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2013.08.31

『近未来ノベル 富士山大噴火』 柘植久慶 (PHP文庫)

20130901_110115 日は防災の日。NHKでは関東大震災に関する番組が放送されていました。「MEGAQUAKE III 巨大地震」の第3回「よみがえる関東大震災~歴史的都市災害の教訓」。
 結論としては房総半島沖の歪みがかなり溜まっているということでしたね。次の関東地震は大正関東地震より震源が南にあり、さらに規模も大きくなるというわけです。
 私は、2011.3.11の余震として房総半島東方沖のM8レベルを予想していますから、下手をするとその両方が同時に発生するかもしれません。そういうことも想定しておかなくてはなりません。
 富士山についても、ずいぶんいろいろと不安を煽るような言説が横行しています。ある意味ではこの本もそうかもしれません。時機をつかんだ作品であるとも言える。
 もちろん、富士山の噴火についても、東北の巨大地震と同様に予想に反して今起きるかもしれません。それは否定しません。しかし、富士山そのものに住む者として、私は当然のように毎日その兆候を捉えるべく各種の観測(もちろん素人レベルですが)をしています。
 結論から言えば、現在の富士山は静穏です。東北の巨大地震以降、多少活動が活発化した時期もありましたが、今はそれ以前とほぼ同様に落ち着いた状況になっています。
 これは富士山の懐に住む者としての「実感」ですので、多少は信用していただいていいものと思います。想像ではなくて実体験と言えますから。
 あまりはっきり言うといろいろなところからクレームがつくのですが、あえて私の「実感」を書くなら、東北地方太平洋沖地震によって東海地震と富士山噴火の時期は先延ばしになったと思っています。
 しかし、一方でその巨大地震がそうであったように、専門家にとっても想定外のことが起きるのが自然現象ですから、少なくとも自然の動きを実感するセンスというモノはしっかり鍛えておきたいと思っています。
 さてさて、そんなセンスを磨くために読んだとも言えるのがこの「富士山大噴火」です。必要以上の憂慮、すなわち杞憂は必要ないけれども、人間は安心してしまうと危機予感能力が低下するのも事実ですから、たまにはいろいろなメディアの「煽り」も受け止めておくことも悪くありません。
 柘植さんのこの作品、ある意味リアルです。つまり、いろいろな生活をしているいろいろ人に一つの災害が降りかかり、それぞれいろいろな危機が訪れるという事実を、小説という形式の中で巧みに描いているからです。
 当然文章というメディアの制約上、同時多発的なシーンを紙の上に同時に表現することはできないわけですが、それらを受け取った私たちが脳内で「同時」に編集し直すことはできますね。
 読んでいてそれが結構うまく行ったので、私としては楽しかった(不謹慎ですが)。いろいろなシミュレーションをすることができました。
 私の住む村周辺の別荘地の話も出てきますし、職場のある富士吉田市の話も出てきます。まさに「実感」とフィクションが結びつき、そこにある種のリアルさが生まれていました。
 柘植さんは軍事に詳しいので、自衛隊の動きも描かれているのが面白かった。
20130901_113131 それにしても、世の中の「富士山噴火」の予測、予言を見ますとですね、富士山東麓に噴火口ができることになっているものが圧倒的に多い。そして首都圏に火山灰が降ってパニックになるというパターン。
 たしかに直近の噴火が宝永でしたから、その記憶からそうなるのも致し方ないというのは分かりますが、どうなんでしょうね。今までの富士山の噴火の歴史をちょっと見れば、似たような噴火が二度続いた例はあまりないんですよね。
 3.15以来、相変わらず南西斜面直下の地震と、山頂北側直下で低周波地震が多発していること、その他のデータを見るとですね、私としては南西麓から大量の溶岩を流出するタイプの大規模噴火が発生するか、北面から火砕流を伴うタイプの中規模噴火が起きる可能性が高いと思うのですが。
 もちろんこれは素人のワタクシの「直感」にすぎません。
 今後も私は自らと家族、そして地元の人たちの命を守るために、専門家とはまた違った視点で富士山を観察していく、いや、富士山と対話をしていきたいと思っています。
 皆さんも、ぜひそれぞれの土地の自然と対話して、危機予感能力を鍛えてみてください。

Amazon 富士山大噴火

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2013.08.30

文体診断λόγων(ロゴーン)

 ットで評判になっていたので、さっそくやってみました。

 文体診断λόγων(ロゴーン)

 まあ所詮コンピュータによる分析診断ですから、脳内メーカーなんかと同じレベルで楽しめばいいんじゃないでしょうか。
 たしかに「文は人なり」というのはあります。つまり「文は体を表す」という意味で文体なんですよね。
 私は毎日、数千字の文章を書いています。ですから自然文体というものが出来上がっていることでしょう。かと言って、このブログの文体が最も自分らしい文体かというと、そういうわけではありません。
 前も書いたとおり、いちおうこのブログの文体は「講演書き起こし体」を目指しています。
 では、最も私らしい文体はどんな感じかというと…実はよく分からんのですよ(笑)。
 なにしろ私は他人様の文章をあまり読まないで生きてきましたので、たとえば作家の誰かから影響を受けたというようなこともほとんどないんです。
 あえて真似しようと思った人を挙げるとすれば、串田孫一と太宰治くらいかなあ。もちろん真似しきれませんでしたが。
 ある意味一番自分らしい文章を書いたのは、國文學に載せた論文(エッセイ)でしょうかね。こちらで紹介した「萌え=をかし論」です。
 で、さっそくそれをロゴーンしてみましょうか。じゃ〜ん。

20130831_120334

 ワ〜オ、なんと阿刀田高ですか(笑)。つい10日ほど前にお話を聴いてきたばかり。なんとも軽いトークでしたよ。そっか、私の文体って軽いんだ(笑)。
 なんとなく納得行かないので(笑)、ほかの文もやってみよう。昨日のブログの記事をそのままコピペして…っと。

20130831_120752

 うわぁ〜、今度は浅田次郎だ(笑)。やっぱり軽いぞ。いやいや、昨日の記事には出口王仁三郎の霊界物語を抜粋した部分があるから、それが影響したのか(笑)。
 で、さっそくオニさんの部分をカットして再分析…。

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 ははは…今度は大宅壮一だ。多少重くなったかな(笑)。
 ついでにおとといの記事はどうだろう。

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 ん?野間清治の文章なんか読んだことないや。ま、佐高信と中原中也は嫌いじゃないぞよ。
 と、こんな感じで、やっぱりあんまり信憑性のない診断、分析ですね。
 皆さんもいろいろな文章を入れてみましょう。有名作家の文章を入れると面白いことになりますよ。全然本人じゃない場合も多い(笑)。


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2013.08.29

クラヴィコード(翼琴) in 霊界物語(その2)

800pxclavicorde_lpante 夜の梅岡さんとの対話にインスパイアされ、ふと思いついて検索してまたビックリ。自分の不勉強を恥じるとともに、恐るべき事実にある意味呆れてしまったというか(苦笑)。
 梅岡さんは本当にいろいろなことを研究されているのですが、その中でも、日本における「クラヴィコード」の歴史は重要な課題の一つです。
 で、私が以前、「翼琴(クラヴィコード) in ビートルズ&霊界物語」という記事を書きましたら、梅岡さんにとってもあの事実はかなり驚愕的なことだったようで、その後ある演奏会でお会いした時に二人興奮してお話することになりました。
 昨夜もそんな話を中心に対話は進んだのですが、今日あらためて、クラヴィコードという古楽器と日本の関わりが案外古いこと、そして出口王仁三郎の霊界物語のある種の恐ろしさを痛感することとなりました。
 今日はまず、思いつきで国会図書館の近代デジタルライブラリーでクラヴィコードの日本名(中国名)である「翼琴」を検索してみたんですね。
 そうしたら、なななんと王仁三郎の霊界物語が出てきた…というか霊界物語だけ検索結果として出てきたのです。まさかの結果です。
 これは全文検索ではありませんので、タイトルとして「翼琴」があるということですね。
 正直私はそれを知りませんでした。霊界物語は全巻持っていますし、デジタルデータとしてiPhoneに入れて持ち歩いていますが、正直分量と内容がぶっ飛びすぎていて時々バラバラと適当なところめくるくらいしかしていませんでした。
 まあ、そのパラパラで前の記事で紹介した「クラブイコード」という記述を見つけてしまったわけですが(それがあの物語の霊的なすごさなわけです)。
 そんなわけで、私の不勉強のため、霊界物語の57巻に「翼琴」という章があることを知りませんでした。
 まあ、霊界物語をよく読んでいてこの章のことを知っていたとしても、古楽器のあのクラヴィコードを思い浮かべる人はいないでしょうけれども。
 とにかくビックリというか、うわぁ迂闊だった〜という感じで、さっそく読んでみたわけです。
 皆さんもこちらこちらからどうぞ。57巻のこの章は大正12年3月26日に口述されています。
 前に紹介した「クラブイコード」は54巻で2月23日口述ですので、やはりそちらの方が初出ということになります。
20130830_93951 57巻の方は「翼琴」に「よっきん」「よくきん」というルビを振っています。
 そして、今度は「クラブイコード」ではなく「クラヴ井コード(ただし井は小文字)」と記述しています。より現代の「クラヴィコード」に近い形になっている。
 「井」はカタカナの「ヰ」ですから、ニッカウヰスキーと同じような当時の外国語記述法ということです。
 こんな大変なことを今まで知らずに来たという自らの不覚を恥ながら、「クラヴヰコード」でGoogle検索してみたのですが、これはありません。ん?おかしいな。なぜなら、ネット上には私の尊敬する知り合いによって霊界物語の全文がデータ化されていて検索可能になっているからです。
 で、さっそくそのサイトで57巻を見てみました。こちらです。
 なるほど、こちらではある意味ちゃんと「クラヴィコード」になっている。おそらくは入力に使った原典がそのように書き改めされていたのでしょう。
 ならば、出口王仁三郎文献検索で「クラヴィコード」と検索してみたら、またまた出てきた出てきた。71巻です。大正14年。
 「琴の綾」という章と「転盗」という章です。
 近代デジタルライブラリーでも見てみましょう。「琴の綾」「転盗」
 こちらの方が内容的には面白いですね。特に「琴の綾」。こんな会話があります。

バル『ヤア感心々々、生れてから初めて、クラヴィコードの音をきいた、何とマア琴といふものは殊の外よい音の出るものだな。それに姫の声といひ、様子といひ、ほどといひ、なかなか素敵滅法界な天下の逸品だつたよ』
ダリ『ホホホホ、あなた何ですか、クラヴィコードの音を聞いた事がないとは、あまり無風流ぢやありませぬか。スガの港辺では、裏長屋のお婆さまでも琴を弾じない人はありませぬよ。男だつて大抵の人は弾奏の術には馴れてゐますからね』
『イヤ、成程、なるほど、なるほど、よい音の出るものだ。それで琴をひく女を、よいねいさまといふのだな、分つてる』
『ホホホホ、琴のよい音が出るから、ねーさまなんて、よいかげんに呆けておきなさいませ。殊のほか文盲な男さまですね、妾そんなこと聞くと、さつぱり厭気がさして来ますワ』
 バルギーはあわてて、手をふりながら、
『イヤイヤイヤ、さうぢやない さうぢやない、ちよつとテンゴに言つてみたのだ、俺だつてクラヴィコードは知つてるよ、天下の妙手と評判をとつた俺だものなア』

 謎の登場人物(神様)たちがクラヴィコードを「シャンシャン」弾きながら神歌を歌ったり、あるいは糸を締め直したりするところを見ると、イメージとしてはやはり日本の琴(箏)のような感じですね。
 それも指で弦を弾くような記述もあるので、やはり王仁三郎は実際のクラヴィコードを知らなかったのかもしれない。
 しかし、一方で「コード」を奏でるというような言い方もあるので、少なくとも邦楽器のイメージとは違ったようです。
 まあ、霊界に通じている人で、21世紀の科学技術なんかも普通に予言してますからね、過去なり未来なりのヨーロッパや日本に飛んでいって見てくる聞いてくるなんていうのは日常茶飯事だったのかもしれません(笑)。
 いずれにせよ、クラヴィコードという言葉が大正期にはすでに日本で使われていたということは確かです。
 おそるべし、出口王仁三郎、そして当時の「第一次古楽ブーム」。面白いですね、本当に。
 
 

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2013.08.28

もう一つの富士山(その4)渡邊はま子『愛国の花』

51dhimujvjl_sl500_aa300_ 日は都留音楽祭などなどで大変お世話になっている調律師の梅岡俊彦さんが遊びにいらしています。
 マニアックすぎる話が絶えることなく続き、あっという間に夜は更けてゆくのでした。基本は昭和の初期の文化事情でしょうかね。いや、そんなような一言ではくくれないトンデモなくディープな世界です。面白すぎ。まあとにかく梅岡さんの博覧強記ぶりに私は刺激を受けっぱなしなのであります。
 とても一晩では語りきれない。これは定期的に報告会を催すしかありませんね。
 私としては私なりの直観に基づいた発見などを提供するしかありません。少しでも梅岡さんの研究の助けになればと思います。
 さて、そんなこんなで、今日は寝る前に思い出したこの曲を紹介します。
 昨日の記事にも少し書きました、「もう一つの富士山」シリーズ。戦前、戦中、戦後の国民的歌手、渡辺はま子さんの「愛国の花」です。
 昭和12年ラジオで流れ始め、13年に発売された国民歌謡です。福田正夫作詞、古関裕而作曲。年配の方は覚えていらっしゃるのでは。

 昭和12年は支那事変の始まった年。そして翌年昭和13年と言えば、もう一つの富士山(その1)で紹介した防共富士登山が始まった年ですね。その前の5月には国家総動員法が施行されました。
 この「愛国の花」は、男性を戦地に送り出した女性たちの、家や国を守るべき気持ちや心構えを、桜、梅、椿、菊に寄せて表現した歌。
 冒頭に「真白き富士の気高さを心の強い楯として」と、富士山が登場しています。
 ここでも富士山は「楯」なんですよね。まあ言うなれば防共の楯ということです。「楯」としての富士山ということで言えば、実はこの流れ、三島由紀夫の「楯の会」にもつながっていくと私は考えています。
 その流れ全てをここに記すことはまだできません。考察が不足しているというより、ある意味現代的な危うさがあるからです。気になる方はご自身でお調べになるとよろしい。おそらく三島までは行き着くことでしょう。その先は…ナイショです(笑)。
 渡辺はま子とその周辺についても調べなくてはならないことがたくさんありそうです。梅岡さんのご協力もお願いしましょう。

Amazon ゴールデン☆ベスト 渡辺はま子

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2013.08.27

『富士山の謎と不思議』 学研ムー別冊

20130828_154115 士山がブームです。世界文化遺産登録のおかげですね。はたしていつまでこの勢いが続くことやら。
 このブームに乗った「富士山本」がたくさん出ています。地元の書店には必ず富士山コーナーがありますね。
 で、だいたいの本は、同じような「ガイド」です。富士山の自然科学的な成り立ちや富士山信仰の歴史などを通観するものがほとんど。どれも似たり寄ったりですし、目新しい記述はほとんどありません。
 あえて言えば「近未来の噴火」が新しいネタでしょうか。ある意味それがないと売れないようです。世界遺産でありながら、遺産自ら爆発する可能性があるわけですから、まあそれは興味を引きますよね。
 また、東日本大震災以降、東京を襲う次の災害は何か、人々は気にしています。もちろん恐怖がその根源にあるでしょう。しかし、一方で「不謹慎な期待」というのがあるのも事実ではないでしょうか。
 日本人に限らず、人類はある種の破滅願望を持っており、いけないと思っていてもどこかで大災害や戦争や革命などを期待してしまうものです。
 また、「集団気分」としてそういうモノをみんなで恐れ合うというか、心配し合うという不思議な心情もあります。日本人は昔からそれが好きですよね。
 私も昔は教室でそういう不安を煽る雑談をよくしました。だって生徒が喜ぶんですもの(笑)。怖い話って盛り上がる先生の話の定番ですよね。
 で、この本ですが、ある意味生徒が喜ぶ話題が満載でして、私自身もなんかとても懐かしく読ませていただきました。なるほど、生徒って「ムー」的な世界が好きなんだな。今どきの生徒もね。
 そういう意味で他の富士山本とは一線を画すムックです。面白い。買って損はない。

「パワースポットから超古代文明、樹海ミステリー、最新噴火予測まで」
「世界遺産・富士山の知られざるもうひとつの顔に迫る」
 霊山・富士の歴史と秘密
 富士山と神話・伝説
 富士古文献と超古代王朝の謎
 富士魔界伝説
 山体崩壊と噴火は本当に起こるのか?

 なるほど、私が若かりし頃から興味を持って研究してきたモノばかりだ。
 特に私のライフワークの一つである「富士古文献=宮下文書」のコーナーは、なかなか充実しています。最新の画像がたくさん見られますし、本文の内容もなかなか良くまとまっている。入門書としても最適だと思います。
 私のブログに、鍵を握る存在として時々登場してくる明見の「宮下文書」について知りたい方は、まずこのムックから入ってみるのもいいでしょう。
 そう、私の最近のテーマやイベントや人脈、すなわち出口王仁三郎、仲小路彰などにも関わってきますし、さらには安倍総理夫人昭恵さんとの話題の中にも登場するんですよ。
 さらに今日初めて知ったのですが、井伏鱒二も一部読んでいたんですね。ある作品の中に登場していてびっくりしました。それはまた後日紹介します。
 まさに日本の地下水脈がここにあるのです。
 私の中の「富士山のもうひとつの顔」、大東亜戦争における富士山も取り上げてもらえると嬉しかったかも。いや、それは、学研さんに先を越される前に、このプログの中で少しずつ紹介していくつもりです(笑)。

Amazon 富士山の謎と不思議

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2013.08.26

メディアとしての火祭り

Img_7134 年も夏が終わるなあ…吉田の火祭りに行くと毎年感じることです。
 昨年は「火祭り」になる前の「イヴ」と「御動座祭・発輿祭」について書きましたが、今年は一般的な火祭りについて書きましょう。
 今年は富士山世界文化遺産登録のこともありまして、非常に多くの方が「火祭り」にいらしていました。特に外国人の姿が目立つ。
 そう、外国人の方はちゃんと浅間神社や諏訪神社にお参りするんですよね。日本人、特に地元民は屋台の並ぶ本町通りに行くだけ。
 まあ、それでいいとも思いますが。
 毎度火祭りを見物しながら思うのは、「火で火を鎮める」「火をもって火を制す」というパラドックスですね。
 おそらく西洋の鎮火祭であれば「水」が主役になることでしょう。あるいは火を燃すにしても、鎮火の儀が中心になるでしょう。ところが、ここでは点火式がクライマックスになる。
 これは日本の宗教観、自然観、哲学の表れです。最近よく書いていますが、平和や調和の実現にはある種の暴力性が必要なのです。「和魂:荒魂」=「9:1」というやつですね。
Img_7136 違う言い方をすると、たとえば火祭りであれば、富士山の噴火という大火を松明という小火によって鎮めるということですから、「大難を小難にする」ということです。
 この発想は非常に重要です。人間も自然の一部ですから、この発想が通用します。たとえば、怒りや乱暴なども、それにフタをして抑えこむよりも、小出しにした方がいいことがありますよね。
 それから、最近も喧しい領土問題をはじめとする外交も、やはり握手をしながらもう片方の手は拳を振り上げておいたほうがいい。これもまた元は「荒魂によって和魂を召喚する」という発想なのです。
 いずれにしても、コントロール可能な「荒魂」が平和や調和を安定的なものにするということなんですね。これは日本人が忘れてはいけない思想であり、智慧です。
 表面的な平安には必ず水面下のストレスがあるものです。それを恣意的に小出しにしてやること、ガス抜きすることは大切ですよね。
 日本の祭はそういう設定された荒々しい非日常であることが多い。火祭りは根源的には諏訪の祭であると私は考えていますが、諏訪の御柱祭なんか、まあちょっとやりすぎなくらい「荒魂」が発動しますよね。
 諏訪が出雲の荒魂、和魂と深く関係しているのも偶然ではないでしょう。
 こうして考えてみますと、祭というのは「メディア」であることが分かります。ただ単純に神と人をつなぐという意味でありません。
 火祭りで言えば、神(=大自然)である富士山の噴火を、人間がコントローラブルな範囲で演じて見せているわけじゃないですか。そういうレベルでのメディアということです。
 「ものまね」にも通じると思います。「モノを招く」「モノを真似る」ことによって、瞬間でも神人一体になる。これが祭の本質です。
 そんなふうに日本中の祭を見てみますと、いろいろと面白い「比喩」を発見できると思います。

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2013.08.25

『Light Up Nippon〜空に花、大地に花〜』 福原美穂ほか

20130826_113910 、ファーストレディー安倍昭恵が我が家に遊びにいらした時、お土産の一つとしてこのCDをいただきました。
 大震災から2年以上が経過した今だからこそ、子どもたちに花火とともにこの歌を贈りたい。さまざまなアーティストや著名人がその想いに賛同し、心のこもった歌を聴かせてくれています。もちろん、昭恵さんも歌っておられます。
 まず、PVをご覧ください。

 最近、私も歌と関わることが多く、今更ながらですが歌の力の偉大さに強く感銘を受けています。楽器の演奏とは違う何か、それはもちろん「言葉」と結びつくことによって生まれるモノだと思いますが、そういう何かを持った「歌」に強く惹かれています。
 歌の伝統、それはすなわち日本の伝統と言ってもよいでしょう。言霊的な思想も含め、日本の「歌」文化は世界的に見ても非常に独特であり、また単なる芸術やエンターテインメントを超えて特別なモノを持っていると感じます。
 このCDにも、そうした日本古来の何かとても豊かな、そして優しさと愛に満ちた力が記録されていると思いました。
 そこに「花火」というまた日本独特の伝統文化が重なります。花火についても最近こちらこちらにちょこっと書きましたね。
 永劫に「コト」を残そうとするのではなく、消えゆく、流れ行く「モノ」に様々な魂をこめる。それは記録としては残りませんが、記憶として連綿と受け継がれていきます。
 伊勢や出雲の式年造替のようでもありますね。常若の発想によって永劫化を図るというのは、ある意味生命の本源的な意志のあり方です。
 多くの犠牲はたしかにありましたが、こうして子どもたちが力強く命を継承している、そしてそれを日本国民皆が応援しているという事実には、日本という国の歴史美学のようなものが感じられます。
 西洋的な、特に唯物論的な発想では、こういう美学には辿り着かないことでしょう。
 今回サイン入りでいただいたこのCDは初回盤ですね。ダンボールのジャケットが不思議な温かみを感じさせます。
 昭恵さんは、本当に頻繁に東北の被災地を訪問され、多くの方々に笑顔と勇気を届け、また、そこに住む人々の生の声をしっかり聞いてくださっています。
 古代日本において、言霊というのはほとんど全て「歌」に乗せて発せられていました。この歌には、被災地の人々の思い、そしてそれを慰め、励ます私たちの思いがしっかり乗っています。
 単なるチャリティーソングと言ってしまうにはもったいない何かがあると感じます。ぜひ皆さんも、一緒にこの歌を歌い、聴き、自らの思いを乗せてみてください。
 
SONG for LIGHT UP NIPPON 公式

Amazon Light Up Nippon〜空に花、大地に花〜

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2013.08.24

『白鳥伝説』 谷川健一 (集英社)

0f5793923b1e7ff6abb70689b9e72956 俗学者谷川健一さんがお亡くなりになりました。
 今、ちょうど「白鳥伝説」を読んでいるところだったので驚きました。
 今まで谷川民俗学には全く触れずに生きてきたのに、本当に数ヶ月前にこの本を買って少しずつ読み進めていたのです。
 きっかけは十和田湖でした。秋田の家内の実家に行った時には毎度十和田湖を訪れています。そのたびに気になっていたことがありました。
 それは、十和田神社の縁起に「甲州南部氏が甲斐の国白鳥の宮の御祭神日本武尊の神霊を遷す」という一節があるということです。
 甲斐の国の住人である私にとってはなんとも興奮を誘う記述です。しかし、甲斐の国の白鳥の宮というのは聞いたことがありません。
 南部氏ですから、山梨静岡県境にある白鳥山に関する信仰かなとも思いました。たしかに、白鳥山にはヤマトタケル伝承や物部氏伝承が残っています。しかし、特に目立つ神社は残っていません。
Img_5822 そこで、白鳥神社というのが山梨にあるのか調べたところ、なななんと一つあったのです。それも明見に。富士吉田市明見と言えば、富士高天原伝承地。実際色濃くヤマトタケル伝説が残っています。
 実際白鳥神社(はくとりと読むらしい)に参ってきましたが、非常に目立たない小さな社でした。明見と十和田湖が結びつくということはないと思っていましたので、偶然のこじつけだとしても、かなり驚きました。
 この谷川健一さんの「白鳥伝説」はなかなか読み進めるのが大変な本です。退屈というわけではないのですが、私の古代史に対する知識が少ないためか、どうしても物語がスムーズに流れず滞ってしまうのです。
 それでもひと通り読み終えた時、何か気づくのではないかと思い、常に机の上に置いて時々開いています。
 この白鳥伝説こそ、最近の私のテーマを押し進める力の源になるかもしれません。
 ヤマトタケル、十和田湖、出口王仁三郎の耀わん「十和田」、ニギハヤヒ、物部氏、聖徳太子の「和」、南部氏、日本(ひのもと)国、富士高天原、安倍氏、白鳥郷…。
 思えば、比較的最近、家内の実家である安倍家(アベとは読みません)が、白鳥の飛来地として有名な横手市十文字に居を移したのも何か不思議な気がします。
 ここ1年の安倍総理ご夫妻とのご縁も実は関わってきています。
Art13082422550001n1 こうして谷川さんのおかげで点と点が結びつきつつ在るわけです。感謝です。ある意味谷川さんの想定を完全に超えた世界が構築されつつあるのですが。
 谷川さんはお亡くなりになりましたが、こうしてその思想や哲学、歴史観は生き続け、そして成長し続けるのでした。
 心よりご冥福をお祈りいたします。

Amazon 白鳥伝説

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2013.08.23

『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄 (祥伝社新書)

9784396113285 のタイミングで、この方がこの本を書いたか…。正直驚きました。
 そして読んでもう一度驚きました。
 両驚きは、ある意味非常に個人的なレベルでのものです。私自身に大きな何かが降りかかったなという驚きです。
 最初の驚きについては、今はあまり詳しく書けません。ただ、これを書いたのが富士山に大いに関わりのある堀内光雄富士急行会長であったことが、その驚きの表面的な原因です。
 そして、二つ目の驚きは、あの比較的温厚な堀内さんが異様な激しさ(一種の怒り)をもってこの本を書いていることに原因しています。
 ちょっと分かりにくいかもしれませんが、今とても大切な時機なのですみません。霞がかかったような言い方しかできません。
 はっきり言えるとすれば、自分のことでしょうか。
 まず、あまりの自分の無知さに驚きました。そして、軽々しくこの慰霊の問題に関して発言していたことに恥ずかしさを感じました。
 靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑の歴史的背景はもちろん、大東亜戦争における戦死者310万人の、そのそれぞれの死に様について、正直私は概観すらしていなかった。当然慰霊や共感や尊敬の念も中途半端。
 逆に言えば、この本でようやく「概観」をして、ああ、これは実に難しいな、戦後生まれの私たちには、堀内さんが命を懸けて(そのくらい気合を入れて)語った「戦後処理」は厳しいなと思ってしまった。
 しかし、それで諦めてしまうのは絶対にいやだ。できない。そういう気持ちもふつふつと湧いてきます。
 実は私、今年初めて終戦の日に靖国を参拝しました。というか、靖国に行くようになったのは(すなわち靖国の存在を意識したのは)ここ数年のことなのです。
 では、なぜ私に変化が起きたのか。あるいは何が私の意識と行動を変えたのか。
 これは、実は堀内さんが千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会の会長を受けるに至った過程と共通している部分があります。
 冒頭、「あの世からの親父の手紙」の話が出てきます。それが象徴している「モノ」が人間の運命を変えるのです。堀内さんの言葉が発する異様なまでの力は、まさに霊的な縁が生み出したものだと感じます。ご自身はこういう言い方を好まないかもしれませんが、少なくとも、最近先鋭化している私の霊感はそのようなモノをキャッチしてしまいました。
 実は安倍総理の復活もそのようなモノに依拠しています。「国家の命運」の記事に書きましたとおり、安倍総理と奥様、そして私も何か大きなモノに突き動かされたのです。
 また馬鹿なことを言っていると笑われても全然構いません。なにしろ私たちはそれを「実感」し「共感」しているのですから。科学的に証明する必要などありませんし、だいいちできません。
 さらに話が飛んで申し訳ないのですが、もう一つここに書いておきたいことがあります。おつきあいください。
 慰霊の本質です。慰霊とは、何か施設や目印や象徴があって、そこに実際に参って手を合わせて頭を下げお祈りすればいいというものではありません。
 より分かりやすく言えば、私たち個人のレベルでも、たとえばお墓参りをしたり、家の仏壇や神棚に手を合わせればいいというものではないということです。
 恥ずかしながら、私の家には仏壇もありませんし、神棚もようやく最近日の目を見たのですが、ほとんど手を合わせることはありません。
 親からも、ずいぶん先祖に対して冷たく失礼なやつだと思われています(たぶん)。また、ご先祖さまだけでなく、世話になった故人の墓参りなどもほとんどしない不義理な人間です。
 また、我が家には、知る人にとってはとんでもない「神宝」があるのですが、その扱いもある意味ぞんざいです。
 こういう私の不逞不敬を正当化しようというわけではないのですが、実は私はそれでも「霊」と一緒に生きている自信があるのです。妙な自信です。幼いころからそこには絶対的な自信がありました。
 だから、あまり形式にはこだわらないで生きてきたのです。
 まあ、こういうことを言うのも結構勇気がいりますよ。霊界のお怒りを受けるやもしれませんから(苦笑)。
 しかし、なんでしょうかね。こと死者や、彼らが紡いだ歴史の話となると、私は唯霊主義になれるのです。これは生まれもった体質(性質)なのでしょう。
 で、話を戻しますが、この本で堀内さんは形式に大きなこだわりを持っていらっしゃる。結論的には、千鳥ヶ淵を(靖国と協調しながら)大東亜戦争全戦没者の慰霊の聖地とすべしと述べておられる。
 なるほどよく分かります。現在の靖国や千鳥ヶ淵を取り巻く社会環境はあまりに異常ですから。しかし、一方でそれとはまた違う次元での慰霊の仕方も模索していかなければならないとも感じます。特に「国立」については。
 こと「死者」の問題となると、私はつい個人的なレベルで考えがち、いや感じがちです(特に肉親を亡くした場合、あるいは自らも死に直面した場合)。もちろん、それが基本となることは分かりますが、その統合体としての国家レベルとなった場合、私たちの想念自体も次元上昇させなければなりません。
 これが非常に難しいのだけれども、霊界と一体になって毎日を生きていると、なんとなくその方法が分かってくるものです(それはもちろん既成宗教という形式とは違うモノです)。
 今、私に与えられた使命はどうもその辺りにありそうなのです。
 堀内さんのこのご著書はそういう意味で大変衝撃的でした。素晴らしい示唆をいただきました。感謝申し上げます。
 堀内さんとワタクシ、社会的な次元はずいぶんと違います。しかし、同じく富士山に関わるものとして、ぜひとも堀内さんにもお会いしてより強い霊感を授かりたいと思います。
 蛇足になりますが、こちらで8/15の動画(いずれはテキストになります)をご覧ください。これはひどい。あまりに本質を外れた議論。唖然としてしまいました。若手アカデミズムがこれでは。特に…まあ、しかたないか(涙)。
 これは大変な戦いになりそうです。

Amazon 「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える

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2013.08.22

祝!イチロー4000本安打〜未来に良き原因を作る

Pk2013082302100062_size0 チローがまた偉業を成し遂げました。
 このブログでも哲学者イチローについて時々書いてきましたね。
 特に茂木健一郎さんをやっつけたトークスペシャルなんか最高でしたね(笑)。
 彼がなぜ哲学的か、禅的かというと…昨日の和時計の話につながるんですけど、つまり、時間の観念が私たちと違うのですよ。
 小学生のイチローが書いた有名な作文がありますよね。「僕の夢」。

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 今日もイチローは「5000本安打も可能性はゼロではない」というようなことを言っていましたね。つまり、イチローは昔も今も常に「未来に原因を作ってきた」のです。
 イチローになれない私たちも、実は未来に原因を作っています。お分かりになりますか?そう、「どうせ無理だ」とか「まあいいや」とか思うのは、未来の自分をあきらめた状態です。その未来像が原因となって、怠惰な現在の自分が出来上がるのですから。
 いや、あきらめの想念を持ったのは過去の自分ではないか、といういかにも西洋近代科学の時間軸にとらわれた考え方をなさる方もいらっしゃるでしょう。しかしですね、もうそこを脱しないと私たちは変われないのです。
 一方、イチローは「過去」ともしっかり向き合っています。今日もいいこと言ってましたよね。4000の成功の裏には8000の失敗があると。そして、それとしっかり向き合ってきたと。
 過去の失敗に学ぶということは、過去に原因があって現在や未来の進歩という結果につながっているように見えますよね。普通の因果関係。
 しかし、これも実は違うんです(と私は思います)。説明しましょう。
 過去に学ぶと一言に言ってしまいますが、いくつかパターンがあります。
 一つは先人に学ぶということ。これは過去の成功例に学ぶ、成功例を「真似ぶ」ということです。これは、その先人が過去のある一点(今)において、どのような未来を想定・妄想したかということです。つまり、どういう未来を思い描くと成功するのかというのを学んでいるわけです。
 もう一つは、イチローが自らの失敗に学ぶというような場合です。これは実は「真似ばない」ということですね。バッティングで言うなら、あのピッチャーのあの球種のあのスピードのあの球筋なら、このようにバットをスイングすればあそこへ飛んでヒットになるだろうという未来予測(実際にはほとんど本能的で言語的ではない)が外れた。つまり、その時描いたイチローの頭のなかの未来が失敗という結果を招いたわけです。ですから、それは真似てはいけない。次は違う未来(原因)を作らなければならない。
 このように考えると、イチローは、無意識的ではあれ、我々とは違う時間軸と因果関係の感覚を持っているということが分かってきます。
 これはイチローに限らず、多くの天才たちが持っていたモノではないかと、最近思うようになってきたんです。そして、本来私たちは和時計的な(本来の日本人的な)感覚を持って生まれてきているのに、この西洋化した社会の中で生活し、教育を受けているうちにそれを忘れてしまうというか、ほとんど洗脳的に塗り替えられてしまっているのではないかと。
 だから、世の天才たちは、だいたい型破りというか、形が変というか、美意識が違うというか、世の常識に当てはまらないように見えるのです。
 私たちはイチローの偉業(ある種の異形でもあります)を見て、ただ感心したり賛美したりするだけでなく、彼のそういう感覚に「学ぶ」必要があると思います。
 私は、今その洗脳を解く方法を妄想中です。それが「日本を、取り戻す」ことにつながると馬鹿みたいに真剣に考えているからです。
 未来に良き原因を作る…皆さんも一緒に挑戦してみませんか?コツが分かってくると楽しいですよ。

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2013.08.21

『万年時計の謎に挑む 江戸時代の天才vs現代の技術者』 NHKスペシャル

Tokei 放送を録画してあったものをようやく観ることができました。感動というよりも驚嘆。
 日本古来の時の流れ方が現在の私たちの感覚とは逆で未来から過去へ流れていたということを実証しようとしている私としては、和時計は非常に重要な参考資料です。
 田中久重のこのトンデモナイ万年時計の和時計も、その日本古来の時間観をしっかり反映しています。
 この万年時計には固定文字盤の洋時計も組み込まれていますが、和時計は回転文字盤にこだわっています。
 すなわち、自分(針)が止まっていて、時間(文字盤)が未来から過去方向へと動いていくということですね。
20130822_91743 当時は和時計でも固定文字盤のものが多数見られますが、田中久重はやはり回転文字盤にこだわったのです。
 そして、有名な自動割駒装置で見事に表現した不定時法。当時の時の感覚が自由に伸縮することを視覚的に表現してくれています。
 そして、延喜式以来使われている謎の「数時刻」。そう、昔の日本人も数字で表していたのですが、数字の進み方が逆で、時間が進むと数字が小さくなっていくんですよね。つまり、正午が「九」なら2時ごろが「八」(そうです、おやつというのは「お八」ですよね)。これって案外皆さん忘れてしまっています。
 この感覚は面白いし理解できる。時間は積み重ねていって増えていくという感覚もありますが、やはり残りが少なくなっていくという感じもする。分かりますよね。カウントダウンです。
 まあ、例えばこのような日本古来の時間観だけでなく、中国の時間観、さらには西洋の時間観、天文科学的な時間観など、ほとんど世界、いや宇宙の時間というものを一つの装置に詰め込んでしまったのが、この田中久重の万年自鳴鐘なのです。
 それを現代最高の科学技術を駆使して現代最高の職人さんたちが寄ってたかって分解、分析、復元した様子を追ったのが、この番組。
 これを観ますとね、やはり時間は未来から現在、過去へと流れているように思えます。田中久重自身も、未来に「こういう時計を作りたい」というモノをまず持って、それを原因として「今」いろいろ設計したり工作したりしたわけですよね。人間は未来に原因を作ることができるのです。それはいわゆる近代自然科学の因果関係とは違う「霊的な因果関係」です。
 まあ、そんな私の妄想は抜きにしても、この番組、あらゆる面で驚嘆の連続ですので、ぜひ御覧ください。日本人はすごい。

万年時計の機構解明

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2013.08.20

落語「千早振る」 三遊亭小遊三

 留音楽祭最終日を残して、私は県の私学研修会へ。
 午前中の講演は作家で山梨県立図書館の館長でもある阿刀田高さん。読書が私たちを自由にするというよな演題でありましたが、まあなんともそれこそ自由なお話でありました(苦笑)。
 中でいくつか心に残るエピソードがありました。その一つが懐かしい落語「千早振る」の話題。知ったかぶりのハッタリ話。百人一首の歌意を聞かれて適当なストーリーを考えてしまう面白さ。
 ずいぶん昔に聞いて大笑いしたっけな。久しぶりに聴きたいなと。
 で、帰ってきてYouTubeで検索していると、おお、最近アップされた逸品があるではありませんか!
 「小遊三の千早か、千早の小遊三か」と言われたこともありましたよね。
 我が山梨の、それも郡内地方大月出身の三遊亭小遊三さん。実はオリンピックの聖火ランナーを務めるほどのスポーツマン。こちらのまくらでも野球ネタなどが出てきます。卓球で鍛えた(?)リズム感もいいですね(笑)。
 今日はちょっと忙しいので、私の言葉はこのへんでおしまいにします。
 まあまあ、とにかく動画をごゆっくりお楽しみくださいませ。

 ふむ、面白い(笑)。うまい。見事なプレゼンですよね。
 そうそう、今日の研修の収穫…百人一首をこのご隠居さんみたいにいい加減に、しかし絶妙に解釈させるというのを、授業で生徒にやらせたいなと。ハッタリ力とユーモアを鍛えるのにはなかなか良い教材かと(笑)。

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2013.08.19

第27回 都留音楽祭 クロージングパーティーより宴会芸!

 あ、今年もやってまいりました驚異の宴会芸群。
 今年も全体に超ハイレベル(?)な芸が連発いたしまして、大いに盛り上がりました。
 今更ながらちょっと思ったんですけど、古楽って半分宴会芸ですよね。芸術というより祭です。そこが魅力なんでしょう。
 それをこの音楽祭のこのクロージングパーティーは何十年にもわたって証明してきたような気がします。
 私の今まで27回の宴会芸の歴史を振り返ってみても、お琴ブラザーズに始まって、マトリョミン、そして最近の歌謡曲まで、いずれもある種の「非芸術性」を持っています。
 それを本質的に理解してくださる方々の前だからこそ、こういう種類の笑いを提供できるのだと思います。面白いし興味深いことです。
 さてワタクシ、今年は三つの出し物に参加させていただきました。
38 まずは吉澤組。急遽出演要請を受けましたが、そういう突発性、不随意性、すなわち「モノ」性こそが、祭の醍醐味。たまたま、それこそ何か勘が働いて持って行っていた「ミニミニ琴」でリコーダー・アンサンブルと共演させていただきました。
 曲目は聴いていただければ分かります。こちらにフラッシュ動画がありますのでどうぞ。
 けっこう綺麗ですね(笑)。途中の「よっ!」はアドリブだったので、リコーダーの皆さんもつい吹き出してしまっています。
45 続きまして、今や日本を代表する若手ガンバ&チェロ奏者となった武澤秀平くんとの共演。電子楽器での出し物です。戸崎廣乃さんにもフォルテピアノで協力していただきました。
 私は例年どおりマトリョミン(マトリョーシカ型テルミン)を、そして武澤くんはオタマトーンを急遽購入して演奏。これまたハチャメチャになって面白かった…かな?まあ少なくとも、マトリョミン、オタマトーン、そしてフォルテピアノの共演は世界初でしょう(当たり前!)。
 演奏した曲は、カエルの歌、昨夜マメーリさんが歌ったヘンデルの「私を泣かせて下さい」、そしてバッハの音楽の捧げものから三声のリチェルカーレ(笑)。
こちらでどうぞ。
 そして、今回気合が入っていたのが、歌謡曲バンド。つのだたかしさんも音楽祭開催前からやる気まんまんでした。
 今回はものすごく豪華な顔ぶれ。曲目とメンバーは次のとおり。

1 思秋期(岩崎宏美)
 ヴォーカル 山口陽子
 ピアノ 吉野洋美
 ベース 徳島大藏
 ギター つのだたかし
 ヴァイオリン 山口隆之

2 みずいろの雨(八神純子)
 ヴォーカル 山口陽子
 ピアノ 吉野洋美
 ベース 徳島大藏
 ギター つのだたかし
 チェロ 武澤秀平
 ヴァイオリン 山口隆之
 トランペット 蒲倉史伸&大矢裕子
 マラカス 田中麻子

3 雪國 イタリア語版(吉幾三)
 ヴォーカル つのだたかし
 ピアノ 吉野洋美
 ベース 徳島大藏
 フラウト・トラヴェルソ 中村忠
 チェロ 武澤秀平
 ヴァイオリン 山口隆之
 コーラス 山口陽子

4 天城越え(石川さゆり)
 ヴォーカル 波多野睦美
 ピアノ 吉野洋美
 ベース 徳島大藏
 ギター つのだたかし
 フラウト・トラヴェルソ 中村忠
 チェロ 武澤秀平
 ヴァイオリン 山口隆之

5 狂ったハート(リトル・トニー)
 ヴォーカル ロベルタ・マメーリ
 ピアノ 吉野洋美
 ベース 徳島大藏
 ギター つのだたかし
 チェロ 武澤秀平
 ヴァイオリン 山口隆之
 トランペット 蒲倉史伸&大矢裕子

63 ご覧のとおり、すごいことになりました!ww
 動画はですねえ、残念ながら3までしかありません。ちょうどバッテリーが切れてしまいました(涙…どなたか動画を撮った方はナイショで下さい)。
まあ、波多野さんとロベルタは本物の歌手ですから、さすがにここでは公開できませんね。つのださんのはギャグだからいいでしょう(笑)。
 ホント、波多野さんとロベルタの歌唱はすごすぎました。世界トップクラスの歌手による歌謡曲。素晴らしすぎました。
 というわけで、1〜3まではこちらこちらでお聴き下さい!
 ちなみに練習は1回しかしていません。それでもここまで出来る皆さんはすごい!楽譜はなくても大丈夫。エンディングが合わないのは宴会芸としては最高のネタになります(笑)。アクシデントも含めて「ライヴ」ですよね。
 いやはや、ホント音楽っていいなあ。それも大衆音楽。
 私たち以外の出し物もホントいつもながらハイレベルでした。都留音楽祭の醍醐味はここにあり!

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2013.08.18

ロベルタ・マメーリ ソプラノリサイタル

19 あ夢のコンサート本番。
 いやあ、本当にすごい歌唱でした。私、ヴィオラですからマメーリさんのホントすぐ隣で演奏させていただいたわけですが、なんというか、久々に「あの」感じを味わいましたね。
 あの感覚を初めて体験したのは、もう25年くらい前になります。ヴィオラ・ダ・ガンバの巨匠、ヴィーラント・クイケンさんと一緒に演奏した時です。
 なんというか、脳波をコントロールされるというか、大きな波に乗って気持ちよく進んでいくような感じですね。
 今回もマメーリさんの体全体から大きなうねりが発せられていて、それに私が共鳴共振して、勝手にアンサンブルしてしまう感じを味わいました。
 そういう時は全く緊張しないのです。今回も今考えてみれば、マメーリさんだけでなく、他の演奏家の皆さんもプロ中のプロ、シロウトはワタクシだけですし、けっこう通奏低音が消えてヴィオラがその代わりをする部分が多い曲です。
 ある意味、マメーリさんと二人きりでアンサンブルしなければいけないシーンもあるわけですし、さらにそうそうたる音楽家の方々をはじめとする多くの古楽マニアの前で演奏するのですから、普通のワタクシなら、かなり緊張して弓を持つ手がガクガクブルブルなんてことになってもおかしくない状況です。
 しかし、まったくそんなことはなく、実に気持ちよく、恍惚の境地で演奏することができました。上の写真は調律師の梅岡俊彦さんが舞台袖から撮ってくださったものですが、ワタクシがかなり陶酔しているがなんとなく分かりますよね(笑)。
 お聴きの方々がどう感じられたか分かりませんが、私としては今までの演奏歴の中でも特に良い出来であったと思います。
 プログラムは以下のとおり。私はヴィヴァルディとヘンデルに出させていただきました。
↓click!
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 ヘンデルの「私を泣かせてください」もすごすぎました。この名曲、私も今までに何度もいろいろな方の伴奏をさせていただきましたが、今回のマメーリさんのは別格でした。
 呼吸の一つ一つにさえ感動し、本当に演奏しながら「泣かせて」いただきました。皆さんにお聴かせできないのは残念ですが、本当に奇跡的なコンサートでした。
Bscqfieciaeb6mx 実は今朝も本調子でなかったマメーリさんに、我が家の耀わんのお水を差し上げたんです。もしかすると、またあれが奇跡を起こしたとか(笑)。
 いや、本当に神がかり的な演奏だったのです。以前、世阿弥の言葉をヒントに「ものまね」に関してこのような記事を書きましたが、今日のマメーリさんはまさに「霊(モノ)を招(マネ)」いていたと思います。
 そのような経験をさせていただいたことを、本当に幸福に思います。マメーリさんはじめ、素晴らしい音楽家の皆さん、本当にありがとうございました。


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2013.08.17

誕生日プレゼント

11_3 日(8月17日)はワタクシのお誕生日であります。とうとう四十代最後の年を迎えました。
 例年誕生日は夏休みの最中。それも都留音楽祭中に訪れるので、自分自身もほとんど忘れてしまっています。
 今年も、都留音楽祭音楽監督の有村先生の奥様から声をかけていただいて初めて思い出しました。そう、奥様も今日がお誕生日なのです。そんなわけで、毎年二人で「Happy birthday to us !」と声をかけあっております。
 ワタクシにとっては、もう昨日のファーストレディーの来訪が最大のプレゼントであったはずなのですが、これがまた贅沢なことに、今日、明日、あさってと夢のような別のとんでもないプレゼントも頂戴できるのです。
 というのは、今回の音楽祭のゲスト外国人講師である世界的ソプラノ歌手ロベルタ・マメーリさんと共演させていただけるのです!
 本当に長くこの音楽祭に携わってきてよかったと思いますし、古楽器、特にバロック・ヴィオラをいろいろな所で弾いてきてよかったなあとしみじみ感じます。
 今日さっそく練習がありました。マメーリさん、ちょっと風邪気味&疲労がたまっていて本調子ではないとのことでしたが、まあそれでもすごいこと、すごいこと…すさまじい音楽性に圧倒されました。
 そして、なんともユーモアのある方で、実に楽しく練習させていただきました。
 ちょっとしたハプニングも。
 私はヴィヴァルディのモテット2曲の楽譜(パート譜)を用意する役でして、得意の(?)切り貼りをして今日の練習に自信満々で持って行ったのですが…。
 1曲めは無事終了したものの、2曲めの1楽章をジャ~ンと演奏し始めたところ、最初の20小節くらいを過ぎたあたりで、ストリング・セクションの皆さんの頭の上に「?」が点滅し始めました(当の私の頭上にも)。
 うわぁ〜、なななんと、2ページ分くらいごっそり抜けてる!ww
 切り貼りのプロたるものが…なんというミスを!
 さあ、やばいやばい。先生方皆さんお忙しい中時間を作ってこの練習に参加しているのに、私のせいで練習が中断するどころか、実にきまずい雰囲気になる可能性もある…。
 と、思いきや、なんとマメーリさん、「じゃあ、この曲やめましょう!」とおっしゃるではないですか。
 いや、怒っちゃったんじゃないんです。ご本人、本番もキャンセルしようかというくらい体調が優れなかったので、実は大曲2曲をやるのは大変だと思っていたところで、ある意味「渡りに船」という感じで、アクシデントがあったわけです。
 結局、それを理由に1曲まるまるカットということになりました。お客様には申し訳ないことをしたのかもしれませんが、マメーリさんにとってはある意味「地獄で仏」(?)、めっちゃきつい状況の中に、ワタクシという仏が現れ(笑)、自らの身を切ってまで、ピンチを救ったのであります。
 というわけで、1曲カットの決断ののちは、マメーリさん、ちょっと肩の荷が下りたのか、ものすごく明るく元気になっちゃいました(笑)。
 いやあ、我ながらグッジョブでしたよ。なんせ、1楽章の始めのあたりでのミスでしたからね。これが絶妙でした。ちょうどいいタイミングだったんですよ。これが2楽章の真ん中とか、3楽章の終わりの方とかだったら、全然違う結果になっていました。お分かりになりますよね。
 というわけで、今日のワタクシのワタクシによるワタクシのためのセルフ誕生日プレゼントは、このような奇跡的運命的なグッジョブだったということで、はい、49歳もなかなか波瀾万丈で面白く幕を開けたのでありました。
 

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2013.08.16

安倍昭恵さん来訪(第三章)

20130820_221439 が鳴沢村で静養中の安倍総理のもとに、奥様の昭恵さんが昨夜合流し、今日朝一番で我が家を訪問してくださいました。
 お昼ご飯を挟んで5時間にわたり、ずっと濃〜いお話をさせていただきました。いろいろ貴重なお土産も頂戴し本当に恐縮です。ありがとうございました。
 前回5月5日の時同様に、日本の神話の話から現代の情勢を通って未来の宇宙の話まで、本当に実のある対話をさせていただきました。もちろん基本は「地球平和」。
 正直昭恵さんも5時間では足りなかったもよう(笑)。続きはまた今度ということで。
 それぞれの話がお互いにインスピレーションを与えるために、どんどん芋づる式に話が続いていくから面白いのです。そして、そのとんでもなく広がった話が、結局最後は一つに収斂してくる…まるで交響楽でテーマが再現されるかのごとく。
 今、その広範な対話を俯瞰してみますと、今回の対話のテーマは「女性文化」であったという気がします。
 実際、いくつかお渡しした資料の中に、仲小路彰の女性文化論の文章がありました。日本の女性文化史を、フェミニズムなどの西洋的視点からではなく、日本的な視点から研究しなおし、未来に活かす時が来ているのでしょう。
 仲小路彰は女性を太陽に喩えています。昭恵さんはまさに太陽のような方。そして、富士山は女性の象徴でもあります。私は、ここ富士山麓に女性文化の研究・顕彰施設を作りたいと考えていますが、これはどうも実現しそうですね。
 今回は、ある意味かなりきわどい話も多数出てきましたが、それも「女性文化」というフィルターを通して見ると、それほど悲観すべきでないということが分かります。現代社会の問題点というのは、実はほとんどが男性の「荒魂」によるものばかり。そこに女性の本来的な武器である「和魂」をバランスよく配置することによって、実は各種問題は発展的、成長的に解決することができるのです。
 ちなみに私の感覚では、そのバランスは1:9。これは圧倒的に女性が強いという単純な意味ではなく、和魂の成長には絶対に荒魂が必要であるということです。
 そのほかにも本当にいろいろなお話をしましたが、あまりにいろいろすぎて忘れてしまいました(笑)。まあ、ウチの秘書(カミさん)がその辺はしっかり記憶してくれていることでしょう。
 とりあえず、昭恵さんと総理に現段階でお伝えしたいことは全てお伝えすることができましたので満足です。本当にこのような機会を得ることでき幸せです。
 そして、一方でそのような重責を担っていることに多少の緊張感もあります。しかし、あくまで国のため、地球のため、宇宙のため(!)という無私の心で臨んでいますから、どこか不思議な安心感と自信もあります(中二病でスミマセン)。
 これもひとえに出口王仁三郎の耀わん「十和田」のおかげですね。そして仲小路彰。さらにはその二大巨人を取り巻く方々に心から感謝申し上げたいと思います。
 これからもこのご縁を大切に、しっかり私たち夫婦の天命を全うしていきたいと思っています。
 我が家からは、いつものお水と自家製の野菜をお土産にお渡ししました。きっと夜の安倍家BBQで活用されているのではないでしょうか。なんとも不思議な感じです。

昭恵さんがFBで紹介してくださりました。こちらこちらです。ありがとうございます!

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2013.08.15

『終戦のエンペラー』 ピーター・ウェーバー監督作品

 戦の日。まずは安倍総理の代わりに(?)靖国神社に参拝。
 娘を含む中学生3人を連れて行きました。特別に靖国のことや戦争のことは話していなかったのですが、遊就館では3人とも涙を浮かべながら食い入るように遺書や遺影を見ていたのは印象に残りました。
 可哀想、でもかっこいい、そしてなんで?…子供の時に一度は足を運んでおくべきだなと改めて感じました。
 特に「風立ちぬ」を観た子供たちはぜひ行くべきでしょう。遊就館、子供は無料です。
 さて、公式参拝(?)を終えた私は、娘たちと別れて一人新宿ピカデリーへ。映画「終戦のエンペラー」を観るためです。
 さて、感想。一言…予想ははるかに超えて素晴らしい。ここまでかの戦争の本質、天皇の本質、日本人の本質に迫っているとは。
 これが日本国内で作られず、戦勝国、敵国であったアメリカが作ってしまったところがなんとも言えませんね。
 終戦の日に靖国に行ってから観たということもあるでしょう。しかし、たとえそうでなかったとしても、私は「あのシーン」で涙したことでしょう。
 今日はダラダラとは語りません。とにかく観に行ってほしい。
 本当に見事な映画でした。
 ソクーロフの「太陽」とは対照的な作品。あの作品はそれなりに面白かった。映画としては「太陽」の方が面白いかもしれない。
 しかし、「本質」…すなわち「白黒つけられない」日本を表現しているという意味では、こちらの方がずっと優れている。
 いずれにしても、日本人が作ったのではないというのは皮肉ですが。
 あっ、最後に個人的な驚きを一つ。ちょうど昨日、静岡の実家で父親から静岡の空襲の話を聞きました。この「物語」にその静岡大空襲が大切な要素として登場していることにびっくりしました。


「終戦のエンペラー」公式
 

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2013.08.14

戦争ノスタルジーとしての高校野球

201308141362851l 川、力尽く 九回執念の同点、粘り及ばず…
 山梨代表の日川高校が、優勝候補の大阪桐蔭高校と素晴らしい戦いをしました。結果は負けましたが、強大な敵に必死に食らいついていく姿、あるいは絶対有利と思われていた相手がある種のゲリラ戦に翻弄される姿というのは、観ていて不思議と気持ちのいいものです。
 もうお気づきの方も多いと思いますし、私もブログの中に何度か書いてきましたからお読みになった方もいらっしゃるでしょう、高校野球はスポーツ、体育ではありません。
 その証拠に高体連とは別組織の高野連が存在します。そして、ほとんど春と夏の甲子園は「文化」として日本に定着しています。
 特に夏の甲子園は、最も暑い季節に、その時期平均気温の最も高い土地で、さらに最も暑い時間帯に、空調設備のない甲子園球場で行われるわけで、それ一つ取っても、とても学生スポーツの大会とは思えない過酷さですよね。
 選手たちの体調や競技としての安全性、公平性などを考えれば、もっといい季節はいくらでもありますし、夏休みにやるにしてもドームで冷房ガンガン入れてやればいいじゃないですか。
 なぜ、そうしないのか。そして、なぜ甲子園は人工芝ではなく土と草(笑)なのか。
 そう、それは、日本人が甲子園の高校野球に戦争の記憶を重ねているからです。
 もちろん、開催期間に、原爆の日があり、終戦の日があり、お盆があるということもあります。しかし、それ以上に戦争の記憶が「文化」として象徴されていることに注目すべきです。
 このことはあんまり言う人がいないんですよ。まあ言うのは野暮なのかもしれませんが。たまに思い出してみるのもいいのではないでしょうか。
 今日は一つ一つ解説はせず、思いついたものを列挙していきます。それぞれをイメージしたり、テレビで見たりしながら、懐かしんだり楽しんだりしてみてください。

・開会式の入場行進が軍隊式
・プレイボールのサイレン(サイレンで始まるスポーツってありますか?)
・負けたら終わりの背水の陣
・故郷への思い(愛県心は愛国心の縮小版)
・炎天下での過酷な戦い
・坊主頭
・汗、涙、土まみれ
・塁=陣地(盗塁は敵陣を盗むこと)
・遊撃、右翼、中堅、左翼などの言葉
・併殺、封殺、死球などの言葉
・犠牲フライ、犠牲バントなどの言葉
・吹奏楽による応援(吹奏楽は軍楽)
・コンバットマーチ
・試合後の校歌斉唱、校旗掲揚(国家・国旗の縮小版)
・甲子園の土の持ち帰り(遺骨収集)
・朝日新聞の「旭日旗」

 その他にもいろいろ出てきそうですが、思いついたものはこんな感じでしょうか。
 つまり簡単に言えば、「国」を代表する坊主頭の陸軍少年兵たちの南方での過酷な戦いがそこにあるんですよ。
 もともと野球というのは特殊な競技です。集団競技のようで個人対決ですしね。一人一人名乗って勝負するわけですから、なんか武士道にも通じます。
 もともとが一人ひとりが相手陣地に乗り込んでいって、敵陣を占拠して本陣に帰ってくるという競技ですし、インプレイ時間は少なくほとんどが「作戦」を考える時間という所も戦争と類似性、親和性が高い。
 そのせいか、一人ひとりの兵隊よりも采配を振るう将の力に依る部分も大きい競技ですよね。
 それから、これは言っておかなければならない。
 最後の朝日新聞の「旭日旗」にも象徴されていますがね、戦後教育界に跋扈してきた日教組などの左翼的な思想、戦争忌避、平和志向とは、全然反対なことを甲子園では後生大事にやってきたのです。そこが面白いところでしょう。
201308151636741l しかし、誰もつっこまない。それが「日本文化」なんです。そういう意識の下層に流れる、矛盾をも含んだ、ある種霊的な、決して科学的ではない、唯物的ではない「何か」こそが文化なのです。
 いつも書いているように、culture とは cultivate から発した言葉です。掘り返して耕して初めて見えてくるモノであって、コトの集積たる civilization(文明)とは違うのです。
 さて、甲子園も後半戦に入っていきます。皆さんもお盆に故郷に帰って、こんなような時間軸のノスタルジーを感じながら応援なさってみてはいかがでしょうか。


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2013.08.13

渋滞学

20130814_101203 中湖、御殿場を経由して静岡の実家にやってまいりました。
 観光地ということもあって、山中湖畔は大渋滞、さらに新東名も一部登り坂で軽い渋滞。
 もうお盆の季節はしかたないとあきらめている人がほとんどでしょう。
 私はムキになって迂回路を探し、結果として渋滞している道より遅くなるというタイプです(笑)。
 しかし、これは考え方によってはですね、他人のためにはなってますよね。だって1台減るんですから。
 そう、実はこうして皆がいろいろな選択肢に挑戦すると、渋滞はかなり緩和されます。それも私のように自分だけ早く行こうとか思うのではなく、あくまでも「利他」の精神で挑戦する人が増えればいいんですよね。
 私は実を言うと「時間は未来から過去へと流れている」という考えに基づいた独自の渋滞理論、渋滞解消理論、渋滞回避方法を信じているのですが、今日はそれではなく、もっと頭のいい方の「渋滞学」をおススメします。
 東大の西成活裕さん。私はこの本のもとになったNHKの番組で初めてその存在を知りました。
 うん、なるほど、蟻の行列は渋滞しないよなあ。けっこう車間距離詰まってるけど(笑)。
 つまり西成さんは、いわゆるボトルネックで流入量が処理可能量を超えると渋滞が発生するという従来の理論とは違った観点から渋滞を研究しているのです。
 私はその理論の先に、仏教の哲学を見ました。そう、先ほど書いたように「利己」ではなくて「利他」の精神を持たねば根本が解決しないということです。
 自分が1秒でも早く目的地に着きたいと思うから、どうしても車間が詰まる。そして、合流で我先にと割り込んでしまう。
 結果としては、それが全体の利益につながらず、回り回って結局自分も不利益も被るのですね。
 私は、車という特種空間が人間の「利己性」を助長すると思っています。車を運転するとだいたい性格が悪くなるじゃないですか(笑)。急に気が大きくなったり、暴力的になったりする。
 そういうことも含めて、今後は渋滞について考えて行かなければなりません。
 エスカレーターの追い越し車線や、コンビニのレジの並び方など、最近生身の人間どうしの「譲り合い」についてはけっこう工夫がなされてきていますね。
 それらは一つの社会のルール、マナー、モラルとして定着しつつあります。つまり、お互いの顔が見えるので自発的な「良心」が発現するようになっているんですね。
 車の社会でも、そういう「対面」が一般化すればいいと思うんです。宅配便のトラックに運転手の名前が書いてあるとか、ハザードランプで「ありがとう」をするとか、少しずつ車内から「人間性」がにじみ出る機会が増えて来ましたが、もっともっと、「恥ずかしい」も含めて車が「人格」を持てば、案外渋滞は簡単に緩和できるのかもしれません。
 …と、それは私のトンデモ理論の一部でして、西成さんはちゃんと数学を使ってもっとちゃんと証明してくれています。
 ただ、私は西成さんの理論を理解しようとしていて、上記のような仏教哲学に行き着いたのも事実です。
 渋滞による経済的損失は年間12兆円。私たち一人一人が毎年1万円損している計算になりますね。それがもし「心」の問題で減額できるなら、そんないいことはないと思います。
 ちなみに、休暇に入って、私、仕事が渋滞しています(笑)。それについても西成さんは独自の理論をお持ちです。
 たしかに、仕事について、自分と自分が譲り合っていては、渋滞どころか通行止めになってしまいますね(笑)。

Amazon 爆笑問題のニッポンの教養 万物は渋滞する 渋滞学

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2013.08.12

蚊帳

31zifoenfml_sl500_aa300_ 士山を3分の1登ったところにある我が家は暑さ知らず。甲府で40度を記録した時間帯はなぜかひんやりした風が吹いてきて24度。
 朝晩は気温10度台まで下がって寒い。かなりぜいたくです。
 皆さん、いいなあ、やっぱり都会よりも山に住みたいな、などとお思いでしょう。
 そのとおりなんですが…実際には田舎ならでは悩みもあるのです。
 そう、だいたい田舎暮らしに憧れて退職後山の中にログハウスなんか作っちゃうとですね、だいたい夏に大変なストレスに見舞われるんですよ。
 というのは「虫」です。
 自然が豊かということは、当然ですが「生き物」がたくさんいるということです。
 やぶ蚊、ハエ、アブ、ブヨ、蛾、ムカデ、ハチ…などなど。
 ウチのあたりはあんまり森ではなく住宅街という風情なので、実はそれほどでもないのですが、それでもやっぱり虫
の付き合いは覚悟がいります。
 で、今年はですねえ、暑いせいでしょうか、私の大嫌いな虫さんが大発生しています。
 それが、スズメバチとカマドウマ。
 やでねえ〜。虫がたくさんいる山の中なのに、ウチは網戸がありません。というのは猫に全部破壊されているからです(笑)。
 冷房なんてものも当然ないので、窓は開けることになります。すると、昼間はハチが入ってくる。どうもウチの近くに巣があるみたいなんです。私の寝室の近くに。
 夜は寒いので窓を開けることはありません。またハチは夜は寝ているので問題ありません。しかし、夜の恐怖は…どこから入ってきたか知りませんが、巨大な(山仕様の)カマドウマが部屋の中を闊歩するんですよ!
 そして、寝ている私の足や手や顔に登ってくる(笑…えねえ)。
 東京に住んでいる時から、私はカマドウマが大嫌いでした。いや、見た目が気持ち悪いだけで「害虫」とされるカマドウマちゃんに同情もしますがね、どうもあのデザインは生理的にダメなんです。
 さらに彼らいろいろ設計ミスがあって、思わぬ動きをしたり、突然足が外れたりする(笑)。
 特にあの意味のない足やお尻のトゲトゲ…あれは反則でしょう。私の体に登ってきた時の、あの感触…もう忘れもしません。
 というわけで、この夏はもう4回も深夜カマドウマに襲われました。
 あの感触でハッと目が覚め、電気をつけると巨大なカマが目の前にいたりする。かと言ってそれをつかまえる勇気もなく結局またどこかに隠れてしまうんですよ。そうするともう眠れない。布団の端が私の足に触るだけで、「また来た!」となってしまう。
 これは暑さよりも厳しい状況ですよ(笑)。
 で、今年は原始的な蚊帳を導入しました。これで完璧?
1085521_152278671644147_1883410521_ もとはこういう発想はなかったのですが、実はウチの静岡のオヤジが蚊が大嫌いで、最近蚊帳を買ったんですよ。
 しかし、大安売りで買ってきた蚊帳がこんな感じでデカすぎて大笑い。
 私はそれを見て最小の一人用、それも上から吊るタイプを買いました。
 これでカマドウマの夜襲からも、早朝のスズメバチの飛来にもゆっくり眠れます(笑)。
 ところが…
 朝目覚めて巨大なカマドウマが数匹蚊帳にはりついていたり、スズメバチが数匹ブンブン飛んでいたりすると、蚊帳という安全地帯から脱出できなくなってしまうのであります。
 実に情けない光景になってしまうわけですね(笑)。
 いやあ、田舎暮らしはそれなりに大変ですよ。人が都会に集まる理由もよく分かるというものです。

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2013.08.11

『秘密ノート~交渉、スキャンダル消し、橋下対策』 飯島勲 (プレジデント社)

20130812_150203 ょうど1年前の2012年8月11日は、私の人生にとって非常に大きなターニングポイントとなりました。
 そう、現ファーストレディ安倍昭恵さんとの不思議なご縁のはじまりです。あの日以来、私の生活も意識もすっかりその次元が変わってしまいました。
 こんなこと言うとそれこそ中二病と揶揄されそうですが(笑)、私に革命が起きたと同時に安倍晋三さんにも、また日本という国にも大きな変化が生じました。
 まったく不思議ですねと、時々昭恵さんと一緒にちょっと懐かしい気持ちで1年前を振り返っています。
 今、安倍総理はこちら鳴沢村にいらっしゃっています。明日あたりから少し当地を離れますが、またお盆明けにはこちらにいらっしゃるとのこと。
 ご縁があれば、お会いできるのではないかと楽しみにしています。いろいろお伝えしたいことがありますので。
 さて、安倍政権の誕生で同じく大きくまた人生が動き出したのが、内閣官房参与の一人飯島勲さんでしょう。
 ちょっと前に紹介した人生「裏ワザ」手帖が抜群に面白かったので、最新刊のこちらも読んでみました。
 結論から言いますと、それなりにエキサイティングでしたが、ちょっと話題があちこちに飛びすぎで(拉致問題から橋下、さらにはももクロから虫の食べ方まで)、ついていくのが大変だったかな(笑)。
 いや、そんなところが、いかにも「官邸のラスプーチン」という感じであるとも言えましょうか。ラスプーチンってそういうトンデモない人でしたからね。
 飯島さんほどではありませんが、私も「古今東西・硬軟聖俗なんでもござれ」な人間ですから、話の次元がいろいろ飛ぶと言われます。ただ、それは一般の方からすると…ということであって、私からしてみますと、同じ次元に感じられているんですよね。
 実はこここそが、未来の日本や世界を考えていく際に重要なポイントになると思うのです。昨日の妖怪の記事に関連させて言うなら、「モノ」世界から見ると、様々な「コト」は全部同じように見えるということなのです。
 モノ=霊、コト=体(人間)と言ってもいいかもしれません。霊界から眺めるこの世のドタバタは、それが政治の世界であれ、芸能界であれ、自分の生活の話であれ、所詮ドタバタにすぎないのです。
 そして、そういう次元包括的な直観を鍛えると、ドタバタの本質が簡単に把握できるようになります。なぜなら、全部同じように見えるからです。雛型、フラクタル理論ですよ。
 チャップリンは、「人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇である」と言いました。至言ですね。
 悲劇とはすなわち「自分の思い通りにならないコト」に対するマイナス感情が生むものであり、喜劇とは「自分の思い通りにならないモノ」を認める感性が生むものです。
 そういう意味で、飯島さんはなんとも「喜劇的」な方です。あの風貌や言葉遣いもそうですが、なんかおっかない人だけれども、どこか可愛い。いや、カワイイ(失礼)。
 私もそんなスケールの大きな人間になりたいなといつも思っています。
 ちょっとそんな人や人生に憧れている方は、たとえばこの本を読んでみて、まずは自分のスケールの小ささを知ることから始めてみるといいでしょう。
 それにしてもなあ、内閣官房参与たる人が、生活保護の不正受給でウハウハの老後を過ごす方法を指南しちゃうとは(笑)。さすがです。

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2013.08.10

『大江戸・妖怪ブーム』 NHK BS歴史館

__2 思議なものの象徴、説明できないものを担っている妖怪。
 録画してあったものを観ました。これが実に面白かった。興味深かった。小松和彦さんと荒俣宏さんが妖怪について語る…それだけでも楽しい。お二人とも現代の妖怪ですからね(笑)。
 この1時間の番組を観れば日本が分かります。大げさでなく、これを教材に使えばいいのですよ。実際使いましょう。
 宗教ではないし、歴史観とも基本関係ない。しかし、いくら唯物論者でも否定しきれない「何か」があります。
 私の言う「モノ・コト論」の「モノ」のキャラクター化(一種の擬人化)が妖怪です。私にとっての「モノ」はまさに説明できないモノ。一方「コト」は説明できるコト。
 言うまでもなく西洋文明は「コト」をひたすら求めてきました。それに対して東洋、特に日本は「モノ」を重視してきた。
 番組でも語られていたように、科学が象徴する西洋文明は、そういう「モノ」を敵視し排除する方向で進歩してきました。
 しかし、日本では妖怪を「愛する」、すなわち「モノ」にこそ世の本質を見て大切にしてきた。
 磯田道史さんが、幽霊は「朱子学と仏教の失敗(道徳と供養の失敗)」と語っていましたが、まさにそうですね。外来のコトではやっぱり私たちの生活は統治できなかったのです。
 その裏には(宗教ではない)「神道」が底流しています。
 明治維新後は「コト」の勢力は貨幣と武器という形でさらに強力になり、日本も国を挙げてそちらに舵を切ったため、妖怪(モノノケ)たちは地下に潜るようになってしまいました。
 しかし、今でも存在していることはたしか。夏になると毎年出てきますからね(笑)。
 「妖怪LOVE」…妖怪との付き合い方が日本文化の成熟度の高さを表している。なるほどそのとおりですね。文明ではなくて文化ですよ。
A0104474_13323812 番組後半は平田篤胤にスポットライトを当てていました。秋田出身の奇才、そして最近の私にとっては仲小路彰の思想のルーツの一つとして興味を持っている篤胤。
 う〜ん、この番組を観て、あらためて思いましたねえ。秋田出身の平田篤胤と佐藤信淵、ちゃんと勉強しなくちゃ現代日本は分かりません。紹介されていた篤胤の言葉です。
「外国の説は仏教のも儒教のもみな自分の都合のいいように推量して定めた妄説(みだりごと)である。西洋人は天地のことを観察し考えられる限りのことは考え、その考えの及ばぬ先のことは神の御心とする」
「まず何よりも第一に大倭心(やまとごごろ)を堅めなくてはならない」
 私のセンスからすると、篤胤は本居宣長よりもずっとスケールの大きな学者です。そして、篤胤や信淵は正しく評価されていないと感じます。
 妖怪を弾圧するとそれがまた形を変えて、たとえば風刺やユーモアとなって復活する。これこそ日本の「モノ」の力強さです。それと同じように、篤胤や信淵を「皇国史観」や「大東亜共栄圏」のルーツだなどと「コト」で片付けても、必ずその本体は日本の伏流水となって、そして時々地上に吹き出してきます。
 それが、たとえば出口王仁三郎であり、仲小路彰なのであると思います。
 いやあ、本当に面白かった。外国人に日本を理解してもらうのにも良い資料となるでしょう。とりあえず教材として使います。
 荒俣さんが「ずっと妖怪に興味を持ってきた。そのせいで学校でいやな思いをしてきた」と言っていました。そこにこそ、日本の教育、学校、教師の問題点がありますね(苦笑)。
 再放送を望みます。

BS歴史館公式


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2013.08.09

つっぱり日よけスクリーン

20130810_103408 士山の我が家の朝の最低気温は18度。正直天国です。
 昼間は韮崎でNHK合唱コンクールの、そして甲府で柔道関東大会の応援。気温は38.7度。
 つまり20度の日較差!さすがにこれは体にこたえます。
 たしかに温暖化は進んでいますね。富士山標高1200メートルにある我が家周辺でも30度を超える日があります。20年前の夏場は最低気温13度、最高気温28度でしたからね。
 それでも、おかげさまで冷房や扇風機なしでもなんとかなっていますから、まったく贅沢としか言いようがありません(もちろんその分冬寒いわけですが)。
 この涼を求めて、先ほど安倍総理がウチのすぐ近所の別荘においでになりました。おそらくこの「寒さ」に驚かれたことでしょう。ぜひ英気を養っていただきたいと思います。
 さて、今年我が家で導入した避暑グッズを紹介しましょう。サンシェイドです。
 先日取り付けてみましたが、効果抜群でした。
 つっぱり機構なので取り付けは簡単。強度がちょっと不安だったのですが、実際取り付けてみるとそこそこ安定しています。ま、台風の時なんかはちょっと心配ですが。
 あとは耐久性でしょうか。キャンバスの色抜けも含めて、とにかく使ってみるしかありませんね。
 私はシーズン前の5月に購入したので、この2.7mタイプがたった6980円でした。今だと倍以上しますね。けっこう人気があるのではないでしょうか。
Img_7057 これが我が家の取り付け状態です。
 グリーンのスクリーンに当たっている日光が、今までは家の中まで侵入してきていたわけですから、それなりに効果があることが想像できますよね。
 ウチは屋根が比較的高いのですが、つっぱり棒の伸縮範囲がかなりあるので充分足りました。
 ハンドルを回しての巻き上げもけっこうスムーズで楽しい。お値段のわりにはよく出来ているなと感じました。
Img_7058 そして、台風時や冬の積雪時のことを考えて、巻き上げた際にちょうど雨樋の下に収納されるように調整をしました。フリーの状態だと強度の面でけっこう危ないと思います。
 このへんの工夫も取り付けの時の楽しみであります。
 そうそう、組立てと取付けを一人でやろうかと思ったのですが、やっばり無理でした。カミさんに手伝ってもらって20分ってとこかな。
 昼間、シェードの下で読書なんかすると自宅でしっかりリゾートできますよ(笑)。
 しかし、実際のところ最も重宝しているのは…私たち人間ではなくてノラ猫のシローさんらしい(笑)。
Img_7055

圧倒的人気!つっぱり日よけスクリーン・オーニング スクリーン1.9Mタイプ【昨夏、一番売れた日よけスクリーン.

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2013.08.08

昭和88年8月8日

Yamanohi_logo 日は「やまなし山の日」です。「八」が富士山のような山の形に見えるので制定されたとのこと。
 今年は富士山の世界文化遺産登録もありましたから、また特別な記念日となりました。
 さらに今日は昭和88年8月8日だったんですよね。そんなわけで今日は「8」や「八」にまつわることをスタートにして思いついたままに書いていきます。
 日本では「八」は末広がりの吉字ですし、もともと「八」という数字には特別な意味がありました。
 古い日本語で思いつくのは、八島、八雲、八咫鏡、八重、八百万などがありますよね。「多い」とか「全体」というイメージがあります。八紘為宇などと言う時の「八」も同様でしょう。
 ちなみに西洋では「8」は縁起が悪いとされていました。そのおかげか八本足のタコは悪魔の化身扱いされています。いや因果関係が逆かもしれません。タコが先にデビルフィッシュになって、そこから8がとばっちりを受けたのかも。調べてみよう。
 さあ今日は昭和88年8月8日。日本では末広がりや輪の「八・8」がつながって、なんとなく縁起の良い日だった…かと思いきや、奈良県でM7.8の大地震が発生というとんでもない「誤報」があって、日本中がいばし騒然としました。
 いや、霊的にはその地震は発生していたのかもしれません。それが何かしらのご利益によって体現しなかったのだと考えれば、これもまた吉事であったとも解釈できますね。
 科学の目で見るなら、あのような緊急地震速報の誤報は、ほぼ同時に比較的近い地域で地震が発生すると起こります。二つの地震を一つだと勘違いしてしまうのですね。今までも何度かそういうことがありました。
 ところで、最近ネットでは「88888888…」と「8」を連続して打ち込むことよって、「パチパチパチパチ…」という拍手を表すことがあります。
 「パチ」という音はもとより、元来「八」が吉字であったからこそ無意識的に広がった文化でしょう。
 ちなみに伊勢神宮の「拍手(柏手)」は「八」です。一般には神社の拍手は2回ですけれども、それはいわば省略形であって、古い神道では4や8がけっこう見られます。
 「88888888…」というのは実は新しい文化ではなくて最も古い文化の復権だったりして(笑)。
 いろいろ話が飛んで申し訳ありませんが、日本人って数字の音韻から語呂合わせをして、いろいろな文化を生み出してきましたよね。
 たとえば今日8月8日は「◯◯の日」「◯◯の記念日」が年間で一番多い日なのではないかと思われます(たぶん)。そのほとんどが語呂合わせですよね。
 代表的なところを書くと、パパの日、そろばんの日、笑いの日、パパイヤの日、葉っぱの日、おばあさんの日、がま口の日などなど…。
 それから、年号の暗記とか、電話番号の暗記とか、そういうのも語呂合わせが一般的ですよね。これって日本語ならではのテクニック、日本ならではの習慣なんですよね。
 もともと日本語は音数が少ない(母音も子音も少なめ)上に開音節構造なので、確率的に同音異義語ができやすい。そのおかげで語呂合わせ、ダジャレが作りやすい言語なのです。
Pn2013080801002041 さて、また話が戻ります。緊急地震速報の誤報についてです。この写真はお騒がせの原因とされる海底地震計。
 先ほど、あれは実は誤報ではないかもしれないと半分冗談で書きましたね。ネット上でも、あれは奈良の大仏さまが地震を打ち消す波動を発してくださったのだという「ジョーク」が広がっています。
 しかし、この「ジョーク」も、古い日本で言えばまさに神仏の御加護です。たとえば、緊急地震速報はないにしても、ある予言者が(予言書に)何月何日に大地震が起きると言った(書いてあった)として、それを恐れてみんなが神仏にお祈りした。結果、何事も起きなかったら、その予言者(予言書)を嘘つきだと責める前に、神仏(霊界)に対して感謝をするじゃないですか。
 今回も、あの誤報によってみんな驚いただけでなく、電車が止まったり、電話が通じなくなったり、まあいろいろストレスを感じたわけじゃないですか。しかし、あまり気象庁を責めるような論調にはならなかった。逆に、「誤報で良かった」「いい訓練になった」というような話も多く聞かれました。
 そして内心、「奈良の大仏さんだったらやってくれかねないな」とも思ったりする。
 私もちょっとそんな気持ちになって、ああ良かった、ありがとうございました、と心の中で言ってしまいました。
 そして、ああ日本人で良かったなあなどとぼんやり考えながら東京に向かったのでした(東京での出来事はまた後日書きます)。
 というわけで、ずいぶんと末広がりな記事になりましたな(笑)。


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2013.08.07

8月7日の零戦

Img_7019 「立ちぬ」が好評のようです。
 私はまだ観ていません。宮崎駿の作品にしては珍しく、私の比較的得意な分野をテーマにしたものなだけに、もう少し「先入観」をしっかり持ちたいと思っています。
 その一環として今日は実際のゼロ戦、いや零戦を肌で感じてきました。
 場所は河口湖自動車博物館飛行舘。ウチから車で3分のところにあります。
 全く不思議なもので、その零戦とは毎年いくらでも会えたのに今年の今日までその機会がなかった…というよりも今思えば無意識的にずっと先延ばしにしてきたんです。
 私にはそういうことがしょっちゅうありまして、これは一種の直観、霊感というものなのでしょうね。好機は図ることに関しては、妙に自信があります。すなわち「あと延ばし」が得意(笑)。
 で、やっぱりこれも今日でよかったと思いました。一つには家族みんなで行けたことです。娘たちもそれなりの年齢になり、それぞれの戦争観が形成されてきています。
 さらに71年前の今日、すなわち昭和17年8月7日は、あのガダルカナル島の戦いが始まった日です。そして、その日、「大空のサムライ」坂井三郎の乗った零戦が、サザーランドのグラマンF4Fワイルドキャットと伝説の一戦を交えました。
 まずはそれを再現したこちらの動画を御覧ください。

 一言…すごい。
 坂井の奇跡の帰還やサザーランドの再会も含めて、次の動画もぜひご覧頂きたい。

Img_7007 河口湖自動車博物館飛行舘には、71年前に坂井の搭乗したものと同じ(三菱と中島の違いはありますが)零式艦上戦闘機21型が完全復元体とフレームの形で2機展示されています。そして、後期の52型も完全にレストアされており、さらに最初の動画の冒頭にも出てくる一式陸上攻撃機型も機体が復元された形で展示されていて、正直圧倒されます。
 その他、各種エンジンや部品もリアルな形で展示されており、なんとも言えない気持ちになります。
 少年の心としてはドキドキワクワクな部分もありますけれども、一方で大人になった私としてはなんとも辛い息苦しさも感じます。
 「風立ちぬ」をご覧になった方もそうでない方も、もし富士山においでになる機会がありましたら、ぜひこの博物館にも足を伸ばしていただきたいと思います。
 ちなみにこの博物館では52型をもう一機完全レストアしました。それがあの靖國神社遊就館の零戦です。

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2013.08.06

『驚異のバイオリニスト~ロビー・ラカトシュ、超絶技巧の世界』 NHK BSプレミアムアーカイブス

 8月10日午前1:45~午前3:25(9日深夜)に再放送がありますのでぜひご覧ください!
 う〜ん、すごかった。すごすぎ。こういう言葉しか出てきません。1999年に放送された番組です。
 冒頭の「二つのギター」だけYouTubeにありましたので、まあとりあえず聴いて、そして観てください!


 自称「型破りなジプシーフュージョン」ヴァイオリニスト、ロビー・ラカトシュ。
 自称「掟破りななんちゃってフュージョン」ヴァイオリニストの私にとって、ステファン・グラッペリと並んでロビー・ラカトシュは理屈抜きに「神」です。
 超絶技巧という意味でも「神」ですが、やはりその即興の素晴らしさですね。というか、ほとんど全て即興です。
 番組の中でその即興の源泉について語っています。好奇心が旺盛であらゆるジャンルを聴き、弾いてきたレパートリーの多さ…。
 即興って面白いですよね。過去の記憶の集積があると、未来から音がちゃんとやってくるんです。音楽は時間芸術と言われながら、実は時間の軸を自由に行き来している。
 ラカトシュ以外のメンバーもめちゃくちゃ巧いし、音楽性が豊か。究極のアンサンブルを聴かせてくれますね。楽しいだろうなあ、これくらいできると。地味にセカンド・ヴァイオリンもすごい。
 そして、なんといってもツィンバロンがなあ…。ピアノの前身と言える打楽器です。番組中、さらっと「別れても好きな人」を弾いてくれます(笑)。
 どんな楽器なのか、こちらをどうぞ。

 いやはや、もうワケわからん世界ですね。
 ヴァイオリンという楽器の本来の姿はこうしたジプシースタイルにあると言えますね。ある意味では野蛮な楽器なのです。
 そして、一つ言い忘れてはいけないこと。彼のボウイングやフィンガリングの超絶さに目を奪われがちですが、あのヴィブラートの多彩さ、コントロールの絶妙さにも注目してただきたい。あるいは逆にノンヴィブラートの的確さ。これはクラシックの奏者にはぜひ見習ってもらいたいですね。
 アコーディオンのcobaさんや三味線の木下伸市(木乃下真市)さんとの共演も見もの。特に木下さんGJ!あの8分の7拍子は驚きのかっこよさ。
 とにかく再放送をどうぞ。録画することをおススメします!

Amazon ラカトシュ

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2013.08.05

陽炎〜虹〜最後の花火…

 のフジファブリック学が盛会のうちに終了いたしました。
 昨年同様、明るいうちはフジファブリックの曲について語り、夜は河口湖湖上祭で「最後の花火」を観ましょうという企画。
 今年取り上げたのは、私の大好きな「陽炎」でした。

 ほとんど初対面の者どうしでありながら、あっという間に「場」が出来上がって盛り上がり、話は想定外の方向へ。
 結局「陽炎」の音楽的分析は5分ほどで終了。テンション・コードなどのブラジル音楽の影響、目立たないけれどもちゃんと仕組まれている「胸キュン進行」などについて、ちょこっと説明しただけ。
 歌詞についてはほとんど触れないで終わってしまいましたが、その歌詞の世界に登場する風景は十分に堪能できたので良しとしましょう。
 そう、ちょうどある場所で講義が始まった頃に「雲行きが変わってポツリと降って」きました。そしてひとしきり語り合い、皆が「やんでた雨に気付いて」会場を移しました。
 湿ったアスファルトに陽の光が差し、ふわっと湯気が上がる様子こそが、この歌の「陽炎」そのものではないのかなと思いました。
 いずれにせよ、そうしたユラユラした風景や、不協和音の連続は、不思議と私たちを魅了します。
 特に「締めつける」の「る」の音や金澤くんのキーボードにおけるA7-5の和音は、この曲を性格を決定づけていますね。
 今日は話が盛り上がりすぎて、なんと曲を一度もちゃんと聴かなかった。それほど語れてしまうのが、志村正彦くんの音楽であります。
 さあ、下吉田は西裏の魔界をご案内したのちお墓参りをし(ここで想定外のスペシャルゲスト?登場)、河口湖へ移動。
Img_6982 途中かなり激しい雨が降って来ましたが、夕刻にはほとんどやみ、虹も出ていたそうです。そしていよいよ花火が始まりました。
 花火と言えば、先日観た「おにいちゃんのハナビ」を思い出しますね。そこにもちょうど志村くんを重ねて書きましたが、日本人にとって花火は「一期一会」の象徴ですね。
Img_6992 特に「最後の花火」には「場」の全ての記憶、すなわち出会いと別れが凝縮されています。
 今日の皆さんとの出会いも本当に「一期一会」。しかし、一方で必然的な出会いでもありますね。全ての偶然は必然です。
 そんなことを痛感した一日でした。皆さん、ありがとうございました。

 次は「秋」です。秋にちなんで渋い曲を選ぼうかと思っています。お月見をかねて「お月様のっぺらぼう」とかどうでしょうか。山梨弁の「オレ」の話とか(笑)。

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2013.08.04

もう一つの富士山(その3)超大型戦略爆撃機『富嶽』

Fugakug 休みに入った途端、なんだか妙に忙しくなって記事の更新が遅れております。元気に生きておりますので御心配なく(笑)。
 さて、今日は「もう一つの富士山」シリーズのその3。もうお分かりのとおり、このシリーズは「ナショナリズム」のシンボルとしての富士山を紹介しています。
 その3は戦後に行こうかと思っていたのですが、一つ戦争末期の大切な「文化」を忘れていたので、そちらを紹介します。
 そうそう、戦争末期ということでいうと、かの硫黄島の市丸利之助海軍少将の歌集も忘れてはいけませんね。

 天空の青と大地の紫と富士の白雲まじはれる朝
 艦砲の的ともならん爆撃の的ともならん歌も詠むべし

 その記事にも書いたとおり、当時の富士山は「日本国の、そして大和魂の象徴であり、自己の精神の気高さの指針であり、武運長久を約す守り神であり、雄々しさと繊細さを併せ持つ和合のシンボルで」あったわけです。
 さて、戦局も厳しくなった昭和18年に、「強く正しく美しい日本」の象徴として本格的に製造が計画された一つの「富士山」があります。
 それが「富嶽」です。ご存知の方も多いかと思いますが、これは米国の本土爆撃のために製造が計画された超大型戦略爆撃機です。
 その全長はなんとB29の1.5倍。6発エンジンで航続距離はB29の3倍の2万キロ弱。ほとんど無謀というか、荒唐無稽なシロモノです。
 先ほどアメリカ本土爆撃と書きましたけれども、実際には太平洋を渡って米本土を爆撃したのち、大西洋を渡ってドイツで燃料補給、そしてソ連を爆撃して日本に戻ってくるという、それこそ4万キロで地球を一周するというトンデモナイ計画があったようです。
 まさに「富嶽」の名にふさわしいスケールではありますが、一方でどこか夢物語的であり、しかしまたどこか実現可能なような、そして戦局を一発逆転してしまいそうな、そんな現実的な部分もある、まさに「生黄泉(なまよみ)」な爆撃機であります。
 計画の端緒は昭和17年、かの中島知久平(中島飛行機創始者)の「必勝防空計画」。その中の「Z飛行機」です。
 「Z」という文字の持つ響きとイメージのとおり、まさに「最終兵器」だったのでしょうね。
 私も小学生の頃、太平洋戦争の本を読みあさっていた中で、この「富嶽」のイラストに触れて、非常にドキドキワクワクした思い出があります。
 私なんか昭和39年生まれですから、戦後がまさに終わったと言われた頃に生まれた世代ですし、高度経済成長の東京に育った現代っ子です。しかし、実際にはノスタルジーとしての戦争が色濃く残っていた中に育っていました。
 それも「太平洋戦争」は間違った戦争で日本は負けて当然だったというような論調が多かったはずなのに、どこか理屈ではなく「いや大東亜戦争は聖戦で本当は日本は勝つべきだった」という無意識の意識が働いていたように記憶しています。
 もちろん、そんな言葉で表現されていたわけではありません。本当に少年的な夢想の類です。まあ、それがのちの宇宙戦艦ヤマトなどの作品にはまる原因の一つだったのだと、今になってみるとよく分かります。
 そうそう、私はヤマトの前にすでに、なんだか宇宙戦艦モノのオリジナルマンガを描いていたんですよね。あのノートどこかにあるかな。捨ててはいないはずだけど…。
 そのマンガにもたしか巨大爆撃機が登場していたと思います。宇宙戦争なのになぜかプロペラ機でしたが(笑)。
41fvs3ancql 今はもうそんなマンガを描くエネルギーはないけれども、なんとなくこのフジミ模型の1/144スケール「富嶽」は欲しいような気がする…。
 大人になったからこそ得た経済力で手に入れてしまおうかな。いや、今は今で強力な敵国(抵抗勢力)に押され、息も絶え絶えであります(笑)。
 模型ですら夢物語なのですから、実物の「富嶽」はいったいどれだけの男の夢やロマンが詰まっていたのでしょう。
 いや、今でも本気で考えます。もし「富嶽」が昭和19年の内に完成していたなら…と。

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2013.08.03

『七人のコント侍』 NHKBSプレミアム

20130805_85950 コントは好きです。見るのも好きですが演るのも好きです。演らせるのも好きです(笑)。
 ウチの学校関係者はお分かりと思いますが、私はもう何十年も学校非公認のコント部の顧問をしております。
 昔は毎年学園祭などで私自身舞台に上がっていました。最近は生徒を使って演らせることが多いかな。なんとなく肩書き上やりにくくなってしまった(笑)。
 まあ、私の授業なんか毎回コントみたいなものですからね。お笑いのお客さんみたいに生徒が最初から期待してこっちを見てるので、それに応えるのが大変(笑)。まあ、ほんとアドリブ力も相当鍛えらますよ。
 ま、私の持論として、「授業は魅力的なプレゼン、あるいは面白いコントでなければならない」というのがありましてね。なんちゃって。
 やっぱり上手なコントを観るのは勉強になります。なるべくそういうものを観るように努めています。
 そのうちの一つがこのNHKの「七人のコント侍」。昨年までは「サラリーマンNEO」が素晴らしい教材でしたが、今年はこれかな。
 特に昨日放送された回はなかなか良かった。前回がちょっと冗長な感じを与えていたのに比べ、今回はそれぞれコントのクオリティーも高かったし、全体の流れも良かった。そして、出演者の方々の一体感が出てきていて安心して観ていられました。
 そう、この番組の面白いところは、一流のお笑い芸人さんをランダムに七人集めてコントをさせるところにあります。今回放送分は次のメンバー。

 富澤たけし(サンドウィッチマン)
 川島明(麒麟)
 小峠英二(バイきんぐ)
 今野浩喜(キングオブコメディ)
 藤森慎吾(オリエンタルラジオ)
 白鳥久美子(たんぽぽ)
 菊地亜美(アイドリング!!!)

423a4_105_e116a3f9_f2dd4e2f このメンバーでのコントは4回目、そして最後だったので、特に一体感が生まれたのではないでしょうか。
 それぞれ「タレント」のある芸人さんたち。しかし、普段は一緒にやることはほとんどないわけですね。その偶然的事故的コラボの妙が面白い。
 最初の頃はどうしてもお互いの芸風の読み合いみたいになっていて、ドライブ感がなかったんですよね。
それが段々互いの役割を体でつかんでいったと。そういう過程を観るのも面白い。
 演技という点ではやっぱり川島さんが傑出しています。ただ、もちろんコントのベースは演技力ですけれども、演劇とは違うのも事実ですから、それだけではダメなんですよね。
 また、全員が演技派だとコントはつまらなくなったりもする。難しいんです。その点、逆にアイドルの菊地さんが微妙に素人っぽくていい味を出しています。妙なリアル感がある。
 そこが、NEOとは違う点です。あれは超演技派の俳優さんたちが、あまりにそつなく演じていましたからね。それはそれですごかったけれども、ちょっと飽きるところもあった。
 それがお笑い芸人さんだと、また違った「間」であるとか、アドリブであるとか、キャラの食い合いであるとか、いろいろな「事故」が見られるわけですね。
 そう、役者さんにとっては「事故」は避けるべきものですが、芸人さんにとっては「事故」はネタの元ですからね。
 だから、私のようなシロウトにとっては、やはり「事故」はあってもらいたい。授業中の事故は盛り上がりますよ(笑)。まあ、「事故処理」能力も問われるわけですが。

七人のコント侍 公式

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2013.08.02

麻生発言という「教材」

Obyj504_aso_d_20130731045654 生さんの「ナチス発言」が問題になっています。
 これは「国語」の教材に使えそうです。読解、そして表現、リテラシー。
 教材という喩えも不適当でしょうかね(笑)。いや、やっぱりちゃんと聞いたり、読んだりしないと。テストみたいな気持ちで臨まないと…大切なことなのですから。
 結論から言えば、やはりこれは麻生さんの「失言」だったと思います。問題はどういう意味で失言だったのかということです。
 これは生徒に考えさせたい。非常にいい教材です。
 ちなみに、「ナチスを肯定するなんてとんでもない」とか「国民の知らないうちに憲法を変えてしまえなんていうのはとんでもない」という答えは不正解です。
 ただ難しいのは、そうセンター試験をはじめとする多くの入試問題がそうであるように、「全文」を読む(聞く)ことが非常に難しいということです。
 いわば、問題文の切り取りに出題者の「意図」が大きく反映してしまうということですね。
 それでもなるべく多くの「一次情報」を得るよう努力したいですね。生徒にも問題文を全部読まないヤツがたくさんいます。めんどくさいからでしょうね(笑)。
 まず、これを聞きましょう。テレビ朝日のニュース番組から(ちなみに「全文」ではありません)。

 続いて、この騒ぎを「意図的に」起こした張本人の一人朝日新聞がのちに出した「発言の要旨」を読んでみましょう(ソースはこちら)。上の動画(音声)と書き起こした下の文の、切り取り方の違い、そして、各文の微妙な言い回しの違いを確認しましょう(同じ「朝日」なのですが…苦笑)。

(以下コピペ)

 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。

 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。

 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。

 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。

 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。

 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

(コピペ終了)

 続いて、麻生擁護派の切り取り方と模範解答を聞いてみましょう。

 ある意味、本当に勉強になりますね。どうやって、「失言」が生まれるのか。あるいは作られるのか。
 特に、皆さん最初の動画でお聞きになって分かるとおり、「あの手口学んだらどうか」のあと、聴衆が笑っているんですよね。「笑い」は文章には表現されませんから、よりこの「問題」は難しい。
 はっきり言って、これはいい「教材」ではありますが、いい「問題」ではありません。
 つまり、まず一次資料としての麻生さんの発言が決して名文ではないということ。真意が汲み取りにくい。ナチスを肯定しているとはとても読めませんが、しかし、問題の「手本」発言の部分は、あまりに微妙過ぎる。「反面教師」として学ぶという意味なのか、それとも反語的なブラックジョークなのか。
 そして、それをその場の聴衆がどう捉えたか、いやそれ以前に聴衆が「一般」ではないということも問題ですね。聴衆がどういう思想を持ち、どういう話を期待し、ジョークをどれくらい理解できる層なのかということが分からない。
 さらに、出題者の意図によって、文章の切り取り方、組み合わせ方が違っている。
 これでは公平な試験とは言えませんね。
 ですから、この「問題」の正解というのは、いくらでも正解を捏造できるということこそが問題だということなのです。
 そして、そういう「一次資料」を提供してしまったという意味で、これは間違いなく麻生さんの「失言」なのです。
 一国の大臣、それも総理経験者なのですから、やはり発言には気をつけなくてはいけない。
 私のこのブログのように、あえて灰色…いや玉虫色に発言して、逆に「問題」を捏造できないほどにカオスにしてしまうという作戦もありますが(笑)。政治家じゃ、それは通用しないか。
 とりあえずマジで「教材」として使ってみます。子どもたちにとっては、ニュースや新聞に「意図」があるということを学ぶだけでも価値がありますよね。

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2013.08.01

『日本語の心…ことばの原風景をたずねて』 呉善花 (日本教文社)

 善花さんが韓国に入国拒否されたそうですね。これはあまりにひどい。
 日本人が「親日派」であることを理由に入国拒否されたということですよね。おかしな話です。国際的なルールはもちろん、文明国としてのマナーにも反する行為です。
 例のサッカーの横断幕の件、アメリカでの従軍慰安婦像の件なども含めて、最近の韓国はさすがにおかしい。残念です。
 韓国の方にはいろいろお世話になっているし、知り合いもずいぶんいるので悪口はなるべく避けてきましたが、どうもこればかりは「大丈夫?」と心配しないではいられません。
 呉善花さんは韓国済州島の出身、日本に留学後、日本の言語や文化や歴史の奥深さに感銘を受け、今では日本に帰化して研究者、教育者としてご活躍です。
 まあ、それ自体が気に入らないのでしょう。呉さんが日本に帰化したのは、つまり韓国と日本を比較して、より日本の方に魅力や正義を感じたからにほかならないわけですから。
 もちろん逆のケースもありますよね。日本を見限って、韓国のみならず諸外国に移住し現地の国籍を取るということは。
 それに対して、非国民だ、売国奴だと言う日本人も少数はいるでしょうけれど、それが国家の意志、国民の総意にはなりえませんよね。
 しかし、今回の入国拒否はあくまでも「上からの指示」ということですから、国としての考えを示したものだと受け取っていいでしょう。
 まあ、本当にこの件に関してはあきれるしかありませんね。正直、韓国や中国はこれから経済的に下り坂でしょうし、日本は安倍政権になってこれから上り調子になっていくでしょうから、それを予感してこうして難癖をつけてくるのだと思います。今までもそうでしたよね。
Osonfatitle
 この呉善花さんの本にこういう箇所があります。

「日本人の口喧嘩では、およそ相手をおとしめたり、はずかしめたりする言葉が飛び交うことがない。というよりは、そうした言葉の語彙がまことに少ないのである。日本人自身はそうは思っていないかもしれないが、西洋人でも中国人・韓国人でも口喧嘩となれば、日本人が耳を塞ぎたくなるような下品で侮蔑的な言葉を、次から次へと相手に浴びせてくいくものだ」

 …なるほど。こういう時こそ、「言挙げせぬ」ことが重要だと思います。相手の言葉のレベルに乗らないということです。無視ということではない。乗らないのです。
 さて、この本ですが、日本語の語源に関するなかなか興味深い考察が並んでおり、いちおう国語学(日本語学)をずっとやってきた私としても、とっても勉強になりました。
 特に「もの」「こと」に関する部分は、私の「モノ・コト論」とは細部は異なるとはいえ、基本的なところでは通底する部分が多く、わくわくしながら読ませていただきました。
 案外、根っからの日本人でこの「もの」「こと」という基本語彙に切り込む人がいないものでして…。
 ある意味外から日本を見ることができる、比較する「母国」を持っているから気づく点も多いのでしょう。
 呉さんも韓国にいた時は、反日的な感情を持っていたと言います。しかし、実際に日本に来てみて、日本(と韓国)の真実を知ることになった。
 そういう意味では、多くの韓国の方々に日本に来てもらいたいですね。
 ドイツ在住の作家川口マーン惠美さんが最近こちらでおっしゃってましたっけ。

「日本というのは、世界で唯一、イメージよりも実態の方が良い国なのである」

 これはいいことなのか、悪いことなのか…いや、逆よりはずっといいな。

Amazon 日本語の心

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