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2012.11.12

予言歌?…出口王仁三郎

Seishisama 日の続きとも言えましょう。先人の未来を臨むすぐれた能力に学びましょう(忙しいので)。
 昨日の折口信夫の教育論は大正14年のもの。今日の出口王仁三郎の長歌は大正11年です。
 まるで現代、平成のまさに今の世の中のことを書いているようですね。人心の乱れ、家族の崩壊、政治の混乱、国家の危機、そして天変地異…。
 これは、決して王仁三郎が予言者だったということではなく、当時すでにこういう傾向が現れ始めていたということですね。言うなれば、日本の西洋化です(と言うと西洋人は怒りますが)。
 そして賢人、偉人は、そういう未来につながる現象に敏感なんですよね。特に、一般人がいいものだ、新しいものだと思って飛びついて酔っている物事に対して、時間軸を俯瞰して本質的な指摘、論議ができるんですよね。だから時代を超える。
 そういう意味では、やはり出口王仁三郎は宗教家、予言者というよりも、思想化、哲学者、そして芸術家だったと言えそうです。
 この歌は王仁三郎の霊界物語の第39巻「舎身活躍」寅の巻の冒頭にある序歌です。最後は「本来の神」を思い出し祈ることによって世は救われると語っています。先日の「ブッダ真理のことば」のところに書いたように、神仏とは「比喩」であって、我々が求めなければならないのは、その向こう側にある「真理」なのでしょう。
 だから、王仁三郎は「宗教がなくなる」ことを理想として活動したのでしょう。
 なお、下記のテキストは、ワタクシの同志の運営する霊界物語ネット「レモン(ReMoN)」から拝借いたしました。

八岐大蛇やまたをろち醜狐しこぎつね
曲鬼まがおに探女さぐめはびこれる
暗黒無道あんこくぶだうなか
仁義じんぎ道徳だうとくかげ
常世とこよやみごとなり
ひとこころすさ
世道せだうつき頽廃たいはい
親子おやこうとんじにら
兄弟けいていたがひ相鬩あひせめ
親戚しんせきあらそ相離あひはな
朋友ほういうしん忘却ばうきやく
各自たがひ悪罵嘲笑あくばてうせう
上下しやうかつね反目はんもく
意志いし疎隔そかくおそろしく
紛擾ふんぜうゆるひま
資本家しほんか労働者らうどうしや相対あひたい
のうしやうこう振起しんきせず
不景気風ふけいきかぜまく
官民くわんみんたがひいやしみて
政令せいれいまつたおこなへず
主僕しゆぼく疎遠そゑんおちいりて
国家こくか社会しやくわい刻々こくこく
危機ききひんしつ諸々もろもろ
譎詐きつさ曲業まがわざとき
暴戻ばうれいさかんおこなはる
忠誠ちうせい人士じんし足曳あしびき
やまかくろひひそ
かしらをもたぐるとき
奸邪かんじや天下てんか跳梁てうりやう
まことかみでず
みだつたる娑婆しやば世界せかい
挽回ばんくわいすべきよし
医学いがく衛生えいせい完備くわんびして
悪疫あくえき益々ますます蔓延まんえん
交通機関かうつうきくわん完備くわんびして
有無うむつうずるのみちもなし
国家こくか富力ふりよく増進ぞうしん
しかして饑餓きが人々ひとびと
かしら刻々こくこくせま
法警はふけいなるにしたがひて
殺傷さつしやうしきりにおこなはれ
生産せいさん倍々ますます夥多くわたにして
物価ぶつか時々じじ凋落てうらく
輸入ゆにふ超過てうくわ惨状さんじやう
まつたくそのうしなひぬ
国庫こくこやうやく窮乏きうばふ
兌換だくわん借款しやくくわん滔々たうたう
経済界けいざいかいあやふくし
国防こくばうなるにしたがひて
国辱こくじよくしきりにおこるあり
高貴かうきぞくしたしみて
卑賤ひせん倍々ますます僣上せんじやう
富豪ふがう階級かいきふおしなべて
みな文弱ぶんじやく流落りうらく
淫酒いんしゆよくあさりつつ
社会しやくわいけが
貧弱ひんじやくいよいよ窮乏きうばふ
怨嗟ゑんさこゑいやたか
都会とくわいめる人々ひとびと
安逸あんいつ快楽けらくまり
奢侈しやしかぎ増長ぞうちよう
田舎ゐなか都会とくわいふう
淳朴じゆんぼくはら
学者がくしや偏狭陋劣へんけふろうれつ
怪論迷説くわいろんめいせつあひひさぎ
宗教しうけう宣布せんぷ従事じうじする
僧侶そうりよ教義けうぎ曲解きよくかい
宗祖しうそ教旨けうしほろぼして
品行ひんこうつき堕落だらくしつ
精神界せいしんかい攪乱かくらん
武人ぶじんぜに愛着あいちやく
士道しだうまつたすた
商賈しやうこ謀計ぼうけいこととなし
信用しんようまつたちぬ
青壮年せいさうねん悪風あくふう
眩惑げんわくなら
きそうてハイカラのみこの
良家りやうか子女しぢよ学校がくかう
かよひながらもてふごと
紅白粉べにおしろい塗立ぬりたてて
淫靡いんびかぜすさ
不良ふりやう少年せうねん続出ぞくしゆつ
社会しやくわい秩序ちつじよ混乱こんらん
拾収しふしうすべからずなりてぬ
賢母けんぼ良妻りやうさいいへ
蓄妾ちくせふつね逸楽いつらく
芸妓屋げいぎや娼妓屋しやうぎや繁昌はんじやう
良家りやうか益々ますます相寂あひさび
国家こくか元老げんらうはただすらに
老後らうごいそ勢力せいりよく
あらそ乾児こぶん相募あひつの
政客せいかくけんもてあそ
党弊たうへい擁護ようご余念よねんなく
神聖しんせい無垢むく議事堂ぎじだう
禽獣きんじうさけへび
雲助輩くもすけはい行動かうどう
演出えんしゆつするこそ慷慨うたてけれ
国家こくか選良せんりやう大切たいせつ
国議こくぎ軽視けいし侮辱ぶじよくして
喧々囂々けんけんがうがう市場しぢやうごと
国帑こくどみだり浪費らうひして
たみ負担ふたんおも
賦課ふくわ益々ますますだいとなり
国家こくか破産はさんちよひら
まなこてんじてながむれば
外侮ぐわいぶしきりに相到あひいた
国交こくかう益々ますます非運ひうんなり
ひと思想しさう悪化あくくわして
噴火山上ふんくわさんじやうにあるごと
いつ爆発ばくはつはかられず
これをばおもかれおも
碌々ろくろくねむられず
なみだ腮辺しへん滂沱ばうだたり
古今ここん未曾有みぞうのこの惨状さんじやう
すくひてまつかみ
ひらかむためのかみみち
てさせたまひしたふとさよ
あゝ惟神かむながら々々かむながら
御霊みたまさちはへましまして
五逆十悪ごぎやくじふあく濁世にごりよ
まことかみあらはれて
をさたまはるときはいつ
松間まつまながつるくび
かめよはひ常久とことは
まもらせたまへとりまつる
天地てんちかみさか
風伯ふうはくいかりを相発あひはつ
颱風たいふうしばしば到来たうらい
雷電らいでんひらめき激怒げきどして
天津御空あまつみそらわた
水神すゐじんたちまち嚇怒くわくどして
水難すゐなんしきりに続発ぞくはつ
海神かいじん怒濤どたうおこ
地上ちじやう蒼生さうせいあら
大地だいちかみ旱魃かんばつ
もたらし地疫ちえきはらひまし
地震ぢしんかみ地軸ちぢくをば
時々じじ動揺どうえうたまひつ
けがれし家屋かをく焼倒やきたふ
火竜くわりう紅蓮ぐれんした
地上ちじやう汚穢をゑつく
軍神ぐんしんいかりて天賊てんぞく
地妖ちえうくま鏖殺おうさつ
きよたまふぞかしこけれ
かみめぐみさちはひて
天来未知てんらいみち大偉人だいゐじん
あらはれきた天地あめつち
ももけがれ潔斎けつさい
まことみちにかなひしと
かみえらまれふせたる
たみをば常永とはすくひまし
五六七みろく御代みよとなるなれば
ここにはじめて天国てんごく
地上ちじやう芽出度めでたく顕現けんげん
無上むじやう至楽しらくとならむ
邪神じやしんこら善神ぜんしん
すくはせたま御経綸ごけいりん
ふもかしこかぎなり
これぞまつた皇神すめかみ
吾等われらたまひし御遺訓ごゐくん
万代よろづよまず皇神すめかみ
神訓しんくんれさせたまへども
世人よびとこころいやくも
神意しんいかいするものも
大義たいぎぼつ名分めいぶん
さとらざるものばかりなり
皇大神すめおほかみなげ
かみをしへたま
世人よびとみちびすくはむと
あや聖地せいちれまして
皇道本義くわうだうほんぎたま
たふととはなりにけり
かみ御綱みつなかれつつ
ひと押並おしなべて
この御教みをしへ遵奉じゆんぽう
模範もはん世界せかいしめしなば
ひと次第しだい善良ぜんりやう
身魂みたまりてのために
つく真人まびととなりぬべし
さすればかみよろこばし
自然しぜん天地てんちきよまりて
五風十雨ごふうじふう順序ついでよく
日月じつげつならかがやきて
万民ばんみん歓喜くわんきあめ
草木くさきみどり禽鳥きんてう
かみ御国みくに泰平たいへい
うたひてかみ御恵みめぐみ
よくする御代みよとなりぬべし
あゝ惟神かむながら々々かむながら
神代かみよとほ物語ものがたり
舎身活躍しやしんくわつやくとらまき
序文じよぶんへてつる。
大正十一年十月廿日

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コメント

「この世はまさに
 立て直しを
 必要としています。」

投稿: 合唱おじさん | 2012.11.13 22:28

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