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2012.11.23

文化とは、教育とは…文化祭(葵江祭)無事終了!

↓夜遅くまで続いた練習風景
20121125_121604 が中学校の文化祭である「葵江祭」が盛会のうちに無事終了しました。
 たった68人の全校生徒で作り上げた、盛りだくさんの6時間。楽器演奏、演劇、ダンス、太鼓、御神楽、シルエットアート、コント、スピーチ、能楽、合唱…。
 本当に感動感動の連続で、最後の私の講評では感激のあまり思わず嗚咽してしまいました。
 そこでお話させていただいたことを中心に記しておきます。「文化」や「教育」の本来の姿がここにあると感じましたので。
 今日勤労感謝の日は、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、古くは「新嘗祭」の日として意識されていました。新嘗祭…今年とれた新米を初めていただく日ですね。
 今日、生徒たちは、お昼の時間におにぎりを食べていました。そのお米は、3年生が今年田植えをし、手入れをして、収穫(稲刈り)をしたそのお米です。
 そのお米は、たった一つの種籾が、土と水と光と人々の作業と、そしてみんなの祈りによって、1000倍近く増え、自然の恵みとして私たちに与えられます。そうした自然の不思議な恵みに感謝する日こそ、新嘗祭であり、勤労感謝の日なのです。
 今日の生徒たちを見ていて、彼らもまた、自然と全く一緒だなと思いました。
 両親や兄弟、おじゃいちゃんやおばあちゃん、地域の方々、友人、そして文化祭にあたっていろいろな形で指導にあたってくださった関係者の皆様の(私たち教師も含まれるでしょうか)「愛情」が、生徒にとっての土となり、水となり、光となり、風となり、そしてそこに献身的な「手入れ」と「祈り」が加わって、見事な実りの日を迎え、このような素晴らしい文化祭を成功させることができたのです。
 これこそ、まさに「文化」だと思います。文化=cultureとは、耕す=cultivateから生まれた言葉です。言うまでもなく農業=agricultureは土(agri)を耕すという意味ですね。
 夏に「教育は農業に似ている」という記事を書きました。あるいは少し前に羽仁もと子「たましいの教育」という文章を紹介しました。それらにあるように、教育には一種の宗教性(祈り)が必要です。
 昨日の佐藤優さんの本で言うなら、「実念論」「インテリジェンス」に相当するでしょうか。データや言語だけでは把捉し得ない「何か」を信じて動くしかない場合があるのです。
 それは理屈ではなく、たとえば農作業という自然との関わりの中から学ぶことができますし、私の話のように自然と人間の間にアナロジーを感じて、一つの物語として語ることもできる。
 もちろん点数や成績だけ、暗記や計算だけが学校ではありません。一人ひとりの個性や可能性が時に融合し、化学反応を起こし、想定外のモノが生まれる現場。逆に想定外のアクシデントや衝突や失敗のあるところでもあります。それ全ての総合体が、生きた学校だと思います。
 そう、結局、人間(特に子ども)は自然なのです。だから、自然から学び、自然と同じように「育てる」ことが大切なのです。そして、それが連綿と受け継がれる。それこそが「文化」であり「教育」なのです。
 祈っていると、信じていると、本当に奇跡は起きるのですね。子どもたちはたくさんの奇跡を起こしてくれました。実際に観て下さった方々には、それが充分伝わったものと思います。
 「可能性を輝きに変える」…理事長先生がお考えになったこの本校のスローガンの意味が、今日本当に理解できたような気がしました。子どもたちはじめ、本当に皆さんに感謝です。ありがとうございました。お疲れ様でした。

(地元の方々には12/1の正午と午後8時からCATVでその一部をご覧いただけます)

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