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2012.10.21

西裏で"赤黄色の金木犀"を聴く会

 「西裏で"赤黄色の金木犀"を聴く会」を開催しました。遠くからもたくさんの方に参加していただき、とても充実した会になったと思います。皆さん、ありがとうございました。
 今回は教え子の中学3年生をメイン講師にしまして、まずは「失恋」をテーマに話し合い(年配者からあまりにヘビーな失恋話が連続し若手は何も語れなくなっていましたが…笑)、続いていつものとおり、志村正彦くんの「詩」の世界をみんなで味わい、解釈しました。
 まあいつものことですが、時間軸を自由に行ったり来たりする彼の天才的な言葉の魔術のおかげで、いろいろな意見が出てくる出てくる。そして、どんどん深みにはまっていく。そうしてまた彼の魅力に振り回される。
 今日は私の方から太宰治と志村くんの類似性についてちょっと話しましたが、弱さや迷いや不安やカッコ悪さを「痛くなく」表現できる才能は、表現者としては、強く、確乎としていて、安定して、カッコよく見えるものです。
 そうした裏腹さというのが、この曲の歌詞のそこかしこに満ちていますね。本当にすごい詩だと思います。
 楽曲分析についても私の解釈をいくつか紹介しました。ま、結局いつものとおりの話になってしまいましたが。それは裏を返せば、あるパターンを踏んでいるのに、全て違って聞こえる、同じはずなのにそれぞれ唯一無二に聞こえるということであり、これもまた天才のなせるワザの典型ですよね。正直、憎い(笑)。
 ま、いずれにせよ、こうして彼のおかげでいろいろ人が下吉田に集まり、いろいろな思いや言葉が交流するということの有難さを強く感じますね。そういう力を持っているのでしょう、彼の遺した作品たちは。
 あまりに議論が熱を帯びてしまったために、本来計画していた「西裏散歩」はできずじまいになってしまいました。すみません、行き当たりばったりで。
 次回は「冬」です。極寒の「痛い」吉田の冬を味わわずして、フジファブリックを語るべからず。志村くんの持つ、まじめさや厳しさや暗さや内向性(もちろんそれぞれいい意味の、です)は、あの環境が生み出したとも言えますからね。ぜひ皆さんいらしてください。初参加大募集です。
 日程や詳細はまたツイッターで発表します。
 そうそう、最後に今日、小ネタとして私が言ったことをここに記しておきます。
 「赤黄色」という言葉、独特ですよね。調べてみると、「赤黄色」を「あかきいろ」と訓んで文学作品に使っているのは志賀直哉と堀田善衞でした。ただ、志賀は「赤黄色い」という形容詞として、堀田は「赤黄色に」という形容動詞として使っていますので、「赤黄色の」という表現を作品で使ったのは志村くんが初めてかもしれませんね。
 なお、ちょっと面白い話としてですね、ある特定の辞書だけ(私が調べた限りですが)、「金木犀」の説明の中で「秋、強い芳香のある赤黄色の小花を密集してつける」と、「赤黄色」という言葉を使っています。おそらく「せきおうしょく」と読むのでしょうが。もしかして、志村くんのウチにあったのはこの辞書だったとか(笑)。

参考記事 フジファブリック 『赤黄色の金木犀』

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コメント

「赤黄色」って確かに独特な言葉遣いですね。
おそらくですが、志村くんは奥田民生さんの『陽』の歌詞からこれを引用したのではと思われます。
奥田民生からフジファブリックにハマった私自身「赤黄色」という言葉はこの二曲以外で聞いた事がありません。
この『陽』という曲自体、どこか憂鬱な雰囲気が『陽炎』などとよく似ていて、志村くんに多少の影響を与えた民生曲なのではないか、と勝手な想像をしています。志村くんは奥田民生の良い部分を取り入れつつも独自の路線を走ったとても偉大なアーティストですね。。

投稿: カマヤン | 2016.05.04 04:32

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