モノから学ぶ
今日は我が中学にドイツ人木工作家の方がいらっしゃいまして、生徒たちのために講座を開いてくださいました。
彼の名は、Siegfried Schreiber。同じく木工作家である本校生徒のお父さんの友人です。
シュライバーさんは、もともと哲学の教師だったそうですが、教育方針を巡って政府と対立。教師をやめて木工作家になったという経歴も持ち主です。
彼の作品はまさに「哲学的」。西洋的なプラグマティズムの対極にあって存在感を示しています。
言葉や理屈といった「コト」ではなく、まさに「モノ」自体から感じ取って学ぶ、あるいはオブジェクトを支配、制御するのではなく、一体となってそこに自己(や宇宙)を発見していくという意味では、実に「禅」的であります。
木の質感、そして宇宙の重力場を感じさせるカーブ、重さと軽さ、そして不可思議な動き(ダンス)。
そこに象徴されているのは、宇宙の波動であり、生命のリズムであり、そして自我の根源でありました。 中学生たちには難しかったかなと心配されていましたが、そんなことはなかったと思います。逆に子どもだからそれをストレートに受け取ってくれたのではないでしょうか。実際、「すごい!」「わ〜!」という歓声がたくさん上がっていました。
あらためて、教育、学習のルーツは「Wonder」、ドイツ語的に言えば「Wunder」だと痛感しましたね。感動と疑問と好奇心。ある意味では「神」を感じる瞬間とでも言えましょうか。
大人である私たちこそ、言語や論理や常識にとらわれて、なかなか日常的にそれを体感することが減ってしまいました。シュライバーさんの作品は、私たちにとっても、非常に有効なきっかけを与えてくれる「モノ」たちです。
今読んでいる北野武さの本にも書いてありましたけれど、「ドイツ人は一番細かい。理屈っぽい」ですよね。たぶんシュライバーさんが教育に関して国と衝突したというのは、そういう部分においてでしょう(笑)。わかるような気がします。
日本人は、比較的「禅」的な感覚を持って生きている方だと思いますが、教育の現場においては、私のように「コト」より「モノ」、「体」より「霊」を重視すると、やはり「アヤシい」と言われてしまいます(なるべく抑えてますけど…苦笑)。
逆に言えば、それ(コト重視)が戦後教育の最大の問題点だったと思います。
我が校では、常に「体験」「体感」を大切にしているのですが、これはある意味では仏教ベースの私学だからできることですね。公立では「体験」「体感」がどんどん現場から追いやられています。
モノ(他者)から学ぶ。モノの中に自己を見る。自他不二。
モノからメッセージを受け取る。自分が器になる。そこに立ち上がる世界。モノが私たちの心を作る。モノが私たちの振る舞いを決定する。実に幸福な美しい時間です。
ドイツの普通のマイスターたちは「コト」を極めて「モノ」に至るという方法論を取ってきたと思いますが、シュライバーさんは、直接「モノ」に飛び込んでいくアーティストでありました。
ありがとうございました。
Siegfried Schreiberさん公式
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