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2013.04.30

『陰謀史観』 秦郁彦 (新潮新書)

4106104652 つも書いているように、私は陰謀史観、陰謀論にはハマりません(充分ハマってるじゃないかという声が今すぐにでも聞こえてきそうですが…笑)。
 しかし、一方で無視もしません。いや、無視しないどころか重視はしています。
 重視するということはどういうことかというと、そうした「陰謀論」によって、実際に行動した人たちが歴史の一角を作ったというのも事実であるからです。
 たとえば、大東亜戦争を実際に「聖戦」だと思って戦った人たちが多かったわけで、それをも含めて私は歴史の事実であると捉えているわけです。
 そういう意味では実証主義の幅も広くなりますね。各個人の思想、感情の部分まで実証していかねばならないからです。
 私は歴史学者でもなんでもないので、あえてそういう手法を取ることもできます(職業学者はそんなことをやっているヒマはないでしょうから)。
 だいいち、私は「時間は未来から過去へと流れている」と考えている学派(笑)なので、一般の歴史学とはある意味全く相容れないわけですね。因果関係が逆ですから。
 この本の著者の秦さんは、「歴史家の任務は直接的な因果関係の究明にある」とおっしゃっていますが、当然ここでいう因果関係は「過去が原因で(その時の)現在が結果」でしょう。私は「未来への意思が原因で(その時の)現在が結果」ということです。
 だから、私の場合は、当時の人々が陰謀史観にとらわれていたとしたら、その陰謀史観自体が嘘でもなんでも、原因としては事実と認定するわけです。
 だから「陰謀史」の研究はとても大事です(同様の理由でプロレスの観戦も重要)。
 そういう私の傾向が表れているのか、秦さんのこの本には、私がこのブログで取り上げてきた人たちや本がワンサカ出てきます。
 佐藤信淵に始まり、仲小路彰、江藤淳、櫻井よしこ、中西輝政、渡部昇一、田母神俊雄、藤原正彦…。
 当然彼らは(陰謀ではなく)「陰謀史観」の首謀者として登場するわけですね。
 つまり、私のように、彼らの言説にある特定のバイアスがかかっていることを最初から知っていて、そのバイアスのなんたるかを知るために読んでいるのならいいのですが、それこそその言葉を鵜呑みにして洗脳されてまい、結果として「陰謀史家」になってしまう人たちがいるのが困るのです。
 古史古伝や偽書の世界や、あるいは新興宗教などもそうですが、「架空の歴史の創造」には個人や地域や国家のルサンチマンが強く影響しています。
 私がそういう世界観に興味を持っているのも、おそらくは日本人的な「判官贔屓」の心性が持っているからでしょう。あるいは、他人のせいにしないではいられない「不幸感」もあるかもしれません。
 昨日、安倍昭恵さんつながりである方と大いに共鳴して盛り上がりました。その中で、「人のせいにしないで自分の中にある原因をしっかり見つめる」という話が出ました。
 人間は弱い存在ですから、ついつい「悪者」を外に設定して、相対的に自分を「善者」としておきたいという願望があります。
 非常に難しいことですが、他者を批判する前に、自分の中にも「種」がないかどうか考えなければなりません。
 そういう意味においても、「陰謀史観」を実証研究することは私にとって非常に重要なことなのです。

Amazon 陰謀史観

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2013.04.29

お疲れ様!愛川ゆず季選手

Img_6461 日は東京で6月1日のコンサートの練習。
 練習場所が新宿御苑に近かったので、まずはいつもパワーをいただいている巨木(この木なんの木…実はなんの木か知らない)にご挨拶。
 昭和の日ということで、今日は無料開放日。家族連れをはじめ老若男女が、本当にたくさん集まっていました。なんとも平和な気持ちになりましたね。ああ、日本はいいなあ。
 まあ、昭和の日が昭和天皇の誕生日だとは知らない子どももたくさんいたことでしょうし、大人でもこの場所で昭和天皇の大喪の礼が行われたと知らない人も多数いたでしょう。
 それでもいいところが、いかにも日本らしいですね。
 さて、コンサートの練習は…途中牧伸二さんの訃報にショックを受けたりはしましたが、まあつつがなく終わり、明大前を経由して渋谷に移動。
 渋谷では「氣脈の集い」に参加しました。本当にいろいろな方の純粋な魂と高い志に触れることができ、こちらでもパワーをいただきました。
130429_yuzupon_10_11 そんなこんなでいろいろ書きたいこともありますけれど、今日はやはりこの人に「お疲れ様」「ありがとう」と言いたい。
 愛川ゆず季。
 深夜に富士山に帰って来て、ニアライブの録画を観ました。ゆずポンも泣いてたけど、私も年甲斐もなく涙ポロポロ…。
 最後の試合も気持ちの入ったいい試合でした。
 プロレスって人生なんですよ。思い、感情なんです。たった2年半でしたが、本当に見事な人生劇場を見せてくれました。ありがとう。
 微笑む、怒る、睨む、耐える…いろいろな表情に感動しました。正直可愛いと言うよりもカッコイイと感じていました。
 女性のいろいろな側面を見せてくれたとも言えますし、人間として社会と闘う姿を見せてくれたとも言えましょう。
 プロレスラー、グラビアアイドル(それも崖っぷちアイドル)、双方とも社会からの偏見にさらされますからね。
 偏見を持っている方々、彼女の闘う姿を観たことがない方々には、ぜひ実際の試合の映像に触れていただきたい。
 やっぱり高橋奈苗選手に勝った試合と…

 里村明衣子戦かなあ…

 対戦相手の両ベテランの素晴らしさももちろんですが、ゆずポンの気持ちの強さ、折れない心に感動ですよ。
 実力も人気も絶頂の今、潔い引退を決意した彼女には、なんか男が忘れてしまった武士の魂を見るようでもあります。
 本当にありがとうございました。そしてお疲れ様!幸せになってください。
 

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2013.04.28

逆・教育勅語

Img_6457 権回復記念日。その日に皇太子ご夫妻がオランダへ、そして安倍総理ご夫妻がロシアや中東へ。非常に大きな動きを感じる一日でした。
 これからの日本を象徴するかのように、河口湖畔から眺める富士山は実に堂々と、しかし穏やかでありました。
 主権回復について、私も複雑な感覚や考えを持ってます。沖縄の問題はもちろんとして、本当に主権を回復しているのかということに関してもですね。
 はたして私たちは戦前、戦中、そして戦後の客観的な検証と総括をしているのか。少なくとも私はまだできていませんね。最近ようやくその作業を始めたというのが正直なところです。
 それまでは、学校においても、また社会においても、そうした話には蓋をされて(墨を塗られて)きたような気がします。あるいはずいぶんと偏った考えを注入されてきたのかもしれません。
 私はそういう戦後の歴史に対して、誰かを恨むとか、何かを敵対視するというような姿勢は取りたくないと思っています。逆に、自分の問題として考えて行きたいのです。
 そんな私にとって、意識的に保守の方々の意見を聴くということは大切なことですね。私の半生において、それらは、それこそ意識的に遠ざけられてきたと感じるからです。
 私の世代はそういう空気を思い切り吸ってきた世代です。その反動もあるのかもしれませんね。
 保守の方々はどちらかというと、私よりもずっと熱心に「敵」を想定してお話することが多いので、ちょっと過激な感じがしないでもありません。しかし、バランスを取るためにはそのくらいしないとダメなんでしょうね。それはよく理解できます。
 今日紹介する倉山満さんや赤池誠章さんも「真正保守」を標榜する実に熱い人物です。私は彼らの言葉の中に、自分に欠落していたモノ、自分が知らなかったコトを多く見出します。
 もちろん私は私ですから、それらに全て賛成するわけではありませんが、もし、望むと望まざるを問わず私と同じような半生を送ってきた方々がいらっしゃったのなら、彼らの言葉にひと通り耳を傾けてほしいと思います。
 まず、分かりやすいところから、倉山満さんの「逆・教育勅語」から入っていただきましょうか。これは笑えるけれども笑えません。

 これを観て聴いて、倉山さんは戦前の教育に戻そうとしている、明治の教育を礼賛しているのかと思うと、それは間違いです。
 明治維新を起こし日清日露を勝ち抜いた人々は江戸の教育を受けている、昭和の愚かな戦争をしたのは明治の教育を受けた人たちだ、ということをしっかり述べています。
 それらも含め、大変示唆に富む倉山さんの講演および、(山梨が誇る大戸屋の話で始まる)山梨が誇る赤池誠章さんの講演もぜひお聴き下さい。栃木で開かれた「教育再生シンポジウム」での講演です。

 続きまして、お二人によるパネルディスカッションです。倉山さんのしゃべりというかレトリックは面白いけれども、ちょっとアイロニーが行き過ぎかなとも感じますね(笑)。それで損しているところもあるかも。

 山梨県の私立学校で教育に携わる者として、そしてそれ以前に一人の日本人として、また一人の地球人として、後半生は自ら考える姿勢を貫いていきたいと思っています。


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2013.04.27

『未来学原論-21世紀の地球との対話』 仲小路彰 (国書刊行会)

9784336053176 日も昭和の巨魁を紹介します。昨日の児玉誉士夫の記事にも登場した仲小路彰。児玉とは全く逆の生き方をした昭和の天才でした。日本に、世界に与えた影響は、もしかすると児玉誉士夫以上だったかもしれません。
 そして、今もまだその影響は続いている。いや、今こそ彼の思想、哲学は生かされねばならない。
 彼の無数の言葉たちは、21世紀のために遺されました。ある意味彼の予言のとおり、20世紀は終わり21世紀はやってきたのです。そして、彼はさらなる未来を詳細に記述している。それを今読まずしていつ読むのか。
 この「未来学原論」は、そうした未来志向の仲小路哲学の集大成のような著書です。その内容は、とても一人の人間が書いたとは思えないほど広く深い。私がここで彼の言葉を要約して提示することなどとてもできません。
 今日はあえてこの「未来学原論」からではなく、別の文章から彼の言葉を紹介しようと思います。
 実は今夜もまた仲小路彰の直弟子の方のお話をうかがう機会を得たのでした。お酒を飲みながら楽しくお話しました。
 また、お話だけでなくいろいろ貴重な資料をお借りすることができました。さらに仲小路彰が住み、思索や創作に没頭し、多くの歴史的人物が訪れたという場所にも案内していただきました。
 ちょっと変な言い方になりますが、今夜は仲小路彰さん御本人と一緒にいるような気がしたのです。
 私のような小人に彼の壮大な未来学の全てを理解することができるわけはありませんが、しかし、一方で私の霊性というか、直観のようなモノは明らかに仲小路彰のそれと共鳴していたのです。
 それが「一緒にいる」感覚なのだと思います。
 私というメディアを通して、仲小路彰が世に出そうとした言葉は、これです。世に出ていないある文書の中の一節。

「自らの意思とは、必ず内的綜合の力の発現を見る。綜合の力がないものは意思ではない。意思と総合力は不二一体であり、原因結果の一体であり、意思の原因があって後に、綜合の結果がある」

20101004100221 これは未来学の基礎的な考え方です。
 本当に不思議なのですが、私は彼のこうした思想を知る前(寸前)に、似たようなことを考え始めていました。そう、時間は未来から過去へと流れているという考え方ですね。
 実は今はあの記事に書いた内容とは少し違う発想をしているのですが、未来に原因があって現在に結果が現れるという基本の部分は変わりません。
 その後、仲小路彰の同様の発想に触れることになり、本当に驚きましたし、非常な勇気をいただく結果になりました。不思議なシンクロ。
 実は上記の抜粋文の周辺には「不二」という言葉も多数登場しており、最後には「神人不二」に至ります。私が9年前にこのブログを始めた時に、「不二」という言葉になぜかこだわった、その意味もなんとなくここへ来て分かってきたような気もします。
 やはり全ては未来のためのその時々の現在(今から見れば過去)であったということですね。
 仲小路彰の未来学を理解するには、彼のグローバリズム(世間で言われる狭義のそれではなく「地球主義」という球体的発想)に触れる必要があります。当然この未来学原論にはそれについても書かれています。
 この膨大で壮大な「未来学原論」も、仲小路彰の全体像からすると、本当にほんの一部に過ぎません。富士山の一隅を観察しているような感じです。
 千年に一人とも言える大天才が努力に努力を重ねて到達した境地に、私たち凡夫が近づくことは非常に難しい。しかし、多数の人の「意思」が対話を重ねれば、結果として「綜合」され、私たちと仲小路彰が「不二一体」になるのではないでしょうか。
 そういう意味で、この本は仲小路彰の思想哲学の良き入り口となると思います。
 ぜひ皆さんも、地球の未来のため、すなわち自分の未来のために、彼の遺した言葉を学んでみませんか。
 手にして、目にしてみれば分かります。現代の未来のバイブルを手に入れることができるのですから、この金額は決して高くありません。

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2013.04.26

『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』 有馬哲夫 (文春新書)

204213_01_1_2l 日のバタヤンに続き「昭和ノスタルジー」。
 非常に面白かった。ドキドキワクワク読んでしまった。
 面白いですね。まるで任侠映画を見たあとのように、なんだか自分が黒幕になったような気分になってしまって、職員室で中学生相手にとある「裏取引」を要求してしまった(笑)。
 まあ、相手の中3女子は「えっ?そんなの関係ねえの人?」って言ってましたが。そりゃ小島よしおだろ!というオチでしたが(笑)。
 なぜ今、児玉誉士夫の本を読んだのか。それはやはり彼が今の日本に足りないモノを持っているからです。
 詳細はこの本を読んでいただくとして、とにかくスケールのでかい「任侠道」がそこにあるんですよね。
 弱き日本を助け、強きアメリカを挫く。
 強大なアメリカという国家を翻弄し続けた男。
 ロッキード事件で彼の名前を知ったのは、私が小学校6年生の時でした。当然当時の私は、小佐野賢治の「記憶にございません」をギャグで使ったり、ピーナッツがどうのこうのとか、友人の「こうちゃん」をコーチャン氏にひっかけたり、そんな程度の認識しかありませんでしたから、児玉誉士夫についても、なんだか悪そうなオヤジだな、金の亡者とはこういうヤツのことかと思ったくらいでした。
 そして、もうすぐ生まれて半世紀になろうかという今、期せずして政治の世界に裏側から関わるようになって(?)、突然彼のことを思い出して俄然興味が湧いてきたのです。不思議と言えば不思議。
 私の住み着いた山梨という土地が特別なのかもしれませんね。なんか地霊みたいなモノがあって(いて)、私を導いているようにも感じる。
 小佐野賢治は山梨の人ですよね。いかにも甲州商人という人物。彼についてはまたいつか書きますけれども、実は児玉誉士夫も山梨と関係しているんですよね。私はそのことをこの本を読む前にたまたまある方から教えていただきました。
 児玉誉士夫はあの塩山の奥の乙女高原(学生時代によく行きましたっけ)の鉱山の権利を持っていた時期があるんです。あそこで水晶やらタングステンやらを掘っていた。
 そう、今でこそレアメタルという言葉が流行っていますが、児玉誉士夫は戦前からすでにレアメタルに手を出している。すごい先見性を持っていますね。
 私はここで大久保長安を思い出しました。こちらで少し紹介した、甲斐の国、いや日本を裏で動かした謎の人物です。
 なんとなく末期(まつご)も含めて大久保長安と児玉誉士夫を似ているような気がします。いずれもとんでもない大金を動かし、また政治を動かしましたが、その裏に個人を超えた大義を感じるんですよね。
 児玉誉士夫が生涯に動かした金は一国の国家予算に匹敵するような額かもしれません。しかし考えてみればそんな金、個人で使いようがない。結局、大義のために特定の人物や団体にそれを流していたわけですよね。
 その大義とは、失われた日本を取り戻すこと。自主防衛のための再軍備。
 なんなとく最近よく聞く言葉ですね。著者の有馬さんは、児玉誉士夫と伍す昭和の「政治プロデューサー」は、安倍晋三さんのおじいさん岸信介しかいないと書いています。
 そして私が最近深く関わるようになった昭和の天才仲小路彰。
 なるほどそうした昭和の亡霊(という表現が適切かどうかは別として)たちが、平成の私たちを内側から突き動かしているのかもしれません。
 現代の「フィクサー」「黒幕」「政治プロデューサー」はいるのか。いるとしたらそれは誰なのか。
 それは私です…というのは冗談として(笑)、私はもしかするとその人を知っているかもしれません。

Amazon 児玉誉士夫 巨魁の昭和史

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2013.04.25

追悼 田端義夫

21198331 タヤン逝く…94歳。90歳を超えて現役だった彼こそがイケメンだった。
 田端義夫さんが生まれたのが大正8年。1919年。歴史で習う年号です。ヴェルサイユ条約調印、ワイマール憲法成立。
 大正、昭和、平成を歌とギターとともに生きたバタヤン。誰にも真似のできない唯一無二の境地に至っていた方でした。
 弦楽器弾きとしては、彼の歌はもちろんギターの演奏に、まさに心震わせたものです。なんでこんなに心に訴えかけてくるんだろう。
 Charさんだったかなあ、誰かが言ってたよなあ。田端義夫さんはすごい!って。ギター弾き語りの元祖だって。
 田端さん自身、ディックミネさんに憧れて始めたと言っていますから、その歴史的事実は違うとしても、やはりそのスタイルを70年以上貫いたのだから、元祖でも本家でも神でもいいと思います。
 ああやって、ギターを歌の旋律に合わせて(沿わせて)爪弾くのは、明らかに純邦楽の伝統であります。長唄、端唄、小唄の三味線。
 コードを弾くのではなく、ギターも一緒に唄わせたり、泣かせたりするんです。それこそが日本の音楽における「伴奏」「弾き語り」の伝統です。
 あの構え方も瞽女を思い浮かべさせますよね。
 あのギターに対する愛情も尋常ではなかった。物に対する愛着というのも、私たちが忘れてしまった大切なことなのではないでしょうか。特に音楽家にとっての楽器の存在。モノの音を招くコト(琴)の存在。
 今日はいくつの動画を拝見拝聴しながら、バタヤンの功績を偲び、ご冥福をお祈りしたいと思います。

「かえり船」

語り「ブラジル公演の思い出」

「赤とんぼ」


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2013.04.24

「イケメン」についての考察

20130425_85745 「ケメン過ぎて国外退去」というニュースが(笑)。
 なるほどムスリムならあり得る話ですね。古今東西を問わずイケメンは罪なものです。
 罪なものだからか、こうして罰も被ります。
 私もイケメンですからけっこう大変です…なんていうありがちな冗談はやめておいて(笑)、まじめにイケメンについて考えてみます。
 まず語誌的な考察から。
 イケメンとは、一般的に「イケてる面」と「イケてるmen」の掛詞だと解釈されています。おそらくそれで間違いないでしょう。
 wikiによれば、「egg」1999年1月号で編集者の矢野智子が「イケてるメンズ」の略として使用したのが最初となっていますが、のちに対義語である「ブサメン」が登場したあたりから、「面」という字も当てられるようになったと考えられます。
 かと言って、女子には使われませんから、やはり「men」の意味が強固に内在していることが分かります.
 最近では中間体である「フツメン」というのもありますね。二元的には分類しがたいのが、人間の美意識の難しいところです。
 さらに最近では「キモメン」とかいうのもあります。それはどうも「ブサメン」よりも情緒的な判断価値基準が働いているようですね。そういう意味では「ブサメン」よりも厳しい言葉のような気がします。
 さらには同じ「イケメン」という発音でも「逝け面」という漢字が当てられるネット・スラングもあるようで、ますます状況は混沌としてきております。
 はたして自分はこの4(5)分類のどこに当てはまるか…気になるところではありますが。
 まあ、このように混沌としてくるということは、やはり「イケメン」と一言でくくって賛美するには躊躇されるくらい、人間の総体的な評価というのは難しいということなのですね。
 たとえば、「面」が意識される一方で、逆に「顔だけじゃダメ」というカウンター意識も生まれてくる。
 実際の「イケ面」に話を聞くと、第一印象のハードルが高すぎて、ものすごく大変だとのこと。つまり、内面の「フツmen」「ブサmen」ぶりと、外見の「イケ面」ぶりとのギャップに悩む不幸な「イケメン」が多いということですね。
 ギャップ萌えというのがありますが、当然その逆であるギャップ萎えというのもあるわけでして、もしかすると冒頭のアラブ系イケメンも、写真ではたしかにイケメンではあるけれども、人間性や行動の癖においては「ブサメン」かもしれないし、ファッションセンスがダメダメかもしれないし(あっ、でもこのイケメンはファッション写真家だからそれはないか)、もしかすると足がものすごく臭いかもしれないし、もっとリアルに言うとアソコが…いや、それはやめとこう。
 そういう意味では、じわじわと人間性等で勝負できる「フツメン」や「ブサメン」の方が幸せかもしれませんね。よかった〜(笑)。
 もちろん、イケメンのくせにダメダメなところが萌えというケースもある(たとえばあの人とか)ので、一概には言えませんけどね。
 そうそう、「性格がイケメン」という言い方も聞きますよね。これはうれしいような、ある意味哀しいような(笑)。
 ところで、「イケてる」という言葉ですが、これは不思議な言葉ですね。「イケてる」自体は1998年の流行語です。
 これって、文法的には「行く」の可能動詞「行ける」+存続の「ている」の省略形「てる」ですよね。
 「いける」は当然「can go」の意味そのものではなく、「なかなか良い」という意味です。おいしいとか、上手だとか、そういう意味で江戸時代からすでに使われています。お酒がいける口なんていうのもありますね。
 ちなみに18世紀末の雑俳に「かた思ひそのくせいけるつらでなし」というのがあります。これなんか、「イケる面」ということですから「イケメン」のはしりと言えそうですね。
 その「イケる」に「てる」がつくとどういうニュアンスになるのか。これは難しいが面白い。
 基本的に「存続」ですから、現在進行形な感じがして勢いが感じられますね。「持ってる」とか「盛ってる」なんていうのも、そういうリアルな勢いを感じる。
 省略されて「イケメン」となると、そのせっかくつけた「てる」が表面上は消えてしまうわけですが、しかし、我々の意識の中にはちゃんとその勢いが生きているから、これは実に面白い現象ですね。
 はたしてこの比較的新しい四拍略語、いつまでその命脈を保つのか。10年後くらいに「死語」の認定を受けているのか。
 だいたいですね、「イケメン」の基準が変わりますからね。光源氏や光GENJIが現代において「イケメン」であるかは微妙です(笑)。上掲のオマールさんもまた。
 

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2013.04.23

『国語が子どもをダメにする』 福嶋隆史 (中公新書)

20130424_84921 長先生が貸してくれました。「先生と同じこと言ってるよ」と。
 たしかにあまりに言っている(怒っている?)内容が同じなので、まるで自分が書いたのかと錯覚を起こしてしまいました(笑)。
 国語が道徳になっている。論理的思考力よりも豊かな感性を重視している。古き良き日本を継承する場になっている。センター試験では小説は出すな。出すならせめて短編を全編出せ。センター国語は情報処理。インプットよりアウトプットを。鑑賞と創作に関しては芸術科目「文学」として独立させよ。
 こんなことをこのブログでは散々書いてきました。やはり私の「国語」観のベースが、理系的発想と直接お世話になった大村はま先生と出口汪先生にあるからでしょうね(あるいは反向山洋一も?w)。
 実際に各種の研修で上記のようなことを吠えたり、大学入試センターに物申したり、いろいろやってきましたが、なかなかまとめる機会がなかったんですよね。そうしたら全く同じような内容で福嶋さんが書いてくれた。ラッキーでした。
 私と福嶋さんの共通点をあえて探すと石原千秋さんの本を読んでいるということでしょうか。
 そう、この石原さんの本の紹介記事にも妙なコメントがついてるじゃないですか(笑)。私はそんなに全然気にしない、どころか、それをまたネタにさせてもらう(授業で使わせてもらう)ような人間です。
 でも、こうして福嶋さんが矢面に立ってくれるのは、正直助かりますしうれしいところです。ありがとうございました。
 私は、私の現場においては、基本私の理念理想を貫いています。国語の裏のメイン教材は出口先生の「論理エンジン」ですしね。中学3年間でOS5までひと通り終わらせています。
 ふくしま式と出口先生の論理エンジンが似ているのは、ある意味当然でありましょう。
 福嶋さんの「言いかえる」は出口さんの「イコールの関係」、「くらべる」は「対立関係」、「たどる」は「因果関係」ですよね。
 なぜなら、これらは世界共通語たる「論理」の王道だからです。それを日本の学校では誰も教えて来なかった。
 もちろん、豊かな感性は大切です。たしかに日本語は情緒豊かな言語です。しかし、それだけではダメなのです。何事もバランスが大事。
 だから、私が文科大臣になったら、国語とは別に、音楽や美術ととにも「文学」という教科を作るんです。
 国語は「日本語」にすべき…いや、「国語」でもいいか。その代わり日本史も「国史」にすべきでしょう。
 「文学」の教員免許も新設しなければ。面白そうですよね、それはそれで。
 最近では、私は「なぜ戦後国語教育がこんなことになってしまったのか」の方に興味があります。前にも書きましたが、これって決してGHQのせいじゃないんですよね。
 アメリカはどちらかと言うと欧米式、すなわち「言語」教育に振りたかった。実際一時期「国語」は「言語」と「文学」に分かれました。しかし、保守的な国語教育界が、結局「文学(道徳)」の方に戻してしまった。
 実はここにこそ、日本人的な「国語観」が表れているとも言えます。誰が悪いというわけではない…。怒りの矛先を向ける「敵」がいないというのが実情なのです。
 そういう意味では、この本での福嶋さんの口調はちょっと「怒りすぎ」かなあ。せっかく正しいこと書いてるんだから、もう少し冷静でも良かったかと。前書き、後書きだけでも、相当喧嘩売ってますよね。
 媒体に合った日本語を使うのも一つの「論理的思考力」かもしれないなあ、なんてなんとなく思ってしまったのでした。
 …と、全然論理的でない文章を書いてしまいましたが、ま、これはブログだからいいことにしよう(苦笑)。
 さあ、明日は全国学力・学習状況調査です。どんな国語の問題が出題されることやら。

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2013.04.22

SEIMITSU COMA (由紀精密)

Img_6414 て、これはなんでしょう?
 答えは「コマ」です。漢字で書くと「独楽」。
 この小さなコマは由紀精密さんという中小企業の製品。テレビでも紹介されていた全日本製造業コマ大戦の第1回大会で優勝した会社ですね。航空機や人工衛星の精密部品の製造も手がけている「町工場」。
 ウチの学校の技術の先生が、その会社で作っているコマをぜひほしいというので注文してみました。
 それが今日届きまして、さあ男どもみんなでコマ回し大会です。
 みんな少年のように一生懸命回している。いいですね〜。全日本製造業コマ大戦もこういうノリなんですよね。「大のおとなが小さなコマに…」。
 しっかし美しいですなあ…フォルム、微妙な重量感、軸をつまんだ時の質感、そして立ち姿…いや、回り姿と言うべきなんでしょうけれど、あの、回転が安定してきて軸が垂直に立った時の、あれはですね、まるで高僧の座相のように美しく立っている。
Img_0043510x340 優れた座相が座っているのに間違いなく立っているのと同じく、このコマは回っているのに間違いなく立っている。回転しているに静止している。
 萌えますねえ、この精密加工技術。職人魂。そしてモノの佇まい。
 コトを窮めるとモノに至るとは、まさにこれでしょう。動物や植物が、そしてアスリートが、また優れた道具がどんどん美しくなっていくのは、結局のところ高僧と同じく、己を空しうしていくからでしょう。
 つくづく日本人だなあと思います。中小企業さんに残るこうした職人魂こそが、実は自然に回帰していく優れた他者性を具現化するんですよね。
 それに比べて最近の大企業の製品たるや…。その点、Appleなんか、さすが高僧スティーブ・ジョブズの息がかかっているだけのことはある(これからはどうなるか分かりませんが)。
 このコマ、回さずともそこに置いておくだけで何か大切なモノを私たちに伝えてくれます。一つ840円。たった840円ではありますが、まるで宝石のような美しさがあります(少なくとも男にとっては)。
 皆さんもぜひ、ご家族で、仲間で、美しいコマ回しに挑戦してみてください。この小さな(直径1センチ)のコマが、なんと3分も回るのです…実際3分回すのは大変難しいので、そこがまた萌える、いや燃えるんですよ。ある種の不動心を要求されるんですから。まさに禅ですな。

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由紀精密公式


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2013.04.21

演奏会案内…ヴィオラ・ダモーレ弾きます!

 起きたら我が家の周りはすっかり銀世界。タイヤ交換してなくてよかった。
 そんな季節外れの雪を積んだまま東京へ。6月1日の演奏会の初練習です。
 いつも我が校の遠足&芸術鑑賞を兼ねて行う横浜での演奏会です。チラシをご覧ください。

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 詳細はこちらをご覧ください。
 今回はなかなかゴージャスなコンチェルトが並んでいますねえ。その中で、私がヴィオラ・ダモーレのソロを担当しますのがテレマンの三重協奏曲であります。
 これはテレマンの膨大な作品の中でもかなりユニークかつ気合の入った名曲です。
 なにしろソロ楽器の組み合わせが珍しい。ヴィオラ・ダモーレ、オーボエ・ダモーレ、そしてフラウト・トラヴェルソです。
Damores ダモーレが二つというのはすごい。アモーレ(愛)が二つですよ。今日は記念にオーボエ・ダモーレの大山有里子さんと一緒に記念撮影をいたしました。
 けっこう珍しい光景なんですよ、これ。
 ただですねえ、大山さんのダモーレは本物の「愛」ですが、私のは「偽愛」です(笑)。
 ええと、これは中国製でして、驚くほど安いシロモノです。普通に製作家に作ってもらったら、まあ200万円くらいでしょうかね。とてもそんなお金はないし、あまり使う機会がないし、今回はオファーをいただいたけれどもどうしようかなあと思って、知り合いのバイヤーさんに相談したら、ありますよ!と。
 それも普通の楽器が50台以上買えるお値段で(笑)。まさか?と思い、弦の数を確認したら、ちゃんと演奏弦7弦、共鳴弦7弦あるとのこと。
 もうそれだったら、どんなのでもいいやと。なんちゃってでもなんでも、形さえちゃんとしてれば、あとは得意の改造でなんとかする…いかにも、ハッタリ、チャッカリの私らしいノリですね(笑)。
 で、到着した楽器がこれだったと。ああ、最近よく海外のオークションに出てる怪しい楽器だ。
 一見ダモーレっぽいけれど、サイズはヴィオラというよりヴァイオリンだし、裏板が平らなはずが、しっかり船底になってるし、指板の形も変。そしてなんと言ってもテールピースの安易な「ハート」型の穴(笑)。ダモーレだからって…その安直さはさすがシナ(失礼)。
 20年くらい前になるでしょうかね。実は私、この曲でダモーレを弾いたことがあるんです。北とぴあの国際音楽祭の祝祭オケでソロを弾きました。
 その時は、知り合いから本物(と言ってももちろんコピーですが)をお借りして弾いたんです。だから、いちおう本物の「愛のヴィオラ」がどんなものか体で知っている。
 そこで、さっそく改造を始めました。まあ、弦をガットにするなんてのは当たり前。一番困ったのは共鳴弦でした。まあ、いい加減なもので、全部同じ太さの金属弦が張ってある。ダモーレ専用の共鳴弦は入手するのも困難なので、代用品としてマンドリンやマンドラの安い金属弦を購入して適当(適切)に張り替えました。
 駒を削ったり、ニスを塗ったり、いろいろ手を加えて、なんとかそれらしい、ある意味過度にそれらしい音がする楽器となりまして、今日を迎えたということであります。
 まあ、皆さんホンモノのヴィオラ・ダモーレの音を生で聞かれたことがないでしょうから、なんとなく「うわ〜!」という感じで驚いてくださりましたので、ちょっと安心(いいのか?)。
 あっそうそう、実は一番大変だったのは調弦法です。今回そこんとこはけっこうちゃんと研究しました。
 なにしろ、この曲のオリジナル譜はですね、ホ長調の曲なのにヴィオラ・ダモーレのパートはヘ長調の、それもフレンチクレフ(ト音記号が一般のものより三度下にある)で書いてあるんですよ!

20130422_112717

 いったいそれはどういう意味なのか…いろいろと推測しましてなんとか「正解」にたどり着きました(たぶん)。ちなみに20年前の私の調弦は間違ってました。あの頃はインターネットもなかったので、本当に自己流でやるしかなかったのです。
 ただ調弦法が分かってもオリジナルの楽譜では弾けないので、ビーバーのこちらの楽譜のスタイルに則って書き直しました。一般の方にはこっちの方が訳わからんでしょうけど、私にはこっちの方がずっと弾きやすい(いわばタブ譜なのです)。

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 というわけで、この世にも珍しい楽器の音をお聞きになりたい方はぜひコンサートにおいでください。
 いや、私なんかより、プロ中のプロの皆さんの素晴らしい演奏が聴けますからね。私のはオマケということで。

アンサンブル山手バロッコ公式<


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2013.04.20

『決定版 日本史』 渡部昇一 (育鵬社)

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 いぶ前に楽天で電子書籍版を購入しkobo Touchで読み始めたんですが、なんだかフリーズしたりするようになってイライラして放置していたんです。ベージがめくれないとか、まるでペーパーナイフを必要とする昔の本みたい(笑)。
 で、しばらく忘れていたら、昨日iOS用のkoboアプリが出まして、それで一気に読了いたしました。
 いや、タイミングが良かったんですよ。これもまた必然だったのか、今日読んだからいろいろよく分かった。フリーズしたのも日本の神様の仕業かもしれない!w
 う〜ん、なるほどねえ。安倍総理が脱却しようとしている「戦後レジーム」とはなんなのか、よく分かりますね。
 私は単純な保守派ではないので、こうした「日本史」を全て鵜呑みにしている人間ではありませんし、なんでもGHQやコミンテルン(やイルミナティー)のせいにするような陰謀論に与する人間でもないし、だいいち「自分流日本史」あるいは「別潮流日本史」を勝手に編纂している人間なので、この本もまたあくまで一つの視点として読んでいるつもりです。
 ただ、比較するならば、やはり現行教科書の日本史よりはずっと「事実」に近いという感じがします。
 渡部さんも竹田さんと同様に神話から建国の歴史を語り始めていますが、まあそこのところは、私はいわゆる事実の記述としての歴史とは峻別するべきだと思います。つまり、その神話は時の政権が創作した「歴史」であるわけです。
 そこのところは置いておくとして、やはり大東亜戦争(太平洋戦争?)を中心とする戦前、戦中、戦後史の部分は面白いですね。渡部さんの筆力もそのあたりでは極端に高まっていて、一種の迫力を感じます。
 最近、続刊とも言える「歴史の真実から甦える日本」も発行されました。こちらも読んでみたいと思います。安倍政権になって渡部先生、より気合が入っているのではないでしょうか。
 しかし、私としては一方で物足りなさも感じますし、ここで満足できない部分もあります。それは最近、とんでもない「別潮流日本史」に触れているからです。
 そう、最近何度も何度も登場しますが、今、あの仲小路彰の「歴史」を読んでいるのです。実際のところ、私が読んでいる彼の本は現在ほとんど入手できませんから、ある意味本当の日本の歴史を知りつつあるのは、この世界で私だけかもしれない…なんていう妄想が起こるほどに画期的な歴史解釈なんですよね。
 そこからすると、正直こうした「決定版」さえも、なんとなく薄っぺらいものに感じてしまう。
 違う言い方をすれば、そろそろ保守だ革新だ、右だ左だという二元論的なイデオロギー(ごっこ)から脱却すべきだと思うんですよね。そう、実はそれこそが「戦後レジーム」であって、それこそGHQやコミンテルンの思うつぼ状態(あるいは彼らの想定以上に勝手に我々がゲームにはまってしまっている?)なのではないか。
 そんなことさえ感じるほどに、仲小路彰の語る「歴史」はあまりに豊かなものなのです。
 生前、彼のもとに集まった人たちは、完全にイデオロギーの垣根を越えていました。右も左も超大物ばかり。
 そして、仲小路彰は彼をもとめてやってきた人たち全てと面会したわけではありません。何度願っても、いくら金を積んでも絶対に会ってもらえない人もたくさんいました。それも超大物、名前は挙げられませんが、この「渡部版 日本史」にも登場してくる人たちです。
 その選択の正しさもまた、この本を読んで確認できた次第です。
 歴史に記述された人物には、正直人間性は表れません。本当の歴史はその人間性が作るものなのでしょう。そういう意味で、仲小路彰はその歴史的人物たちの人間性(魂のレベル)を見抜く力に優れていたようです。

Amazon 決定版 日本史

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2013.04.19

「布施」とは…

Imgres 、「布施のダンナは…」なんて言いますと、布施さんという男の人自身を指すか、布施さんという女性のご主人を指しますでしょうか。
 語源的に言うと実は「布施はダンナ」なんですよね。ダンナは漢字で書くと「檀那・旦那」。つまり「布施=檀那」なんです。ご存知でしたか?
 布施とは梵語の「dāna」の漢訳、檀那とは「dāna」の音訳なのです。だからイコール。同じ意味です。
 では、「dāna」とはどういう意味かと言いますと、これは英語の「donation」を思い出せば良い。英語は印欧語族ですからね。サンスクリット語がラテン語を経て英語に至ったと。
 そう、donationって「寄付」という意味じゃないですか。ここで、「dāna」=「檀那」=「布施」=「donation」=「寄付」という等式が頭のなかで完成しますよね(ドナー=ダンナもか)。
 お釈迦様の教えに六波羅蜜(ろくはらみつ)というのがあります。悟りを目指して修行中の菩薩がやらねばならない六つのことです。
 その第一に挙げられているのが「布施」ということになります。寄付するんですね。今、寄付というとお金を想像してしまいますが、お金がなくても大丈夫。物でもいいし、心でもいいし、教えでもいい。とにかく誰かのために何かを見返りを期待せず与えればいいのです。それが「布施=檀那」。
 私たちはある意味みんな菩薩です。ブッダを目指しての修行者であると言ってもいい。
 ただ私たちは自分が修行者であることを忘れてしまっているのです。たとえば、布施一つとってもですね、慈善の心を起こさずとも、本来はみんな布施しなくてはならないのです。
 なぜなら、私たちは他者からいつも布施してもらっているからです。分かりやすいところでは、太陽からほとんど無限のエネルギーを注いでもらっているではないですか。無償の愛ですよね。
 そうした自然界は言うまでもなく、親からも子供からも猫からも車からも、私たちはずいぶんといろいろよくしてもらっています。
 だから、経済の論理からしても、ちゃんとお返ししなければいけないはずなのです。もらいっぱなしじゃずるい。罪です。
Images 一方でこういう言い方もできます。私たちも実は意識せずともちゃんと誰かに布施していると。猫が私たちを癒そうなどとは思っていないけれども癒してしまっているように(笑)。
 しかし、私たちは人間です。おそらくは猫よりも賢いし魂のレベルが高い(…怪しいですけどね)はずなので、やっぱりちゃんと意識しなければならない。
 まあ、布施だ檀那だという言葉があること自体、我々が意識しなければ施せない存在であるとも言えますが…。
 とにかく、そうやってお世話になっている、おかげさまで生きていることを意識してですね、その分、それをその相手でなくても(たとえば太陽のために何かするのは難しいですよね)、誰かにお返ししなければならないわけです。
 この世は「金は天下の回りもの」ならぬ「恩と布施は天下の回りもの」なのであります。
 もう一つ言っておきたいことがあります。これもいつか書いたような気がしますが、「人には世話になった方がよい」。これは究極の真理です。
 なんでも自分でできる、自立している、自活している、人の世話にならない、という人にロクな人はいない。いや、どうせなら「人に迷惑をかける」くらいの方がいい。
 なぜなら、人の恩、人のありがたさを意識できるからです。意識できれば布施として誰かにお返しができます。気がつかなければ、それもできようがありません。
 そして、面白いことに、「世話のやける人」「人に迷惑をかける人」というのは、実はその時点ですでに人のために布施していることすらある。
 どういうことかというと、世話をする人、尻拭いをする人も、案外いい気分になっているものだからです。「まったくぅ…」とか言いながら、けっこう自己満足している。お礼を言われたり、大変だねと労われたり、偉いねとほめられたり、それが生きがいになっている人さえいますよね。
 ダメ人間ほど悟りに近いということです(笑)。いや(笑)じゃなくて、けっこう本気で私はそう思っていますし、そう思うことによって自己肯定しているのであります。
 というわけで、私は今日もまたコツコツと布施をして生きているのであった…。
 それにしても「布施」っていう苗字はいいですね。うらやましい…いや、オレも立派なダンナか(笑)。

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2013.04.18

『放射線ってなあに?』 (Science Window 科学技術振興機構)

329631 日のラドンも放射性物質の一つですね。ウラン→トロン→ラジウム→ラドンです。
 山梨県には、トロン温泉、ラジウム温泉、ラドン温泉と全部ありますから、地下にはウランが大量にあるのでしょう。ま、これ一つとっても、単純に放射性物質が体に悪いというのは間違いだと分かりますね。
 知識がないまま、全部一緒くたにしてしまうのは恥ずかしい行為です。しかし、かの原発事故以来、なんでもかんでも「放射能は怖い」「原発反対」という考えが、ずいぶんと広がりました(特に主婦とかに)。
 そう、だいたいそういう人たちは「放射能」と「放射線」の違いもよく分かっていなかったりする(私も以前はそうでしたが)。
 福島など直接的、実際的に被害を受けた方々はもちろ別としてですね、地球誕生以来ずっとずっと付き合ってきた、そしてずいぶんと恩恵にもあずかってきた放射線に対して、急に反旗を翻すその他大勢の人間ってずいぶん身勝手だと感じましたね。
 さて、今日はX線による胸部検査がありまして、服を着替えている間に担当の放射線技師さんとお話しました。
 原発事故以来、放射線というとなんでも危険というイメージができてしまい何とも仕事がしにくいとのお話でした。
 加えて我が山梨県で問題となった、あの甲府の病院の放射性検査薬の過剰投与。あれによっても大きなダメージを受けているようでした。
 先日おいでになった物理学者さんも、原発事故後はなんでも原子力というと「反対!」と言われるようになってしまったと嘆かれておりました。
 正しい知識がないままに、ただ反対、排除、反省というのは、ある意味では逃避に過ぎません。もちろん、検証がある程度できるまで自重するということは必要でしょうけれども、もう全てを無に帰してしまおうというのは暴力的に感じますね。
 そんなことを思っていたら、ちょうどこの本が届きました。以前紹介したサイエンスウィンドウ(Science Window)、つまり科学技術振興機構の編集による子どもに対する啓蒙本です。
 タイミングが良かったということもありますね。それに子ども(小中学生)向けということもあって、非常に楽しく勉強させていただきました。
 さっきはなんだか偉そうなことを言ってましたが、正直知らないこと満載でした。子ども向けでもこれだけ知らないことばかりなのですから、この世界の深さというか、重要さに比して、やはり教育が不足しているなと感じました。
 実際、学校の先生、理科の先生でさえ、ここまでの知識はないでしょうね。
 昨日、また仲小路彰のお弟子さんのお宅でいろいろとお話しました。仲小路彰は、東大哲学科の出ですが、なにしろ天才すぎてですね、在学中教授たち(和辻哲郎ら)に、お前には教えることが何もないと言われ、東大に籍を置いたまま物理学校に通っていたそうです。そして、5ヶ月で当時の最先端の物理学(つまり相対性理論)までマスターしてしまった。
 彼は原爆の悲劇を乗り越えるのが人類の義務であると考えました。どう乗り越えるかというと、原子力の平和利用です。それも核融合。太陽の原理です。それを戦後すぐに言っている。
 原爆にさえ、神の愛を感じなければならないと書いているんです。21世紀は我々の科学技術と魂のレベルを上げて、原子力世紀としなければならないと。ここには明らかに私たち庶民とは違う視点があります。もちろん単なる原発推進派とも違います。
 この本で言えば、長崎の赤十字血液センター所長の関根一郎さんの言葉が心に残りました。被爆を経ての放射腺研究。そして、「自分で考える」「証拠」「記録」という科学的姿勢。
 放射線は目に見えません。臭いも味もありません。発見されたのは人類の歴史上ではつい最近のことです。それまで「なかった」モノが「認識できる」コトになった。いや、頭では認識できるけれども、その姿が見えないだけに「モノノケ」が登場したとも言えますね。完全にコントロールできていないし、それ以前に知識も不確かだから「コト」ではないな。
 そうした「モノノケ」を排除しようとするのは、近代西洋の論理です。日本古来の思想は違ったはずです。
 「荒魂」を「和魂」に。
 放射線ももちろん「自然」の一部です。自然には「荒」「和」の両面があって当然です。
 私たち人間は、そうした自然を征服的に支配下に収めるのではなく、その力を使わせていただく、力の方向、流れを整えていく、すなわち自然の力を「コト向け」ていく必要があるのです。
 そのための第一歩が「知る」ということです。自他一体、不二の境地に至るということなのです。
 そのまた第一歩として、この本はとても有用でありました。皆さんもぜひお読み下さい…って、公式ページのどこから手に入れればいいのかなあ。
 こういういい本はAmazonなどで売ってもらいたいですね。

Science Window公式

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2013.04.17

小型ラドン濃度測定器 RGD-PS3

 日は三宅島近海で地震が相次ぎました。また、石垣島近海や宮城県沖でも中規模の地震があり、先日の淡路島の地震も含めて、なんとなく日本列島が騒がしくなっている感じがします。
 皆さんもご存知のとおり、私は富士山北麓において空気中のラドン濃度を測定しています。
 まったくの仮説ですが、富士山という特別な場所が全国の地震の前兆を捉えているのではないかと考えているからです。その仮説については、こちらに少し詳しく書いてあります。
 ちなみに今日の数値は10ベクレル毎立方メートル(近々一週間の平均値)。私は経験上平常値を13〜22と設定しているので、感覚としては久しぶりに「低すぎるな」という感じです。
 この低さは、直近のラドン濃度の山の頂上(4/10の26)との落差(標高差)が16あることを示しているとも言えます。
 最近のラドン濃度の変化と地震の発生状況のグラフを示してみましょう(18日朝までの分)。

20130418_93858

 私の仮説は、山の登り口から2〜3週間後に地震が発生する傾向があるというものです。今回で言えば登山口は4/3になりますので、今日17日はちょうど2週間後になります。
 山の形状からしてまだ後発はありそうだというのが私の判断です。今回は山の前に比較的平坦な静穏期間が長かったため、ちょっと溜め込んでいるなというのが直感的印象です(全く科学的ではありませんが)。
 ちなみに私が計測を始めた2011年11月からの最高値は38、最低値は8、最大落差(標高差)は25です。
 前にも書いたように、2011.3.11の余震は基本的には収束傾向にあります。一方で、私が予想する巨大地震の最大余震たるM8クラスの房総沖の地震は発生していません。
 今日の三宅島近海の地震は房総沖と言い換えることもできます。今後ともこのあたりの動きには注目していきたいと思っています。
 ところで富士山ですが、いろいろと世間では心配を煽るような報道がなされていますけれども、私の観測&感覚では静穏な状況が続いています。
Rgdps3 ああそうだ、今日はラドン濃度測定器をおススメしようと思ったんだ。
 私が使っているはこれです。アメリカ製の比較的安価かつ信頼性のある製品。
 皆さんもご自宅でラドン濃度を測定されてみてはどうですか?地震予知どうのこうのではなく、目に見えない自然の動きを感じることができますよ。
 決して安い買い物ではありませんが(使用期間も基本2年)。
 
[RGD-PS3]ラドンガス測定器【送料無料 レビューでQuoカードget! 4/30迄】[RGD-PS3] ラドン...

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2013.04.16

スマートチャージャー ソーラー 6000mAh

Solar Power Bank MP-S6000
41srrbeqxl_sl500_aa300_ 「物買いの銭失い」とよく言われますが、アヤシい安物を見つけて購入し、使い方を工夫したり改造したりするのが、私の趣味のようです(笑)。
 「塵も積もれば山となる」で、ウチの地下室や私の書斎兼寝室には、ガラクタの山脈ができております。
 今日またその塵の一つが到着しました。いや、とりあえず今のところ使えていますし、けっこう重宝しそうです(故障しなければ)。
 送料無料で2460円ですから、ソーラー付きバッテリー6000mAhとしては大変安いでしょう。そして、案外デザインがよろしい。
 簡単に言えばiPhone5の補助バッテリーということですね。これがあれば数値上ではiPhone5を4回フル充電できることになります(実際はそこまでは無理としても、とりあえず1回分には余裕があるはず)。
 もちろんその他のUSB充電機器にも使えますので常に携帯しておけばなんとなく心理的に安心でしょうね。
 Amazonほかのレビューでは不良品とか説明書が不親切とかさんざん書かれていますが、結論から言えば日本語のマニュアルに不備があって、それを信用すると機器に充電できないということになります。
 つまり下部のオレンジ色のボタンの使い方が書いてないんですよね。ちょっと試したらどうも次のような感じです。

 クリックすると本体の充電率がLEDによって表示されます。
 機器を接続して長押しすると機器への充電が始まります。

 基本これさえ分かっていれば使用に問題ないでしょう。
 いろいろな変換プラグがついていますけれども、残念ながらiPhone5のライトニングはありませんでした。しかし、手持ちのケーブルをつないだところ、ちゃんとiPhone5も充電されました。
 出力は5V・2100mAが2系統ということで、たとえばiPhoneを2台同時に充電することも可能でした。
 なおご想像どおりソーラーはほとんど飾りです。おそらく丸一日ひなたに置いておいても少ししか充電されないでしょう。しかし、本当の緊急時にはそれなりに有用になる可能性はあります。ま、自然放電の分くらいは充電できそうですので、机の上など電灯の下に転がしておくだけでも意味があるかもしれません。
 大きさはちょっと大きめのスマホという感じ。重さは180グラムですから、大きさのわりにちょっとズッシリ。ポケットに入れておくにはややかさばりますけれども、カバンに入れておく分にはそれほど気にならないかもしれません。
 そして、この手の中国製品にしては、案外デザインや質感が良い。とても2000円台には見えないでしょう。
 皆さんもだまされた思って1台どうですか(笑)。

Amazon スマートチャージャー ソーラー

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2013.04.15

追悼 三國連太郎…「飢餓海峡」

 た名優が逝く。日本映画界に強烈な印象を残した三國連太郎さんがお亡くなりになったとのこと。
 三國さんと言うと、私は「飢餓海峡」を思い出します。ご存知の方も多いだろうと思いますが、水上勉の原作を内田吐夢監督が見事に料理した、日本映画史に残る名作です。
 初見の時は、左幸子さんの存在感に圧倒されました。しかし、今となってみると、三國さんの内省的な演技の方が強く記憶に残っているから不思議です。
 犬飼多吉と樽見京一郎という男の二面性を象徴するような人物を好演した三國さん。なんとなく陳腐な言い方ですけれども、やっぱり迫真の演技だったなあと思います。
 その「迫真の演技」を支えていたのは、やはり三國さん自身の人生経験だったのでしょう。ここではその詳細については語りませんが、昭和の男の強さと弱さを人一倍実生活で体現してきた三國さんだからこそ、ああいう無駄のない演技ができたのでしょうね。
 太地喜和子さんの一件も含めて、女性関係もなかなかお盛んだった三國さん。しかし、それが不思議と不潔な感じをさせない、なんというか、男の純粋さ、少年のような可愛らしさを持っておられたように感じます。
 これを機会に久しぶりにビデオテープを引っ張り出してきて観てみようと思います。
 最後にご冥福をお祈りしながら、「飢餓海峡」のテーマ音楽を聴いてみましょう。冨田勲さんの素晴らしい仕事です。
 

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2013.04.14

『富士谷 長慶院仙洞御所略図』

Img_6345 日は信州から縁ある方がいらっしゃって一日いろいろとお話をしたり、フィールドワークをしたりして過ごしました。
 いろいろなシンクロニシティもありまして、いつもながら不思議なご縁というか、目に見えないネットワークに感動いたしました。ありがとうございました。
 もともとのきっかけは違うところにあったはずなのに、フィールドワークをした場所は超マニアックな「宮下文書(富士古文献)」に関するところばかり。ご案内させていただいた私たち夫婦も、久々に富士北麓の表や裏の歴史を堪能いたしました。
 さてそんなちょっとした時空を超えた旅から帰って来て、ふとこの地図の存在を思い出しまして、引っ張り出して来ました。
 そして、これは今こそ世に出さねばならないと思い、スキャン画像をこのブログにアップさせていただくこととしました。
 ご縁ある方々にご覧いただければと思います。
 この地図は、記された解説によると、限られた部数のみ印刷され、一部の有識者にのみ配布されたようですね。これは戦前の道路工学者、道路技術者として名のある牧野雅楽之丞(うたのじょう)氏に進呈されたもののようです。
 私は10年ほど前にたまたま古本屋さんに譲ってもらう機会を得ました。私のところに来たのも何かの縁というか必然なのかもしれませんね。おそらくはほとんど誰も知らない、誰も見たことのない資料でしょうし、現在どのくらいの部数が存在しているのかも不明です。
 本来は、三輪義熈が宮下文書によって隠れ南朝の歴史をまとめた「長慶天皇紀略」の付録資料として世に出そうとしたけれども、この地図によって貴重な遺跡群の場所が明らかになり、不敬の輩によってそれらが破壊される可能性を案じて断念したといういわくつきのもののようです。
 分かる方には垂涎の資料ですし、分からない方にはチンプンカンプンのトンデモ地図でしょう。あるいは地元の方には新たに興味を持っていただくこともできるではないかと思います。
 まあ簡単に言えば、後醍醐天皇の孫である南朝第98代長慶天皇(とその臣下たち)がこの富士北麓に落ちのびてきて、富士高天原を南朝とともに復興しようとしたという驚愕のパラレル・ヒストリーです。
 実は今日も明見の長慶天皇陵に行って来ました。地元の方もほとんど知らない「天皇陵」です。
 では、どうぞ。そして、興味を持った方は御連絡ください。実地をご案内します。
 ちなみに私は宮下文書に関しては客観的な立場をとっています。本物とか偽物とか、内容が真実とか嘘とかいう次元での論議は無意味なのでお断りです。
 ただ、こういうモノ(伝承・物語)が当地に残っているということだけは「事実」であります。

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2013.04.13

フジファブリック 『桜並木、二つの傘』

Img_6335 日はフジファブリックファンの皆さんと「いつもの丘」忠霊塔にてお花見&富士見。
 昨年のお花見で取り上げたデビューシングル「桜の季節」のB面「桜並木、二つの傘」をテーマにみんなでワイワイ意見を交わしました。
 前回の宿泊討論会でもそうだったように、なぜか皆さん飲み食い忘れて志村正彦ワールドに没入(笑)。途中あまりに寒いことに気づき、山を下りて下吉田倶楽部で喉とお腹を満たしながらさらに話し合いました。
 音楽的なことはまあいいとして、この歌詞はいろいろと謎ですね。季節はいつなのか。桜は咲いているのか。二人はとは誰なのか。二人の気持ちは?何がコントラストなのか…。
 いつも書いているように、名作とは作者の意図を離れてどんどん勝手に成長していくモノです。どんどんいろいろな意見が出てきて、またそれに影響されて新しい解釈も生まれる。
 それがこういう集まりの楽しいところですね。
 途中、桜並木が志村くんという珍説も登場し、大いに盛り上がりました(笑)。そして結論は…。
82762205_624 結局、今回も結論は「天才」「変態」「妄想」そして「イケメン」(笑)。まあそれでいいんですよね。それを確認するだけでみんな満足です。「〜学」と称していますが、結局理屈なんかどうでもよくなってしまう。
 というわけで、今回いらっしゃれなかった方々もぜひそんな妄想膨張世界を共有してみてください。しっかし、変な曲だなあ(笑)。昨日の竹内まりやと好対照。だけどハマっちゃう。
 ちなみにこの動画はシングル・バージョンですね。

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 次回はいよいよ「陽炎」を取り上げます!日程は後日発表します。

Amazon アラカルト

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2013.04.12

竹内まりや 『シンクロニシティ(素敵な偶然)』

 日紹介した本の副題は「ついに解き明かされたシンクロニシティのメカニズム」でした。
 昨日の記事にも書いたように、歌(短歌や音楽)は波動の世界(ゼロ・ポイント・フィールド、霊界)から漏れ出たモノかもしれません。
 考えてみれば、一つの音楽で世界中に同様の感動が伝わるというのは、たしかに不思議と言えば不思議です。
 もちろん、古典的な物理学で音楽を語ることもできましょう。しかし、それが全てではないことは誰しもが直観的に認めざるを得ません。
 音楽に限らず「共感」にはどうもあちらの世界が関係しているようですね。
 先日の物理学者との対話の中でも、人間の思念、感情、また(寝ている時に見る)夢なども、別の次元、すなわち空間と時間に縛られるこの現世とは別の世界と関係しているのではという話が出ました。
 で、竹内まりやさんの「シンクロニシティ」なんですが(笑)、この歌詞を聴いてみてください。
 いかにも竹内さんらしい素直でさわやかな歌詞ですね。
 楽曲もシンプルなのに味わい深い。なんのひねりもないところがいい。
 このなんとも平和な雰囲気は、演奏しているセンチメンタル・シティ・ロマンスの皆さんによって醸成されている部分も大きいですね。
 こういうアンサンブル感というのも一種のシンクロです。演奏者同士のシンクロがオーディエンスにも伝わることがよくあります。
 ちなみに帽子をかぶって一人目立たないようにギターを弾いているのはご主人の山下達郎さんであります。
 私は彼の楽曲や竹内さんの楽曲で、彼自身のオーバーダビングによるコーラスが入ってくると(必ず入りますよね)、あの顔が合唱団になって襲い掛かってくるのでちょっと怖い(笑)。これもシンクロなのか…違うか。
 この「シンクロニシティ」の歌詞も、竹内さんと山下さんのことだと思って映像化すると、ちょっと…。失礼(笑)。
 いや、とってもいい夫婦だと思いますよ。
 この歌詞にはシンクロニシティ(偶然の一致)のいろんな例が出てきて参考になります。そして最後は「必然」ということになっていく。
 私たちはこういう(一見偶然に見える)「必然」のおかけで、毎日をドラマチックに過ごすことができるのでしょう。

Amazon 返信/シンクロニシティ(素敵な偶然)

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2013.04.11

『世にも奇妙な「偶然の一致」の秘密』 斉藤啓一  (学研 ムー・スーパーミステリー・ブックス)

4054055737 れは面白い。非常に示唆に富む本でした。
 えっ?ムーだし(笑)なんか怪しいなあ…と思う方こそ、ぜひご一読を。
 私の短歌の師匠が「人類必読の書」と言うだけのことはありました。そう、短歌の師匠は本当に「偶然の一致」「シンクロニシティー」に恵まれた方です。
 私も正直、人よりはかなりいろいろなご縁に恵まれている方ですが、その原因はですね、もしかすると、「歌」にあるかもしれません。私も師匠も短歌と音楽に深く関わっていますから。
 まあ、そういう話はこの本には直接的には出てきませんが、やはり「波」の世界、目に見えない「波動」の世界が今ここにもあるような予感はしますね。
 「歌」はそれがこの現界に滲み出てきたモノのような気もします。
 この本、一見、そうしたオカルト的になりがちな「偶然の一致」や「シンクロ」について、最新の量子力学や深層心理学の知見を駆使し、そしてそれを独創的に、しかし検証的に敷衍して証明しようとしています。
 そう、この前、若手天才物理学者との対話の中でも、やはりそういう話が出てきましたね。特に戦後意識的に排除されてきた「霊」の世界が、ある意味最先端の科学において証明されようとしている…というか、たとえば高次元宇宙の様態が「霊界」との間に強い相似関係を生じているんですね。
 それこそ、「偶然の一致」ではすまされないほどに似てきてしまう。これはもう科学者のみならず、唯物的になった我々現代人全てが認めなければならない事実です。
 もちろん、その物理学者の方がおっしゃっていたとおり、だからこそあえて峻別する姿勢を持っていないと危険とも言えますけれども、しかし、我々非科学者は、時にその「偶然の一致」を自らの想像力によって物語化してもいいと思いますね。
 この本の著者斉藤さんは見事にそれを達成していると思います。そう、科学者の技法そのものではないかもしれないが、科学者のスピリットも忘れずこの難問に挑戦しているのです。
 そこに非常に好感を持ちました。ムーらしくない(笑)。
 そして、その結論に、私の感性もかなりの部分で一致した。なんとなくぼんやりと想像していたモノをしっかりコト化してくれたという感じです。
 引力の法則、再現の法則、進化の法則、そしてホロガニズム…非常に説得力のある、そして腑に落ちる言葉と解説が続きます。腑に落ちるということは、無意識レベルでの相似体験があるということですね。おそらく私や師匠だけでなく、皆さんも納得されることと思われます。
 最近、私の唱えている「時間は未来から流れてくる」という日本古来の哲学の基礎部分にも、この本の内容は援用できます。
 ゼロ・ポイント・フィールドがはたしていわゆる霊界なのか、そして、私たちが住むこの現界とはどういう意味で特殊なステージなのか、人類の宇宙的な価値とはなんなのか、知的興奮以上に霊的な興奮が得られる本だと思います。

Amazon 世にも奇妙な「偶然の一致」の秘密

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2013.04.10

「和」の精神の源泉…ニギハヤヒ

Nigihayahinomikoto 小路彰のお弟子さんから稀覯本「夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願」をお借りして拝読しております。
 非常に重要な記述が満載で、まさに目からうろこが落ちまくっています。その歴史学、哲学、文学を軽く包括する視点と洞察力の鋭さ、いや広さに驚きを禁じえません。
 その中で、非常に印象に残ったことがあったので自らの備忘のために記しておきます。
 聖徳太子の「和」の精神、あるいは「大和」の「和」について、以前私は『和』の精神とは…その1『和』の精神とは…その2という記事を書いています。
 これらの内容については、今の私もほとんど同意します。私個人のレベルとしては精一杯の思索の産物ですから。
 しかし、当然100年に一人、いや1000年に一人レベルでの天才である仲小路彰は、もっともっと広く深い思索を巡らせています。
 私はそこから本当に様々なインスピレーションを授かっています。その一つが今から書くことです。
 さて、私の記事では、「もともとの日本人は『和』で表されるような概念は全く持っていなかった」と書いていますが、のちに「和」の字を当てられた和語はいくつかあります。
 たとえば、言向け和すの「やはす」や「やはらぐ」、和え物の「あふ」などですね。
 そして忘れてならないのは、古来神道で呼び習わされている「和魂(にきたま・にぎみたま)」の「にき・にぎ」です。
 仲小路は当然そのことに触れています。蘇我氏による物部氏滅亡への挽歌を物語調に描く中で触れています。
 仏教導入を支援して物部氏を凋落させた自らの行動になんとなく釈然としない太子は、物部氏の祖先がニギハヤヒであり、また三輪山に祀られているのが大物主があることに思いを馳せます。
 ご存知のように、大物主は出雲の大国主の和魂として登場する神様です。すなわち、太子が滅ぼさんとしてしまったのは、自らの敬愛する古代日本の象徴である大物主(おそらく=ニギハヤヒ)であったと気づいてしまうのですね。
 そこで、蘇我・物部の抗争に象徴されるような「荒玉」ではなく、「和魂」こそが日本の未来のために本当に必要な魂であると悟るわけです。
 和魂(にぎみたま)は幸魂(さちみたま)と奇魂(くしみたま)の融合体です。現代風に言えば、幸運と奇跡の魂。それはある意味では「他力」ですよね。幸運も奇跡も「訪れる」モノですから。
 「和の精神」というと、ついつい「調和」「和合」というふうに解釈しがちですが、実際には饒速日(ニギハヤヒ)の象徴する縄文文化の「他力性」、まさに「惟神(かんながら)」を表す言葉だったのではないかと、私は思い至りました。
 実はまだここから「物語」は続くのですが、今日はこのへんにしておきますね。また、いずれしっかりまとめようと思います。
 まずは、「夢殿の幻」全三冊を完読しなければ。聖徳太子の夢、すなわち日本の、いや地球の未来のためです。

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2013.04.09

子宮の日

 日4月9日は「子宮の日」。最近では特に「子宮頸がん」について考えようという日になっているそうです。
 私は男ですので残念ながら子宮を持っておりませんが、子宮頸がんには関わる可能性があります。また、私の家族、あるいは教え子たちには当然女性がたくさんいますから、全く他人事ではありません。
 男女ともに「とりあえずは正しい知識を身につけるべきである」というのが本来の子宮の日のあり方であると考えます。
 この4月から定期接種となった「HPVワクチン(子宮頸がん予防ワクチン)」。私は先日の記事やっぱり怪しかった「子宮頸がんワクチン」に書いたように、周囲の女性には積極的には推奨していません。つまり、国の「任意→勧奨」に対して私は反旗を翻しているわけです。
 昨日のニュースには、同ワクチンの副作用についてこうありました。

 厚労省によると、子宮頸がんワクチンで平成21年12月発売の「サーバリックス」と、23年8月発売の「ガーダシル」を接種したのは昨年12月現在で計約829万人。副作用報告は1166件あり、うち101件が重症だった。

 子どもが受けるワクチンとしてはこの副作用の実態も憂慮すべきですが、それ以前にその効果や必要性の方に問題があるので、私はとても「勧奨」できないのです。 
 それは先日紹介したはたともこ議員と厚生労働省の質疑をご覧いただければ、お分かりになることと思われます。
 今日はもう一度その動画を掲載するとともに、その前に、同様の内容を「サルでもわかるTPP」の安田美絵さんが分かりやすく説明した動画を観ていただきましょう。

 ここに述べられている内容についても、自分自身で確認したことではないので全てを信用することはできませんが、最低限推進派と反対派の両方の意見を聞いておくことは必要だと思います。
 その上で最終的には「任意」であるべきです。「勧奨」には法的な強制力はありませんが、「えっ?あんた接種してないの?危ないよ。あんたのせいで感染者が増えるかもよ」的な差別につながる可能性、すなわち不文律的強制力になる可能性はあると思います。
 では、最後にもう一度、はたともこ議員と厚生労働省のやりとりをご覧(お聞き)ください。


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2013.04.08

追悼 サッチャー元英首相

20130409_133712 ッチャーさんが亡くなられたということで、また一つの時代が終わったかなと感じております。
 「鉄の女」も晩年は痴呆になり往時の勇猛さは見る影もなかったわけですが、それこそが人の世の常であります。
 「鉄」という存在自体が、かならず朽ちて滅びるもの、錆びればいきなり強度が落ちる、実は脆弱な金属であるわけで、そう考えると、なるほど「鉄の女」であったななどとも思われるのであります。
 そんな「鉄」の生涯を、その錆びゆく姿を中心に描いた2011年の映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」は、観客の多くがサッチャーの生き様よりもメリル・ストリープの女優魂の方に感嘆してしまうという、ある意味での失敗作でありました。
 それを補うがごとく発売されたこちら「マーガレット・サッチャー 鉄の女の素顔」というセミ・ドキュメンタリー映画はなかなかの出来でした。
 彼女の政治家としての「戦い」の系譜と、当然その裏にあった別の「戦い」の系譜とが、いいバランスで表現されていたと思います。
 今となっては、日本でも小泉改革の雛型としてあまり良く言われないサッチャリズムですけれども、あの時代の英国を救うには、やはりあの方法しかなかったと思いますね。
 そして、それはやはり女の手によるしかなった。サッチャー自身のものとして伝えられる「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい」という名言には、それなりの説得力がありますし、現代でももしかするとそれは通用する、通用しているかもしれないとも思います。
 国難にあっては、ある種の暴力性をもって国を導いていかねばなりません。そこにはたしかに「痛み」が伴います。その「痛み」に対して「痛み」で返そうとすると、それは暴力の連鎖になってしまいますね。
 おそらく男性の首相であったなら、もっと激しい抵抗や反乱があったかもしれません。
 いくら「鉄」とは言え、やはり「女」は「女」。どこか、母性的な厳しさを感じさせるものがあったのでしょう。
 のちに労働党政権に戻っても、いわゆる第三の道という弁証法的な歴史進化が見られたのは、やはりサッチャーという女性がその母胎となったからではないかと思われます。
 もちろん、サッチャーにとってはアンチテーゼのドンであったはずのゴルバチョフにさえも、そういった未来的思考を促したわけですから、これは大したものです。
 一方、日本はどうであるか。これは難しいですね。小泉さん、そして今回の安倍さんも、単純にサッチャーさんの手法を真似するだけではやはりダメ。そんなこと分かりきっているでしょうけれども、「鉄の男」がもし現れれば、別の「鉄の男」もまた必ず現れて、そして鉄同士の醜い争い、すなわち戦争状態にならざるをえないでしょうね。
 マーガレット・サッチャー…あなたは優れた女性宰相として永遠に歴史にその名が刻まれることでしょう。
 「鉄の女」は、やはり「鉄の女」だった。「鉄」でもあったし、「女」でもあった。単純ですが、そういうことなのです。
 ご冥福をお祈りします。

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2013.04.07

科学は修行である(!?)

1936da9d3e55f21b97f416439d168331 日は、非常に有能な若い物理学者が我が家をわざわざ訪ねてきてくださりました。
 非常にエキサイティングな出会いであり、充実した時間を過ごさせていただきました。ご紹介くださった方、いつもありがとうございます!
 最先端の量子力学を入り口に、空間、時間、高次元宇宙、原子力エネルギー、人間の思念、さらには歴史から芸術、宗教に至るまで、それこそ宇宙を駆け巡るようなお話に私もついつい少年のように興奮してしまいました。
 私は残念ながら科学の道を断念したクチでありますが、サイエンティストのスピリットだけは死ぬまで持ち続けたいと思っています。
 トンデモな妄想家が何を言っているかと突っ込まれそうですね(笑)。
 いや、本物の科学者は、遠い未来や遠い宇宙の果てを意識できるある種の妄想家でなければならないのです。妄想家という言い方は失礼でしょうか。夢想家、それもちょっと違うかなあ。想像家とでも言えばいいのか、とにかく無限のイメージ力がないと、道を誤ってしまう可能性があるのです。
 それは非常に高度な他者意識であるとも言えます。仏教的に解釈するならば、無我の境地になる、すなわち自己の五感で認知している世界(執着)から離れることを意味します。
 そうすると自他不二、つまり自己と宇宙が等価になる。それでやっと、ミクロ的にもマクロ的にも私たちは自由にれるのです。
 また、お話の中に「科学者は自分を納得させて初めて一歩進む」というような内容がありました。なるほど、非常に自分に厳しい。ごまかしは許されない。うまく行かない時こそ忍耐が必要です。
 これはほとんど修行だなと思いました。
 実際、宇宙の真理を窮めるためには、そうやって自己を透明に磨いていかねばならないのでしょう。特に最先端の物理学は数式との格闘がほとんどでしょうから、高度に抽象化された世界を相手にしなければなりません。当然自己の純化も必要だと思います。
 まあ、私なんか、なんの責任も持たず、考えたいことを考えて、言いたいことを言って、書きたいことを書いてますから、そういう意味では全くサイエンティストではないな、こりゃ(苦笑)。
 それでいて、ちょっと前までは、科学と宗教を安易に結びつけたくなる欲求にかられてしかたなかった。最近は少し慎重になっていましたけれども。たとえば仏教の因果を科学の因果と結びつけるのは、とりあえずやめています。言葉のアナロジーと実体のアナロジーは別物ですからね。
 目指すところが同じだからこそ、違う道筋というのを明確に意識しなければいけないのかもしれません。
 修行は修行だけれども、その方法はやっぱり違うのですね。
 というわけで、今日はずいぶんと勉強になりました。ありがとうございます。ここには書けないこともた〜くさんお話しました。おそらくこれからお互いに大きなプロジェクトに関わっていくことになると思います。どうかよろしくお願いします。
 とにかく、この世界のため、この地球のため、この宇宙のため。
 私も改めて自分の修行方法を見なおしてみます。
 
 

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2013.04.06

『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』 竹田恒泰 (PHP新書)

51h7nmufmel 日もまた山中湖で、仲小路彰の直弟子の方と食事をしながら歓談しました。
 仲小路の「夢殿の幻」という超(スーパー)聖徳太子論全三冊をお借りしました。ほとんど世に出ていない稀覯本です。わざわざ某所より取り寄せたくださったとのこと。ありがたいことです。
 ペラペラとめくっただけでもトンデモない記述が満載。とにかく一気に読んでなるべく私の血肉にしておかねばなりません。ありがたいことに先月の修学旅行で、まさに夢殿の前に立った時のインスピレーションと重なることが書いてあるので、案外にすいすい読み進めます。不思議としか言いようがありません。
 さて、今日の歓談の中でも、様々な歴史の裏側の話をうかがうことができました。裏の裏ですね。
 そうした裏の裏を知る以前に、我々日本人は自国の歴史をあまりに知らなすぎます。表すら知らない。この本のタイトルのとおり、これまた不思議なほどに知らない…というか、知らされていない。
 たとえばこの本の帯にある「自分の国がいつできたのか」という問いにどれくらいの日本人が答えられるでしょうか。
 たしかにこんな国はないでしょうね。建国の歴史を学校で教えないなんて。
 竹田さんもおっしゃるとおり、少なく見積もっても我が国は二千年の歴史があり、そしてそれは世界中に現存する200近い国の中で最も長い国としての歴史ということになります。第一位。
 第二位はデンマーク、第三位は英国で、それぞれ千年前後ということですから、いかに日本が世界に冠たる国であるかということが分かります。
 それも、(解釈はいろいろあれど)いちおう単一の王朝が二千年間持続している。また、その間ずっと日本語が公用語として(公用語という観念すらないのが実態ですが)通用している。
 世界中探してもそんな国は全くないのです。たとえばそんな基本的なこと一つとっても、日本人はもっと自国に誇りを持っていいはずです。
 なのに、それを「あえて」教えない。本当に不思議な国です。そんな(屈折した)謙虚さも、ある種の伝統に根ざしているのでしょうけれども。
 その不思議さの原因を戦後GHQのせいにすることは簡単でしょう。しかし、私はその解釈方法に全面的には与したくありません。そのことについてはちょっと前に『閉ざされた言語空間−占領軍の検閲と戦後日本』(江藤淳)の記事で書きました。
 最近よく書いているように、また仲小路彰も言っているとおり、過去を過去として、ただのデータとして、その真偽を論争するのではなく、やはりそれを現代的あるいは未来的に解釈することも大変重要だと思います。
 たとえば竹田さんのこの本でも「古事記」「日本書紀」といった、いわゆる「神話」が歴史の語る資料として採用されていますが、それらさえも歴史学や文献学、考古学の立場だけではなく、仲小路彰の提唱する「未来学」の見地から読み直していくことが重要でしょう。
 もちろん仲小路はそれをとっくの昔、昭和の時代にやっています。それを世に出す、あるいはさらに発展させるのが私の使命であると感じます(畏れ多いことですが)。
 そんな未来志向の、日本の歴史観構築のために、竹田恒泰さんのこうした本や講演会などは、素晴らしい入り口となるでしょう。
 「未来学」的な因果関係からしますと、今年は竹田さんともご縁ができる予定なので、非常に楽しみであります。
 竹田さんのような若い世代にこそ頑張ってもらいたいですね。応援します。

Amazon 日本人はなぜ日本のことを知らないのか

竹の間 竹田恒泰のホームページ

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2013.04.05

「いじめ、体罰、自殺 曽野綾子の教育再生論」 (BSフジ プライムニュース)

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 じめをなくすことはできない。人(自分も含む)を殺さなければ人生は大成功。他人を変えることができる限度を教師は知るべき。学校を先生を信用するな。教科書を鵜呑みにするな。
 教育再生実行会議のメンバーである曽野綾子さんの教育論。4月1日の放送でしたが、今日ハイライトムービーで観ました。
 なかなか説得力のある教育論です。私もほとんどの点で共感いたしました。皆さんもぜひご覧ください(ハイライトムービーは視聴の期限がありますが、のちにテキスト化され読むことができます)。
 なぜ説得力があるのか。それはある意味単純です。曽野さんが宗教的な視点を持っておられるからです。
 私は今までも教育には宗教的な心が必要であると主張してきました。(特定の宗教の信者である必要はありません)。
 あるいは折口信夫羽仁もと子の言葉を借りて、そういうことをアピールしてきました。
 そして、戦後の公教育から「霊性」が排除されてきたことに、現代の教育の諸問題の根源であると思っています。いや、教育のみならず、社会全体から排除されてしまったとも言えますね。
 私の学校は禅宗のお寺を母体としている私立中高なので、まだそういう要素を取り扱いやすいと言えます。
 私の性格や特質からしても、本当に公立の先生にならなくてよかったと思います。絶対に行き詰っていましたよ。教員採用試験落ちて良かった(笑)。
 今回の安倍政権における教育改革の方向性については、それは当然いろいろな意見があるでしょう。大いに議論されるべきでしょうね。
 私は基本的に期待しています。教育再生実行会議も曽野さんのような方がいらっしゃれば、極端に間違った方向には行かないでしょう。
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 ところで、曽野さんの提示した「責任の所在」は分かりやすいし、非常にまっとうな考え方ですね。中高における教師の責任なんか、たしかに8分の1程度ですよ。
 影響力がすなわち責任なのでしょう。つまり、影響力もその程度だということです。
 私の現場での実感としてもちょうどそんな感じですよ。
 明日は始業式。いよいよ新年度が始まります。まあ、せめてその8分の1を、愛情と誠意をもってしっかりやりますよ。
 
 

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2013.04.04

やっぱり怪しかった「子宮頸がんワクチン」

 では「子宮頸がんワクチン」と言わず「HPVワクチン」と言います。HPVってハイブリッドカーの一種じゃないの?…あっそれはPHVか(笑)。
 名前が日本語じゃなくなって、なんだかまたごまかされているような気がしますね。日本人はアルファベットの羅列に弱いですから。
 この動画、ネット上で評判になっているのでご覧になった方も多いことでしょう。はたともこ参議院議員による厚生労働委員会での質疑の動画です。
 これをご覧になれば、ほとんど意味のない、そして危険なワクチンが少女たちに(なかば国家強制的に)接種されていることが分かります。厚生労働省自体がはっきりと認めているわけです。
 私はこのことをずっと言って来ました。きっかけは、そのあまりの唐突さでした。まるで新型のウイルスによる新型のガンのように登場して大騒ぎになったからです。
 もうその時点で、ある種の「陰謀」を感知したんですね。
 そして、その後いろいろ調べてみると…まあ、この動画で質疑されているようなことがワンサカ出てきたと。
 ですから、ウチの娘には当然受けさせませんでしたし、生徒たちに対しても推奨はしてきませんでした(もちろん最後はご家庭の判断に任せましたが)。
 いったいどれくらいの公金がワクチンメーカーに流れているのでしょうか。
 郵政民営化の時もそうでしたが、まあ、日本人というのは人がいいというかなんというか。
 まあ、戦後日本人があくせく働いて貯めた(ある意味使い道のない)郵便貯金が他人様のためになるのは、考え方によってはですね、人助けだし富の再分配だからいいとしましょう。
 しかし、何もわからない少女たちを危険にさらした上にお金を搾り取られるのはどうかと。
 さすがに日本人ももう少し賢くなるべきでしょう。最低限言いなりになるのではなく、自分で調べて一度は疑ってみることをしなければ。
 教育の責任は大きいですね。
 なお、上記の内容は、あくまで私の意見です。皆さんがどのようにお考えになるかは自由ですし、HPVワクチンを接種するしないも全く自由です。

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2013.04.03

携帯電話誕生40年、いや75年、いや…

20130404_62850_2 昨日、昨日とiPhone5の話を書きました。偶然といえば偶然ですが、今日は携帯電話が誕生して40年なんだそうです。
 40年前の今日、モトローラ社のマート・クーパーさんが、ライバルであるベル研究所のジョエル・エンゲルさんに上の携帯端末から電話したのだとか。
 ちなみに上のケータイ(?)、重さ1キロ、お値段は84万円だとか。
 へ〜、40年かあ。40年でここまで来たか…とiPhoneを眺めていました。でもなあ、考え方によっては、40年もかけてこの程度の進歩かというのもありますね。基本は全然変わっていない。
 なんて思っていたら、ケータイに関するもう一つのネタを見つけました。ん?75年ってこと?
20130404_61240 右の写真よく見て下さい。真ん中の女性、いかにもケータイで話しながら歩いていますよね。
 この写真が撮られたのは1938年だそうです。
 それもたまたま何かを担いで歩いているとかではなくて、実際に携帯電話の試験をしているところだったとか。
 撮られた場所はマサチューセッツにあるデュポン社の通信機器工場。実際この女性は第二次世界大戦中に開発された「無線電話」の通話実験をしていたとのこと。ホントかな。
 だとすると、モトローラなんかよりずっと昔に、ずっと小さいケータイをデュポン社が開発してたってことですか。
Images1 そう言えば、次世代iPhone(というかiWatchですか)は腕に巻き付けるタイプになるとかならないとかウワサがありますよね。そのアイデアにジョブズが関わっていたとかいないとか、そんなことも話題になっています。
 それにしても、この写真のデザイン、かっこいいな。単なる腕時計としてもかっこいい。モンディーンがこういうの作ってくれたら買っちゃうな。
Imgres 我々の世代としては、あのウルトラセブンのウルトラ警備隊が腕につけていいた「ビデオシーバー」を思い出しますね。
 あれにはホントに憧れました。それらしいオモチャを装着して遊んでいた記憶があります。そうそう、私は小学生の時、友人の村田くんと「ヤマムラ警備隊」というのを組織して、休み時間などに学校の警備にあたっていました(笑)。
 たしか、その時も連絡はお手製の「ビデオシーバー」で行なっていましたっけ。あれは、そう、昭和47年くらいですから、1972年ってとこですか。とりあえずモトローラ社より1年早いな(笑)。
 それがいよいよ現実化するというわけです…いやいや、実はですね、もっと早い時期に腕時計型端末の招来を予言していた日本人がいます。たぶん大正時代です。
 そう、またまた登場しました、出口王仁三郎です。ちょっと出典は確かではありませんが、「電話は小さくなって、腕に巻けるようになる」と言っていたとのこと。
 ついでに「空中郵便」というメールの進化形まで予言しています。なんでも、空中に文字を書くとそれがメールになって瞬時に相手に届くのだとか。
 これは近い将来実現しそうですよね。20世紀の初頭にこういうことを当たり前に言っていた王仁三郎はすごい。
 もう少し突っ込んで書きますと、実はこうした「無線」という「電波」に情報を乗せる技術というのは、科学的であるとともに、非常にオカルト的でもあります。
 最近の素粒子論では、素粒子が粒であり、かつ波であるということが言われますが、言わば「粒」は現界を構成し、「波」は霊界を構成しているとも言えると思います。
 私たちには感知できないのに、電波というモノが確かにあって、そこに情報(コト)が乗っている。ラジオやテレビの登場の時の不思議さというものを、私たちは忘れてしまっています。
 そう、波には情報が乗るのです。霊界(暗在系)の波は時空の制限を受けないません。それが現界(明在系)に漏れ出てきているのが電波であり、そして音楽であるというのが私の考え(思いつき)です。

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2013.04.02

iPhone5関係グッズいろいろと

 年度、プチ異動もあってガタガタしております。忙しいので、今日も軽めに。
 iPhone5に変えましたので、関連グッズもいろいろ買わなければなりません。iPhoneやiPadってそういうディバイスですよね。関連産業を振興した。
 まずはケースです。裸で使う人はまずいません。服を着せるわけです。
 昨日までは4時代のケースをそのまま使う、すなわち「つんつるてん」状態でしたが(笑)、今日新しい服が届いたのでさっそく着せてみました。
Img_0006 いわゆる洋書風というやつです。980円。4の時も同様のものでしたが、こちらの方がずいぶん安いので(偽物です)、それなりの材質。ビニール感満載です。
 このタイプのケースというかカバーの良さは、suicaカードやクレジットカードを入れておけることです。もちろん改札でもパッとかざせます。
Img_0007 あと、私は名刺を数枚しのばせています。いざという時、けっこう助かります。
 それから、こういう「本」みたいな外観のおかげで、会議の時とか何気なく机の上に置いておきやすくなるんですよね。不思議です。偽装というか擬態というか(笑)。
 しばらくこれを使おうと思います。
21agx660iul_aa300_ 続きまして、5になってからの一つの問題点。そう、あのUSBケーブル「ライトニング」です。裏表がなくなったのはいいとして、小さすぎて抜き差しがしにくい。従来の形で裏表なしにしてもらいたかったな。
 そこで変換プラグを数個注文しました。ケーブル自体を買おうかとも思いましたが、ウチにころがっている(からまっている)USBケーブルをゴミにしたくないので変換プラグにしました。
 従来のiPhone用のケーブルを使ってもいいわけですが、あれにさらに変換プラグをつけるとずいぶんと大仰になるので、ミニUSB端子のものを使うことに。これで、職場や車の中での充電が可能になりました。
 さてさて、従来の…といえば、お役御免になった2台のiPhone4です。まだ使えるのにもったいないですよね。
 それを虎視眈々と狙っていたのが娘二人です。もともと親のiPhoneを勝手に使ってゲームなどをやってましたし、iPod touchがほしい!とか騒いでましたからね。
 しょうがねえなあ…じゃあ、一人1台ずつあげようではないか。
 ということで、SIMカードの抜かれたiPhone4を渡すことにしました。いろいろデータも入っているので、それぞれリセットしたところ…ガーン、SIMが入ってないとアクティベーションできないんだ!?
212glyqpibl_sl500_aa300_ これでホンモノのゴミになってしまったのかと、親子ともどもショックを受けていたところ、なんとこんなものがあるということを知りました。
 これって法的にどうなのかよく分かりませんけど、まあ「MOTTAINAI」の精神には反していないからいいか。
 さっそく到着した謎のカードを挿入すると、しっかり起動、アクティベーションも普通にできて、さらにOSのアップデートもできました。もちろん電話としては使えませんが、iPod touchとしては問題なく使えます。

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2013.04.01

iPhone5

O04000600iphone5_120913132950 日の記事にもちょっとだけ登場しましたけれど、実はiPhoneを4から5に替えました。
 あの悪夢のiPhone 3GS の味噌汁事件以来4のホワイトを使っていましたが、どうも最近ホームボタンの調子が悪くなっていたので、思い切って機種変更しました。
 6月に5Sが出るというウワサもありますが、まあ新年度になり、職場のネット環境も変わるので、テザリングできる5に変えちゃおうということです。
 ついでにカミさんの4も5に変えました。4の時と同様に、向こうは黒、こっちは白です。
 テザリング以前になるほどLTEというのは早いですね。iPhone自体の処理速度も早くなっているので、ネット・ブラウジングはかなり快適になりました。
 ちなみに我が家のある富士山は最近やっとまともな3G圏内になったような田舎ですから、当分LTEなど高速通信の恩恵には預かれないと思いますが。ま、Wi-Fiがあるから問題ないか。
 筐体に関しては、私が昨年の年賀状で予言したとおり(?)長細くなって、胸ポケットから少し頭が出てしまう感じです。正直4までの大きさで良かったのではないかと思いました。画面が広くなったという実感もそれほどありません。
 アイコンの数も増えすぎて、なんかゴチャゴチャした感じがしますね。慣れの問題かな。
 iPhoneミニが出るウワサもあります。たしかにそういう選択肢もありかと思いますね。
 さっそくテザリングでKindleを使ってみました。速度もそこそこです。特に不満はありませんが、通信量に制限があるとのこと。いったいどれくらい使うと制限がかかるのか。よくわかりません。
 とりあえずいろいろいじってみます。
 ちなみにケースは4の時のものをそのまま使っていますので、こちらも頭が飛び出ています(笑)。

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