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2013.03.25

『随処作主立処皆真(随処に主となれば立つところ皆真なり)』

Img_6191 日、修学旅行で妙心寺に参拝し、教学部のお坊さんのありがたい法話をうかがう機会を得ました。
 その中でキーワードとなっていたのがこの言葉。臨済禅師の言葉です。
 臨済録の中で、この言葉に触れていたにも関わらず、その意味が今ひとつよく分かっていなかった私。それが法話をうかがう中で、突然腑に落ちたんです。まさにストンと。
 今までは、なんというか、いわば理屈で考えていたんでしょうね。そうすると、無我、無私を説く禅において、自分が主役になるのは矛盾ではないかと。
 ま、そんな単純な発想しかできなかったんでしょうね。そういう現世的な発想から離れるには、やはり環境が大事なのでしょう。大本山妙心寺の微妙殿という場を得て、ちょっとした悟りに達したということでしょうか。ありがたいことです。
 というわけで、ふっと降りてきたのは、こういう言葉です。
「世界が自己に凝結する」
 これまた我流の禅語のようですが、このイメージがふっと降りてきて、「随処作主立処皆真」の意味が分かったのです。
 なるほど、縁起している私は、その縁の中心だと言えば中心です。すなわち、空や無我を知る、そういう視点に立つことによって、私が中心であることが分かる。
 しかし、主というのは、決して主人ということではないし、いわゆる主体性ということでもない。簡単に言えば「おかげさまの主人公」ということです。
 何よりも誰よりも自分は他者のおかげで存在している。実は自分と他者は等価である。自分の中に世界が凝結している。自分を見れば世界が分かる。あるいはその逆、世界を見れば自分が分かる。
 その考えを推し進めると、自己のみならず万象が世界の中心、主となれることが分かります。原文のニュアンスとしては、「随処」が主語であるという感じです。ストレートに訳せば「全ての場所を中心とする」ということでしょうか。
 自分が世界(宇宙)である、世界(宇宙)が自分であるということを知ると、非常に大きな自信がわいてきます。そして、それこそ自分の生活上の些細なことはどうでもよくなってきます。執着を離れるのです。
 たとえば、お釈迦様が執着や煩悩の最たるものとして挙げている「財」や「子」についても、自分の財布の中身や自分の子どものことだけにこだわるよりも、世界中のお金が自分のものだと思ったり、世界中の子どもが自分の子どもだと思えば、実に気が楽というか、気持ちよく毎日を過ごせますね。
 せっかくこの言葉が腑に落ちましたので、時々思い出しては、自分や他者が常に同時に主であることを意識して生きて行きたいと思います。
 本当にありがたい気づきでありました。ありがとうございました。

妙心寺

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