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2012.12.18

『もの語彙こと語彙の国語史的研究』 東辻保和 (汲古書院)

10713 日は敬意と謝意をこめて、このマニアックすぎる本を紹介します。
 こういう言い方はどうかとも思いますが、この世に生きるほとんどの方にはあまり意味のない本ではないでしょうか。
 しかし、私にとっては、人生の基本文献であります。この本がなかったら、私の今後の人生は実に味気ないものになっていたでしょう。
 1335ページに及ぶ素晴らしい(すさまじい)学術論文です。
 我々日本人が無自覚に、しかし明らかに正確に使い分けている「もの」と「こと」という言葉について、古代から中古、中世、近世に至るまでの、膨大なテキストを分析、集計して、その本質に迫ろうとしています。
 その労力たるや、まったく想像を絶します。単純にデジタルテキストからコンピューターによって抽出するというような作業ではないからです。
 東辻先生の独特の研究手法は、「もの」「こと」という汎用的な言葉の意味を、文脈的、文型的に分類しているところです。
 これは言語の本質を知っているものなら、当然とるべき手法ではありますが、しかし、実際にはなかなかそれができません。日本語の文型の分析や文脈の把握は、コンピューターの最も苦手とするところです。当然、手作業、頭作業が中心となる。
 東辻先生は、学生時代から大学教授を退官後まで一貫して、こうした手法で「もの」と「こと」を研究されてきました。
 私が、国語学的に、あるいは文化論的に、あるいは妄想的な哲学として「モノ・コト論」を考え、語る時、どうしても学術的なプロセスをふっ飛ばしてしまいます。私は根っからの非学者気質なものですから。
 当然、このように原典テキストにあたって、「もの」と「こと」を分析しなければならないと思ってはいましたが、そういう地道な作業は私の最も苦手とするところ。
20121219_105337 そこをこうして見事すぎる規模と精度でやってくださった東辻先生には、もう本当に頭が上がりません。私は、先生の残して下さったこの膨大な「抽出例」と「分析」をなぞらせていただくことができるですから。
 冒頭の「もの」「こと」研究史だけでも、大変に参考になります。先人がこの「もの」「こと」という不思議な言葉と格闘した歴史を俯瞰することによって、結局、みんなワタクシの考えとは違うということを確認させていただきました(単に私の考えが狂っているとも言えますが)。
 東辻先生は学者ですから、私のように暴走することはありません。我田引水的に結論を急ぐことなく、ある意味では結論は出さずにこの大著を終えています。
 序文で小林芳規さんが書いているように、「資料に語らせる」態度を一貫している。これこそ、学者(科学者)のあるべき姿でしょう。
 先日、脳科学者の池谷裕二先生とお話した時も全く同じように思いました。ああ、私は学者じゃなくてよかったと(笑)。妄想し、それを発信する権利があってよかった。
 ということで、私の後半生はこの本とともにあると思います。日本語としての「もの」「こと」の本質を知ることによって、世の中の「物事」を解釈していこうと思っています。
 私はなんとなくそこに可能性を感じるからです。理屈ではありません。それこそ「モノ」が降りてきて「コト」になろうとしている感じがするのです。なぜか、妙な自信だけはある…まったく私は変な人です。
 いつになったら、その私の妄想が形になるのでしょうか。なんとなくその日は近いような…頑張ります。

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