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2013.02.17

『日本文化私観』より 坂口安吾

Url 日は安吾忌。坂口安吾の亡くなった日です。満48歳でしたから、今の私と同い年です。
 単純に今死ねるかというと、いやまだまだ生きていたいというのが本音ですね。そして、今死んだら男としてあまりに格好悪い。本気で生きて来なかったからでしょうか。何も残せないような気がする。
 おそらく太宰もオダサクも安吾も、実際死ぬる間際には、どこかそんな後悔めいた感じや、あるいは一種の気恥ずかしさを抱いたのではないでしょうか。男とはそんな生き物でしょう。満足したら男ではない。
 ということで、今日は安吾忌にちなみ、先日の織田作之助の「終戦前後」の記事で予告した、安吾の王仁三郎観を紹介しましょう。
 安吾作品の中でも堕落論と並んで有名な「日本文化私観」の中にそれは書かれています。
 「日本文化私観」に対する私の評価は、ある意味では安吾以上にひねくれてアマノジャク的であるので、ここには書きません。安吾忌ですし(笑)。とにかく、今日は安吾による出口王仁三郎評のみ紹介しましょう。
 昭和12年の冬でしょうか。安吾は友人隠岐和一に誘われて京都祗園で遊びます。そこで失望して、また京都の他所でも失望して、翌日、1年ほど前に大弾圧を受けた亀岡の大本本部を訪れます。
 そしてまた失望します。ちょっと該当部分を引用してみましょうか。

 そういう僕に隠岐がいささか手を焼いて、ひとつ、おどかしてやろうという気持になったらしい。無理に僕をひっぱりだして(その日も雪が降っていた)汽車に乗り、保津川をさかのぼり、丹波の亀岡という所へ行った。昔の亀山のことで、明智光秀の居城のあった所である。その城跡に、大本教の豪壮な本部があったのだ。不敬罪に問われ、ダイナマイトで爆破された直後であった。僕達は、それを見物にでかけたのである。
 城跡は丘に壕をめぐらし、上から下まで、空壕の中も、一面に、爆破した瓦が累々と崩れ重っている。茫々たる廃墟で一木一草をとどめず、さまよう犬の影すらもない。四周に板囲いをして、おまけに鉄条網のようなものを張りめぐらし、離れた所に見張所もあったが、唯このために丹波路遥々(でもないが)汽車に揺られて来たのだから、豈目的を達せずんばあるべからずと、鉄条網を乗り越えて、王仁三郎の夢の跡へ踏みこんだ。頂上に立つと、亀岡の町と、丹波の山々にかこまれた小さな平野が一望に見える。雪が激しくなり、廃墟の瓦につもりはじめていた。目星しいものは爆破の前に没収されて影をとどめず、ただ、頂上の瓦には成程金線の模様のはいった瓦があったり、酒樽ぐらいの石像の首が石段の上にころがっていたり、王仁三郎に奉仕した三十何人かの妾達がいたと思われる中腹の夥しい小部屋のあたりに、中庭の若干の風景が残り、そこにも、いくつかの石像が潰れていた。とにかく、こくめいの上にもこくめいに叩き潰されている。
(中略)
 僕が亀岡へ行ったとき、王仁三郎は現代に於て、秀吉的な駄々っ子精神を、非常に突飛な形式ではあるけれども、とにかく具体化した人ではなかろうかと想像し、夢の跡に多少の期待を持ったのだったが、これはスケールが言語道断に卑小にすぎて、ただ、直接に、俗悪そのものでしかなかった。全然、貧弱、貧困であった。言うまでもなく、豪華極まって浸みでる哀愁の如きは、微塵といえども無かったのである。

 「こくめいの上にもこくめいに叩き潰されている」…まずは国家による大本弾圧のすさまじさが分かりますね。
 そして、最後の部分で、出口王仁三郎に対する失望をこれでもかと言わんばかりに述べています。
 これは単純に安吾の失望を表していると解してもいいし、一方で、当時の日本の大きな流れに抗しているという自負があった安吾が、どこか王仁三郎的世界に期待していたことの裏返しであるとも言えなくもありません。
 あるいは太宰の『HUMAN LOST』のところで書いたごとく、単純に当時の空気として批判的に書かざるを得なかったというのもあるやもしれない。
 先日紹介した織田作之助の『終戦前後』は、まさに終戦後に書かれたものですから、多少は王仁三郎寄りに(つまり反国家的に)書くことができた。
 いずれにせよ、太宰、オダサク、安吾は深く交流する中で、出口王仁三郎についていろいろ語り合ったこともあったのではないかと想像されます。前にも書いたとおり、文学者たる者、そこを看過することはできないはずですから。
 安吾の失望は、もちろん自分自身に対する失望でもあったのでしょう。そして究極の強がり「堕落論」はこの系譜の上に描かれていくことになるわけです。
 さらに言えば、この弱虫どもの強がりは、残念ながら現代の日本男児たちにも連綿と受け継がれているでありました。もちろん私も例外ではありません。

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