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2012.06.21

C 対 D …永遠の「世代」闘争?

20120622_120919 日録画しておいたプライムニュースを観ました。「ソーシャルメディア世代の働き方(所属しない働き方 インターネットで稼ぐ)」がテーマ。
 しばらく観られますから、ぜひこちらでご覧ください。う〜む、皆さんはどう感じますかね。それこそ「世代」ごとによって感想が全く違うのではないでしょうか。
 まあ、たしかに社会が変化しましてね、終身雇用も年功序列も護送船団方式も消えつつあり、ある種の「弱者」「敗者」を救うセーフティーネットがなくなっていますから、若者はまた別のシステムやらスキームやらを自ら構築しなければならないのも事実でしょう。
 そこで悩むのが、我々教育者です。いったいどういう「生きる力」を身につけさせればいいのか。
 かつての日教組的な教育のもとでは、先ほどの昭和的な社会に適応する人間を育てればよかったわけです。しかし、今は違う。では、この番組に颯爽と登場しているお三人の若者のような能力というか、考え方を育てればいいのか。それも必要な気もするけれども、でも、なんとなく違和感もある。
 私は「生きる力」は「死なない力」だと思っています。こちらにもそう書きました。そういう意味で、たとえば今教育界でもてはやされている、すなわちブームとなっている「フィンランド式教育」「秋田式教育」というものは、なんとも信用できません。両者ともに「自殺大国」だからです。ま、最近は両者とも、教育とは別の取り組みによって、その汚名を払拭せんとしていますがね。
 では、これからの世の中、どうすれば死なないでやっていけるのか。まずは自殺しちゃいけません。自殺しなければ、まあ人間なんとか生きていけると信じています。誰かがなんとかしてくれる。
 もしかすると、彼らが創りだそうとしている新しいコミュニティーというのは、そこを目的にしているのかも知れませんね。すなわち、ダメ人間どうしでもなんとか助け合って励まし合ってやっていこう、とりあえず自殺しようなんて思わないように、実感のある人間同士の紐帯を作ろうということなのかもしれません。
 それが、家族や近所や職場ではない「他人」に求められているところに不安は感じますが。
 ところで、彼らのような世代のことを、ジェネレーションCというのをご存知ですか。
 ジェネレーションC(C世代)とは、簡単に言えば現代のデジタル文化に親しんだ若者という感じでしょうか。デジタルですがDではなくCです。Cは次のキーワードの頭文字です。
Computer(コンピュータ)
Connected(接続)
Change(変革)
Community(共同体)
Create(創造)
Contents(コンテンツ)
Comunication(コミュニケーション)
Collaboration(協力)
Cotribute(貢献)
 高度経済成長をあまり実感していない世代であり、ある意味古い日本に縛られずグローバルな環境に適応している世代ですね。
 だいたい10代、20代を指すことが多い。場合によっては30代、40代でも思考のスタイルが「若い」場合には、その世代をも含めることがある。
 そんな新興勢力に対して、老体にむち打ちながら抵抗しているのが、Dジェネです。
 これは「団塊の世代」です(笑)。(笑)としたのはですね、Dジェネという略し方がなんとも団塊の世代っぽいからです。ジェネレーションDだとかっこ良すぎる(笑)。
 さあ、あなたはどちらに属しますか?
 私はですね、もうすぐ48歳です。あの昭和39年生まれです。高度経済成長、つまり「戦後は終わった」世代の申し子のような立ち位置ですね。
 そう、たしかに中途半端なんですよ。古き良き戦後日本も嫌いではないし、ポストモダン、いやポストポストモダンも嫌いではない。どっちもよく理解していると思うし、どっちの生き方にも憧れたりもする。
 いや、実はこのC対Dの構図というのは、日本の社会、文化、歴史の根底に流れる二項対立であるとも言えますよね。
 縄文と弥生というか、狩猟採集と農耕というか、山の民と野の民というか…そういう日本の底流に流れる大河の相克とも言えるのですね。
 しかし、そのどちらが正しいかということではなく、その相反するものを上手にバランス取ってやってきた、あるいは両刀遣いでやってきた、うまく使い分けてきたのが日本人であるとも思うわけです。
 最後に、全然関係ない、いや関係大有りかもしれませんが、なんだか空虚なカタカナ語が乱舞してますなあ、Cの方には。
 ソーシャルネットワークだの、セルフブランディングだの、コミュニティー型シェアハウスだの…。
 いや、それはまた、D世代が振り回した哲学用語や政治用語などの漢語と同じなのか。ともに「共同幻想」であることには変わりないということでしょうか。

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