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2013.02.28

過去は滓(カス)…未来に向かって生きる

20130301_101422 日は高校の卒業式。手前味噌となってしまいますが、我が校の厳粛な式典は本当に素晴らしい。
 普段は世話を焼かすことも多かった生徒たちも、最後の最後にけじめと誇りのある姿を見せてくれます。まさに有終の美。
 式中、いろいろな方のお言葉がありましたが、今日特に心に残ったのは、山川宗玄老師の戒辞でした。山川老師は岐阜の名刹正眼寺の住職であり、本校の名誉校長でいらっしゃいます。
 さすがは禅の名僧。卒業生の晴れの日に、ある意味非常に逆説的な言葉を贈ってくださいました。
「過ぎたものは全てカスである。国体で優勝しようと有名大学に入ろうと全てカス。今を、今からを一生懸命生きよ」
 私は心から感動しましたね。特に最近、「時間は未来から過去へと流れている」を出発点とする新しい日本の哲学を構築中ですから、老師の言葉はまさにそれを後押してくれる「仏様の指」でした。
 最近私的ブームである仲小路彰も「未来学」を唱え、「歴史は未来からやってくる」と言っています。原始仏教の経典をよく読んでみても、やはりお釈迦様は同様のことを言っている。
 仏教と言うと、いわゆる「因果」の法則で、過去の因縁に我々がとらわれていることを強調しがちですけれども、実は、究極の目的は、そこから解脱することじゃないですか。
 ポール・ヴァレリーは「湖に浮かべたボートをこぐように人は後ろ向きに未来へ入っていく。目に映るのは過去の風景ばかり。明日の景色は誰も知らない」と言っていますね。
 つまり、私たちは「過去」にとらわれすぎなのです。過去と現在の因果というのは、私たち自身が認知した瞬間に生じるのにも関わらず、まるで科学的に既に存在していて消えない関係性であると思い込んでいる。
 お釈迦様はそこを指摘したんじゃないかと、最近思うんですよね。自己の認知(私の言うコト)に惑わされるなと。未知と不随意であるモノにこそ未来の可能性があると。
 ま、これは私の妄想ですけれども、いや、妄想こそ新しい真理を導き出す方法論であると、バカみたいに私は信じています。
 今日の老師のお話は、「前を向いて生きよ」ということだと思います。私も「過去には学ぶべきことは多かれど原因はない」と考えて基本前を向いて生きているつもりです。
 老師の本「生きる」をさっそく注文して読んでみようと思います。表紙にある正眼寺の庭の松のお話もありました。卒業生たちは実際に参拝して見てきていますしね。
 岩に生えた奇跡の松。私たちもこの松のように前を向いて生きていかねばなりませんね。

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2013.02.27

格安高品質 ボタンダウンYシャツ 5枚セット

Urs5set

 日は格安ワイシャツセットをおススメします。
 なんとなく仕事で着ているワイシャツがくたびれてきたので、安いセットはないかなと探していて、こちらを見つけました。
 type-CのMサイズを購入。なんと5着で送料込みで4000円切ってます。ということは、1着800円しないということでか!
 はたして、こんなお値段のモノで大丈夫なのか?
 さっそく2着着てみましたが、全然問題ないですね。なかなか縫製もしっかりしているし、デザインもオシャレです。
 私にしてはちょっとハデかなとも思いましたが、ファッションの変化にうるさい生徒たちも特に何も言わないので、案外しっくり来ているのかもしれません。
 なにしろ、私のこだわり、混紡率をちゃんとクリアーしている。普通このお値段だとポリエステル率が高くなって、どうも肌触りが悪かったり、吸汗性が劣っていたり、なんだかテカテカしてきたり、いろいろ問題があるんですよね。しかし、こちらは綿45%、ポリエステル55%ですから、ちょうどいい感じです。
 実は、我が職場も昨年からクールビズが導入されまして、ようやく夏の暑苦しいネクタイから解放されました。しかし、ずっとネクタイをしてきた者としてはですね、ノーネクタイ用のボタンダウンシャツをほとんど持っていなかったわけで、しかたなく普通の襟のワイシャツをだらしなく着るという事態に陥っておりました。
 私は夏でも長袖派なので、こういう長袖のボタンダウンシャツをこれから大量に買い揃えようと思っていたところだったのです。
 そう、加えてクールビズ化のおかげで、ビジネスシーンのワイシャツもずいぶんとオシャレになり、全然White Shirtじゃなくなった。職場でも若い先生をはじめとしてずいぶんカラフルなシャツが増えました。
 年甲斐もなく私もそれに便乗して、ちょっとオシャレしてみようかななどという色気(?)も少し出てきました。
 リアルなお店にいってそういうのを選ぶのもいいのですが、それはそれでちょっと気恥ずかしいし、だいいちセンスに自信がありません。
 そこで、こういう半分は福袋みたいなのにまかせてしまう、つまり、運を天に任せるというか、責任を天に転嫁するというか(笑)、そういう買い物が最近多いんですよね。特に着るものはそう。
 それが案外、新しい挑戦を生んだりする。絶対に自分では選ばないような想定外なモノが届いたりして、でも、それを思い切って着てみたら、これが意外に似合ったりして。
 というか、今までの自分、想定内の自分以外の自分が登場して自分でもビックリしたりして。それが最近面白いんですよ。
 案外、想定外、意外…概してこういう「外」に任せた方が人生面白かったりする。この歳になって、そういう境地になってきました(笑)。
 というわけで、このシリーズ、別のタイプも結構興味あるのでもう5着くらい買ってみようかなと思っいています。皆さんもぜひ。

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2013.02.26

仲小路彰と原智恵子

Url 日の「仲小路彰と三浦環」の続き。最近、ちょっと昔の日本人の話が多いですね。私的な流行のようです。
 ということで、仲小路彰と三浦環が山中湖で再会し音楽で結びついていたということを書いたばかりですが、ここにもう一人の「伝説の女流音楽家」の名前を足さねばなりません。
 その女性の名は「原智恵子」。それこそ長い間日本では忘れられていた「伝説のピアニスト」です。私も彼女の名を知ったのは、「原智恵子 伝説のピアニスト」を読んだのがきっかけでして、それは10年くらい前の話。なんとなく「伝説の…」いう響きに弱かった頃ですね(笑)。
 その後、知り合いのピアニストにCDを貸していただいたのですが、その時の驚きたるや…。
 さて、その音はあとで聴いていただくとして、彼女と仲小路彰の関係です。実は戦中から知り合いだったようです。というのは、原智恵子の最初の旦那さんである川添紫郎(フランス映画の輸入などに貢献した人。のちイタリア料理店キャンティを創業したことでも有名。ちなみに智恵子の二人目の旦那さんはチェロの巨匠ガスパール・カサド!)が仲小路彰に心酔していたようなんですね。
 もともとヨーロッパ帰りの音楽家どうしということで、智恵子と三浦環は仲が良かった。そんなこともあって、三浦環と仲小路彰も結びついたと。
 昭和18年には環が、19年に仲小路が山中湖に疎開したのを追うように、原智恵子も19年末に山中湖に疎開します。
 先日書いた山中湖三国荘別館にある三浦環ゆかりのピアノは、なんと原智恵子も演奏したとのこと。さっそく行って触らせてもらわねば。仲小路の歌曲を、智恵子の伴奏、環の歌で演奏したかもしれない!
 さて、先ほど書いた、私が驚いた智恵子の録音ですが、そのCDとはこちら「パリの原智恵子」です。
 何がすごいって、冒頭にあるバロックの小品が素晴らしいのです。リュリ、ラモー、クープラン。ラジオ番組のための1953年の録音だそうですが、なんと美しいことか。ピアノによるフランス・バロックでこんなにすんなり耳に入り感動してしまったのは初めてでした。
 なにしろ、タッチと装飾のセンスが並ではない。ああ、これはパリでチェンバリストに習ったなと思いました。そのチェンバリストが誰なのか私は分かりませんが、いわゆる古楽的な経験がないと、この音は作れないでしょう。
 というわけで、Amazonの試聴でちょっと聴いてみてください。たった45秒でも充分にわかるはずです。これはホンモノのフランス・バロックであると。
 どうですか。素晴らしいでしょう。
 先日は伝説のプリマドンナ三浦環の声が仲小路をインスパイアしたであろうと書きましたが、そこにさらに伝説のピアニスト原智恵子の奏でる音が加わっていたわけですから、これはもう本当にとんでもないことが、富士北麓山中湖畔平野で実現していたということになりますな。
 ますます仲小路彰の残した曲に興味が湧いて来ました。
 ちなみに、今、彼の曲でしっかり歌われているのは、山中湖村立東小学校の校歌だけではないかと思います(私は残念ながら聴いたことがありませんが)。生徒たちはその作詞作曲家がこんなとんでもない人だったとは全く知らないようです。もしかして先生たちも知らないとか?
 う〜む、過去と未来がぐるっと回ってくっついて、妄想になっていく(笑)。
 最後に彼女のショパンの演奏を聴いてみましょう。彼女は日本人として初めてショパン国際ピアノコンクールに出た人です。結果は15位でしたが、その審査過程の中には東洋人に対する偏見があったのでしょうか、結果に納得しない聴衆が暴動を起こしてしまい警官隊まで出動。しかたなく「聴衆賞」を急遽授与することになった話は有名です。
 ちなみにその時彼女が弾いたピアノはなんとプレイエルだったそうです。
 ということで、彼女がショパンコンクールに出た年、1937年に録音されたというショパンのスケルツォです。これもプレイエルかなあ。なんか新鮮に聞こえるのは気のせい?

 追記 仲小路と環と智恵子の輪に、去年亡くなったあの「伝説のヴァイオリニスト」諏訪根自子も加わっていたかもしれない!?

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2013.02.25

国会図書館 デジタルライブラリー

20130226_155200 高の卒業式などが間近に迫り、ドタバタしております。
 そんな中、今日は私の「書庫」を紹介します。
 私にはいろいろと書庫がありまして、リアルな書庫はリビングや和室や地下室にもありますが、最近ではそれらよりもヴァーチャルな書庫の方をよく閲覧しております。
 たとえばkobo Touchなんかも、なんだかんだ言って重宝していますよ。
 Kindleは本体は持っていませんが、アプリを使ってiPhoneで読んだりしています。紀伊國屋書店のキノッピーもけっこう使ってます。
 ネット上の書庫ということで言えば、以前、Google play ブックスを紹介しました。しかし、それ以上に充実しているというのが、今日紹介する「国会図書館 近代デジタルライブラリー」です。
 なにしろ国立国会図書館ですからね。それはいろいろありますよ。古典籍資料や歴史的音源もよく参照させてもっています。まさに宝庫。マニア垂涎の資料ばかり。
 とは言っても、私はそんなにマニアな人間ではありませんので、思いつきで検索して面白そうなのがあればチラッと見るという感じですがね。
 今印刷して読んでいるのは、最近マイブームの二人、出口王仁三郎と仲小路彰の絶版本です。
 出口王仁三郎の各種歌集も実に興味深いですし、エスペラント語の面白ダジャレ式学習本である、「エス和作歌辞典 : 記憶便法」なんか最高ですよ(出口瑞月名義)。ちゃんと短歌形式になっているからスゴイ。おやじギャグを超越したセンスですね。どう評価していいものやら(笑)。今の語呂合わせ系受験参考書のはしりみたいなものですね。
 仲小路彰ですと、GHQによる焚書の憂き目にあった「米英の罪悪史」はすごい。たしかにこの時代(昭和17年)鬼畜米英の悪行をプロパガンダするのは常道であったとはいえ、ここまでリアルにかつ全世界史的に語るというのは…。この時代にすでにユダヤ金融資本の陰謀について実証的に論じているし。これは焚書になるわ。
 仲小路彰は戦後山中湖で自ら多くの書籍を燃やしたそうです。それは一つには戦前戦中の自分と決別するためでもあったし、一方ではGHQの追手から逃れるためであったと思います。
 その中には永遠に日の目を見ないものもあるでしょうし、こうやってデジタル化によって復活するものもあります。
 とりあえず、仲小路に関しては、山中湖の邸宅の整理をして、書籍や原稿や楽譜をデジタル化するところから始めなければ。
 それにしても、この「近代」のライブラリーは、本当に不思議な本ばかりです。ちょこっと資料あれこれランキングを見るだけでも、ものすごく刺激ですよねえ。現代と近代の断絶、戦争を境に日本は断絶したというか全く違うものになってしまったという感じがします。
 ウチの親父もそうですけど、そこを挟んで生きた人ってすごいなあ。ちょっとうらやましいような。
 皆さんもヒマな時に覗いてみて下さい。目的を持って検索するのもいいけれども、ブラっと散歩するまたいいものですよ。
 
国立国会図書館

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2013.02.24

『泣いて生まれて笑って死のう』 昇幹夫 (春陽堂書店)

20130225_100258 催者の方とご縁がありましてお誘いいただき、産婦人科医で日本笑い学会副会長である昇先生の講演会に行って参りました。
 演題は「笑いは心と脳の処方箋」。認知症サポーター養成講座ということでの講演でしたが、内容は認知症のみならず、出産、子育て、教育、食生活、ガンなどの病気、老化、そして死にいたるまで、まさに多岐にわたりました。
 2時間では語りきれないという感じで、そんなところにも昇先生のバイタリティーと愛情を強く感じることができました。
 話題は多岐にわたれども、そこに通底していたのは「笑い」。笑いが私たちの体に及ぼす良い影響については、私自身も経験的に実感を、また書物などから知識をも得ていましたので、きょうの昇先生の具体的なお話は実によく納得できるものでした。
 特に昇先生自身の笑顔と、そしてダジャレを駆使した笑いを誘う言霊のおかげもありまして、私の脳ミソも活性化したという感じでした。自称「健康法師」の名に恥じない、皆に元気を与える素晴らしい講演であったと思います。
 「笑い」(と「祈り)」の効用の科学的検証については、今日の講演の中のビデオにも登場されていた筑波大学の村上和雄さんに直接お話をうかがったことがあります。笑いが遺伝子レベルで健康に資することが分かっているんですよね。
 考えてみれば「笑い」というのは人間のみに許された高度な感情と表情ですよね。今、それを忘れてしまっている人間が多すぎる。
 今日の話の中では、「笑う」ということと「泣く」ということが良しとされ、「怒る」ことはストレスの原因であるというようなことが強調されていましたけれども、ワタクシ的には「笑い」と「怒り」はセットで必要だと思っています。もちろん私の言う「怒り」というのは、ちょっと次元が高くて、世間に対するとか不正に対するとか、悪に対するとか、そういう種類の「怒り」です。
 そういう意味では「笑い」も人類愛的な笑いに基づくレベルであるべきですね。人を馬鹿にする笑いとかではなくて。あるいはお下劣なギャグのレベルではなくて。
 一方でそんな高尚なことを目指すのでなくて、形から入るのもいいかもしれませんね。心から笑うとか怒る機会が減っていますから。
 そう言えば、池谷裕二さんからも鉛筆(箸)を横に加えて口角を上げて勉強した方が能率が上がるという話をうかがったことがあります。脳がだまされるんですね、体の動きに。
 おかげさまで、今、私の家庭も私の職場も(必要以上に?)笑いに満ちあふれています。たしかにみんな免疫力が上がっているのか、病気になりませんし、精神的にも健康そのもの、多少の失敗や想定外の事態にも動じない強さを持ち合わせています。
 やはり「笑い」は素晴らしいですね…とは言っても、状況がそれを許さない方々もたくさんいるわけで、実際そういう方々を良い方向に導いていくのは難しいケースも多々あります。プライベートでも仕事でも、今それが大きな課題と言えば課題ですね。
 そう、うまくシンクロしてくれればいいのですが、逆効果の場合もありますから…。
 ところで、肝心の「認知症」について。講演や資料のおかげでだいぶ勉強になりましたけれども、はてさて、なんで痴呆を「認知症」に変えたのでしょう。いや、一般に言われている理由、痴呆という言葉が差別的だとか、先天的な「認知障害」と区別するためだとか、それは分かりますが、日本語学的に言って、「〜
症」は「依存症」や「胃酸過多症」や「多汗症」や「高所恐怖症」や「不全症」や「過敏症」などのように、「〜」の部分に「悪い状況」が来るじゃないですか(「花粉症」は微妙ですが)。
 だから「認知症」って変だと思うんですよ。いつも違和感を感じる…っていう日本語も変?違和を感じるとは言えないし。難しいですね(笑)。

Amazon 泣いて生まれて笑って死のう

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2013.02.23

『日本人は、なぜ富士山が好きか』 竹谷靱負 (祥伝社新書)

Url 日は富士山の日。午前中は地元山梨の特集番組などをテレビで見つつ、午後は江戸へ。
 車と電車で2時間もすれば都心に着きます。江戸時代は何日くらいかけて富士詣りしたんでしょうね、江戸の人たちは。だいたい7日から10日くらいでしょうか。
 まあ、ゆっくり旅路を楽しみながらのレジャーだったわけですから、日常を離れるという意味では、ちょうどいいゴールデンウィークだったのかもしれませんね。
 そんな富士講の信者を迎える宗教&商業施設であった吉田の「御師(おし)」の末裔である著者の竹谷さん。
 以前、竹谷さんの力作「『富士山の祭神論』」を紹介しました。そこにも書いたように、竹谷さんは理学博士で情報工学の専門家です。一方でご実家のルーツとも言える富士山信仰について、大変重要な研究をされてきました。
 そんな理学博士による人文的研究の集大成がこの本。集大成でありながら、新書ですので分かりやすくまとめられています。
 富士山本は本当にたくさんありますけれども、ある意味それらはどれも同じような話ばかり。その点、竹谷さんの視点は非常に独特であり、また本質的であり、さらに新説も多く含まれていて、富士山学中級者以上にはとても面白く読めます。
 第一章「富士山は、両性具有の山である」では「祭神論」が語られます。富士山の祭神と言えば木花咲耶姫だと思われていますが、もともとは赫夜姫(かぐやひめ)なんですよね。これは非常に重要な指摘です。
 第二章「富士山は、神仙郷である」では「三峰論」が考察されます。子どもも頂上をギザギザに描きますよね。昔は富士山と言えば三峰で描きました。その意味を考えます。
130223_kak_igf_16_24 第三章「富士山は、どこにでもある」では各地にある「ところ富士(ご当地富士)」を文化的に解説します。そうそう、全然関係なくて申し訳ないんですが、今日江戸に行ったのはプロレスを観るためでした。猪木さんのIGFの興行です。で、今日中国の大巨人「泰山」選手がデビューして勝利したんですが、「泰山」とはもちろん、あの山東省の泰山に因んだ名前ですね。その泰山も「山東富士」と呼ばれていたとか。日本の国際化とともに世界中にも「ところ富士」が生まれました。
 第四章「富士山は、外国からも見える」も面白かったですね。世界一の山という一種の妄想が、外国のところ富士に先行する形で世界に広がっていたわけですね。朝鮮や琉球からも見えるというように。
Url1 第五章「富士山は、世界に誇る山である」でなるほどと思ったのは、北斎の有名な「富嶽と徐福」という肉筆画が、実は徐福ではなく朝鮮通信使の楽士であるという説ですね。私は徐福だと信じきって、それをもとにいろいろ妄想していたところだったので、ある意味ショックでした(笑)。
 第六章「富士山は、心の山である」…その言葉を、今日ちょうどテレビの富士山特集でいろんな写真家の方々が口をそろえて言ってましたね。だから難しいのだと。
 富士山の再生こそが日本人の心の再生、日本の再生につながるという竹谷さんの言葉には重みがあります。私もそう思います。
 そういう意味で、私は富士山の世界遺産登録には単純には賛成できません。あまりに表面的な「文化」しか見ていないからです。江戸時代以前の信仰や伝説、縄文のイコンとしての富士山についてもっと調査してもらいたいのはもちろん、たとえば入会や演習場の問題なども、もっともっと深く論議していかねばならないでしょう。
 現在の流れだと「非国民」と言われそうですが、私は今年中に世界遺産にならない方がいいと思っています。
 
Amazon 日本人は、なぜ富士山が好きか


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2013.02.22

仲小路彰と三浦環

 日は世界のマダム・バタフライ三浦環の誕生日です。
 作曲家のプッチーニ自身が「世界でただ一人の理想的な蝶々」と評したと言われる日本を代表するオペラ歌手、三浦環。
 実は彼女、一昨日、昨日と紹介した「忘れられた昭和の天才 仲小路彰」と深い関係がありました。
 そう、三浦環は戦争によって歌手活動を禁止されてのち、山中湖に母親とともに疎開して余生を送りました。
 環が山中湖三国荘別館に疎開したのは昭和18年の2月。仲小路彰が疎開したのは昭和19年6月。環が入院のため上京したのが20年の暮れということですから、1年半ほど二人は近くに住み親交を深めたようです。
 三浦環が山中湖岸で富士山を仰ぎながら発声練習をしたという話は有名です。おそらくは仲小路彰もそれを聴いたことでしょう。当然、「世界の蝶々夫人」の「ある晴れた日に」も聴いたことでしょう。
 そして、仲小路彰は三浦環のために歌曲を作曲しました。それがどのような作品なのか、今となっては誰も知り得ません。
 今でも彼の作曲した楽譜群が彼の住んだ家に積み重なっていると言います。その数1000以上と言われています。本格的なオペラも作曲しているようですが、そこには三浦環の影響、三浦環から得た霊感というのも働いていることでしょう。
 戦争末期に富士山の麓で、世界的な天才二人が出会っていたというのは実に不思議であり、かつ感動的です。(追記…ある方から教えていただきました。すでにその前から仲小路と三浦はつるんでいたんですね)
 不遜ながら私は、今まで培ってきた音楽の知識と人脈を利用して、なんとかこの天才たちの隠れた偉業を発掘、復活させたいと目論んでいます。ご協力をお願い申し上げます。
 世界のプリマドンナ三浦環は遺言によって母親とともに山中湖平野の寿徳寺に眠っています。

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2013.02.21

『大東亜戦争後の世界–仲小路彰の「地球論」思想–』 野島芳明 (展転社)

Url 日の『昭和の天才・仲小路彰』の続編です。
 著者の野島芳明さんは、直接仲小路彰の教えを受けた数少ない弟子の一人ですが、近年お亡くなりになってしまいました。
 野島さんの遺されたこの2冊は、21世紀に仲小路を復活させるための重要なきっかけになりうる本です。
 膨大な仲小路の著作は、今西尾幹二さんを中心に続々と復刊されていますが、我々凡人にはなかなかその全貌をつかむのは困難です。フル回転した天才の一生を怠惰な凡夫がなぞるなどもちろん不可能ですよね。
 そのエッセンスを野島さんは上手にまとめてくれています。ここを入り口に深く広い知の樹海へ足を踏み入れるのが、私たちにはいいかもしれません。
 とは言え、昨日お聞きしたお話によると、とにかく仲小路彰は分かりやすく話をしてくれる方だったようです。どんな階級、職業の方に対しても、それぞれに合った語り口で話してくださったとのこと。なんでも、地元山中湖の百姓の夫婦喧嘩にまで相談に乗ってくれたとか。
 まさに釈迦の対機説法ですね。本当に頭の良い人は「難しいことを優しく(易しく)語る」ことができるものです。
 そんな仲小路彰の戦後の大事業「地球論」を支えた独特の世界史観や日本文化観が、わかりやすく解説されているのがこの本です。
 第三章の「マルクス主義とソ連・中国」で語られているように、仲小路彰は唯物史観を諌めました。彼の哲学は、まあ当時のご多分にもれず、マルクスやヘーゲルから始まっているのですが、最終的には完全にそれらを凌駕した高次元にまで達しました。
 彼のロシア革命研究では、「ロシア革命は今世紀に終わる」と「予言」されています。たしかにソ連は20世紀末には崩壊しました。昨日うかがった話では、さらにアメリカの没落も予言されているとのこと。そして、日本は…。
 また、興味深いのは彼の「聖人伝」シリーズです。釈迦、孔子、ソクラテス、マホメット、キリスト、聖徳太子について、一般的な理解を完全に超えた解釈をしています。とは言っても、昨日聖徳太子伝たる「夢殿の幻」をざっと読ませていただいただけですが。
 これはぜひ全巻読んでみたいですね。おそらくはその「聖人」たちにかなり近いレベルであったと思われる仲小路さんがどう解釈し評価しているのか。
 それらも含めて著作の全貌はつかみきれていない…実際にGHQによって没収、焚書処分にされたものや、自身が焼いてしまったもの、また現在でも未整理のものなどがたくさんある…のですが、現段階での著作目録がこの本の巻末に収載されていますので、そのタイトルを遠望するだけでも、この昭和の大天才のスケールの大きさが分かります。
 また、自分はどこから足を踏み入れようか考えるのもまた面白いでしょう。出口王仁三郎の業績も同様に全貌が明らかになっていませんね。そちらも今、多数の人が関わって共同作業的、分業的に発掘が行われています。
 昨日も書いたように、この大化物二人には、言語は違えども魂の部分で共通するモノを強く感じます。この二人のグローバルな、あるいはコスモロジカルな、そして霊的な世界観こそ、現代の日本、いや世界、地球に必要なものなのかもしれません。
 私もその発掘に携われるよう日々精進していきたいと思います。

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2013.02.20

『昭和の天才・仲小路彰―終戦工作とグローバリズム思想の軌跡』 野島芳明 (展転社)

20130221_94324 日は昭和の天才の直接のお弟子さん、ほとんど最後の生き証人である方にお会いしてきました。
 本当にありがたい(めったにない)ご縁をいただき、私のような者が、日本の歴史を演出してきた昭和の大天才の言霊に浴することができる…まったく幸せなことであります。
 そして、その御恩に報いるべく、私はこれからしっかりお役目を果たしてゆかねばなりません。
 今日のお話にもありました。私たち凡人の数倍上を行く天才が数倍の努力をしていたのです。それも強烈な「人類愛」に基づく崇高な努力。
 でありながら、仲小路彰の名前はほとんど世間に知られていません。知られることを望まなかったのです。しかし、たとえば、佐藤栄作や松下幸之助、あるいは加藤登紀子にとっては忘れられない存在でしょう。
 仲小路彰は昭和19年から59年までの40年間、山中湖畔に独居しました。そこを訪ねた政治家、文化人、実業家、そして地元の人々は多数。しかし、その生涯や功績はなぜか歴史の裏側に隠されたままです。
 ほんの一つだけ、今日うかがった「事実」の一部を書くならば、あのノーベル平和賞受賞は、仲小路彰の代わりに表舞台で佐藤栄作が受賞したものです。
 …いったいどういう人物だったのか、皆さんも気になることでしょう。しかし、その全貌はいまだ明らかになっていないですし、彼の哲学や思想や政策が、21世紀の我々にはまだまだ理解できない部分があるとも言えます。
 それほどに深く広いのです。この世界に足を踏み入れてしまった私は、正直、富士の樹海に迷い込んだような気分であり、時々木々の間から見える頂を頼りに歩けども、なかなか視界が開けるところまでたどりつかない。
 しかし、もう後戻りはできません。前に向かって歩んでいくしかないと覚悟しています。
 この本で紹介されているのも、仲小路の功績の一部なのですが、それだけでも大変なスケールになります。
 大東亜戦争は目的を達成したのであるから即刻終結させるべきである、もうすぐ米ソの衝突が始まるから、それに備えて日本は力を蓄えねばならない…それを当時の実力者たちに奏上し、不幸なタイムラグはあった(原爆投下などがあった)ものの、結果としては実際に日本をそのような方向に持っていったのも彼であったと言えます。
 そして、戦後すぐに(昭和22年には!)「グローバリズム」を提唱し、日本発の全地球主義、球体としての地球文化創造に邁進します。
 もちろん、その「グローバリズム」は、現今の経済市場のグローバリズムとはスケールが違いすぎます。全く逆と言ってもいいかもしれません。
 ある意味では出口王仁三郎の目指した「みろくの世」に近いかもしれない。しかし、仲小路の言葉たちは、もっと具体的で現実的で政策的なのです。
 資本主義、共産主義に続くのはその「グローバリズム(地球主義・福祉経済)」しかない…彼は弟子たちに力強くそう語ったと言います。そう、彼は「国富論」「資本論」に続く新時代の経世済民のバイブルを書き残したのです。
 それ以前に、彼の歴史に関するすさまじい知識と考察に圧倒されます。世界史、日本史のあらゆる時代、地域、文化に異常に詳しいというだけでなく、それを俯瞰的に統合しているところに、その天才性を見ます。
 特に「戦史」「戦争文化史」についての考察は、ほとんど世界無二のレベルです。戦争は必然的文化であるからして、平和も文化たるべきである、戦争反対だけでは平和は獲得できないという考えには、私も大いに刺激を受けました。
 彼が残した膨大な書き物は、一部は出版されましたが、大半はGHQによって没収、焚書の憂き目に合いました。それを予期した彼自身も、山中湖畔で随分多くの自著を薪代わりにしてしまったそうです。
 それでも、残るところには残っているのです。ここではその場所や内容については語れませんが、それがこの21世紀に再び日の目を見ることになりそうです。
 王仁三郎は100年したらワシの言ったこと書いたことが解ると言ったそうですが、なんと仲小路彰は「500年後」と語ったとのこと。
 そして、今、たしかに彼の「予言」は全て的中しています。予言という言い方を彼自身は好まないでしょう。あくまでも冷徹な分析と予測の結果ですから。
 しかし、私たちからすると、それは予言のように感じられます。逆に言えば多くの聖人、賢人たちの「予言」や「預言」の本質が、そこにあるのだということも教えられますね。
 仲小路彰は、富士山を真の「大和」の心の表徴としてとらえ、そしてまたそれを世界に発信するイコンとして機能させることを目論見ました。その「働き」がいよいよ動き出しました。私自身の後半生ももしかすると彼によって計画済みなのかもしれません。
 今後この場でも良き報告ができるよう精進いたします。
 あっ、大切なことを書くのを忘れていた。仲小路彰は作曲家としても数千曲の歌曲を残したそうです。その発掘、整理、再演、出版などもやっていきたいと思っています。

Amazon 昭和の天才・仲小路彰

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2013.02.19

サラリーマン川柳

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 このところ重い記事が続いたので、今日は軽く行きましょう。
 とは言っても私のことですから、ついつい深読みしたくなります(笑)。
 昨日のタルコフスキーがいかにも旧ソ連の空気を醸していたように、このサラリーマン川柳というのは、実に見事に現代日本を映していますよね。
 もともと川柳という大衆文化は、庶民の「おかしみ」「かるみ」「うがち」を通して、実際にはその裏返し、世の中への「悲哀」や「重み」や「諦念」を表現するものだと私は解釈しています。
 そういう視点で言えば、今年の第一生命「第26回私が選ぶサラ川ベスト10」の候補100作は、なかなかに傑作揃いであります。
 皆さんもぜひこちらをじっくり味わっていただき、そして、大いに共感して投票してみてください。
 そして、ついでに過去の名作も読んでみましょうね。
 このサラリーマン川柳の味わい方のコツですが、先ほどのような裏返して読む読み方はもちろんのこと、それ以前に必ず声に出して読むこと、そしてそれぞれの雅号を必ず作品の最後にこれまた声を出して読むことをお忘れなく。
 伝統的な川柳もそうであったように、雅号も含めての作品です。雅号は五七五という世界最小の詩を裏で支える大きな役割を果たしています。
 匿名性によって「横」の拡がりを獲得した詩は、時として、これまた匿名性に支えられている政治や国家というものを動かす力を持つものです。
 そういう意味で、江戸幕府が川柳にさえも大きな弾圧を加えたのはもっともなことであります。
 今こうして私たちはネットというさらなる匿名の大衆性を獲得して、こうした「文化的抵抗力」を持ち得ているのは、幸せと言えば幸せなことですね。
 今日、クローズアップ現代で「白い恋人」と「面白い恋人」をめぐるパロディー論をやってましたけれども、なんというかなあ…「シャレ」の通用しない世知辛い世の中というのはいやですね。
 そのうち「川柳」もくだらないとか、腹が立つとか言う人が出てきたりして(苦笑)。いやいや、そうなってほしくないものです。
 学校でもやってみようかな。最近教育界もギスギスしてますので。こういうガス抜きの場を生徒にも先生にも用意してあげることも大切でしょう。
 「おかしみ」も「かるみ」も「うがち」も「しゃれ」も、日本がほとんど世界で唯一平和国家を何千年も続けてこれた、その要因となる「智慧」であったと思います。
 ああ、それにしてもよく笑った。みんなうまいなあ。私も真面目な短歌だけでなく、こういうのもやってみようかな。こっちの方が得意だったりして(笑)。

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2013.02.18

『ストーカー』 アンドレイ・タルコフスキー監督作品

Stlkb5 日のロシアの隕石落下でこの映画を思い出したマニアックな人もけっこういることでしょう。私もその一人でした。
 いかにもタルコフスキーらしい、水や火などの象徴的なシーンが延々と続きます。ストーリーやテーマを超越した「感覚」が全体を支配します。それはまさに「モノ」の怖さ…。
 隕石落下の跡と思われる「ゾーン」に謎の部屋がある…そこへの案内人が「ストーカー」。
 今では「ストーカー」という言葉はあまりに一般化してしまい、ある意味においては、本来の語感が忘れ去られているような気がします。
 私がこの映画を観たのはたぶん1990年くらいだと思います。その頃はいわゆる「ストーカー」という言葉は日本語としては使われていなかった。
 私はこの映画で初めて「stalk」という英単語を知ったのです。そして、その語感はこの映画によって私の脳内に注入されたと言ってよい。
 今思うと、私の「モノ・コト論」における「モノ」の存在感に対する感覚は、この映画によって生まれたのかもしれません。それほど、「なんだか分からないけれどゾッとした」のです。
 ロシア、いやソ連の巨匠タルコフスキー1979年の作品。その内容や特徴については、今までも多くの映画マニアや映画制作者、そして他ジャンルの芸術家たちによって語られてきましたから、私がここでどうのこうの言うまでもありません。
 好き嫌いや解る解らないははっきり分かれるところですが、しかし、たしかにこの作品は世界の映画史に残る名作であり、皆さんにも一度は観ていただきたい作品です。
 今はありがたい時代で、YouTubeで全編観ることができます。

ストーカー(前編)

ストーカー(後編)

 この作品が発表されたのちに、あのチェルノブイリの事故があり、私たちはこの映画の予言性に再び「ゾッ」としました。
 しかし、あの時は、まさか同じような「ゾーン」が、私たちの国日本にも生まれるなどとは想像すらしなかったのです。
 そして、今回のロシアへの隕石落下…タルコフスキーが単なる表現者ではなく、霊的なメッセンジャーであったのではないかと思わずにはいられません(というか、ホンモノの表現者、芸術家とは少なからずそういう性質を持っているものですね)。
 タルコフスキーは日本とも縁の深かった映画監督です。ある意味ではご多分にもれずとも言えますけれども、彼は黒澤明や溝口健二にかなり入れ込んでいました。たしかにこのストーカーにも溝口の影響が見て取れますね。
 最後に、タルコフスキーマニアとして有名でもあった、日本の誇る霊的表現者であった武満徹が、タルコフスキーを追悼して作った曲を聴いていただきましょう。「ノスタルジア―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に― ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための」です。

 今はもうタルコフスキーも武満もこの世にいません。彼らは今の世界をどのように眺めているでしょうか。

Amazon ストーカー

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2013.02.17

『日本文化私観』より 坂口安吾

Url 日は安吾忌。坂口安吾の亡くなった日です。満48歳でしたから、今の私と同い年です。
 単純に今死ねるかというと、いやまだまだ生きていたいというのが本音ですね。そして、今死んだら男としてあまりに格好悪い。本気で生きて来なかったからでしょうか。何も残せないような気がする。
 おそらく太宰もオダサクも安吾も、実際死ぬる間際には、どこかそんな後悔めいた感じや、あるいは一種の気恥ずかしさを抱いたのではないでしょうか。男とはそんな生き物でしょう。満足したら男ではない。
 ということで、今日は安吾忌にちなみ、先日の織田作之助の「終戦前後」の記事で予告した、安吾の王仁三郎観を紹介しましょう。
 安吾作品の中でも堕落論と並んで有名な「日本文化私観」の中にそれは書かれています。
 「日本文化私観」に対する私の評価は、ある意味では安吾以上にひねくれてアマノジャク的であるので、ここには書きません。安吾忌ですし(笑)。とにかく、今日は安吾による出口王仁三郎評のみ紹介しましょう。
 昭和12年の冬でしょうか。安吾は友人隠岐和一に誘われて京都祗園で遊びます。そこで失望して、また京都の他所でも失望して、翌日、1年ほど前に大弾圧を受けた亀岡の大本本部を訪れます。
 そしてまた失望します。ちょっと該当部分を引用してみましょうか。

 そういう僕に隠岐がいささか手を焼いて、ひとつ、おどかしてやろうという気持になったらしい。無理に僕をひっぱりだして(その日も雪が降っていた)汽車に乗り、保津川をさかのぼり、丹波の亀岡という所へ行った。昔の亀山のことで、明智光秀の居城のあった所である。その城跡に、大本教の豪壮な本部があったのだ。不敬罪に問われ、ダイナマイトで爆破された直後であった。僕達は、それを見物にでかけたのである。
 城跡は丘に壕をめぐらし、上から下まで、空壕の中も、一面に、爆破した瓦が累々と崩れ重っている。茫々たる廃墟で一木一草をとどめず、さまよう犬の影すらもない。四周に板囲いをして、おまけに鉄条網のようなものを張りめぐらし、離れた所に見張所もあったが、唯このために丹波路遥々(でもないが)汽車に揺られて来たのだから、豈目的を達せずんばあるべからずと、鉄条網を乗り越えて、王仁三郎の夢の跡へ踏みこんだ。頂上に立つと、亀岡の町と、丹波の山々にかこまれた小さな平野が一望に見える。雪が激しくなり、廃墟の瓦につもりはじめていた。目星しいものは爆破の前に没収されて影をとどめず、ただ、頂上の瓦には成程金線の模様のはいった瓦があったり、酒樽ぐらいの石像の首が石段の上にころがっていたり、王仁三郎に奉仕した三十何人かの妾達がいたと思われる中腹の夥しい小部屋のあたりに、中庭の若干の風景が残り、そこにも、いくつかの石像が潰れていた。とにかく、こくめいの上にもこくめいに叩き潰されている。
(中略)
 僕が亀岡へ行ったとき、王仁三郎は現代に於て、秀吉的な駄々っ子精神を、非常に突飛な形式ではあるけれども、とにかく具体化した人ではなかろうかと想像し、夢の跡に多少の期待を持ったのだったが、これはスケールが言語道断に卑小にすぎて、ただ、直接に、俗悪そのものでしかなかった。全然、貧弱、貧困であった。言うまでもなく、豪華極まって浸みでる哀愁の如きは、微塵といえども無かったのである。

 「こくめいの上にもこくめいに叩き潰されている」…まずは国家による大本弾圧のすさまじさが分かりますね。
 そして、最後の部分で、出口王仁三郎に対する失望をこれでもかと言わんばかりに述べています。
 これは単純に安吾の失望を表していると解してもいいし、一方で、当時の日本の大きな流れに抗しているという自負があった安吾が、どこか王仁三郎的世界に期待していたことの裏返しであるとも言えなくもありません。
 あるいは太宰の『HUMAN LOST』のところで書いたごとく、単純に当時の空気として批判的に書かざるを得なかったというのもあるやもしれない。
 先日紹介した織田作之助の『終戦前後』は、まさに終戦後に書かれたものですから、多少は王仁三郎寄りに(つまり反国家的に)書くことができた。
 いずれにせよ、太宰、オダサク、安吾は深く交流する中で、出口王仁三郎についていろいろ語り合ったこともあったのではないかと想像されます。前にも書いたとおり、文学者たる者、そこを看過することはできないはずですから。
 安吾の失望は、もちろん自分自身に対する失望でもあったのでしょう。そして究極の強がり「堕落論」はこの系譜の上に描かれていくことになるわけです。
 さらに言えば、この弱虫どもの強がりは、残念ながら現代の日本男児たちにも連綿と受け継がれているでありました。もちろん私も例外ではありません。

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2013.02.16

日本、キューバ、アメリカでも火球が観測されていました。

 日の隕石関係の続報です。
 まずNASAによる発表です。
 大気圏突入前の大きさは直径17メートル、重さは1万トン、隕石が大気圏に突入してからばらばらに分解されるまでの時間は32.5秒。
 当初の分析よりも巨大化してますね。被害の状況も拡大しています。
 さて、今回の隕石は今日の未明に最接近(異常接近)した小惑星「2012DA14」とは関係がないとされていますが、どうもそうとも言い切れないようです。
 というのは、ここ数日で世界中で大規模な火球が観測されているからです。
 14日の1時4分には関東北部を巨大な火球が爆発を伴って飛行しました。映像を見つけましたので、ご覧ください。
 ちなみにこの動画には15日にサンフランシスコで観測された火球と昨日のロシアのものの映像も加えられています。

 それからキューバでも火球が観測され隕石の落下があったとの情報もあります。これはまだ未確認ですが、ネット上にある次の動画は2006年メキシコ上空に現れた火球のもので、今回のキューバのものではありません。ご注意を。しかし、これもすごいな…。

 もし、これらの情報が確かだとすると、やはり小惑星「2012DA14」が子分を引き連れてやってきたと考えたくもなります。小惑星の接近ではなく、小惑星群の接近であったということです。これは可能性としてはなくもない。
 しかし、一方で冷静に考えてですね、このレベルの火球は世界中ではいくつも観測されているとも言えます。たまたまロシアの一件があったために、報告数が増えた…こういうことは他の分野でも普通に起こる社会的現象ですしね。
 14日に日本で観測された火球はたしかに大規模です。私は小学校5年生か6年生の時に、このクラスの火球を見たことがあります。当時持ち歩いてた(!)全天恒星図を探せば詳細な経路やデータが記入されているはずです。あれは、上のビデオと同様に雲を透かしてその爆発の様子が見えました。等級としてはマイナス10等にはなっていたと思います。
 サンフランシスコの火球のレベルはそんなに珍しくない。最近で言えば、こちら(リアル・エメラルドフロウジョン)で紹介したものなども同クラスの火球だと思います。
 ただ可能性としてはまだ数日の間は隕石の落下には注意が必要かもしれません。注意するに越したことはありません…とは言っても、注意のしようがないと言えばないのですが(苦笑)。

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2013.02.15

ロシアに隕石落下

 、すごい…。こういう映像が残る時代になったんですね。それもすごい。
 先日、「2013年はスーパー彗星イヤー」という記事を書きましたが、どうも今年は外から地球に近づいてくる天体に影響を受ける年になりそうです。
 それにしても驚いたのは今日15日にこういうことが起きたことです。そう、16日に小惑星が異常接近するという意識があったからです。もちろん、そちらは地球に衝突することはないと言われていたし、それを私も信じていたわけですけれども、そのタイミングで「ロシアに巨大隕石」というようなニュースが流れたので、一瞬ギクッとしたわけです。
 小惑星「2012DA14」の直径は45メートルで、それが地球に衝突すれば核爆弾レベルの破壊力がありますからね。全地球的な被害は出ないにしても、もし都市部に落下すればそれは大変なことになりかねません。
 しかし、今回の隕石も推定直径15メートルということですから、これもまた結構大きい。それなりの衝撃波を発したようで、1000人規模での負傷者が出たようです。
 隕石は100メートルくらいまでの直径の場合、ほとんどが空気との摩擦に耐えられず爆発分裂してしまいます。今回もその爆発の様子が映像でとらえられていますよね。
 その破片は無数に地上に落下したものと思われます。それこそ原発などに落ちたら大変なことになりましたが、どうも今回は不幸中の幸い、死者も出ず、破滅的な破壊も起きなかったようです。
C098097e 1908年、シベリアのツングースカ大爆発の隕石の直径は約100メートルと言われています。やはり上空で爆発したのですが、その放出エネルギーは広島型原爆の数百倍から千倍に及んだと考えられます。
 今回はそれ以来の巨大隕石落下ということになります。約100年に1回、こういうレベルの隕石落下が起こるということでしょうか。それがまたロシアだったわけですね。それだけロシアは広いということか。
 将来的には直径がキロ単位の隕石、いや小惑星衝突の可能性があります。
1 6500万年前の、あの有名なユカタン半島に落下した天体の直径は10km。その放出エネルギーはツングースカの数百万倍。人間が造る爆弾とは比較にならない、まさに天文学的な衝撃です。
 その際発生した地震は推定M11以上(!)。津波も数百メートルの高さ(!)。場所によっては1キロを超える高さだったと言われています。その後の気候変化などは恐竜の絶滅の原因の一つとも考えられていますね。
 もうこうなったら、我々人間の力でどうのこうのとか、温暖化とか戦争とか原発とか…なんだかどうでもいいような気さえしてしまいます。
 今回はまさに人間にとっては不幸中の幸い。人間の無力さを思い出すいい機会になったと思います。クワバラクワバラ…。

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2013.02.14

『戦後史の正体』 孫崎享 (創元社)

Url1 ず最初に、この本のタイトルは間違っているということを言っておきます。「戦後史のある一面」ではあると思いますが、決して「正体」ではありません。
 そういう意味でこの本は取り扱い注意です。しかし、それなりの取り扱い方をすれば、非常に面白い「読み物」にはなります。
 今日の記事も、ここ数日の「昭和の裏面史」シリーズになりましょうかね。でも、この本では、その「裏」があまりに明確、明快に語られすぎているんです。「裏」はもっと暗くてドロドロしていているモノでしょう。
 ドロドロしたモノを明快なコトにする方法としてよく採られるのが「陰謀論」「陰謀史観」であります。
 世間の陰謀論は、陰謀なのにあまりにあからさまという時点で、実はもう立派な「トンデモ」なわけですけれども、人間はそうした「物語」が大好きです(もちろんワタクシも大好きです)。陰謀への不安や憂慮を共有することよって安心を得ようという、非常に面白い文化ですね。
 で、ちょっと話が逸れますけれども…今日はバレンタインデーでした。今まで散々、バレンタインデーの裏側(または涅槃会イヴ、あるいは煮干しの日、はたまた金正日誕生日イヴイヴ、などなど)については散々書いてきましたので、今年はちょっと違った角度から2月14日を振り返ってみたいと思います。
 ええと…2月14日は「ふんどしの日」です(笑)。煮干しと言い、ふんどしと言い、非常に日本的な臭い、いや匂いのする日ですね。まあ、西洋の文化に振り回されるのではなく、じっくり日本の歴史や文化について考えたいところではあります。
Url そう、実は今日2月14日はですね、日本のことを真剣に考え、アメリカに楯突いて失脚、そして怪死を遂げたあの中川昭一さんが、イタリアで酩酊会見をした日なんです。2009年のことです。
 呪われた中川家とか、アメリカの陰謀にはめられたとか、世間ではそういう言い方もされ、たしかにそういう一面もあるでしょうが、しかし、ことはそんなに単純ではないでしょう。実際に陰謀にはめられたというのが事実であったとしても、それは巨大な規模の「モノ」の一部であって、やはり「正体」ではないと思います。
 なぜかこの「戦後史の正体」には中川さんのことは出てきません。これほど「戦後史はアメリカが操っていた」と言うのなら、当然中川昭一さんについても触れられるだろうと思っていたら、その辺はずいぶんとすっ飛ばしてしまっています。
 とにかくこの本は、歴代首相をはじめとする日本の政治家を「自主派」と「対米追随派」にデジタル的に分けるのですね。モノをコト化する(つまり物語化する)するために、非常に乱暴な手段をとっていると感じられました。
 自分の構築したストーリー(妄想)が先にあって、それに当てはまる事例はどんどん出し、不都合な事例は出さないという陰謀論の常道を行っていると言っていいでしょう。それを承知で読めば実に面白い読み物なのですが、孫崎さんが想定した読者レベルである高校生に読ませるのは危険でしょう。なにしろ彼らは「ムー」の世界も素直に受け入れてしまう無垢さを持っているからです。
 私はこういう視点の存在を否定しているわけではありません。歴史を学ぶ入り口として、明快な切り口を用意することは逆に有効であるとさえ思っています。
 ただ、そこに納得してから、さあどうやって今度はそれを批判的な目で読みなおすかということが重要です。
 学校で使っている歴史の教科書なんかも、ある意味ではこの本と同じ手法がとられているとも言えますよね。歴史というものは本質的にそういうものですし。
 あまりに明確、明快なコトは疑えというわけです。自分も含めて世界はほとんど無限に多様で複雑なモノなのですから。
 我々教師はそれを教えなくてはなりませんね。特に「国語科」においては。
 ところで私は、今回の安倍首相の返り咲きには、中川昭一さんの力が裏側から働いたと感じています。そんなモノは、この本のような切り口ではとても説明できないでしょう。
 なんだか全然「戦後史の正体」の正体に迫る記事ではなくなってしまいましたが、まあいいか。真剣に対峙すべき、あるいは退治すべき本でないとも言えるし。
 「モノ・コト論」でいつも語っているように、「コトを極めてモノに至る」ことこそが重要です。コトがゴールではないのです。微分されたコトを集積して、最終的に全体像に迫る。とりあえず私の人生の目的はそんなところです。

Amazon 戦後史の正体
 

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2013.02.13

『終戦前後』 織田作之助

Url 日に続き、昭和の裏面史…かな。またまた出口王仁三郎の登場です。
 当時も今も王仁三郎の評価は両極端に振れます。まあ、大天才からペテン師まで全てを含んだ大化物ということだけはたしかですね。
 最近ちょっと興味があるのは、当時の文学界への王仁三郎の影響です。
 今、私の短歌の師匠である笹公人氏が王仁三郎の短歌を整理、再評価し、画期的な歌集を編纂中です。そちらも楽しみです。
 文学者は少なからずオカルト的傾向、心霊的傾向を持っているものです。彼らに大化物はどう映っていたのか。
 芥川龍之介は比較的大本に近い存在でしたね。私も以前芥川龍之介と富士山という記事で少しそのことに触れました。
 太宰は否定的に書いてますね。『HUMAN LOST』に「大本教主」を揶揄する表現があります。その他の文学者との関係については、その記事からちょっと引用してみましょう。

『あとですね、川端康成は伊豆の湯本館で何度も王仁三郎に会っていますし、あとそうですねえ、有名どころでは、これは文学と言えるか微妙ですが、柳田国男の「遠野物語」の成立にも、大本信者の佐々木喜善が大きく関わっています。その佐々木の友人であり、宗教的ライバル(?)であった宮沢賢治にも間接的に大きな影響がありましたね。エスペラントという共通点もありますし』

 その他、坂口安吾も否定的な口調で文章を残しています。それはまたいつか紹介するとして、今日はオダサクの興味深い作品を読んでいただきましょう。
 昭和20年の11月に発表された「終戦前後」という小随想です。織田作之助はその翌月には結核のため大量喀血し、翌年の1月に33歳の若さで亡くなりました。
 終戦前後の庶民の感覚を知る上でも興味深いものですし、予言者出口王仁三郎について語られている貴重な資料であるとも言えましょう。



  終戦前後
               織田作之助

 小は大道易者から大はイエスキリストに到るまで予言者の数はまことに多いが、稀代の予言狂乃至予言魔といえば、そうざらにいるわけではない。まず日本でいえば大本教の出口王仁三郎などは、少数の予言狂、予言魔のうちの一人であろう。
 まことにこの出口王仁三郎という人の生涯と、そのおびただしい予言とは、切り離して考えられぬ位である。ところが、いかに稀代の予言狂とはいえ獄中にあっては、予言癖を発揮する自由がなくなってしまって淋しいことであろうと思っていたら、さすがに雀百まで踊忘れずである。王仁三郎旦那は、取調べに当った検事に向って、
「昭和二十年の八月二十日には、世界に大変動が来る。この変動は日本はじまって以来の大事件になる」
 と予言して、検事に叱り飛ばされたということである。
 私は予言というものを大体に於て信じない方であるが、この話を今年の六月頃に聴いた時、何となく「昭和二十年八月二十日」というものを期待するようになった。
 六月といえば、大阪に二回目の大空襲があった月で、もうその頃は日本の必勝を信ずるのは、一部の低脳者だけであった。政府や新聞はしきりに必勝論を唱えていたが、それはまるで低脳か嘘つきの代表者が喋っているとしか思えなかった。
 国民の大半は戦争に飽くというより、戦争を嫌悪していた。六月、七月、八月――まことに今想い出してもぞっとする地獄の三月であった。私たちは、ひたすら外交手段による戦争終結を渇望していたのだ。しかし、その時期はいつだろうか。「昭和二十年八月二十日」という日を、まるで溺れるものが掴む藁のように、いや、刑務署にいる者が指折って数える出獄日のように、私は待っていた。
 人にこのことを話すと、
「八月二十日にいいことがあるというのか。ふーむ。八月二十日といえば勝札の抽籤の発表のある日じゃないか」
 しかし、そう言いながら、誰もかれも何となく「八月二十日を待とう」という気持になっていた。無理もない。政府と新聞の言うことが悉く信ずるに足らないとすれば、せめて獄中の予言狂のあやしげな予言を信ずるより外に、何を信じていいだろうか。
 例えば、広島に原子爆弾が出現した時、政府とそして政府の宣伝係の新聞は、新型爆弾怖るるに足らずという、あらぬことを口走っている。そしてこれを信じていた長崎の哀れな人々は、八月二十日を待たずに死んで行ったではないか。
 原子爆弾と前後してソ聯の参戦があった。その発表をきいた時、私は将棋を想いだした。高段者の将棋では王将が詰んでしまう見苦しいドタン場まで指していない。防ぎようがないと判ると潔よく「もはやこれまで」と云って、駒を捨てるのが高段者のたしなみである。
「日本も遂にもはやこれまでと言って駒を捨てる時が来たな」
 と、私は思った。その時期はあと十日、八月二十日だ、しかし、この十日を生き伸びることはむずかしいわいと、私は思案した。
 ところが、戦争の終ったのは、八月十五日であった。その朝、隣組の義勇隊長から義勇隊の訓練があるから、各家庭全員出席すべしといって来た。
「どんな訓練ですか」
「第一回だから、整列の仕方と、敬礼の仕方を教えて、あとは講演です」
 と、いう。
「僕は欠席します。整列や敬礼の訓練をしたり、愚にもつかぬ講演を聞いたりするために、あと数日数時間しかもたぬかも知れない貴重な余命を費したくないですからね、整列や敬礼が上手になっても、原子爆弾は防げないし、それに講演を聴くと、一種の講演呆けを惹き起しますからね、呆けたまま死ぬのはいやです」
 私は隊長にそう答えると隊長はあきれた非国民もいるものだ、こういう非国民が隣組にいるのは心外であるという意味のことを言って、カンカンになって帰って行った。それと行きちがいに、また隣組から、今日の昼のニュースを聞けと言って来た。
 畏れ多い話だが、玉音は録音の技術がわるくて、拝聴するのが困難であったが、アナウンサーのニュースを聞いているうちに、
「あッ、戦争が終ったのだ!」
 と、直感された。
 さすがの王仁三郎も五日間おくれてしまったわけだと、私は思った。しかし、彼は戦争が十五日に終ったことを聴いて、自分の予言を間違ったと思ったであろうか、それとも当ったと思ったであろうか、彼の言分を聴いてみたいと思った。
 直ちに知人を訪問すると、
「大変なことになりましたが、命だけは助けていただきました」
 と、知人はいう。
 たしかに、軍部は国民を皆殺しにしようと計画していたのだが、聖上陛下が国民の生命をお救い下すったのであると、私は思った。
 知人の家で話をしていると、表を子供たちが、
「――兵隊さんのおかげです……」
 という歌を、歌いながら通って行った。
「皮肉な歌ですね。たしかに兵隊のおかげですよ」
 町へ出ると、車内や駅や町角に、
「一億特攻」だとか「神州不滅」だとか「勝ち抜くための貯金」だとか、相変らずのビラが貼ってあった。私は何となく選挙の終った日、落選者の選挙演説会の立看板が未だに取り除かれずに立っている、あの皮肉な光景を想いだした。
 標語の好きな政府は、二三日すると「一億総懺悔」という標語を、発表した。たしかに国民の誰もが、懺悔すべきにはちがいない。しかし、国民に懺悔を強いる前に、まず軍部、重臣、官僚、財閥、教育者が懺悔すべきであろうと思った。「一億総懺悔」という言葉は、何か国民を強制する言葉のように聞こえた。
 私は終戦後、新聞の論調の変化を、まるでレヴューを見る如く、面白いと思ったが、しかし、国賊という言葉はさすがの新聞も使わなかった。が、私は「国賊にして国辱」なる多くの人人が「一億総懺悔」という標語のかげにかくれて、やに下っている光景を想像して、不愉快になった。
 ある種の戦争責任者である議会人がさきに軍官財閥の三閥を攻撃している図も、見っともよい図ではなかった。がかつて右翼陣営の言論人として自他共に許し、さかんに御用論説の筆を取っていた新聞の論説委員がにわかに自由主義の看板をかついで、恥としない現象も、不愉快であった。
 だが、私たちはもはや欺されないであろう。私たちの頭が戦争呆けをしていない限り、もはや節操なき人人の似而自由主義には欺されないであろう。右翼からの転向は、ただ沈黙あるのみだということを、私たちは肝に銘じて置こうと思う。
 戦争が終ると、文化が日本の合言葉になった。過去の文化団体が解散して、新しい文化団体が大阪にも生れかけているが、官僚たる知事を会長にいただくような文化団体がいくつも生れても、非文化的な仕事しか出来ぬであろう。どこを見ても、苦々しいこと許りだ。

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2013.02.12

北朝鮮の核実験と松代大本営

Ip130212tan000177000 朝鮮が3回目の核実験を行いました。このことがあると思い出すのが「松代大本営」です。
 2006年の1回目の核実験の時に「北朝鮮・松代大本営・ジョン・オニ」という記事にさりげなく書きました。
 今回の核実験の地震波も松代の気象庁精密地震観測室でしっかり観測されたようです。
 上掲の記事にも書いたように、敗戦濃厚になった時、皇室の周辺や軍部が皇居を東京から遷したいがどこがよいかと出口王仁三郎に尋ねたところ、「聖地(世界の十字)皆神山は爆撃を受けない」と言ったとか…それを大本の陸軍ルートから井田正孝少佐が聞いたのでしょうかね、いよいよ本当に松代の皆神山の地底に大本営や皇居を遷すということになった。井田正孝も「信州は神州」というようなことを言っていたようですから、やっぱりちょっとオカルト入っていますな。
 結局皇居や大本営は地質の関係で近くの山々の地下に造営されることになりましたが、とにかく皆神山を中心に巨大地下都市が4分の3ほどできあがったところで、あえなく終戦を迎えることになったのです。
 王仁三郎はすでに「敗戦」を予言していましたから、なんとも無駄な労力を使っているなと思っていたことでしょう。
 そう言えば、奈良の天理大本営計画というのもありましたね。大本教や天理教…軍部も政府もあの状況では、そうした古来日本の霊的なモノにすがるしかなかったのでしょう。その辺の事情についてはもっと調べてみたいところですね。戦中史のタブー。
 朝鮮人や信州の人々が松代の地下に一生懸命無駄な穴を掘っていたその頃、王仁三郎はひたすら茶碗を焼き続けました。それが耀わんと言われる一連の楽焼群です。
 私はそのうちの一つ「十和田」をかついで、去年の夏、その松代皆神山に登りました。こちらの記事をご覧ください。
 その数日前にはその「十和田」で安倍首相の奥様昭恵さんが富士山の水を飲みました。その茶碗が十和田湖を経由して皆神山にやってきた頃、安倍晋三さんは「日本を取り戻す」ため総裁選に出ることを決意した…なんて書くと、それこそオカルトではありますが、もしかすると、数十年後に「戦後史」の裏側として語られることになるかもしれませんよ(笑)。
 まあそれは「今は」冗談として、いずれにしても松代大本営に王仁三郎が関係していることはたしかです。
 そして、先ほどは「無駄な」と書いてしまったその穴で、世界中の微弱な地震を精密に観測している。「松代マグニチュード」という言葉が世界で使われるほど有名な場所です。
 ちなみにあの3.11東日本大震災の東北地方太平洋沖地震が発生した時、「松代マグニチュード」は7分後にでM8.9、10分後にM9.0、13分後にはM9.1と算出したそうです。通常システムによる気象庁の発表は当初M7.9でしたから、いかに「松代マグニチュード」が迅速で正確か分かります。
 しかし、あの時、「松代マグニチュード」は採用されず、結果として津波の被害を大きくしてしまった。出口王仁三郎と東日本大震災の因縁(たとえばこちらこちら)を考えると、なんとも言えないモノを感じますよね。
 …と、なんだか核実験とは全然関係ない話になってしまいましたが、いや実はそれも関係している…北朝鮮の方々があの穴を掘ったということだけでなく、未来に向けて地下水脈が動いていることはたしかです。残念ながら今はあまり詳しく語れません。またいずれ結果が出ることでしょう。

Amazon 松代大本営の真実
 

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2013.02.11

満員御礼!「スペシャルなアリアと協奏曲の世界」

Img_6010 来場くださった皆様、本当にありがとうございました。そして、共演させてくださった音楽家の皆様にも心から感謝です。
 演奏会の内容は昨日告知したとおり(詳細・写真はこちら)でしたが、私たち演奏家も実は初めて聴く曲がありまして、それは木島さんのソプラノと崎川さんのフォルテピアノによるハイドンとモーツァルトの歌曲ですね。これらが非常に素晴らしかった。写真はお二人のリハの様子です。
 私はそのあたりの音楽には疎くてですね、こんな名曲があるなんて正直知りませんでした。やっぱり歌はメロディーですね。そして、それを飾る伴奏のセンスも大事。
 その点、私はモーツァルトよりもハイドンの方に耳を奪われましたね。ものすごく新しく聞こえました。最初、えっ?近代歌曲?と思ってしまったほどです。
 おととい「歌」論、「メロディー」論を偉そうに語ってしまった私。もっといろいろ聴いたり演奏したりしないとダメだなと感じましたね。いやあ、死ぬ前にやらねばならないことが多すぎる(笑)。
 私の演奏の方はどうだったか…珍しくあまり緊張もしないで楽しく演奏できましたね。やっぱりヴァイオリンよりヴィオラの方が向いてます(去年はいろいろな意味で大変だった)。
 今年もお客様として古楽界の重鎮渡邊順生さんがいらしたり、その他知り合いのプロの演奏家のお顔もチラホラとお見かけしました。それもまた歓びであり、演奏に気合が入るものです。
 また、私としては仕事上お世話になっている方がわざわざいらしてくれたのがとても嬉しく、それに気づいた後半はより気合が入って、気合が入りすぎてホルン(!)の音が割れてしまったり、ファゴット(!)の音が出なかったり…すみません。そう、今回は初めて本格的に管楽器のパートをやったんですよね。これまたとてもいい経験でした。弦とは全く違う難しさがありますね。
 朝岡さんのお話はいつもながら面白い。今回の演奏会がなぜ「スペシャル」なのか、初めて分かりました(笑)。なるほど。当時の演奏会形式というわけですな。
Img_6013 練習の合間に調律の梅岡さんとまたまたマニアックな話で盛り上がりました。そうそう、この前書いた、「霊界物語のクラブイコード」ですけれども、やっぱりこれって大変な発見だったようです。ドルメッチらの第一次古楽ブームの波が、実は大正時代にすでに日本に到達していたのか…。宮沢賢治の作品に「ヴィオール」が出てくるというのも初めて教えていただきました。ますますあの時代に興味が湧きましたよ。
 と、そんなわけで、私のような者がこのような素晴らしい方々に囲まれて、素晴らしい環境の中で演奏できるなんて、本当に幸せなことであります。継続は力、いや宝ですね。自分にも感謝しましょう。
 山手バロッコとしての次の演奏会は6月1日(土)、横浜市開港記念会館での協奏曲特集です。バッハ、テレマン、ヴィヴァルディなどの名曲をお送りします。私は…ヴィオラ・ダモーレのソロをやります!変な楽器を弾くことに関しては誰にも負けない私(?)の本領を発揮できるよう頑張ります。
 そして翌日6/2は浜離宮朝日ホールでベートーヴェンを演奏する予定です。両方ともオリジナル楽器による演奏であり、なかなか日本では演奏されない曲もありますので、よろしかったらぜひ!

 
 

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2013.02.10

明日の演奏会の告知です。

 横濱・西洋館de古楽2013~むかしの楽器は素敵だ!~
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 日のロックとは打って変わって、明日は横浜のベーリックホールでヴィオラを弾きます。古楽器によるハイドン、モーツァルト。一流のソリストの皆さんをしっかりサポートできるよう頑張ります。
 今回はヴィオラと言っても、曲によってはファゴット、ホルン、オーボエのパートを弾きます(室内オケ編曲版のため)。管楽器パートを弾くのは初めて。これが難しい。特にそれぞれの楽器らしく弾くのが。そして休みを数えるのが(笑)。
 なりきる心で本番に臨みます。小さい会場のため当日チケットがあるかどうか分かりませんが、直接ホールにお問い合わせください。
 ソリストの皆さんの妙技はもちろん、ナビゲーターの朝岡聡さんの軽妙なトークも楽しみの一つ。演奏者も毎度つい聴き入って納得してしまいます。さすが。
 今回はなかなか聴きごたえのあるプログラムですが、特にモーツァルトのピアノ協奏曲15番はいいですね〜。実は今回初めてモーツァルトは天才だ!と思いました(失礼)。特に2楽章はすごい…。
 参考までに、一番下に明日と同じモーツァルト時代のフォルテピアノによる演奏を貼り付けておきます。
 では、以下詳細です。

横濱・西洋館de古楽2013コンサート

『洋館サロンで楽しむスペシャルなアリアと協奏曲の世界』

洋館で親しむバロック音楽 ”シリーズ  
アンサンブル山手バロッコ 第46回演奏会

プログラム:

F.J.ハイドン/ 2つのフルートのための協奏曲 ト長調 Hob VIIh:3

F.J.ハイドン/ 人魚の歌 

モーツァルト / 幻想曲 ニ短調 K.397  
同 / おいで、愛しのツィターよ K.351(367b) / 魔法使い K.472 / ラウラに寄せる夕べの想い K.523

モーツァルト / コンサートアリア 「どうしてあなたを忘れられましょう?」 K.505

モーツァルト / ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450 他 

出演
ゲスト 
木島千夏(ソプラノ)、国枝俊太郎(クラシカル・フルート)、崎川晶子(フォルテピアノ) 

 アンサンブル山手バロッコ(朝岡聡主宰)  
          
朝岡聡(ナビゲーター) 、曽禰寛純(クラシカル・フルート)
小池はるみ、小松久子、角田幹夫、山口隆之、小川有沙、(ヴァイオリン、ヴィオラ) 
中尾晶子(チェロ) 飯塚正己(コントラバス)


2013年2月11日(月・祝) 18時開演(17時30分開場)
ベーリックホール(横浜市中区山手町72) 
みなとみらい線元町中華街駅5番、6番出口下車、5分、
JR京浜東北線石川町駅(元町口)下車20分、
桜木町駅から神奈中バス11系統「元町公園前」下車すぐ

入場料: 3500円(全自由席、コーヒーまたグラスワインつき)

チケット予約:
ベーリックホール 045-663-5685 (電話予約のみ 9:30~17:00開館。第2水曜日休館)
中区役所1F売店 045-224-8324
東京文化会館チケットサービス03-5685-0650 または 東京古典楽器センター 03-3952-5515

総合受付:オフィスアルシュ  03-3565-6771 sonate@o-arches.com


主催:「横濱・西洋館de古楽」実行委員会
共催:公益財団法人 横浜市緑の協会/横浜古楽プロジェクト 後援:横浜市中区役所
協力:横浜山手聖公会/アンサンブル山手バロッコ/オフィスアルシュ
協賛:元町SS会

横濱・西洋館de古楽2013

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2013.02.09

ロックが宇宙に飛び出すためのリズム(ビート)

20130210_112220 日は「厳寒の富士吉田で冬の銀河を観る(聴く)会」を開催しまして、全国から熱心なフジファブリックファンの皆さんにお集まりいただきました。
 夜7時から始まった講義は日をまたいで延々6時間続き、みんな寝食忘れてひたすらフジファブリックについて志村正彦について語り合いました。
 厳寒どころか熱い熱い討論で、結局冬の銀河は見ずじまい(終了時には曇っていました)。いやあ、ロックの世界はなかなか深いですなあ。いちおう講師という立場の私も、皆さんの意見にいちいち納得させられ、勉強させていただきました。
 皆さま、お疲れ様でした。ありがとうございました。
 ま、結局のところ志村正彦は天才、罪な男という落ち着くべきところに落ち着いたのではありますが(笑)、そこに至るまでの「軌道」が実に面白かった。
 今日はそんな濃〜いセッションの一部、表面的なところだけちょっと紹介します(核心部分については、参加者のみのヒミツ)。
 当然出発点は名曲「銀河」でありました。まずはこのとんでもない名曲(迷曲?)を聴いてみてください。

 この記事で取り上げるのはこのあまりにユニークなイントロに顕著である「タッタカ・タッタカ…(ズンズク・ズンズク)」というリズムです。
 特にベースが一定の音程を保ちつつドラムがこのリズムを叩く時、我々はある種の疾走感、推進力を感じるものです。
 私はその説明をする際にELOの「Shine a Little Love」(1979)を聴いてもらいました。志村くんのCDコレクションを見せていただいた時、この曲が含まれているアルバム「Discovery」があったからです。

 お聴きになってわかるとおり、奥田民生さんもこうした音作りに多大な影響を受けていますよね。キラキラシンセとかPuffy用に露骨にパクってましたし(笑)。
 次に聴いていただいたのは、この曲が発表されヒットした1ヶ月後に日本で発売された八神純子さんの「ポーラー・スター」です。長調になるサビの部分に注目(注耳)。

 う〜ん、懐かしいですね。ディスコブーム時代ですな。かっこいい。ライヴでやりたい曲の一つですな。今年の我が歌謡曲バンドのテーマは「八神純子&渡辺真知子」であります。
 さて、続きまして、数日前に発売されました(新生)フジファブリックの新曲、アニメ「宇宙兄弟」のオープニングにも使われている「Small World」です。

 まさに宇宙に飛び出す疾走感を表現していますね。銀河、ELO、北極星、Small World、これらに通じている宇宙的(スペーシー)な疾走感、宇宙船(UFO)の推進力は、このリズムが生んでいるのですね。
 なぜこのリズムがそういう感じを抱かせるかの科学的分析は難しいと思いますが、世界共通でそう思うというのは興味深いですね。
 なんてことを思ったり語ったりしていたところ、受講者の方から、フジファブリックのメンバーもELOを例に出してそのことを語っているということを教えて頂きました。こちらのインタビューをご覧ください。私はこれを読んでいなかったのでビックリ…というかヤッパリと思いました。
 ただELOファンからしますと、この「ELOビート」というのは、まさに「ありそう」レベルのものでありまして、実は「Shine a Little Love」以外にはあんまり使われていません。ELOマニアにとってはこの曲自体が決して代表曲とは言えませんし(苦笑)。ま、それほど一般にはこの曲の印象が強いということでしょう。たしかに当時「変な曲だなあ」と思いましたっけ(笑)。
 もう一つフジファブリックとELOの微妙な共通点。両者ともEMI(東芝)系列からSMC(ソニー)系列に移籍し、曲調が大きく変化しました。それも両者とも全く同じような傾向から同じような傾向に…レコード会社文化というのを感じざるを得ません。
 作品が「売れる(多く聴かれる)」ということがはらむ矛盾と苦悩は、どの時代の音楽家(のみならずあらゆる芸術家、表現者)が体験することであったのでした。
 次回の講義はまた桜の季節(当地では4月の下旬)に開催する予定です。皆さんぜひおいでください。

Amazon FAB FOX ディスカバリー(2013) Small World

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2013.02.08

やさしい人、やさしい日本…

Url 校現場やスポーツ界、芸能界、そして様々な外交上の問題に触れるたびに、日本の大人はどうなってしまったのかと心配になります。
 時が時であるし、我が身や周辺に降り掛かってきた問題もあるので、残念ながら具体的には言えませんが、様々な大人の行動に「卑怯」や「恥」の概念がないのだろうかと、なんというか落胆というか不安というか、とにかく胸が痛みますね。
 先ほど、水島総さんが特攻隊の精神について語っていました。「散った桜の花はあくまで桜の木の一部である。彼らは自分が日本だという意識があった」…これは極端な例としても、やはり一種の「家族」意識というのは、たしかに今なくなりつつあります。
 私の学校では理事長はじめ全ての教員が「私たちは家族である」ということを強調しています。教員にとって生徒は自分の子どもと同じ。自分の子どもだったらこんな時(親である自分は)どうするか、というのを基本に行動しています。叱る時も褒める時も遊ぶ時も。
 愛情という意味だけでなく、たとえば「卑怯」とか「恥」とか「誇り」とか「正々堂々」とかいう概念についても同様です。自分が親だったら子どもにどんな姿を見せたいか、あるいは見せたくないか。譲れない一線とは何か。
 私たちはそれが当たり前となっていますから、外部に対しても堂々とそういう姿勢を示すことができます。そうすると、最近の大人、いや誰たちとは言えませんけれども(苦笑)、特に教育界の大人たちは不思議と目を伏せてしまいます。どれほど後ろめたい気持ちがあるのでしょうか。
 ということで、ここからは私の専門分野である日本語の観点から、あるべき「日本」、あるべき「大人」の姿について考えてみましょう。
 先ほど「うしろめたい」と書きました。これは古語では「うしろめたし」。「後方(うしろべ)痛し」の転だと言われています。あるいは「後見たし」。とにかく背後が気になる感じですね。不随意のモノ(外部)に対する不安です。
 出かけたあと、あれ?鍵かけたかな?という感じ。自分の不注意に対するマイナス感情ですね。それがもとの意味でした。
 現代語の「うしろめたい」のように他者からの視線、たとえば批判とか軽蔑を想定した気持ちを表すことも平安時代からありましたが、そういう感情を表す形容詞としては「やさし」がよく使われています。
20130209_95909 「やさし」、つまり「優しい」ですね。それがなんで「うしろめたい」のか…不思議でしょう。
 実はこの「やさし」の語源は「痩さし」つまり「やせ細るほど気恥ずかしい」という気持ちなのです。
 ですから「やさしき人」と言えば、「やせ細るほど他者の心を忖度する人」「気遣いが細やかで慎み深い人」という意味でした。
 「やさし」は日本古来(仏教伝来以前から)の精神性を示す言葉なのです。それを良しとしたからこそ、「優」という「優れている」という字を与えられ、また現代語の「優しい」や「易しい」のように快適な状況を表現する結果となったのです。
 まさに自他が一体になった境地。家族的な心でありましょう。それは当然仏教的な自他不二の境地にもつながっていきました。
 前述の桜の話もそういうことでした。自分が国であり、国か自分であるという精神。もちろん単純に戦争や特攻隊を賛美するわけではありません。そういう極端な状況ではなくとも、私たちは日常生活の中で常に他者と一体化して自己の行動規範を決定してきたのです。それは欧米の個人主義、契約社会の対極にある文化と言えるでしょう。
 グローバルな現代において、特に外交やビジネスの世界では、そんな「やさしい」日本ではいけない部分もありますが、だからと言って、この大切な文化を忘れてしまう、あるいは捨ててしまう必要はありません。
 「はづかし」という古語も、ただ単に「恥ずかしい」という意味ではありませんでした。こちらが恥じ入るほどに相手が立派だというニュアンスが強い。
 また「おもなし」という言葉、今で言えば「面目ない」に当たるこの言葉も、相手に合わせる顔がないという感覚です。
 たとえば最近多い「匿名」による他者批判など、もうその行動の前提にこの「おもなし」の感情があるわけですね。
 「やさしい」の意味が変わり、「恥」や「卑怯」や「面目ない」という言葉が日常生活から消えてしまった今。こんな時だからこそ、先人の智慧に学びたいとも思います。謙虚な気持ちで先人と一体化してみることによって、現代の諸問題の解決策を見出すことができるかもしれないのです。
 

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2013.02.07

シチズン 懐中時計 『フリーウェイAA92-4201L』

5133vq5jlzl_sl500_aa300_ 用しているスカーゲンの腕時計の電池が切れました。3年弱。さっそく裏蓋をはずして電池交換をしました。190円。
 このスカーゲン、非常に薄くて装着感が抜群だし、デザインもシンプルで飽きがこず、ホント好きです。今までしてきた数々の腕時計の中で一番気に入っています。
 電池交換ついでというか、スカーゲンの継続使用を決めたついでに新たな時計を買いました。
 40年に及ぶ腕時計歴の中で、ちょっと腕時計では不便になることが時々ありました。たとえば楽器を演奏すると時ですね。
 私は腕時計をしたままでもヴァイオリンなどを平気で弾いてしまうタイプなのですが、それでも見た目的に良くないとお客様さまに言われることもありまして、そんな時ははずしてポケットに放り込んでいました。
 どうせポケットに放り込んでおくなら、最初からそういう日は腕時計でなくポケットに放り込んでおく用の時計を持ち歩けばいいのではと、ずっと考えていたんですよね。そこで、電池交換代が安くすんだのをいいことに懐中時計を購入しました。
 もちろんワタクシらしくあまり高価なものではありませんよ。懐中時計はピンからキリというかピンとキリしかありません。1万円以下と10万円以上(笑)。
 あっちなみにですね、「ピンからキリまで」のピンとキリってポルトガル語なんですよ。
 ピンは「pinta」、つまりpoint(点)ということで、サイコロの目の「1」を表し、キリは「cruz」、つまりcross(十字)ということで「10」ということですね。
 では、たとえば懐中時計でいうと、どっちがピンでどっちがキリなのか。ピンは高い方なのか安い方なのか。どっちでしょう。
 答えは…そう、ピンは高い方です。だから私はキリの方を買ったということですね(笑)。
 キリではありますが、それなりにいいですよ。月・日・曜日・ムーンフェイズ(月齢)表示もあります。月齢表示はいいですね。私の生活は基本太陰暦をサイクルとしていますので。
 あとはこれをどう使うか。ズボンのポケットに放り込むか。胸ポケットに入れるか。革紐でも買ってきて首からぶら下げるか。これから考えます。
 さっそく家族に見せびらかしていたら、中二病が始まった中一の娘が「ほしい!」と言い出しました。どうも中二病的には、懐中時計というのは重要アイテムなようです。たしかにちょっと「物語的」でありますよね。人と違う感出せるし。
 

Amazon シチズン 懐中時計 スカーゲン ウルトラスリム

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2013.02.06

『重力とは何か』 大栗博司 (幻冬舎新書)

アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る
Url 〜ん、評判に違わぬ名著だ。
 中学3年生の理系少年が貸してくれました。中学生が面白かったというのも分かります。
 科学に関しては中学生レベルで脳ミソが停止している私ですから、おそらく彼とその面白さを共有できたのでしょう。
 あとがきにこうあります。
「本書を書くときに思い浮かべたのは、卒業以来会っていない高校の同窓生でした。私とは違う道に進み科学からは遠ざかっているものの、好奇心は相変わらず旺盛で、筋道だてて説き起こしていけば理解してくれる。そんな友人に30年ぶりに再会して、私が大学で勉強し、大学院で研究を始め、今日まで考えてきたことを語るつもりで書きました」
 実際に大栗さんが学び研究してきたことは、世界最先端の難解な物理学であったことは間違いありません。そうして我々庶民の実生活からどんどん離れていく科学の世界を、まさに実感として身近に感じさせてくれる、大栗さんの姿勢と、技術(簡素化や具体化や文章化)に敬意と感謝を表します。
 知的興奮と言いますか、センス・オブ・ワンダーでしょうかね。懐かしささえ感じました。そう、小学校高学年から中学生のころ、相対性理論の本を読んでワクワクした、あの興奮ですね。
 おそらくは科学者はその興奮(快感)を求めて研究を続けられるのでしょう。科学者になる夢を捨てざるを得なかったワタクシには少しうらやましくもあります。
 もう一つ、読了して感じた親近感は、ああやっぱり科学は私に近づいてきているなということです。私になんていうと不遜な感じですけれども、そう、相対性理論によって私から一時遠ざかってしまった物理学は、量子力学によってまた私に近づいてきたというのも事実と言えば事実なのです。
 いや、これを言うと科学者の方は嫌悪感を抱くかもしれませんね。しかし、実感として、やはり科学が宗教や文学や音楽や、もっと言えばオカルトの世界に近づいてきているのは確かです。
 たとえば最近の私の妄想である「時間は未来から過去へと流れている」という「実感」についても、未来から過去に戻る反粒子が想定されたり、超弦理論がヴァイオリンの弦が奏でる無限の音色や旋律に擬せられたり、観察者の存在やその意志が現象に影響したり、波動やゆらぎといった、一時期疑似科学と揶揄された言葉のリアリティーが増したり、とにかくワタクシの脳ミソのセンスと科学の成果が不思議と一致…ではなくマッチしてきているんですよね。
 私はもう科学者にはなれません。当たり前です。しかし、ある意味今まで反対側から同じ何かを求めてジタバタやってきたのかもしれません。この本を読んでそんなことを感じ、少しうれしくも思いました。
 私の「実感」としては物理学のゴールは近いような気がします。「人間理論」を飛び超えた美しいアイデアによって宇宙の統一理論が発見されたその時、私たちは神を観るのかもしれません。楽しみです。
 最後に、「重力とは何か」というタイトル、ちょっともったいないかなあ…。ヒッグス粒子ブームにあやかったのではないと思いますが。入り口はたしかに重力とは言え、もっと広大なテーマを扱っていると思いますので。

Amazon 重力とは何か

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2013.02.05

和ロックと短歌と…

51pzpypfvhl_sl500_aa300_ 日は帰宅してから「歌」について家族といろいろと話しました。
 我が家の音楽環境はかなり混沌としております。いや、逆か、ジャンル分けしないでなんでも聴くし演奏するので「歌」と一括りにしてしまえるという意味においては、非常に統一感があるかもしれない。
 とにかくなんでもいいということです。それが同時にかかっていても問題ない。
 たとえば今日なんか、私はモーツァルトのピアノ・コンチェルトを、カミさんはNHK歌謡コンサートで鳥羽一郎を、上の娘はジャズ部の練習でジャコ・パストリアスを、下の娘はニコ動でボカロを、同時に流してそれぞれ聴いている、あるいは演奏している…やっぱり混沌か(笑)。
 人間の耳ってすごいですね。選択的に聴ける。どういうメカニズムなのだろう。
 そんな混沌とした私たちが、どういうわけか、それぞれの得意とするジャンルのどれにも属さない、ヴィジュアル系・耽美派・和ロックバンドのPVを鑑賞することになりました。これです。

 己龍さん。カミさんが教え子から借りてきたDVDです。思わず見入ってしまいました。面白いんじゃないですか。
 いわゆるヴィジュアル系や、耽美派や、和ロック、そして女形文化というのは、間違いなく日本の貴族文化の系統であり、私が研究してきた(?)「萌え」につながる国風文化の現代版です。
 西洋コードの上にペンタトニック(四七抜き、二六抜き)を乗せるという音楽的特徴は、すでに明治時代から試みられてきた、いわば和魂洋才の具現化の一例であるわけですが、ここにきて、そのエネルギーが復活の兆しを見せていると感じています。
 今の中二は洋楽にハマらないのです。自然に和ロックに行く。
 一つには、ボーカロイド文化の発達という要因がありますね。ボカロがエポックメイキングだったのは、それまで流通していたプロによる商業音楽の牙城に、アマチュアによる非商業音楽を一気に流入させたことでしょう。
 金が関わらない自然欲求的な音楽が「和ロック」だったわけです。もちろん、「和ロック」の定義もまだ明瞭ではありません。和風ロックというと、以前だったら和楽器をフィーチャーしたロックというイメージが強くありましたが、今はちょっと違います。
 先ほど書いた西洋コードに五音メロディーを乗せるという共通点のほかに、歌詞に和語を含ませ、あるいはあえて漢語(漢字)を使ってノスタルジーを喚起するような手法を使ったり、歌に必ず付随してくる映像イメージをコテコテに和風にしてみたり、いろいろな要素がありますね。
 今まで商業音楽は、あくまでアメリカ(とその源流たるヨーロッパ)を意識したものだったわけです。そこに呪縛があった。プロは西洋音楽を隅々まで勉強してきていたので、ついついそっちに行きがちだった。
 それを、たとえば私なんかも、なんとなく違和感を持ちながらも、それこそ中二病的な自己洗脳によって、西洋クラシック音楽とその末裔であるビートルズなんかが「高尚」であると勘違いしてずっと来てしまった。
 もちろんその反動で、無理やりに大学時代には箏曲部に入ったり、純邦楽関係で卒論書いたり、ちょっと違う方向からですが、ジャズにのめり込んだりもしました。あるいはカミさんの影響で、演歌も聴けるようになったし、昭和の歌謡曲の再評価もした。それでも何か「自分の音楽」ではないなという妙な違和感がずっとあった。
 それが、ボカロの登場によって少し救われたような気がしているのです。ああ、なんか落ち着くなと。日本語による日本の旋律。現代の音楽や言葉の作法に従っている「自然」な音楽。そう言っても過言ではないほどに、可能性を感じているのです。
 ボカロが「歌」なのか、それは微妙ですけれども、しかし、一つの革命を起こしたことは事実です。あの、明治の文明開化の時、長三度の音程に吐き気を催した日本人が、それでも無理やり受容してきた「近代ヨーロッパ芸術音楽」の体系を、ついに凌駕する日本の音楽が生まれる可能性を生んだ。

 なんて、ずいぶん大げさなことを書いてきましたけれども、けっこう本気でそう思っているんです。
 さて、最後にまた話が飛びます(私にとっては飛んでいませんが)。最近短歌をやっています。これもまさに「歌」であるべきです。
 しかし、はたして量産される現代短歌に「歌」はあるのか。節(旋律・メロディー)はあるのか。そこにあるのは韻律だけではないのか。リズムしかない音楽。それはラップのようなものではないのか。
 そんなことをある短歌雑誌を読みながらカミさんと話しました。平安の歌人たちは皆アオイドスであったはずです。


 

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2013.02.04

『Abduction めぐみ–引き裂かれた家族の30年』 (クリス・シェリダン&パティ・キム監督作品)

20130205_110429 れは…なんとも言えない苦しさに満ちた作品です。
 なれし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり…めぐみさんが歌う「流浪の民」。
 そう、そういう理不尽な苦しさこそが拉致の本質なのです。その本質にどこまで肉薄できているのか、それは私たち第三者には分かりませんが、ただ、日本で制作された番組や作品と比べれば、間違いなく優れた成果をあげていると言っていいと思います。
 国内よりも国外の表現者の方が本質に迫れる…これはたとえば「ヒロシマナガサキ」にも言えることでした(ちなみに今日この作品も久しぶりに観ました。広島への修学旅行が控えているからです)。
 この「Abduction」を観るきっかけとなったのは、横田めぐみさんのご両親に直接薦めていただいたからです。ぜひご覧になってくださいと。
 9月、私が45年ぶりに横田夫妻にお会いした日、いろいろなお話をさせていただいた中でこの作品のことが話題になりました。
 その時、安倍現総理と昭恵さんの話題になりまして、お二人は拉致問題に大変積極的だ、昭恵さんもこの映画を大変積極的に広めてくれた、ということをうかがいました。
 それからずいぶん時間が経ってしまいましたが、ようやくDVDを手に入れて全編観る機会を得たわけです。
 製作総指揮は私も大好きな「ピアノ・レッスン」のジェーン・カンピオン。映像面でのカンピオンらしさはあまり感じられないものの、テーマの掘り下げ方や音楽や効果音の使い方には独特の力があります。
 国内の番組などでは紹介されないであろう証言やシーンも多数。なぜ日本でこういうものが作られないのか、その理由を考えるのもまた勉強になると思います。
 30年…このドキュメンタリー映画が制作されたのが2006年でしょうか。今年2013年は、めぐみさんが拉致されてから36年になってしまいます。
 今まで何回か書いてきたように、今年は大きな動きがあると私は信じています。半年前には想像しなかった第二次安倍政権が成立しました。この映画にも官房長官として登場している安倍さん、本気で拉致問題解決に動いていると聞きます。
 金正恩は核実験を行いそうな雰囲気ですが、それもまた北朝鮮の焦りの表現であります。安倍さんには小泉時代の経験を活かしていただき、大胆かつ巧妙な外交をしていただきたいと思っています。
 この映画を観て、ますますその思いが強くなりました。めぐみさんは絶対に生きて帰ってくる。

めぐみ–引き裂かれた家族の30年 公式

Amazon めぐみ–引き裂かれた家族の30年

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2013.02.03

福は内、鬼も内…

20130204_100732 日のツイート。

 「節分…うちは豆をまきません。福は内!鬼も内!と言いながら食べます。異形のモノ(鬼)を暴力(豆つぶて)で排除するのは良くないと思うからです」

 我が家の艮(鬼門)の間には国常立大神がいらっしゃる(と思っている)し、オニサブローの茶碗があったりもしますから、当然そういうことになります。
 出口王仁三郎のお膝元、亀岡の市民新聞にこういう分かりやすい記事が載っていました。

『一般的には「福は内、鬼は外」といって煎り豆をまく風習があるが、大本では「節分大祭」という神事の最後に、教主が「鬼は内、福は内」と唱えながら生豆をまき参拝者は同じように唱和しながら豆をひろう。
 鬼は、厄払いや鬼除けの対象とされる「艮〔うしとら〕の金神〔こんじん〕」〔通称・鬼門の金神〕を指し、すべての災厄のもとと一般的には伝えられているが、大本では「艮の金神」は大地の親神さまである「国常立尊」〔くにとこたちのみこと〕とされている。
 豆を投げつけるのは鬼〔艮の金神〕に対する目潰しであり、煎り豆をまくのは「煎り豆に花が咲いたら帰ってよい」と言うことで、「永遠に帰って来てはならない」という意味になる。
 ほかにも、門松やしめ縄を張りめぐらすことも、金神を入れないためのもの。さらに、ぞう煮は金神の臓物を食べることを意味する』

 ウチは特に大本の信者というわけではありませんが、発想としてはそういうことです。日本人として共感できる。意味もわからず差別的な扱いをするのはやめたいなと。鬼の心も聞いてみようと。
Url そうそう、そういう意味では、あのでん六豆の鬼、もともとは赤塚不二夫さんのデザインですけど、あれってどこか憎めないじゃないですか。
 さすが赤塚不二夫さん、オニの本質を見抜いている。オニに対する愛情がある。
 なにしろ、赤塚さんって王仁三郎そっくりだし(こちら参照)、実際縁があったとも言える。
 ま、こういうことに限らず、常識を疑ってみる、そのルーツをしっかり確かめてみる、あるいは異説に耳を傾ける、意外な接点を探る…それこそが勉強の基本だと思います。
 そういう意味で、節分は我が家や我が校の良き教材でもあるわけですね。
 だいたい、節分が大晦日で立春が元旦だという発想が、今の日本人にはないじゃないですか。私は12月31日や1月1日よりも節分や立春の方が気持ちが切り替わります。
 そんな私にとっての区切りの日は朝から大忙し。まさに敵も味方も皆さんどうぞどうぞという感じでした(苦笑)。
 というわけで今日は短めに。明日(新年)の準備をしなければ。
 

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2013.02.02

「ボランティア」のない世の中へ!?

Img_1786 日は我が中学の一般入試。推薦入試に続き今回も国語の文章を公開します。
 今回は「ボランティア」という言葉をとりあげました。世の中、特に学校現場で誤って使われているからです。
 「ボランティア」のない世の中になるといいなという、私らしいちょっとひねくれた逆説的な文章なので、小学生には難しかったかな(苦笑)。
 では、どうぞ。


   ボランティア

 二年前の大震災をきっかけに、「ボランティア」という言葉をよりいっそう頻繁に聞くようになりました。
 実際、被災地の復興のために、日本中から多くの募金が寄せられたり、たくさんの人が現地に出かけて無償で働いたりしましたね。
 こうした震災ボランティアだけでなく、世の中にはいろいろな「ボランティア」があふれています。みなさんもどこかで「ボランティア」をしたことがあることでしょう。
 学校や地域でもボランティアをしましょうと呼びかけることがありますね。富士学苑中学でも、地域の清掃や募金活動、ペットボトルキャップのカイシュウなどを、生徒会が中心になって行なっています。
 ここまで身近になったボランティアではありますが、実はその正しい意味を知らない人がたくさんいます。
 特に日本人は、本来のボランティアの意味とは少し違ったニュアンスでこの言葉を使っているようです。
 あえてボランティアを日本語にすると、「奉仕」「慈善活動」になるでしょうか。あるいは「福祉」という言葉とイメージを重ねている人がいるかもしれません。
 しかし、実はこれらの言葉と「ボランティア」という言葉は、ぴったり重なるものではないのです。
 もちろん「ボランティア」という言葉は、もともと日本語ではありません。英語ですね。
 では、英語の「ボランティア」とはどういう意味なのかと思って辞書を引くと、最初に「志願兵」という訳が出てきます。志願兵? いったいなんのことでしょう。
 そう、「兵」という字を見て想像できたと思いますが、これは戦争や国の混乱の時に、自分から「志願」して兵隊になることを言う言葉だったのです。
 言うまでもなく戦争はキケンです。兵隊として働くということは、すなわち命を落とすことも覚悟しなくてはならないということです。そんなこと、できれば避けたいと思うでしょう。
 しかし、それに「志願」するわけですから、そうとうに強い「意志」が必要です。その「意志」がなんなのか、どうして生まれるのか、それはここでは考えないことにしますが、とにかく「自分のためではなくだれかのために働く」という強い意志があることはたしかです。
 その「自分のためではなくだれかのために働く意志」こそが「ボランティア(volunteer)」の語源になっているのです。ラテン語というヨーロッパの古い言語に「ウォロ(volo)」という言葉があります。今の英語の「ウィル(will=意志)」のもとになったのがこの「ウォロ」です。
 つまり、「ボランティア」のもともとの意味は、「自分の意志で行動する人」なのです。
 そう考えると、やらされる「ボランティア」というのはありえないことだとわかります。たとえば、学校でごみヒロいをしようということになったとして、「めんどうくさいなあ」とか「なんでこんなことするんだよ」とか、そんなふうにいやいややっていては、結果として人のためになったとしても「ボランティア」ではないのです。
 逆に、こういうことも言えますね。自分にやる気があったとしても、それが自己満足のためのやる気だったら、やはり「ボランティア」とは言えません。あくまでも、人のためになるんだという強い意志が必要なのです。
 では、日本ではどうだったのでしょう。ボランティアにあたる日本語がないのだとしたら、昔の日本には「ボランティア精神」がなかったということになるのでしょうか。
 もちろんそんなことはありません。
 みなさんもよく知っているとおり、日本には仏教が広く深く浸透しています。仏教では「利他」ということをとても大切にしています。「利他」とは「他人に利益があるようにする」ということです。ですから、「自分は人のおかげで生きているのだから、自分のことよりも人のことを大切に考える」という考え方は、日本人にしみついていたはずです。
 それがあまりに自然にしみついていたので、あえて名前をつける必要がなかったのかもしれませんね。きっと、日常の「ありがとう」とか「おかげさまで」という何気ない挨拶や、「かってでる」というような行動に、その精神が現れていたのでしょう。
 ちなみに「かってでる」というのは「買って出る」という意味です。「お金を出して買ってでもやります!」ということなのです。お金をもらわないどころか、お金を出してでも「やらせていただく」ということですから、そうとうに強い意志や自信があるということですね。日本人にもそんな精神があったわけです。
 ですから、ボランティアという言葉をさかんに耳にするようになったり、あるいはボランティアをしましょうという号令がかかったり、学校でボランティアを義務化したり、そういうことが起きるのは、私たちがその精神を忘れてしまっている証拠だとも言えます。
 無意識でできていたことが、意識しなければできなくなっているとしたら、それは残念なことですね。
 そういう意味では、いずれまた「ボランティア」という言葉のない世界にもどれるといいなと思います。
 みなさんも、これからボランティアという言葉に接する時、その本当の意味を思い出し、その行動の原点が自分の「意志」にあるのか確認してみるといいでしょう。


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2013.02.01

神々?「いじめ・体罰問題」を語る…

 場の教員としていろいろ言いたいことはあります。
 また、格闘技ファンとしてもいろいろと言いたい。しかし、今は自重します。世の中を妙な空気が支配しているので。
 実務上、いろいろとやることがあります。いや、やりすごすこと…かな(苦笑)。
 私の意見はとりあえずこちらこちらをご覧ください。これらが全てではありませんが…。
 まあ何事も行き過ぎはいけません。そこに歯止めをかけることは必要です。しかし、歯止めの行き過ぎも危険です。難しいですね。
 ちなみに私はもう10年以上、プラスの意味でもマイナスの意味でも積極的に生徒の身体にタッチしていません。私には自分が得意とする別のアタッチメントの方法があるので、体罰の必要もないし、触れて励ましたり褒めたりする必要もありません。
 しかし、別の先生には別の方法が必要な場合もあるし、私の方法が使えない場合もある。だからそれこそ一概には言えませんし、法律でどうのこうのというのは、ナンセンスだと感じることも多々あります。まあ、とにかく難しい。人類の歴史、文化に関わることですから。
 こんな時は、じっくり人の意見を聴くのが一番です。昨日の寺田寅彦&アインシュタインもその一環であります。
 今日は「今の人」たちの意見を聴きましょう。いや、ある意味彼らは人ではなく神かもしれない(笑)。少なくとも私にとっては神レベルの方々が並んでいますよ。
 まずは、神の歌から入りましょうか。あの美輪明宏さまの紅白での「ヨイトマケの唄」です。ここにも、いじめや体罰を超える人間関係のヒントが隠されていますよね。

 ああ、本当に素晴らしい。そして、美輪さんが語る体罰論。叱り方論。そして姿勢論。叱るにも殴るにも資格がある…説得力があります。

 続きましては、保守系放送日本文化チャンネル桜の「日本よ、今…闘論!倒論!討論!2013〜教育再生討論…体罰・いじめを考える」です。全部で3時間とかなりの長丁場ですが、ぜひご覧いただきたい。戸塚ヨットスクールの戸塚宏さんがぶっ飛んでいます。意外に説得力がある。討論…というか空気が止まります(笑)。
 その他のメンバーも濃いなあ。呉越同舟という感じもありつつ、しかし地上波の討論のようにケンカになるわけでもなく、なかなかいい話し合いになっていると思います。
 なんと言っても「死んではいけない!」で始まっているところがよろしい。
 水島社長は私の高校の先輩にあたります。その母校の柔道部の話も出てくる。というか、あの高校のあの当時の体育の授業自体がいじめ、体罰…いやいや、しごきでしたな(笑)。運動部の連中でさえヘド吐いてたからなあ。私もずいぶん鍛えられました。

 そして、今日のBSフジのプライムニュースがまた興味深かった。これまた私にとっては神、高校国語教師からプロレスラーになり、そして文部副大臣にまでなった馳浩大先生が実に明快に語ってくれています。
 もちろん、現在の立場から遵法第一の論調になっていますが、その裏にはプロレス界における大変革を起こした張本人ならではの実践と思想があります。ま、プロレス界(特に道場)をダメにした犯人とされることもありますが…ことはそう単純なものではないでしょう。
 しばらしくは下のリンクから動画が見られますので、ぜひどうぞ。肉食系馳さんと草食系尾木ママのコントラストも面白い(?)。いや、闘魂という意味では似ているかも。
 尾木さんがプロレスごっこについて批判的に語っている時の馳さんの表情が微妙ですね。ちなみにウチのカミさんは現場(某学校)でいつも体を張ってストップをかけるレフェリー役です。尊敬する人は李日韓(大日本プロレスの女性レフェリー)だそうです(笑)。

BSフジLIVE プライムニュース

 そう言えば、去年の夏ごろ観た、永田と馳の対談面白かったな。若手時代の永田が自分ではいい試合をしたと思って控え室に帰ったら、馳にボッコボコにされたと。第一試合からスイングしやがって!とのこと。道場ではほめるが試合では許せない…プロの世界は深い。もちろんこれは体罰でも暴力でもありませんね。
 ただ、その意味がわかるのに永田はずいぶんかかったようです。そして言葉では表現できないモノを学んだのでした。

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