福は内、鬼も内…
今日のツイート。
「節分…うちは豆をまきません。福は内!鬼も内!と言いながら食べます。異形のモノ(鬼)を暴力(豆つぶて)で排除するのは良くないと思うからです」
我が家の艮(鬼門)の間には国常立大神がいらっしゃる(と思っている)し、オニサブローの茶碗があったりもしますから、当然そういうことになります。
出口王仁三郎のお膝元、亀岡の市民新聞にこういう分かりやすい記事が載っていました。
『一般的には「福は内、鬼は外」といって煎り豆をまく風習があるが、大本では「節分大祭」という神事の最後に、教主が「鬼は内、福は内」と唱えながら生豆をまき参拝者は同じように唱和しながら豆をひろう。
鬼は、厄払いや鬼除けの対象とされる「艮〔うしとら〕の金神〔こんじん〕」〔通称・鬼門の金神〕を指し、すべての災厄のもとと一般的には伝えられているが、大本では「艮の金神」は大地の親神さまである「国常立尊」〔くにとこたちのみこと〕とされている。
豆を投げつけるのは鬼〔艮の金神〕に対する目潰しであり、煎り豆をまくのは「煎り豆に花が咲いたら帰ってよい」と言うことで、「永遠に帰って来てはならない」という意味になる。
ほかにも、門松やしめ縄を張りめぐらすことも、金神を入れないためのもの。さらに、ぞう煮は金神の臓物を食べることを意味する』
ウチは特に大本の信者というわけではありませんが、発想としてはそういうことです。日本人として共感できる。意味もわからず差別的な扱いをするのはやめたいなと。鬼の心も聞いてみようと。
そうそう、そういう意味では、あのでん六豆の鬼、もともとは赤塚不二夫さんのデザインですけど、あれってどこか憎めないじゃないですか。
さすが赤塚不二夫さん、オニの本質を見抜いている。オニに対する愛情がある。
なにしろ、赤塚さんって王仁三郎そっくりだし(こちら参照)、実際縁があったとも言える。
ま、こういうことに限らず、常識を疑ってみる、そのルーツをしっかり確かめてみる、あるいは異説に耳を傾ける、意外な接点を探る…それこそが勉強の基本だと思います。
そういう意味で、節分は我が家や我が校の良き教材でもあるわけですね。
だいたい、節分が大晦日で立春が元旦だという発想が、今の日本人にはないじゃないですか。私は12月31日や1月1日よりも節分や立春の方が気持ちが切り替わります。
そんな私にとっての区切りの日は朝から大忙し。まさに敵も味方も皆さんどうぞどうぞという感じでした(苦笑)。
というわけで今日は短めに。明日(新年)の準備をしなければ。
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