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2013.05.30

国宝 大神社展 (東京国立博物館)

20130531_114611 社パワー全開!…というほどではない?
 天皇皇后両陛下ならびに皇太子殿下もご覧になったという大神社展。なかなかの人気だそうで、今日ウチのカミさんが行った際も、平日にもかかわらずずいぶんと混み合っていたとのこと。
 6月2日まで。私は残念ながら行く機会が得られそうにありません。
 しかし、カミさん曰く、まあ直接観なくとも図録で充分ではないかと。
 というわけで、私は図録をじっくり拝観させていただきました。
 なるほど、神社グッズというのは、ある意味ではものすごくパワフルというわけではないのですな。
 なぜなら、神道においては、たとえば神像というのは邪道と言えば邪道。邪道とは言い過ぎかもしれないか。まあ、いずれにせよ王道、正道ではありませんね。
 もともと、アニミズムから発展した(であろう)神道は、あまりフェティッシュではありません。つまり、ワタクシのモノ・コト論的に言うならばですね、「モノ」中心主義であって「コト」には神は宿らない。
 物とモノは違いますよ。人間がこさえた物は「コト」です。モノは人為の働かない自然ということです。
 この展覧会に集められた物どもは、人間の脳の中で処理した結果としての物どもですから、つまり、ワタクシ流に言うと「コト」どもということになるわけです。
 だいいち、ここに集められた古い物(コト)どもは、式年造替の網目をすり抜けてきた特殊な(邪道な?)物どもとも言えますよね。
 そう、日本文化では基本「コト」は認められていないのです。「コト」は永遠不変の存在です。自然はお釈迦様の言うように「無常」なモノです。それを基本的な常識としていたのが日本の文化でした。だから、仏教がスムーズに浸透したし、仏教を伝えた大陸半島の人々も驚いたわけですね。
 仏教は永遠不変なる真理の象徴として、多くの建造物や仏像を作ることになります(「無常」という永遠不変の真理、すなわち「モノ」性という「コト」という面白い統一がなされるわけですが)。
 一方の神道は物の無常性にこそ神の可能性を見たわけですね。モノ性自体が神ということではありませんよ。つまり、衰え潰えていくというモノ性を、「ムスビ」の発想で永遠化したのです。
 「ムスビ」とは「産び」であり「結び」であり「掬び」であります。生命の連関、結束、掬い上げ、救い上げという動き、ダイナミズムにこそ、「神」を見たということです。
 その具体例が、たとえば、出雲や伊勢の遷宮であったり、いろいろなグッズの式年造替であったりするわけです。
 今回集められた物たちは、そういう一連の流れからはみ出していると言えばはみだしている。常若の発想からすると、けっこう老いている(笑)。
 だから、決して「パワー全開」ではないというわけです。
20130531_125755 そういう意味で興味深かったのは、神像が仏像に比べて、ずいぶんと「ショボい」ということですね(笑)。どちらかというとキッチュだったりキュートだったりします。
 考えてみれば、絢爛豪華なお寺群に比べると、伊勢神宮なんかもずいぶんと「ショボい」ですよね(笑)。しかし、その「ショボさ」こそが、新しいモノに取って代わられる潔さを内包している。そして、譲ることによって自らもスピリットとして生き残っていく。まさに「国譲り」的な発想ですよね。
 神道では、「ない」ことによって「永遠性」を表現するということもあります。「ない」なんて究極のショボさじゃないですか!
 たとえば、絹垣で覆われた中に神様を見るという手法。唯物論的には何も存在しないから、逆に絶対になくならない。こういう逆説はのちに「禅」と結びついていきます。
 面白いですね…と、勝手に盛り上がってしまいまして、スミマセン。
 とにかく大神社展、あと数日ですから、ぜひその圧倒的な「ショボさ」を味わいに行ってみてください。
 

大神社展公式

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» 国宝 大神社展@東京国立博物館 平成館 [ドンカンはツミである]
「大神社展」なんて、ずいぶん大雑把なタイトルだな~って思ったの(笑)。 イイ加減なコピーライターさんだわってね(^^; 行ってみてわかったけど、全国の有名神社の、国宝・重要文化財クラスの宝物がゴロゴロ。 「大」を付けたくなる気持ちも、わからないではない。 十二単とか能装束とか、刀とか鎧兜とか、奉納された物で時代がわかりますね! 名古屋の徳川美術館に行って、学芸員さんにいろいろ説明を受けた友達によると、刀は、当時の磨ぎ方を残すために、わざと磨がないようにしていることもあるんだそうです... [続きを読む]

受信: 2013.06.02 12:18

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