« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012.12.31

今年は「怒り」で終了…

Img_5902 成24年の大晦日は江戸にお出かけ。
 まずは靖国神社に初詣ならぬ最後詣。いろいろ思うところもあり、願うところも祈るところもありました。
 今の私たちがあり、未来がある、その礎に何があるのか、しっかり感じ考えて年を越したかったからです。
 靖国に参拝すると、世の中これでいいのかという「怒り」もふつふつと湧いてくるので不思議です。ほかではあまり感じないのですが。
 思想的、政治的なことを抜きにして、私にとってはやっぱり大切な聖地です。
 お正月用に神酒「靖国」と以前からほしかったネクタイピンを購入して、次に向かうは両国国技館。
Img_5909 そう、IGFプロレスリングの猪木祭り「INOKI BOM-BA-YE2012」観戦です。
 う〜む、すごい興行でした(笑)。怒りに満ち溢れて年を越すことになるとは…。
 先日、本校の餅つきに来てくれた、鈴木秀樹選手、澤田敦士選手、将軍岡本選手は、これはお世辞抜きに素晴らしい闘いを見せてくれました。子どもたちとついたお餅を食べたせいか、それぞれの「持ち味」と「粘り」が出ていて非常によかった。
 その他、ミルコの強さや、ミノワマンの純粋さに感激しましたが、う〜んメインがなあ。
20121231002 もうなんというか、あんまり語りたくないというか、なかったことにしたいというか(笑)。(笑)じゃないな(怒)だな。
 時間が経てば、これもプロレスと言えるのかもしれません。しかし、やはり非常に残念というか、昨日の話ではありませんが、「これが日本のプロレス界の現状です」とも言える情けなさに対する怒りがわくというか…。
 まあ、小川と藤田という時点で、私のプロレス遍歴からしてもなんとなくピンと来ない部分があったんですよね。いやな予感もしていましたが、それでも期待してしまうのがプロレスファン。
 そういう夢や妄想や期待に応えるのがプロだと思うのですが。残念ながら二人にはそういう度量も技量もなかった。
 初めてプロレス観戦した女子中学生も、なんか腹立つ…ほかの人たちがみんな頑張ってるのに…と、鋭い批判を浴びせていました。
20121231003 それにしても、そういう会場全体の「怒り」を「怒り」をもって納めてしまうアントニオ猪木という神はすごい!とも思いました。
 ブーイングと「もう一回」コールを続けるお客さんに対して堂々たる逆ギレ!
 「馬鹿野郎!ふざけるな、この野郎!かかってこい!リングに上って来い!」
 こりゃあ人間ワザではないわな。
 しかし、それに対して、結局は私も含めて大人しく帰ってしまうファンって…。昭和の蔵前国技館なら何度も延長再戦して、その上大暴動ですよ(笑)。
 日本人にそういう「怒り」、その裏に存するであろう「夢」「希望」「妄想」「欲求」、そういうモノがなくなってしまったのでしょうかね。
 なんとも消化不良、不完全燃焼のまま我々は両国国技館をあとにしたのですが、こういう予定調和でないところ、いい意味でも悪い意味でも「余韻」を残すのが猪木流なのでしょうかね。
 8月に同じ両国国技館で観たWWEとは大きな違いでした。
 どっちが本当のプロレスなのか…というわけで、今年は「怒り」で暮れて行きました。
 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.30

これが日本の現状です…

 「れが日本の現状です」…レコード大賞においてAKB48の受賞前に、服部克久さんがこう言った!?
 ネットではずいぶんと話題になっています。「よく言った!」というのが大方の意見。
 昨日、我が家のテレビ事情について書きましたが、今日は娘たちが一足早く静岡の実家へ行ってしまったせいか、珍しく一日中TBSを観ていました。観ていたというか流れていたという感じでしょうか。
 なにしろウチのカミさんは、みのもんたの朝ズバッに抗議の電凸をするほど、TBSが嫌いですからねえ(笑)。私も安倍叩きの件では、さすがに呆れてしまいました。
 で、そんな中、冒頭の「これが日本の現状です」発言がありました。
 しかし、私が観ていたかぎり、ちょっとネットで語られているのとは違う文脈だったと記憶していたので、さっそく探してみたらありました。これが一次資料です(笑)。

 どうですか。微妙ですよね。

「幅広い音楽を聞いていただいたと思います。え〜、これが今の日本の歌謡界の現状で、今日3時間聞いていただいて、すっかり現状が把握できたと思います。お楽しみいただけたでしょうか」

 ちょっと聞き取りにくいところがありますが、だいたいこんなふうに言ってますね、服部さん。
 「現状」という言葉自体が、だいたいマイナスイメージで使われるものですし、服部さんの音楽観、歌謡観、そしてお人柄からしますと、たしかに「皮肉」ともとれる発言ではあります。
 それが「皮肉」だとして、AKB48に向けて発せられたものなのかも微妙です。生中継の中ですからね。服部さんも意識的に朧化したのでしょうか。
 ま、いずれにせよ、昭和の歌謡曲全盛時代を知る者としては、「これが日本の歌謡界の現状です」と言われれば、まさにその通りと首肯せざるをえませんよね。
 しかし考えようによっては、K-POPに席巻されることもなく、それなりに実力のある新人もいたりして、悪いことばかりではなかった今年のレコ大だったと思いますよ。
 AKBの楽曲は、ある意味では歌謡曲の王道を継いでいるとも言えますし。売れてなんぼの大衆性こそが「歌謡曲」「レコード」の存在価値であるとも言えますし。
 さてさて、今日のTBSで、これもネットを見て知ったのですが、レコ大なんかよりずっと「これが日本の現状です」と言えそうなシーンが放映されていたんですね。このインタビュー自体はちゃんと見たつもりだったんだけど、知らなかった。

18139a29

 インタビュアーやスタッフの態度悪すぎませんか?学校の職員室で生徒がこんな態度とったらぶっ飛ばしますよ!
 いくらなんでもひどくないですか。いや、総理大臣だからって偉いわけじゃないとか言う人もいそうな「日本の現状」ですけれども、やっぱりそれはダメです。理屈でなく許してはいけない一線というのがあります。
 昔の日本人だったら、ぜったいにこんなことはしません。自分にとって「恥」だからです。
 「日本を、取り戻す」…安倍さんにはぜひ本来の日本を取り戻すための教育改革をよろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.29

我が家の年末年始のテレビ事情

Img_5899 さまにはどうでもいいことでしょうけれど、ウチの年末年始のテレビ事情について書きます。
 ある意味ではウチのテレビ事情は特殊であります。今までも何度かそのことについて書いてきました。特に地デジ化が強引に推進された際にはずいぶんと反抗しました(地デジの危険性についてはこちら参照)。
 結果として地上波はほとんど観なくなりまして、それはそれでよかったのかも。
 で、何を観ているかというともっぱらBSかCSですね。全体に静かだしCMも少なかったりしてなかなかいいものです。
 スカパーにも加入しています。プロレスを観るためです。サムライTVですね。あとは無料で観られるチャンネル桜。ウチの娘たちもこれらを無理やり見せられています(笑)。おかげで闘魂だけは人に負けません。
 ところで先々週でしたか、突然私のケータイにスカパー!から電話がかかってきました。なんでもハイビジョン・チューナーをタダでくれるのだとか。
 タダには必ず裏事情があるので、さっそく聞いてみました。おたくの会社にどういうメリットがあるんですか?と。
 そうすると案外正直に答えてくれました。予想どおりでした。これから全体的ハイビジョン放送に移行していきたいと。だから我々のようなロービジョン契約者は早く切り捨てたいらしい。
 ウチのテレビは前世紀製造ブラウン管4:3なんで結構ですと申し上げましたが、それでもタダだからぜひとのことでした。
 そのもらえるチューナーには赤白黄色のpinプラグが2系統あるか確認しましたら、「あります。あります」とのことだったので、ならウチのテレビにも、それからマニアックなハードディスク・レコーダーにもつなげるなと思いまして、結局送ってもらうことにしました。
 で、届いたチューナーを見たら、なんだpinは1系統しかないじゃないか!だまされた!
 ま、でもまあいいか、サムライもチャンネル桜も録画はするけれどDVD化はしないし、いわゆる「録って見て消し」だから、これを機にUSBハードディスク録画とやらをやってみようか。
 地元の電器店で2TBが6980円の特価だったので買ってきて早速つないでみました。ふむ、たしかにこれは便利ですね。保存用には問題がいっぱいありますけど、「録って見て消し」にはなかなかいい。
 そして、チューナーが新しくなった、すなわちB-CASカードが新しくなったということなので、16日無料視聴が受けられることになったんですね。
 それで非常にラッキーだったのは、ミステリーチャンネルで「刑事コロンボ」全68作が年末年始に放映されるということです。ウチの娘たちはコロンボの大ファンなので大喜び。これは全て録画しよう!ということになりました。
 というわけで、ウチの年末年始のテレビは、昼間は全部コロンボ、夜はチャンネル桜とサムライTVです。かなり偏った家庭ですね(笑)。こりゃ子どもも変人に育つはずだわ(笑)。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.12.28

吉井和哉武道館ライヴ 『YOSHII BEANS』

Bnr_bearns_sp_2

20121229_95239 6年ぶりに吉井さんの武道館ライヴに参戦してきました(6年前の記事はこちら)。
 まず感想から書きましょうか。
 いやあ、ロックだなあ…。ロックって「カッコよさ」だな。ロックってメロディーがどうのとか、コードがどうのとかじゃなくて、いかにカッコイイ瞬間をたくさん作るかが勝負なんだな。それって男の男たる所以だった…最近忘れてた。
 と、私にしてはずいぶんとシンプルな感想でしょう(笑)。
 いや、そのくらい理屈抜きにぶっ飛ばされたんです。ロックンロールを忘れかけていたオヤジに、生粋のロックなシンガーが喝を入れてくれた。そんな感じです。
 音楽的なことや、彼の使う日本語についても、いろいろ再発見がありましたけれど、そんなコトはどうでもよくなってしまった。
 そう、最近は音楽を理屈で聴くクセがついてしまっていて、まあ、それをこのブログで紹介したり、ちょっとした講義をしたりして、なんとなく自分も調子に乗っていたんだなと。今度吉井さんに会ったらお礼を言おう。
Photoarticle イエモン時代の懐かしい曲から初披露の新曲まで、それぞれの時代の吉井和哉の変遷を感じることができたのも事実ですが、それ以上に、やはり変わらぬロック・スピリットの、すさまじいまでの個性というか、一本筋の通った迫力というか、なにかそういうモノを感じましたね。
 あの武道館の巨大な日の丸の下で、日本の男が日本を歌い、日本を語る。そのメディアはロック・ミュージックという洋風なものであったり、場合によっては英語であったりしたけれども、間違いなくそこに表現されていたのは「日本の男(と女)」だったと思います。
 今回はご縁がありまして、ある方にチケットを譲っていただきました。このタイミングで吉井武道館の場にいられたことに運命を感じましたね。ありがとうございました。
 まずは、「九段」の地に赴く機会を得られたことに感謝です。これは「まつりごと」の意味においてです。当然靖国神社に参ってから武道館に向かいましたが、明らかに「気」の流れが以前と違っていました。もちろんいい意味でです。ま、こんなこと感じながらあの場にいたのは私だけでしょうけれど(笑)。
 その話はまたいつかするとして、今年こうやって吉井さんの歌魂を生で浴びることができたことに、純粋に感謝いたしましょう。
Z322015579 6年前「39108」を巡って吉井さんとちょっとしたご縁ができてから、不思議なもので彼を取り巻くいろいろな方々といろいろな所で関わりを持つことができました。
 そういう意味で吉井和哉さんは、私のロック生活(あるいは本来の仕事の面でも)のハブ的な存在なんですよね。
 おそらく「富士山」に関わった人間どうしの見えない水脈の一つなのだと、今はそう思っています。6年前は単なる妄想でした。しかし最近の様々な水脈の動きを見ますと、間違いなく意味のあるご縁だと感じます。
 富士山に関わるご縁ということで言えば、やはり3年前に夭逝したフジファブリックの志村正彦くんのことを思い出さずにはいられませんでした。特に「バッカ」が演奏された時には(ちょっとしたアクシデントもありましたが…笑)。メリークリスマスが哀しすぎる。
 私を誘ってくれた方が、今日なんと志村くんの直筆サインを譲ってくださりました。彼のサインと一緒に聴く吉井和哉。なにかとても運命的な感じがしました。志村くんも聴きに来ていたに違いありません。
 おそらく来年以降は、もっと直接的な形で吉井さんと関わることになるでしょう。今日はそんなことを確信させてくれる体験をさせていただきました。今、私の心はとってもロックです。そして、魂はとっても「日本」です。
 私も頑張らねば。ありがとう吉井和哉。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.27

愛情のあるところに食中毒なし!?

Bb47f9f1 子トンネルの事故以来、なんだか最近ニュースに山梨が登場することが多いような気がします。
 ノロ1300人超の食中毒事件とか、ウチの近所(歩いていける)のコテージで女子短大生が殺害されたり、山中湖でCO中毒とか…。
 あんまり名誉なことではありませんね。
 笹子トンネルの事故は我が家にも影響を与えました。その復旧工事関連の仕事が舞い込んできて、急遽カミさんが従事することに。
 事故自体は大変に不幸なことでしたが、こういう「公共工事」があると、一気に仕事の絶対量が増えますね。無駄なばら撒きはいけませんが、やはり公共事業は大切だなと感じました。
 全国から集った工事関係者の不眠不休の努力によって、笹子トンネルは29日に上下線仮開通ということになりました。ほんの少しですがウチも貢献できたと思います。
 さてさて、そんな中で職場で話題になったのは大規模な食中毒事件について。
 ウチの学校のおじいちゃん先生がこんなことを言いました。
 「愛情があるところでは食中毒は起きない。家庭料理で食中毒って起きないでしょ」
 うん、たしかに言われてみるとそういう気がする。今回の事件もそうですが、大規模な事業所が作っている弁当や仕出しで食中毒が発生することが多いですね。そういうところはやっぱり「具体的な愛」が不足しがちです。
 家庭での調理ってある意味案外いい加減じゃないですか。ウチなんかも期限切れ食材なんて日常茶飯事。お互い手だってちゃんと洗ってないことが多い(ん?オレだけか?)。
 それでも腹をこわすことはほとんどないわけです。やはり、相手の顔が見える調理、愛情に基づいた調理においては、不思議と食中毒は起きにくいですね。
 食べる側の心も影響するかもしれません。お母さんが握ったおにぎりと、コンビニのおにぎり。正直衛生状態はコンビニのものの方がいいかもしれない。お母さんが素手で握ったおにぎりを時間を経て食べるのは、冷静に考えれば危険なことなのかもしれません。
 しかし現実にはお母さんのおにぎりで食中毒が起こることはあまりない。
 最近ではサランラップに包んでおにぎりを握ることもありますよね。でもなんか違うような気もする。
 やはり、手を塩で清めて握る、あの行為こそが、実は菌やウイルスの活動を鎮めるのではないかとも思います。
 おにぎりは「おむすび」とも言いますね。「結ぶ」「産ぶ」という日本古来の母性の象徴としての「おむすび」。私はそういうモノを信じたいと思います。
 この前、プロレスラーを神として招聘して餅つきをやったじゃないですか。時節柄ノロ対策で手袋なんかを用意したんですが、結局みんな素手でやっていました。母親たちも最初は手袋をしようかと言っていたようですが、やっぱり手袋よりも「愛情」で勝負したということです。
 もちろんお腹を壊した参加者は一人もいませんでした。案外そういうものなのかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.26

第2次安倍内閣発足

Hl 「2次安倍内閣発足」…この言葉を、私が安倍晋三首相の奥様昭恵さんに申し上げたのは、今年8月11日のことでした。
 「年内に再びファーストレディーになられますね」と、その時はまさになんの根拠もない、ご本人も呆気にとられた言葉。なぜ私はそんなことを堂々と言ったのか。まったく不思議としか言いようがありません。おそらくは私ではなく、誰かがそう言わせたのでしょうね。
 その時は昭恵さんさえ、ご主人が自民党の総裁選に出ることを想像すらしなかったとのことですから、その後の展開…総裁選での奇跡の当選、野田さんによる突然の年内解散宣言、自民党の大勝、そして今日の内閣総理大臣指名…は、本当に運命としか言いようがないような流れでした。
 そのおかげで、なんだか私が予言者のように言われているようですが(笑)、もちろんそんなことはありませんよ。
 予言したのは私ではなくて、その誰かでしょう。まあ、たしかにその誰かは世界史上最強の予言者と言われた人ですから。私はメディアであったということでしょう。
 そのへんのことについては、時が時なだけにあまり詳しくは書きません。お知りになりたい方はぜひ我が家においでください(いつでもどうぞ)。
 さて、この運命的な安倍内閣ですが、そのお役目は大変に大きいと思います。
 「取り戻す」というキーワードが、今日の記者会見でも何度か聞かれましたとおり、私たちが失ったモノを私たちの手で心で取り戻す時節を迎えたということです。
 それは民主党政権時代に失われたモノということではありません。安倍さんが言う「戦後レジーム」が象徴する終戦後のアメリカによる支配によって失われたモノというだけでもまだ足りません。少なくとも明治維新まで遡らなければなりません。
 安倍さんの語る施策をもって、「右寄り」だとか「タカ派」だとか言う方々も多いようですね、外国も含めて。そのような心配を私は全くしていません。これはあくまで私見でありますが、右傾化などという言葉を使う人々は、概して歴史に関して視野狭窄を起こしていると思います。ここ百年などというスパンは、歴史からするとほんの表層にしかすぎません。
 もちろん、私たち人間の記憶の構造からして、そういう発想になるのは致し方ないところではありますけれども、そこにとらわれている内はなかなか前に進めないというのも事実です。
 たとえば憲法改正が戦争につながるというような論議がありますが、我々国民(の歴史と文化)はそんなに単純ではないでしょうし、それ以前に私たちが忘れかけているこの国の大きな力が発動して、絶対に悪い方向には行かないはずです。先の戦争はそのための試練でもあったのですから。
001 私は政治家ではありませんので、あえて裏側の話をさせていただいています。特に天皇家とその対極にある(しかしグルっと回って結びついている)庶民、双方の霊的なエネルギーに興味がありますので、ついついそういう話になってしまうのですね。昭恵さんはそのあたりについての良き理解者です(オカルトとか言われるレベルではありません)。
 民主党政権時代というのは、私が3年前に「民主党圧勝、政権交代へ…どこかおかしくないですか?」という記事に書いたとおり、そうした歴史や文化や霊性を軽視し、(こういう言い方をすると誤解を受けそうですが)神々の協力、支援が得られなかった期間であったと感じています。
 「まつりごと」の本質を理解している方々が多数いる自民党政権になったことにより、今後そうしたモノを「取り戻す」ことになるでしょう。そう簡単ではありませんが、そのための再スタートがこの第2次安倍内閣の発足だと思います。
 安倍さん自身はそこまで考えていないでしょうし、感じていないかと思います。それでもいいのです。逆にその方がいいかもしれない。
 明らかに大きな力がこの日本の天地に戻ってきているのです。その結果、参院選までの半年間にも、この国にとっては、明るい光が多く差し込んでくると予感しています。
 経済も上向きとなるでしょう。外交面でも良い変化があります。拉致問題に関しても大きな動きがあるでしょう。
 あとは国民自身やマスコミがくだらないバッシングをしたり、あきらめムードに陥ったりしないことですね。良き言霊を発して(思うだけでもいいのです)、モノたちの力を借りられるようにしたいですね。モノとコトの融和と共鳴こそが、平和で豊かな未来を築くのだと思います。
 その他、現実的な政策などについていろいろと書きたいこともありますが、今日はこういう話にとどめておきます。
 いずれにせよ、安倍晋三総理と強力なオールスター危機突破内閣が誕生したことを、私は純粋に喜びたいと思います。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.12.25

今日は何の日?(その2)…大正天皇の和歌

Imgres 日は何の日でしょう…クリスマス。イエス・キリストの誕生日。
 普通の人はそう答えるでしょうね。もちろんそれでも結構です。
 でもなあ、日本人なら、もう一つ違った答えを用意していただきたいものです。
 4年前の今日、そのことを書きました。こちら「今日は何の日?…大正天皇の漢詩一首」という記事です。
 そう、今日12月25日は昭和の誕生日。すなわち大正天皇が崩御され、昭和天皇が即位した日なのです。
 戦前は国民の休日でしたから、そこから日本のクリスマスのお祭りムードが始まったとも言われています。
 それにしても日本は不思議な国ですね。キリシタン…いやクリスチャンはそんなにいないのに、この騒ぎですから。他国、異教の王の誕生日を祝うのに、その二日前の天皇誕生日をお祝いする人はあんまりいない。
 まあ、いかにも日本らしい「なんでもいい」「どうでもいい」主義の現れでありましょうか。
 そうそう、先日の佐治晴夫先生のレクチャーでも語られていましたけれども、イエスの誕生日はもっと暖かい季節だったんですよね。
 それをおそらく日が長くなり始める冬至の頃にしてしまった。太陽の復活に合わせたということでしょう。世界中の「太陽信仰」の影響を受けたものに違いありません。
 さて、今日は4年前の漢詩に続いて、大正天皇の和歌を一首紹介しましょう。
 前の記事に書いたとおり、大正天皇の漢詩の腕前は相当のものです。多作家というだけでなく、作品の質もなかなか高い。陛下の純粋な心を映したような、ストレートでシンプルな作風です。
 あれから私も、大正天皇の漢詩を数十首訓み下しましたが、うん、これはいかにも神がかっているなと感じ入りました。私たちシロウトというか庶民からすると、あそこまでストレートに世の中を見ることができない。視点、視線に濁りがないので、言葉も透き通って感じられる。
 その後、私は尊敬する歌人笹公人さんに誘われて短歌を始めました。実際やってみるととにかく自分の「濁り」に辟易するんですよね。変な知識や名利にとらわれて、視線や視点が濁る。そうすると言葉が嘘臭くなる。
 言霊が発せられないのです。
 そうそう今日たまたま、中学1年生の歌が歌会始に取られたというニュースがありましたね。やはり子どもの言葉は澄んでいるのでしょう。いいことだと思います。
 よし、来年は歌会始に出るぞ!…などと意気込んでいる時点でもうダメです(笑)。
 さて、話を戻します。その大正天皇の和歌です。大正天皇自身は、歌よりも詩のほうがいいと言って憚らなかったらしいのですが、それでも500に近い歌を残しています。
 今日はその中から、富士山を詠んだ歌を紹介します。

 汽車中に富士を見て
ここちよく晴れたる秋の青空にいよいよはゆる富士の白雪
(大正5年)

 う〜ん、これがまたなあ。どこまでも晴れわたっているではありませんか。近代天皇の歌は、どちらかというとこういう「他愛ない」ものが多いのですが、その世間的に「他愛ない」ことこそが、帝の言霊なのでしょうね。
 こんなストレートな歌作れません。しかし、力がある。誰の脳裏にもこの風景は展開される。そして晴れ晴れしい気持ちに誘われる。
 やたらテクニックに走り、難解を良しとする「近代」に対する一つの警告でもありましょう。
 よし、やっぱり来年は挑戦するぞ。もっとゆったりとした自然な心持ちで歌を歌ってみたいと思います。

Amazon 漢詩人大正天皇―その風雅の心

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.24

マリアの悲しみとともに

 日はクリスマス・イヴ。そして、志村正彦くんの命日。
 私も午後5時には「市民会館」にゆき、全国から集まったファンの皆さんと一緒に「夕方5時のチャイム」を聴きました。
 いかにも吉田らしく日没後急に寒くなりましたが、ファンの皆さん、運営する友人の皆さん、片寄さんご夫妻やメレンゲのクボくんらの、志村くんへの愛情によって、なんとも言えない暖かい「場」が生まれていました。
 昨日の記事に書きました、佐治先生のレクチャーは「マリアの悲しみ」から話が始まりました。案外そういう視点が抜けていますね。特に日本では。
 突然の懐胎に始まり、馬小屋での出産、最愛の息子の受難、死、埋葬…。イエスの背負った十字架も大きかったと思いますが、聖母マリアが背負った不条理な悲しみもまた、あまりに大きかったと言えます。
 そう言えば以前ペルゴレージの「悲しみの聖母(スターバト・マーテル)」を演奏しましたが、そこに音として表現されていた悲しみは、どこまでも深く、ある意味ではイエスの復活をもってしても癒されないものであることを雄弁に語っていました。
 そこに志村くんのお母様の悲しみを重ねると…言葉では表現しようがありません。
 今日は、そのような意味もこめまして、佐治先生のレクチャーで聴かせていただいた名曲たちを紹介したいと思います。
 まずオープニングで流れましたのが、バッハの平均律第1番の前奏曲にグノーが旋律を乗せた「アヴェ・マリア」です。歌はキャスリン・バトルです。
 このシンプルかつ深遠な前奏曲は、その性質上誰もがそこにメロディーを乗せたくなりますよね。
 ちなみに佐治先生は、NASAのプロジェクトでボイジャー探査機にグレン・グールドによるバッハの原曲を搭載することを提案したその人です。

 続きまして、伝カッチーニ作曲の「アヴェ・マリア」です。これも有名な曲ですね。歌は天使の歌声と言われたシャルロット・チャーチです。当時12歳でしょうか。今は26歳になり、いろいろとスキャンダルもあったりして、天使というより小悪魔でしょうか(笑)。

 レクチャーの最後に流れましたのが、フォーレの「ラシーヌ讃歌」でした。
 これには驚きました。私もこの曲が大好きであり、2年前の12月に志村くんのことに関連して、この曲を紹介していたんです。こちらの記事です。
 佐治先生は少年合唱による演奏を聴かせてくださいました。この曲にはいろいろな編曲がありますけれども、たしかにこの少年合唱版は心洗われますね。

 最後に志村くんのお母さんが大好きだというフジファブリックの「タイムマシン」を聴きましょう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.23

佐治晴夫先生クリスマスレクチャー

↓佐治先生とダライ・ラマ法王…ではなくてワタクシ(笑)
319194_1854317808_247large たまた不思議なことが起きました。やはり時間は未来から流れてくるのでしょうか。
 この地で、このタイミングで佐治晴夫先生とお会いできるとは…まったく人生は「思い通りになる」…いや、冗談でなく本当にそう思いました。願うこと、確信することは大切ですね。
 宇宙物理学者の佐治先生を間接的に知ったのは7年前、たまたま図書室で手にとった本の中の文章がきっかけでした。こちらの記事に書いた「宇宙のひとかけらとして生きる」という文章です。
 私はその記事の最後にこう書きました。

 デカルトは、9年間疑い続けた。そして、「われ思う、故にわれ在り(cogito ergo sum)」にたどりつきました。達磨大師は、9年間壁に向かって坐り続け、そして大悟しました。二人の結論は全く逆であるとも言えますが、実は全く同じであるとも言えます。たぶん、自己と宇宙が一体不可分の関係になった瞬間なのでしょう。不二。
 そういえば、正眼寺の開祖慧玄さんは9年間伊深の地で自らの光を消したのでした。もし、私が9年間何かに懸命になったら、いったい何がわかるのでしょう。そんなことを考えさせられる、佐治さんの素晴らしい文章でした。

 今気づいたのですが、このブログを初めて来年の5月で「9年」になります。本当に続けてきてよかった。この1年だけとっても、何かが間違いなく動いていましたし、あまりに急激に「出会い」が増えました。
 「九年」という年月には、やはり何か大きな意味があるのでしょうか。
 実は今回もこのブログのおかげで佐治先生との出会いが実現したのです。
 佐治先生は今年11月にダライ・ラマ法王猊下と対談をなさっています。その日は、以前お話させていただいた村上和雄先生も対談者でいらっしゃるということもあって、ぜひともその場に行きたかったのですが、仕事の関係でうかがうことができませんでした。
 今思えば無理やり行くことも可能だったような気もします。しかし、どういうわけか、いつもの妄想なんですが、「今回は行かなくてもどこかで何かが…」という直感があったのですね。それで結局行かなかった。しかし、そのちょっとした後悔の念をこちらの記事に何気なく書いたのですね。その記事をですね、たまたま検索で見つけてくださった方が、私に連絡をくださりまして、12月22日に山中湖に佐治先生がいらっしゃるということを知ったのです。見も知らぬ私のために、事前に佐治先生にご紹介くださったり、本当にいろいろとお世話していただきましたYさんには心から感謝です。
 山中湖のペンション・モーツァルトでのクリスマス・レクチャー。ペンション・モーツァルトと言えばずいぶん前になりますが、古楽の演奏会がまだまだレアだったころ、何度かうかがいました。平尾雅子さんや渡邊順生、慶子ご夫妻、岡田龍之介さんなどの演奏会に行った覚えがあります。
319194_1854317889_137large 私が到着した時、ちょうど佐治先生も愛車ポルシェでご到着でした。落ち着く間もなくご挨拶をさせていただき、先生がお食事中にもそばに侍させていただき、貴重なお話をうかがいました。
 そう、先月の、そして昨年の高野山でのダライ・ラマ猊下とのお話を特別にうかがうことができたのです。こういう形で私の夢が一挙に実現してしまうとは…。
 人間ダライ・ラマを感じさせるレアな(オフレコな)お話も拝聴しつつ、初対面とは思えないほど親密な時間を過ごさせていただきました。なんと魅力的な方なんだ!
 お話のためにすっかりお食事が遅くなってしまいまして、レクチャーが始まったのは夜9時半を回っていました。そこから3時間、日付が変わるまで、まさに泉のような、恵みにあふれた素晴らしいレクチャーが繰り広げられました。
319194_1854317852_76large 3時間にわたってずっとお立ちになり、時にはピアノを奏でつつ、科学、宗教、芸術、言語など分野を縦横無尽にクロスオーバーし、いや「分野」なんていう「分節」は佐治先生にはないのでしょうね、まあ脱線と言えば脱線の連続なのですが、そこにはちゃんと一本の筋が通っていますので、私の授業のようなメチャクチャな脱線とは違う、心地良く深い、時空を超えた講義が展開されました。
 宇宙論はもちろん、地震論、女性論、音楽論、仏教論、キリスト教論、文学論、時間論、そして人生論…その内容は、まさに今の私が聴きたいことが満載。もっともっとお話を聴きたい、お話したいと思うような内容でした。
 佐治先生は音楽大学の客員教授でもあり、パイプオルガン奏者でもあります。レクチャー終了後、最後はバッハのマタイ受難曲についてお話をさせていただきました。音を通じた宗教体験についてです。
 本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。夢のようです。皆さまに感謝感謝です。
 このレクチャーは音楽で始まり、音楽で終わりました。その選曲にもある運命を感じましたが、それについてはクリスマス・イヴである明日にでも書こうと思います。
 ぜひまたお会いして、宇宙について、音楽について、言葉について、そして時間についてお話したいと思います。よろしくお願いします。
 本当にありがとうございました。

Amazon 14歳のための時間論

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.22

夕方5時のチャイムが「若者のすべて」に…(録音してきました)

Dscn0273 年もクリスマス・イヴが近づいて来ました。世間ではお祭りモードですね。
 12月24日は、私たちフジファブリック・ファン、特に志村正彦くんのファンや関係者にとっては、違った意味で聖日とも言える日です。
 あの日から間もなく3年となります。3年前の今日は全く普通の日常を過ごしていました。彼もきっとそうだったのでしょう。
 あの頃のブログの記事は見直す勇気がありません。私にとってもあまりに辛く厳しい冬でした。
 しかし、彼の遺してくれた楽曲、いやそれだけでなく彼がこの世に生きたという事実は永遠に残りますし、私たちはその恩恵に預かることができるわけですから、いつまでも純粋な感動と感謝の気持ちを忘れたくはありません。
 特に彼の詩や曲は、誰のそれらよりも変幻自在、成長し続ける力を持っていますからね。私たちの成長よりも早く大きく広くなっていくかもしれない。私自身のこの3年間も、志村くんに負けないように奮闘してきた日々だったとも言えます。
 そういう「生きる力」を与えてくれる彼には、一生感謝し続けることでしょう。
 さて、そんな彼の遺した名曲群の中でも、特に私たちの胸の中で響き続けている「若者のすべて」。
 昨年は私の学校の文化祭で、この曲をテーマに一つの発表をしまして、志村くんのお母様にも聴いていただきました。
 そんないろいろな想いのある「若者のすべて」ですが、このたび、地元の同級生らのはからいにより、今日22日から限定3日間、富士吉田市の「夕方5時のチャイム」に採用されることになりました!
 この街にこうして志村くんのメロディーがこだまするなんて、きっと彼自身も想像すらしなかったでしょうね。なんとも言えない感動がありました。喜びと哀しみと切なさと…。
 ちなみに本来の「夕方5時のチャイム」と「若者のすべて」の関係については、こちらに書きましたとおりです。実は密接な関係があるのです。今日も生でチャイム版「若者のすべて」を聴いて、やっぱりそうだなと確認しました。
 この素晴らしい企画を実現してくださいました関係者の皆さまに心から感謝します。
 しかしなにしろ限定3日間ですから、生で聴きたくともなかなか現地にいらっしゃることができない方も多かろうと思いますので、今日はこの「夕方5時のチャイム」を録音してきました!それも志村くんが生まれ育った場所のすぐ近くでです。
 ステレオ録音してきましたので、そのいかにも町内放送的なエコーやディレイ(重奏)の感じや、空気感を聴いていただけるかと思います。最後の方でご近所の雨戸を閉める音などが入っていますが、それもまた下吉田の音の風景としてお楽しみください(笑)。
 録音レベルが小さめなので、ヘッドフォン(イヤフォン)でお聴きになると良いかも。空気感を味わうためにも。
 こちらをクリックすると聴くことができます。ファイル形式はAAC(mp4)となっております。
 23日、24日の午後5時にもこのチャイムが流れますので、ぜひ富士吉田においでください。志村くんにまつわるイベントもいろいろとありますので。ただ寒いですよ。防寒は厳重に。
 最後に原曲をもう一度聴いてみましょうか。返す返すも時代を超える名曲ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.21

神事としての餅つき(プロレスラーを交えて)

0b3ea60935c95359bcf5ae7e5c7d955f 「ヤの預言(の風説)をぶっとばせ!」というワタクシの口上で始まった我が中学の餅つき大会。
 実に楽しい充実した時間となりました。
 先ほどの口上は「田力男の尊」たちを迎えるための祝詞であります。もうちょっと現実的に申しますと、ワタクシがリングアナウンサーとなって、つき手であるプロレスラー3人を迎え入れたのであります(笑)。
 いや、やっぱりもっと奥深い意味を書こう。
 本校では今年度3年生が米作りをしました。畦作りから始まって、田植え、草取り、そして稲刈り、新嘗祭を経て、最後の行事としての餅つきを今日行なったのです。
293fd87224c13a40abbadc248ab36791 体験教育の一環ではありますが、あくまでも伝統文化、あるいは宗教的な意味合いも「感じて」ほしいと思っての一連の作業、行事でした。天地とつながり、天地の恵みに感謝する、そんな当たり前のことを、理屈ではなく体と心で体験してほしい。
 餅つきは言うまでもなく、本来は収穫を祝い、自然の恵みに感謝し、来年の五穀豊穣を祈り、また、家族や村などのコミュニティーの絆を確認する大切な神事でした。
 もちろん日本中の餅つき行事には、いろいろな習慣がありますし、当地の餅つきもなかなか独特の文化を持っているのですが、今日はとにかく、子どもたちの純粋な魂とそれを囲む大人たちの祈りと願いを集結しようと思いましたので、ワタクシ流のやり方をさせていただきました。
 現代の「タヂカラオ(手力男・田力男)」と言えば、力士やプロレスラーでしょう。いや、今や屈折してしまった相撲界よりも、プロレス界の方がある意味では純粋な日本的神性を継承していると言えるでしょう。
Gedc4753 今日来ていただいたレスラーの中には、元十両霧の若、将軍岡本選手もいました。彼なんかその象徴的な存在ですよね。
 そう、今日はアントニオ猪木さんの団体IGFで活躍する若手レスラー3人に来ていただいたんです。鈴木秀樹選手とは数年前からのお友達でしたし、澤田敦士選手はウチの学校の柔道部顧問である矢嵜雄大先生の可愛い後輩です。そんなご縁もあっての今回の招聘の実現となりました。
 もともとは3S、すなわち鈴木、澤田両選手に加えて鈴川真一選手をお呼びしようと思っていました。しかし、鈴川選手は大晦日の大会であのミルコ・クロコップと対戦するということで、急遽オランダに修行に行くことになりまして、それで将軍岡本選手が来ることになったんですね。
 正直、それで喜んだのは私だけではありません。相撲マニアの生徒も元霧の若関のことが好きだったので、こんなラッキーなことはなかったのです。
Gedc4748 塩とお酒で場を浄め、生徒みんなで二礼二拍手一拝をしてから、富士山に向かって杵を振りました。
 田力男たちの杵さばきもさすがでしたが、生徒みんなが杵を持ったことにも深い意味があったと思います。子どもの力と神の力が共鳴した瞬間でした。
 いやあ、それよりもなによりも、男の子たちが果敢にも(無謀にも)レスラーたちに立ち向かっていく様子に安心、感動しましたね。
 そういう体験が少ないじゃないですか。思春期の男の子のエネルギーでぶつかってもビクともしない大人の男の存在。ぜったい大事ですよ。
Gedc4747 きっと彼らにとって忘れ得ない感覚になったことと思います。言葉では伝えられない、私たち教師では伝えられない「モノ」です。
 保護者の皆さんも忙しい中駆けつけてくださり、子どもと田力男のついたお餅をちぎり、味付けをしてくださったり、豚汁をふるまってくださったり、本当に場が一つになっていたと思います。ありがとうございました。
 たしかに準備も片づけも大変でした。しかし、こういう無理、無駄、無謀、経済効率だけではとらえきれない「モノ」は、どんどん排除される時代になっています。ここ富士山麓の田舎でも、臼と杵で餅つきをする家庭は少なくなっていると聞きます。
Gedc4763 つまり「コト」にとらわれて、「モノ」が捨てられていく時代なんですよね。
 大人の事情(コト)で、子どもからこういう体験(モノ)を奪ってしまうのはいけません。もちろん学校もそうです。我が校では、これからもこうした体験を大切にしていきたいと思います。
 3人のレスラーさんをはじめ、皆さん、本当にありがとうございました。

IGFのホームページで紹介していただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.20

柳瀬宏秀さんが語る「マヤの預言」の真実

 タバタと忙しく、実は今は12月22日です。
 というわけで、地球滅亡後にこの記事を書いています(笑)。
 私は、このマヤ暦の預言に関しましては、マヤの叡智を研究されている柳瀬宏秀さんのお話を全面的に信頼しています。
 新しい5125年が始まる…皆さんもぜひ、この素晴らしい、分かりやすい、そして明るい未来を示した話をお聴きください。
 柳瀬さんとは、2ヶ月前静岡で初めてお会いしました。超近未来のファーストレディ安倍昭恵さんのお話をうかがう集まり(こちらの記事参照)でのことでした。
 いろいろな方がお集まりのとっても濃い集まりでしたので、柳瀬さんとはほんの少しだけしかお話はできませんでしたが、再会とぜひお話しましょうということだけはお約束させていただきました。
 この放送では、マヤの預言の意味だけでなく、人間のあり方、宇宙や自然のあり方、時間のあり方について、カレンダーのあり方について学ぶことができます。
 21日がどうのこうのではなく、今このタイミングでこのお話、マヤの叡智に触れることは非常に大切なことだと思います。
 新しい時代の始まりを迎えた今、柳瀬さんと再会して、マヤの、人類の、宇宙の叡智について語り合える日を楽しみにしています。



Video streaming by Ustream

Amazon マヤの叡智と日本人の魂の融合―コズミック・ダイアリーの精神 時間は、オーガニック・オーダー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.19

秋本奈緒美のライヴ映像

Mww930065 のすごく忙しくて時間がないので、今日は動画の紹介だけで。すみません。
 もうすっかり女優さんとして有名になった秋本奈緒美さんですが、デビューはなんとジャズ歌手でした。
 そのデビュー・アルバムをずいぶん8年前、このブログを始めた頃に紹介しましたね。こちらの記事です。
 う〜む、今聴いてもかなり新しい…というか先を行き過ぎていて、まだ時代が追いついてない感じですね。
 そんなジャズ(?)シンガーとしての彼女の貴重なライヴ映像があったのでビックリ。これはレアだわ。
 1984年の12月、九段会館。今から28年前ですか。九段会館(旧軍人会館)ももうあの震災で閉鎖ですからね。なんとも感慨深い。
 バンドがまたすごい。ベースが須貝幸生さん、ギターが神長弘一さん、キーボードが石本史郎さん、サックスとが本田雅人さん、ドラムスが西地浄さん。本田さん吹きまくってますね。
 まあ、それにしてもアレンジがすごいなあ…難しいですよね、ある意味。ではどうぞ。

シング、シング、シング 

ジェントルじゃいられない

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.18

『もの語彙こと語彙の国語史的研究』 東辻保和 (汲古書院)

10713 日は敬意と謝意をこめて、このマニアックすぎる本を紹介します。
 こういう言い方はどうかとも思いますが、この世に生きるほとんどの方にはあまり意味のない本ではないでしょうか。
 しかし、私にとっては、人生の基本文献であります。この本がなかったら、私の今後の人生は実に味気ないものになっていたでしょう。
 1335ページに及ぶ素晴らしい(すさまじい)学術論文です。
 我々日本人が無自覚に、しかし明らかに正確に使い分けている「もの」と「こと」という言葉について、古代から中古、中世、近世に至るまでの、膨大なテキストを分析、集計して、その本質に迫ろうとしています。
 その労力たるや、まったく想像を絶します。単純にデジタルテキストからコンピューターによって抽出するというような作業ではないからです。
 東辻先生の独特の研究手法は、「もの」「こと」という汎用的な言葉の意味を、文脈的、文型的に分類しているところです。
 これは言語の本質を知っているものなら、当然とるべき手法ではありますが、しかし、実際にはなかなかそれができません。日本語の文型の分析や文脈の把握は、コンピューターの最も苦手とするところです。当然、手作業、頭作業が中心となる。
 東辻先生は、学生時代から大学教授を退官後まで一貫して、こうした手法で「もの」と「こと」を研究されてきました。
 私が、国語学的に、あるいは文化論的に、あるいは妄想的な哲学として「モノ・コト論」を考え、語る時、どうしても学術的なプロセスをふっ飛ばしてしまいます。私は根っからの非学者気質なものですから。
 当然、このように原典テキストにあたって、「もの」と「こと」を分析しなければならないと思ってはいましたが、そういう地道な作業は私の最も苦手とするところ。
20121219_105337 そこをこうして見事すぎる規模と精度でやってくださった東辻先生には、もう本当に頭が上がりません。私は、先生の残して下さったこの膨大な「抽出例」と「分析」をなぞらせていただくことができるですから。
 冒頭の「もの」「こと」研究史だけでも、大変に参考になります。先人がこの「もの」「こと」という不思議な言葉と格闘した歴史を俯瞰することによって、結局、みんなワタクシの考えとは違うということを確認させていただきました(単に私の考えが狂っているとも言えますが)。
 東辻先生は学者ですから、私のように暴走することはありません。我田引水的に結論を急ぐことなく、ある意味では結論は出さずにこの大著を終えています。
 序文で小林芳規さんが書いているように、「資料に語らせる」態度を一貫している。これこそ、学者(科学者)のあるべき姿でしょう。
 先日、脳科学者の池谷裕二先生とお話した時も全く同じように思いました。ああ、私は学者じゃなくてよかったと(笑)。妄想し、それを発信する権利があってよかった。
 ということで、私の後半生はこの本とともにあると思います。日本語としての「もの」「こと」の本質を知ることによって、世の中の「物事」を解釈していこうと思っています。
 私はなんとなくそこに可能性を感じるからです。理屈ではありません。それこそ「モノ」が降りてきて「コト」になろうとしている感じがするのです。なぜか、妙な自信だけはある…まったく私は変な人です。
 いつになったら、その私の妄想が形になるのでしょうか。なんとなくその日は近いような…頑張ります。

Amazon もの語彙こと語彙の国語史的研究

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.17

有森裕子さん講演会

20121218_113212 が校で、オリンピック女子マラソンメダリスト有森裕子さんをお招きしての講演会が催されました。
 そうかあ…銀メダルのバルセロナから20年、「自分で自分をほめたい」のアトランタから16年か…。生徒はほとんど直接的な記憶には残っていないというわけですね。
 しかし、今日の講演会は高校生も中学生も大変興味深そうにお話を拝聴しておりました。心に残るいい講演だったと思います。
 オリンピックのメダリストとはいえ、子ども時代、学生時代は普通の、いや普通以下だったかもしれない、しかし諦めなかったから、世界の大舞台で夢をつかむことができた。
 よくある成功譚かもしれませんが、やはりご本人の力強い声でそれを語られると、説得力がありますね。
 特にマラソンという競技の性質もあるのでしょう、肉体的な素質を精神的な素質が上回ったとも言えます。
 私のような普通の人間でも諦めなければ、思いを持ち続け行動し続ければ、夢は叶う…そのようにおっしゃっていましたけれども、そう、その精神力、あきらめの悪さ(笑)、しつこさは尋常ではないと思いました。
 もちろん世界で二位になることなど、我々みんなが成しうることではありません。
 しかし、小さなことでも、もっと身近な夢でも目標でも、とにかく人になんと言われようと、あきらめずに歩み続けると、たしかに想定以上の結果が出ることはありますね。
 10月の卒業生の講演会でも全く同じことを感じました。それは「良き未来をイメージせよ。」という記事に書いたとおりです。
 昨日も書いたとおり、最近の私は「時間は未来から過去へと流れている」ということを基本にものごとをとらえ、考えていますから、今日の有森さんのお話もまさにそれを証明、象徴している内容だなと思いました。
 過去ばかり振り返っていても仕方がない。前向きに走り続ける。折れそうな時ももうひと踏ん張りする。そうしていると多くの人たちに支えられる。
 それこそ多くの成功者が一様に語る事実でしょう。「あきらめないでよかった」…メダリストたちが皆口にする言葉だそうです。たしかに「あきらめてよかった」とか「あきらめないで失敗した」とかいうことはあまりなさそうです(もちろんたま〜にそういうこともありますけど)。
 言葉にするのもいいとおっしゃってましたね。やはり、未来に良き言葉を投げ続ける…これこそ「言霊」でありましょう。
 好き嫌いではなく、人に認められたいからこそ頑張る…今日は語られませんでしたが、有森さんにも大変なご苦労がありました。アマチュア競技者としてももちろん、プロランナー第1号となってからも、いろいろありました。しかし、それを見事に乗り越えて、とても明るく力強いオーラを発していらっしゃいました。
 富士山マラソンを通じて、本校の生徒たちとこれからも多くの交流があると思います。生徒たちが有森さんからいい影響を受け続けることを願います。ありがとうございました。

Amazon やめたくなったら、こう考える
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.12.16

自民党圧勝、政権交代へ…どこかおかしくないですか?

001 …いうタイトルにしたのは、3年前の「民主党圧勝、政権交代へ…どこかおかしくないですか?」という記事のセルフ・パロディーです。
 あの記事を読みますと、その後の民主党政権時代をまるで予言したかのような内容に自分でも驚きます(というか、天変地異以外は誰でも予想されたことだと思いますけれども)。
 そして、これもある意味では予想(予言)どおり、安倍総理誕生が濃厚となりました。私は8月11日の段階で「間違いありません」と言っています。何度も紹介しましたこちらの記事です。まあ、これはけっこう早い方だったのではないでしょうか。解散総選挙後、自民党に政権が移るということではなく、もっとストレートに「安倍首相」誕生という話ですから。
 私はここで、自分を予言者だなんて言うつもりはありませんよ(笑)。ただ、大局的に世界を見て、感じて、そうして時の上流、そう「時間は未来から過去へと流れている」という持論からするとですね、「上流に遡って」未来を望見しているだけです。
 昨日たまたまですが、アキバであの熱狂の渦の中に入りました。そうして、たしかにこういう結果になるなと予感しました。そして、それはある意味危険であるなと思いました。近未来がはっきり見えました。
 アイドルに群がるオタクたちと同じ熱狂がそこにありました。日の丸が乱舞し、麻生さんも安倍さんも何を言っているのか聞き取れないほどの狂騒(取材のヘリのおかげもありますが)の中、私も含めて異様な「祭」に巻き込まれている感覚がありました。もう「言葉」や「中身」ではない。ただ一つの塊の中にいる快感、高揚感。
 瞬間的であろうと、私は、自分が3年前に辛辣に非難した「愚民」と化していたのでしょうか。いや違うような気もする…。
 そうして、この自民党圧勝です。さあ、ではこれからの未来をどう見るか。
 その前に、「どこかおかしくないですか?」という部分について考えておきましょう。
 はたしてこの結果は、私が3年前、「愚民」の「暴走」と称したあの「集団気分」によるものなのでしょうか。
 開票中にツイートしましたとおり、「前回民主党圧勝に沸いた人々が、今度は民主党惨敗ではなく脱原発派敗北に泣いている」のが事実です。
 今回の自民党の獲得議席数は、前回の民主党のそれと似た数字となっていますが、小選挙区制による単純な揺り戻し、振り子現象かというと、やはり何か違うと感じます。
 前政権にうんざりしているというのは一緒ですが、だからと言って、フィクションとしての「民意」に流された感はありません。つまり、「反原発、反増税、反TPP、反改憲」という、性善説にのっとったような、いかにも理想主義的な方向には風が吹きそうで吹かなかった。
 そういう意味においては、最悪の結果は避けられたと思っています。まだ日本は救いようがあるなと。学習能力はあるなと。
 こういうと私はいかにも自民党万歳派に見られそうですが、単純にそういう立場ではありません。結果的には原発はない方がいいですし、増税もない方がそれはいい。TPPは微妙ですが、改憲も「改正」ではなくて「改訂」でいいと思っています。また、極端な右傾化も望ましくありません。もちろん戦争はないに越したことはない。
 しかし、現実の日本は「他者」の中にあるのです。他者への絶対的な信頼は、それは理想論としては実に尊いことですけれども、現実的にはそんなお人好しではいられません。原発問題も外交問題と絡んできます。
 と言いますか、原発も、即時廃炉というのができない現実があるかぎり、やはり長期的に考えなければならない。そうした時、たとえば10年後、20年後、30年後にゼロと言っても、その主体たる政権がそこまでもっている可能性は非常に低い。
 そういう意味で、長期的に安定政権を維持する可能性があるのは、やはり自民党ということになる。
 結果として、ポッと出の新党ではなく、ある種古典的で保守的な自民党に期待が集まったというのは、これはもしかすると、とても賢い選択なのかもしれません。
 では、何がおかしいかということですが、どうも「民意」と今回の結果とは乖離しているように感じるじゃないですか。それですよ。それこそが「おかしい」。
 しかし、この「おかしい」は3年前の「間違っている」という意味とは違うのです。そう、今回の「おかしい」は「不思議だ」ということなのです。
 どんな「民意」を掘り出して並べてみても、ここまでの自民党圧勝になる気配はないはずです。もちろん、「気分」を並べてもこうはならない。
 では、これは…。
 その答こそが、私の望見する未来像です。天の采配か天の配剤か知りませんが、とにかく「民意」や「気分」を超えた何か、すなわち私のよく言う「モノ」が発動しているとしか思えません。
 近未来的には、これも今日ツイートしましたけれども、民主党も維新も来年の今頃はなくなっているかもしれませんね。しかし、それはどうでもいいことです。
 ある意味では、これから私たち国民と自民党との戦いが始まるのかもしれません。それは決してマイナスの意味の、すわなち苦しみや後悔を伴った戦いではなく、もっと高度な磨き合いなのかもしれません。
 私たちはいよいよ真に試される時を迎えたのです。
 …と、今回はずいぶんと歯にモノがはさまったような書き方になっていますけど、いや、実際のところ「モノ」がはさまってるんですよ(笑)。すみません。その「モノ」については追々書いていきます。
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.12.15

日本の最先端は…いろいろと。

Koushien_img_logo 日は生徒&同僚と東京に行ってました。
 「手帳甲子園」の表彰式です。
 おかげさまで、今年から取り組み始めた手帳をによる「自己管理」「先生と生徒とのコミュニケーション」が評価されまして、優秀校10校の中に選ばれました。生徒たちと現場の先生たちの日々の努力と工夫を讃えたいと思います。私はほとんど何もやってません(笑)。感謝。
 私はちゃっかり表彰式だけ参加させてもらいましたわけですが、その上ラッキーなことに、ゲスト審査員としていらした脳科学者の池谷裕二さんとけっこうじっくりとお話ができました。
Koushien_img_g_ikeya 池谷さんの研究している記憶のことや、脳と身体の関係と私の「モノ・コト論」の共通性などについて、実に興味深いお話をうかがうことができました。
 私と池谷さんは、おそらく全体像については同じような図を描いていると思います。しかし、いかんせん、頭の構造、いや機能的レベルが違う(笑)。ま、理系と文系の大きな違いとも言えますか。
 たとえば最近の私の「言霊論」として、生物の意志(意思)が「物質」に影響を与えるという話の中では、「まずイシの定義が難しい」とおっしゃっていました。そうですね。科学の世界ではそのとおりです。
 私のような非科学的な人間は、自己の実感こそが定義となってしまうので、それは噛み合いませんね(苦笑)。しかし、それが私には実に楽しいことでもあります。
 まさに日本の最先端をゆく池谷さんと、どんどん遡って古事記、日本書紀、さらには超古代文書にまで行ってしまってるワタクシの対話というのは案外面白いのでは?
 無理やり合わせてくださっている感があったものの、それなりに興味を持っていただけたようで、とてもうれしかった。またどこかでお話できるといいなと思います。まずは池谷さんのご著書を読んでみよう。すごく面白そうです。
 さて、表彰式が終わって、我々は秋葉原へ向かいました。別に用事があったわけではないのですが、帰りのバスまで時間があったので、勉強もかねてアキバへ行こう!ということになりました(笑)。
 私にとっても久しぶりのアキバ訪問。う〜ん、びっくりしましたね。何にって…日本は元気だなと。
 まあ街自体、相変わらずの活気でしたけれども、なんというか、日本人が妙に元気だなと感じたんですね。ああ、これが日本の最先端なのかと。
 アキバをもってして最先端というのには異論もあるでしょう。しかし、私はまさに実感としてそう思ったし、自分もそこに巻き込まれていく様子が、なんというか妙な快感でもあったのです。
Img_5849_2 生徒たちも驚いていました。まずはなんだかよく知らないアイドルグループがライブイベントをやってまして、そのファンの熱さに驚きました。
 すごい。あの興奮と熱気は異様でさえありました。しかし、その「場」にいると、自分の気持ちも高揚してきて、ついついその「祭」に参加してしまうんですよね。
 今日の池谷さんの話に通じる部分がありました。場、身体、心。複雑に関連しあっています。
 そして、ビルを挟んでこちら側では、これまた偶然でびっくりでしたが、安倍さんと麻生さんが最後の最後の演説をしておりました。
 日の丸が揺れ、「麻生コール」「安倍コール」が起きる、このノリは、アイドルグループのファンたちのそれと全く同じ波動を発していました。
Img_5862_2 そこでも、私たちは訳も分からず「祭」に参加してしまいました。それを言葉で聞けば、なんと浅はかな人間かと思われそうです。しかし、まあ皆さんお分かりのように、私は案外単純ではない人間です。そんな私でさえも、あの場にいると身体が反応してしまう。
 それは悪いことではないし、否定すべきことではないし、無視すべきものではありません。池谷さんとの話の中でも、より身体(モノ)を重視すべきだということですし、そこに「場」が非常に強く影響するということです。
 いつも書いているように「政治」は「マツリゴト」ですから、当然、そして「場」「身体性」というのも重要になってきます。マスコミやネットの情報(コト)だけでは扱いきれない分野なんですよね。
 だからこそ、遊説というのがあるとも言えます。まあ、今日の演説も正直何を言ってるのか分からなかった。音が響きすぎですし、ヘリコプターも超低空で飛んでましたから。
 それでもあの熱狂にはものすごい説得力があった。モノがコトを凌駕した瞬間です。
 そこにはちょっとした「危うさ」もありました。日本人の危険な部分も感じました。
 日本の最先端…最先端は最先端であり、そこから離れれば、そうした「場」の効果、「身体」が「心」に与える影響はどんどん薄れていきます。
 最先端以外の大部分が、はたしてどういう判断をするのか。明日の選挙を楽しみでもあります。

Amazon 脳には妙なクセがある


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.14

ベイちゃん誕生25周年 「ベビースターラーメン いろいろパック 8種類」

S わず買ってしまった大人もいるのでは?私は当然買いましたよ(笑)。まだ店頭に並んでるんでしょうか。いちおうパーティーパックですから、クリスマスへ向けてまだ売れるような気がしますが。
 買ったのは先月末だったと思います。ホームセンターに行った時、ついつい手が出てしまいました。
 そして、家族にナイショで自分だけで少しずつ食べています(笑)。50近い男がこそこそベビースターを食べる様子は…哀愁、いや歴史を感じますな!
20100729215611771 というわけで、今日はこのパックの中に入っていた「ドデカイラーメン メープルシロップ味」を食べました。
 これって2年前のバンクーバーオリンピックにちなんで発売されたものですね。まだ作ってたんだ。というか、余ってるのを詰め込んだのかな。
 これ、初めて食べましたが、けっこうおいしいですね。冬、あったかいコーヒーや紅茶と一緒にいただくとほっこりします。
20121216_90638 ベイちゃんも25歳ということで、そりゃあ私も歳を取りますわ。
 このパックにもレトロバージョンが入ってましたが、あの古いキャラ(名前は?)が生まれたのは私の生まれる5年前です。そして、1987年からベイちゃんとビーちゃん、あわせて「ベビーちゃん」がベビースターラーメンのキャラとなりました。
 考えてみると、このベビーちゃん兄妹、思いっきり黄色人種ですよね。ここまで堂々と黄色だとスカッとしますよ。彼らいろいろコスプレしますが、たしかに中国や韓国、インド、メキシコなど、白黒つかないところのものが多いですね。第三極の矜持というものがあるのでしょうか(?)。
Babystar21_2 ま、今回のいろいろパックに象徴されるように、あるいはメープルシロップ味に象徴されるように、なんでもありなところが、いかにもおやつカンパニーさんらしいし、日本の企業らしいと言えるかもしれませんね。
 おそらく私はおじいさんになっても、ベビースターラーメンをポリポリ食べているでしょう。
 すっかり日本の文化にまでなったベビースターラーメンであります。

おやつカンパニー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.13

追悼 ラヴィ・シャンカール

0 ろいろ忙しく、遅くなってしまいましたが、尊敬するラヴィ・シャンカールさんがお亡くなりになりました。心よりお悔やみ申し上げます。
 ビートルズやコルトレーンへの影響を語るまでもなく、彼の音楽界への貢献には計り知れないものがあります。
 それらについてはいちいち私が説明してもしかたないでしょう。
 ただ、忘れてはいけない偉大なる彼の遺産として、二人の娘さんのことを書かずにはいられません。
 ノラ・ジョーンズについてはこちらで紹介したことがありますね。彼女についても語る必要はないかもしれません。
 もう一人の娘さん(二人は異母姉妹です)、アヌシュカー・シャンカールは、ノラよりも父親の正統を継いでいると言えるかもしれません。
 「私は何も期待しない。私は音楽家で、ただ音楽を愛し、曲を作り続けたいだけ。私のアルバムがグラミー賞を受賞するとか、そういうことは考えていない」と語る彼女は、いかにもラヴィ・シャンカールの娘らしいではないですか。
 娘さん二人ともに素晴らしい音楽性や人間性を持っているとともに、なんといってもお美しいですね。
 今日はラヴィ・シャンカールが残したくれた、そんな美しい二つの宝の共演を紹介します。至高の美であると思います。

Anoushka Shankar & Norah Jones - Easy

Amazon 水の旅

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.12

2012年12月12日12時12分12秒の富士山

Img_5832

 12が並びました。来年は2013年ですから、13月というわけにいきません。こうした記念すべき日はもうしばらく現れないわけです。
 12という数字は聖数です。いろいろ説明するべくもありませんね。数学的に特別な数であるとともに、我々の生活の中においても、大変に重要な位置を占めております。また、世界の宗教の中においても、やはり特別な数としていろいろな場面に登場します。
 そんな特別なタイミングを見計らって富士山の写真を撮りました。もちろん、世の平和を祈りながら。写真のデータとしては18秒になっていますが、シャッターを押した瞬間は正しく12秒です。
 この写真だけとれば、いつものワタクシの趣味的な領域かと思われますでしょう。しかし、これと機を同じくして、ここ富士北麓では大切な神事が行われていました。
 「くにうみまつり」です。大友映男さんが主催され、2002年から行われてきたこのお祭りは、今年10回目が最後ということで、日本の中心富士山がその場所に選ばれました。
 ちょうどその祭祀場が、本校の生徒のお宅(施設)だったこともあって、私も参加させていただきたかったのですが、仕事でどうしても現場にうかがうことができませんでした。
 そこで、少し離れた場所ではありましたが、心だけはしっかり合わせてお祈りをさせていただきました。
 日本大変動の2011年の次の年、世界的にもいろいろなことが噂された2012年でありましたが、なんとかここまで平和に過ごしてこれました。それに対する感謝と、2013年以降の穏やかで正しい世の中の実現のために、こうして有意の方々が参集して尊い祈りが捧げられることは、まことにありがたくうれしいことであります。
 お祭りには直接参加できませんでしたが、お誘いをいただきまして、直会には少し顔を出させていただきました。
 現存、そして使用中の住宅としては、おそらく日本最古であろうと言われる(室町期の建造)、吉田の御師の家「蒔田家」(カムナビの家)での直会。なんとも神さびた雰囲気の中、皆様盛り上がっているところに少しばかりおじゃまさせていただきました。
6423244_1846628200_119large 大本信徒連合会の第六代教主補出口孝樹さんもおいでとのことでしたので、せっかくですので我が家の耀わん「十和田」を携えての参加。孝樹さんはじめ、皆様にお水を飲んでいただきました。
 またこれで魂のネットワークが広がったことと思います。間接的にはよく存じ上げていた大友映男や、地元でありながらなかなかご縁のなかった槙田家当主のきこりさんともご縁ができました。ありがとうございました。
Img_5835 耀わんは大人気でして(笑)、大撮影会になってしまいました。王仁三郎さんも大喜びでしたでしょう。
 孝樹さんとは初対面でありましたが、大本、出口王仁三郎とこの富士吉田(特に明見)との深い関係について貴重なお話をさせていただきました。12という聖数が招いてくれた貴重なご縁に感謝です。
 2012年の年末が、日本にとって、そして世界にとって正しく意味のある変化の時となり、そして2013年がみろくの世実現の大切な一歩の年となることをあらためてお祈りいたします。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.12.11

「、」「。」の意味

Hl

 末テストに「。」「、」をつける問題を出しました。古文です。枕草子です。
 私は原典(原点)主義者なので、教科書のあの「春はあけぼの…」は使いません。それについてはこちら本当の「春はあけぼの」とは…という記事をご覧ください。皆さんが暗唱していたあの枕草子は実は間違いだった!?かも。
 それほど、「。」や「、」というのは重要なのです。文脈が変わるんです。
 さてさて、それでですね、上の表ですが、今日のニュースに「、」「。」なぜ多い 政党のキャッチコピーというのがありました。
 いやいや、こりゃニュースじゃないか。世間的にはどうでもいいと言えばどうでもいい。けれども、私はやはり(自称)日本語・日本文化研究家でありますから、これはいちおう食いついておかねば。
 まず、これって「キャッチコピー」なのでしょうか。「キャッチ」するための「コピー」といえば、たしかに間違いではありませんが、なんか政治も商品みたいで違和感ありです。
 まあ、それはいいとして、たしかに言われてみると最近のコピーには「。」や「、」が多いような気がしますね。
 糸井重里さんをはじめとする現代のコピーライターさんたちが、こういう手法を考えついたのでしょう。しまいにはモーニング娘。みたいに、いきなり名前に「。」をつけたりするようになりました。
 本来、句点は文章の終わりを示す機能を、読点は息継ぎとしての機能や文脈(修飾関係)を明確にする機能を持つ記号です。
 しかし、たとえば自民党の「日本を、取り戻す。」ですと、「日本を、」の「、」は、息継ぎでもないし、修飾関係を規定するものでもない。あえて言えば、息継ぎにもなりうるかなあ。実際、安倍さんは「日本を」と「取り戻す」の間に間(ま)をいれて言ってますよね。
 そう、そうして間を空けることによって「日本を」、そして「取り戻す」が強調されるわけです。読点に強調の機能が生まれたと。
 そうして強調されることによって、「日本を取り戻す」という文に特別な意味が生じます。「◯◯に取られた△△を取り戻す」という普通の意味ではなく、「ついのまにか失われてしまった日本を取り戻す」というような意味があるように思わせる「、」なんですよね。
 それは民主党の「動かすのは、決断。」もそうです。「(日本を)動かすのは(あなたの)決断(次第)」という意味でしょうかね。他にも解釈はありそうですが、「動かすのは決断」と書いてしまうと、決断が動かすの目的語と読めてしまう危険性もあります。
 ある意味では、こういうところに、日本人、日本語の好む「行間」のセンスというのが生きているとも言える。
 それから「!」よりも「。」を使うようになってきたのは、声高に叫ぶ(騒ぐ)よりも、決然と、淡々と語る方が説得力がある時代になってきたからとも言えそうです。
 しかし一方で、「行間」は「ムード」を醸してしまうので、政治のイメージ化をさらに促してしまう危険性もあります。雰囲気は気分しか生みませんからね。
 もちろん導入としての「ムード」「イメージ」「雰囲気」「気分」というのは大切です。しかし、そこから中に招き入れる工夫が各党にあるか…ちょっと疑問ですね。結局「キャッチ」自体が目的になっているような気さえします。
 今後「、」や「。」以外の記号も生まれてくるかもしれません。というか、絵文字や顔文字が政党のコピーに使われるようになったりして(笑)…この(笑)とか。
 「動かすのは、決断(笑)」とか、「日本を、取り戻す?w」とか、「今こそ、維新を(^_^;)」とか…おっとこんなこと書くと怒られそうだな。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.10

兼六園のヤマトタケル像の不思議

001 中さんがノーベル賞授賞式で緊張している頃、私は東京でちょっとした講演をしてきました。得意の「時間は未来から過去へと流れている」という時間論と、これも長くやってきた「モノ・コト論」を中心に要点のみ話させていただきました。
 ちょっとした講演ではありましたが、内容はこれからの日本の行く末を左右する重大な内容であったと思います。(イグ)ノーベル平和賞ものです(笑)。
 おかげさまで皆様に興味を持っていただき、話が出版やらシンポジウムやらに発展…さあ来年も面白いことになりそうです。
 私以外の講演者のお話も大変に面白かったのですが、詳細はまた別のところから別の形で発表されると思います。
 さて、そんなこんなで盛り上がった集会のテーマは「言向け和す(ことむけやはす)」でした。
 古事記にも出てくるこの古い言葉に、非暴力、無抵抗による紛争解決、平和実現の手段のヒントが隠されています。
 倭健命(大和武尊・ヤマトタケルノミコト)は、父である景行天皇に東征を命じられます。その時の手段が「言向け」と「和し」でした。西征がどちらかというと暴力的であったことから、古事記では対照的に言葉に代表される「コト」の力によって平和的に平定していったことを強調する記述になっています。
 その辺についての私の解釈は後日に譲るとしまして、帰り道でふと思い出したことがあったので記しておきます。
Imgres 実はですね、かの兼六園に、明治13年に建立されたヤマトタケルの銅像があるんですよ。それが、イグノーベル賞(化学賞)の受賞研究対象になったんですよね。2003年に金沢大学の廣瀬幸雄さんが受賞しました。「ハトに嫌われた銅像の化学的考察」という研究です。
 そう、この銅像、実に不思議なことに建立以来130年以上にわたって、全くといっていいほど鳥の糞害に合っていないのです。上野の西郷さんなんか糞だらけですよね。
 それを廣瀬さんはですね、ご自身が大学生として金沢大学に入学した時の、いわゆる新歓コンパの時に気づき、そして、30年近く経って金沢大学の先生となってその謎を解明したというのです。もうその時点でイグ・ノーベルですよね。
 で、なぜ、鳩などの鳥が近づかないのか…そう、実はこのヤマトタケルさんは、見事にまつろわぬ鳥どもを「言向け和し」ていたのです!
 なんでも成分分析したところ、普通の銅像よりもヒ素や鉛の含有量が多かったそうな。かと言って、ヒ素のような毒を察知して鳥が集まらないのではない。その微妙な異種金属の配合が、ある周波数の電磁波を発生させており、それがなんと鳥たちの嫌う波動であったということらしいのです。面白い。
 まさに、非暴力主義…いや、鳥たちにとっては暴力なのかも(笑)。
 まあ、とにかく鳥を傷つけることなく、また自分も汚れることがないという、ある種の平和な状況を作り出していることはたしかです。
 たしかに人間にも、人をよせつけないオーラというか波動を出している人、その逆の人、いろいろいますよね。波動とかいうと非科学的な感じがしますが、たしかにそういうものはある。今日もブレインストーミングの中で申し上げましたが、音楽や座禅をしていると、明らかにそういうことを体験できます。
 面白いですね。「コト」は言葉だけではありません。いろいろな意味、分野から「コト向け」と「和す」を考えていくと面白いでしょう。今日はそんなきっかけができた良い一日でした。皆さん、ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.09

小橋建太選手引退を宣言

2012121000000000spnavi0000view 日はプロレスファンとして一言…残念です。寂しい。
 なかなか言葉では言い表せませんね。小橋選手は私の人生に大きな影響を与え続けてきましたから。
 何回かお会いしてお話する機会もありました。年下ではありますが、本当に尊敬すべき人物でした。
 ここ数年は、腎臓がん、膝や腰や首の故障、最近では骨盤が割れてしまうというようなアクシデントにも襲われ、本当に満身創痍、命を張って「男の道」を体現していました。その姿は痛々しいほどでした。
 このブログで、小橋選手がタイトルになっている記事を列挙してみましょうか。

2005.07.18「小橋建太vs佐々木健介」

2006.06.30「祈快復…小橋建太選手」

2007.12.02「おめでとう!小橋建太546日ぶり復帰!(腎臓ガン克服)」

2008.01.27「小橋→茶道具→フォリア」

2011.06.13「三沢さん三回忌…小橋建太復帰宣言」

 ある意味においては、現代プロレスの象徴的な存在だったかもしれません。ラリアット、ムーンサルトプレス、危険な投げ技と受け身…。
 いわゆる四天王プロレスが、プロレス界の、そしてプロレスラー自身の命を削ってしまったのかもしれません。
 今日のノア両国大会はいろいろな意味で寂しさを感じざるを得ないものでした。生で観戦ということも考えていたのですが、たぶんあまりに哀しく寂しくなってしまいそうでやめました。行かなくて正解だったかもしれません。
 小橋選手の引退試合にはいろいろな心を抱えて行こうかと思っています。
 今は、お疲れ様、ありがとうとだけ言いたい。無理に引退試合をしなくてもいいとも思いますが、しかし、彼のことです、やはり最後燃え尽きて終わりたいのだと思います。
 上掲の記事の中にも書きました。これほど実直な人間性のプロレスラーは、世界広しと言えども小橋建太だけだと思います。スポーツや芸術の範疇を超えた、まさにプロレスならではの人間的魅力の体現、人生の体現…彼こそは現代のカリスマだったのかもしれません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.12.08

出口王仁三郎の「虎穴問答」

昭和10年12月8日の号外
Ms 日、こんなツイートをしました。

今日は歴史的特異日。成道会(お釈迦様がお悟りを開いた日)。第二次大本事件。真珠湾攻撃。力道山刺される。ジョン・レノン暗殺。もんじゅ事故。

 毎年この日は、特異日に関したことを書いています。今日は、第二次大本事件に関わることを書きましょう。
 日本史、いや世界史最大の宗教弾圧事件とも言われる第二次大本事件。その詳細については、ウィキペディアでどうぞ。とは言っても、歴史的にまだ評価が定まっていない、評価しきれていない事件ですので、よく分からないと思いますが。
 昭和天皇も決して口にしなかったと言われる出口王仁三郎の存在。かの戦争を含む日本近代史を考えるにあたって、決して避けて通ることができません。
 さて、今日はその大本事件で逮捕された王仁三郎が裁判で語った有名な「虎穴問答」を紹介します。王仁三郎は逮捕されてからも、そのスケールの大きな言動とユーモアで、裁判官や刑務官までをも魅了してしまったと言われています。
 この問答もいかにも彼らしい示唆に富む内容となっています。「愛と誇りが残る」…裁判長も思わず納得してしまったようです。
0107 結局、周囲の努力と様々なやりとりを経て、この昭和17年の控訴審では逆転無罪の判決が出ます。そして、王仁三郎らは仮釈放。「わしが出た日から日本の負けはじめや」との言葉のとおり、その日から米軍はガダルカナル島に上陸、日本は敗戦に向けて突き進んでいきます。
 ちなみに、禅問答に「人虎孔裡に墜つ」というものがあるかどうか確認できていません。ただ、皆さまも御存知のとおり、お釈迦様の教えに「捨身飼虎」というのがありますね。飢えている虎の親子に我が身を捧げるという「布施」の教えです。法隆寺の玉虫厨子の図でも有名です。
 まあ、それを題材とした公案として、「虎の穴に落ちたらどうだ?」みたいなものがあってもおかしくありませんが。
 それでは、高野綱雄裁判長と出口王仁三郎のやりとりをお読みください。これはある意味日本近現代史の分岐点となった問答でもあります。
 王仁三郎の雛型理論からすると、これは王仁三郎の問題、大本の問題ではなく、日本の世界の宇宙の問題なのかもしれません。そう考えると大本事件そのものの意味も、またその後の、空襲、原爆、敗戦の意味もまた違ってくるのです。

(判事が捏造した予審調書の内容を否定する王仁三郎に対して)

裁判長…それでは訊ねるが、この事件は結社の組織罪が問題になっていて、お前がその結社の首魁ということになっているのだよ。たとえ死んでも首魁のお前が結社を認めさえしなかったら、部下の被告等は助かったかも知れんじゃないか。自己を犠牲にしても人を助けるのが宗教家の本領じゃと私は思う。お前の答弁を聞いていると、自分が助かりたいために、部下を抱き落しにかけても構わぬというやり方のように聞えるが、それでも宗教家としてよいのか。

王仁三郎…裁判長、私の方から一寸お訊ねしたいのです。禅宗の間答に「人虎孔裡 (じんここうり) に墜つ」というて、一人の人間が虎の棲んでいる穴へ誤って落ち込んだと仮定して、その時落ち込んだ人はどうしたら好いのかという問答があります。裁判長あなたはこれをどうお考えになりますか。

裁判長…私は法律家で宗教家ではないから、そんなことは分らぬ。どういうことかね。

王仁三郎…人間より虎の方の力が強いから、逃げようと後を見せると、直ぐ跳びかかって来て噛み殺される。はむかって行ったらくわえて振られたらモウそれっきりです。ジッとしていても、そのうち虎が腹が減って来ると喰い殺されてしまう。どちらにしても助からないのです。

裁判長…それはそうだろうな。

王仁三郎…ところが、一つだけ生きる途があります。それは何かというと、喰われてはだめだ、こちらから喰わしてやらねばなりません。喰われたら後に何も残らんが、自分の方から喰わしてやれば後に愛と誇りとが残る。その愛と誇りを残すのが、宗教家としての生きる道だ、というのがこの問題の狙いなのです。

裁判長…その点はモウそれで宜しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.07

三陸沖アウターライズM7.3が発生(予測失敗の原因)

Detail20121207171858 きな被害がなくてよかった。これは、予想される、3.11の最大余震たるM8クラスのアウターライズ地震につながるものでしょう。
 気象庁の発表では、3.11当日以来2回目のアウターライズ地震ということになっていますが、私は今年3月14日の地震もアウターライズであると判断していましたので、3回目という認識でいます。
 アウターライズや最大余震については、その2012.3.14の記事に詳しく書いていますので、そちらをご覧ください。
 さて、今回の地震については、正直私は予測していませんでした。ツイッターで発信していた最新の予測は次のとおりでした。

(12/5)『11/28ボトムで+10ベクレルの山と見ることもできますね。そうすると来週の半ばから注意期間に入ります。関東北部・東北南部の中規模余震と考えられます』

 つまり結果としては、予測と比べると数日早い、そして大規模な発震となったということです。
 はっきり言って、これはグラフの読み間違いであったと思います。今となってみれば見落としです。今後の予測精度向上のために読み直しをしてみます。
 7月から今日までの富士山ラドン濃度グラフをご覧ください(click!)。

20121208_72630

 上記の予測は、あくまでも11/28を登山口とした最新の山だけを見たものでした。ですから、もしかすると、来週のなかば以降、その予測通り中規模余震が発生するかもしれません。
 問題は、その前の大きな山を無視してしまったことです。こんな基本的な間違いを起こすなんて、自分としても恥ずかしいし悔しい…忙しすぎたのかなあ。
 ご覧のように11/8の32ベクレルをピークに緩やかながら大きな山が築かれていました。30ベクレルを超えるのは5ヶ月ぶりのことでした。
 もちろんその時は東北余震を次のように予測していました。

(11/9)『28日の急上昇に対応する富士山50キロ圏内の小規模地震、その後の緩やかな上り坂に対応する東北の中規模余震の注意期間に入りました』

 しかし、それに対応するような規模の地震は発生しないまま(11/9の福島沖M5.5と11/16千葉東方沖M5.5のみ)、次の小山を築くことになりました。つまり空振りだったわけです。
 空振りだなあという認識はありましたが、そういうこともあるのかなと思いながら、ついつい次の小山に気を取られてしまったというのが実際のところです。
 結果としてはこの大きな山に対応したのが、今回のアウターライズM7.3であったということです。
 こうした間違いが起きた原因として、「登山口(ボトム)から2〜3週間後に発震する」という経験則にとらわれすぎたことが挙げられます。そこには妙な自信があったのも事実。
 よく言われるように、規模が大きな地震の前兆ほど長く続くというのは事実かもしれません。違う言い方をすると、大規模地震ほど前兆から時間を経て発生するということです。
 今後はこの経験を活かして、さらに予測の精度を上げたいと思います。「空振りは注意」ですね。
 これからもツイッターで毎日の富士山ラドン濃度を発信しますので、皆さまも予測にご協力ください。一人の目だと限界があることがよく分かりました。よろしくお願いします。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.12.06

サラダ味とは?

Imgres 員室のおやつとして、亀田製菓の「ソフトサラダ」が配られました(笑)。
 そこで思ったんですよね。「サラダ味」って全然サラダの味がしないなと。今まで何十年も疑問に思わなかった私も私ですね。いや、職員室の皆さんもよく分からないらしい。先生が世間知らずなのか?
 で、さっそく調べてみました。
 まずは「サラダ味」の亀田製菓株式会社を標榜する同社のホームページへ。おお、あるある。こちらをご覧ください。せっかくですから引用します。

 「サラダ味」の「サラダ」は「サラダ油」のことです。
「サラダ油」がまだ高価だった1960年代、サラダ油をからめて塩をまぶしたせんべいが作られました。その頃の時代の背景として、純日本風の「塩味」とするよりは洋風の「サラダ味」とした方がおしゃれではないかということで名付けられました。それまでのしょうゆ味のせんべいに比べて、斬新で高級感のあるイメージで人気を呼び、以後、米菓の定番の味として親しまれています。
補足ですが・・・サラダの語源はサラダ(SALAD)と言う言葉は英語ですが、その語源はラテン語の「SAL=塩」からきています。その昔、肉料理に付け合わせる新鮮な野菜に塩をかけて食べていた習慣に由来しているそうです。

 ということは、「サラダ味」の生みの親は、やはり亀田さんということですかね。
 続きまして、「サラダ味」で思い出す「プリッツ」のグリコさんのお宅を訪問してみましょう。こちらです。
 これも引用させていただきます。

お菓子業界では、サラダ油をかけて塩味をつけたものを「サラダ味」と呼んでいます。プリッツのサラダ味も、発売当初のお菓子業界の味のネーミングから「サラダ味」と付けました。ただ、菓子業界の一部では、塩のソルトから変じて「サラダ」になったという説もあります。

 ふむふむ、基本は似たような感じですね。「お菓子業界」と書いているところを見ると、自分たちは後発だという認識があるようですね。
 結局のところ、サラダ油と塩がからんでいることは確かなようです。「サラダ油で揚げて塩をまぶした味」=「サラダ味」で納得しましょう。
 ところでところで、その「サラダ油」ですが、なんで「サラダ油」なのか。
 これも調べてみるとなかなか面白いことが分かりました。
 だいたいですね、「サラダ油」という名称は日本にしかないらしいのです。英語で「Salad oil」は言わない。
 これも本家に聞いてみましょう。日清オイリオさんです。こちらをご覧ください。
 これもまた引用しましょう。

サラダ油の語源
日清オイリオでは大正13年に日本で最初に「日清サラダ油」という名前でサラダ油を販売しました。
当時日本では、食用油は主に揚げ物等に使っておりましたが、西洋では、生野菜に塩や酢を加えた食用油をいわゆるドレッシングのようにして食べていました。
サラダ油というのは、こうしたサラダ料理などに使う生でも使用できる食用油という意味です。生で召し上がっていただくので、より精製の度合いを高めた良質の食用油のことを特に「サラダ油」と名づけました。
ちなみに「あぶら」の語源は獣肉を炙るとでることからきたと言われ、火の上に“にくづき”を乗せて炙る(あぶる)と言う字になるわけです。

 なるほど〜。サラダ油も、そこから派生したサラダ味も、日本だけで通用する、いかにも日本らしい文化だということですね。
 ちなみに、ラテン語の塩「sal」から、「サラリー」という言葉も生まれました。古代ローマでは兵士に給与として「塩」が与えられたのだそうです。日本でも「敵に塩を送る」と言いますね。送ってもらったのは我が甲斐の国であります。
 塩は私たち現代人が考えるよりも大切なものだったのですね。そんなことを考えながら、ありがたく「ソフトサラダ」をいただきました。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.05

2012年ヒット商品番付…

20121206_61839_2

 日の日経新聞に「2012年ヒット商品番付」が載っておりました。
 ふむふむ、なんのことだか分からんものもあるぞ(笑)。
 ほとんど自分とは関わりがないなあ。商品として消費したものがない…。どんだけ浮世離れした生活してるんでしょうね。
 あえて言えば7インチタブレットかなあ。今年これを買いましたから。買って改造したあとは、娘のおもちゃになってますが。私は全然使っていません。
Tky201211280982_2 ちなみに、別の調査機関(三井住友銀行系)によるランキングは左のとおりです。まあ、あんまり変わりません…分からないという意味では。
 ヒット商品、それはすなわち時代を映す刹那的な流行…なのかというと、案外そうでもなかったりします。「ワイルドだぜ~」のような流行語とは違います(笑)。
 時代を変えるようなもの、その後も利用されるものも結構あるんじゃないかと思います。もちろん、デビューの年はヒットして特別にちやほやされるでしょうけれど、ちゃんと安定して定着するものもありますよね。
 スカイツリーとか東京駅とかもそうでしょう。東京駅はデビューというより、レストア、リバイバルですかね。山下達郎&ユーミンなんかも、デビューどころの騒ぎじゃないし(笑)。
 …となると、気になるのが過去のヒット商品じゃないでしょうか。まずは昨年を見てみましょう。
20121206_84423
 1位のスマホ、2位のFacebookは、今年も来年もヒットが続きそうな勢いですね。扇風機はどうなんでしょう。喉元過ぎれば「暑さ」忘れちゃったのでしょうか。ファンヒーターではない古典的なストーブもずいぶん売れましたが、今年はそうでもないようですね。
 さてさて、時間がないので、次はいきなり飛びます。10年前。
20121206_84602
 あれ?案外生き残ってるものが多いなあ。今年のよりは意味が分かる(笑)。ま、私の時計が10年遅れているのかもしれませんが。
 はたして、来年は何が番付入りするのでしょう。予想(予知)を書いてもいいのですが…やめときます。皆さんの楽しみを奪うことになりかねませんから。というか、実は全部分かっているんですが、今年以上に言葉の意味が分からないので(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.04

『ほんとうは強い日本』 田母神俊雄 (PHP新書)

9784569798721 母神さん、嫌いではありません。一度お見かけしましたが、あまりに笑顔がステキなのでビックリしてしまいました(笑)。
 福島のご出身なんですね。「田母神」という苗字、いいですよね。
 以前、五百旗頭・班目・菅(苗字考)という記事を書きました。そこにも福島が出てきましたっけ。
 まあ、エラい人というのは、変わった名前が多い。そこにも書いたとおり、私なんか苗字が「絵(象形文字)」ですからね(笑)。最もシンプルな苗字の一つでしょう。だからということはありませんが、私はいたって凡人です(え〜?という声が…)。
 変わった苗字というのは、やはりそれなりの家系であることが多い。やたらある苗字から奇人(優れているという意味です)が出るのは、まあ確率論的に普通のことですが、母数の少ない変わった苗字からそういう方が出るというのは、やはりそれなりの「血筋」というのがあるからでしょう。
 田母神氏は坂上田村麻呂の系統です。なんでも、田村麻呂の母親が郡山の出身なのだとか。それは伝説としましても、「田の母の神」というのは、いかにも古代の風情があって魅力的ですよね。
 強そうだし、優しそうだし、豊かな感じがします。瑞穂の国を守るというイメージ。
 そんな「田母神」さんは、やはり人一倍「愛国心」の強い方です。
 国に対する愛情が強すぎるのか、やや発言が偏ることがありますが、まあ、ネイティヴな神様はそのくらいじゃないと。
 ですから、私は田母神さんの発言や文章は、普通の人間のそれだとは思わないようにしています(笑)。神様からのお示しであると。それを人間として、国民として実行するかどうかは、また別問題。
 昨日、福島のお酒をおススメしました。そこで私なりの「放射線」に対する「思い」を書きました。田母神さんは神様ですから、私なんかよりもはっきりと「放射線恐るべからず」と断言しています。
 福島県の出身者でそこまで言う方はなかなかいないと思います。ある意味では、福島を離れられない人たちを励ましているとも言えますから、やはり神的な発言なのでしょう。
 「まるで平成のアウシュビッツ強制移住だ」
 私はこういうことを言うエラい人も必要だと思います。昨日も書いたように、私たちの遺伝子は「思い」や「祈り」や「言葉」によってその耐性や可塑性が変化するのです。まさにそういう「神の言葉」によって良き未来を切り開いてきたのが「言霊幸ふ国」日本だったはずです。
 と言いつつ、後半の国防論になりますと、これはまたずいぶんと強気な「国津神」という感じの論調になり、私のような凡人、愚民にはちょいとついていけない感じになりますが。
 しかしですね、この前も書いたように、保守でも革新でも、タカでもハトでも、右でも左でも、とにかくいろんなエラい人がちゃんとした言葉を放り投げればいいと思うんですよ。日本はもともと八百万の神々の国です。「神の国」というと問題があるようですけど、「八百万の神々の国」ならいいじゃないですか。
 その考えに従えば、私たち一人ひとりも神ですし、海も山も木々も石ころもスマホも、み〜んな神ということで平等ですから。いろいろな個性、主張があって、最終的に「日本」というカラーが出来上がれば、それでいいと思います。

Amazon ほんとうは強い日本

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.12.03

『谷の越 純米吟醸酒』 (白河銘醸)

S んで応援。福島のお酒をまとめ買いしました。
 私は低線量なら放射線は健康にいいと思っています。これはまさに「思っています」ということであって、なんら科学的根拠があるわけではありません。
 あえて言うなら、遺伝子工学の権威村上和雄さんのおっしゃるように、人間の意思、心、感情、祈りというものが遺伝子レベルに働きかける、あるいは「言霊」というものがあって、考え(発言)が未来を変えうるという、そういう「思い」に立脚している生き方です。
 生物の進化は、偶然の突然変異と必然の自然淘汰ではやはり説明しきれません。なんらかの意思、意志があって、方向性が決定していくものだと思います。
 その突然変異に放射線が強く関わっているというのも象徴的ですね。歴史上これだけ超自然的な被爆や被曝の体験を積んでいる国は日本しかないでしょう。そこにプラスの意味も見出したいのです。
 ある種の開き直りでもありますし、科学の世界からはトンデモ扱いされて当然ですが、私はもうこうなった以上、プラス思考するしかないと考えています。
 もちろん、必要以上に放射線を浴びる必要はありませんから、いろいろな対策をおろそかにしていいというわけではありません。ただ、必要以上に恐怖したり忌避したりしなくていいという姿勢です。根本的には放射線も「自然」なのですから。
 さてさて、実際のところ、このお酒を飲む時は、あんまり放射線のことなんか考えていません。なにしろ、安くておいしいので、もうそれだけで満足なのです。
 日本酒の消費量の多い我が家では、今までも、各種紙パック日本酒を試してきました。だいたいが「米だけの酒」系統です。
 ご存知のように「米だけの酒」という言葉は、イメージ的に使われているというよりも、精米歩合や原料の関係で「純米酒」という言葉が使えないからという理由が第一にあります。
 それでも、「米だけの酒」の紙パックは1升1000円前後と格安であり、醸造用アルコールが苦手な私にとっては非常に助かる商品であったわけです。味もそれなりですし。
 そんな中、この「純米吟醸紙パック酒」はまさに「神パック」(笑)。法的に「純米吟醸」と称するには、いろいろな条件をクリアしなければなりません。
 「精米歩合60%以下の白米、米麹、水を原料として製造され、固有の香味(吟醸香)を帯び、色沢が良好なもの」
 つまり、この「谷の越 純米吟醸酒」は、これらの条件をクリアしつつ、1.8lで1000円を切っているわけです!
 日本酒好き、それも「純米吟醸」ファンの私としては、こんな嬉しいことはありません。
 というわけでは、一気に12パック購入しました。たぶん、これで半年くらいは持つでしょう(1日1合弱しか飲まないので)。素晴らしい。
 さっそく飲んでみました。味はどうでしょう。
 非常にあっさりした淡麗辛口のお酒です。それなりのお値段の純米吟醸とは比べるまでもありませんけれども、しかし、それなりに「純米吟醸」の風情があります。明らかに「米だけの酒」とは一線を画しいる。
 フルーティーさが足りない、すなわち、「固有の香味(吟醸香)」がイマイチと言えばイマイチですが、お値段のことを考えれば、そこは目を…いや鼻をつぶりましょう。舌の上の感触は充分に吟醸風ですから。
 非常にあっさりしているので、飽きがこないというのもいいところ。個性の強いお酒もたまにはいいのですが、毎日の晩酌となるとちょっとね。
 そんなわけで、これは私の定番酒となりそうです。それなりのビンに詰め替えれば、またそれ風になるでしょう。やってみよう。
 ぜひ皆さんも飲んで福島を応援してください。

【2ケースまとめ買い】【福島県】 谷の越 純米吟醸酒 1800mlパック×2ケース(12本) 【佐川...

白河銘醸株式会社

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.02

笹子トンネル崩落事故と地震の関係

Detail20121201120048 変な事故が起きてしまいました。
 山梨県民としては身近なトンネルではありますが、私はあそこのコースを走るのが生理的に嫌いで、せいぜい年に1回か2回、職場から急ぎで甲府に行く時に「急がば回れ」で通るくらいでした。
 トンネルの前後の急坂や急カーブが嫌なんですよね。中央道は全体にそういう高速道路ですけれども、特にあそこはあまり好きになれない。
 そんな峠のトンネルではありましたが、こんな大事故が起きるなんて想像すらしませんでした。
 原因の究明はこれからということになりましょう。しかし、私が一つ気にかかるのは、前日の正午に道志川断層震源の震度1の地震があったことです。
 地震の巣「道志」のいつもの地震と言えばいつもの地震ではありましたが、こちらをご覧になるとお分かりのように、いつもと深さが違ったので印象に残っていたのです。
 道志の地震に慣れっこになっている私は、その揺れ方で「ああ道志だ」と分かるほどになっています。しかし、昨日の正午の揺れはちょっと違った。もう少し遠いところかなと思ったのです。
 それと今回の崩落事故が直接結びつくかどうかは分かりません。ただ、崩落への最後のひと押し(トリガー)になった可能性は捨て切れないと思います。
 調査が進んでも、これはなかなか証明できないでしょう。しかし、かの東日本大震災以来2年近く、トンネルの構造物は数え切れない、様々な揺れを体験してきました。
 そうした中で、アンカーボルトとコンクリートの摩擦抵抗に変化が起きることは容易に想像できます。また、建設以来36年という年月のことを考えると、そもそも構造物としての鉄とコンクリートに劣化が進んでいたと考えられます。
 笹子トンネルは難工事でした。もともと湧水の多い山を掘るということで、それなりの対策は立てられていたようですが、実際には予想以上の湧水(毎分6トンとも)に悩まされました。だいたい山梨県のトンネル工事は水との戦いですね。
 水が出るということは、そこが破砕帯である証拠です。断層がずれた際に岩石が破砕されて、水が流れる空間ができるのです。
 すなわち笹子トンネルは、かつて活動した断層を横切って掘られたということになります。断層というと、そこで地震が発生すると考えがちですが、ある意味では地震の痕跡とも言えます。それが繰り返し動き、これからもその可能性があるものが活断層であるというわけです。
 いずれにせよ、そうした環境に無理やり掘られた穴なわけですから、水が出やすく、また地盤も動きやすいのは事実です。当然ボルトやコンクリートは水や歪みの影響で劣化が進みます。
 そこに大地震による長周期地震動、誘発地震や道志の地震による様々な震動が重なり、今回の崩落へじわじわと近づいてきていたと考えられそうです。
 そして、昨日の道志震源の震動、それもいつもと違いやや深い所で発生した微妙な周期の震動によって、想定外の共振現象などが発生し、最悪の結果を生んでしまった…。
 そういう意味では、大地震による被害の一つと言えなくもありません。
 震災以降、各所で巨大構造物の調査点検が行われたと思いますが、「異常なし」というのは現実には絶対にありえない。何も起きていないことはありえないのです。
 特に「吊り下げ構造」については、再点検、そして補強が必要でしょう。
 私たち人間の技術力がいかに進歩向上しても、あくまでそれは自然相手のこと。技術も技術の産物も経年劣化しますし、それを取り囲む自然環境は常に想定外のダイナミズムを持っています。
 選挙で原発問題が争点の一つになっていますが、こういう事故を目の当たりにすると、とてもとても核エネルギーに対して「絶対安全、安心」なんて言えるはずがないと確信してしまいますね。
 犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.12.01

「大地讃頌」(カンタータ「土の歌」より)と封印された最終楽章

 日は忙しかった。人前でたくさんしゃべったなあ。
 午前中は高校のオープンスクールで中学生とその保護者の方々に、午後は中学の説明会で小学生とその保護者の方々に、そして、夜は…。
 夜は地元のコーラス団体のファミリーコンサートがありまして、その団体にはカミさんや友人、同僚や教え子などが所属していることもあって、聴きに行くことにしました。
 それがまた実に良かったのです。昨年も感動し、私の音楽観を一変させてしまうような演奏会だったのですが、今年はそれにも増して素晴らしかった。技術論など軽く吹き飛ばしてしまうほど、魅力的な「音楽」体験でした。
 うん、いろいろな音楽に接してきましたが、これはやはり特別だなあ。音楽に「心」がいかに大切か、合奏や合唱の魂というか、ホント音程とか解釈とか、そんなことはどうでもいい(わけではないけれども)という次元の感動、アマチュア音楽の神髄というべきものがそこにありました。
 で、私はただの聴衆であったはずなのに、なぜか演奏会の最後にコメントを迫られまして(笑)、3時間半に及ぶ感動的な音楽会のシメをしなくてはならなくなりました。
 そこで、一言正直に感じたことを語らせていただきました。そう、この大地讃頌を聴きながら、ふと思ったことがあったのです。
 「もしかすると『歌』があるのは宇宙でこの地球だけかもしれない。そんな奇跡の星に生まれて良かった」
 おおげさとかカッコつけではなく、本当にそう思えたのです。それほど魂動かされる「歌」を聴いたのですね。本当に感謝です。
 実を言いますと、私自身は教員になるまで、この「大地讃頌」を知りませんでした。私は東京と静岡で中学時代を過ごしましたが、合唱の文化があまりなく、この歌も歌ったことがなかった。しかし、山梨では伝統的に中学校で頻繁に歌われており、生徒たちのみならず、親御さんたちにとっても共通の文化として歌い継がれています。
 そう、フジファブリックの市民会館凱旋ライヴのオープニングも、志村くんたちの歌う下吉田中学校の大地讃頌でしたね。そんなところにも「伝統文化」としての大地讃頌の存在がうかがえます。
 さて、この名曲「大地讃頌」、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、カンタータの最終楽章なんですよね。
 佐藤眞作曲のカンタータ「土の歌」は1962年の作品。上の動画はそのオリジナル・バージョン、すなわちオーケストラと混声合唱で演奏されています。
 今ではあのピアノ伴奏バージョンがあまりに有名になっていますけれども、こちらの方がやはり美しいし感動的ですね。オーケストレーションもなかなか見事です。
 そして当然、カンタータ全体を聴いた方がよりこの曲の価値を味わうことができます。上の動画から全楽章を聴くことができますので、ぜひ。
 そうしますと、原爆、水爆、核実験、そして科学の暴走や人間の愚かさを扱った作品だとういことが分かりますね。そういう時代性も理解した方がいいと思います。
 今日の音楽会でもその点に触れられていました。死の灰による汚染、天地の怒り(天災)ということから、昨年の大震災や原発事故を思い起こさせると。そのとおりだと思います。
 そしてそして…意外に知られていない事実ですが、この大地讃頌は実は最終楽章ではない!?
 「天地の怒り」、「地上の祈り」、そして「大地讃頌」で反省した人類に大地の女神が降臨するが、その女神がなんと人類を全て食い尽くし、人類がいなくなってようやく大地(地球)に真の平和が訪れる…。
 う~む、これはすごい。作詞者の大木惇夫さんと佐藤さんはそこまで想定していようです。ここにも時代性を感じますね。そう、あの時代は封印作品の時代でもあります。
 お二人は必要な時が来たら、本当の最終楽章を開封するとお考えだったとのこと。はたしてそんな時が来てしまうのか。大木さんが亡くなった今となっては、それは永遠に封印されることになるのか、それとも…。
 そんなことを思いながら、現在の最終楽章「大地讃頌」を歌ってみるのもいいのではないでしょうか。
 最後に、佐藤眞さん自身による「大地讃頌」論、なかなか興味深い。編曲、移調、著作権の話など、なるほどと思える内容です。こちらでどうぞお読みください。
 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »