追悼 サッチャー元英首相
サッチャーさんが亡くなられたということで、また一つの時代が終わったかなと感じております。
「鉄の女」も晩年は痴呆になり往時の勇猛さは見る影もなかったわけですが、それこそが人の世の常であります。
「鉄」という存在自体が、かならず朽ちて滅びるもの、錆びればいきなり強度が落ちる、実は脆弱な金属であるわけで、そう考えると、なるほど「鉄の女」であったななどとも思われるのであります。
そんな「鉄」の生涯を、その錆びゆく姿を中心に描いた2011年の映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」は、観客の多くがサッチャーの生き様よりもメリル・ストリープの女優魂の方に感嘆してしまうという、ある意味での失敗作でありました。
それを補うがごとく発売されたこちら「マーガレット・サッチャー 鉄の女の素顔」というセミ・ドキュメンタリー映画はなかなかの出来でした。
彼女の政治家としての「戦い」の系譜と、当然その裏にあった別の「戦い」の系譜とが、いいバランスで表現されていたと思います。
今となっては、日本でも小泉改革の雛型としてあまり良く言われないサッチャリズムですけれども、あの時代の英国を救うには、やはりあの方法しかなかったと思いますね。
そして、それはやはり女の手によるしかなった。サッチャー自身のものとして伝えられる「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい」という名言には、それなりの説得力がありますし、現代でももしかするとそれは通用する、通用しているかもしれないとも思います。
国難にあっては、ある種の暴力性をもって国を導いていかねばなりません。そこにはたしかに「痛み」が伴います。その「痛み」に対して「痛み」で返そうとすると、それは暴力の連鎖になってしまいますね。
おそらく男性の首相であったなら、もっと激しい抵抗や反乱があったかもしれません。
いくら「鉄」とは言え、やはり「女」は「女」。どこか、母性的な厳しさを感じさせるものがあったのでしょう。
のちに労働党政権に戻っても、いわゆる第三の道という弁証法的な歴史進化が見られたのは、やはりサッチャーという女性がその母胎となったからではないかと思われます。
もちろん、サッチャーにとってはアンチテーゼのドンであったはずのゴルバチョフにさえも、そういった未来的思考を促したわけですから、これは大したものです。
一方、日本はどうであるか。これは難しいですね。小泉さん、そして今回の安倍さんも、単純にサッチャーさんの手法を真似するだけではやはりダメ。そんなこと分かりきっているでしょうけれども、「鉄の男」がもし現れれば、別の「鉄の男」もまた必ず現れて、そして鉄同士の醜い争い、すなわち戦争状態にならざるをえないでしょうね。
マーガレット・サッチャー…あなたは優れた女性宰相として永遠に歴史にその名が刻まれることでしょう。
「鉄の女」は、やはり「鉄の女」だった。「鉄」でもあったし、「女」でもあった。単純ですが、そういうことなのです。
ご冥福をお祈りします。
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