中二病と言語
今日は中二の保護者対象に「中二病」講座を開きました。私は概説のプリントを作ってちょっとしゃべっただけでしたが、他の講師の先生の魅力的なお話に、お父さんもお母さんも自らの中二病時代を思い出しつつ、楽しんでくださったようです。
ちなみに中二病歴35年の私が作った概説「中二病(厨二病)学概論」のレジュメはこちらで読めます(ほとんどネット情報のコピペですが面白いと思いますよ)。
勉強会が終わって家に帰ると、リアル中二病まっさかりの中二の娘がボカロ曲のメドレーを歌いながら聴き通し、「やった!全部知ってる!」と大声で(笑)独り言を言っていました。
私はボカロ世界を否定する人間ではありません。逆に音楽的にも歌的にも文学的にも興味深く鑑賞させてもらっています。
以前にも「ボカロの原点は森高千里?」、「和ロックと短歌と…」などの記事にも少し書いてきましたが、今日は「中二病と言語」ということについて、娘の様子からちょっと思いついたことを書き留めておこうと思います。
ボカロが持つ独特の言語(主に日本語)世界というのは多様ですが、一つの傾向として「漢字」の多用ということがあります。
まずは漢検準一級レベルの(笑)やたら難しい漢字を使いたがること。そして、独特の「当て字」や「熟字訓」があることです(前掲資料も参照)。
やたら難しい漢字を使うというのは、これは小学生(お子ちゃま)だった自分を凌駕するための背伸びとして、ある意味安易な方法ではありますね。
たとえば今日娘が歌っていたこの曲。ちょっと聴いて(見て)みてください。
これなんか、まあ和ロックの系統に入るとも言えましょうか。
だいたい、「羅刹(らせつ)」とか「骸(むくろ)」とか、読めないし意味分からないっすよね。娘も発音しているけれど意味はよく分かっていない。
これは昔、我々の世代で言えば、歌謡曲から洋楽に移行するのと同じ感覚でしょうね。意味も分からず発音だけは真似する。わけの分からんモノ、難解なモノに憧れる、かっこいいと思うというのは人間のサガでしょう。お経もそんなものです。
本来言語というのは道具として使いこなしてなんぼの「コト」なわけですが、その「コト」という認識や社会的共通理解に対する反発とでも言いましょうか、言語を通じて辞書的な社会に取り込まれていく、すなわち自己が無個性化していくことに反発を覚える。
だからそれを逆手にとって、コトのモノ性をクローズアップしていく。言語に絡め取られない自己と、自己に絡め取られない言語という、双方の幸福の実現です。これは面白いですね。同じ「コト」でも、貨幣よりもまだ言語の方がそういう自由度がある。お互いに。
現実の社会的言語から離れる方法として、先ほど書いたように「外国語」に走るケースと、古い日本語に向かうケースがありますね。
いつの時代にもその二つの方法がしのぎを削りあってきました。奈良、平安時代には漢語や梵語の日本的受容が進みましたし、江戸時代には国学が日本語の復古を目指しました。明治維新後の訳語(和製漢語)文化も面白い。
私たち昭和高度成長期世代は洋楽どっぷりでしたが、一方でどこか和なムード漂う江戸川乱歩や丸尾末広やつげ義春などの「文学」も一定の人気を保っていましたよね。
まあいずれにしても、「今ここ」の日本語から離れたい、つまり「今ここ」の現実世界から逃避したいという願望の表れでしょう。
ところで、娘に様々な「難読漢字」を書けるのか聞いたところ、たぶん鉛筆では書けないとのこと。パソコン世代ですから、変換キーを押すだけで「書ける」ことになってしまう側面もあるのですが。
思えば、昔の中二病の病態の一つである「不良」「暴走族」も、「夜露死苦」とか万葉仮名文化の復興に尽力しましたっけね。面白い。
と、まあ雑然と思いついたことを書き散らしましたけれども、私も通った道をこうして娘がしっかり歩んでいるのを見るとですね、こうした文化の継承というのはやはり遺伝子に組み込まれたものなのだなあと実感します。
ところで、日本では中二病はこんなふうに発症発現しますが、外国ではどうなんでしょうね。すごく興味があります。わけも分からずラテン語とかギリシャ語とか使うとか(笑)。
あと、ボカロ中二曲の歌詞って、たとえばバンプの藤原くんとかフジファブリックの志村くんの劣化版って感じがするんですけど、そのなんていうかなあ、アマとプロの微妙な違いってどこから生まれるんでしょうね。興味があります。
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コメント
「中二病学概論のレジュメ」はとても面白く、声をだして笑いました。笑うとスッキリしますね。
私もきっと中二病かも…
リアル中二病時代の育ちかたって、すごく重要なのでは…と気付きました。
投稿: なるこゆり | 2013.06.25 11:03