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2012.06.23

第8回 富士山の森 ジャズフェスタ

Img_5033 年もまた恒例となりました学生ジャズの祭典が行われました。本年の参加校は、山中湖中学、笹下中学、横浜市立大、法政大学、明治大学、早稲田大学、慶応義塾大学、東京大学、そして本校富士学苑中高です。
 講師は作編曲家の内堀勝さん、そしてサックスプレイヤーの本田雅人さんでした。
 この魅力的なイベントは、我が校が主催しているんですよ。企画から運営、そしてトリの演奏に至るまで、生徒たちは本当によく働いています。
 生徒たちにとっては非常に勉強になる素晴らしい機会です。音楽的に勉強になるだけでなく、他の中学や一流の大学の生徒学生、そして世界的な音楽家と触れ合うことによって得る体験は、とてもとても教室では求められないものです。
 私事ではありますが、実はウチの娘も本校のジャズバンド部に入部いたしまして、チョコチョコお手伝いなどをしておりました。中学に入学してベースを始めましたが、もちろんまだまだステージに上がるレベルではありません。しかし、最後の合同演奏では、カウベルをカンカン叩いて本田雅人さんと共演していました。なんとも贅沢なことです(とんでもないとも言える)。
 昨年の第7回は、自分の本番(たしかチャイコのピアノ協奏曲)があって行くことができませんでしたから、2年ぶりということになります。
 ただ、今回は事情があって後半だけしか聴くことができなかったので、全体の感想を述べることができません。明治、早稲田、慶應、東大、そして本校の演奏を聴いたり観たりした感想を少し(いや、たくさんか)。
 大学生の演奏については、やはり第4回の感想一昨年第6回の記事に書いたとおりです。頭でっかちになりすぎていて、あまり楽しくない。上手なんだけれども音楽が伝わってこない。
 講師の先生とは違う立場、すなわち聴衆の立場であえて厳しいことを書かせていただきますね。
 ずばり一言で言うならば、「コミュニケーション」が足りないのです。誰のために音を出しているのか。誰と音を出しているのか。
 特にジャズはオーディエンスとのインタラクティブな関係性の中で成立するものです。そういう本質がとても希薄に感じられました。
 これもまた一方に対しての皮肉になりますが(笑)、まるでクラシックのコンサートみたいなのです。一生懸命楽譜を再現しようとする奏者と乗れない聴衆。これではお互いに不幸ですよね。
 山野というコンペに向けての機会という意味合いも分かりますが、せっかくああいうロケーション(富士山麓の野外ステージ)なのですから、もっと純粋に楽しい演奏をしてほしいなあと思いました。
 自分の大学時代を思い出してもよく理解できます。そういう自己満足、崇高なる勘違い(笑)の年頃なんですよね。それはそれで仕方ないとは思いますが、やはり本質を忘れてほしくはありません。
 人間関係は「鏡」です。音楽などのエンターテインメントはその象徴です。奏者がこちらに明るく楽しいオーラを発してくれれば、こちらも自然笑顔でリズムに乗れるのです。そういうメッセージがちょっと足りなかったかなあ。
 いい演奏というのは、目をつぶっていても、その奏者の表情まで分かるものです。そして物語のような風景さえも目に浮かんでくるものなのです。
 そういう演奏をするための基本は、演奏者どうしの表情と風景の共有にあるのは言うまでもありません。結局そこが弱いのかなあという気もしました。
 分かりやすい例で言いますと、今ひとつ乗れないリズム隊の特徴としてですね、それぞれの奏者のカウントの取り方が基本的に違っているというのが散見されました。つまり、ベースはランニングしている四分音符で四拍で足を踏んでいるのに、ピアノは八分で踏んでいたりする。それって結局同じだと思う人もいるかもしれませんが、全く意味が違ってくるんです。
 いや、もっと言うなら、さらに大きなフレーズさえも共有しなくてはいけないのです。まるでお経の一文字一文字をただ合わせて唱えるようではいけません。意味の塊で捉えないと。そうすると最低限「息が合う」はずなのに、実際にはそうなっていませんでした。
 これって重要ですよ。あれだけの人数でコンダクターなしでそれをやるには、相当の意識化と訓練が必要です。いちおう同人数程度のアンサンブル経験豊富な私は、そこはいつも痛感しているところです。
 講師の先生も指摘していたとおり、今日は気温が低くピッチが不安定でした。たしかに東大や本校の演奏でもそれが顕著でしたが、この2校(それから最後の合同演奏)はそういう物理的な問題点を超えて楽しめました(東大はサドメルということもあるかな)。それは、おそらく上に述べた音楽(ジャズ)の本質がそこに現れていたからでしょう。
 ちょっと話が飛びますが、昨日の「真剣な八百長」にこじつけて言えば、ジャズっていうのは、ケツ決めではあるけれども、ライヴな緊張感と臨場感と即興性がないと、単なる野暮な「八百長」になっちゃうんですよ。
 そういう点で衝撃的だったのは、本田雅人さんの演奏でした。会場全体に溜息も漏れていましたね。それほど、上手なアマチュアとプロ中のプロの差は歴然だったということです。突然生きた音楽が富士山麓に充満したのです。
 音色、フレージング、音の選択、リズム感、ダイナミクス、色気…何を取っても次元が数段違っていた。理屈抜きに「うわぁ〜」としか言えませんでしたね。さすがです。やられました。それが当然と言えば当然ですが、こうしてコントラストがはっきりすると、真実を再確認せずにはおられません。
 それから最後に我が家全員の感想。これもまた厳しい言葉になるかと思いますがご容赦を。
 大学生ダラダラしすぎ!先生という職業病からか、イライラしてしまいました。MCもグダグダなのが多いし、集合も遅い。講師の先生に対する敬意や感謝の表現も足りない。イマドキの若者なのかなあ。偏差値は高いけれども…中高の教員として責任を感じました。
 それに比べ…いやいや、身内をほめるのはやめましょう(笑)。

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