師は自らの中にあり
昨日に続き、向嶽寺にて座禅研修。朝4時前に起床しますと、目の前には白んでいく庭園が広がっています。古今集にも詠まれている塩の山の南麓をそのまま借景とした、いや斜面自体を庭園とした国の名勝です。なんと贅沢なことでしょう。
そして、朝課のあと、その庭園に臨みながらの座禅。実に気持ち良く座らせていただきました。前も書きましたとおり、ホンモノの雲水さんと一緒に座りますと、これは脳波がシンクロするからでしょうかね、本当に気持ち良い座禅をすることができるのです。
そういう意味でも良き「導師」というのは大切だなと改めて感じ入ります。「場」も大切。「師」も大切。つまり、他者のおかげさまで、新しい自分に出会うことができるというわけです。
休憩の時間には国宝の達磨大師像を拝見したり、また謁見の間に呼んでいただき、管長様より貴重なお話をうかがったり、全くもって実に得難き尊い時間を過ごさせていただきました。
そして、最後に生徒と一緒にうかがったお話にまた、ある意味大変なショックを受けました。人生観が一変するとはこういうことなのですね。
それは、法句経にある「己こそ己の寄る辺、己を措きて誰に寄るべぞ、よく整えし己にこそ、得難き寄る辺をぞ獲ん」という言葉についてのお話でした。
すなわち、「自分こそ自分の頼るべき存在である。自分をおいて誰を頼るというのだ。よく整えた自分の中にこそ、得難い(ありがたい)師を得るのである」ということでしょう。
先ほど「場」や「導師」の大切さを書きましが、ある意味、今までの私は、そこに過分に期待していたところがあったのだと気づきました。
たしかに、他者からの影響や導きは大切ですが、最後は他力ではなく、やはり自力に頼るべきだったのです。
座禅をしている自分というのを、どこか客観視している部分はありました。今どういう座相かなあとか、心の状態がどうなのかなあとか。しかし、それはですね、なんというか、例えば国宝の掛け軸に描かれていた達磨大師さんのように、何か遠い高い所に理想の完成形があって、わけも分からずその真似をしようとしていたということなのだと思います。形だけ真似するとか、理屈で真似するとか、そういう次元ですね。
実際、生徒や私たちは、「形はある程度整っていたが、心はまだまだ」と管長様にすっかり見抜かれてしまっていました。全くそのとおりだと思います。
それでは、たとえばそのまま出家して、私も雲水になって、今のまま座禅をひたすら続けていれば、それで心身ともに整うのかというと、たぶんそれは無理でしょう。
つまり、方法というよりも、本来の目指すべきところが違っていたということです。そう、自分の中に「師」がいるなんて夢にも思っていなかったのです。誰かのように立派に悟りたいと思っていただけだったのです。
しかし私は、その法句経の言葉を聴いた瞬間に、はたと気づくことができました。なるほど、そうか。そうだったのか。自分の中に実は師はいるのだと。
その師に出会うために座るのです。いや、あるいは座らなくてもいいのかもしれない。自らの中に師がいると知れば、日常の生活や仕事の中でも、その師と出会おうとすることはできるはずです。格別に修行することのみが禅ではなく、生活、仕事、趣味、生きることが全て禅であるというのは、そういう意味なのですね。
いやあ、本当にドキッとしました。今まで半世紀近く、自分の中に「師」がいる、あるいは自分の人生自体が「場」であるなんて、夢にも思って来なかったのですから。これに気づかせてもらっただけでも、これからの後半生、とんでもなく面白くなりそうです。それこそ「生き甲斐」があるというものですよ。自分自身が究極の目標でありゴールなのですから。
灯台下暗し。自分の内面にもっと光を当てて生きればいいのか。自分はダメダメな人間だと思い込んでいましたが、実はそれだけではないと。今はダメダメが表面に現れているかもしれません。しかし、その奥にはもっと立派な自分が隠れているに違いないのです。そう思うと俄然やる気が充実してきますね。
自分が違って見えると、他人も当然違って見えます。まさに衆生全てに仏性を認めることができるようになるわけですからね。なるほど、自己は自己の補集合たる他者によって縁起しているとするなら、自他不二であるのも公理であって、さすれば、実は師は自己でもあり他者でもあるということですから、今までの私の感覚や考え方も否定しなくてすみますよね。まさに止揚しましたな、これは。
管長様、本当にありがとうございました。そしてもちろんお釈迦様にも心から感謝いたします。
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コメント
前略 薀恥庵御亭主 様
禅の御修行 御疲れ様で
御座います。
愚僧が申すのも何ですが
①自分を大切に
②家族を大切に
③友達を大切に
が宗教の柱となります。
自分を大事にすると
いうことは・・・
全てを大切にして
いることでありますね。
合唱おじさん 拝
投稿: 合唱おじさん | 2012.06.17 20:48