やぶさかでない
「野田首相「会うのやぶさかでない」=デモ参加者との面会―菅前首相明かす」…今日こんなニュースがありました。
「やぶさかでない」ですが、皆さんはこの言葉使ったことがありますか?
もし使うとしてどういう意味で使っていますでしょうか。
野田総理は「デモ参加者と会ってもいい、会う用意もある」という意味で使っているようですね。
「やぶさか」は漢字で書けば「吝か」。吝嗇(りんしょく)の「吝」ですね…と言ってもまだ難しいか。「吝嗇」とは「けち」のことです。けちんぼ。物惜しみすることです。
「やぶさか(なり)」という形容動詞は、鎌倉時代以降使われるようになったようです。それまでは、「やぶさし」という形容詞と、そこから派生した「やぶさがる」という動詞がよく使われていたようですね。9世紀の文献にも出てきます。
「やぶさし」も「やぶさがる」も「やぶさかなり」もケチ(ケチる)という意味です。
だから、「やぶさかでない」というのは「ケチではない」「ケチらない」ということですよね。だから、現代語の辞書的にいうと「…する努力を惜しまない。喜んで…する」というのが正しい意味となります。
つまり、野田さんはデモ参加者に喜んで面会する、面会する努力を惜しまないということですよね。本当にそういうニュアンスで言ったのでしょうかね。
最初に書いたように、私たちは「やぶさかでない」をもっと消極的な意味合いで使っています。「会わないって言ってるわけじゃないよ」という感じでしょうか。
そういう消極性の象徴として、「やぶさかではない」と「は」を入れることが多くあります。この「は」は最近の若者がよく使う「限定による責任回避」の「は」です。「やぶさかでない」よりも「やぶさかではない」の方が「やぶさか(ケチ)」だけを否定している感じがする。それ以上のことは知らないけど、そこだけは否定するよ的な感じ。
だいいち、本当に(原義的に)「やぶさかでない」のであれば、「会います!」って言えばいいわけすよね。そこにをあえて「やぶさかではない」とか言うと、「実はイヤなんだけどね」という感じがにじみ出てしまう。
ちなみに本来の用法としては「〜にやぶさかでない」というように「に」から接続するはずですが、最近はだいぶその形も崩れてしまったようですね。
あっそうそう、山梨の方言で「やぶせったい」というのがあります。最初山梨に来た頃は全く意味が分からなかった。学習していくと「不快だ」「うざい・うざったい」(これらもルーツは山梨の方言です。富士北麓から八王子、そして都心から全国と広がった)という意味だということが分かりました。
この「やぶせったい(やぶせし)」と「やぶさし」も関係しているかもしれませんね。なんとなく腰が重い感じが共通しています。
いろいろ話が飛んで申し訳ありませんが、「吝」という漢字もよく見ると不思議ですね。「文」に「口」。「文」というのは「飾る」という意味ですよね。口を飾るのが「ケチ」というのはどういうことか。なんか深い意味がありそうですよね。
いろいろ言い訳して金出さないとか(笑)。とにかく言葉数が多いのは、実はやる気がないっていうことでしょうかね。やっぱり「不言実行」が良いということでしょう。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
最近のコメント