唯我独尊=総他皆尊
学校で月遅れの「花まつり」が行われました。
本校では毎年4月8日に入学式を行います。お釈迦様の誕生日てすね。
行事としての「降誕会(灌仏会)」は高冷の当地では月遅れで行う習慣があります。「花まつり」に花が咲かないからです(今年は桜の花が早く、本当には珍しく4月8日には開花していましたが)。
花御堂に生徒の代表が甘茶をかけます。お釈迦様の誕生を歓んだ龍神が甘露の雨を降らせたという伝承にならったものです。
花御堂の中には、皆さんご存知のとおり、右手で天を指し左手で地を指した誕生仏が立っていらっしゃいます。
そう、生まれてすぐに7歩歩いて右手で天を左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と叫んだのは…バカボンのパパとお釈迦様です(笑)。いやいや、莫迦梵とは仏語でお釈迦様自身を指すという説もありますしね(要出典)。
ちなみにバカボンのパパは「天上天下唯我独尊」に加え、「ボーイズビーアンビシャス」とか「為せば成るナセルはアラブの大統領」とか言ったと記憶しております。お釈迦様を超えておりますな(笑)。
さてさて、その「天上天下唯我独尊」の意味ですが、皆さんはどう解釈されていますか。
よく聞くのは次のとおりです。
①世界で自分が一番エラいのだ!
②世界で自分はたった一人しかいないから尊いのです。
③世界で自分(お釈迦様)だけが衆生を救う尊い存在である。
なんとなく口調がそれぞれ違ってしまいましたが、実はそここそに解釈の本質があると思います。
私としては単純に①をバカボンのパパ風に読むのが一番しっくり来ますね(笑)。
というのは、漢文としては「天上天下に唯だ我のみ独り尊し」としか訓読できないからです。
肝心なのはそれを「自己中心的」「傍若無人」を解釈しないことです。その理由は意外に単純です。しかし、あまり指摘されていない。
「自他不二」「不二一如」
お釈迦様の教えの中心はここにあります。自分は他者によって縁起するのだから、結果として「自分=他者」「自分=世界」だというわけです。
そうすると「唯我独尊=総他皆尊」ということになりますよね。
まず自分を尊いと思うところから始めないと他者をも尊重できないのです。自分を愛することができない人は、他人を愛することができないと言いますよね。そういうことです。
「自分だけが尊いと思う=人を見下す」ではなく、自分の中にある「尊さ」に気づくことが、世界を理解し愛するための第一歩だということです。
お釈迦様は自らの人生のスタートとして、まずそこから始めたということでしょう。私はそのように解釈して納得しています。
自分の「尊さ」に気づくためには、結局のところ他者の存在を想定しなければなりません。自分を生み愛してくれる両親の存在と一体化することに始まり、総ての他者(森羅万象)と自己とが等価であることを悟るまでが、仏道の修行なのでありましょう。
もちろんこの解釈は私の個人的なものであり、本来の仏教的な真意とは違うかもしれませんが、今日の花まつりでふとそんなことを直観したので書いておきます。
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