追悼 大島渚
また哀しい知らせです。
昭和や戦後はどんどん遠くなっていきますね。
そのせいか、最近は戦後史を勉強しなおしています。しなおすというか、私のような世代(東京オリンピックの年生まれ)は、全く勉強してこなかったんですね。
だから、私は20代、30代の時、一生懸命映画でそれを勉強しようとした。大島渚も観られるものは全部観ました。どこか自分の中の空洞を感じていたんでしょうかね。
しかし、正直その当時は分かったふりしかできませんでした。戦後のある種の熱さと、戦後は終わった世代のあまりに透明な清涼感は、やはりどうしても相容れないものどうしだったのです。
最近、私は、自分がそういう歴史的に透明な世代だからこそ、戦後史(当然流れとして戦前、戦中も含めて)を客観的に評価できるのではないかと思っています。
もちろん、その「透明」な自分に別の何かが注入されてきたのもまた「戦後」ではあるのですが、私は意識的、無意識的にそれらを排除できる体質なので(たぶん)、一度ホンモノの透明に戻して歴史を咀嚼してみるということが得意と言えば得意なのです。
そんなわけで、大島渚ももう一度しっかり観てみようかなと、本当に最近、年が明けたあたりでふと思っていたのです。
特に思い出されていたのは「日本の夜と霧」です。あれは文芸座で観たような記憶があります。でも、やっぱりあの時も分かったふりで終わっていた。自分だっていざとなったら思想闘争できるんだぞ程度の共感しか得ていなかったと思います。
今観たらもっとよく分かるような気がするんですよね。なぜなら、あの「熱さ」はどこか演劇じみていた、という観点を持てるようになったからです。
そうした嘘くささは大島映画全体にも言えますし、もちろん大島・野坂の殴り合いにも言えますし、時代そのものにも言えなくはないのです。
もちろん、それを否定的にとらえているのではありません。私の人生そのものが、プロレス的な世界観にこそ真実がある、語られた(騙られた)コトにこそホンモノがあるという実感に支えられていますから。
そういう意味で、大島渚監督は見事な語り部であったのだと思います。社会という外的フィクション(作り事)と闘うのに、自らの内的フィクションをもってした戦士であったと。
そして、後半生から晩年にかけては、自らの肉体(モノ)というリアルと闘わざるを得なくなった大島さん。
案外、リアルなモノと奥様とともに闘ったその戦史こそが、大島渚という語り部の最高傑作だったのかもしれません。
ご冥福をお祈りします。そして、さっそく「日本の夜と霧」を観なおそうと思います。
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