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2013.03.31

Kindle Paperwhite (Amazon)

Kcslate02sm_v400630235_ 年度から職場内で居場所が微妙に変わるので、いろいろ準備しております。
 これもその一つ…ではないか。
 でもなんとなく心機一転したい季節ですよね。
 電子書籍リーダーに関しては、血迷って「kobo Touch」を買い、それなりに重用してきたわけですが、やはり、どうもいかんのですよ。最近はいろいろ詰め込んだせいか、フリーズしちゃったりすることも多くなり、もうこうなるとページをめくれない本ということですから、さすがに用をなさない。
 我慢も限界になってきて、いよいよ本命の「Kindle Paperwhite」を購入いたしました。
 ははは、ホントkobo Touchさんのおかげで、Kindleさまがずいぶん立派に感じる(笑)。なんとも快適。
 正直、使い勝手、だいぶ違います。電子インクの見え味から操作性、ストアの利便性、さらに全体的な質感まで、まったく別物といった感じです。
 私のkoboさんはライトがついていないタイプです。寝る時に読書することが多い私にとっては、このKindleさまのライトは重宝しますね。
 その間接照明的な感じがなかなかよい。これで読書しながら眠りについてしまっても安心。勝手にKindleさまもスリープなさいますので。今までは、枕元の電気スタンド朝までつけっぱなしっていうのがけっこうありましたから。
 コンテンツについては楽天とそれほどの違いは感じませんけれども、やはり、Amazonはレビューが充実しているじゃないですか。購入の手引きになります。今までは、わざわざAmazonでレビューを確認してから、koboで購入したりしてましたから。
 koboはケースに入れて使ってました。もちろん保護という目的もありましたが、それ以上にkoboは背面のデザインが…(笑)。
 Kindleはかっこいいので、ケースなしで使おうと思います。その方が「軽さ」を堪能できますしね。
 3G版と迷う方がいるかもしれませんが、私はiPhone5でテザリングする予定なので、こちらにしました。

Amazon Kindle Paperwhite

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2013.03.30

(今こそ)五箇条の御誓文

 日はお世話になっている若手ヴァイオリニストのリサイタルを聴きに横浜へ。
 なんだか今日はとにかく寒くて寒くて、体の調子も狂ってしまいました。桜もそろそろ散り始めかなという感じでしたが、その体感風景と実視風景のギャップに、頭の調子も狂ってしまったりして。
 そんな時には、急にとんでもないことを思いついたりするものです。
 今日は横浜の街を歩きながら突然「五箇条の御誓文」が降って来ました(笑)。いったいなんなんだ。
 横浜が開港したのが1859年。その8年後、大政奉還、王政復古が実現し、翌年元号が明治に変わりました。そういう意味では、たしかに横浜という街が明治維新に果たした役割というのは決して小さくないですね。
Gokajo3 そして、1868年4月6日、満15歳だった明治天皇によってこの御誓文が発せられました。
 私もそうですが、学校の歴史のお勉強で必ず覚えさせられるこの「五箇条の御誓文」。いや、名称は覚えるけれども、なかなかその中身を味わうことはありませんよね。
 この御誓文、シンプルながら非常に素晴らしい内容になっていると思います。
 昭和21年の人間宣言の際、昭和天皇が全文を引用していることからも分かるとおり、実は現在においてもその精神、そしてその国体観は生きていると思います。
 しかし、一方で生きているのに死んでいる。それも事実であると思います。
 明治維新、そして大東亜戦争終戦後と、二度の国体のピンチに表に出た御誓文。私は今こそその中身を国民がしっかり味わう時だと思います(というか、突然思った)。
 皆さんと一緒に改めて読んでみたいと思います。たった5ヶ条ですから、ぜひ。
 まず有栖川宮幟仁親王が揮毫した御誓文の原本から(のちの写本は「経綸」を「経論」と誤写しているものが多い…苦笑)。

795pxgoseimon_by_takahito

 活字にしてみましょう(漢字は新字体に改めます)。

一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ

我国未曾有ノ変革ヲ為ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先ジ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ。

 明治神宮のホームページより口語訳を拝借します。

一 広く人材を求めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう。
一 身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。
一 文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。
一 これまでの悪い習慣をすてて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう。
一 知識を世界に求めて天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。

これより、わが国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私はみずから天地の神々や祖先に誓い、重大な決意のもとに国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力して下さい。

 どうですか。いつの時代にも通用する内容ですよね。聖徳太子の十七条憲法にも通ずるところがあります(十七条憲法も全て読み直すべきです)。
 次の昭和天皇のお言葉も興味深い。実は民主主義というのは日本古来の伝統であったということですね。

 「民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います… 昭和52年(1977年)8月23日記者会見」

 私もこれを機会にもう一度日本の民主主義について、そして日本の国体、さらには経綸について考えてみようと思います。皆さんもぜひどうぞ。


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2013.03.29

『歌がつむぐ♪日本の地図 歌謡曲▼童謡▼唱歌▼民謡▼JーPOP』 (帝国書院)

20130330_82615 日の続きです。銀巴里の街灯が灯る「蟻ん子」から神保町の日教組教育会館「御燗」での楽しいひととき。ある意味、両方とも「昭和」の風情があるんですよね(笑)。
 教育会館のすぐ近くに、地図で有名な帝国書院さんがあって、昨日も社員の方が飲みに来ていました。「御燗」での楽しみの一つは、普段お会いするはずもない方々と話ができることですね。なにかしら「教育」や「出版」に関わる方々が多いですし。
 飲みながら勢いで帝国書院の方からこの本を紹介することを約束いたしました。ちょうど「歌」について、それも「日本の歌」について考えていたところでしたから、まさに見事なシンクロニシティ。運命ってすごいですね。
 さて、この本ですが、なかなかいいですよ。歌と旅情、そして地図という、日本人の心を揺さぶる三要素を上手にミックスしていると思います。
 北海道から沖縄まで各都道府県ごとに数曲の代表曲を、関係者やエピソード、歌詞などをまじえて紹介しています。
 もちろん地図や写真、イラストも満載。音楽を耳でなく目で味わうというのはたしかに新しいアイデアであると思います。
 ウチのカミさんなんかは人間ジュークボックスですから、ほとんど全ての曲を歌うことができますから、音源はいらないわけですね。たしかに日本人の心にしみついた名曲ばかりですから、眺めているだけで歌が流れてくる。
 とはいえ、ちゃんと音源も付録しています。それこそ銀巴里で歌っていた田代美代子さん(「愛して愛して愛しちゃったのよ」の人)の見事な歌のCDです。日本語を大切にした旅情を誘う歌です。収録されているのは、厳選された以下の11曲。
 知床旅情、津軽海峡・冬景色、青葉城恋唄、雪の降るまちを、琵琶湖周航の歌、赤とんぼ、瀬戸の花嫁、荒城の月、さとうきび畑、復興応援曲「みどりのふくしま」
 地図の方に話を戻しますが、よく見ますと本当によく作りこまれていることが分かります。というか、これは文化遺産の記録としても貴重ですね。
 たとえば我が山梨県を見ると、正直まったく知らない曲もたくさんあります。だいいち我が村にちなんだ「鳴沢慕情(新沼謙治)」なんか知りませんでした(苦笑)。
 本当に戦前から最近(平成24年発表の曲)まで、よく調べてよく収集してありますよ。細かいもの全部を含めると、1000曲以上掲載されています。
 そして、巻末の資料や索引などのデータ集が秀逸。そう、あの帝国書院の地図の巻末のあのモノクロページのところですよ。お分かりになりますよね。ちゃんとそういう作りになっている。
 近現代日本音楽史年表、日本レコード大賞年表、さらには日本全国ご当地DJ名鑑まである。
 というわけで、これはですね、究極的に言えば、「帝国書院の地図」という郷愁をもちゃんと表現しているということですな。
 光村図書の国語教材とともに、おそらくほとんどの日本人が通ってきた「文化」でしょうから。
 帝国書院さんでは、こうした「地図文化」を継承、発展させるべくいろいろな地図を作っているようです。いいことだと思います。地図もデジタルの時代になったとはいえ、やはり、全体像を眺めたり、ペラペラと繰ったりする、調べ物目的ではない地図の楽しみは、紙(アナログ)でないと味わえませんからね。
 応援したいと思います。頑張ってください!
 最後に。昨日も社員の方と話しましたが、「帝国」という響き自体が時代やイデオロギーを超えた「郷愁」ですね。素晴らしい。

帝国書院ホームページ
 
Amazon 歌がつむぐ♪日本の地図歌謡曲

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2013.03.28

贅沢な水晶婚式でした。

 がついたら今日は結婚記念日。ところで何年目だ?ということで、カミさんと指折り数えたら15周年でした。
 結婚15周年って何婚式?…調べましたら「水晶婚式」とのこと。
 では、二人で出かけるか、ウチらしいプチ水晶婚式をしよう、ということになりまして、子どもには留守番を命じて、二人高速バスで江戸へ向かいました。
Img_6224 まず最初に向かったのはシャンソンライブハウス四谷「蟻ん子」。本来は家内と私の母という嫁姑ペアで行く予定のところに、私が急遽参加という形です。
 私は実は初シャンソン体験…いや、美輪明宏さんのディナーショーに行ったことがありますので2回めでしょうか。でも、ライブハウスという場での生シャンソンは初めてです。ちょっとドキドキ。
 まず結論から申しましょう。本当に素晴らしかった。感動しました。歌はいいなあ。日本語はいいなあ。日本人は歌のもとに平等だなあ。
 しますえよしおさんの超プロフェッショナルな歌はもちろん、朝吹タツヤさん、坂田エリさんの歌、雄太くんのピアノも素晴らしかった。なんとも贅沢な3時間半でした。
 なんと言っても感動したのは、日本を代表するシャンソン歌手しますえよしおさんが、私たち二人のために「愛の讃歌」を歌ってくださったことです。実にスペシャルな水晶婚記念になりました。本当にありがとうございました。
 本当に久しぶりに心にしみる歌、美しい日本語を聞いた気がしましたね。言葉の陰影。美しい子音。美しい母音。
 あらためて日本語というのは「歌」のための奇跡的な言語だと思いました。開音節(基本全ての音が母音で終わる)であることによって、必ず母音が余韻として残る。それこそが日本語の言霊だなと感じました。
 シャンソンやカンツォーネを日本語で歌うことの意味が、実は今までよく分からなかったのです。今回しますえさんたちの歌を生で聴いて、古来日本が漢語や英語を日本的な発音にして輸入してきたことの意味も含めて、ようやく腑に落ちました。
Img_6226 歌と言葉と意味の力にすっかり打たれてしまったのです。今日、しますえさんともお話しましたが、楽器をやる人間として、歌は最高のお手本なのです。なぜなら、特にヴァイオリンなどの音が持続する楽器は、常に子音と母音のコントロールを迫られるからです。
 いや、実際のところ、ピアノのような「鳴りっぱなし」楽器においても、母音のコントロールというのは意識の上では避けて通れないものです(そういう意味では今日の雄太くんのピアノはお見事でした)。
 しますえさんも朝吹さんもお見事な母音のコントロールでした。日本語シャンソンは、ある意味フランス語風にするために、音節を詰め込んだり、語尾を減衰させたりしますよね。そのおかげで、微妙な母音のコントロールという新しい文化が生まれたのだなと感じました。単純に日本語の歌を歌うよりも高度な「言霊術」です。
 それにしてもやっぱり日本語の歌はいい。シャンソンやカンツォーネも良かったけれども、やはり私の心に残ったのは「津軽海峡・冬景色」「あざみの歌」「星の流れに」「群青」などでした。
 日本の歌、それは私の専門分野である和歌も含んでの「歌」です。渡部昇一さんがおっしゃるように「日本人は歌のもとに平等」なんですよね。いや、もっと言えば「世界は日本語の歌のもとに平等」なのかもしれませんね。
 それから、ライブハウスでの音楽って改めていいなあと思いました。あの距離感。出演者が一人ひとりのお客様とコミュニケーションをとって、リクエストに答えて、まさにインタラクティブな場でした。最も幸せな音楽のあり方でしょうね。これからの音楽産業の進むべき方向を示唆してくれたと思います(本来の形に戻るということなのでしょう)。
Img_6235 さて、この贅沢な時間が終わったあとは、私たち二人は神保町へ向かいました。職場の後輩も呼び出して、いろいろな意味で(笑)大好きなお店、「御燗」で宴会です。
 敵地の懐深く入り込んで、堂々と飲む、いや呑み込む楽しさはいつも格別です(笑)。今日も本当においしいおいしい秋田料理と秋田のお酒をたっぷり堪能いたしました。これまた最高の味わいで水晶婚式を演出していただきました。ありがととうございました!
 帰りの最終高速バスでは二人ともぐっすり。富士急ハイランドに到着すると、まさに水晶のような月夜富士が私たちを迎えてくれました。ありがたや。
 これからも二人は楽しくやっていきますよ。世の中のために今まで以上に頑張らせていただきます!どうぞ変わらぬご愛顧を。

シャンソンライブハウス四谷「蟻ん子」

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2013.03.27

尖閣が400年前から日本領土だった決定的な証拠!?

2013032700000050dal00012view んだ仏像を返さない国も困ったものですが、相変わらず尖閣や沖縄をほしがっている国もどうかと思いますね。
 だいたいにおいて、(古来の)信仰よりも道徳を重んじる国には、やはりそうなった理由というのがあるものです。
 正しい信仰心(それがアニミズムであっても)があれば、人は自己中心的にはなりえません。
 信仰心が薄れ、自己中心的になると、そこには道徳と法が発達します。
 儒教なんかその最たるものですね。
 日本も古神道に仏教、儒教、国家神道、そしてアメリカ教などが侵食してきた歴史がありますが、魂の部分では底流する本来的信仰心を失わずにきたと思います。
 そこには、日本国民としての矜持や愛着が残っています。いや、それ以上に地球市民としての「和」の精神も残っている。
 だからついつい「人の良さ」を発揮してしまったり、場合によっては自虐的にさえなって、他者を慰撫しようとする。
 国際社会においては、それが悪い面に現れることもあります。より次元の上がった地球社会では良いことなのでしょうが。
 さてさて、今日ホリエモンが仮釈放されましたね。ずいぶんと痩せて健康的になったような気がします。
 あの事件もいったいなんだったのか、ちょっと謎な部分がありますけど、堀江さん自身にとっては幸運な事件だったとも言えますね。
 あのままホリエモン流を貫いていたら、もしかすると死んでいたかもしれない。病死していたかもしれないし、殺されていかもしれないし、自死していたかもしれない。命拾いしましたね。
 彼は収監前にも、また収監後にも、「尖閣なんて中国にあげちゃえ」みたいなことを言っていました。
 私はそれも選択肢としては(正しいかどうかは別として)ありだと思う立場です。
 彼は近視眼的に、すなわちホリエモン流近未来史観によって「死ぬのはいやだからカネで解決しよう」「第一あそこの地下資源はカネにならないし」と判断したのでしょう。
 たしかにそういう見方もあっていいと思います。
 まあ、「あげちゃえ」と発言するということは、彼が尖閣は日本の領土であると思っているということですね。そう考えると案外まともであるとも言えますね(笑)。
 さてさて、今日、いつものようにチャンネル桜を見ていたら、長崎純心大学の石井望さんが出演して、「尖閣が400年前から日本領土だった決定的な証拠」について語っておられました。

 非常に興味深い内容ではありますが、「決定的な証拠」というのは少し言い過ぎかなと。文献学的である時点で、ある程度の「推測」「推定」(石井さん自身も何度もこの言葉を繰り返しております)に過ぎませんからね。
 ただ、たしかに面白いものを見つけたなという感じはします。中国はおそらくこれに対抗するように、「我が国の領土であるという5000年前(500年ではない…笑)の決定的証拠」を捏造してくるでしょう(苦笑)。
 それにしてもなあ…この前、ある短歌誌に投稿いたしましたけれども、尖閣っていう名前が悪いなあ。

 尖閣は我が領土なりと叫べども音読みの島に郷愁はなし

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2013.03.26

デジタルメモ 『ポメラ DM100』 (キングジム)

Img_6217 慢すること1年半。やっと自分に許可がおり、購入いたしました。
 1年半前、この親指シフト対応ポメラが発表された時の記事をご覧ください。こちらです。ここにほとんど全て書いてあります。
 いやあ、実際に手にとって、そして「演奏」してみますと、ホント感動ですね〜。素晴らしい。
 私はもちろん親指シフトで使用しますから、まずキートップシールを貼る作業から始めました。貼ってから「演奏」したわけです。
 そのシールを貼る時の、あの高揚感はですね、そうだなあ、ヴァイオリンを買って、張られていたスチール弦を裸ガット弦に替えるような感じ…一般の方には全然分からないか(笑)。
 そして、いざ、演奏してみると、これが予想以上にいい感じだし、いや、予想外の感触があって、その「モノ」に慣れていく自分が快感なんですよね。分からないかなあ…。
 まさに、インストゥルメントですね。キーボードですね。
 あっそうだ、新車に初めて乗る感じに近いかも。
 質感もいいですね。大きさ、重さ、厚さもしっくり馴染みます。モノクロ・ディスプレイを縦書き表示にして親指シフトで思いつくままに文章を打っていく、いや奏でていく…オアシスの頃を思い出しますね。若かりし頃。
 改めて、こんな時代錯誤な製品を作ってくれたキングジム様に感謝申し上げます。
 これって、ほとんど何も機能がない分、ホントこれからのモノづくりのヒントはたっぷり詰まっていると思いますよ。ゴテゴテいらない機能で太りきって機動力がなくなっている日本の製品群に対するアンチテーゼですね。
 これからの日本のモノづくりは「正しいダイエット」ですよ。Appleもそこがうまいわけだし。もともと日本は「禅味」が得意なはずですよね。わびさび、欠落、不足というか、知足の美を追究してもらいたい。
513sl0xnl_sl500_aa300_ とは言え、このポメラ、単にアナクロ、先祖がえりではないところがすごい。
 QRコード、Bluetooth、USB、Evernote、SDカードなど現代の技術も搭載しています。痒いところにはちゃんと手が届いている。素晴らしい。
 iPhoneのポメラ専用アプリの出来もよい。これもシンプルですが使いではあります。ポメラでささっと長文を書いて、本体のボタン一つでQRコードに変換し、さっとiPhoneをかざせば、Evernoteにノートが出来ている。あるいはコピペしてメールやプログやツイッターに投稿できる。
 なにしろ起動が2秒というのが感動ですよ。PCにせよタブレットにせよ起動の遅さは最悪です。それらでは起動の遅さをカバーするたにスリープ状態を利用するわけですが、そうするとバッテリーは消耗します。ポメラは単三アルカリ電池2本で30時間、エネループで20時間駆動します。これだとほとんどストレスはありませんね。私はデジカメも含めて全てエネループ8本の使い回しをしています。これで人生のストレスの50%は解消しています(笑)。いや、冗談でなく。
 バックライトもいいですね。真っ暗な場所でもどんどん文章を打てます。寝室の布団の中とか。親指シフターは皆当然ブラインドタッチですから、キーボードの照明なんていりません。最近寝ている時の思いつきが多いので重宝しそうですね。
 というわけで、これからは出先でもじゃんじゃん文章を書ける。親指シフターの私としては、それは楽器を奏でるのと同じ行為なので、単純に快感なのであります。
 なんとも楽しみが増えました。そして、来年度の仕事上も活躍してくれそうです。新たな相棒ができたような気がします。

ポメラ公式

Amazon KING JIM デジタルメモ「ポメラ」 DM100クロ ブラック


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2013.03.25

『随処作主立処皆真(随処に主となれば立つところ皆真なり)』

Img_6191 日、修学旅行で妙心寺に参拝し、教学部のお坊さんのありがたい法話をうかがう機会を得ました。
 その中でキーワードとなっていたのがこの言葉。臨済禅師の言葉です。
 臨済録の中で、この言葉に触れていたにも関わらず、その意味が今ひとつよく分かっていなかった私。それが法話をうかがう中で、突然腑に落ちたんです。まさにストンと。
 今までは、なんというか、いわば理屈で考えていたんでしょうね。そうすると、無我、無私を説く禅において、自分が主役になるのは矛盾ではないかと。
 ま、そんな単純な発想しかできなかったんでしょうね。そういう現世的な発想から離れるには、やはり環境が大事なのでしょう。大本山妙心寺の微妙殿という場を得て、ちょっとした悟りに達したということでしょうか。ありがたいことです。
 というわけで、ふっと降りてきたのは、こういう言葉です。
「世界が自己に凝結する」
 これまた我流の禅語のようですが、このイメージがふっと降りてきて、「随処作主立処皆真」の意味が分かったのです。
 なるほど、縁起している私は、その縁の中心だと言えば中心です。すなわち、空や無我を知る、そういう視点に立つことによって、私が中心であることが分かる。
 しかし、主というのは、決して主人ということではないし、いわゆる主体性ということでもない。簡単に言えば「おかげさまの主人公」ということです。
 何よりも誰よりも自分は他者のおかげで存在している。実は自分と他者は等価である。自分の中に世界が凝結している。自分を見れば世界が分かる。あるいはその逆、世界を見れば自分が分かる。
 その考えを推し進めると、自己のみならず万象が世界の中心、主となれることが分かります。原文のニュアンスとしては、「随処」が主語であるという感じです。ストレートに訳せば「全ての場所を中心とする」ということでしょうか。
 自分が世界(宇宙)である、世界(宇宙)が自分であるということを知ると、非常に大きな自信がわいてきます。そして、それこそ自分の生活上の些細なことはどうでもよくなってきます。執着を離れるのです。
 たとえば、お釈迦様が執着や煩悩の最たるものとして挙げている「財」や「子」についても、自分の財布の中身や自分の子どものことだけにこだわるよりも、世界中のお金が自分のものだと思ったり、世界中の子どもが自分の子どもだと思えば、実に気が楽というか、気持ちよく毎日を過ごせますね。
 せっかくこの言葉が腑に落ちましたので、時々思い出しては、自分や他者が常に同時に主であることを意識して生きて行きたいと思います。
 本当にありがたい気づきでありました。ありがとうございました。

妙心寺

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2013.03.24

『日本驚異の秘密結社 歴史を動かす地下水脈』 那由他一郎 (徳間書店 超知ライブラリー)

20130325_110802 日までの修学旅行でも、いかにも壮年中二病患者のワタクシらしい観点で楽しんで参りました。
 まあ、人様に迷惑をかけなければ、こういう視点を持つということは、人生を豊かにする一つの知恵のようなものです。
 というか、実際ですね、富士山に住んでいますとですね、現代においても生の生活体験というか生活体感として、やっぱりいろいろ感じるんですよ。何かが地下に流れているなと。
 この辺で強いのは、やっぱり縄文と秦氏、そして南朝の影ですね。
 この三つだけでも、もうほとんど日本の裏社会のオールスターみたいなものですね。というか、それぞれがまた密接につながっている。
 そんな地下水脈を総合的に紹介したのがこの本。一つ一つに関してはそれほど詳しく語られてはいませんが、入門としてはこれくらいがいいかもしれません。あるいは便覧的に眺めるにも。
 ここで紹介されている「秘密結社」を全て挙げてみましょうか(「結社」とは言えないものも多数ありますが)。

・秦氏
・新撰組
・赤穂浪士
・平家落人
・悪党
・村上水軍
・雑賀衆
・島原の乱集団
・洗心洞
・尚歯会
・兵児二才
・精忠組
・松下村塾
・奇兵隊
・義祭同盟
・土佐勤王党
・亀山社中
・天誅組
・神風連
・私学校
・陸軍登戸研究所
・大本教
・オウム真理教
・真言立川流
・衆道
・一向一揆
・隠れキリシタン
・江戸の隠れ念仏
・旗本奴、町奴
・懐徳堂
・天津教
・木地師
・陰陽師
・傀儡師
・たたら師
・忍びの者
・サンカ
・マタギ
・穴太衆
・八瀬童子
・博徒、無宿者
・日本共産党
・東大新人会
・平民社
・玄洋社
・血盟団
・楯の会
・日本赤軍、連合赤軍

 よくぞここまで集めたとお思いになるでしょうが、実際のところ、これらは氷山の一角ですね。
 なにしろ、これらは「秘密」と言いつつ、まったく秘密ではなくあまりに有名なモノばかりですからね(笑)。
 実際の秘密結社は世に知られていないはずですから、ここに取り上げられるはずもありません。つまり、ここで言う地下水脈は、けっこう地表に近いところの話なのです。
 ちなみに壮年中二病のワタクシも今、ある秘密結社を運営しています…って、言っちゃったら秘密じゃないか(笑)。
 いずれにせよ、社会や歴史には表もあれば裏もあるのは当然のこと。我々人間自身が表と裏を持っており、違う言い方をすれば、秘密の自分を持っているわけであって、そこからの連想や好奇心からこうした「秘密結社」や「陰謀」というものに興味を持つんですよね。
 この本の冒頭にも、フリーメーソンの流れとしてのボーイスカウトが紹介されていますが、私たちがよく知っている、つまり表に出ている団体にも、それぞれ裏の歴史があるものです。
 前に書いたように、それらを趣味として楽しむのは大いに結構ですが、あまりにそちらに向かいすぎて、なんでも「秘密結社」の「陰謀」だなんて言いだすと、これはこれで迷惑なことですから、私も気をつけたいと思います(もうすでに危ないとよく言われますが…笑)。
 ま、全然秘密じゃなく明らかになっている「秘密結社」の「陰謀」レベルなら、全然問題ないでしょう。
 
Amazon 日本驚異の秘密結社

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2013.03.23

天龍寺の龍たち(修学旅行最終日京都から富士山へ)

 っという間に過ぎた四日間。実にお行儀のよい生徒たちに救われて、私は私の旅も堪能させていただきました。生徒に心から感謝。
 午前中、金閣寺と嵐山を回りました。中でも印象的だったのは天龍寺ですね。
 昨日に続いての「龍」です。考えてみれば後醍醐天皇というのもなかなかのお変人で、帝と言えどもある意味まつろわぬモノでしたね。
 後醍醐帝はかなり文観などを通じてかなり怪しい呪術を身につけていましたから、そりゃあ尊氏もビクビクだったことでしょうね。
 天龍寺という名称にも「龍」に対する一種の畏れを感じます。曹源池自体、龍体であると感じました。気の流れが完全に龍です。写真には写っていませんが、見事な雲龍が上空に現れていました。

 Gedc2686

 大方丈裏の雲龍図。秋田出身の若狭物外筆。これがなかなか良い。ちょうど法堂の加山又造の新しい雲龍図も公開されており拝見しましたが、物外道人の作品の方が生きていましたね(苦笑)。

Gedc2684

 天龍寺と言えば竹林も見事。竹と龍も関係が深い。
 ちょうど三葉躑躅と桜が満開でした。双方ともに富士山は木花咲耶姫の分霊。みろくの世の出来の証です。なんとも象徴的な美を演出しておりました。

Gedc2690

 旅の最後に素晴らしい風景を見ることができ幸せです。
 龍の魂をどっさり背負って帰途につき、三島から富士吉田へのバスの中から、富士山へそれらを放ちました(…なんて、どんな修学旅行団長なんだ…笑)。
 こんなわけで、本当に、学校としても個人としても充実に充実を重ねた、素晴らしい旅行でありました。皆さん、ありがとうございました。来年度も頑張ります。

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2013.03.22

神々を言向け和す(修学旅行3日目京都)

 て、修学旅行三日目です。今日は一日京都。
 私の霊的な旅としてもメインの日です。
 いろいろあったのですが、かいつまんで写真とともに紹介します。
 まずは旅館の近くにあった「六角堂(頂法寺)」へ朝の散歩。京都のへそ(中心)、いけばな発祥の地、そして最近ではパワースポットとしても人気のお寺です。
 私としては、やはりここが聖徳太子ゆかりの寺であるというところに興味を持ちます。もちろん、全国どこにでもそういうお寺はあります(月江寺もそうですよ)。しかし、直感としてここは特別な寺だなと思いました。理屈ではありませんが。

Gedc2657

 新し目なお堂ではありますが、これが太子堂です。太子自作の太子像が安置されています。太子自作の太子像というのも、全国各地にありますね(富士北麓の伝説にも出てきます)。
 物部と戦った末に、結局は「和」の精神に至った太子は、こうやっていろいろな形で現代まで生き続けています。
 仲小路彰のお弟子さんもおっしゃっていましたが、たしかにどの時代においても太子は日本人にとって超有名人、スーパースターだったわけです。悪く言う人はほとんどいませんね。ある意味時代や地域や思想を超えているのです。実際、古今東西さまざまなモノを吸収和合していましたからね。
 ここ京都にもこうして根強い太子信仰が中心に鎮座しているのだなと感じました。
 続いて清水寺の舞台の下にある阿弖流為と母禮の碑。

Gedc2663_2

 このあと石川五右衛門の墓参りもしたのですが、とにかく日本人は、敵や悪者であってもしっかり供養しますね。まさに「和」「言向け和す」の精神です。
 ちょうどNHKでアテルイのドラマやったんですよね。いいタイミングでした。
 続いて八坂神社へ。ドラマの撮影などしておりました。

Gedc2667

 道中にも何かの番組の撮影でいらしていた藤岡弘さんにお会いしました。考えてみれば、仮面ライダーも異形の存在ですな。
 そういう意味では八坂神社のパワーもすごい。やはりまつろわぬ内輪神であるスサノヲの力は恐るべしですね。
 京都の街というのは、ご存知のとおり、怨念を封じ込めた壮大な装置です。それこそ怨敵の怨念を恐れて建立した寺や神社ばかり。
 負のパワーすら、そうして未来的プラスエネルギーに変えていくことこそ、実に日本的であり、聖徳太子的であり、「言向け和す」的だなあと感じました。
 そのラインでいくと、やはり「龍神」の存在も忘れてはいけません。我が校の母体である月江寺の本山妙心寺でもそのことを強く感じました。
Unryu あの法堂の天井に狩野探幽によって描かれた雲龍図。私は何度目かの妙心寺参拝でしたが、今回は特に強い衝撃と感動を受けました。
 ちなみにあれって片目で見た方がいいですよ。独眼流立体視の術の原理で、超3Dに見えます。ぜひ。
 日本における龍神の存在というのは、なかなか説明しつくせない複雑さがあります。しかし、たしかなのは、非常に荒々しい存在であるということです。まさに水と火という日本を象徴する自然の恩恵と災害を思わせる存在ですね。
 そんな龍をも言向け和すのが日本流なのでしょう。
 妙心寺についてはいろいろ書きたいことがありますが、今日はこのへんで。


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2013.03.21

救世観音と弥勒菩薩(修学旅行2日目奈良)

 学旅行二日目。広島をあとにし京都駅経由で奈良へ。
 今回の旅の私的メインイベントはここにあります。法隆寺と中宮寺。救世観音と弥勒菩薩。
 広島からたくさんの魂を引き連れたまま奈良入り。朝から発熱と頭痛。しかし、それも見事に解消というか昇華されました。
 今日も厳選した写真だけ載せますね。まずは夢殿。

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 夢殿とそこに安置されている救世観音の由来については、あるいは聖徳太子自身についても、ご存知のように諸説ありますが、今回の私はあえて感性で勝負です。非常に素直な受信器になれたと思います。受信機ではなく受信器。
 仲小路彰の言うとおり、夢殿というのは、聖徳太子が未来について瞑想した建物であると実感しました。少なくともその場に建てられたものであると。
 聖徳太子の思いはまさに「救世」でありました。「和」によって世の中を救おうとした、いや今もしているということを実感できました。それも相当に強い意思です。
 ある意味では強すぎるほどに強い。世を守り、世を変え、世を救いたい…その心は1300年以上経っても全く衰えることがありません。
 仲小路彰は21世紀には富士山に「現代の法隆寺」を創るべしというようなことを言っていたと聞きました。まさに、平和の発信基地としての国家的施設建設の秋を迎えているのではないかと感じました。いや、感じたというよりも、命じられたという感じです。
 ちょっと後ずさりしてしまうほどに強いメッセージであったと思います。
 続きまして、中宮寺へ。中宮寺の弥勒菩薩との再会。私はまるで初恋の人に会うような気持ちです。
 私がそれこそ中学3年生の時にこの寺を訪問し、この弥勒菩薩像と対面した時の衝撃は今でも忘れません。心打たれました(恋に落ちたとでも言うべきか)。

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 35年ぶりくらいでしょうか。本当に久しぶりにお会いできました。そして、魂から癒されました。
 なんという優しさ、柔かさ、美しさでありましょう。
 救世観音の厳しさ、強さとは対照的。まさに女性的な愛のあり方ですね。思わず涙がこぼれました。
 そして、気づいたのです。非常に単純なことに。
 法隆寺夢殿と中宮寺とは隣接しています。救世観音と弥勒菩薩はほとんど並んで、そして揃って同じ方向を向いているのです。
 男性的な救世観音と女性的な弥勒菩薩。まさに陽と陰、あるいは陰と陽でしょうか、いずれにせよ、相和して私たちを守り、私たちに覚醒を促している。そのことに今まで気づきませんでした。
 これは私にとっては非常に大きな発見でありました。35年ぶりの再会は実に感動的でした。
 そんなことを思いながら、再び夢殿を参拝しますと、未来に光を届ける宝珠の横にぽっかりと月が浮かんでいました。

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 広島の御霊が天高く昇っていくのが感じられ、私の身も心も軽くなったのでした。


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2013.03.20

厳島と平和記念公園(修学旅行1日目広島)

 学旅行から帰ってきましたので、数日分の記事をまとめて書かせていただきます。
 今回の旅は、もちろん仕事上は生徒の修学旅行の引率という使命を帯びておりましたけれども、一方で非常に個人的ではありますが、このタイミングにこの場所という必然性を感じる、ある種霊的な旅でありました。
 もちろん仕事中にはそのようなことは表には出さずにおりましたが、ここはマニアックな読者が多くいらっしゃるので(?)、あえてそちら側から書きたいと思います…とは言っても、なにしろ生徒(中3)よりも中二病的な内容になってしまうので、軽くキーワードのみ書かせていただきますね(苦笑)。
 さてさて、修学旅行初日。実は私、広島に行くのは初めてなのでした。
 自分でも意外な感じがします。しかし、このタイミングでの訪問で良かったと思いました。
 早朝5時すぎに富士山を出発し、午後は宮島と広島平和記念公園へ。当初の計画では平和公園だけだったのですが、私の希望で宮島も入れていただきました。結果として生徒のためにも良かったと思います。
 写真もいろいろ撮って来ましたけれども、厳選してこの1枚。

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 やはり宮島全体がすごい霊気に覆われていましたね。上陸するとそれまでの雨と霧がウソのように見通しがきくようになりました。それでも多少の靄がかかり、おかげさまで現代的な構造物の存在感が薄れてくれまして、非常にいい雰囲気で古代と交流することができました。
 弥山も煙っていました。本当にそこに空海が来たのか、その目で確かめようと思いましたが、それは無理。しかし、ただならぬ空気が弥山方向から下ってきていましたので、やはりそれなりの御山であると感じました。
 島全体が女神体であるというのも納得。宮島で機織りと耕作が禁止されているのは、やはり女系の神、すなわち縄文の神を意識した禁忌でありましょう。弥生文化の侵入をいまだに阻止しているのだなと感じました。
 続いて原爆ドームの写真を1枚。

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 あえて現代建築や川面との対比を意識した構図で撮ってみました。
 このあと、被爆体験者の話をお聞きし、広島平和記念資料館を見学し、慰霊碑で読経したのですが、その後今までに体験したことのない感覚に襲われました。簡単に言えば、霊的な体調及び感覚不良です。
 予想していたとはいえ、ここまで強烈なメッセージを受け取ってしまうとは自分でも驚きでした。しかし、それもまた私の天命にとって必要不可欠なことであると観じておりましたので、気持ちとしては穏やかに受け入れることができました。
 数日前にいろいろな方から「広島の使命」についてうかがっておいて本当に良かったと思いました。
 この「受け止め」は翌日の奈良訪問への布石であったのです…。

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2013.03.19

カラーテレビドアホン VL-SV36KL (パナソニック)

10f757160d0722d610f75717 を建てて15年くらい経ちます。当時設置した電気器具にも、さすがに不調が現れ始めています。
 最近でいうと、ドアホンの呼び鈴(チャイム)が鳴らなくなって、お客さんを無視してしまうことがありました。
 正確に言うと、鳴ったり鳴らなかったりだったんですよね。あるいは喉に何か詰まったような音しかしないとか。ま、年取って鈍感になった上に声帯がいかれてきたという感じです。
 で、昔の電気器具は叩けば治るとばかりに、時々活を入れてだましだまし使ってきたんですよ。実際叩くとしばらくは治る。ほれみろ、体罰は必要だ…とか不謹慎なことを言ったりしてましたけど、いや、実際のところ、叩きもせずにダメ出ししてたら、もう3年ほど前に彼はゴミと化していたことでしょう。叩くことによって本来の寿命を全うしたとも言える。
 ま、それは半分冗談として…最近では叩いても言うことをきかなくなってきたので、優しくなでたり、語りかけたりしてましたけど、それでも全然ダメ。しかたなくお役御免にいたしました。
 そして代わりに設置したのが、コレ。
 ふむ、この十数年でずいぶんとドアホンも進化したな。たしかに、CCDやTFT液晶などが急速に進化しましたからね。メモリーも安くなったし。
 お値段は旧型とほとんど変わらず、白黒ブラウン管(?)からカラー液晶へ。夜間照明用の白色LEDや録画機能までついている。これはたしかに優れものであります。というか今ではこれが普通なのか…。
 ちなみに取り付けは電気工事士さんに頼む…ことなく自分で20分で終了!楽チンでした。実は旧式をはずすのに一番手間取った(笑)。
 早速気づいた子どもたちがピンポンピンポン遊び、さらに録画された自分たちの顔のどアップに盛り上がっていました。よしよし。
 実際に訪れたお客さんも、今までのはなんだか前世紀の遺産みたいな謎のドアホンだったし(ちなみにOHM製)、押しても鳴らないという不安を感じてきたでしょうから、ようやく安心してピンポンできるようになったかもしれませんね。今まですみませんでした。
 そんなわけで、もし皆さんのお宅でもドアホンの交換が必要でしたら、ぜひこの製品をどうぞ。安くて機能も充実していて使いやすい。
 おそらく日本中に大量に出回る製品だと思いますが。ドアホンで個性を主張する必要もないでしょうし、いいんじゃないですか、全国共通で。
 ちなみに現在使っているドアホンが、コンセント式ではなくて、電線直結式の場合は業者さんに頼んだ方が安心かと思います。ウチはもともとコンセント式でしたので自分でできましたが。

カラーテレビドアホン VL-SV36KL (パナソニック)

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2013.03.18

唯物論を乗り超える

E38395e382a1e383b3e381abe3839ae383 間がないので、ごく簡単に書きます。思いつきでメモっていくので話が飛びます。たぶん。
 まず、昨日の全日本プロレスの話。新オーナーによる新体制初の両国国技館大会。さまざまな歴史を内包する聖地で、ある種の霊的な暴動が起きました。
 「ガチンコセメントプロレス」というワケの分からん言葉を引っさげてリングに上がった白石オーナー。ファンの怒号の中、反発するKENSO選手に張り手をかましました。KENSO選手はやり返さなかったのですが、全日本所属ではない佐藤光留選手がオーナーに突進し、そして号泣しました。
 私がいつも言っているように、プロレスは単なるスポーツではありませんし、単なるエンターテインメントでもありません。
 「体」をもって「霊」を顕す宗教的な儀式であると考えています。まじめに。
 そこに、いわゆる唯物論で踏み込んできたのが総合格闘技でした。
 その頃のプロレスはたしかにその霊性が弱体化していた。だからこそ、唯物論が侵入する隙があったのですが、その後の流れは確実に霊性の復権に向かっていると感じていました。
 今はその正念場に来ていると感じます。
 「ガチンコセメントプロレス」という一見矛盾しているような、しかし、たしかに理想的とも言える言葉には、不思議な説得力を感じるのも事実です。
 先ほど霊性の復権ということを書きましたが、そのプロセスとして、誤った霊性が強くなるということも、歴史上よくあることです。
 たとえば現代プロレスで言えば、シナリオに基づいた予定調和的、組合的な試合内容がそれです。そこに表現される闘いは決して本物ではありません。
 つまり、唯物論的な闘いに対抗するためにとりあえずフィクショナルな闘いが「演じられる」ことがあるのです。
 日本の近代史における出口王仁三郎のトリックスター的な動きもその一つでしょう。西洋近代を象徴する唯物論(共産主義のみならず資本主義も含む)を、ある種の演劇性、反科学的な諧謔性によって凌駕しようとした。
 それは巨大な勢力に対しての正統な戦いのあり方です。決してそれ自体は間違いではありません。唯物的な思考が最も混乱をきたすのは、そうした大衆的なお芝居であったりします。
 私は、唯物論的世界観というものを、人間が作り上げたニセ神様、すなわち悪魔悪神であるととらえていますから、そうした演劇性や諧謔性というものは、実はホンモノの神様の発現の一形態であると感じています。
 問題は、その次の段階なのですね。そうして、悪神を混乱させたのち、いよいよ本当の霊性を復活させるためにどうすればよいか。
 そういう意味では、全日本プロレスは、一見唯物論的に見えるオーナーによって、次のステージへの覚醒を促されているような気がするんですよね。レスラーはもちろんファンたちもです。
 だから、私は白石さんの言動には、微妙に違和感と反発を覚えながらも、どこか納得できるところもある。すごい人が現れたなという気もする。さあ、霊性の担い手たちよ、ここからどうする?!という感じ。
Obws213_abe_tp_g_20130315052658 TPPもそうなんです。たとえば農業のことを考えてみましょうか。
 民主党政権によって(のおかげで)、農協(JA)の腐った実情が明るみに出ました。もちろん、それは自民党政権時代に「霊」が「体」に負けた結果としてそうなっていたのですが、そのウミが明るみに出た。
 そして再び自民党政権に戻った時には、すでに集票装置として機能しないことも明白になっていたので、唯物論的な蜜月関係など復活するはずもなかった。
 安倍総理が言うように、日本は瑞穂の国なのです。農業は決して唯物論的な世界ではありません。非常に霊的な力の強い世界。霊性を基礎に置かねばどうにもならない生命の世界なのです。
 ですから、このたびのTPP交渉は、本当の日本の農業の復活のきっかけになるとも言えるのです。戦後の農地改革や農協政策、さらには農薬や機械化といった近代農法によって失われた「霊」的な部分、日本を支える「魂」が復活するきっかけとなると考えています。
 もちろん、それは生産者だけでなく消費者の方にも言えることですね。真に賢い選択ができる日本人であれば、グローバル経済という唯物論を凌駕することができるはずです。
 仲小路彰も唯物論を霊性で超越せよということを述べていますし、その具体策を示しました。その象徴とも言える壮大な構想を、ここ富士山麓で現実化しようと努力しています。
 …というわけで、なんだかいろいろな話に飛びましたが、今日はこれくらいにします。

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2013.03.17

『天皇の真実』 河内正臣 (メタ・ブレーン)

Tennounosinjitu_muryou 日も山中湖畔にて、昭和の天才仲小路彰の直弟子の方から5時間ほどお話をうかがいました。
 汲めども尽きぬお話の一つ一つに心地良い戦慄が走ります。
 このお話を総理にお伝えするのが私のお役目であります。まったく不思議な運命ですが、全てのご縁とそのタイミングが、あまりにうまくできているので、これは偶然と言うよりも必然、天の配剤であると感じます。
 思えば安倍総理夫人とご縁ができたのは、一昨年前の天皇誕生日でありました。その日の記事にはこんなことが書いてあります。

 陰陽と言えば…一次会終了後、会場におられた安倍元首相の奥様昭恵さんにご挨拶させていただきました。ある意味ご近所なので「不二の仕組み会」にお誘いしておきました。これから大きな動きが生まれるでしょう。楽しみです。

 その後の運命の流れについては、このブログに紹介してきたとおりです。この運命の日に、非常に興味深い講演をなさったお一人が、昭恵さんも私淑する河内正臣さんです。
 「憲法九条は昭和天皇のご発案」という、まさに「右翼も左翼も仲良く」を実現する究極の「真実」を半世紀近くにわたり訴え続けてきた方です。
 実際、当時の新聞や官報に紹介された昭和天皇のお言葉を拝読しますと、平和憲法(戦争放棄)を強く希求されていたことが分かります。
 そうした一連の事実について詳しく書かれているのがこの本です。
 歴代総理らをはじめとする、それこそ左右問わざる多くの方々から感激と共鳴の声が上がり、実際にその感想や手紙がこの本に付録として収められています。正直、それを眺めるだけでも驚きですね。
 このような国民のほとんどが知らない、あるいは知らされていない「真実」について、やはり仲小路彰も常に言及していたとのこと。ですから、その直弟子の方にとっては、この本の内容はごく常識的、当然のことであるようです。
 仲小路彰は「天皇平和」という言葉をよく使ったそうです。日本の歩むべき道、世界を平和に導く、いや、地球を楽園にするための唯一の方法として「天皇平和」を提唱したわけです。
 仲小路彰も右、左問わず多くの人たちに尊敬されていた人物です。
 そう考えると、戦後の右と左という二元論的な構図もなんとなく滑稽というような気がしてきますね。
 河内さんとは今月3日にも同席させていただきました。
 河内さん独特の言い回しや語呂合わせ(いや言霊的解釈か)も楽しく、不思議な世界にどんどん引きこまれていきます。
 私はこの新版はダウンロード版で購入いたしました。紙の本よりも安い上にページ数も多い。そういう時代になったのですね。
 しかし、実際読んでみると、やはりこれはリアル書籍としてほしくなります。いろいろな人に貸したいですし。
 いずれにせよ、日本人には絶対に読んでいただきたい本です。私たち現代日本人とは何者なのか。天皇とは何なのか。日本はどこに進むべきなのか。こういう時代だからこそ、私たちは真剣に考えてみる必要がありそうです。

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ダウンロード販売 天皇の真実 ~憲法一条と九条よ! 地球を一つに繋げ!/河内正臣著

いっきゅう会公式

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2013.03.16

初めての卒業式…

Img_6072 日は我が中学校初めての卒業式でした。開校して3年。学校生活の全てが新しい挑戦、創造の日々であった第一期生が、本当にたくましく大きく成長して卒業して行きました。
 涙、涙…まさに有終の美。3年間の総決算にふさわしい素晴らしい卒業式でした。3年間ともに歩んできた保護者の皆さん、先生方、そしてなんと言っても生徒たちに感謝したいと思います。
 私自身にとっても非常に充実した3年間でした。人生の特別な思い出となりました。この歳になってもまだ自分が進化するのだな、それも他者のおかげさまであるということを再確認させていただきました。ありがとうございました。
 今日の卒業式、クライマックスはやはり卒業生の答辞でしたね。ここに偽らざる我が校の姿、みんなの気持ちが表現されていると思いますので、掲載させていただきます。
 卒業生諸君、本当におめでとう!…とは言え、20日からみんなと3泊4日の修学旅行(卒業旅行)なんだよな。我ながら(?)面白い学校です(笑)。


   答 辞

 道端に残っていた雪も、春のやわらかな雨が降るたびにすっかり少なくなり、朝に見上げる富士山の姿も、どこか春らしくなってきた今日の佳き日に、晴れて卒業証書を手にすることができる、ぼくたち富士学苑中学校第一期生二十五名は、三年間のかかえきれない思い出を胸に、今この式に臨んでいます。
 大きな希望と不安でいっぱいだった入学式。二十五人全員が主役のドラマがその日に始まりました。
 先輩のいない学校。ついこの前まで小学生だったぼくたちにとって、真っ白な台本を渡されたようなものです。
 しかし、ぼくたち二十五人は、全員が明るい未来を思い描いていたからなのでしょう。笑顔でスタートを切ることができました。
 校舎には先輩はいませんでしたが、ぼくたちを導いてくれる人はたくさんいました。高校の先輩の皆さんは、主にクラブ活動を通じて、本当にいろいろなことを教えてくださりました。
 また、先生方や、父や母をはじめとする家族が、いつも温かい目でぼくたちを見守り、応援してくださりました。
 一年生の間は、自分たちで何かを計画し実行する力は、正直なかったと思います。
 しかし、入学から一年が経とうかという時期になると、ぼくたちは急激に成長したような気がします。
 分からないながらも、みんなで協力して新しい行事などをゼロから創り上げたことが、自信につながっていったのでしょう。
 そしてやはり、後輩ができる、自分たちは先輩になるんだという意識の芽生えが、ぼくたちに大きな力を与えてくれたのだと思います。
 この式にも参列してくださっている一、二年生の皆さん。皆さんの存在がぼくたちを多く成長させてくれたのです。
 皆さんとの協同作業で特に印象に残っているのは、中学校独自の文化祭である「葵江祭」です。
 第一回「葵江祭」。幕が開く直前に、全員で組んだあの円陣のことは、決して忘れられません。
 みんなの努力と前向きな心が一つになった瞬間でした。
 第一回の成功を足がかりに、さらに進化を遂げた、昨年秋の第二回「葵江祭」も、本当に奇跡的な大成功を収めることができました。
 五時間に及ぶ全ての演目が終った時の、あの充実感、感動、感謝の気持ちは、ここ富士学苑中学校でなければ、そして、このメンバーでなければ味わえないものだったと思います。
 本当は、あの時間が終ってほしくなかったのです。いつまでも「葵江祭」が続いてほしかった。みんながそういう気持ちでいたことを思い出します。そんな経験はなかなかできるものではありません。
 三年生だけでなく、後輩たちも、また先生方も含めて、その中の一人でも抜けていたら、あの大成功はありえませんでした。
 この富士学苑中学校があり、このメンバーが揃ったこと自体が、ありがたい、奇跡的なご縁でした。その象徴があの「葵江祭」だったのだと思います。
 また、ぼくたちは勉強面においても、とても充実した三年間を送りました。
 高校に進学したのちのことを念頭に、まず自分の力を知り、自分に何を課せばよいのか考え、自分で計画を立て、それを実行して反省する、一年生の時から、それを徹底的に教えていただきました。
 特に担任のD先生は、時に厳しく、時に面白く、ぼくたちの夢を叶える手助けをしてくださいました。
 三年間の、その時々の先生の言葉や表情を思い出すと、そこには先生が描いたぼくたちの未来像があったことに気づきます。
本当に感謝しています。
 一方、他校では味わえない礼拝や接心、また米作りや全校での合唱など、全ての体験がぼくたちの心を豊かにしてくれました。そんな中、クラスの中でぶつかり合いが起きることもありましたが、今となってはそれも全てぼくたち三年生には必要なことだったと感じます。
 中学生活に限らず、生きていくには、苦しみや痛みや衝突は避けて通れません。そこから逃げたりごまかしたりするのではなく、真正面から向き合って乗り越えていく。そんな力をこの富士学苑中学校はぼくたちに与えてくれたと思います。
 先生方、本当にありがとうございました。
 ぼくたちは、四月から富士学苑高校に進学します。この中学三年間で身につけた力を、それぞれが存分に発揮し、富士学苑高校の新しい歴史を創る主人公になれるよう、さらに精進していきます。
 在校生の皆さん、いよいよお別れの時です。ぼくたち一期生は本当に精いっぱい、力いっぱいやってきました。なんの後悔もありません。
 これからは皆さんが新たなドラマを創り上げていく番です。ぜひ一期生に負けない富士学苑中学校の文化と歴史を自分たちの手で創造してください。
 ぼくたちは今度は高校生として、自分たちがしてもらったことを皆さんに返していきたいと思います。
 そして、一番身近なところで、ぼくたちの成長を温かく見守ってくれたお父さん、お母さん、三年間ぼくたちを富士学苑中学校に通わせてくださり、本当にありがとうございました。
 おかげさまで、ぼくたちはこんなに大きくなりました。この御恩を忘れず、富士学苑高校での三年間をさらに充実したものにしたいと思います。楽しみにしていてください。
 最後に、どうしても言いたいことがあります。
 理事長先生がいつもおっしゃるように、富士学苑は家族です。ぼくたちはこんな素晴らしい家族の一員になれて、本当に幸せでした。そして、これからもずっと、みんな家族でいたいです。
 この素晴らしい家族が、さらに絆を深めていくことを願い、答辞といたします。

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2013.03.15

安倍総理夫妻に励まされる

 日は一人怒りをぶちまけてしまい申し訳ありませんでした(笑)。
 ま、いつも言っているように「怒り」は「生かり」ですから、私にとっては決してマイナスなことではありません。
 特に目に見えない巨大なモノに対する怒りは重要です。特定の個人に対する怒りではありません。ある意味では宗教的なレベルでの怒りとでも言いましょうか。
 さて、いろいろ忙しかったり、また、敵が現れたり、非難されたり、クレームが来たりした時、自分を鼓舞するために、安倍総理のことを思い出します。特にネットにある安倍総理の国会答弁を見たり、夜に公開される「安倍日誌」のような安倍さんのスケジュールを見ると、まあ、自分の忙しさ、面倒くささなんてどってことないなと思うわけです。
 で、今日は二つの動画を紹介しましょうか。両方とも従軍慰安婦に関わる質疑です。はじめは民主党の辻元清美議員、あとは日本維新の会の中山成彬議員とのやりとり。
 質問者は対照的な立場にあります。面白いですね。ちなみに中山さんの動画をNHKが削除したとかなんとか、ネットでは騒ぎになってます。どういう事情があるのでしょうかね(笑)。
 中山さん、なかなか鋭い指摘をしていると思います。中山さんは反日教組の人としても有名ですよね。そういう意味では、私の昨日今日の怒りと同種の怒りをもってきた方です。
 ま、私としては質疑冒頭の「女房」(安倍)「家内」(中山)発言にウケちゃいましたが(笑)。先日その「女房」さまから、非常にうれしいメールをいただきました。まさに地球レベルで「やる気」の出る内容でした。そういう意味では、今、私は直接的にも間接的にも安倍総理夫妻に励まされているわけですね。ありがたいことです。
 では、どうぞ。

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2013.03.14

お前ら見捨てるほど落ちちゃいねえよ

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 さって我が中学校初めての卒業式ということで、準備に追われております。
 そんな中、他校のことで非常に腹立たしいことがあったので、あえてタイトルの言葉を書かせていただきます。
 昨年公開された草彅剛くん主演の映画「任侠ヘルパー」にエキストラとして出演した話は、こちらに書きました。
 本編のみならずポスターにも登場させていただきまして(米粒ですが)、私としては実にありがたい思い出となりました。
 記念にB1版のでっかいポスターをオークションで落としまして、家に貼って毎日拝んでおります(笑)。
 いや、単なる記念じゃないんですよ。あまりに世間に「見捨てる」大人が多いので、それでウチの夫婦は怒りがこみ上げてきていて、このセリフを座右の銘にして気合いを入れてですね、職場(学校)に向かうわけです。
 ホント、今日も各方面(複数の公立中学の先生やら保護者やら)からいろいろな相談の電話をいただきましたが、あまりに腐っているので怒りを通り越して切なくなってしまいましたよ。同じ大人として、あるいは同業者として情けない。
 ま、とにかく闘うしかないのです。闘魂ですよ。心ある大人さえ自分のことで精一杯になりがちな現代。あえて私は「任侠道」を貫きたいと思います。
 文句あるやつは堂々と・・・出てこい。いつなん時誰の挑戦でも受けます。
 ちょっと熱くなりすぎたかな(笑)。
 まず目の前の生徒たちのために最高の卒業式を創ります!では。

Amazon 任侠ヘルパー スペシャル・エディション【DVD】(特典DVD付2枚組)

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2013.03.13

ダイエットマン

Url 常に忙しいので軽い小噺を。
 私の一日一食(夕食のみ)生活ももうすぐ丸10年になります。非常に健康ですし、昔重篤だった花粉症もすっかり軽症になりまして、つくづく自分の体にあった食事習慣なのだなと思います。
 そういう意味では、私はダイエットのプロとも言えますね。まさにダイエットマン。
 ところで、日本ではダイエット(diet)というと、摂取カロリーをコントロールして体重を減らすことを言う言葉ですけれども、原語ではちょっと違うニュアンスなんですよね。もちろん、食事制限的な意味もありますが、基本は「規定食」というような意味です。
 つまり、それを日常的に食べ続ければ健康が保てるという前提での食品という感じですね。
 「Diet Cola」なんていうのも、まあ一般には低カロリーのコーラという印象でしょうけれども、語源的には「毎日飲み続けても良いコーラ」という感じなのです。
 そう考えると、私は基本「食べない」ので、ダイエットマンではないかもしれませんね。食べる時は食べたいと直感的に思ったものを食べたいだけ食べますし。
 それから日本では運動してカロリーを消費することもダイエットと言いますが、これは間違いと言えば間違いです。あくまで食べ物の話。
 ちなみに、痩せすぎ、栄養失調の人が、たくさん食べて適正体重に持っていくこともダイエットの一部です。あくまで「適正な食事」という意味なので。おそらく古くはこちらの意味で使われる方が多かったのでは。
Top_img2 さて、実はここからが今日の本題です。実は私は100%「ダイエットマン」ではないとも言えるのです。
 私、勉強不足で恥ずかしながら今まで知らなかったんですが、「Diet」には「国会・立法府」という意味もあるんですね。
 これを知ったのはですね、この前、国会図書館のデジタルライブラリーを紹介したじゃないですか。
 で、国立国会図書館のホームページを見たら、「National Diet Library」って書いてある。
 ん?「ダイエット・ライブラリー」?
 基本全ての本を収蔵している国会図書館って、全然「ダイエット」じゃないじゃん!?ww
 一瞬、そう思っちゃったんですよね。なんかぶくぶく太っている、太っていく図書館を想像してしまった(笑)。
 それで、いちおう英語の先生であるカミさんに聞いたら、「えっ?知らないの?Dietって国会っていう意味じゃん」と言われてしまった。
 皆さんご存知でしたか?なんでも受験用の単語集とかちゃんとやると出てくるのだとか。私はちゃんとやらなかったので知りませんでした。
 「Dietman」というとですね、「国会議員」「代議士」を指すんだそうです。だから私は「ダイエットマン」じゃない。
 国会のことを「パーラメント」じゃなくて「ダイエット」と呼ぶのは、スウェーデンやデンマーク、ハンガリー、そして日本くらいのもののようですね。
 なぜ、そうなったのか…これはよく分からないのですが、ドイツの影響かなあ。ドイツの国会も英語に訳す時はDietを使うようなので。
 ダイエットがなぜ国会なのかというと、やはりラテン語やギリシャ語に語源があるようです。規定食のダイエットと同様に「日々の公務」というような意味合いがあったとか。
 つまり、ダイエットの「ダイ」は「ダイアリー(diary)」などと同様に「デイ(day)」につながるということです。
 以上、スケールの大きな小噺でした。

National Diet Library
 

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2013.03.12

「静けさ」に注意

 、ちょうどこの記事を書いている時に岩手県沖を震源とするM5.0の地震が発生しました(13日6:32)。
 実はこの地震が発生するのを待っていたのです。早く来ないかなと。
 こう書くと誤解されそうなので、ちゃんと説明しましょう。
 2011年の3月11日から2年経ちまして、余震の傾向もだいぶ変わって来ました。昨日のニュースにもあったように今後内陸の余震(誘発地震)が増加する可能性もあります。
 また、私が何度か書いてきた「忘れた頃」に発生するであろう「最大余震」についても常に注意していなければなりません。具体的には房総半島東方沖か北海道南東沖M8クラスですね。
 もちろん先日も書いたように一般的な傾向としては「収束」に向かうのが自然の理です。
 私は富士山北面に住んでおり、一昨年末から空気中のラドン濃度を計測しています。ここで昨年の1月2月と今年の1月2月のグラフを比べてみましょうか。

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 折れ線グラフはラドン濃度、棒グラフはM4.5以上の地震です。
 ご覧のように、明らかに地震の数は減り、それに伴ってラドン濃度の数値も落ち着いていることが分かりますね。逆に言えば、全国の地震の発生と富士山のラドン濃度の間には関係が「ある」可能性があるということになりますね(そこが私の研究課題です)。
 で、今日言いたかったのは、ちょうど震災から2年目の昨日を中心に、あの大地震の震源域での余震がピタッと止まっていたということです。
 3月7日から先ほど(13日朝)までの有感地震の震源を並べてみます。

03月13日 06時32分 岩手県沖
03月13日 04時22分 福島県会津
03月13日 00時28分 長野県北部
03月12日 23時39分 徳島県南部
03月12日 20時44分 茨城県南部
03月12日 02時30分 茨城県北部
03月11日 18時59分 日向灘
03月11日 18時34分 日向灘
03月11日 17時10分 千葉県東方沖
03月11日 16時03分 福島県沖
03月11日 11時33分 栃木県北部
03月11日 05時26分 長野県中部
03月10日 23時56分 新潟県中越地方
03月10日 23時29分 新潟県中越地方
03月10日 22時39分 新潟県中越地方
03月10日 20時43分 根室半島南東沖
03月10日 16時10分 紀伊水道
03月10日 14時12分 茨城県北部
03月10日 10時19分 十勝沖
03月10日 10時01分 栃木県北部
03月10日 08時45分 栃木県北部
03月10日 05時11分 釧路沖
03月09日 21時16分 釧路地方中南部
03月09日 11時26分 宮城県沖
03月09日 05時46分 千葉県北西部
03月09日 04時35分 伊豆大島近海
03月09日 04時14分 伊豆大島近海
03月08日 23時14分 青森県東方沖
03月08日 23時11分 熊本県熊本地方
03月08日 19時53分 埼玉県南部
03月08日 13時50分 福島県沖
03月08日 07時45分 茨城県南部
03月08日 07時19分 東京都23区
03月07日 18時18分 宮城県沖
03月07日 07時04分 茨城県沖
03月07日 05時43分 福島県浜通り
03月07日 01時10分 福島県浜通り
03月07日 00時41分 長野県南部

 7日の宮城県沖から先ほどの岩手県沖まで、東北地方太平洋沖地震の震源付近での地震はありませんね(福島県沖はいくつかありますが)。これは1年前とはだいぶ違う傾向です。
 ある意味、この前書いた「嵐の前の静けさ」の状況ですから、これがいつまで続くかと思ってこの記事を書き始めたら緊急地震速報が入りました。
 三陸沖としては1月8日以来のM5.0ですから、やはりそれなりに溜めていた感じがしますね。
 冒頭、「待っていた」と書きましたが、その意味がお分かりになりましたでしょう。
 大地震震源域の余震の傾向としては、今後はこのようにある程度の静穏期間があって、中規模以上のやや大きめの地震が発生するというパターンになると予想しています。
 つまり、私たちが「忘れる」条件が揃ってくるということでもあります。改めて「何もない」こと、「沈黙」、「静けさ」に注目する必要があると感じました。
 これこそが、私の言う「コト」より「モノ」を感じる力を身につけるということでもありますね。

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2013.03.11

大震災から2年

 日本大震災から2年。あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災され不本意な生活を余儀なくされている方々にも思いを致し、いち早く皆様に明るい「光」が降り注ぎますことをお祈りしたいと思います。

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 今日は多くは語らず、日本古来の「歌」にて鎮魂と内省の言霊を発信させていただきます(これらの歌は震災後数ヶ月の間に作ったものです)。


に浮く玉の雫に籠められて我らは罪に蒼ざむるのみ

龍神の抱きたる玉を震ひしは人のまなこを開かむがため

浪去りて人影消ゆる庭先に春来ぬと咲く玉の緒の花

海原をふたたび巡りつきふねは震へる村に夏運びけり

洗はれしさらの心の大地にぞくさぐさしかと根を張る


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2013.03.10

音楽は未来からやってくる(?)

20130311_84542 日は私の奉職する学園の音楽祭が行われました。幼稚園から高校まで、歌や楽器の演奏で学園が「家族」であることを証明することができたと思います。
 私は指導する中学の弦楽合奏部でコントラバスを演奏しました。娘はジャズバンド部でベースを。まさかこうして親子でベースを演奏する日が来ようとは夢にも思いませんでした。去年の今頃には、二人ともベースを弾くようになるとは想像すらしていませんでしたから。
 音楽というのは、時間(世代)や空間(国)を超える共通語ですね。この世に「音楽」が存在する理由は何か、よく考えてきたつもりですが、今日は面白いことに「世界は音楽のために存在するのではないか」と、ふと思ってしまいました。
 文学や美術と同次元に語ることもできる音楽。しかし、言語を超えた非常に抽象度の高い時間芸術ということで言えば、やはりそれらとは違う次元の存在と言えるような気もします。
 ところで、皆さんは「音楽」とは「流れる」ものだとお考えですよね。私もそう思います。では、どちらからどちらに向かって流れているのでしょうか。
 これは最近私がよく語っている「時間は未来から過去へと流れている」という考え方と非常に強く連関しています。
 私たちが時間を「過去→現在→未来」というふうに流れていると勘違いする原因として、時計の針の動き方や歴史の語り方(並べ方)があると考えられます。
 それと同様に音楽も「楽譜」や「録音」が発明されてからというもの、「過去→現在→未来」と流れているととらえられているような気がします。
 もちろん私はその逆、「未来→現在→過去」と流れていると考えている(感じている)のです。
 どうでしょう。お分かりになるでしょうか。
 楽譜は1小節から始まり2小節、3小節と進んでいきます。小節内で言えば、1拍目、2拍目と見ていきますから、やはり過去から未来に向かって流れているような気がしますよね。
 また、CDなんかを聴く時にも、ある曲は0'00"から始まって4'52"で終わったりする。そうすると、やはり時計時間の観念からして、やはり過去→現在→未来というふうに音楽は存在すると思ってしまう。
 しかし、それは歴史記述や時計のパラドックスと同様に、固定された情報を「自分=現在」が移動することによってなぞっているに過ぎないのです。
 私の「時間観」によれば、「自分=現在」は移動せず、逆に「時間」「情報」の方が動いて流れていきます(実際、言葉の上では「時間が流れる」「音楽が流れる」と言いますよね)。
 前も書いたように、これはある種単純な相対論であって、結局同じことを違う表し方をしているだけとも言えます。しかし、地動説と天動説を思い出すまでもなく、それは私たち人間の意識、世の中の見え方という意味で言えば、それこそ180度違う転回を生じる可能性を持っています。
 アナログ世代の方に分かりやすく言うなら、私たちはレコードをなぞる針なのです。この針は時計の針のようには自ら動きません。レコード盤の方が動きます。そう、向こうから(未来から)音楽を記録した溝のデコボコがやってくるわけです。それを針が受け取っていく。
Variaudio2 デジタル世代の音楽家たちのためにはこんな説明もできるかもしれません。パソコンでシーケンサーを操ったことがありますでしょうか。あの「楽譜(ノーテーション)」は、現在地点(時点)を表すカーソルがあって、そこに右側から音符情報が流れてくるじゃないですか。つまり未来から流れてきているわけです。
 そう考えると、近代西洋芸術音楽が生んだ「五線譜」に象徴される「楽譜」というのは、歴史の記述(編年体)にのっとった情報記録方法に過ぎないことが分かります。
 日本の前近代音楽の例を持ち出すまでもなく、世界のほとんど音楽は「楽譜」を持っていませんでした。その頃の音楽を想像してみてください。特に古代における音楽のあり方に思いを馳せてみましょう。何もないところから音楽が降りてきて、自然に「歌」が生まれるという事態が普通であったことが想像されます。もちろん現代における作曲という行為を想像しても分かるかもしれませんね。
 皆さんがカラオケの十八番を歌う時のように、記憶を引き出す形での「演奏」のあり方もあるでしょう。また、楽譜をなぞって「再生」する行為も世の中にはあふれています。それは一見「過去→未来」という流れを感じさせますが、これさえもまた、音楽自体は向こうからこちらに流れてくるのであって、テープを逆回転させない限りは、その逆はありえません。
 今日、私たち弦楽合奏部ではフジファブリックの「Bye Bye」を演奏しました。志村正彦くんの遺した名曲の一つです。
 彼は亡くなる直前、天から音楽が降り注ぐのを受け止めるために、大変な体力と精神力を費やしたと聞きました。天才の仕事というのはきっとそういうものなのでしょうね。命がけで未来からやってくる名曲たちを受け止めて記録しようとした。そういう崇高な仕事をしたのでしょう。
 ちょっと前に「過去には学ぶべきものはたくさんあるが原因は一つもない」と書きました。これは音楽についても言えます。あくまでもこれから生じる現象は未来からやってくるのであって、過去そのものが現れるわけではありません。
 仏教的に言えば「因縁」でしょうか。「因」は未来にあり、「縁」は過去にあると。いや、この説明はちょっと難しいので、またいつかどこかで。
 いずれにしても、音楽を共有するこということは、つまり、未来を共有することであって、決して過去を共有することではないのです。

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2013.03.09

山中諏訪神社&山中浅間神社

 日は山中湖平野にて、仲小路彰の直弟子の方から、5時間にわたって貴重なお話をうかがってきました。
 驚愕の事実満載でしたが、その話は現段階では公表できません。時宜を得たところで自然と表に出ると思っています。
 さて、その方のお宅にうかがう前にちょっとした霊感が働きまして、久しぶりに山中諏訪神社と山中浅間神社をお参りしてきました。
 富士吉田方面から山中湖に入る入口(実際には鎌倉の方から見て「出口」なのですが)に、国道138号線をまたいで赤い橋がかかっています。その左側(北側)が山中諏訪神社、右側(南側)が山中浅間神社です。
 諏訪神社と浅間神社の関係は、こちらにも書いたとおり、縄文と弥生のせめぎ合いの様相が見て取れます。
 ここ山中でも、やはり諏訪神社の方が古いとされています。
Img_6047 今日はなんとなく(このなんとなくが重要)浅間神社の方からお参りいたしました。つまり、弥生(火)から。
 山中浅間神社は、ある意味普通の浅間神社です。祭神は木花開耶姫命、瓊々杵尊、大山祇命。
 浅間神社はある時期にフランチャイズ的に広がった感があります。富士山信仰、富士講ブームに乗った部分もあるかと。そう言えば、秋田の大湯の環状列石の隣にも浅間神社があったのには驚きました(こちら)。
Img_6048 さて、続きまして、赤い橋を渡って山中諏訪神社へ。
 こちらは謎に満ちていますよ。なにしろ、「諏訪」を名乗りながら、祭神は建御名方命ではなく豊玉姫なんです(いちおうタケミナカタの名前は書いてありますがオマケ程度)。
 豊玉姫は綿津見(海神)の娘、コノハナサクヤヒメとニニギの息子であるホヲリ(火遠理=山幸彦)と結ばれ、神武天皇の父である鵜草葺不合命(ウガヤフキアヘズ)を産みます。
 豊玉姫はお産の苦しみのために、ワニや龍に姿を変えたと言われています。結果無事に鵜葺草葺不合命を出産したので、この神社は安産祈願でご利益ありということになっています。山中明神の安産祭は全国的に有名ですね。
 やはり、湖の神ということで、豊玉姫なんでしょう。富士五湖にはちょっと変わった「海神伝説」が残っているんですよね。海ではなくて湖。竜宮城伝説もあったりします。
 このあたりはかつては北条氏の勢力範囲でした。鎌倉に近いですしね。その後武田氏が勢力を伸ばし、結果として浅間神社が創建され、かつ諏訪(タケミナカタ)の力が弱まったのでしょうか。
 いずれにせよ、最近の私の勘では、この富士北麓地域には古い龍神系の神が封印されているような気がします。そして、そろそろそれが開顕するような気が。
 出口王仁三郎や仲小路彰もそちらの霊統のような気がしています。
 山中諏訪神社の奥宮は明神山にあります。明神山はこれから非常に重要な場所になりますよ。お楽しみに。

山中諏訪神社公式(suwajinja.comというのがすごい)


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2013.03.08

WBC…文化としての野球が面白い!

20130309_143831 やあ、今日の台湾戦、ものすごかったですね!鳥谷の盗塁はじめ、みんな素晴らしかった。野球の醍醐味を見せていただきました…いや、実は「見せていただきました」というのはウソです。
 なんと!我が家ではテレビ朝日は視聴できないのです。ここ富士山では、アナログ時代には東京タワー波を直接受信できていたのに、デジタル化によって基本地元の民放2局しか受信できなくなりました(笑)。
 総務省にもずいぶんと文句を言ったんですよ。だって、アナログ時代には合計14局見れたのに、いきなり4局に減るって…。もう笑うしかないですよね(涙)。
 ま、それを機にテレビはほとんど見なくなりましたからいいんですが。見るのはCSのサムライTVとチャンネル桜と、時々NHK。
 でも、やっぱりこんな時は見たくなりますよね。野球を映像で見れないというのはやっぱり痛い。
 で、今日はどうしたかというと、結局ネットの速報もやたら重くなってたので、2ちゃんの実況スレを眺めてました(笑)。
 だからキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!とか、うおおおおお…とか、不倫パワー!とか、さすが杉内FRIDAYの夜には強いなとか…ばっかりで、いったい何が起きているのか分からない状況での「野球観戦」(笑)。この高度情報化時代に、まあ見事に「思い」を「遣る」経験ができました。
 それにしても、日本は相変わらず精神的に強いですね。今までも野球に見る日本の伝統文化、精神構造については、このプログに書いてきました。気になる方は右の検索窓に「野球」とか「WBC」とか入れてみてください。
 野球は相撲やプロレスと同様に、純粋なスポーツじゃないんですよね。だいたい自然発生的にあんな球技が発達するわけない。個人戦にして集団戦だし。単純で公平で左右対称的なスポーツを好む民族には理解し難い世界でしょうね。
 だから、アメリカでこういう球技が発達したというのは結構面白いというか、不思議な感じがしないでもないんですよね。やはり人種の坩堝だからでしょうか。ヨーロッパ的ではない。
 そう、今回のWBCの参加国を見ても、かなり偏りがありますよね。まずはアメリカの「植民地」が多い。日本も含めてね。
 それから意外なのがオランダ。サッカーの国なのに…これはご存知のとおり、オランダとは言っても、実際には南米ベネズエラ沖のキュラソー島出身の選手ばかり。キューバやメキシコのように多くのメジャーリーガーを輩出している島です。ただオランダ領というだけで、まったくヨーロッパではありません。
 イタリアはどうなんでしょうね。あまり詳しい事情は知りません。
 いずれにせよ、環太平洋に野球文化が広がっているのは、やはりアメリカ軍の影響でしょう。そんなことを考えながら、この大会を鑑賞するのもまたヲツなものであります。
 もともと、「塁」とか「遊撃」とか「右翼・中堅・左翼」とか「一死」とか「併殺」とかですね、戦争文化を残したままの「野球」ですから、ちょっと不思議なノスタルジーを感じさせる「文化」であります。
 そんな中で、今年の侍ジャパンもまた、私たちに「日本文化」を感じさせてくれる闘いをしてくれるものと期待しています(予想はズバリ…優勝!)です。
 

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2013.03.07

「無理しない 職場みんなの 合い言葉」!?

Poster0111s 笑いしました。そして、そのあと暗澹たる気持ちに…。
 山梨県内の某公立学校に行った際、こんなポスターを見つけました。日教組のポスターです。「無理しない」ねえ〜(苦笑)。
 私は公立の先生とも話す機会が多いのですが、まあ、今の山梨県の公立の職員室の状況はたしかに「無理しない」ムードが漂っていますね。その結果大変な生徒と先生の関係に大変な無理が生じている。
 もちろん、全ての公立がそうだというわけではありません。一部でしょう。また、我々私学にも全くそういう憂慮すべき状況がないわけではない。
 しかし、私が聞き及んでいる状況は多少誇張があることを勘案しても、やはり放置すべきレベルではないと感じます。
 特に、最近の「体罰」騒ぎのあとはその傾向がさらに悪化している。「触らぬ生徒に祟りなし」とばかりに、とにかく事なかれ主義が蔓延し、面倒なことは最初からしないというムードがあるとのことです。
 いや、実際に「生徒には触るな」というお達しが出たところもあるとか…。たとえば、これは他県の話しですけれども、ある中学なんか、なにかあったら一言だけ注意をして(注意をしたという既成事実は作って)、あとは「記録」につけておく。そして、それを成績や進路指導に反映させるというやり方をしている。
 はっきり言ってそんなことは「先生」でなくてもできます。いったいプロとしての誇りはあるのでしょうか。
 悪名高き山教組にかぎらず、日教組はずいぶんと変わってしまいましたね。いろいろ問題があったにせよ、以前はそれなりに相互研鑽組織の色合いもあったものです。それが今では、極端な話、「お互い無理しない、仕事しないようにしようね組合」になってしまっている部分がある。
 もちろん労働組合というのは本来そういう性質、つまり資本主義的(!)に言って、同じ給料をもらうなら仕事量が少ないほうがいいという論理に基づいている部分がありますから、たとえば上のポスターの言わんとするところも分からないではない。
 しかし、私がいつも言っているように、政治や医療や教育と言った「先生」と言われる仕事はですね、市場の外になければならないものなんですよ。特に「公務員」は。公立が経済的「効率」ばかり求めるようになったらおしまいなんです。
 このポスターや標語について知りたくて、日教組のホームページを見たら、また笑わせてもらいました(失礼)。上の標語が最優秀賞。その他優秀賞は次のとおりです。

「助けて」といえる職場がありがたい    
変えていこう! みんなの意見出し合って  
無理・無駄・無用 みんなで点検 職場を改善 
見直そう あなたの職場 健康度      
知ってます? 隣の人の悩み事       
よし帰ろ!ゆとりが明日のエネルギー

 小学生みたいな標語ですね(笑)。特に最後のは面白い。
 いや、実際のところ、まじめな県のまじめな教員の皆さんは、夜遅くまでストレスフルなお仕事をされていて、これらの標語に救いを感じているにちがいありません。
 しかし一方で、これらの言葉を見て、そこに安住してしまうような一面があるのも事実です。まあ、それは組合の問題というより、個々人、あるいは個々の職場の問題なわけですが。
 我々私学人にとっては、「無理」は当たり前。無理しないとそれなりの成果も上げられませんし、逆に言えば、生徒のためなら多少の無理は無理とも思わないというのが常識です。
 また、教育は経済(貨幣価値)の外にあるからこそ、「無理」「無駄」「無用」が大切であり、そこにこそ生徒を育てる栄養素が含まれているという一面もあります。私の「無駄話」がいかに生徒の人生に影響を与えているか(笑)。
 日教組もこんなことを言うなら、相変わらず続いている山教組の選挙活動(政治活動)やら、それこそ無駄、無用に見える異常な数の研修やら出張やらを減らした方がいいんじゃないでしょうかね。生徒に向き合う時間が減る一方のようですよ。

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2013.03.06

グラウプナー 『ヴィオラ・ダモーレ組曲』

Imgres 日に続いてグラウプナーさんに登場願います。よろしくお願いします。
 当時テレマン、ヘンデルに続く人気者作曲家だったグラウプナー。たしかに一発でノックアウトするパンチ力があります(バッハは理解に百年くらいかかる)。
 今日はそんな彼のヴィオラ・ダモーレ組曲を聴いていただきましょう。ヴィオラ・ダモーレを重用しているところからしてパンチ力がありますね。
Img_5814 そうそう、まずは宣伝をさせていただきます。6月に横浜でヴィオラ・ダモーレを弾きます。人気第1位のテレマンによる珍しいトリプル・コンチェルトです。
 楽器は中国製のなんちゃってダモーレ(偽愛?w)ですが、それなりに改良しましたので、それらしい響きはご堪能いただけると思います。
 詳細は下のチラシをクリックして御確認ください。今回も朝岡聡さんの魅力的なお話とともに音楽を楽しんでいただきます。48fly

 さて、話をグラウプナーに戻します。パンチ力ということでいうと、まず3番目の動画を聴いていただきたいですね。メヌエットとシャコンヌ。なんすか!?このメヌエット。これはショッキングですね。新しすぎますよね。てか、アヤシい(笑)。

 それにしても、グラウプナー、テレマンやヴィヴァルディよりもずっと見事にヴィオラ・ダモーレの特性や魅力を引き出していますね。
 なんちゃってダモーレを手に入れたの機に、グラウプナーの作品も演奏してみたいと思います。

Amazon Cantate, Sonate, Ouverture: Instrumental and Vocal Music, Vol.2 (Graupner)


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2013.03.05

グラウプナー 『シャコンヌ』 芥川直子(チェンバロ)

 変に忙しいので他人まかせな記事になってしまいます。その方が皆さんにとっても幸せだったりしますしね。
 今日はあまり知られていない名曲を紹介します。
 ヨハン・クリストフ・グラウプナーはドイツバロック後期の作曲家、鍵盤奏者です。現在ではあまり有名ではありませんが、当時の人気作曲家ランキングではなんと3位に入っています。
 ちなみに1位はテレマン、2位がヘンデルですから、これはすごい人気ですよね(バッハは7位)。
 そのグラウプナーのチェンバロ組曲からシャコンヌです。当時大いにはやっていたシャコンヌの伝統に則りながら、グラウプナーらしい(ドイツ人らしい?)工夫というか細工が各所に施されているように聞こえます。
 なかなかの名曲だと思いますので、ぜひ聴いてみて下さい。演奏は日本人、芥川直子さん。有田千代子さんのお弟子さんで、今はドイツを中心に活躍中です。
 せっかくですから、楽譜のご覧ください。当時の楽譜です。これを見ながら聴くとまた臨場感(臨時感?)が増していいですよ。

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Amazon グラウプナー:ハープシコードのためのパルティータ集

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2013.03.04

何もない一日…

 日は本当に久しぶりに何もない一日でした。
 いえいえ、仕事は恐ろしくたまっております。学年末テスト、高校の入学手続き、音楽祭、3年生を送る会、卒業式、修了式、クラス編成試験、修学旅行、オリエンテーション…3月は大変です。
 で、「何もない」というのはですね、実は今日2013年3月4日は、あの2011年3月11日以来(おそらく)初めて日本中で有感地震がなかった日だったのです。

20130305_144204

 これは5日の午後にキャプチャーしたものです。ご覧のように4日が抜けてますよね。
 もうすぐ東日本大震災から丸2年になります。いつかこういう日が来るのかなとは思っていましたが、こんなに早くやってくるとは思っていませんでした。
 
Chart

 上のグラフは2011年から今までのM2以上の地震の発生回数です。ご覧のように2011年3月以降、多少のでこぼこはあれど、確実に収束に向かっているのが分かります。
 逆に言えば、2010年と比べれば分かるとおり、まだあの巨大地震の余震や影響は続いているとも言えますね。また先月は少し地震が増えていたことが分かります。
 私も含めて人間の記憶もまたこうして薄れていくのだとも言えましょう。先日紹介した昭和三陸地震&津波の時も同じだったのでしょうね。そして80年近く経って再び惨事が襲ったわけです。
 ちなみに2011年2月は少し地震が増えていますよね。これは3.11の予兆だったのかどうか微妙なところです。
 以前どこかで書きましたでしょうか、実はあの巨大地震の前に、気になる地震が発生しています。まず上旬にトカラ列島で、そして下旬に岐阜県美濃地方で群発地震が発生しているのが目につきます。東北からは遠く離れていますが、それはあくまでも人間の感覚。なんらかの関係がないとは言えないと思います。
 もちろん、三陸沖で中規模の地震が少し、その他東北の内陸部でも小規模地震が発生していますが、特に目につくほどではありません。どちらかというと、和歌山県南部や千葉県南島沖の中規模地震の方が気になるところです。
 この前、「過去には学ぶべきものはたくさんあるが原因は一つもない」というようなことを書きましたけれども、地震などの自然現象も実はこうして「未来に原因があって現在に結果が現れる」ということもあるのです。
 だから、それらが全て過去になった時にはよく復習して、その一見逆の因果関係というものをしっかり見定めなければなりません。
 実は自然科学の世界ではそういうことが難しいというか、科学者の皆さんはそれが苦手なんですよね。なにしろ時間は過去から現在、未来に向かって流れる、過去が原因があると考えがちですから。
 ある意味では、それがあの3月9日の地震を前震ととらえられなかった理由かもしれませんね。
 また「3.9と3.11の間に何が起きたか」にも書いたように、沈黙というのも怖い。そういう意味では、今日「何もなかった」のは一つの脅威であるとも言えましょう。
 科学的とは言えない「嵐の前の静けさ」には、どうも科学発生以前からの人間の体験の叡智が詰まっているようですね。
 
 

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2013.03.03

言向け和す…

click!
307361 、富士山を出る時、ちょうどゴルフ場へ向かう安倍首相夫妻の車とすれ違いました。
 今回のこの「すれ違い」は実に意味深長です。また何を言ってるのかと思われちゃいますね(笑)。その話は最後に。
 いやはや、今日はあまりに濃厚な時間を過ごしていたために、写真を1枚も撮らずに帰って来てしまったことに気づきました。
 それほど充実した時間を過ごさせていただいたということです。ありがたいことです。
 「言向け和す(ことむけやわす)」をキーワードに、良い世の中を創っていくにはどうしたらいいかを考えるこのイベント。
 シンポジウムでゲスト・パネラーとして登壇するというのは分かっていましたが、まさかこういうメンバーで、そして実質的にはシンポというよりそれぞれの講演になるとは(笑)。
 しかし、私としては、午前中の映画「カンタ!ティモール」や、志高い皆さんの講演を聴いたあとでしたので、自分が語るべきことが明確になっており比較的自然にお話できたかと思います。
 基本このブログにも書いてきた「モノ・コト論」と「時間は未来から過去へと流れる「さっき・先」の話など)」という話をさせていただきました。
 今回の皆さんの感想や激励をもとに、4月から「日本人のための、日本語による、日本の哲学」の構築を進めて行きたいと思っています。
 いやあ自分のことはいいとして、とにかく講演者の皆さんのみならず、集まった方々の崇高な魂に強く感化されましたね。本当に素晴らしい。
 スピーチでも触れましたが、皆さんが「未来」にイメージして「今」行動している。まさに「未来に原因があって今に結果が現れている」と感じました。
 やはりこれこそが充実した人生の基本だなと痛感しました。
 それにしても、今回は私はモテましたね(笑)。いや、私ではなく、私の担いできたお土産、すなわち耀わん「十和田」がモテたんです。勘違いするなよ、自分(笑)。
 本当にたくさんの方に触れていただき、お水を飲んでいただき、写真を撮っていただきました。
 「言向け和す」がテーマである霊界物語を、さらに具現化したものが耀わんと言われています。そういう意味でも、会場に持って行って良かったと思いました。
 講演でもお話しましたけれども、「言向け」というのは、「コト(考え)を動かしてある方向に向ける」ということです。そういう意味では、こうした「玉体験」によって「言向け」されることもあるでしょう。
 そこで思い出すのが、昨年の8月11日のことです。
 実はあの時、「今度安倍さんが政権をとられたら遠慮せずにどんどん富士山にいらしてください」と申し上げたのです。
 このたび、素晴らしいスタートを切った安倍総理がこうして「直感的」に富士山においでになるというのは大変意味のあることなのです。
 そう、実は夫人は本来なら今日は私と同じ場所にいるはずだったのです。それが急遽ご主人が富士山に行く(ゴルフとお墓参りをする)ということになったとのことで、残念ですがという連絡をいただきました。
 では、富士山で…ということになるかと思ったのですが、双方とも朝早くでかけなければならないので今回は断念いたしました。
 しかし、ある意味においては富士山と耀わんを通じてつながっている…なんて、こういうオカルトなこと書くとマスコミが騒ぐのでこのくらいにしておきましょう(笑)。
 イベントのあと、その富士山を中心とするあるプロジェクトの話し合いにも参加させていただきました。実に不思議なご縁で集まったメンバーでした。
2_large 「カンタ!ティモール」に何度も登場した「ルリック」「ブアン」といった「モノ」たち。目に見えないが明らかに存在するモノ。そうした力を痛感した一日でした。ありがとうございました(特にコーディネイト役の飯塚弘明さん!写真も使わせていただきます)。また、皆さんにお会いしたいと思います。

 

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2013.03.02

三陸沖強震及津浪報告(昭和8年3月3日)

120616_1 NHKのマイケル・サンデルの白熱教室@東北大学 「これからの復興の話をしよう」を観ました。
 復興…これは遅れるのはしかたない部分もあります。被災地に住みたい人と住みたくない人がいるからです。その調整は難しい。
 どなたかが言っていました。115年に3回も大きな津波に呑まれたと。
 しかし、過去2回に関しては、また同じ場所に街が「復興」されました。
 漁業や商業のことを考えれば、当然海岸近くの平地に街を作りたいと思います。また、大きな津波はもう自分が生きている間には起きないだろうという予想(いや現実的には生きている間には起きないという保証)も成り立ちますので、たしかにそういう「復興」も人間の営みとしてありえます。
 一方で、失われた命、または命を失うのではないかという恐怖の記憶も当然強く残ります。もう住みたくない、自分の子どもや孫にこんな思いはさせたくないと思うのも当然です。
 そのバランスが時とともにどんどん崩れていきます。人間は忘れるようにできています。そのように脳が進化したからです。
 こういう言い方は不謹慎かもしれませんが、復興が遅れるのはその「忘却」に時間がかかるからです。
 いや、それがいいとか悪いとか言っているのではなく、人間はそういう生き物であるということは忘れたくないということです。
 明日は3月3日ですね。ひな祭り?
 たとえばこの日に何があったか、そしてその時人間が何を思い、その後どのように考えたか、それを知る人はあまりいません。
 1933年3月3日、昭和三陸地震によって昭和の三陸津波が発生し、大規模な被害が発生しました。今から80年前のことです。
 もちろん、その後、あの田老の巨大防潮堤が築かれたりしましたが、やはり人々は被災した海岸沿いの平地に戻って来ました。戻って来たどころか、戦後はより大規模な街が作られ、人口は増加することになります。
 そして、2011年の東日本大震災。
 復興とは何か、どうすることが復興なのか、どのように復興させればよいのか…歴史に学びながら私たちは生きていかねばなりません(もちろん火山の麓に住む私も)。
 今日は一つ、80年前の人間の「思い」と「考え」と「願い」がこめられた資料を紹介しましょう。
 先日紹介した国会図書館の近代ライブラリーにあった「三陸沖強震及津浪報告」です。
 平成の三陸津波については、映像時代、ネット時代ということもあって、以前よりもずっと膨大な資料と報告が残ります。
 つまり、私たちの「忘却」を妨げるものがたくさんあるということですから、当然のように「復興」は遅れるでしょう。そして、それは悪いことばかりではないのです。

 


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2013.03.01

『閉ざされた言語空間−占領軍の検閲と戦後日本』 江藤淳 (文春文庫)

Url 3月3日、浜離宮朝日ホールで行われる「言向け和す」のシンポジウムにゲストとして登壇する予定です。私は国語学の視点からお話をさせていただこうと思っています。
 このイベント、これからの日本の進むべき道を示す大変重要な機会になると思います。当日参加も可能ですので、興味のある方はぜひおいでください。
 人間にとって言葉の力というのは実に大きい。プラスの方向に働くこともあれば、マイナスの方向に働くこともあります。
 たとえば、戦後、私たちはGHQによる洗脳政策(War Guilt Information Program)によって見事に骨抜きにされました(と言われている)。彼らは「言葉」を操作することによって、私たちを完璧にある方向に導きました(と言われている)。
 そのことについての私の考えについては、昨年櫻井よしこさんの『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』についての記事に多少書きました。
 その後もいろいろな本を読んだり、いろいろな人からそのことについてお話をうかがいました。そして、多少私の考え方も変わってきています。今日はちょっとそのことを書こうかと思います。
 実は、WGIPという言葉自体が日本人による自己洗脳ではないかと、最近思っているんですね。最近もどこかで書きましたが、なんでもGHQのせいにしたり、イルミナティーやコミンテルンの陰謀を持ちだしたり、そういう論調に少し嫌気がさしているんです。
 もっと自分たちの責任について正面から考えなければならないと。人のせいにしてばかりではいけないと。
 で、このWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム=戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)という言葉、おそらくはこの江藤淳の「報告書」から世に現れたわけですけれども、どうもこの江藤淳の報告自体が怪しいのではないかと感じているのです。
 この考えは全く理論的な根拠があるものではありません。ある意味非常に感覚的、感情的なものです。
 いや、私もこの本を最初に読んだ時は、「江藤淳」という文学研究界でのブランドにだまされて(?)、すっかり鵜呑みにしてしまいました。ものすごく詳細ですし、説得力がある文体で書かれているので。
 まさに「言向け」された私がいたわけです。まんまとアメリカにやられたなと。
 しかし、私は鈴木孝夫さんのこちらの本を読んで、「江藤淳」の実体たる「江頭淳夫」のある側面を知った時、「あっ、これは鵜呑みにしてはいけないな。危ない」と思ったのです。
 私は江藤淳(江頭淳夫)さんとはお会いしたことはありませんが、鈴木孝夫さんとは杯を交わしたことがあるので、リアルな鈴木さんの人間性や彼の言葉が持つある種の「調子」というのを、それなりに理解しているつもりです。
 その鈴木孝夫さんがあのように辛辣に「江頭淳夫」の人間性を批判している。だから、「江藤淳」の言葉にも気をつけなければならないなと、それこそ直感的に思ったわけです。
 櫻井さんの本のところにも書いたように、戦勝国の政策としてはWGIPのようなことがあってしかるべきです。しかし、それが見事に功を奏したという点になると、実はそんなに単純なものではないのではないかとも思うのです。
 どうもこの「名著」は「見事」すぎる。見事すぎるゆえに疑わしい。
 ご存知のとおり、江藤淳は自殺しました。私の管見からすると、彼は夏目漱石のような「則天去私」の境地にはなれなかったと判断されます。自分の発する言葉に自己洗脳され続け、そしてその城郭が崩れることを恐れて、高い壁を造り続けた(鈴木孝夫さんの話には、江頭が別荘に高い壁を造るエピソードも含まれています)。
 結局、江藤さんは自らの「言語空間」に「閉された」のではないか。そんなうがった見方をするようになってしまった私は、いったい誰に洗脳されているでしょうか(笑)。やっぱり自分?
 この「名著」について、こんなふうに批評する人はいないかもしれません。いや批評にもなっていない、ただケチをつけているだけでしょうか。ただ、今日の私の言葉たちは、理屈ではなく直観に基づくモノどもであり、そういう意味では自信はないけれども、信頼はできるのです。

Amazon 閉ざされた言語空間

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