過去と結婚して未来を生む(短歌・ジャズ・プロレスに思う)
今日はいろいろ考えたなあ。考えさせられたという方が正しい表現か。
いろいろ考えさせられたけれど、なかなか結論は出ません。しかし、今考えていることが、なにかことの本質に迫るために大切なもののような気がしています。
だから、個人的な備忘という意味も含めて、ここに思索の断片を記しておきたいと思います。
昨日の記事に書いた藤巻亮太くんのソロ活動のことから、いろいろと頭を巡るものがあります。
未来を切り拓くために過去をどう扱えばよいか。時間の流れの問題と絡めて、過去の意味と価値をどう考えるかということですね。
つまり、時間が未来から流れてきているとすると、過去は単なる情報に過ぎず、直接現在や未来の「因」にはなりえないという点についてです。
過去自体は変えられない(過去の解釈はいくらでも変えられますが)、そういう意味で、今日のテーマというか、ある意味厄介な相手だったのは「温故知新」という言葉です。
今日は午前中、短歌をいくつか作りました。お誘いいただいて、最近「未来短歌会」に入会しました。別の歌会も含めまして、月に10くらいの歌を詠まなければなりません。
私は高校時代「和歌」に憧れて、ずいぶんたくさんの「相聞歌」を作りましたが(笑)、それ以来全くやっていませんでした。それがひょんなことから(いや運命的に)2年前から突然「歌人」への復活を遂げることになり、そして現在に至っています。
やってみると、それなりに自分の経験(たとえばこのブログを綴ることなど)が役に立ち、たしかに産みの苦しみはあれど、しかしアマチュアであるからこその気楽さからか、それとも元々の非苦労性なのか、とにかくけっこう楽しいのですね。
で、私は和歌についてはそれなりに読んで詠んできたけれど、いわゆる近代短歌については、ほとんどシロウトというか無知無学でして、だから「温故知新」という言葉を使うなら、私にとっての「故(過去)」というのは千年昔、近くとも五百年くらい前のことなんですね。
しかし、今の私にはそれで充分な気がするのです。ごめんなさい。たぶん、近代短歌の勉強をするのが面倒なのだと思います。自分の怠慢の言い訳になってしまいますね(苦笑)。
それを承知の上で、短歌に関しての「温故知新」を、あえて別の言葉で言うならば、「過去(情報)と現在(私)が結婚して未来(新たな作品)が生まれる」という感じです。新たな作品が「未来」だというのは、未来短歌会とかけているわけではなく、普通に「作品は向こうからやってくる」からです。決して今の自分や過去の自分が作ろうとして出来上がるものではない。
作ろうとすれば作れるとも言えます。しかし、それは「予定調和」や「予定不調和」でしかなく、自分にとってもなんの面白みもない作品、いや情報にすぎない。
はっきり言って、(シロウトが垣間見ただけですが)現代短歌には、そうした「予定調和」や「予定不調和」が多いような気がします。どちらかというと「予定不調和」かなあ。たとえば、「そう来たか」と思われるように視点に奇を衒うとか、上の句と下の句のギャップを狙うとか、わざと難解な言葉を並べるとか、そういう方向に行きがちかなあと。
もちろん、こういうことを言うと「専門家」の方々から異論反論が来ます。そこがまた難しいところなんですね。つまり、私はシロウトの立場で物を言っているわけですけれども、芸術は基本「エンターテインメント」です。昨日も書きました。自己満足、自己陶酔、そして身内の暗号ではいけないんですよ。
午後は、我が校のジャズバンド部の10周年記念パーティーがありました。ジャズなんかもいわゆる「モダンジャズ」から「現代ジャズ」へと、ある種の内面化、暗号化が進みました。
また、夜は新日本プロレスの両国大会を観て、それこそいろいろと感じ、考えるところがありました。今回の大会のテーマは「今のプロレスはプロレスにもなっていない。曲芸だ。サーカスだ。仲良しこよしの学芸会だ」という「過去」からの断定に対して、現在の、いや未来のプロレスとはこれだという答えを見せることにありました。
こういう問題は、これらの分野に限ったことではなく、また、この21世紀のこの瞬間に限ったことではなく、どの「現代」「今」にもあったことしょう。そう、「最近の若いもんは…」という言葉がずっと繰り返されていることからも分かりますね。
では、我々はそれをどう乗り越えていったのか、あるいは乗り越えていくべきなのでしょうか。
で、今日の私の結論は、さっきも書いたとおり、「過去と結婚する」しかないかなと思うわけです。
自分のことで恐縮ですが、たとえば短歌については、和歌世界と、それなりに連れ添った時期があるんですね。実際の結婚と一緒で、相当の異文化ですよ。それを相手の流儀に合わせて、そして真似してみる。
そう、観阿弥・世阿弥の言う所の「物学(ものまね)」ですよ。招いて一体化するわけです。そこで生まれてきたモノが「未来」にほかなりません。
世阿弥の「守破離」で語ると分かりやすいでしょうか。守る対象は「過去」。破る主体は「現在」。離れた結果が「未来」。
だから、今日のプロレスに関して、鈴木みのるが言った言葉は実に深いのです。
「今のプロレスラーやファンたちよ、お前ら昔のプロレスを命がけで体験しているのか。逆に昔のプロレスラーやファンたちよ、お前ら今のプロレスを命がけで体験しているか」(私による意訳です)
どちらも体験できるのが、実は私たち「今」を生きる者の特権じゃないですか。そのどちらかだけを体験して、あるいは両方かじっただけで、とやかく言うなと。言ってもいいが、そこからは何も生まれないと。そういうことです。
なんとなく、まとまらないし、違うところがある予感もしますが、今日はこんなことを思いながら、短歌を作ったり、ジャズのセッションに尺八で乱入したり、プロレスを観戦したりしました。明日のために記録しておきます。
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