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2013.06.30

国民文化祭 夏のステージ開会式(その1)

20130703_65905 年、山梨県では国民文化祭が開催されています。国体に対抗する全国規模の文化大会ですね。
 さらに今年の「第28回国民文化祭・やまなし2013」は、全国初の通年開催ということで注目を浴びています…とは言っても、国体と比べても知名度は低く、いやその国体でさえ参加者と開催者以外は蚊帳の外というのが実情であって、よって国文祭はさらにそういう感じだと思います。
 せっかくお金も時間もかけてやるものですから、もっとなんとかならないものでしょうかね。
 ただ、ワタクシ個人的にはいろいろなチャンスをいただきありがたく思っています。その中でも最大のチャンスだったのが今日。河口湖ステラシアターで行われた夏のステージ開会式。
 なんと言っても皇太子さまがおいでになる。私なんだかんだ言って皇太子さまを直接拝見するのは初めてです。
 思えばバロック・ヴィオラを通じて間接的にご縁はありましたが(同じ弓を共有したり)、なかなか拝謁の栄にはあずかれませんでした。
 それがこの国文祭のおかげで…いやもっと言うと自分の娘のおかげかな…、同じ場を共有させていただくことになりました。
 比較的お席も近く、直接お姿を拝見することとなりました。やはり予想したとおり、素晴らしいオーラを発しておられました。
 富士山は残念ながら雲に隠れておりましたが、明らかに富士山を取り巻く太古からの霊的なエネルギーと共鳴されておりました(普通はこういう表現ではないでしょうが、多くの方が「何か」を感じられたと思います)。
 そう、それから、より個人的な喜びと言いますと、今回の開会式では、私の奉職する学校のジャズバンド部が大活躍だったのです。
 特に皇太子さまのご入場の音楽を担当ということで(オール・オブ・ミーでご入場される皇太子さまというのもなかなかでした)、本当に大役というか名誉なことですよね。
 さらには、そこでウチの娘がベースを弾かせていただいたと。中二の娘はその栄誉の重みはいまいち理解していなかったようですが、それでもそれなりに気合を入れていい演奏をしておりました(ひいき目でなく)。
 さらに皇太子さまがお聴きになっている中で、司会者の方に「唯一の中学生メンバー」として名前を紹介されちゃったりして、なんと贅沢なヤツであろうか。私やカミさんは年甲斐もなく娘に嫉妬してしまったりして(笑)。
 考えてみれば、皇太子さまは音楽に造詣が深く、ジャズについても、それこそキース・ジャレットのライブに足を運ばれるなど、かなりお好きであるとうかがっています。
 子どもたちの演奏するジャズが皇太子さまのお耳にどう届いていたか、ちょっと気になるとところですね。
 チャンスと言えば、雅子さまはチャンスを逃されてしまいましたね。前日までは久しぶりにお泊り公務が実現かと言われていましたが、結局ご欠席。雅子さまもジャスがお好きだとか。それから富士山も。
 今の富士山は女性に素晴らしいパワーを与えてくれるので、私は「チャンス」だと思っていたのです。だから非常に残念ではありました。
 しかし、あらためて違う機会に雅子さまはこちらにいらっしゃるはずです。それが本当の「チャンス」になるでしょうから、今回はそのタイミングではなかったということで受け入れたいと思います。
 さてさて、開会式のプログラムは実に盛りだくさんでした。それについては明日の記事に書きます。

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2013.06.29

無欲清浄なる心(須達長者の説話)

夢窓疎石
01 日の向嶽寺接心での管長様のご法話は「須達長者」の説話でした。
 この話は甲斐の国にも縁の深い夢想国師の残した説話集にあるものです。夢窓疎石は向嶽寺のお隣、恵林寺の開祖さんです。
 作庭師としても名高い夢窓疎石は、恵林寺の庭や私もこの3月に訪れた天龍寺の庭を作りました。また、私の学校の母体となっている富士吉田の月江寺の庭も夢窓疎石の作であると伝えられています。
 さて、そんな夢想疎石さんの残した説話「須達長者」がネット上にありましたので、読んでみましょう。なんと中国人のため日本語学習サイトに(笑)。こんな古文、日本人でもすらすらとは読めませんよ…と思いきや、たしかに読みやすい。現代語訳いりませんね。
 ちなみに須達(すだつ・しゅだつ・スダッタ・シュダッタ)は、かの祇園精舎(大寺院)建立のために財を寄進したことで有名な、マガダ国のお金持ちです。
 お金持ちと言っても、富貴と貧窮とを七度も繰り返す浮き沈みの激しい生涯を送ったとされる方です。
 最終的にいよいよ貧困を極めた時、それでも「利他」の心をもって布施した結果、最終的には福徳を得ました。そのお話がこれです。
 無私無欲で清らかな心こそが幸福の「因」となるということですね。


 昔、天竺(てんぢく)の須達(しゅだつ)長者,老後に福報おとろへて、世をわたる計略もつきはてて、年来の眷属(けんぞく)一人もなし。ただ夫妻二人のみになりにけり。
 財宝はなけれども,さすがに空倉はあまたありけり。もしやとて倉の内をさがすほどに、栴檀(せんだん)にてさしたる斗(ます)を一つ求め得たり。これを米四升にかへて、これにて二三日の命をばつぎなんと、うれしく思へり。須達は別事によりて他行しぬ。
 そのあとに、舎利弗(しゃりほつ)、須達が家に到(いた)りて乞食(こつじき)し給(たま)ふ。須達が妻、四升の米を一升分けて供養し奉る。その後,目連(もくれん)・葉(かしやう)来たりて請ひ給ふ。また二升奉りぬ。その残り一升になりぬ。これだにあらば、今日ばかりの命をばつぎなんと思ふほどに、また如来(にょらい)到り給へり。惜しみ申すべきやうもなし。やがて供養し奉る。
 さても須達が外へ出(い)でつるが、疲れにのぞみて帰り来たらんとき、いかがはせんと思ふもかなしく、また,仏僧を供養し奉ることも時にこそよれ、我が命だにもつぎがたきをりふしに、四升ながら皆奉ること、しかるべからずと、須達にしかられんことも、あさましくおぼえて、泣き伏したり。
 さるほどに、須達外より帰りて、その妻の泣き伏したるをあやしみて、その故を問ひけるに、その妻ありのままに答ふ。須達これを聞きて申すやう、「三宝(さんぽう)の御ためには身命をも惜しみ奉ることあるべからず。ただいまやがて餓死に及ぶとも、いかで我が身のためとて物を惜しみ奉ることあらんや。ありがたく思ひよれり」と感嘆す。
 その後、もしまた先の斗ふぜいの物もあるやとて、空倉に入りて求めんとすれば、倉ごとにその戸つまりてあかず。あやしみて戸を打ち破りて見ければ、米銭、絹布、金銀等の種々の財宝、もとのごとく面々の倉に満ち満てり。そのとき眷属もまた集まりて、もとの長者になりにけり。
 かかる福分の再び来たれることは、四升の米のかはりに、仏のあたへ給へるにはあらず。ただこれ須達夫妻ともに無欲清浄なる心中より来たれり。末代なりとも、もし人かやうに無欲ならば、無限の福徳やがて満足すべし。たとひ生まれつきにかやうの心なくとも、小利を求むる心をひるがへして、須達夫妻が心をまなばば、何ぞかやうの大利を得ざらんや。須達が心をばまなばずして、ただかれがごとく楽しみを得んと思ひて、欲情のままに福を求めば、今生(こんじやう)に求め得たる大利のなきのみにあらず、来生(らいしやう)はかならず餓鬼道(がきだう)に入るべし。
    夢窓疎石『夢中問答集』より

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2013.06.28

警策(けいさく・きょうさく)

20130629_140106 日は塩山向嶽寺において宿泊座禅。毎年中学2年生がお世話になっております。
 臨済宗向嶽寺派大本山である塩山向嶽寺の素晴らしさについては、もう言うまでもありません。一般には入ることの許されないホンモノの修行道場での座禅は、どんな生徒も感動し、また来たい、また座りたいと言います。
 私たちの心の修養には、やはり環境が大切であることを身にしみて感じますね。私も最初の座禅から見事にすっぽりとはまって気持ちよく、自分や世界や時間から解放されました。ありがとうございました。
 特に今回は、誰よりも早く「警策」で打っていただいたので、まさに身も心も引き締まりました。
 やはり、荒魂というのは大切ですね。それを単なる体罰だとか、いじめだとか、そういう言葉で片付けてほしくない。
 実は私は最初のお手本として生徒の前で打たれてみせたのですね。そうしたら、まあみんな生徒たちが合掌して打たれたがること(笑)。ほとんど全ての生徒が自ら進んで警策で打たれました。
 みな、本当に「痛いけど気持ちいい」というのです。私も一言で言うならそういう表現をするでしょうね。自分のために打っていただくのです。
 ホント、これからは教室に警策を置いておいてですね、生徒が望んだらバシッとやりましょうかね。こちらからやると「体罰」とか言われそうなので、まずは希望制(苦笑)。
 いや、まじめに本校では「警策」の意味、そしてそれが体罰とは違うということをですね、文書にして生徒保護者に配布したんですよ。時代はそんなところまで来てしまっているのです。
 今日も雲水さんがおっしゃってました。もう何百年も変わらず続いているのだから、やっぱりちゃんと価値があるのだ、と。そのとおりですね。
 それにしても、自ら望んで6回(臨済宗は両肩を二回ずつ打ちますので総計24発ってことか)も叩いてもらった生徒がいました(自らドMと称する男子)。
 今回座禅指導を担当してくださった方丈さんは、「打つ方も打たれる方も清らかな心で」とおっしゃっていました。当然、打つ方も打たれる方も修行ということですね。わかります。
 打つ方は利他の施しであるべきでしょうし、打たれる方はそれに対する純粋な感謝の気持ちがなければならない。子どもたちは自ら望むことで打たれる側の修行をしっかりしていたと感じましたし、方丈さんもいつもと違って子どもをあれだけ(計100発以上)を打つわけですから、かなりの修行になったのではないでしょうか。
 ところで、「警策」という言葉、一般には臨済宗では「けいさく」、曹洞宗では「きょうさく」と呼びます。
 本来は馬を鞭打つことを言った中国語ですが、日本に入ってきて、「本来の力を発揮させるアイテム」というような意味でしょうかね、「詩文の要となる言葉」という意味になり、さらに進んで「詩文や人柄が優れていること」という意味の形容動詞として使われるようになりました。
 たしかに、あの一発の「痛み」や「衝撃」が、私たちの日常の中に秘匿されている何か大切なモノを呼び覚ましてくれる感じがしました。
 「警策」という物の名前には、そういう深い意味があったわけですね。単なるシゴキ棒ではない(笑)。
 いつも書いているとおり、私は日本古来の「荒魂(あらみたま)」と「和魂(にぎみたま)」の関係性について、1対99の配合ということ理想としています。
 いろいろなスケールの世界において、実は1が99を支えているのだと思うのです。これが0対100になってしまったり、あるいは10対90くらいの比率になってしまってもダメだと予感するのです。
 人なら100人に一人くらいは荒くれ者や狼藉者や悪党が必要ですし、我々の生活なら1年に3日か4日くらいは苦しい日がなくてはならない。あるいは100回ほめたら1回は叱らなければならない。100回信用したら1回はとことん疑ってみるのがよい。
 (本来望んではいけないのかもしれませんが)100年に1回くらいのペースで大きな自然災害も起きるべくして起こっている。
 昨年のこの機会に管長さまがお話くださった「逆縁」も「1」の一つかもしれませんね。
 その「1」こそが全体にとっての「警策」となるのだろうと思います。
 もちろん、私たちの理想はその「1」がなくなる、なくてもすむことです。残念ながら人類はまだそこまでのレベルになっていません。だから何百年も「警策」はなくならないのです。
 それをなくすためには、その意味を正しく理解しないと始まりません。ただ単に、「体罰」だ、「いじめ」だ、「暴力」だと言って排除するとどういうことになるか。
 世の中に「やくざ」がいなくなってどうなったかを考えれば分かります…なんて、ちょっと飛躍しすぎでしょうか。
 まあ、とにかく素晴らしい覚醒を導いてくれた尊い「警策」に感謝いたします。本当にありがとうございました。

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2013.06.27

『ウェブで政治を動かす!』 津田大介 (朝日新書)

Photo の本もだいぶ前に読んでいましたが、なんとなく記事にはしませんでした。そういう時はだいたいあとで機会がやってくるものです。
 今日がその機会のようですね。たしかに、ネット選挙運動が解禁になりましたし、政治家のネットでの発言がいろいろと取り沙汰されています(自殺者も出ました)から、いいタイミングだと言えましょう。
 この本で津田さんが指摘し、また予測していたことが、ほとんどその通りに実現しつつあります。ネットに関する発言者としては、やはり津田さんは説得力のある方ですね。
 ネット選挙活動については、明らかに日本は遅れていました。不自然なほどに規制されていたと言ってもいいでしょう。
 民主党政権後期にはネット世論は明らかにアンチ民主党でしたから、とてもとてもその時の政権はネット選挙解禁なんてできなかったでしょう。
 この本はまさに政権交代が起ころうかという時期に発売され、私もその流れの中で読んでいました。今思えば本当に不思議なことですけれども、私自身もネットを通じてほんのちょっとですが政権交代劇に参画していました。
 私自身はネットで政治を「動かす」とは意識していませんでしたが、結果として間接的に「動かす」結果となったわけで、これはネット(ウェブ)の潜在力、私の言い方をすれば、「コト(情報技術)の極められたところに発生するモノ(霊的エネルギー?)」を期せずして強く感じる結果となりました(お前の思い込みだと言う声も聞こえてきますが…笑)。
 私の感覚ですと、いつかも書いたように、ウェブ世界というのは実は非常に「自然」に近いのだと思います。そういう意味でも「モノ」性が高い。
 実は今日、中学1年生の保護者対象の勉強会がありまして、「ケータイとインターネット」について語らせていただきました。そこでも話しましたとおり、インターネット(ウェブ)というのは、もともとアメリカによる情報戦略、世界を情報的に植民地化して管理する手段だったはずが、いつのまにか、その考案者、設計者自身もコントロールできない「自然状態」に向かっているように感じます。
 私はそこに非常に前向きな希望を感じる人間です。
 もちろん「自然」ですから、様々なリスクもありますし、一方で恩恵もたくさんあります。あるいは進化の可能性、絶滅の可能性も内包していると言えます。しかし、全体としては、リアルな自然に対する絶対的な信頼と同様に、人間の作り出した「自然」に対しても信頼をおきたいのですね(ちなみに似たレベルでの世界的なシステムである「貨幣経済」は不自然だと私は解釈しています)。
 そういう意味において、今回のネット選挙解禁というのは、今はどうであれ、今後政治の世界に非常に大きな変革を迫るものになると予感します。
 民主主義における「民意」の理想が、もしなるべく「編集」過程の少ない「自然」なものへ向かうとするなら、ウェブ(ネット)は明らかに私たちをそちらに導くことになるでしょう。
 それはシステムとかテクノロジーとかストラテジーとかリテラシーとかの次元でなく、もっとある意味「本能的」な部分で、です。
 それはすなわち、一方で、編集されていない「私」という非常に根源的な、丸裸な「自己」を要求される事態をも意味します。
 つまり、いよいよ個人個人の魂のレベルが試される時代になるということですね。アセンションという言葉を安易に使うのには抵抗がありますが、今回の流れの中では、ちょっとそんな言葉も自分の中でリアリティーを帯びてきたような気がします。
 
ネット選挙について(総務省)

Amazon ウェブで政治を動かす

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2013.06.26

『人は死なない』 矢作直樹 (バジリコ)

ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索
20130627_63216 1年以上前に読んだ本。けっこう感動した、というか共感したのに、なぜあの時おススメしなかったのか。そこをそろそろ客観的に考察してみたいと思います。
 東大病院の現役救急医が「霊」「魂」の世界について語る。これは私からすれば当然といえば当然です。一般人よりもずっと人の死に接する機会が多いわけですから。
 医師は生きた人間ですから、そこに「心」があって、亡くなった方の「心」すなわち「霊」を、たとえば「心」の余韻としてでも感じるのは当たり前です。
 私個人としてはお医者さんこそ、そういう「霊性」に敏感であって、そこをベースにした科学的治療や唯物的考察をしていただきたい。そう思います。
 西洋科学は「自己」の「心」から離れることによって成立します。しかし、それは全体の「心」、つまり「霊」を離れることを意味しているわけではありません。仏教が自己を滅却して全体自身になろうというのと同じです。
 あえて二元論で言うなら、やはりこの世には「霊」と「体」(ワタクシ的にはモノとコトと言える)があり、そのバランスの中で私たちは生きており、どちらか一方を無視したり捨てたりすることはできません。
 古来日本は「霊=モノ」の国でした。その道を極めてきたと言ってもいいでしょう。そこに「科学=コト」が入ってきた。日本人は見事にそれを吸収していきました。もちろんベースは「霊=モノ」です。
 ただ、「霊=モノ」は言語化(意識化)できない存在ですから、どうしても情報化社会および貨幣経済社会が進行すると「体=コト」に押され気味になってしまいます。
 それがたとえば出口王仁三郎が糾弾した「体主霊従」の世界ということになりましょうか。王仁三郎は「霊主体従」に戻れ、「霊五体五」にせよと叫び続けました。
 そうそう、「霊五体五」に関してですが、私の解釈ではですね、「自分の中で50%50%にしろ」ということではないと考えられます。というのは、先ほどもちょっと書いたとおり、「霊」というのは常に「総体」だからです。一方、「体」は常に「個」です。
 だから、「霊五体五」というのは、個が集結して霊を体現せよという意味だと思うのです。「霊性の体現」のためには、実は世界のあらゆる生き物が一致団結しなければならないということですね。王仁三郎もまさにそれを目指したのでしょう。
 おっと、まただいぶ話がそれてしまいました。ええと、なんだっけな。あっそうか。1年前に記事を書かなかった理由を考察しようと思っていたんだ(苦笑)。
 そうですね、おそらく、昨年の今頃はまだあの震災のダメージが私の中にも色濃く残っていたのだと思います。
 矢作さんはもちろん震災を受けてこういう本を書かねばと思われたのでしょう。当然私もそう受け取って読んだわけで、結果として大変共感をしたのに、しかし言葉でその共感を書くことはできなかった。
 結局、私の「霊」の動き、震えは「体」たる言葉では表現できないと予感したのでしょうね。そういう意味では、矢作さんは非常に勇気があると思います。
 特に「人は死なない」というタイトルはすごい。ある意味「死」を認定するお仕事をされているのに、それを土台から覆してしまっているわけですから。
 いや、やはり、「死」を認定(コト化)することに本能的に抵抗感があるんでしょうね。それは人間として当然です。
 医学界でも賛否両論あったこの本、いろいろな立場からいろいろな視点で読む価値はあると思います。
 医学や科学について考える際の大切な視点を提供してくれるとともに、宗教や芸術の源泉としての私たちの「体験」について思いを巡らせるのにも有用でした。
 最近出版された矢作さんと葬儀のプロ一条真也さんの本も読んでみようと思います。

Amazon 人は死なない 命には続きがある

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2013.06.25

美空ひばりとボーカロイド

20130626_110224_2 、私は一人留守番しながらNHK歌謡コンサートを鑑賞しました。
 家族はカラオケへ。ボカロしばりカラオケです。
 歌謡コンサートは「美空ひばりを歌い継ぐ」をテーマにそうそうたる歌手の皆さんが名曲の数々を歌い上げました。
 かたやボーカロイド。非常に対照的な音楽(歌)体験ですね(笑)。
 いや、しかし、私は不思議な共通点を見つけてしまったのですよ。美空ひばりとボーカロイドの共通点を…。
 歌謡コンサート、実はけっこう大変なことになっていました。歌手と曲は次のとおり。

「愛燦燦」/石川さゆり
「柔」/島津亜矢
「哀愁出船」/田川寿美
「真赤な太陽」/伍代夏子
「津軽のふるさと」/松原健之
「終りなき旅」/平原綾香
「ひばりの佐渡情話」/森山愛子
「お祭りマンボ」/神野美伽
「川の流れのように」/キム・ヨンジャ
「人生一路」/川中美幸

 すごいですよね。
 しかし…みんな「下手」だったのです!いやいや、「下手」なんて言ったら失礼すぎます。なんというか、「あらら…」という感じ?
 つまりですね、みんな緊張していたり、あるいは気合が入りすぎてしまい、全然「上手」じゃなかったのです。
 もちろん皆さんそれなり以上の実力をお持ちのプロ中のプロでいらっしゃるのは間違いないし、及第点はクリアーしていると思うのですが、なんというか、美空ひばりさんのオリジナルの歌声がインプットされている私の耳(脳ミソ)には、どうしても「下手」に聞こえてしまう。
 そのへんを、歌手の皆さんも分かっていらっしゃるのか、結果として緊張や必要以上の力みに襲われてしまっている感じがしました。
 分かりますよ。なにしろ「神」ですから。神をカバーするわけですから。自分流に崩しすぎてもダメ。かと言って「完コピ」も無理。さあ困った…。
 あの前川清さんも、そこはもう諦めて、こういう手段に出てしまった。これはある意味正解です(笑)。
 それぞれ面白いほどに失敗している(失礼)と感じたのですが、中でテクニックの面ではほとんど無問題だったのは島津亜矢さんと平原綾香さんでした。
 しかし、何かが違う。逆に違いが引き立ってしまっている…。
 島津亜矢さんのデビュー当時の貴重な映像がありました。今もほとんど変わりません。ある意味天才少女。ちょっと聴いてみましょう。

 うん、完璧。素晴らしい…のですが。本家の美空ひばりの「柔」を聴くと…

 ふむむ、あまりに違う。神と人間というのはここまで違うのか。理屈ではなく根本からして違う。
 平原綾香さんの「終わりなき旅」もありました。

 うん、これもうまい。平原節を抑制して正攻法で歌っています。そうとう練習していますね。では、本家は…

 ぐわっ…なかにし礼、三木たかし、美空ひばりという天才の仕事がここまでお互いを高め合うとは。恐ろしささえ感じます。
 さてさて、一方の機械歌姫であるボーカロイドですが…彼女たちも「完璧」なんですよね。もちろん「完璧」の質は全く違いますが、「人間離れ」していることはひばりさんと一緒なんです。
 だからカラオケで人間が歌うと、どうしても全く違うものになってしまう。ウチのカミさんみたいに「ものまね」で歌っても、やっばり違う。
 ちなみに今日のカラオケでカミさんが泣いたのは次の二曲だそうです(笑)。

 ん?泣く曲か?まあそれはいいや。
 ボカロは常に同じように完璧に音程やリズムをこなします。当たり前です。しかし、ひばりさんは実は毎回全部違う歌い方をするんですよね。それでも全体としては常に動じない「完璧さ」がある。
 いずれにしても、人間の歌い手たちにとっては厳しすぎる「歌神」たちなのでありました。

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2013.06.24

中二病と言語

 日は中二の保護者対象に「中二病」講座を開きました。私は概説のプリントを作ってちょっとしゃべっただけでしたが、他の講師の先生の魅力的なお話に、お父さんもお母さんも自らの中二病時代を思い出しつつ、楽しんでくださったようです。
 ちなみに中二病歴35年の私が作った概説「中二病(厨二病)学概論」のレジュメはこちらで読めます(ほとんどネット情報のコピペですが面白いと思いますよ)。
 勉強会が終わって家に帰ると、リアル中二病まっさかりの中二の娘がボカロ曲のメドレーを歌いながら聴き通し、「やった!全部知ってる!」と大声で(笑)独り言を言っていました。
 私はボカロ世界を否定する人間ではありません。逆に音楽的にも歌的にも文学的にも興味深く鑑賞させてもらっています。
 以前にも「ボカロの原点は森高千里?」「和ロックと短歌と…」などの記事にも少し書いてきましたが、今日は「中二病と言語」ということについて、娘の様子からちょっと思いついたことを書き留めておこうと思います。
 ボカロが持つ独特の言語(主に日本語)世界というのは多様ですが、一つの傾向として「漢字」の多用ということがあります。
 まずは漢検準一級レベルの(笑)やたら難しい漢字を使いたがること。そして、独特の「当て字」や「熟字訓」があることです(前掲資料も参照)。
 やたら難しい漢字を使うというのは、これは小学生(お子ちゃま)だった自分を凌駕するための背伸びとして、ある意味安易な方法ではありますね。
 たとえば今日娘が歌っていたこの曲。ちょっと聴いて(見て)みてください。

 これなんか、まあ和ロックの系統に入るとも言えましょうか。
 だいたい、「羅刹(らせつ)」とか「骸(むくろ)」とか、読めないし意味分からないっすよね。娘も発音しているけれど意味はよく分かっていない。
 これは昔、我々の世代で言えば、歌謡曲から洋楽に移行するのと同じ感覚でしょうね。意味も分からず発音だけは真似する。わけの分からんモノ、難解なモノに憧れる、かっこいいと思うというのは人間のサガでしょう。お経もそんなものです。
 本来言語というのは道具として使いこなしてなんぼの「コト」なわけですが、その「コト」という認識や社会的共通理解に対する反発とでも言いましょうか、言語を通じて辞書的な社会に取り込まれていく、すなわち自己が無個性化していくことに反発を覚える。
 だからそれを逆手にとって、コトのモノ性をクローズアップしていく。言語に絡め取られない自己と、自己に絡め取られない言語という、双方の幸福の実現です。これは面白いですね。同じ「コト」でも、貨幣よりもまだ言語の方がそういう自由度がある。お互いに。
 現実の社会的言語から離れる方法として、先ほど書いたように「外国語」に走るケースと、古い日本語に向かうケースがありますね。
 いつの時代にもその二つの方法がしのぎを削りあってきました。奈良、平安時代には漢語や梵語の日本的受容が進みましたし、江戸時代には国学が日本語の復古を目指しました。明治維新後の訳語(和製漢語)文化も面白い。
 私たち昭和高度成長期世代は洋楽どっぷりでしたが、一方でどこか和なムード漂う江戸川乱歩や丸尾末広やつげ義春などの「文学」も一定の人気を保っていましたよね。
 まあいずれにしても、「今ここ」の日本語から離れたい、つまり「今ここ」の現実世界から逃避したいという願望の表れでしょう。
 ところで、娘に様々な「難読漢字」を書けるのか聞いたところ、たぶん鉛筆では書けないとのこと。パソコン世代ですから、変換キーを押すだけで「書ける」ことになってしまう側面もあるのですが。
 思えば、昔の中二病の病態の一つである「不良」「暴走族」も、「夜露死苦」とか万葉仮名文化の復興に尽力しましたっけね。面白い。
 と、まあ雑然と思いついたことを書き散らしましたけれども、私も通った道をこうして娘がしっかり歩んでいるのを見るとですね、こうした文化の継承というのはやはり遺伝子に組み込まれたものなのだなあと実感します。
 ところで、日本では中二病はこんなふうに発症発現しますが、外国ではどうなんでしょうね。すごく興味があります。わけも分からずラテン語とかギリシャ語とか使うとか(笑)。
 あと、ボカロ中二曲の歌詞って、たとえばバンプの藤原くんとかフジファブリックの志村くんの劣化版って感じがするんですけど、そのなんていうかなあ、アマとプロの微妙な違いってどこから生まれるんでしょうね。興味があります。

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2013.06.23

山宮浅間神社

 日は富士山麓でいろいろ用事があって、結局自宅から反時計回りで富士山を一周しました。
 いろいろな所に寄ったのですが、一箇所だけここで紹介します。
 世界文化遺産の構成資産の一つ、富士宮の山宮浅間神社です。
 先日放送されたETV特集『富士山と日本人 ~中沢新一が探る1万年の精神史~』でも紹介されていたとおり、この浅間神社は非常に古い形態を保った神社です。すなわち、社殿がなく富士山自体をご神体としていることです。
 遥拝所には原始的な石積みがあって、まるで縄文時代以前の富士山祭祀遺跡のようでもあります。
 以下写真を数枚ご覧いただきましょう。

↓参道の双体道祖神。富士宮は双体道祖神の多い地域として有名ですね。性の和合のエネルギーを魔除けに使うというのは非常に古い信仰形態であり、かつ中世の密教や修験道の影響も感じるものです。
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↓鳥居横の石碑。南西に位置する浅間大社(本宮・里宮)の山宮であったことが分かります。
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↓参道に並ぶ燈籠。かなり新しいもので、英語が刻まれたものも(笑)。こういう時代を超えた感じがいかにも日本文化らしい?
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↓球型の火山弾をそのまま使ったと見られる「鉾立石」。本宮からの御神幸の際に鉾を置いて休んだ場所だとか。
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↓遥拝所。正面に富士山が見えるはずでしたが、残念ながら雲に隠れていました。隠身ということで、それもまたいいものです。

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 何回か社殿を造営しようとしたけれども、そのたびに嵐が起きて吹き飛ばられてしまったという伝説が残っています。風神の祟りだと考えられ、それで今でも社殿がないのだとか。
 大神社展の記事に書いたとおり、「ない」というのは究極の「ある」だとも言えます。
 ご神体についても、雲の絹垣に覆われて絶対性、永遠性を得ているとも言えましょうか。
 はたしてこのあたりを外国人の方々は理解できるでしょうか。いや、日本人でさえも。
 ある意味あまりに「ショボい」ですから(笑)。
 そうそう、それからあのご神体の前を横切る高圧線、なんとかならないでしょうか。さすがにあれはない。

↓そういう意味では、参道脇の廃屋(?)もいい味を出している。こっちの方が文化遺産っぽいかも(笑)。
Img_6836

 地元でも現代的な意味では「ショボい」と思われていたこの神社、いきなり世界遺産になって観光地化してしまうことが危惧されます。
 まあそれも含めて日本の神様は受け入れてくれるでしょうか。


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2013.06.22

富士山世界文化遺産登録の日に…

↓こちらの「富士山」に行って来ました。
20130623_65651 節20余年…なのでしょうか。とうとう富士山が世界文化遺産に登録されました。
 鳴沢村字富士山という住所に住むワタクシにとっても、今日は特別な日となりました。今までは「国立公園」に住んでいると言って来ましたが、これからは「世界遺産」に住んでいると言えるようになるわけですから(笑)。
 こちらでも半ば嘆いたように、私は基本登録には反対でした。それこそ20余年にわたりずっと山積していた問題が全く解決していないこどころか、これからも解決する見込みがないままの登録だからです。
 しかし、もう決まったことですからプラスに転じていくしかありませんね。私も含めて「地元」の「文化」的な意識改革に期待しましょう。
 さて、今日私は父親と埼玉県の小川町に行って来ました。我が山口家のルーツを探る旅です。その成果についてはまた後日まとめるとしまして、ちょうど小川町の図書館で調べ物をしていた時、地図の中に「富士山」見つけました。
 「富士山」という山が小川町にあるんです。びっくりしました。
Img_6817 では、さっそく行ってみようということになり、図書館から駅をはさんで反対側にあるその「富士山」の麓をぐるっと回ってみました(登り口が見つからなかった)。
 富士山世界文化遺産登録の日に富士山ナンバーの車で「富士山」に行った人はさすがにいないでしょう(笑)。
 こちらの「富士山」、「ふじやま」と読むそうです。頂上に「冨士仙元大菩薩」の石碑があるということですから、これはやはり富士信仰、富士講の山だったのでしょう。ちなみに「富士山」の南側には「仙元山」という山があります。
 三保の松原もどういうわけか構成資産として認められました。それならば各地の富士塚やこの小川町の「富士山」も構成資産にすべきだったかもしれませんね。
 それにしても今日偶然こうして「富士山」に出会えたのは不思議と言えば不思議。セレンディピティ、シンクロニシティにこそ人生の本質があるんですよね。
Img_6820 さて、父と私は「富士山」からぐるっと秩父を回り雁坂峠を越えて山梨に帰って来ました。そして、御坂峠を下って、ふと立ち寄った河口浅間神社を参拝している時に、富士河口湖町の町内放送で世界遺産登録の報を聞きました。これもまた見事なタイミングでした。河口浅間神社は非常に重要な構成資産です。
 それも私が摂社である出雲社に参拝している時に放送を聞いたというのは象徴的でした。
 というのは、今日の山口家のルーツを探る旅はこちらで触れたとおり、「諏訪氏」の歴史を辿る旅でもあったのです。
Img_6822 言うまでもなく、諏訪の祭神タケミナカタは出雲系の神様です。そして、あの北口本宮冨士浅間神社ももとは諏訪神社だったという事実があります。諏訪と浅間…このミッシングリンクを再発見することが私の最近のテーマ。
 富士山世界文化遺産登録の日、私は富士山と縄文に関わる神様に導かれて動かされたようですね。
 いよいよ富士山と縄文の神様たちが世界にお出ましになるのかもしれません。
 


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2013.06.21

RayES ダブルウォールグラス

41yjkw2qdrl_sl500_aa300_ 日は軽く。
 いや、ホント軽いので驚きました。軽すぎるので、ちょっと高級感には欠けますが、なかなか機能的でオシャレなグラスです。
 私は日本酒が大好きなので、基本冷酒を飲むために買いました。サイズ的にも日本酒にぴったりです。
 ま、考えようによっては冷酒じゃこのグラスの機能を生かし切っていないとも言えますかね。
 このグラス、二重構造になっているので、保冷、保温、結露防止効果が売りなわけですけど、冷酒だと氷は入れないし、熱いわけでもないし、そんなに結露するわけでもありませんから。
 家族はデザインが気に入ったようで、ビールを注いだり、アイスコーヒーを飲んだり、お茶を入れてみたり、いろいろやっています。
 たしかにスクエアな中にいろいろな色の液体がかわいらしく入っている様子はオシャレ。気分も変わります。
 実際、そうしてみると、保冷、保温効果もありますし、テーブルが結露で濡れることもないし、なかなかいいですね。
41liqknetfl_aa300_ 持ちやすいし安定感もある。飲み口部分の微妙な厚さもちょっと普通のコップとは違って新鮮な感じがします。
 ただ、とにかく軽い、すなわちガラスが薄いので強度が心配です。ほかの強化ガラス製のコップと一緒にガチャガチャ洗ったりすると割れそうな気がします。
 乾杯の時にも少し気を使ったりして(笑)。ま、それもまたちょっと非日常でいいか。
 しかし面白いですね。グラス一つで今まで飲んでいたいろいろな飲み物の味わいが変わったような気がしますから。
 決して安い製品ではありませんが、日常のちょっとした贅沢にはいいかもしれません。

保冷、保温、結露しにくい、おしゃれなスクエアデザイン二重グラス。お茶・烏龍茶・ハーブティ...


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2013.06.20

眼横鼻直

柳田聖山自画像
K139h2 日まで、兵庫県にある姉妹校の野球部が来校し試合などを通じて交流をしていました。
 そんな中、姉妹校の理事長先生がご挨拶で素晴らしいお話をしてくださいました。のちに今回の交流会の記念に「眼横鼻直」という言葉が揮毫されている色紙をいただきまして、そこに資料としてお話の中で引用されていた文章が添えられていたので、ここに紹介しておきます。
 中国禅宗史の偉大なるエキスパート柳田聖山さんの文章です。道元の聖句を見事に咀嚼した内容もさることながら、文章に禅味があります。
 眼横鼻直…こういう境地があることは想像できますが、しかし到達するにはずいぶん時間がかかりそうな予感もします。頑張らないで頑張らなければ。
 
   眼横鼻直    柳田聖山

 あかい椿が、ぽたりと、落ちた。
 すこしソッポをむいて、地べたに、坐った。
 白秋の歌である。まちがっているかもしれない。妙に、忘れ難いのである。
 何でもない、藪椿の花が地におちただけのことだが、はじめから、そこに落ちつく筈だったみたいに、ぴたりと坐った感じがうれしい。ばさりと、地をうつ声がきこえる。風に散る桜の花とはちがう、春の音だ。

 唐の末、湖南の石霜山にかくれすむ禅者に、ある人がたずねた、
「山中にも仏法はありますか」
「ある」
「どういうものが、山中の仏法です」
「大きい石は大きい、小さいのは小さい」
 石も木も、背すじをまっすぐに立て、腰をどっかと地にすえて坐っている。傾いていても、どこかに不動の安定感がある。
 重いものは重いように、軽いものは軽いように、互いにしっかり自分を支えて、他と比べてどうのこうのと言いはしない。
 坐禅とは、そんな水平感覚のことだろう。どこにいても、タテとヨコの平衡感覚を失わぬのが坐禅である。
 小を大に、大を小に平均化するのではない。まして、小を過度に小に、大を過度に大にすることで、平衡を失う自由化ではない。

 在宋五年、道元は何ももたずに、手ぶらで日本に帰って来た。仏法とは、眼は横に鼻はまっすぐ縦についていると判ることだと、かれはいう。自分も他人も、量も質も、ぴたりとそこで決まる座標のことである。

Amazon 禅と日本文化

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2013.06.19

太宰治と検閲

0910041a 日は桜桃忌。太宰治の誕生日であり命日(遺体の発見された日)です。
 憲法改正論議が高まる今年は、太宰治の憲法、天皇に関する記述と、それに対するGHQの検閲について少し書きましょうか。
 戦前戦中には官憲の検閲、そして戦後にはGHQによる検閲と戦った太宰治。表面上は「戦った」という感じはありませんが、検閲をかいくぐるための文学的テクニックは随所に読み取ることができます。
 苦労したという意味では「戦った」と言っていいでしょう。ただ、難しいのは太宰の思想です。単純に左なのか右なのかは決しがたい。
 左翼活動に挫折していたり、徴兵検査に不合格になっていたり、まあ社会的には右からも左からも「男らしくない」と言われてもしかたないような人生でしたからね。そういう意味でも「戦った」と言っていい。
 そんなある意味玉虫色な彼の言葉は、逆にいろいろな人の共感を得もしました。つまり、なんだかんだ言って当時の人たちはみんなどこか釈然としないところがあって、それでもなんとか自己暗示というか自己洗脳のような形で自分を保っていたのでしょう。
 日本やアメリカという国でさえも、太宰の言葉に幻惑されたと言ってもいい。太宰と国家との間のギリギリの言葉のせめぎ合いというのがあったというよりも、太宰は半ば確信犯的に楽しく「戦った」のではないかという感じがします。
 命懸けというところまではいかないが、密かにジャブを入れたり、あるいは軽く相手に打たせたりもしている。そこは太宰のずるさでもありますし、強さでもありますね。
 さてさて、何年前でしたか、いくつかの作品のいくつかの部分についてGHQが「delete」という文字を書き入れた資料が出てきました。それも含めて、今日は太宰の憲法論、天皇論(もちろん物語的な論であって真意ではない可能性もありますが)を紹介しましょう。
 まずは名作「トカトントン」から。GHQに削除されたバージョンから読んでもらいましょう。玉音放送を聞いたあとの中尉の言葉。

「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受託し、降参したのだ。いいか。よし。解散」

 なんともあっさりしていますね(笑)。これでは逆に不自然です。ここは本来こうなっていました(今はこちらに戻されて流布しています)。

「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受託し、降参したのだ。しかし、それは政治上のことだ。われわれ軍人は、あく迄も抗戦をつづけ、最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。いいか。よし。解散」

 なるほど。しかしGHQも野暮ですね。この言葉のあと次のような文が続くんですよ(苦笑)。

「そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、歩きながらぽたぽた涙を落しました。厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。私はつっ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が吹いて来て、そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じました」

 さてさて、同じく「トカトントン」の中で新憲法に関する部分がありますね。読んでみましょう。

「新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン…」

 言うまでもなく「トカトントン」は虚脱の象徴です。新憲法の胡散臭さに対する太宰なりの抵抗とも言えましょうが、私は、こちらに少し書いたように日本国憲法前文は「文学を超えた文学」であると捉えているので、それに対峙した太宰がいきなり未知の日本語パンチを浴びて戦意喪失したのではないかとも解釈しています。その方が面白いでしょう(笑)。
0910041 続きまして、GHQに削除された部分としては最高傑作である次の文章。「パンドラの匣」の越後獅子の言葉を中心とした部分。初版本はこのまま出版されましたが、再刊の際に削られたそうです。その一部を引用します。

「天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。今日の真の自由思想家は、この叫びのもとに死すべきだ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの自由の叫びを認めてくれるに違いない。わしがいま病気で無かったらなあ、いまこそ二重橋の前に立って、天皇陛下万歳! を叫びたい」

 これは実に面白い。自由の国アメリカは結局日本の自由の叫びを認めてくれなかったわけです。このあたりのジャブの応酬は大変興味深いですね。GHQとしては、太宰の先制パンチが効いたので反撃を食らわせたのでしょう。
 その他にもいろいろありますが、長くなりそうなので、今日はこのへんにしておきます。
 こうした「検閲」は今でも続いているとも言えます。それも自分たち日本人の手によって。我々は無意識的に検閲し、無防備的に検閲されているのでした。


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2013.06.18

『ライフ・オブ・パイ』 アン・リー監督作品

20130619_101237 れは面白かった。映画マニアの下の娘が借りてきたんですが、最後は娘そっちのけで夫婦が観賞用ソファを占領。続けて二度観てしまいました。
 宗教が生まれる瞬間、あるいは神話、物語が生まれる瞬間を初めて体感できたような気がします。
 「トラと漂流した227日」というサブタイトルからは、単なるサバイバル・アドベンチャーもののように予想されますし、ある意味最後の最後まで、私たちはそういう気持ちで(すなわちなんとなく釈然とせず)観てしまうかもしれません。しかし…。
 アン・リーの意図はそこにあったのでしょう。私たちの日常的、現代的な物語観をたっぷり発動させておいて、実はもっと根源的なテーマを持っていたことを発見させ、そしてもう一度最初から観ようという気にさせる。
 たしかに最新の映像技術によって、最古の人間の文化が表現される面白さもありますね。まあ、逆に言えば、私たちの脳ミソの想像力はずいぶんと衰えたということでしょうけど。
 トラの名前から当然想起されるあのリチャード・パーカーにまつわるシンクロニシティのことは、これははっきり言ってこの映画にとってはどうでもいいことですね。逆に知らない方がいいかもしれない。
 それよりも冒頭から散りばめられている宗教的な伏線や比喩を探しながら、何度も観るのが正解でしょう。
 ヒンズー、キリスト、イスラム、仏教…そこまでは、皆さんも比喩を読み取ることが可能でしょう。深読み過ぎるとか自己流過ぎると言われそうですが、私はその先に「神道」を見てしまいましたね。やっぱり宗教以前の「神道」こそ、世界宗教のルーツであると思いました。
 単なるアニミズムではありません。災害と恩恵の両方をもらたす自然に対する信仰ということであれば、「荒魂」と「和魂」で説明できますが、この映画には「奇魂」と「幸魂」も描かれていました。
 そして、その四魂を統括する「直霊」も見事に表現されていると感じました。これってまさに「神道」じゃないですか。
 そして、その一霊四魂が、最終的には「自己」の中に見出される…ヒンズー、キリスト、イスラム、仏教ではとてもくくりきれません。
 いやあ、ホント面白かった。子どもたちはよく分からなかったみたいですが、私たち夫婦にとっては非常に示唆に富む映画でした。
 極限状況が宗教や神話を生む。私たち現代人はそうした極限状況を排除する形で進化を遂げてきましたから、当然宗教や神話は弱体化しますよね。
 DVD買おうかな。いや、やっぱり映画館で3Dで観てみたいかも。
 宗教(特に神道)に興味のある方には、絶対におススメです。
 
Amazon ライフ・オブ・パイ

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2013.06.17

『諏訪大社と武田信玄』 武光誠 (青春新書INTELLIGENCE)

20130618_70042 、東欧におられるのでしょうか、安倍総理夫人昭恵さん。
 東欧に旅立つ前日、諏訪大社をお参りした昭恵さんとメールで諏訪の神様についてやりとりさせていただきました。昭恵さん、勘の鋭い方ですから、大いに興味をお持ちになったようです。
 実は私も諏訪の神様が自分にとって、あるいは日本にとって非常に重要な意味を持つということを、本当に最近意識するようになったのでした。
 こちらの記事に書きましたように、そのきっかけは娘の趣味でした。
 今になって思えば、我が山口家のDNAがこのタイミングで発動したのだと確信します。まったく不思議なことはあるものです。
 先ほど紹介した昨年の記事の最後の方にも出てきますが、我が山口家はどうも教来石の山口諏訪神社と関係があるらしい。
 そして、そんなところから諏訪大社、諏訪氏などの歴史を調べていたら、やっぱり出てきました、極私的驚愕の事実。
 ま、皆さんには関係ないので簡単に書きますけれども、武田信玄に滅ぼされた上社大祝諏訪氏本家の末裔が、武田氏滅亡後いくつかの転変を経て、武蔵の国奈良梨に移住して武士になっているんですね。
 武州奈良梨は現在の埼玉県比企郡小川町です。今でもそこに八和田神社(かつては諏訪神社)という社があり、諏訪氏の陣屋跡が残っています。
 実は私は、我が山口家の比較的近いルーツはこの小川町にあり、親戚筋が今でも住んでいると父から聞かされてきました。
 しかし、私はそれほど興味を持つことなく、一度小川町に行ってみたいなとは思いつつも、なんとなくはっきりしたテーマが見つからず今まで放置していたのです。
 それがいきなり諏訪氏(諏訪大明神)を通じてリンクしたと。これは個人的には震撼すべきことでした。
 一番喜んでいるのは娘です(笑)。なにしろ大好きな「諏訪子」に関わる神様の依り代だった諏訪家と自分が濃密につながるのですからね。たしかに中二病としては興奮しないわけにはいかない。
 ま、諏訪子は洩矢姓だから、どちらかというと下社、すなわち大祝金刺家側でありますが。
 と、まあ、個人的なことはいいとして、非常に複雑に錯綜した「諏訪の神様」の系譜や「諏訪大社」の祭祀の独自性に関しては、日本人なら一度は興味を持ちたいところですよね。実際謎が多いだけにロマンも広がる。
 そうした古代のロマンに関しては、それこそ東方Projectも含めて、いろいろな方が妄想し、物語化してくれています。
 しかし、その後の、すなわち中世以降の諏訪を巡る歴史の流れというのは、なかなか知る機会がありません。
 この本は、そのあたりを実にうまくまとめてくれています。タイトルこそ「諏訪大社と武田信玄…戦国武将の謎に迫る!」ですが、実際には古代から現代までの壮大な俯瞰図になっています。
 ある意味では、武田信玄が主人公ではないとも言える。たしかに、武田信玄が諏訪信仰や諏訪氏の歴史に与えた影響は非常に大です。しかし、その根本的な部分として、武田信玄自身が諏訪信仰をどのように捉えていたかを知るためには、こうして全体を俯瞰しなければならないのでしょうね。
 武光さん独自の説も出てきますけれど、基本は今までの基礎研究の総まとめという感じで、私にとってはとてもいいガイドブックになりました。
 さて、いよいよ家族で小川町を訪れる機会がやってきたという感じがします。いったいどのような出会いがあるのか。楽しみです。
 日本を、自分を、取り戻す!

Amazon 諏訪大社と武田信玄

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2013.06.16

『北斎の冨嶽三十六景』 (山梨県立博物館)

Hokusai_title よいよ世界文化遺産に登録が決まりそうですね。私はあまり積極的に賛成してきませんでしたが、もうこうなったらプラスに考えようと思います。
 実際すでに外国人の姿がずいぶん増えたような気がしますね。今年の夏は大変なことになりそうです。
 さて、その世界遺産登録にちなんでということもありましょうか、ちょうどいいタイミングで「北斎の冨嶽三十六景」展が開かれているので行って来ました。
 いちおう名目としては山梨国民文化祭の関連事業なんですね。今回の国文祭は「富士の国やまなし」と銘打っています。ちょっと珍しい。
 全国的にも富士山は静岡県(駿河の国)のものですし、山梨県(甲斐の国)内でも甲府盆地の人たちは、それほど富士山に執着していませんから。ま、これも世界遺産登録を見越してのことなのでしょう。
 さて、北斎の「冨嶽三十六景」46点が一挙公開されているこの展覧会、さすがにたくさんの人で賑わっていましたね。あらためて富士山人気はすごいなと思いました。
 私としてはもうこれが何回目かの三十六景ですので、格別な感動というのはありませんでした。しかし、新発見はいくつかありましたね。
 私の、ある意味特種な浮世絵鑑賞法については、以前、同じ山梨県立博物館で開かれた「北斎と広重 ふたりの冨嶽三十六景」の記事をご覧ください。今回もそういう見方をしました。
 今回は北斎だけでしたから、北斎の作品の中で片目で見比べたわけです。そうしたら、脳ミソが混乱しなかった作品が二つだけありました。
Imgres1 それはすなわち、「五百らかん寺さざゐどう」と「駿州江尻」ですね。
 「五百らかん寺さざゐどう」は実は完璧ではありません。画面右上屋根と左下欄干の描写が矛盾しています。しかし、全体としては北斎らしくなく(?)、比較的正確な遠近法で描かれています。ま、画面周辺はレンズの収差ということで納得しましょう(笑)。
Imgres 「駿州江尻」は、これは名作ですねえ。空間の奥行きだけでなく、時間の奥行きを感じる。静止画でありながら、一連の動画を観るような感覚があります。
 おそらく観る人は、旅人の手を離れた懐紙を順に見ていくのでしょうね。そうすると、実は時系列的には逆になるわけですが、しかし、一枚の懐紙(あるいは一群の懐紙たち)の運動として捉えると正しい時系になる。面白いですね。
 そんな動画的な効果、あるいは観る側のズームイン、ズームアウト効果は、正しい遠近法あってのものかもしれませんね。
 さて、博物館を出て若彦トンネルを越えて河口湖に戻って来ましたら、まあ実に美しいリアル富士山が目の前に現れました。うわぁ、やっぱり本物にはかなわないなあ。
 というか、なんだか、これの方が北斎の作品よりも「嘘っぽい」かもしれない。できすぎだ。思わず写真を撮ってしまいました。
 どうですか?富士も雲も月も木も雪も全て「絵には描けない」嘘くささですよね。北斎が100歳まで生きていたら、こういう絵も描けたのかもしれません。

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山梨県立博物館

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2013.06.15

『40代、職業・ロックミュージシャン』 大槻ケンヂ (アスキー新書)

大人になってもドロップアウトし続けるためにキッチリ生きる、'80年代から爆走中、彼らに学ぶ「生きざま」の知恵
_x480 日は中学校の説明会。盛況のうちに終了。感謝感謝です。
 縁というのは本当に不思議なもので、参加者の中に私の最も尊敬する「40代ロックシンガー」の息子さんもいらっしゃり、地味に(心の中では派手に)喜んでしまいました。
 そして、ちょうどいいタイミングでこの本を読みました。あんまり面白くて1時間ちょいで読破。
 私も実は「心のプロレスラー」「心のロックミュージシャン」を標榜しておりまして(?)…というか、本来男ってそうあるべきでしょう。
 どんなに社会的に「立派」になっても、スピリットの部分では、どこか「中二病」(この本の中には「高一感」という言葉が出てきます)であり続けたいと思っている。そう思っていない男は死んだも同然です。
 ですから、実際に40過ぎてもプロレスラーであったり、ロッカーであったりする「男の中の男」を見ると、尊敬と憧れとジェラシーの念がフツフツと湧いて(沸いて)くるわけであります。
 大槻ケンヂさんは、けっこう現実的な人だし、繊細で案外に慎重派であったりするので、対談相手の錚々たるAC(子ども大人)たちに対して、私たち一般人40代と同じように感動しているのが伝わってきます。
 それがこの本の良さでしょうね。大槻さんが微妙に非現実と現実の架け橋になっている感じがするんです。
 それにしても、まあ、なんというか、哀愁というか悲哀というか、それをロックは一種の笑いに昇華する力を持ってますね。
 一歩間違うと…というか、一般社会においては、彼らの生活や言動やファッションはほとんど犯罪に近いものがあります(笑)。
 それが、ロック(あるいはプロレスも)という「職業」のおかげで不思議と許されるというか、プラスに転じている。なんともうらやましい話でもあります。
 私なんか、かなり破格とはいえ、いちおう「学校の先生」という、まあ一般常識的には「非ロック」「非プロレス」な職業につき、それも教頭なんていうなんとも自分に似つかわしくない役職を拝命してしまって、ある意味ではハメをはずしにくい人生を送っています(と言いつつ、かなりやらかしていますけど…笑)。
 でも、やっぱりスピリットはこうありたいじゃないですか。少なくとも彼らに憧れていたい。
 それが子どもたちにも伝わると思いますし。こういう大人になりなさい!とは言えないけれども、こういう大人もいるということを示したい。どっちを選ぶかは自由だけれども、ただ「大人はつまらない」とは思われたくない。というか、日々の面白さにおいては子どもたちに負けたくないんですよ(笑)。
 この本に登場する40代(50代もけっこういる)ロックミュージシャンたち、私にとっては非常に懐かしい方々であり、そういう方々の近況を知るのにも、あるいは最近のロック界の状況を知るのにも、この本は有益でした。
 そして、なんていうのかなあ、とっても共感したのは、人間なんて40になってようやく一人前なんだよなあってこと。
 大槻ケンヂさんが、40になったら性欲が減退して自分が純化された、ライブのためにライブをするようになったみたいなこと言ってますけど、なんとなく分かりますね。一般人ももう40にもなると「モテたい」とかあんまり思わなくなります(笑)。
 それでようやく見えてくる世界というのはありますよ。それまで、フィルターがかかっていたんですよ。「下心」っていう(笑)。
 それが削ぎ落とされて、ある意味透き通った美しい世の中が見えてくるんですよね。それは一種の「悟り」だと思います。
 私もそんな実感があるので、彼らがみんなどこか大人になりながら、逆に小5以前の純粋な子どもに帰っていっているような気がして、ちょっと感動したんですよね。
 ワタクシ的に特に面白かったのは、ダイアモンド・ユカイさんの「恋愛と結婚」「バラとタンポポ」。たまりませんね。昭和の天才の風情があるわ(笑)。
 と、こんな感じで、結局はこの本の中には、赤ん坊から大人までの「男の人生」がいろいろと詰まっていました。
 だからいろんな世代の「男」に読んでもらいたい。ぜひ。
 そして、俺、なんか急にロックやりたくなってきたぞ…。

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2013.06.14

SMV Concert 2009

20130615_70720 っかりジャズベーシスト(っぽく)になってしまった我が娘(中二)。
 今月には国文祭のオープニングで皇太子殿下をお迎えする際のベースを担当するとか。私より先に(?)皇室に直接貢献する役を仰せつかりやがって、ちょっと悔しい(笑)。
 そんな娘がさりげなく、「今日マーカス・ミラーの誕生日だよ」とか言ってました。どんな中二女子なんだよ!
 とは言っても、ふだんはほとんどジャズを聴くことはなく、ジャズバンド部での演奏のみ。私のバロック音楽や演歌への関わり方と同じような感じですね。
 私が聴くのはジャズとロックが比較的多い。ちなみに娘はボカロとか東方(東方神起じゃない方)とか。
 で、「マーカス・ミラー」という名前が出てきたので、私が思い出して娘に聴かせた(見せた)のが、これ。さすがに娘もぶったまげてました。「かっこいい!」「こんなふうに弾きたい!」とのこと。
 SMV…スタンリー・クラーク、マーカス・ミラー、ヴィクター・ウッテンという当代の天才ベーシスト3人が組んだユニット。ベース3人がとにかく弾きまくる、弾きまくる、今までになかった強烈なバンドです。
 正直、これはやりすぎでしょう(笑)。ワケが分からなくなっていますよね。でも、祭としてはこれでいいと思います。
 ベースという楽器の幅の広さ、奥の深さが分かります。ヴァイオリニストがチェロ奏者に嫉妬するように、こういうのを聴いちゃうとギタリストはベーシストにジェラシーを感じるでしょうね。
 一人でベースからコード、メロディー、そしてパーカッションまでこなせるわけですから。
  まあ理屈抜きにこの2009年の超絶ライヴをお楽しみにください。

 一つ難点を言えば、相変わらずスタンリー・クラークのウッドベースは音程が悪い(笑)。そして、ボウイングは決してうまくないっすね。
 スタンリーとマーカスは生で聴いたことがありますが、ヴィクターはまだだなと思ったら、なんだ、もうすぐ来日なんですね。19、20日は東京か。行きたいな。

Amazon Thunder

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2013.06.13

3年N組 三八先生

 日は崇高なるプロレスラー三沢光晴さんの命日でした。
 本当にいろいろと語りたいことはたくさんあります。
 しかし、不思議なもので、数々の名勝負は正直あまり見たくありません。それぞれの試合での一撃一撃のダメージが、あのシーンにつながったと思うと辛くてしかたがないのです。
 そこで今日はあえて三沢さんの人間性の豊かさを知ることができる伝説のドラマ(?)を紹介します。
 先生もすごいが、こんな生徒ばっかりの中学だったら…(笑)。
 ちなみにウチのカミさんがかつていた学校はこんな感じだったそうです(笑)。

 本当に尊敬すべき人間でありました。ノアの皆さん、プロレス界の皆さんだけでなく、私たちも彼の崇高なる魂を伝承していかねばなりませんね。
 あらためてご冥福をお祈りします。

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2013.06.12

『間抜けの構造』 ビートたけし (新潮新書)

9784106104909 「」は魔…いや、「神」?
 日本文化にとって恐ろしいほどに重要でありながら、なかなか論理的に説明できない「間」。今までにも、学術的に日本文化における「間」、日本建築における「間」について論じた本をいくつか読んできましたけれども、なかなか自分の中で気持ちよく消化できずにいました。
 なるほど「間」が説明できないなら、その「間」を抜いてしまうとどうなるか、つまり「間抜け」を研究すれば「間」本体が分かるかもしれない、というのはありですね。
 この本はそれをちゃんと学問的な手順をとって行なった本ではありません。まあ、ビートたけしさんですから、そんなことを最初から期待してはいけませんよね。
 しかし、さすがは「北野武」でもあります。軍団の「間抜け」たちを紹介したりしながらも、なんとなく「間」の本質に迫っていると思います。
 それこそですね、論理的、学問的に説明できない「モノ」こそが「間」という存在なのでしょう。
 「間」という存在という言い方も変かもしれない。存在しないから「間」だとも言えますから。
 そうすると「間抜け」というのはまた難しくなりますよね。「間」が抜けるということは、存在しないモノが抜ける状態、すなわち存在で埋まっている状態ということになります。
 それがなんで失敗や愚か者を表すことになるのか。
 そう、これはですね、音楽で言えば休符のない状態ということになります。休符を全部無視して演奏するような感じ。
 日本の伝統的なリズム「七五調」なんていうのも、実は「間」によってできています。たとえば短歌の「五・七・五・七・七」も楽譜で書けば次のようになり(実際には違う譜割りもありますが、ここでは一般的な例を示します)「休符=間」を含めると、普通の「二拍子(あるいは四拍子、八拍子)となっていることが分かります。
20130613_120005
 これを「休符=間」を無視して、単純に「五七五七七」と続けて詠むと全く文学的でもなく音楽的でもなく日本的でもないリズムになってしまいます。
 そういう「間」を抜くと、たしかに「マヌケ」なことになってしまいますね。
 ワタクシ流の言い方をさせていただくなら、やはり「コトよりモノ」ということになりましょうか。実体や概念といった「コト」こそが私たちの世の中を構成していると考えがちなのが人間です。
 しかし、本当は私たちがコントロールしがたい、あるいは察知しがたい、たとえば「間」のような「モノ」こそが、この世の本質であったりするわけです。
 ところで、この本で、「なるほど不思議だ。ちょっと調べてみよう」と思ったのが、「間に合う」という言葉です。
 ある時間に「間に合う」というのも、よく考えてみれば、何が「間」なのか、何がどう「合う」のかよく分かりませんよね。
 そして、たけしさんの挙げた「(新聞の勧誘に対して)ウチは間に合ってます」という時の「間に合う」。これは本当によく分からない。考えてみる価値がありそうです。
 とにかく、「間」の持つ「モノ」性を、ビートたけしらしく面白く、そして北野武らしく非説明的に考察した、すなわち「間」が生きた読み物でありました。
 「間」…それはたしかに「魔」ともなりますが、うまく機能している時は、まさに「神」というべき存在(非存在)だとも言えそうですね。

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2013.06.11

ずぼらな瞳(笑)

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 なうちに書いておきましょう(笑)。
 ご存知の方も多いかと思いますが、民主党細野豪志幹事長がツイッターで蓮舫議員の愛犬に対し「お〜。ずぼらな瞳ですね」とおつぶやきになりました。
 おそらく人類史上初めて「瞳」に「ずぼらな」という形容動詞を付した瞬間でしょう。最初で最後かもしれない。いや、案外はやるかも?
 しっかし、このニュースを見た時は死ぬほど笑いましたよ。2chでは当然ネタにされてました。「漢字クイズとかやってる連中が、まさか日本語を間違えるとは」「結婚式で『ふしだらな娘ですが~』言うレベルだなw」などなど(笑)。
 ギャグだとしたらこれはかなり高度なセンスです。あの二人というキャスティングやシチュエーションも最高ですし、「つぶら」と「ずぼら」の微妙なアナロジーとギャップも面白い。
 「ずぼら」はもちろん「だらしない」という意味。近世から使われだした言葉でして語源ははっきりしないのですが、「坊主ら」の倒語「ずぼうら」から生まれたという面白い説もありますね。たしかに近世、生臭坊主を半ば馬鹿にして「ずぼう」とか「ずぼ」とか言ったようですから、可能性はあります。
 それにしても、いやあ「ずぼらな瞳」という表現は素晴らしい。それも蓮舫さんの犬ですから。いきなり「お〜。だらしない瞳ですね」と言われた犬は迷惑でしょうけど(笑)。地球史上そんなこと言われた犬もいないでしょう。
 ちなみに「つぶら」はもちろん「円」です。円谷プロの「円」。丸いということ。
 「つぶら」という言葉は「ずぼら」よりはずっと古い。当然語源は「粒」と関係あるでしょう。形容動詞には「〜ら(なり)」という形が多くあります。
 この季節の風物詩でもある「かたつむり」の異名「まいまいつぶら」の「つぶら」も「円」と考えられます。「まいまい」は「舞ひ舞ひ」です。「舞う」は「回る」と同源ですから、あの殻の螺旋状のデザインそのものが「まいまいつぶら」ということでしょう。
 ところで、間違いを指摘され、蓮舫さんの苦しいフォローを受けた細野さんの返しもまた素晴らしかった。

 「かたじけない」

 これはコントか?w
 「かたじけない」の用法も微妙と言えば微妙。もともと「かたじけない」とは「高貴なものに対して下賤なことを恐れ屈する気持を表わす」言葉です。幹事長が蓮舫さんに対して恐れ屈してどうすんの?ま、ある意味怖いけど(笑)。
 それともお犬様に対して不敬をはたらいたから切腹するとでも?
 いや〜、日本語は面白い。深い。今日クローズアップ現代で「オノマトペ」を取り上げていましたっけ。論理的な言語よりも感覚的な「音」の方が情報量が豊富であると。もともと日本語にはオノマトペが多く、それをもって劣等な言語とのレッテルさえ貼られたこともありましたが、いえいえどうして、比較的少ない音韻からこれだけ豊かな言葉が生まれ、また音韻が少ないことによって生じるアナロジーによる言葉遊び(ダジャレなど)が発達したことは、世界に誇るべきことだと思いますよ。


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2013.06.10

モノから学ぶ

Img_6733 日は我が中学にドイツ人木工作家の方がいらっしゃいまして、生徒たちのために講座を開いてくださいました。
 彼の名は、Siegfried Schreiber。同じく木工作家である本校生徒のお父さんの友人です。
 シュライバーさんは、もともと哲学の教師だったそうですが、教育方針を巡って政府と対立。教師をやめて木工作家になったという経歴も持ち主です。
 彼の作品はまさに「哲学的」。西洋的なプラグマティズムの対極にあって存在感を示しています。
 言葉や理屈といった「コト」ではなく、まさに「モノ」自体から感じ取って学ぶ、あるいはオブジェクトを支配、制御するのではなく、一体となってそこに自己(や宇宙)を発見していくという意味では、実に「禅」的であります。
 木の質感、そして宇宙の重力場を感じさせるカーブ、重さと軽さ、そして不可思議な動き(ダンス)。
 そこに象徴されているのは、宇宙の波動であり、生命のリズムであり、そして自我の根源でありました。 中学生たちには難しかったかなと心配されていましたが、そんなことはなかったと思います。逆に子どもだからそれをストレートに受け取ってくれたのではないでしょうか。実際、「すごい!」「わ〜!」という歓声がたくさん上がっていました。
Img_6727 あらためて、教育、学習のルーツは「Wonder」、ドイツ語的に言えば「Wunder」だと痛感しましたね。感動と疑問と好奇心。ある意味では「神」を感じる瞬間とでも言えましょうか。
 大人である私たちこそ、言語や論理や常識にとらわれて、なかなか日常的にそれを体感することが減ってしまいました。シュライバーさんの作品は、私たちにとっても、非常に有効なきっかけを与えてくれる「モノ」たちです。
 今読んでいる北野武さの本にも書いてありましたけれど、「ドイツ人は一番細かい。理屈っぽい」ですよね。たぶんシュライバーさんが教育に関して国と衝突したというのは、そういう部分においてでしょう(笑)。わかるような気がします。
 日本人は、比較的「禅」的な感覚を持って生きている方だと思いますが、教育の現場においては、私のように「コト」より「モノ」、「体」より「霊」を重視すると、やはり「アヤシい」と言われてしまいます(なるべく抑えてますけど…苦笑)。
 逆に言えば、それ(コト重視)が戦後教育の最大の問題点だったと思います。
 我が校では、常に「体験」「体感」を大切にしているのですが、これはある意味では仏教ベースの私学だからできることですね。公立では「体験」「体感」がどんどん現場から追いやられています。
 モノ(他者)から学ぶ。モノの中に自己を見る。自他不二。
 モノからメッセージを受け取る。自分が器になる。そこに立ち上がる世界。モノが私たちの心を作る。モノが私たちの振る舞いを決定する。実に幸福な美しい時間です。
 ドイツの普通のマイスターたちは「コト」を極めて「モノ」に至るという方法論を取ってきたと思いますが、シュライバーさんは、直接「モノ」に飛び込んでいくアーティストでありました。
 ありがとうございました。
 
Siegfried Schreiberさん公式

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2013.06.09

ETV特集『富士山と日本人 ~中沢新一が探る1万年の精神史~』 (NHK)

0608_03b 晩放送されたもの。再放送が今週の金曜日深夜(土曜日午前0時45分)にありますので、地元の方、興味のある方はどうぞご覧ください。
 三日前の「日本の文脈」の著者(話者)のお一人である、山梨県出身の中沢新一さんが、いかにも彼らしい視点で富士山について語りました。
 私としては既知の事実、あるいはよく考えている(感じている)ことがほとんどでしたから、特に新しい知見を得たというわけではありませんけれども、だからこそすんなり「そうそう」と思えることが多い番組でした。
 正直1万年に及ぶ「富士山と日本人の精神史」を1時間弱で語りつくすこはできるはずがありません。
 実際、私たちのような「富士山と日本人の精神史」マニアからすると、表面をなでただけの内容であったと言えます。
 まあ、それはしかたありません。一般向けの公共放送の教養番組ですから。
 しかし、こうして、文化としての富士山が多く語られるようになるということは、世界文化遺産登録(予定)のおかげであり、素直に良かったなと感じます。
0608_01b 浅間大神(あさまおおかみ)と名付けられた神としての富士山。番組では深く語られませんでしたが、この神様はまさに「縄文の荒神」でありました。
 だから「あさま」なのです。「あさま」とは形容詞「あさまし」の語幹であります。「あさまし」とは、簡単に言えば「想定外」という意味です。
 まさに火山の噴火は人知を超えた想定外の現象だったことでしょう(今でもそうですね)。2年前のあの巨大地震や巨大津波なども、古語で言い表すなら「あな、あさま」ということになります。
 特に東国の巨大な火山富士山は、都の人々からすると、ちょうどいい具合に遠いために、まさに「あさま」な存在であったわけです。
 面白いのは、古事記・日本書紀には富士山が全く登場しないということですね。これはあまりに不自然です。おそらくは東国の「あさま」を恐れてのことでしょう。火山としてもですが、同じく「まつろはぬ(アンコントローラブルな)もの」であった縄文系の人々に対する畏怖(忌避)があったものと考えられます。
 古来日本人は、人知を超えたアンコントローラブルな自然をととらえました。日本の神道はそこから始まっているんですよね。
 私の「モノ・コト論」で言うならば、不随意、不可知、制御不能な「モノ」を神と名付けたということです。
0608_05b 番組でも紹介されていたとおり、貞観の大噴火の際には、「浅間大神」は高い位を与えられます。懐柔策とでも言えましょうか。
 また「鎮爆」のために甲斐の国に浅間神社を創建します(おそらく河口浅間神社)。
 結果として噴火は次第に沈静化していったので、ますます都の人々(弥生系、渡来系の人々)は、富士山を畏怖の対象としていきました。
 平安時代以降、絶えない「恋」の象徴として歌に詠まれるようになるのは、ある意味では富士山の大衆化、骨抜き化政策であったとも言えます。かぐや姫や木花咲耶姫というキャラ化もその一つだったかもしれません。「カワイイ」でコーティングするというのは、日本古来の文化的特色だと私は考えています。
 江戸で隆盛した富士講に関しては、中沢さんはずいぶん真面目に捉えていましたね。たしかにそういう純粋な信仰もあったことでしょう。しかし、反面は江戸のレジャーという側面もありました。伊勢参りするには遠すぎるから富士山…そういう要素もありましたし。もちろん、江戸という都市が持つ対京都(対貴族)的な潜在意識も働いていると思います。
 というわけで、いろいろ書きたいことがありますが、キリがないので今日はこのへんで。とにかくご覧になっていない方はぜひ再放送を。ヒントは満載だと思います。
 今日、地元の老人福祉施設で歌謡曲バンド「ふじやま」による慰問演奏をしてきました。昭和の歌謡曲だけではなく、懐かしい唱歌もたくさん演奏したのですが、お年寄りの皆さんがひときわ大きな声で歌ってくださったのは「ふじの山」でした。

ETV特集公式

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2013.06.08

バッハ 『おお人よ、汝の大いなる罪に泣け』

Attachment00 日、上の娘は東京ディズニーランドにてジャズバンド部のベーシストとして演奏の栄。すっかり全国レベルになってしまいました(ちょっと悔しい)。
 昨年も上の娘は夏休みにTDLに連れて行ってもらいました。その頃はまだベース初心者だったので聴くだけでしたけどね。
 で、去年残された家族は靖国神社に行ったんでしたっけ(笑)。こちらの記事です。
 今年はと言うと、我々は大正天皇と昭和天皇のお墓参り。こちらで紹介した最強の聖地です。
 別に狙ったわけじゃないんですけど、どうもウチでは無意識的に日米のバランスを取るようですね(笑)。
Img_6721 写真は香淳皇后様の陵。これからは女性の力が重要になってくるとの直感がありました。
 下の娘とカミさんは参道でシマヘビを見つけて大喜び。これは吉兆です。
 繰り返しになりますが、この武蔵陵墓地(多摩御陵)は本当に素晴らしい。まだお参りしたことのない方はぜひ。
 さて、我々は参拝後お別れしまして、二人は立川、私は八王子へ。
 二人は立川で映画「レ・ミゼラブル」を観たとのこと。イギリスによるフランス(&アメリカ?)揶揄とも捉えられる作品ではありますが(笑)、ずいぶんと感動したようです。
 私はバッハのオルガン作品などを弦楽器、管楽器のアンサンブルで演奏するという新しいプロジェクトの初音出しでした。今日はバッハとフレスコバルディを演奏しましたから、こっちはドイツとイタリアか。
 なんだか、今日の我が家は「枢軸国」対「連合国」っていう感じだなあ。ホント狙ったわけじゃないんですが(狙ってどうする…笑)。
 で、私としてはですね、今日は大好きなコラール前奏曲「おお人よ、汝の大いなる罪に泣け」を演奏できたのが感激でしたね。
 オルゲルビュヒラインに含まれるこの受難コラール(BWV622)。本当に美しい。非常に複雑で神秘的な和声(当時としては破格)と魅力的な旋律(コラールの旋律の変形)。ロマン派の到来をも予見させる恐るべき作品だと私は思っています。
 楽譜付きでお聴き下さい。こういうスクロール式スコアで観る(聴く)と「音楽は未来からやってくる」というのが実感できますよね。

 う〜ん、涙が出る。ある意味「レ・ミゼラブル」だよなあ。イエスの受難や我々の罪を各所で象徴的に描いている。非常に物語的であり絵画的でもある。音楽をこういう次元にまで進化させたバッハは本当にすごい。
 私、実はこの曲が好きすぎて、以前旋律部分をヴァイオリンで弾いたことがあります。鍵盤奏者の渡辺敏晴さんと教会で催したコラールコンサートです。
 今回はヴィオラで内声(オルガニストの左手パートの一部)を演奏したんですが、これがまたすごい…。やってみて分かります、バッハの偉大さ。
 ちなみにこのコラール、バッハはかのマタイ受難曲の第一部の終曲で使用しています。そちらもお聴きいただきましょうか。これもまた様々な象徴に満ちた高次元音楽です。
 あえて初音ミク合唱団バージョンでどうぞ(笑)。解説が素晴らしいので。

 というわけで、今日の我が家は近現代史の「罪」を復習するような一日を送りました…なんて、そんなこと考えていませんでしたが、こうしてこじつけてみると、それなりに象徴的であったりするから面白いものです。

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2013.06.07

『直観力を養え』 (出口王仁三郎)

Index れまたここ数日の続きとなりますね。
 昨日の中西さんの「考え方」も結局最終的には「直観(直感)」を大切にせよというところに行き着きました。
 おかげさまで私もここ数年でかなり直観力(直感力)を身に付けることができました。身に付けたというよりも、本来誰しもが持って生まれたであろう直観力を取り戻したとでも言いましょうか。
 「コト」より「モノ」、わかりやすく言えば「考え事」よりも「物思い」という感じでしょうかね、いろいろ熟考したコトよりもぱっと浮かんだモノを大切にするということです。
 そうするとですね、まずシンクロニシティが急増します。その結果どんどん縁が広がります。縁が広がると自分の過去が統合されていきます。全部つながってくるんですね。不思議です。
 無我になると縁に気づく…これはまさにお釈迦様の教えでもあります。
 今日も私はかなり直観的な行動をとりましてご縁をたくさん紡ぎました。その結果、たとえば総理夫妻や文科大臣夫妻やレミオロメンのベーシストや王仁三郎に関わる方や県の教育に携わる方に、私の言葉を届けることになりました。
 私の言葉が世の中にどれほどの影響力を持つか分かりません(それは先方の判断のことですから)。しかし、何も届けないのと何かを届けたのでは、当然結果は変わってくるはずです。
 ただ、その届ける「何か」の内容と届けるタイミングは非常に大切です。そこは完全に自分の直観(直感)を信じることとしているわけです。
 ちなみに、「直観」と「直感」、これはほとんど同じ意味だと思っていい。意外かもしれませんが、最初は「直感」という字は使われなかったようですね。明治にドイツ哲学のAnschauungやフランス哲学のintuitionの訳語として「直観」という和製漢語ができ、その後「直感」という字も当てられて一般化したようです。
 さてさて、その「直観(直感)」について、かの出口王仁三郎が興味深い文章を残しています。その名もまさに「直観力を養え」。人類愛善新聞に載った文章です。
 今日はその全文をここに紹介します。私がここ数日強く感じたことが、王仁三郎らしい言葉によって表現されています。
 昭和10年に書かれた文ですが、21世紀の現代人に対するメッセージのようにさえ読めます。では、どうぞ。

 「直観力を養え」
 神とは隠身(かくりみ)という意味であつて、人間の肉眼でみられない存在、物質の尺度ではかることのできない世界をいうのである。ところが世間には、よく余に向かつて、「神をこの目で見せてもらいたい、そしたら神の存在を信じよう」という人がある。
 だいたい「信」という字は人偏に言と書いてあつて、真人の言を尊重し、聖人の言にしたがう心である。ところが今の世の人々は、「目に物を見せられ」なければ、人の言を信ずることのできない強情な心になつているが、その心はすでに「信」ではないということに気づかねばならぬ。
 それで、余はつねにかかる人々につぎのように答えている。
「人々は、くじらが大きな動物だというが、太平洋の真つただなかには、脚の長さが二里もある大きないかが住んでいる。しかしてその脚にふれて、ときどき船が沈没することがあるが、人々はそれがいかのせいだとは気がつかない。またシベリアの広野には、雪や氷に埋れて二万年も三万年も眠りつづけている巨獣がいる。しかしてなにも知らない人間たちは、その上へ鉄道をつけたり要塞を築いたりして気張つているが、その巨獣が一度目をさましてあくびをしたら、どんな珍事がおきるか想像だにできない。いまかかる動物の頭をここに持つてきて君に見せたところが、はたして君にはそれがわかるだろうか。しかして神の御姿はもつともつと大きなものだよ」と。
 肉眼や尺度で神を知ろうとすることは、群肓象評以上の愚かなことである。だが、「信」のある人、聖人の言を信じ聖典の教えを尊ぶ人には、野に咲いている一片の草花にも、空を飛んでいる一羽の鳥にも、神の力と愛をありがたく感得することができるものである。
 神の存在を否定する人々に、むつかしい理屈は禁物である。野に咲いている百合の花を見せて、もしその人が「美しい」といつたら、それでよいのだ。その人は十分に神の存在を知つている人である。すなわち、その人は理屈で神を否定しながら直感で神の存在を知り、肉眼で神を見ないが、すでに魂のどん底で神のささやきを感得しているのである。しかして前にいつたごとく、神は理屈で論ずべきものでなく、肉眼で見るべきものでなく、直感で知り心のささやきで感ずべき存在なのであるから、神を否定している科学者や理論家たちも、結局、科学や理論では神はわからないということを証明しているにすぎないのである。
 昔の人間は直感すなわち、いわゆる第六感が鋭かつた。だが今日の科学は最低の直観を基礎として立てられたものであるがために、だんだんとその第六感をもにぶらしめてきたのである。それは人類にとつてたいへんな損失であつて、どうしても今後の学問は科学的に人間の智慧を向上せしめるとともに、神より与えられた人間の直感力をいよいよ発達せしめて、両々相まつて人類の福祉に貢献せしめるよう努力せしめねばならぬ。
 たとえは近代の建築家が、ただただ機械の精巧のみにたよらずして、わが国伝来の蟇目の故実を修得して、その両者を併用するようになつた暁は、おそらく全世界を驚倒せしむべき建築界の革命をもたらすことができるであろう。その他すべての方面にわたつて機械の能力とともに、わが日本人独特の直感力をますます発揮したときこそ、はじめて独自の超人的科学文明を、日本から全人類に教示することができるのである。
 日本の科学者たちは、一日もはやく欧米の糟粕にあまんぜず、伝統的大精神にめざめて一大奮起すべき日にいたつていることに気がつかねはならぬ。これがすなわち吾人の称する皇道科学なのである。

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2013.06.06

『本質を見抜く「考え方」』 中西輝政 (サンマーク文庫)

9784763160003 しぶりに「ためになる」本でした。
 タイミングとしては、期せずしてここ数日の話の続きになるとも言えます。
 今日、カミさんはコモンズ学会のフィールドトリップで、世界各国の研究者たちと都留市を回りました。非常に興味深い気づきに満ちた小旅行となったようです。
 やはり、私たち日本人が無意識の下で何百年、あるいは何千年も自然にやってきたことが、外国の方にはたいへん不思議なものに感じられるらしい。まさに「コト」より「モノ」という日本文化の真髄ですね。
 こうした「異文化交流」はお互いにとって素晴らしい気づきの場となります。私も行きたかったなあ。
 さて、しかし、ではこういう日本的な「モノ」、たとえば「法」という「コト」を超える「慣習」という「モノ」をですね、世界中に移写拡大できるかというと、これは実際はとても難しいでしょう。
 世界各国の研究者が、もし日本のこういうシステム、いやシステムにもなっていないけれども、それよりも上位なメタシステムとでも言うような「モノ」が確かに存在しているという事実や歴史に感動して、それを母国に持ち帰ったとしても、なかなかそれを彼の地で実現するのは現状ではほとんど不可能でしょうね。
 私の悩みはそこにあります…壮大な悩みですね(笑)。
 そこで、もう少し現実的に、今の人類のレベルでまず何をすれば良いか考える時、この本は非常に役に立ちます。ためになります。
 現実の国際社会でバリバリにやってこられた中西さんの、相当に濃厚な53もの「テクニック」や「ストラテジー」を、私たちはたった数百円でおすそ分けいただけるのですから、これは読まない手はありません。
 国際社会というと、一般的な庶民からすると、それこそレベルの高い、あるいは遠い世界の話のような気がしますが、全然そんなことはありません。
 私は実は、現在の国際関係までは、個人と個人の関係を敷衍してとらえることとしています。所詮人と人の「感情」で動いている世界だと、あえて高をくくっているのです。汚い言葉で言えば、私利私欲のぶつかり合い、騙し合いが基本。
 ですから、逆に言えば、国際関係を見る思考技術や戦略は、我々庶民の生活上のそれらに成り得るということですね。
 そういう感覚で読むと実に役立つし、もちろん国際問題をとらえる時にも有用でありますから、私はおススメしたいのです。
 以前紹介した中西さんの「情報を読む技術」よりも読んでいて楽しかった(賢くなった気がした)かも。
 全体的に何章かにわたって語らる、「数字、論理、美しい言葉、見事すぎる議論、全員一致」よりも「宙ぶらりん、直感、ふと浮かんだ疑問、肌身感覚」を大事にせよという論は、私の繰り返す「コトよりモノ」という考えに一致しています。
 結局、国際問題を考えるにしても、私たちは日本人ならではの「モノガタリ」を大切にしなければならないし、それこそが国際社会における日本の役割なのかもしれませんね。

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2013.06.05

『日本の文脈』 内田樹・中沢新一 (角川書店)

20130606_91417 日の「コモンズ」「入会地」の話の続きになるでしょうか。
 まあ、この二人の対談は楽しいでしょうね。今までそれが実現していなかったというのが不思議です。
 私にとっては、お二人ともに間接的に出口王仁三郎の影響を受けているところに興味もあり、また共感するところもあるわけです。
 お二人ともに「物語」を重視している、すなわち私の言う「モノ」の存在を近代科学や近代哲学を上位に置いている。そこはワタクシと同じ。
 この本の楽しさというのはまさにそこにあります。たとえば内田さんが合気道を通じて出会った「自分の内側の未知なるもの」。これはよく分かります。
 今日はある木工作家さんとお話する機会があったのですが、その方のお仕事的に言うなら、座った瞬間に「自分の内側の未知なるもの」と出会う、そういう椅子をお作りになりたいと。その方はそれを見事に「禅」につなげていらっしゃいます。これもよく分かります。
 そういう西洋的な「コト」の世界では表現し得ない「モノ」の世界を、私も好む…と言うか、間違いなくその世界に生きているのが私なのであります。
 おっと、私の話はいいとしてですね、とにかくそういう「モノガタリ」が得意な人の代表がこのお二人とも言えるわけです。
 そういう意味では、二人はあまり現実的な政治や経済や歴史問題などに口を出さないほうがよい。おとといの内田樹さんのブログのエントリーは、そういう危険性(ある意味では面白み?)を露呈した内容でした。
 それこそ危うい面白さがあるのでぜひこちらをお読みください。
 この文章は「文学」であって、杓子定規に言葉を解釈するとツッコミどころや間違いだらけです。実際そこにツッコミまくる空気の読めないネット言論人たちが多くてウンザリします(こちらですとそういうコメントをたくさん読めます)。
 ま、これを歴史研究者協議会の面々の前で堂々と語る内田先生もすごいですけどね(笑)。
 さてさて、この本には興味深い箇所がたくさんあったのですが、「共生」に関して、もっともなことが書いてあったのでちょっと引用します。昨日の「コモンズ」「入会地」などの基礎的な部分につながると思いますので。
 内田さん、中沢さん、そして釈徹宗さんの対談の一部「共同体の維持に必要なもの」から。

 (内田)「共生」って軽々に言いますけど、共生するの、たいへんですよ。だって、隣人が自分にとってまったく理解できない人間であっても、不快な人物であっても、それに耐えるということが共生なんですから。その苦痛に耐えるためには、不快をはるかに超えるような「大きな物語」が必要なんです。物語がなければ、日常的な不快に僕たちは耐えられるはずがない。かつては地縁であったり血縁であったり、共同体を結びつける物語がいつくかあったんですけど、いまはもうそれがない。自分が理解も共感もできない人間を隣人として受け入れて生きていくためには、「これは世代を超えて継続していかなければならない活動なんだ」という歴史を貫くような大ぶりの物語がないと無理です…

 私も共同体維持に物語が必要だというのには大賛成です。では、その物語は具体的にどういうふうに紡いでいけばいいのか。ここに関しては内田先生はちょっとあきらめ気味?(笑)
 私はそれを政治や経済、特に政治の世界でも実現できると考えている中二病患者です。だいいち、共同体を結びつける物語が今はもうない…なんて言いたくない。実際ありますよ。それを示せるのが昨日紹介した国際コモンズ学会北富士大会だと思っているのですが。
 中二病でホント嘲笑されてしかるべきなんですけど、私はその物語の真のグローバル化も可能だと信じています。そして、今ここがポイントだと思っているわけです。
 「物語」が「物語」で終るのか、それとも「歴史」になるのか。
 歴史は未来からやってくるのですから、なんと言われようと、未来に向かって物語し続けるべきなのです。過去を今に向けて物語っているだけではダメということです。今を未来に向けて、そして未来を今に向けて、さらに過去を未来に向けて物語ること重要性に気づくべきなのです。

Amazon 日本の文脈

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2013.06.04

コモンズ学は未来を変えるか

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 日から、私の職場のある富士吉田市において「国際コモンズ学会第14回世界大会(北富士大会)」が開催されています。
 世界中からノーベル賞受賞者をはじめとする約420人の研究者が大集合して、「コモンズ」について発表・協議をしております。
 「コモンズ」とは何か。聞きなれない言葉ですよね。ホームページにはこう書いてあります。

 一般的に、ある資源あるいは自然のなかのある場所を、複数の人びとが利用するとき、その資源や場所は「コモンズ(commons)」と呼ばれます。また、資源や場所を共同で管理する組織や社会的仕組みそのものをコモンズと呼ぶこともあります。

 なるほど、なんとなく分かる気がしますね。実はここ富士北麓には特殊なコモンズが存在します。それが、「入会(いりあい)地」です。「入会制度」や「入会権」についても説明し始めると、これはとても大変なことになります(私もそのほんの一部しか理解していません)。
20130605_121015 超簡単に言えば、「入会地」とは、村や部落などの村落共同体で総有した土地のことを言います。
 もちろん日本中に「入会地」はありますが、地租改正、恩賜林や県有地、さらに米軍基地から自衛隊の演習場の問題などが複雑怪奇に(?)絡み合って、非常にきわどいパワーバランスで成り立っている「入会地」は、ここ富士北麓くらいしかないでしょう。
 まあ、そんなわけで、非常に特殊な「コモンズ」があるということで、それでここが国際大会の場に選ばれたということですね。
 実は、国際コモンズ学会の初代会長さんであるエリノア・オストロム教授は、この北富士の入会制度を取り上げた論文で、2009年のノーベル経済学賞を受賞しています。
 本当のことを言うと、私はもちろん、当地の入会関係者のほとんども、その事実(ノーベル賞受賞論文に自分たちが取り上げられていること)を知りませんでした(笑)。
 まあ、生活の一部として、非常に身近な存在(問題)である入会地が、そんなグローバルな視点が語られているとはなかなか想像しがたいですよね。しかたありません。
 で、いろいろあってその事実が知られることになって、当国際大会を恩賜林組合が中心になって誘致したということのようです。
 私有でもなく、公有でもない。しかし、今までの共有の概念とも違うし、「総有」という言葉でも表しきれない(と私は思います)「コモンズ」が、もしかすると、これからの世界の財産の所有形態を模索するよきヒントになるのではないか。そういう期待が高まっています。
 なぜなら、コモンズ学は、コモンズ自体が持つ矛盾を克服するところから始まっているからです。その矛盾とは、「コモンズには非排除性と競合性がある」「コモンズの自由がコモンズを破壊する」というような性質のことです。簡単に言えば、自由だからこそ競争が起きて「コモン性」が失われるということでしょうかね。
 私の狭い知識からしますと、この「コモンズ」の抱える矛盾こそが、人類の理想と現実の葛藤そのものを象徴していると感じられます。その具体的な解決策を、さまざまな学問領域を横断し統合することによって解決していこうとするのは、非常に良いことだと思います(大変難しいでしょうが)。
 さらに、今回の北富士大会は、研究者だけでなく、実際に入会の権利者たちが多数参加するということで、より現実的な矛盾が学問世界に突きつけられることになるでしょうから、ある意味画期的なことだと思います。興味津々ですね。
20130605_120952 さて、この大会は基本専門家によるセッションが中心なのですが、今日は市民も参加できるいくつかの講演などがあったので、ちょっと顔を出して来ました。
 まず、我が国の入会権研究の第一人者中尾英俊先生による「基礎から学ぶ入会権教室」。そして臨済宗恵林寺の副住職による「禅とコモンズ」という講演。
 中尾先生の入会権教室は、いきなり現地の入会権者の代表が、それこそ市民的「権利」を主張して、さっそくコモンズの矛盾を露呈するという、なんとも象徴的な会になってしまい、それはそれで面白かった。
 古川周賢老師の「禅とコモンズ」は、まあ私としては予想内の内容ではありましたが、それでも理念(理想)としてのコモンズ的無我(?)については、皆さんによく伝わったのではないかと思います。
 夜の部(シンポジウム)にも行く予定だったのですが、懇意にさせていただいている元恩賜林組合長さんにお誘いいただいてプライベートなデート(笑)。非常に興味深いお話をうかがうことができました。
 なるほど〜。「権利」だけでなく「義務」にも注目しなければなりませんね。そうか、我々人類の矛盾の根幹には、「権利」と「義務」のせめぎ合いがあるわけで、そこをどう乗り超えるかが個人個人の課題だというわけですね。

国際コモンズ学会世界大会公式
 

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2013.06.03

小フーガ ト短調 (BWV 578)

 学の弦楽合奏部でこの曲をやることにしました。
 これは自分の趣味とも言えますね。自分は高校の時、これまた自分の趣味で「大フーガ」を弦楽で演奏しました。
 あの大フーガは何しろヴァイオリン1本で弾けるのですから(!)、音形が弦楽器的であります。
 おっと、あったあった。大フーガの弦楽ヴァージョン。どこの団体だろう。最後はしょってるのが気に喰わないけど、まあこれしかないので。

 そう、今から30年ほど前、こんな感じで弾いたんですよね。かっこいいですよね。
 で、いつか「小」もやりたいなと思いつつ30年が過ぎ、とうとう実現する時が来ました!
 ところが…小フーガを編曲して生徒たちに楽譜を配ったら、「あっ!知ってる!ハゲの歌だ!」ってみんな言うんですよ(笑)。
 悪かったな、そうオレはハゲだよ…ではなくて、鼻から牛乳だけでなく、とうとうこの曲までヘンチクリンな名前がついてしまったのですね…。

 トッカータとフーガもそうですが、この小フーガも必ず小学校や中学校の音楽の教科書に登場し、ある意味日本国民の人口に膾炙しているわけです。
 また、こういう短調のコテコテの曲は日本人の好みですからね。しかたないでしょう(あきらめ)。
 学校であのバッハの肖像画を見ながら、パイプオルガンの演奏を真面目に聴いていると、たしかにおちょくりたい気持ちになってきますな(笑)。それが牛乳とハゲを生んだのでしょうね。
 そうそう、大フーガの記事に書きましたけれども、この小フーガのテーマって全然「小」ではないですねえ。けっこう「長大」だと思います。実際大フーガよりも長い。
 対位法の技術も特に特徴的なところがなく、またブリッジの作り方もありがちな感じであって、バッハの作品としては凡庸だと言えなくもありません。
 しかし、これだけ有名だと逆に客観的に聴けなくなっているところがあるので、今回の編曲、演奏を機にしっかり味わい直してみたいと思います。
 あと今回問題なのは、生徒が「ハ〜ゲ〜、ハ〜ゲー」と歌い出してしまう、あるいは笑い出してしまう点です。
 また、この曲は人前で演奏する予定があるので、お客さんが笑わないか心配です。なぜなら、私(スキンヘッド)がコントラバスをまじめな顔して弾く予定だからです(笑)。
 今までと違った意味で難曲となりそうです。

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2013.06.02

青木ヶ原樹海という巨大な磐座

 日はいい天気。
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 空にはかわいらしい雲も浮いています。この雲、見方によっては龍神さんですね。
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 あんまりいい天気なので、久しぶりに青木ヶ原樹海に行って来ました。行って来ましたと言っても、ウチから5分も車を走らせれば立派な樹海に到着ですから、近所を散歩したようなものですね。
 今日は朝から「どこかに行かねば」と感じていたのですが、それがどこか分からずモヤモヤしていました。それがいつものように神社仏閣や遺跡などのような気もするし、そうでない気もする。すっきりしないけれども、なんとなく神仏とつながりたがっている私がいたわけです。
 夕方ちょっとした用事で出かけた際、カミさんが「樹海に行こう」と言い出したので、とりあえず行ってみようかと思い、普段あまり行かない西湖周辺の樹海に向かいました。
 結論から言いますと、まさにその樹海こそが私の行くべき場所だったようです。神様…ではなくカミさんに感謝(笑)。
 近くに竜宮洞穴があり豊玉姫が祀られていることもあって、このあたりには龍神の気配が満ちています(西湖と龍神の話はこちらからいろいろ飛んでみてください)。
 写真をご覧いただきながら私の感じたことをお読みください。

 ↓まずは池のおたまじゃくし。生まれたばかりですね。おそらく何万匹もいるでしょう。池が真っ黒だと思ったら全部おたまじゃくでした。カミさんは「カワイイ〜」とか言いながら平気ですくっています。
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 ↓命のたくましさを感じますね。おそらく鳥の餌食になってしまうのもたくさんあるでしょう。しかし、それもまた自然の命の連関。美しく感じられます。
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 ↓西湖野鳥の森公園に保存されている、西湖の湖底から引き上げられた謎の丸木舟。鎌倉末期の木材というのが本当なら800年近く湖底に眠っていたことになります。けっこう大きいのでびっくり。
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 ↓同じく野鳥の森公園内の茅葺屋根の建物。こうした人工物もすっかり自然と一体化していますね(屋根から木々が生えています…笑)。
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 ↓青木ケ原溶岩流の中でも比較的先端部ですので亀裂が多いのがこのあたりの特徴。
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 ↓よく見ると樹海というのは磐座(いわくら)だらけですね。神様の腰掛け。苔の座布団つきです。
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 ↓磐座に苔がむし、種が落ちて草木が生える。これぞ「産霊」の原点。
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 ↓ヤマツツジも潔く磐座に散って土になっていく。自然は過去にこだわらない。忘れる、捨てるが普通。未来志向だなあ。
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 ↓天の岩戸だらけ。手力男命の正体は水だったり氷だったり雪だったりガスだったりする。
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 ↓これは間違いなく磐境(いわさか)だな。思わず祭祀をしたくなる。
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 ↓こういう造形が鳥居の原型ではないか。
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 ↓ついに龍神参上。宙を舞う龍体。
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 いやあ、本当に活力をいただきました。なんといっても初夏の緑の「匂い」が素晴らしい。生命の匂い。元気になります。
 パワースポット巡りがはやっているようですが、究極の力場はここかもしれませんね。自然の式年造替、常若。神道の原点を見るような気がします。
 皆さんもぜひ遊びにいらして下さい。ご案内します。

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2013.06.01

究極の「もののね(モノの音)」!?

481 タとしては昨日の記事の続きになりましょうか。
 今日は我が中学校恒例の横浜遠足&芸術鑑賞。生徒たちは横浜港クールズや中華街自由行動を楽しんだのち、横浜市開港記念会館にて教頭自らも演奏するバロック音楽を鑑賞。
 皆さんには「教師冥利につきますね」と言われましたが、ある意味職権濫用ともいえなくもない?(笑)
 しかし、まあ歴史的建造物で歴史的な音楽を聴くというのは、生徒たちにとっても貴重な体験であったことはたしかでしょう。
 横浜ではTICADVが開かれています。昨日、総理の奥様に「お互い利横浜で頑張りましょう」とメールをいたしました(お互いと言ってもかなりレベルの差はありますが)。
 今日、私は以前予告したとおり、ヴィオラ・ダモーレを演奏しました。
 これがなかなか曲者で、練習の時からかなり苦戦しておりましたが、やっぱり本番ではさらなる困難に多数遭遇いたしました。皆さまには本当にご迷惑をおかけしました。
 ただ、難しそうな楽器だなあということだけは、ちゃんと伝わったと思われます(苦笑)。
 私がこの曲を弾くのは2回目でありましたが、この曲を公の場で2回演奏したという人は、世界でもそんなにいないでしょう。そんなわけで、私自身にとっても非常に貴重な体験となったのは事実です。ありがたいことです(3回めはもうないかな)。
 さて、今日そのテレマンの協奏曲や他の曲を演奏している時にも、ふと考えてしまったのですが、楽譜を見て演奏するタイプの音楽って、ちょっと変じゃないでしょうか。
 以前、音楽は未来からやってくる(?)という記事にも書きましたとおり、初めてある音楽を聴く場合、ある程度の予想というのはあるにしても、基本的に未知の旋律や和声が、未来の方向からやってくるわけじゃないですか(実はそれは作曲家の作曲行為の追体験に近いものがあります)。
 今日のテレマンはそれほどメジャーな曲ではなかったので、実際にそういう感覚でお聴きになった方も多かったのでは(少なくともウチの中学生にとってはヴィヴァルディ以外は初耳だったことでしょう)。
 しかし、当然私はこの曲を知っていて演奏している。それも楽譜を1小節目からなぞるように弾いていく。
 いわば記憶(記録)を古い方から順に文字を追って読んでいくように再生していくわけです。この時、ある意味では、音楽は過去から未来へ向かって流れていると言ってもいいと思います。少なくとも私の意識の中ではそういう時間構造になっているとも解釈できる。
 一方でそれを初めて聴く方々にとっては、やはり自分がレコードプレイヤーの針であって、凸凹を刻んだ溝は向こう(未来)からやってくるわけじゃないですか。
 そこのところの、演奏家と聴衆の時間の流れの矛盾というのはどうなっているのか。
 だいたい本番というのは、こういう余計なこと(どうでもいいこと)を考え始めてしまって気づくとありえないミスをしてしまったりするものです(笑)。
 一方、たとえば今日の演奏会で、私が降り番だったかの有名なバッハのチェンバロ協奏曲を聴く時、これは私はいやと言うほど聴いたり弾いたりしてきた曲ですので、かなり細部にわたって記憶ができあがっていますからね、音自体は未来からやってくるのはたしかではあるけれど、未知の音楽を聴く時とは明らかに感覚が違っていて、半分は楽譜をなぞるようなところもある。
 いったいその辺どうなってるのか…そうそう、逆に演奏家と聴衆が全く同じことを体験している場合もあります。たとえば、私が急遽参戦したこの即興パフォーマンス。これは完全な即興というか自動演奏(?)ですから、演奏者である私にとっても、また聴衆にとっても、未来からやってくる音を初めて受容するという体験です。
 昨日、日本の無文字社会や口伝を例にとって、過去(記憶・記録)にこだわらない方が創造性があるという言い方をしました。逆に西洋は過去(記憶・記録)にこだわると。
 私は日本の伝統音楽もやってきましたので(卒論は純邦楽関係でしたから)よく分かりますが、日本の音楽には本来「楽譜」はありません。では全て暗譜…譜がないのだから暗譜じゃないな…暗記、いや記録もないのだから暗記でもないな、ええと、まあ記憶でしょうかね…記憶にしたがって「空(そら)」で演奏するのが基本でした(今でもそうです)。
 実はそれ以前、すなわち大陸から「楽」が入ってくる前は、その記憶すらない、完全に「空」から降ってくる「もののね」でした(私の解釈では「モノ」は「外部・他者」を表す語ですから、理屈が合いますよね)。
 「琴」という楽器は、そうした「モノの音」をこの世に現出(リアリゼーション)させる道具だったから「コト」と呼ばれていたわけです。
 なんだかいろいろ書いているうちにめちゃくちゃになってきましたね。まとめると、つまり、楽譜を演奏する私たちと、初めて聴く皆さんとの音楽の共有の仕方はどうなっているのかなと、演奏しながら思ったということです(笑)。それで間違っちゃったと(言い訳?)。
 そうそう、そういう意味で演奏中ですね、私にとって、そして他の演奏者や聴衆の皆さんにとって、最も「もののね」だったのは、さすが横浜!外で汽笛の音がずっと鳴っていたことです(笑)。
 それがまたどういうわけか、汽笛の音程が曲に合っていたような…。
 これがライヴの楽しみかなあと改めて思ったところです。「港の見える音楽会」にふさわしい洒落た神のいたずらでありました。ありがとうございました。
 さあ、次回は11月9日同じ場所でバーセルのオペラから演奏します。ぜひお越しください。

PS そう言えば、今日もびっくりするシンクロがありました。地元の知り合いがたまたま横浜に来ていて、ちょうど会館の前を通りかかり、演奏会の案内を見たら私の名前があったので驚いて聴いていってくれたのです。不思議ですね。

アンサンブル山手バロッコ公式
 

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