学校選び=結婚(?)
先週の土曜日、来年度の生徒募集に向けての説明会を行いました。予想以上にたくさんの方々においでいただき、私たちの教育方針をしっかり理解していただける良い機会になったと思っています。
ちょうど田中眞紀子文部科学大臣による暴挙があったその翌日ですね。いろいろな思いを胸にずいぶんと饒舌に語ってしまったかもしれません。
あの記事にいくつかコメントをいただきました。それはそれぞれの立場や考えですから、特に議論すべきものとも思いませんが、逆に、私は私学の教員という立場を譲るわけにはいきません。実際の子どもたちと、それに連続する見知らぬ子どもたちへの想像力を失ってしまっては、私たちは教員を続けられません。
私たち教育者、特に私学人のほとんどは、本当に命懸けで子どもたちを教え育てています。もちろん、教育を食い物にする人たち、商売として学校を経営する人たち、誤った理念で教育を施す人たちが(身近にも)いるのは事実であり、それはそれで糾弾されて当然であると考えますが、そうでない、高い志と理念のもとに、まさに身銭を削り、心血注いで教育にいそしんでいる私学人もたくさんいることも知ってほしいと思います。
現在、我が校のような中高一貫私立学校は、非常なる苦境に立たされています。義務教育の中学はもとより、公立高校にまで無償化が拡がり、今や公立と私立の授業料の格差は無限大倍になってしまいました。
もちろん私学にも、国や県から各種補助金等として、それなりの税金が投入されていることは事実ですが、その額は諸外国と比べてもかなり低く(その中でも特に本県は低い)、どこも財政的にギリギリの状況で経営をしています。
日本の教育史を語る時、寺子屋に始まる私学の功績は言うまでもなく大です。私学が持ち得る独立性や個性的な教育理念と実践、そして宗教教育をも含んだ総合的な人間教育、競争の精神による活力や向上心、入れ替わりの少ないスタッフによる継続的な教育活動は、公立にはなかなか真似できないでしょう。
先日、ある作家の方が講演の中で、「日本の学校は全て私学にすべきである」というようなことをおっしゃっていました。ま、それは極論としても、最近の公立事情(ウチのカミさんは現在公立中学の教員です)を見聞きすると、そういう方向性で国家の根幹たる教育を立て直していくというのもありかなと思ってしまいます(公立の問題は、それぞれの教員の資質や能力という問題ではなく、もっと大きなスケールでの問題です)。
さてさて今日は、説明会でお話した内容のうち、ある意味一番重いネタを紹介しましょう。
「学校選び」は人生を決める大切な決断です。基本的にやり直しがきかないという意味でも「結婚」と同じくらいの重みがあるかもしれません。
そこで、「学校選び=結婚(?)」として、両方に共通する「選択」と「決断」のポイントを紹介します。
説明会では、いつも最後にこの話をします。本校の宣伝ということではなく、縁あって出会った皆さんの幸福を願って、このようなアドバイスを贈らせていただいています。
・選ぶ前には、とことん相手を知る努力をしましょう。
・外見にとらわれない方が得策です。
・ほかに目を向けて比較することも大切です。
・とにかく、相手のいいところを探しましょう。
・また、自分がその相手に何をしてあげられるかを考えましょう。
・なにごとにも相性ってありますね。
・決めたあとは、「後悔をしない」努力を。
・実際の生活が始まったら、理想と現実とのギャップは当たり前。
・まずはお互いの悪いところには目をつぶりましょう。
・ケンカをせず、ゆっくりお互いの意見を交換したいですね。
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コメント
学校選びに失敗したところで人生狂ったりしませんよ。
受験に失敗したところで、実際に行くべき学校が突然無くなったところで、それが何だというのですか?
「死を宣告されたも同然」なんて、そう言う方が軽々しいでしょ?
そもそも結婚なんてしなくたって大丈夫。しても駄目なら別れりゃいいんです。相手に先立たれようが、自分が病気になろうが、生きてるうちは生きて行くしか無いんですよ。
決して学校や教育、そこに従事する方々を軽んじて言っているわけではありませんよ。教師は聖職だと思っていますし。でもですね、なんだか世界が狭すぎますよ。
投稿: LUKE | 2012.11.06 12:56