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2012.06.10

ボカロの原点は森高千里?

Imgres1 はメレンゲの「ミュージックシーン」を一日聴いていましたが、私以外家族(女性軍)はまたカラオケに行ってきたようです。
 娘たちはもっぱらボカロ(ボーカロイド)の曲を歌い、カミさんは演歌を熱唱してきたようであります。
 ボカロと演歌とはずいぶん対照的です。機械的で無機質なボカロと過剰に人間的で演劇的な演歌。ま、カミさんは演歌も得意ですが、初音ミクのものまねもかなり得意です。あらゆる楽曲を初音ミク風に歌うことができます(笑)。変な特技ですなあ。
 しかし、なんで無機的な機械音を有機的である生きた人間が模するのか。これは不思議です。そして、それがある種の快感であるらしい。ますます不思議です。
 そういう私も、たとえばこちらで紹介したように、初音ミクらの歌うバッハに涙したりするんですから、いったい「歌」の本質とはなんなのか、よく分からなくなりますね。
 ところで、今日もカミさんと話したんですが、そうした、ある意味「無機的な歌」に魅力を感じるのは、これはどういうところにその原点があるのか、実はシンセサイザーなどの電子音が案外美しく、あるいはカッコよく感じられたり、それ以前に均質性の高いピアノなどの「機械楽器」が深く人間に感動を呼び起こすあたりにそのヒントがあるのではないでしょうかね。
Imgres そう考えた時、ボカロブームの原点として、私は森高千里さんの存在を忘れたくないんですね(笑)。
 森高の「非実力派宣言」こそ、すなわち、それまでの「歌手」に要求された様々な「歌心」や「歌唱技術」を否定しつつ「歌手」としての人気を誇るという、一つのパラドックスを実現するきっかけになったエポックメイキングな出来事ではないかと思うのです。
 いや、カミさんに言わせると、それまでも、たとえばユーミンだとか中島みゆきのように、ある意味、それまでの「うまい歌手」のファクターを無視した歌姫…というより歌神のような存在がいらっしゃいましたが、多少はそれまでの芸術的歌唱に対するカウンターの意味もあったとはいえ、やはり本質的な部分では、楽曲勝負という別の武器があったわけじゃないですか。
 また、いわゆるあまり歌がお上手ではないアイドルというのもいましたけど、それはほとんどの場合音程が取れないために「ヘタ」と言われており(浅田美代子とか)、うまく歌おうとしても歌えない可愛らしさを武器にしていたわけです。
 それらに比して、森高はちょっと違った。彼女のお父さんは有名なロカビリー歌手でしたし、自身もドラムスについてはプロ級(というかプロ)、ピアノやリコーダーも達者に操る「音楽家」です。そして、歌も実はうまい。音程なんか完璧ですよ。
 しかし、あえて「表現」(声色も含めて)を無機化というか規格化し、一種の「純粋さ」を全面に押し出して、我々男性(あるいは女性も)の心つかんでしまった。無機化は、彼女の年齢を超えた少女っぽさを見事に演出しました。そこに生活感や人間臭さの見えないアイドル像が完成したわけです。
 というわけで、こじつけはこのへんにして、まずは、彼女の代表作「渡良瀬橋」を聴いてみましょう。これはボカロでしょ、何人もいるし(笑)。

 ここで比較として、つまり、森高がボカロであることの証左として、いちおう同じアイドルに列せられる(列せられていた)松浦亜弥によるカバーを聴いてみましょう。

 どうですか。松浦亜弥は彼女なりにボカロのまねをしていますが、やはり「うますぎる」。そう、彼女の歌のうまさはこちらに書いたとおりです。やはり、そこを捨て切れていない。すなわち人間の歌姫から脱することができていないのです。
 最後に、昔こちらで紹介しました、私の一番好きな森高千里の曲を久々に聴いてみたいと思います。「snow again」です。いいわ〜(涙)。
 初音ミクに歌わせてみたい…と言ったら、さっそくカミさんがやってくれました(笑)。

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