時間は未来から過去へと流れている
昨日の荒川修作の三鷹天命反転住宅の話や、安倍晋三さんの再登板の話の続きをいたしましょう。一見関係ないかと思われるでしょうが、実は根本のところで同じ話をします。
皆さんは「時間」は過去から未来に向かって流れていると思っていませんか?
なんとなくそのように考える、感じるのが我々にとっての常識となっています。たぶん、どこかでそう言語化されたコトをそのまま受け入れているのでしょう。
私は幼い頃から、どうもその考え方は実感と違うなと思っていました。なぜなら、「現在」だと思ったこの刹那はすぐに「過去」になってしまうし、明日は楽しみなテレビ番組があると言ってワクワクして待っていたその「未来」が、すぐにここ(現在)にやってきて、そしていつの間にかその番組は終わってしまって、「過去」になってしまうという実感を重ねてきたからです。
それはもちろん、私だけに特殊なことではなく、たぶん全ての人間に共通の普遍的な感覚だと思います。
つまり、どう考えても、時間という川は、未来から現在、そして過去へと流れているとしかイメージできなかったのです。ですから、時間は過去から未来へ流れていると言われると、なんだか違和感を抱かざるを得なかった。
おそらく、そのような常識は、言語とともに、時計という機械の性質と機能によって固定化されたものだと思われます。
時計の針は過去から現在、そして未来へと進んでいくように設計されています。つまり、私たちは、時計の針の動きが「時間の動き」だと勘違いしてしまっているわけです。
しかし、ちょっと考えれば分かるとおり(相対性理論を持ち出さずとも)、針が止まっているとすれば、文字盤が未来から過去へと(すなわち反時計回り)に回転しているとも言えますよね。
実はそういう視点の方が正しい。コペルニクスの地動説(太陽中心説)が正しかったがごとく、いや、イメージ的には反対なのかな…自分が動かない針であって、文字盤の動きこそが時間の流れであると。
私はのちに仏教をちょっとかじって知ったのですが、実は仏教の世界では、時間は未来から過去へ流れているというのが常識だったようです。最近では、苫米地英人さんがアビダルマの解釈をすることによって、この説(考え方)を紹介していますね。
お釈迦様というスーパーマンの助けを得て、私は子どもの頃に抱いた自分の実感に自信をもつことができました。やっぱり間違っていなかったと。
ただ、私は頭が良くないので、同じく仏教でいうところの「因果」ということを考えると、ちょっと分からなくなるところもあります。原因と結果の時間軸は、経験的にどうしても「過去→現在→未来」となってしまうからです。
しかし、最近はようやくその「因果」関係も自らの実感と矛盾しなくなってきました。
すなわち、未来に原因があって、それが現在の結果を生み、いずれそれが過去の事実となっていくということです。
私たちはどうしても「因果関係」というと、科学的なものの見方から、過去の物理現象が連続的に次の現象を起こしていくとして理解しがちです。
しかし、一方で、もしそうだとしたら、私たちの運命はすでに科学的に決定されており、なんとも言えない味気なさを感じてしまうのも事実ではないでしょうか。
それでも私たちが生きていられるのは、やはり未来が不可知であり、不随意であり、変形可能な「モノ」であるからだと思います。つまり、私たちは、科学的な因果関係とは別の因果関係が、どこかにあると予感しているのではないでしょうか。
私は、それこそが「もののあはれ」の本質だと思います。過去の因果にとらわれていると思っていたら、実はそういうわけではなく、私たちの意思によって未来は変えられる、そういう一方の「真理」に対する嘆息こそが「モノ(霊)のアハレ(Aha)」なのではないでしょうか。
昨日の話と結びつけますと、我々は「コト」になってしまうと死んでしまいます。死ぬとコト(不変な情報)になってしまうとも言い換えられます。
時の流れに身をまかせるということは、実は文字盤にはりついて、過去に流されていくということです。つまり、死んでしまうということ。
逆に言うと、私たちは時計の針となって、ずんずん流れに逆らって歩いて行く、いや実際には流れに抵抗して立ち続けるのかもしれませんね、いずれにしても、時の流れに身をまかせないことこそが、私たちが生きているモノでいられる唯一の方法なのではないでしょうか。
そういう意味では、昨日書いたように、過去の自分の経験や他人の経験の集合たる常識にとらわれて、自分はもうダメだとか、こういう人間だからとか、どうせ世の中はとか、そういうふうに勝手に自他を決めつける(コト化する)と、もう私たちは実際には死んでしまっていることになります。
そういう人には、きっと科学的因果関係しか起きません。それは実に味気ない人生です。
だから、私は、過去よりも未来にこだわりたいのです。妄想や見果てぬ夢だと言われても大いに結構です。実際、私はそうして現在を切り拓いてきましたから。未来に種をまいて、今に開花させようとしているというわけです。
そうすると、過去の失敗をクヨクヨしたりすることは全くなくなりますし、他者や社会が自分に及ぼしたマイナスの(と一般的には思われる)影響も、ただ未来に原因を描くための材料でしかなくなります。
よりよい未来の自分、よりよい未来の世の中を妄想すればするほど、現在や近未来にやるべきことが見えてきます。そこに、もうすでに立派な因果関係が成り立っていますね。未来が原因で現在が結果。
この時間論については、もう少し語りたいことがありますが、今日このへんにしておきます。
もし、この話を読んで、あなたの人生にコペルニクス的転回が起こりましたら、この上ない喜びですね(と、今も私は他者と自己の未来を妄想しています…笑)。
続編良き未来をイメージせよ。
日本語に見る「古来の日本の時間観」
和時計に見る「古来の日本の時間観」
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コメント
好きなテーマです。
が、庵主様の時間感というか未来感というものが、良く理解出来ませんでした。
未来に原因を見いだすなら、未来は決定づけられていると考えて良いはずですが、どうやらそうでも無いらしい。
いずれ語られるであろう「もう少し」に期待いたします。
投稿: LUKE | 2012.09.30 03:18
続編もとても面白く読ませていただきました。
川の流れのイメージが私にはすっと理解でき、今まで持て余していた実感を形にする事が出来ました。
人生は楽しいものですね。
投稿: ccf | 2015.02.18 12:50