究極の「もののね(モノの音)」!?
ネタとしては昨日の記事の続きになりましょうか。
今日は我が中学校恒例の横浜遠足&芸術鑑賞。生徒たちは横浜港クールズや中華街自由行動を楽しんだのち、横浜市開港記念会館にて教頭自らも演奏するバロック音楽を鑑賞。
皆さんには「教師冥利につきますね」と言われましたが、ある意味職権濫用ともいえなくもない?(笑)
しかし、まあ歴史的建造物で歴史的な音楽を聴くというのは、生徒たちにとっても貴重な体験であったことはたしかでしょう。
横浜ではTICADVが開かれています。昨日、総理の奥様に「お互い利横浜で頑張りましょう」とメールをいたしました(お互いと言ってもかなりレベルの差はありますが)。
今日、私は以前予告したとおり、ヴィオラ・ダモーレを演奏しました。
これがなかなか曲者で、練習の時からかなり苦戦しておりましたが、やっぱり本番ではさらなる困難に多数遭遇いたしました。皆さまには本当にご迷惑をおかけしました。
ただ、難しそうな楽器だなあということだけは、ちゃんと伝わったと思われます(苦笑)。
私がこの曲を弾くのは2回目でありましたが、この曲を公の場で2回演奏したという人は、世界でもそんなにいないでしょう。そんなわけで、私自身にとっても非常に貴重な体験となったのは事実です。ありがたいことです(3回めはもうないかな)。
さて、今日そのテレマンの協奏曲や他の曲を演奏している時にも、ふと考えてしまったのですが、楽譜を見て演奏するタイプの音楽って、ちょっと変じゃないでしょうか。
以前、音楽は未来からやってくる(?)という記事にも書きましたとおり、初めてある音楽を聴く場合、ある程度の予想というのはあるにしても、基本的に未知の旋律や和声が、未来の方向からやってくるわけじゃないですか(実はそれは作曲家の作曲行為の追体験に近いものがあります)。
今日のテレマンはそれほどメジャーな曲ではなかったので、実際にそういう感覚でお聴きになった方も多かったのでは(少なくともウチの中学生にとってはヴィヴァルディ以外は初耳だったことでしょう)。
しかし、当然私はこの曲を知っていて演奏している。それも楽譜を1小節目からなぞるように弾いていく。
いわば記憶(記録)を古い方から順に文字を追って読んでいくように再生していくわけです。この時、ある意味では、音楽は過去から未来へ向かって流れていると言ってもいいと思います。少なくとも私の意識の中ではそういう時間構造になっているとも解釈できる。
一方でそれを初めて聴く方々にとっては、やはり自分がレコードプレイヤーの針であって、凸凹を刻んだ溝は向こう(未来)からやってくるわけじゃないですか。
そこのところの、演奏家と聴衆の時間の流れの矛盾というのはどうなっているのか。
だいたい本番というのは、こういう余計なこと(どうでもいいこと)を考え始めてしまって気づくとありえないミスをしてしまったりするものです(笑)。
一方、たとえば今日の演奏会で、私が降り番だったかの有名なバッハのチェンバロ協奏曲を聴く時、これは私はいやと言うほど聴いたり弾いたりしてきた曲ですので、かなり細部にわたって記憶ができあがっていますからね、音自体は未来からやってくるのはたしかではあるけれど、未知の音楽を聴く時とは明らかに感覚が違っていて、半分は楽譜をなぞるようなところもある。
いったいその辺どうなってるのか…そうそう、逆に演奏家と聴衆が全く同じことを体験している場合もあります。たとえば、私が急遽参戦したこの即興パフォーマンス。これは完全な即興というか自動演奏(?)ですから、演奏者である私にとっても、また聴衆にとっても、未来からやってくる音を初めて受容するという体験です。
昨日、日本の無文字社会や口伝を例にとって、過去(記憶・記録)にこだわらない方が創造性があるという言い方をしました。逆に西洋は過去(記憶・記録)にこだわると。
私は日本の伝統音楽もやってきましたので(卒論は純邦楽関係でしたから)よく分かりますが、日本の音楽には本来「楽譜」はありません。では全て暗譜…譜がないのだから暗譜じゃないな…暗記、いや記録もないのだから暗記でもないな、ええと、まあ記憶でしょうかね…記憶にしたがって「空(そら)」で演奏するのが基本でした(今でもそうです)。
実はそれ以前、すなわち大陸から「楽」が入ってくる前は、その記憶すらない、完全に「空」から降ってくる「もののね」でした(私の解釈では「モノ」は「外部・他者」を表す語ですから、理屈が合いますよね)。
「琴」という楽器は、そうした「モノの音」をこの世に現出(リアリゼーション)させる道具だったから「コト」と呼ばれていたわけです。
なんだかいろいろ書いているうちにめちゃくちゃになってきましたね。まとめると、つまり、楽譜を演奏する私たちと、初めて聴く皆さんとの音楽の共有の仕方はどうなっているのかなと、演奏しながら思ったということです(笑)。それで間違っちゃったと(言い訳?)。
そうそう、そういう意味で演奏中ですね、私にとって、そして他の演奏者や聴衆の皆さんにとって、最も「もののね」だったのは、さすが横浜!外で汽笛の音がずっと鳴っていたことです(笑)。
それがまたどういうわけか、汽笛の音程が曲に合っていたような…。
これがライヴの楽しみかなあと改めて思ったところです。「港の見える音楽会」にふさわしい洒落た神のいたずらでありました。ありがとうございました。
さあ、次回は11月9日同じ場所でバーセルのオペラから演奏します。ぜひお越しください。
PS そう言えば、今日もびっくりするシンクロがありました。地元の知り合いがたまたま横浜に来ていて、ちょうど会館の前を通りかかり、演奏会の案内を見たら私の名前があったので驚いて聴いていってくれたのです。不思議ですね。
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