恐山の院代が語る「死と生」
「死にたい=今の生き方がいや」「死にたいと思わないような人生は人生と呼べない」「転んだ時に励ましてくれる人がいるか」「夢と希望を持たなくても堂々と生きていた時代があった」「お金は走っていないと死んでしまう」「やりすごす」「すぐに結論付けない」「否定しない。つきあう」
先週の放送でしたが、何度見ても(聞いても)面白いので、皆さんもぜひ。
しばらくは動画で視聴可能ですし、その後はテキスト化されます。テキストで鑑賞するのもいいでしょうが、やはりこの南師の佇まいと物言い、そして、いつもと違って「う〜ん」とうなってばかりで質問できない反町さんの表情を味わってもらいたいなあ(笑)。
おっしゃっていることは、ちょっと仏教をかじったことがある人からすれば、まあ普通のことですし、私「モノ・コト論」と非常に似た考え方ですね。というか、私の「モノ・コト論」はお釈迦様のおっしゃったことを自分なり(日本人なり)に解釈しなおしたものですから。
だから結局、「コトよりモノ」の時代なんですよ。脳内で処理できる「コト」にばかり執着し奔走していた時代はもう終わりです。想定外の「モノ」の復権の時代です。バランスなんですよ、つまり。
南さんは「モノ(想定外・不随意)」を「やりすごす」とおっしゃりました。たしかに「やりすごす」ことができない人が多いと感じます。「やりすごす」ためには「待つ」忍耐が必要だからです。忍耐がないと、すぐに「解釈」し、あるいは「否定」し、あるいは「無視」します。いけませんね。
私は最近、「受け入れる」「やりすごす」どころか、「モノ(想定外・不随意)」を「楽しむ」までになっています。自分の脳ミソなんていうちっぽけな世界より、その補集合の方が無限に可能性があるからです。
そうそう、「あなたには無限の可能性がある」「自分の無限の可能性を信じなさい」のような言い方ってよくされますよね。私はいつも変だと思っていました。なぜなら、一個人は絶対に有限だからです。それもかなりキャパが小さい容器です。だから、まあ、へそ曲がりのアマノジャクと言われますけど、「あなた以外には無限の可能性がある」「自分以外の無限の可能性を信じなさい」と教えます(笑)。
「他力」とも言えますね。南さんのおっしゃる「誰か」の存在でしょうか。それは自分以外なので、それこそ無限にたくさんいる可能性があるわけで、それに気づくか気づかぬかで、幸福感というのは大きく変わってくると思います。
自分の脳の有限性に気づく。これが現代人の課題です。
南直哉さん、語り(説法)で存分にご自分の脳ミソ(思考・言語)にこだわって見せて、逆説的に「無常」「もののあはれ」を伝えようとしていますね。なるほど、そんなところも私に似ているかもしれません(笑)。
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コメント
先生、おはようございます。
南師のお話を伺っていると、なんだかわからないけど涙が出ました。
ご紹介くださり、ありがとうございました。
答えは出なくてもいいんですね。
私も「受け入れる」、「やりすごす」ことができるよう試みてはいるのですが・・・なかなか。
でも、いつかは先生のようにそれを「楽しむ」ところまでなれたらいいなあと思います。
投稿: 松原恵子 | 2012.05.24 10:04
前略 薀恥庵御亭主 様
この頃は「糖尿病」のせいで・・・
眼が霞んで「往生」しております。笑
愚僧も天邪鬼で・・・
痩せ我慢しつつ
眼の「不自由」を「満喫」致して
おります。
最終的には・・・
「本格的往生」になりますが
それまでは「プチ往生」を
楽しんで行こうと考えています。
合唱おじさん 拝
投稿: 合唱おじさん | 2012.05.24 22:28
>忍耐がないと、すぐに「解釈」し、あるいは「否定」し、あるいは「無視」します。いけませんね。
もう四半世紀前の出来事です。
生真面目な友人がいわゆる「宗教」に逃げ場を求めるようになって、転々とした挙句にたどり着いたのがオーム真理教でした。
「○○さん。麻原の何が凄いわけよ?」
と、たずねますと、
「尊士(麻原のことですな)は、こちらの疑問に対し、何事も瞬時に答えを出してくれる。」
そう答えました。
彼らの危険なところは、自分を特別視しているところで、興味の対象は結局自分自身にしか向けられません。他者を受け入れることが出来ませんから、常に不安にさらされます。そんな自分を防衛するために、彼らは他者を都合の良いように「解釈」し、「否定」し、「無視」します。
Only you だか Number one だとか言って、自分は特別で秀でた存在だとする風潮は、ある種の人間にとっては歪んだ選民意識となるようです。
投稿: LUKE | 2012.05.25 10:08