流刑地「甲斐」
昨日の記事にいただいたコメントの中に、「甲州に島流し」という言葉がありました。これは正しい表現です。
流刑というと「島流し」というイメージですよね。佐渡ヶ島とか大島とか。実際そういう島への流刑が有名ですけれども、実は「陸の孤島」への「島流し」というのもあったんです。
その「陸の孤島」の代表が甲斐の国、すなわち今の山梨県です。
この事実は山梨県民にとってはあまり名誉なことではないかもしれませんが、しかし、実際にはそのおかげでいろいろな文化が根付いたり、国を裏側から動かすようなことがあったり、面白いことが起きているんですよね。
「海の孤島」への島流しには、完全に隔離という目的がありますが、「陸の孤島」への島流しには、隔離と監視という二つの目的がありました。
その点、甲斐の国の地理的条件は配流に適していた。険峻な山々に囲まれている上に、適度に京都や鎌倉や駿府や江戸に近く、監視の目も行き届きやすかった。そういうことでしょう。
重要人物を流すということは、あるレベルの処遇をするという意味でもありました。甲斐国と言えば、古くから上国としてそれなりに高い評価を得ていた国ですからね。そういう一面もあるのだと思います。
で、今日は私が知っている(思いつく)「甲斐に島流しになった重要人物」を挙げたいと思います。本当に思いつきですから、もっと重要な人物が抜けているかもしれませんし、いわゆる国守として派遣された例の中にも、もしかすると島流し的な要素、左遷的な要素があるかもしれませんが、そのへんはあんまり詳しくないので割愛します。
時代順に挙げましょうか。まずは甲斐源氏の実質的な始祖、源義清とその子清光です。
一般には、甲斐源氏の始祖は新羅三郎義光、すなわち義清の父とされることが多いのですが、最近では義光は甲斐とはほとんど関係がなかったとの異説も出されています。
たしかなのは平安後期に、義光の子義清と孫の清光が常陸の国で暴れまくり、結果として甲斐の国に配流となったということです。甲斐源氏はその荒くれ者の系統だということです(ウチもその系統らしい…笑)。
続いて鎌倉時代、かの建長寺の開山、臨済宗の僧侶蘭渓道隆です。道隆は元寇の時に蒙古のスパイと疑われたりして、何度か甲斐に流されています。
道隆の足跡は山梨各所に残っていますね。甲斐の臨済宗布教に大きな役割を果たしました。
先日お世話になった塩山向嶽寺の国宝「達磨図」には道隆の賛文が付されています。
次は南北朝時代の坊主。これは案外知られていませんが、かなり危険な人物が甲斐に配流されています。その名は文観(写真は大河ドラマで文観役をやった麿赤兒さん)。
そう、あの邪宗真言立川流を広めた怪僧です。文観については語り尽くせないほどの功績と謎がありますが、とにかくあの後醍醐天皇に気に入られ、鎌倉幕府滅亡を裏で招いた法力の持ち主であったようです。
文観が甲斐に流されたのは、たしか…ちょっと今資料が見当たらないのですが、鎌倉幕府滅亡後だったと思います。南北朝期。どういう事情だったかも忘れましたが、とにかく甲斐に来て、真言立川流を密かに広めていたと考えられます。その痕跡が郡内地方には残っていると、私は感じています。詳しくはまたいつか。
文観、鎌倉幕府に目をつけられた時には、なんと硫黄島に流されています。究極の島流し経験者ですね(笑)。
続きましては、キリシタン大名として有名な有馬晴信です(写真は…笑)。
そう、あの天正遣欧少年使節を送った人物の一人ですね。晴信はいろいろな事件に巻き込まれ、結果として1612年甲斐の国に流刑となり、そこで自刃を迫られますが、キリシタンであったことを理由に自害を拒否し、斬首されて亡くなりました。
九州の有名なキリシタン大名の没地が山梨県だというのは意外な感じがしますね。実は今年は晴信の没後400年ということで、謫居地であった大和村で記念祭が開かれました。晴信は今、どんな気持ちで故郷から遠いこの地に眠っているのでしょうか。
晴信の没後20年くらいして、甲斐に蟄居を命ぜられたのが、駿府藩主徳川忠長です。二代将軍秀忠の三男。
彼は父親となんとなくうまく行かず、いろいろと可哀想な目にあっています。1631年には、不行跡を理由に実質的な甲斐国島流しになりました。
結局親の死に目にも会えず、また、死後父親のためにしたことが、また誤解されたりして、最後には「改易」となります。すなわち武士としての資格や所領まで奪われてしまいました。まあ、実態は徳川家の権力争いに巻き込まれ負けたということでしょうかね。
もう一人、忠長の少しあとに、ある重要人物が甲斐に配流となっています。後陽成天皇の第8皇子良純入道親王です(写真は自筆短冊)。
1643年天目山に配流となったんですよね。理由には謎も多い。酒乱とか狼藉とか言われていますが、これもまた江戸幕府によるなんらかの圧力が働いたようです。江戸時代、皇室と幕府の関係は微妙なものがあったのです。
というわけで、思いつくまま挙げてみました。これだけでもなかなか興味深いですよね。いろいろ調べてみようと思います。
このほかにも伝説としては南北朝期にいろいろな人が落ちてきています。そういうのも含めて裏の歴史に興味がわきます。個人的には文観が気になるなあ。都留の石舩神社の密教呪術的復顔首級との関係とか…。
いや、ちょっと待てよ…もしかしてワタクシも甲斐の国に島流しになってるとか?ww
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