教育は農業に似ている…
東京で古典派オケの練習があり、終了後卒業生のマンションにお邪魔して花火大会を見ながらの宴会に参加しました。
宴会メンバーの教え子は、まあ簡単に言えば「昔不登校、今天才」という女子3名。中学高校時代はけっこう悩み苦しんだ連中ですが、今はそれぞれ、某巨大広告代理店でバリバリに働いていたり、医学部に進学したり、画家になろうと美大で勉強中だったり、なんかとっても充実しているように見えますし、正直私なんかからするとうらやましい人生を送っているとも言えます。
かっこよく言えば、そういう彼女たちをプロデュースしたのはこの私かもしれませんが、そこには高尚なる教育理念があったわけではなく、本当のところは得意のハッタリ力を伝授しただけであります(笑)。
まあそれでもこうしてそれぞれの個性を活かして生きており、また、こうしてある意味私の夢をも間接的に実現してくれることには感動もしますし、感謝の気持ちもわきます。
優等生を普通に大学に入れて普通の社会人にするよりも、こういう「問題児」を扱う方が面白いですね。優等生は私なんかいてもいなくても関係なく成功者になっていくでしょうから。もちろん、その「成功」が本当に「成功」なのかということこそが、本人自身の問題なわけですけれども。
最近よく思うんですよね。「教育は農業だ」って。農業だと言い切るわけではありませんが、似ているなと。とりあえず工業ではないんですよ。
ウチの学校では「米作り」や「ブルーベリー栽培」をしていますが、たとえば稲作にしても、丹精込めて田を作り、田植えをし、水の管理をし、雑草を取り、そうして順調に成長したとしても、ある時台風が来て、根こそぎ倒れてしまうかもしれない。また、害虫や病気が隣からやってきて全滅するかもしれない。
つまり、やるべきことをやっても最後は「運を天にまかせる」しかないんですよ。人事を尽くしたら、もうあとは「祈る」ことしかできない。
教育もそういうものだなと。工業製品のように、あるプロセスをちゃんと踏めばどんどん完成品ができてくるのとは違います。最後は「天命を待つ」しかないのです。
近代農法は実は工業的ですよね。農機具による自動化が進み、化学肥料や農薬を使う。これによって、たしかに完成する確率は上がった。
しかし、言うまでもなくそこで失われいるモノもありますよね。味や安全性はもちろん、それ以前に「雑草」や「害虫」という定義さえもある種の近代性をはらんでいます。お分かりになりますよね。
教育にもそういう危険性がたくさんあります。戦後の教育は工業的ですから。実際工業を発展させるための教育が施されましたしね。規格にはまらないモノは「不良」とか「問題児」とか「怠惰」とか「わがまま」とか評されることが多かった。
いや、最近またその傾向がひどくなっています。いちいち挙げるのも面倒なくらい、様々な名付けがなされ、病気や障害に認定してしまったり、問題行動に分類してしまったりする。「いじめ」という名付けも実はそういう構造の産物です。構造の可視化のための名付けであり、可視化された部分だけが問題とされるようになる。
もしかすると、今日の3人は名付けされてもしかたないような高校時代を送ったかもしれません。しかし、名付けは決めつけです。まあ私が彼女たちにしたことと言えば、先ほど書いたハッタリ力伝授と、あとは決めつけないことだけでしょう。
ただウチの学校は無農薬有機栽培みたいな学校だからいいとして、一般的な公立学校のような(あえて言いますが)工場では、そうしたくてもなかなかできないでしょうね。
実際、いくらウチのような学校でも、もちろん法律に則った学校という組織ですから、なんでもOKということではありません。他のタイプの生徒たちも大切にしなければならないし、そういう多様性を保つためには、とてつもなく面倒なコーディネートが必要なんですよね。そこが我々教師の仕事の大部分を占めると言ってもよい。
機械化された農業やハウス栽培や、最近はやりの工場栽培ではなく、あくまで手作りの、経験と愛情と祈りのこもった農業、手入れの手間をいとわない職人的作業のような、そんな教育をしたいですね。
どんな植物も動物も、みんな自らの命を一生懸命に生きています。生徒ももちろんそうです。その全ての姿を愛おしく思えるような心を持つこと、それが教師の基本なのではないでしょうか。
私の恩師、大村はま先生はおっしゃりました。「先生ならいい人は当たり前」。それは大変厳しい言葉でもありますが、私の人生において最も大きな意味を持つ言葉でもあります。
祈り、願い、博愛、いい人になる…そういう意味では、教育に一種の宗教性が必要なことも否定できませんね。
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コメント
庵主さま、お邪魔いたします。
いつも愉しく読ませていただいております。
僕は音楽も農業であってほしいと思っているのですが、レミオロメンを休止した今の藤巻さんが個人的に俄然応援したい、手作り感のある楽曲をつくられているので、何となくそのことを庵主さまにお伝えしたく、お邪魔した次第です。
日本語が下手ですみません。
最近立ち読みした雑誌のインタビューがよかったので(CDがついていました)、そのことを何となくお伝えしたく思ったのです。
これはあまり関係ないですが、長澤知之さんというシンガーに填った自分なのですが、理由は志村さんの魂と少しだけだぶるところがあったからです。性格も音楽的にも全然違いますし、そこが唯一でありいいのですが、何か信じたいものが似ているんでしょうか。理屈抜きに響くのです。
庵主さまに一度聴いてみてほしいなと。。
いつか庵主さまのように国や時代を越えてもっといろんな音楽がわかるようになりたいです。
長々と本当にお邪魔いたしました。
暑い日が続きますが、いい夏をお過ごしくださいませ。
投稿: 恋する惑星 | 2012.08.09 00:47