチャーズだとは知らない方もいらっしゃるのでは。

 めちゃくちゃいい曲ですねえ。古くて新しい。これこそ東西の融合ですね。それを当時から理解していたベンチャーズの、ある種の非都市性には驚きを感じざるを得ません。
 ベンチャーズを音楽論、文化論的に語りだすと大変長くなってしまいます。特にベンチャーズが日本の歌謡界に与えた影響はあまりに大きく一言ではなかなか説明できませんね。
 詳しくはまたいつか改めて。最後に、ベンチャーズという「伝統芸能」の技を堪能できる動画をどうぞ。こういう境地で演奏したいなあ。

Amazon ベンチャーズ ポップス・イン・ジャパン・デラックス CD2枚組
 

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2013.09.01

白鳥神社(南部町)が存在した!?

 日、谷川健一の「白鳥伝説」をおススメした際、奥州十和田湖十和田神社の「甲州南部氏が甲斐の国白鳥の宮の御祭神日本武尊の神霊を遷す」という縁起を紹介し、山梨には明見にしか白鳥神社がないというようなことを書きました。
 それでもやっぱり変だと思っていろいろ調べていたのですが、どうしても南部氏につながる「白鳥神社」は見つからずにいました。
 ところが今日、ちょっと必要があって我が家の耀わん「十和田」を取り出して触っていたところ、「南部町の白鳥神社へ行け」とのご神託がありました(笑…いや、まじで)。
 え〜?どこへ行けばいいの?ないんですよ〜。
 と思いつつも、だいたい何か降りてきた時は、ちゃんと意味があるので、さっそくネットでいつもと違うところを調べていたら、やっぱりありました!
20130902_82200 奥州南部氏のふるさと南部町の観光パンフレットです。
 たしかにこの地図は盲点でした。というのは、他の地図、たとえばGoogleマップなどでは、この神社、「日鳥神社」と表記されているのです。だから「白鳥神社」で検索すると出てこない。
 これはなにかあるなと思い、急遽家族とお茶碗を同伴して現地に行って参りました。まずは神社名と祭神を確認せねば。
 実はこの神社のすぐ脇の道、数カ月前に偶然通りかかったところだったのです。その日は静岡の実家から富士山に戻る途中で道を間違え、正規のルートに戻るためにその道をたまたま通った。今にして思えば偶然ではなかったのかなあ…とも。
Img_7161 さあ実際行ってみますと、ありました、ありました。決して大きな社ではありませんが、山の中腹に平坦な祭祀空間が作ってあるところを見ると、以前からある程度は人の手によって管理されているようです。
 残念ながら神社名を確認できるものがありません。また祭神も不明。
 社の中を照らしてみましたが、やはりその素性は不明です。「神如直」と読める扁額のみ。
Img_7167 周囲は美しい竹林。清流や巨岩もあって、なんとも神々しい雰囲気ではあります。
 ただ、なんと言いましょうか、これも直観ではありますが、ここは本体ではないなと。
 本体はやはり遠くに移ってしまったような気がしました。やはり南部氏の北上とともに十和田湖に遷されてしまったのでしょうか。
 ところで、「日鳥」は単純に間違いなのでしょうか。全国に「日鳥神社」という神社はありませんし、なにしろ「白」と「日」は似ている。
 問題はその間違いがいつの時代に生じたのかということです。地図データのデジタル化の段階でこういう間違いが起きることは多々ありますが、場合によってはもっと古い時代に間違いが起きている、あるいは意図的に間違えた可能性もあるのです。
 意図的にというのは「白」から「丶」をあえて取って「日」にするということです。こういうこともいちおう可能性として考えておく必要があります。
 あるいは「倭文(しとり)」が「ひとり」になったとも考えられる。日本語学的には充分ありえます。静岡から山梨にかけては「倭文(機織り)」文化の痕跡が色濃く残っていますからね。
 また、南部にも火祭りがありますから、「火取り」を「日鳥」と書き換えたという妄想も成り立ちます。
 なんとかそれを確かめたいと思い、すぐ横にある謎の建物の住人に話を聞こうと思ったのですが、あまりにそこが怪しすぎて(笑)、我らはちょっと尻込みしてしまいました。
 あまりに謎な建物が並んでいるのです。どちらかというとそちらの方が気になる(笑)。
 次は白鳥山登頂(恋人の聖地ってなんだ?)とその謎の施設の住人との接触を果たしたいと思います。
Img_7165 ところで、社殿の脇道に小さな洞窟を見つけました。どうもそこにもご神体がいらっしゃった形跡(余韻)がある。
 富士山の洞穴に潜り尽くした私の勘はそうそう外れません。ただの穴と、信仰の対象になった穴とでは、全く「気」が違うのです。
 その他気になるモノがいろいろありましたが、家族もいたし「十和田」もそれほど積極的ではなかったので、今日のところは退散することとしました。
 白鳥山の登山道には「白鳥山七面宮」の跡があるそうです。七面山信仰は日蓮宗関連。考えてみれば、南部氏が奥州に移住(土着)したのちに、日蓮が周辺を日蓮宗の本拠地としました。
 もしかすると、その時当地の「白鳥信仰」は駆逐されてしまったのかもしれませんね。調べてみます。


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