教育は個性の戦争…折口信夫
「私は、教育家の口から、児童生徒の個性尊重の話を聞く度に、今日の教育の救はれないものに成つた理由を痛感します」(折口信夫)
過去の偉人、賢人に学ぶことは、彼らの思い描いた未来を学ぶことである。なぜなら、偉人、賢人の条件とは、未来を正しく想像し創造していくことができることですから。
そうした先哲のちょっとした言葉に耳を傾けるのに、「青空文庫」は最高の場ですね。あそこにあるのは著作権の切れたテキスト。すなわち「昔の偉い人」の言葉ですから。
というわけで、今日は尊敬する民俗学者・国文学者、そして歌人釈迢空であった折口信夫(おりぐちしのぶ)の文章を読んでみました。
「新しい国語教育の方角」という短文です。大正14年に書かれた文章ですが、どうでしょう。冒頭に挙げた言葉、私が言ってることと同じじゃないですか(笑)。というか、まさに現代の教育問題を予知していたようです…ではなく、実際にはこういう現代的問題、ある種の西洋化というのは、もう大正時代にはずいぶんと進行していたということですね。
それにしても、「強い言ひ表し方をすれば、教育は、個性を以つて個性を征服するところに、真の意義があるのです。謂はゞ、個性の戦争であるのです」とはよくぞ言ってくれたものです。さすがに教育に関する過激発言が時々あるワタクシでもこうは言えませんな。
しかし、これはよく分かります。のびのび個性を伸ばすというような教育は、実際にはなんの教育もしていないことが多い。近くにもそういう教育機関があります。
ウチは違いますよ。のびのびしているように見えますが、実際にはかなりの強度で征服行為に及んでいます。そして、その結果として本物の個性がのびのび出てくる。たとえは悪いけれども…外見はみんな同じ鯛焼きだが、ギュッと押してみたら、中からあんこだけでなく、チョコやチーズやクリームが出てくるような…すみません、折口さんとはエラい違いの下卑た比喩で(苦笑)。
ま、とにかくですね、子どもの個性なんか、多少の強制や征服や洗脳程度ではつぶれたり、なくなったりしません。
禅の修行なんか、その際たるものです。全て形式にあてはめ、自己を捨てていくと、なぜかそこに世界に匹敵する(自他不二である)自分の個性が浮かび上がってくるんですよ。
というわけで、この文の第二章の部分だけここにも掲載しておきましょう。教育に興味のある方はぜひ読んでみてください。
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