原発よ、ありがとう。そして、さようなら…
どうも、ずっともやもやしていることがあるので、今日は抽象的ではありますが、ここに記しておこうと思います。
昨日、参院選で山本太郎さんが当確になったあと、こんなツイートをしました。
変な話に聞こえるだろうが、自然の恩恵(和魂)と災害(荒魂)に対しては「まつりごと」が必要。共産党や民主党は言うまでもなく山本太郎にもそれはできないだろう。ちなみに放射線も人間も自然である。
これはどういう意味かという質問がいくつかありましたので、お答えしようということです。
しかし、まだ自分の中でもうまくまとまっていないので、先ほど書いたように抽象論、あるいは私の好まない情緒論になってしまうかもしれません。すみません。
私はかの原発事故が起きた時にも、「君に好かれて 君からは嫌われたんだ」…原発の気持ちとはという記事を書いて、何を原発に同情してるんだ!と何人かの方から批判を受けました。
しかし、今になっても実は気持ちは変わっていません。
では、私は原発推進派、原発肯定派かというと、決してそういうわけではありません。それは今まで書いてきた原発に関する記事を読んでいただければお分かりと思います。
では、どういうことなのかというと、それがまさに「ありがとう。そして、さようなら」なのです。
反原発、脱原発の皆さんの言説や行動に対して、私が違和感を抱くのは、その「ありがとう」の部分の欠如に対してです。
可哀想というのはさすがに行き過ぎとしても、やはり、今まで40年間さんざんお世話になってきたのに、いきなり「排除」だけというのは、なんとも私の倫理観に反するのです。
私は文系人間なので、なんでも擬人化してしまう傾向があります。そこは理解されなくてもしかたない。しかし、先のツイートにもあったように、放射腺も人間も自然です。そういうレベルでの感謝や同情というのは、時に必要であると思います。
特に、「核分裂」を利用した現在の原発は、「核融合」を利用した未来の原発が実用化されるための、どうしても必要なプロセスであるという視点に立てば、過去や現在の原子力の研究者や技術者、そしてそれを推し進めた政治家や実業家を、無碍に非難することはできなくなると思います。
多くの反原発派、脱原発派の、ただ現状におけるマイナス要因を排除する姿勢、端的に言ってしまえば、目前の不快な敵を殲滅しようとする姿勢には、また違った意味での恐怖を感じざるを得ません。
私も「核分裂式原発」は早くなくなってほしいと思っています。早く「核融合式原発」の時代がやってくることを祈っています。
だからこそ、今までの原発には「ありがとう」とまず言いたい。そして、勇退をお願いしたい。それが私の言う「まつりごと」なのです。
日本の「祭り」は、基本「和魂(にぎみたま)」への感謝と、「荒魂(あらみたま)」への鎮めで成り立っています。
原子力の平和利用が、世界のエネルギー資源争奪戦を防いできたことは事実ですし、これからもそうでしょう。そして、原発が、この戦後日本の平和な繁栄の礎(インフラ)であったという事実。
つまり、反・脱原発派の中でも感情的な方々には、原発の「和魂」に対する感謝や敬意が足りないと思うのです。
もちろん、私は被災者の方々へのシンパシーも忘れていませんよ。そんなことは当たり前です。また、将来への不安もあります。だからこそ、「さようなら」の前に「ありがとう」と言っておきたい。
それこそ擬人化すれば分かりますでしょう(大変お世話になった人が「不慮の」事故であなたに多大な迷惑をかけたとしたら…)。
このような意見が一般的でないというのも分かりますし、それこそ情緒的だと非難されてもしかたないと思います。しかし、このどうしようもない、世の中への違和感も否定できないのです。
「政治」は「まつりごと」であるべきだという考えもまた、私はどうしても捨てることができません。特に日本においては、政教分離でありながら政教一致であるべきだと思います。
それを象徴しているのが天皇です。そう言えば、今日、天皇皇后両陛下が福島を訪問されましたね。両陛下の、人間や原発を含めた自然へのお気持ちは、きっと私の想像しているとおりでありましょう。
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コメント
ここ1世紀くらいでしょうか。日本が区別をして、臭いものに蓋をするようになったのは。
人の死なんてのは典型例かもしれません。
今じゃ自分の身内でもない限り死に触れることもない。
区別というのは昔からやられていたものですが、区別した対象を認めて、それと同居してきた昔と、とにかく排除しようとする現在。
イザナギとイザナミは今の世だと、日に1000人殺すなら、それをするお前を殺す。ってとこでしょうか。
投稿: たこたよ | 2013.07.26 11:33