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2013.05.31

『忘れる練習・記憶のコツ』 アルボムッレ・スマナサーラ (サンガ)

20130602_74209 の得意技、「忘れる」こと。
 実はそれが「常若」につながっているということに気づきました。今日はグッドタイミングで読んだこの本の紹介を兼ねて、そのことについて書きましょうか。昨日の「神道」の続き。「仏教」の視点から。
 私の「忘れる力」は、自慢じゃないけれど本当にすごい。おそらく全国大会レベルだと思います(笑)。
 昔のいいこと悪いことを忘れちゃうのは当然のこととして、昨年の学校行事の段取りを忘れたりするのは序の口。
 一週間前に書いたブログの内容もほとんど覚えていない。毎月いくつかの歌会や短歌雑誌に投稿している短歌も、あれだけ産みの苦しみを味わっているのに一つも暗誦(再現)できない。
 音楽の暗譜というのも全くできません。これは本当にひどい。練習しない(憶えようとしない)というのもありますが。
 これらはある種の障害であると認識しています。高校生の時なんか、なんで勉強の暗記ができないのか、非常に苦しみました。しかし、今ではこれを得意技だととらえているわけです。
 昨年、脳科学の本で有名な池谷裕二さんにお会いした時、「人間は忘れるように進化した。そのおかげで創造性が発達した。というか、記憶よりも創造性の方を選択したのだと思う」という話をお聞きし、単純な私は自分がほめられたような気がして小躍りしてしまったのですが(笑)、たしかにそれってありだと感じました。
 「創造性」とは「常若」であります。西洋文化(や中国文化)が「言語」や「石」にこだわり、記憶を永遠化しようと努めたのに対し、日本文化は「口伝」や「木」にこだわりました。縄文が1万年の間なんら大きな変化を見せなかったのは、実は創造性がなかったからではなく、異常なほどの創造性を発揮したからです。
 これはパラドックスですよね。普通に考えると過去の記憶にこだわる方が保守的で、過去を捨てて創造性を発揮するのが革新だととらえられますから。
 しかし、実は「革新」とは進歩主義ですから、その根底には「過去を凌駕したい」という願望があるのです。つまり、その根底には(特にマイナス感情を伴う)「過去の記憶」「過去へのこだわり」があるわけです。
 この本にはそのことが書かれていると感じました。ブッダは、「過去の記憶」とは人間の欲と怒りの産物であり、それによって私たちは不幸になっていると語りました。だから、それを捨てよと。
 私もそのとおりだと思います。私たちの感情も思想も、そのほとんどは「自分の過去の記憶」の上に成り立つものです。私はその土台がどれほど小さく狭く不確実なものであるかを最近実感しています。そこにこだわるよりも、無限に広がる「他者の未来」を土台にした方がずっと安定している(面白い)と考えるようになったのです。
 私の「時間は未来から過去へと流れている」という時間論からすると、過去の記憶というのは、本来下流に流れていってしまうべきモノを、脳ミソの両手で後生大事に抱えている状態だとも言えます。あるいは、下流に向かって立って、流れていくモノどもを一生懸命見失わないように目を凝らしている状態だとも。
 別にそういう人生を否定しているわけではありません。単に私はそれが苦手だということなのでしょう。
 ただ、私のようなお変人でなくとも、たとえばこの本を読んで内容に納得すれば、私のような生き方に転換することが可能だと思います。お試しいただく価値はあると思いますよ。

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