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2012.10.01

良き未来をイメージせよ。

20121002_64323 日は学校で講演会がありました。本校を卒業後、航空自衛隊や防衛省で大変重要なお仕事をされ、先ごろ叙勲を受けた方です。
 中でも要人警護においては日本のトップに立たれ、政府専用機において歴代総理大臣や皇族の方を警護し世界各地を飛び回ったとのこと。
 周囲が東大、慶大、防大などのいわばキャリア組ばかりの中、高卒でそこまで到達するのはどれほど大変だったことか、想像するに余りあります。
 実際、睡眠時間を削り、人の数倍努力してきたことを、淡々とではありますが語られておりました。それはそうでしょう。
 ただのお金儲けの仕事とは違います。お金はちょっぴりでいいから、とにかく世のため人のためになりたいという純粋な情熱。これは実に貴いと感じました。
 いや、本当に男らしい男というのを久しぶりに拝見した気がしました。素晴らしかった。
 その方が最後に、「良き未来をイメージせよ」というメッセージを生徒たちに送っていました。私は、ああやっぱりそうか、と思いました。
 この前から続いている「時間は未来から過去へと流れている」という話に関係しますね。
 イメージした未来が現実のものとなる。因果関係の「因」は実は未来にある。自らが川の上流(未来)に流した何かが自分のところ(現在)に流れ着く。
 お釈迦様も唱えたこの時間観(感)は、ある意味科学的ではありません。いや、科学としては、イメージしたその時点を「過去」ととらえて、やはり過去に「因」があると考えるかもしれません。
 しかし、考えてみると、あらゆる生物の中で、本能的あるいは経験的な予測ではない純粋な「妄想」ができるのは人間だけかもしれない。いやいや、生物の進化を見るかぎりそうとも言えないかも。あらゆる生命の本質は実はそこにあるのかもしれませんね。
 いずれにせよ、私たちは未来をイメージすることができます。それも全く自由にです。良いイメージだけでなく悪いイメージもできます。
 スポーツやビジネスなど、いわゆる勝負事の世界では、イメージトレーニングを重要視しますよね。勝利や成功のイメージをしなさいと。これは心理学的なものではなく、実は霊的な真実に基づくものでもあります。
 我々が川の上流(未来)に何かを投げることができるとするなら、時間という流れによっていずれ自分の立っているところ(現在)にそれがやってくるわけですから、いいものを投げた方がいいに決まっています。
 逆に、悪いもの(失敗や争いのイメージなど)を投げると、それが自分に返ってくるわけですね。
 一方、たとえば今日の講演者の方などは、たしかに良いイメージをたくさんしたけれども、ある意味では想定以上の結果となって返ってきた。そういうこともあります。
 ここが未来の面白いところですね。そこには「縁」が生じるんですよ。未来には「縁」がある。つまり、たくさんの人が上流にいろいろなものを投げるわけじゃないですか。いいものもあれば悪いものもある。
 それが上流の見えない向こうの方でお互いにぶつかったり、くっついたり、邪魔しあったり、いろいろしながらこっちに流れてくるわけです。だから、場合によっては、予想以上に大きなものになっていることもあるし、砕けてなくなってしまうこともある。
 だから、どうせ投げるなら、大きくて強いものを投げる方がいいわけです。そして投げ続ける。それが「信念」や「志」じゃないでしょうか。場合によっては「はったり」という場合もありますが(笑)。
 とにかく、良いイメージ、正しいイメージを、強く強く念じ続けるということは、そういうことなのです。
 ついでに下流(過去)のことも書いておきましょう。案外こっちも重要です。
 現在はどんどん下流に流れてゆき、遠ざかっていきます。まさに「水に流す」ですよね。いや、本来「流す」ではなく「確実に流れていく」のです。未来が確実に流れてくるように。
 ですから、たとえば過去の失敗をいつまでも悔やんでいるというのは、実に馬鹿らしいことです。いわば、汚いゴミをいつまでも抱えて流れないようにして川の中に立っているようなものなのです。
 私たちの多くは、時間は過去から未来へと流れていると思い込んでいますから、現状を生んだ原因は過去にあると思って、ついつい後悔したり、ある種のあきらめを持ってしまったりしがちです。
 しかし、そういうことをしていると、上流からいいものが流れてきても、ゴミで手がいっぱいでつかまえることができなくなってしまう。こんな馬鹿らしいことはありません。とっとと流してしまった方がいいに決まっている。手放せばいいだけですから、こんな易しいことはない。
 それでも、まとわりついて離れないゴミは、きれいな水で洗い流しましょう。だから、どんどん上流がいいもの、きれいなものになるように努力すべきなのです。徳を積むということは、実はそういうことなのではないでしょうか。最近そんな気がしています。
 と、いろいろと書いてきましたが、このように考えると人生は面白くなってきますし、実際に思う方向に動いていきますし、それどころか、想定外に良い結果を得ることができるようになってきます。
 今日の講演者の方も、実に謙虚で感謝の気持ちにあふれた方でした。母校に40年ぶりにいらして、「報恩・奉仕・精進」という校訓の意味をあらためて実感なさっていたようです。冒頭、思わず涙ぐんでおられた様子に、こちらもつい目を潤ませてしまいました。
 本当に素晴らしいお話をありがとうございました。私も「報恩・奉仕・精進」の実践し、より川の上流を美しいものにする、すなわち徳を積みたいと思います。

 

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コメント

なるほど、現在が未来へ近づいて行くのか、未来が現在へ近づいてくるのか、そういった見方・考え方だったわけですね。相対的に考えれば同じにしか思えませんが、いかがでしょうね。

さて、
「良き未来をイメージせよ」
ですが、
良き未来をイメージするのはあくまで「現在の人間」なのであって、やはり未来に原因を求めるのは無理があると考えます。

二つ疑問がわきました。

人間が未来をイメージし創造出来るとするなら、人間以外の要因はあるのか?あるとすればどのように影響するのだろうか?
言い換えれば、人のいない世界を想像した時、「未来をイメージする人間」の代わりに未来を生み出す存在は一体なんだろうか?

未来が現在のイメージによって変動、あるいは確定するなら、過去も変動するのではないか?
例えは、歴史認識は国によって違うし、一人一人の人間の体験も様々です。個人個人の記憶違いも含めますと、過去の出来事に対し、唯一無二の真実などまるで無いように思われます。
また歴史は単なる認識の違い、あるいは意識的な歪曲だけで無く、新事実の発見などによる見直しなども時には行われます。
すると、過去は不変であり、未来は変動的であるという考え方に疑問がわいてきます。

投稿: LUKE | 2012.10.03 18:15

初めまして。
私はフジファブリックのファンなので、
志村くんを知っている山口さんのブログをチェックしているうちに、興味深いお話ばかりで毎日読むようになってしまいました。

私は、ハワイのホ・オポノポノの考え方が大好きで、実践しています(記憶のクリーニング)。
この記事はそれに通づるものがあったので、山口さんがホ・オポノポノをどう思うのか知りたいと思い、コメントさせてもらいました。お時間がありましたら、調べてみてください。ヒューレン博士やKR女史の本が私は好きです。

投稿: Nami | 2012.10.10 00:20

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