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2013.05.22

方丈記より「治承の辻風」

K10047470611_1305212315_130521231_2 メリカオクラホマの竜巻、大変な被害のようです。被災された方々に心から哀悼の意を表します。
 日本でも竜巻の発生頻度が高くなっていますが、日本独特の地形や気象環境からして、さすがにこの規模のものはそうそう発生しないでしょう。
 日本は自然災害の多い国だとも言える一方、その規模はそれほど大きくはならない傾向があります(もちろん東日本大震災のようなこと千年に一度ありますが)。
 そのあたりの「荒魂」と「和魂」のバランスこそが日本の文化を作ってきたとも言えそうです。
 ちなみに「竜巻」という日本語はそれほど古い言葉ではありません。意外と言えば意外な感じがしますが、近世江戸時代から使われだしたようです。
 では、それまでは何と呼ばれていたかというと、「旋風(つむじかぜ)」「辻風(つじかぜ)」だったようですね。
 こちらは日本書紀や日本霊異記に見られますから、かなり古い和語ということになります。
 実際の「辻風」の被害の様子を記したものとしては、かの鴨長明の方丈記が有名ですね。
 今日はその部分を紹介しましょう。これは治承四年(1180年)旧暦4月29日に京都で発生した大型の竜巻による被害の状況を記録したものです。
 新暦になおしますと、5月25日ですから、ちょうど今頃の季節ですね。
 では、お読みいただきましょう。分かりやすい文なので現代語訳は不要だと思います。

 
 また、治承四年卯月のころ、中御門京極のほどより大きなる辻風起こりて、六条わたりまで吹けることはべりき。
 三、四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大きなるも小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら平に倒れたるもあり、桁・柱ばかり残れるもあり。門を吹きはなちて四、五町がほかに置き、また、垣を吹き払ひて隣と一つになせり。いはむや、家のうちの資材、数を尽くして空にあり、檜皮・葺板のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るるがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず、おびたたしく鳴りどよむほどに、もの言ふ声も聞こえず。かの地獄の業の風なりとも、かばかりにこそはとぞ覚ゆる。家の損亡せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身をそこなひ、かたはづける人、数も知らず。この風、未の方に移りゆきて、多くの人の嘆きなせり。
 辻風は常に吹くものなれど、かかることやある、ただごとにあらず、さるべきもののさとしか、などぞ疑ひはべりし。


 京都の町をおよそ2キロにわたって竜巻が通過したようです。建物の被害だけでなく人的被害も出たと記されています。
 最後の部分、竜巻は頻繁に発生するが、これほどの規模のものはなかったという意味です。治承年間は天変地異が多発しました。大地震、巨大彗星出現、そして竜巻。養和に改元してからも超新星、飢饉(異常気象)など、天変地異は収まりませんでした。
 神仏の怒りか諭しかと、当時の人々は強く不安に感じたことでしょう。
 

 

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