『富士谷 長慶院仙洞御所略図』
今日は信州から縁ある方がいらっしゃって一日いろいろとお話をしたり、フィールドワークをしたりして過ごしました。
いろいろなシンクロニシティもありまして、いつもながら不思議なご縁というか、目に見えないネットワークに感動いたしました。ありがとうございました。
もともとのきっかけは違うところにあったはずなのに、フィールドワークをした場所は超マニアックな「宮下文書(富士古文献)」に関するところばかり。ご案内させていただいた私たち夫婦も、久々に富士北麓の表や裏の歴史を堪能いたしました。
さてそんなちょっとした時空を超えた旅から帰って来て、ふとこの地図の存在を思い出しまして、引っ張り出して来ました。
そして、これは今こそ世に出さねばならないと思い、スキャン画像をこのブログにアップさせていただくこととしました。
ご縁ある方々にご覧いただければと思います。
この地図は、記された解説によると、限られた部数のみ印刷され、一部の有識者にのみ配布されたようですね。これは戦前の道路工学者、道路技術者として名のある牧野雅楽之丞(うたのじょう)氏に進呈されたもののようです。
私は10年ほど前にたまたま古本屋さんに譲ってもらう機会を得ました。私のところに来たのも何かの縁というか必然なのかもしれませんね。おそらくはほとんど誰も知らない、誰も見たことのない資料でしょうし、現在どのくらいの部数が存在しているのかも不明です。
本来は、三輪義熈が宮下文書によって隠れ南朝の歴史をまとめた「長慶天皇紀略」の付録資料として世に出そうとしたけれども、この地図によって貴重な遺跡群の場所が明らかになり、不敬の輩によってそれらが破壊される可能性を案じて断念したといういわくつきのもののようです。
分かる方には垂涎の資料ですし、分からない方にはチンプンカンプンのトンデモ地図でしょう。あるいは地元の方には新たに興味を持っていただくこともできるではないかと思います。
まあ簡単に言えば、後醍醐天皇の孫である南朝第98代長慶天皇(とその臣下たち)がこの富士北麓に落ちのびてきて、富士高天原を南朝とともに復興しようとしたという驚愕のパラレル・ヒストリーです。
実は今日も明見の長慶天皇陵に行って来ました。地元の方もほとんど知らない「天皇陵」です。
では、どうぞ。そして、興味を持った方は御連絡ください。実地をご案内します。
ちなみに私は宮下文書に関しては客観的な立場をとっています。本物とか偽物とか、内容が真実とか嘘とかいう次元での論議は無意味なのでお断りです。
ただ、こういうモノ(伝承・物語)が当地に残っているということだけは「事実」であります。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 南部と津軽と甲州と…(2024.07.31)
- 死なない力(2024.07.18)
- 『今永昇太のピッチングバイブル』 (ベースボール・マガジン社)(2024.07.17)
- ハイデガーVS道元…哲学と仏教の交差するところに、はじめて立ち現れてきた「真理」とは?(2024.06.03)
- 日本語はどこから来た?(2024.06.01)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 九州人による爆笑九州談義(筑紫哲也、タモリ、武田鉄矢)(2024.08.18)
- 『もしも徳川家康が総理大臣になったら』 武内英樹 監督作品(2024.08.16)
- ラモー 『優雅なインドの国々より未開人の踊り』(2024.08.12)
- 『大鹿村騒動記』 阪本順治 監督作品(2024.08.11)
- 富士山と八ヶ岳のケンカ(2024.08.10)
「歴史・宗教」カテゴリの記事
- 九州人による爆笑九州談義(筑紫哲也、タモリ、武田鉄矢)(2024.08.18)
- 『もしも徳川家康が総理大臣になったら』 武内英樹 監督作品(2024.08.16)
- 【厳秘】大戦終末に関する帝国政府声明の骨子(その3)(2024.08.15)
- 【厳秘】大戦終末に関する帝国政府声明の骨子(その2)(2024.08.14)
- 【厳秘】大戦終末に関する帝国政府声明の骨子(その1)(2024.08.13)
コメント