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2012.04.30

キッチュな神仏&人たち

娘が描いて下社秋宮に奉納した絵馬
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 日は上の娘と諏訪神社めぐりをしました。なんとマニアックな父娘だと思われることでしょう(笑)。
 そうです。実際そうとも言えますな。しかし、なんというか、もともとの動機はそんなに純粋ではないんですよ。いや、ある意味純粋なのかな(どっちなんだ)。
 最初は娘の方から提案があったんです。諏訪大社に行きたいと。その理由はですね、今、娘は東方にこっていまして…いやいや東方神起じゃないですよ、東方Projectの方です。
 お分かりにならない方もいらっしゃるでしょう。オタクの世界でいう東方とは、同人系の弾幕系シューティングゲーム及びそこから派生した二次創作作品群の総称です。
 私もオタク研究家として、その存在や特質についてはある程度知っていましたが、まさか自分の娘たちがそういう世界にハマるとは思っていもいませんでした。
 で、その東方ワールドにはですね、様々なキャラクターが登場するわけですが、そのほとんどが日本の神話や歴史に取材した、まあ一種のパロディなわけです。
 その中に洩矢諏訪子というキャラがいましてね、なんだかよく分かりませんが、つまりこういうことらしいのです(笑)。それで諏訪大社に行きたいと。聖地らしいです。
 子どもはこうして実際に神々と交信しているんでしょうね。山梨から長野にかけての合計10ほどの諏訪神社に参りましたが、なんだかものすごく興奮していました。私も実は同じくらい興奮しましたが、その理由についてはまたいつか書きましょう。全くの偶然で自らのルーツに関する大発見があったんですよね。あんまり軽々しく書けないことなので、もう少し調べてから記事にします。
 というわけで、今日はちょっと軽めに、ある意味斜めの角度から今日出会った神仏の紹介しましょう。キッチュな神仏です。
 実際のところ、御柱含め、全てがキッチュと言えばキッチュだったんですがね、中でもデザイン的にストレートに「変ちくりん」、いや、「カワイイ」神仏です。なんでこうなっちゃのかなあ(笑)。
 まずは、某マイナーな諏訪神社の随身門におわす二柱です。可愛くないですか?ww 製作者にお会いしたいです。どこかアニメチックであり、現代的です。最近の作でしょうね。

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 続きまして、下社春宮のすぐ近くに鎮座まします「万治の石仏」です。岡本太郎や新田次郎が絶賛したという最強の石仏ですね。私は15年ぶりの再会でした。なんでもその間に首が7センチ伸びたとか(笑)。さすがです。

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 後ろ姿もどうぞ。岡本太郎さん、好きそうですね、たしかに。

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 ここからは人間のキッチュなしわざです。今回の旅の、最高の運命的な出会いはこの「山口諏訪神社」でした。ここがウチのルーツに大きく関わっているからです。驚愕の事実が判明したのですが、この案内看板がすごいですね。どういうわけか活字が崩れ落ちています(笑)。やるな。

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 最後に某諏訪神社にあった看板。とってもステキです。

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 というわけで、なんだかふざけた記事になってしまいました。ウチの父娘が一番キッチュかも(笑)。
 いずれまた近いうちに諏訪信仰と富士山の不思議な関係について書きたいと思っています。諏訪七党が鍵を握る…。

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2012.04.29

新倉浅間神社(ホンモノの浅間神社)

Gedc3072 事の更新が遅れております。ある意味それほどまでに充実しているということです。特にここ数日の出会いや再会は本当に「有難い」ものばかり。「有ることが難しい」=「有り得ない」=「天に感謝するしかない」ということであります。
 読者の皆さまは、庵主はなんか特別な人生を歩んでいると思われるかもしれませんね。実際私の周囲にいらっしゃる方々は、私のそんな非日常的な日常の様子を見て「まったく変な人だ」と思っていることでしょう。
 ちょっと理解できないかもしれませんが、これはですね、私が「神々のネットワーク web0.0」に接続しているからなんですね。
 いえいえ、なんか変な宗教やってるとか、そんなの全然ありませんよ。私は「宗教のない世の中」を理想としているくらいですから。
 日本に宗教観が発生したのは、仏教が伝来してからです。昨日の夜もある方とそういう話をしました。仏教は経典を伴ってやってきた。また「仏像」というアイコンも伴ってきた。それらは私のモノ・コト論で言うと「コト」なんですね。人間(自己)の脳内で造られたアイテム、アイコンだということです。
 それ以前の神道(そんな言葉すらなかったのですが)的世界では、コトよりモノ(自然・自己以外の全て)の方が優位であった。物部氏はそれを司っていました。
 自己と他者を分ける境界線がはっきりしていなかったというか、自己は他者のために祈ることしかできなかったのですね。自己のために祈るというのはありえなかった。あのような大震災を体験すると、その感覚分かりますよね。
 話を戻しますと、私は仏教の勉強をしつつ、そこにとらわれることなく(そうそう「囚」という漢字は象徴的ですね。実は自分を守っている、自分にこだわっている状態なんです)、仏教以前の日本人の生き方を目指しているのです。
 そうするとですね、勝手に(なんて言うと失礼ですが)人生が動いていくんですよ。自分なんていうちっぽけな力に頼っているわけではないので、ものすごくダイナミックに、不随意に、想定外に動きます。
 というわけで、前置きが長くなってしまいましたが、今日は昨日の続き、予告通り「新倉の富士浅間神社」を紹介します。
 富士吉田の浅間神社というと、いわゆる上浅間と下浅間が有名ですね。上浅間は最もメジャーな北口本宮冨士浅間神社、下浅間は下吉田にある冨士山下宮小室浅間神社です。
 実はそのどちらも、非常に厳しい言い方をしますと「ニセモノ」ということになります(怒られるだろうなあ…笑)。ちょっとここでは詳しくは書きませんけれども、まあ、富士講における浅間神社という一つのテーマパークとして作られたものでしてね、怒られることを恐れずもっと極論してしまうと「カネ」のために作られた「コト」施設なわけです(ああ、言っちゃった)。
 あの、私たち夫婦が結婚式を挙げた北口本宮冨士浅間神社はですね、実は「諏訪神社」なんですよ。それを「カネ」と「権力」のために浅間神社に変えちゃったと。下浅間にはもっと裏話があるんですよ。
 では、ホンモノはどこにあるのか…というと、これはいくつか考えられます。一つに絞る必要はありません。ただ言えるのは、むか〜しから人が住んでいたところにある神社はやはり古い。すなわち正統です。
 富士吉田で古い遺跡が出るところ、縄文の遺跡が出るのは、明見と新倉ですね。富士山の溶岩が流れなかったところ。
 明見の浅間神社や明見自体の不思議なお話(& web0.0の話)はこちらの私のインタビューをご覧ください。怪しさ満載ですね(笑)。
 で、新倉の富士浅間神社についてはこの記録が全てを物語っているでしょう。あの、今では上浅間の象徴となっている火祭りについての記録です。文化年間に発刊された「甲斐国志」にですね、上吉田の諏訪神社の祭礼に、雪に見立てた綿帽子をかぶった富士山型の神輿が、新倉から運ばれたということが書かれているんですね。
 これはおそらく今の新倉浅間神社から諏訪神社に、富士山の神コノハナサクヤヒメの乗った神輿が出張したということを表していると思います。すなわち、新倉の方がホンモノだということです(ちょっと単純化しすぎていますが)。
 というわけで、忠霊塔にお花見や富士見にお出かけの際には、絶対に麓の浅間神社にもお参りしてくださいね。非常に由緒ある神社であり、富士山に正体するここにこそ、富士山の鎮火鎮爆を司るコノハナサクヤヒメがいらっしゃると思うからです。
 さてさて、明日は「諏訪神社」のお話をしましょう。上浅間は浅間神社としてはニセモノかもしれませんが、諏訪神社としてはどうなのか…いや、実はそこはまだ検証が進んでいないのですが、とりあえず諏訪神社巡りをする予定ですので、そんなお話をと思っています。

新倉浅間神社公式

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2012.04.28

富士と桜と…五重塔?

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 日は「いつもの丘」忠霊塔でお花見。遠くは新潟や横浜、東京からわざわざお出かけくださった皆さんと満開の桜の下、富士山を眺めながら楽しくお話に花を咲かせました。
 初めてお会いする方が半数でしたが、共通の話題があるとすぐに意気投合して盛り上がりますね。
 フジファブリックの「桜の季節」を聞きながら、その音楽や詩の世界の不思議について語り合いました。いろいろな意見が出てきて私も勉強になりました。
 それにしても天気がよく、最後のシチュエーションでしたね、今日は。我々地元民はなんとなく見飽きてしまった風景でもあるわけですが、冷静に考えると、これはたしかに日本一の富士山かもしれません。
 さて、そんな日本一の富士山を臨む「忠霊塔」ですが、正式名称は新倉浅間公園と言います。地元の人は正式名称で呼ぶことは皆無で、とにかく「忠霊塔」と呼びますね。
 富士五湖文化センターと言わないで「市民会館」と言うのと同じです。どの地方にもそういう「方言名称」というのがあるものですね。だから、旅行者に道を聞かれると分からなかったりする。「新倉浅間公園どこですか?」と聞かれても、すぐにピンとは来ませんね、富士吉田市民は。
 ちなみに「忠霊塔」というのは、この前書いたように戦没者の御霊を祀る慰霊施設です。富士吉田の忠霊塔は昭和34年に造られたもので、全国的に見るとかなり新しいものです。五重塔はあるは、明治大帝(明治天皇)の像が富士を見やる形で建てられていたりして、実はちょっと珍しい忠霊塔ですね。
 富士と桜…まさに日本を象徴する景色だと言えるでしょう。古き良き日本ですし、戦争における日本国の象徴であるとも言えますね。
 また、フジとサクラと言えば、銀塩写真時代を思い出す方も多いでしょう。今日もたくさんのカメラマンが日本一の富士と桜を撮影するために集まっていました。このある意味コテコテの風景素材をどのように捉えるか、表現するか、これは難しい問題です。だからでしょうかね、いわゆるプロのカメラマンはあまりいません。アマチュアカメラマンがほとんどです。
 考えてみると、富士と桜にプラス「五重塔」ですからね(松」もあるか)。なんだかワケわからん「日本」ですよ。五重塔と言えば仏塔ですから、まあ普通はお寺にあるものです。神仏習合で神社にある場合もありましたが、明治になっていわゆる廃仏毀釈で壊されたりしたところがほとんどです。
 で、ここ忠霊塔の五重塔というのは、お寺でもなく、また神社でもないんですよね。単なる「忠霊塔」なわけです。これもまたなんというか富士吉田らしいというか、日本らしいというか、ある意味とってもいい加減な建造物です(笑)。
 外国人は喜びますよね。この風景は。今日もドイツ人とおぼしき旅行者が一生懸命写真を撮っていました。欧米ではこの実に作り物くさい「日本の風景」が紹介されることが多いと聞きます。面白いですね。
 ああ、そう考えると、フジファブリック「桜の季節」の歌詞にある「作り話に花を咲かせ」というのと、なんとなく重なるような気もしますね。妄想の産物というかなあ。面白いですね。志村くん、「いつもの丘」で、実はそんな嘘臭さを感じ取っていたのかもしれませんね。
 「新倉浅間公園」という時の「新倉浅間」とは、忠霊塔への登り口にある「新倉の富士浅間神社」のことです。この神社について、あるいはコノハナサクヤヒメについては明日にでも書きましょうか。

PS 次回の集まりは8月5日河口湖湖上祭の日にしようと思います。みんなで「最後の花火」を見ましょう。

新倉浅間神社公式

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2012.04.27

「我他彼此」の見を去る

20120428_101717 日は朝から晩までいろいろな先生と教育論議をいたしました。とても楽しい一日でした。
 昨日紹介した本に登場されていた方とも夜にお会いし、大いに盛り上がりました。はたから見れば、敵同士の対決なのかもしれませんが、お互いそんなことは全くなく、ただただ楽しく充実した時間を過ごさせて頂きました。
 35年前の自分との再会もあったりして、まあ不思議なご縁とういか因縁というものを感じましたね。今後ものすごく面白い展開になりそうですよ。
 たまたまなのかもしれませんが、今日お話した先生方は皆さんとてもスケールの大きな方々でして、たとえば私の禅問答のような会話にも全く拒否反応を示すことなく、逆に深い理解を示して下さいました。こういう先生方ばかりだといいのですが。
 たとえば「我他彼此」の話。
 皆さん、「ガタピシ」という言葉ご存知ですよね。最近あまり使われないかもしれませんが、戸などの建てつけが悪く、開閉がスムーズに行かない状況を表す言葉ですよね。ガタピシする。
 こういう使い方の時は、まあオノマトペだと考えていいと思いますが、実は漢字としては「我他彼此」という字を当てることがあるんですね。
 「我他彼此(がたひし)」とは仏教用語で、「我」と「他者」、「あちら」と「こちら」が対立している状態を指す語です。
 そんなところから、建てつけが悪くて「軋轢」が生じている状態を表す「ガタピシ」というオノマトペに「我他彼此」という字が当てられたのでしょう。なかなか深い当て字ですね。
 で、仏教では「我他彼此」というものの見方を去ることをすすめています。自分を意識し、自分の考えや立場に執着するから、他者が生じ、敵や煩悩が生まれるわけですから、いわゆる「無我」を目指すわけです。
 これがお釈迦様が発見した究極の生き方です。二つを一つに統合する。それが「不二」でもあります。そのあたりを私なりに分かりやすく書いたのが、「幸せになる唯一の方法」という記事ですね。
 今日、寝る前にこんなことをツイートしました。ここにも私の基本的な姿勢が現れているかもしれません。

 『私にとっては「敵」も「味方」もないんですよ。そんなレベルの自他の問題ではありません。そんなものとっくに統合(昇華)されています。だから全部面白いのです。「敵」を作ること、人を非難する(人のせいにする)ことは一番簡単なことです。しかし実はそれは怠惰と等しいのでした』

 「あいつが悪い」とか「あの団体のせいだ」とか「あいつらに洗脳されている」とか「あの秘密組織の陰謀だ」とかいうような「人のせい」を想定することは実に簡単なことです。世の中そんなのばっかりですよね。
 そうして、自己の正当性を主張したり、被害者意識に甘えたりすることは、実は一番大切な自己検証をしないことの宣言であり、そういう意味で「怠惰」だというわけです。自己洗脳状態ですね。
 私はそういう大人になりたくありませんし、そういう大人を育てたくない。「我他彼此」の見を去ること、去らせること、ただそれだけです。
 明日からまた、たくさんの方々とお会いし、いろいろなお話をさせていただきます。「我他彼此」のない「不二」の世界を楽しみたいと思います。よろしくお願いします。

 
 

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2012.04.26

『教育の不易と流行 江部満 編集者の歩み』 TOSS編集委員会 (学芸みらい社)

ギネスで世界一に認定された編集長
20120427_173532 く不思議な縁ばかりでビックリしどおしです。今日もお互いに「ありえない」と思う出会いがありました。というか、私は直接お会いしていないんですがね。
 いや、そんなことが日常になってしまっていて、あまり驚かなくなっているかもしれません。人は「引き寄せの法則」と言います(笑)。
 で、その方、この本を置いてゆかれました。この本にも登場している方です。ちょうどこの前、「教育の不易と流行」について書いた矢先でした。こちらの記事です。そのタイミングの良さにもちょっとビックリ。
 ええと、最初に確認しておきますが、私は向山洋一が大嫌いです(笑)。生理的にダメです。その理由はこちらに書きました。私自身がある意味向山洋一の被害者だったからですね。
 もちろん、そういう生理的な(感情的な)好き嫌いを抜きにすれば、彼の理論と実践、というか教育技術法則化運動の端緒となった彼の問題意識については、普通に評価していますし、私の今抱いていてる問題意識と重なる部分があることも認めます。
 しかし、やはり私の教育理念とは相容れない部分が多すぎます。いや、理念じゃないな、それこそ生理だ。教育生理ですね。
 私は「宗教」について研究し、「超宗教」的な生き方をしているモノですから、教育界にこういう「カルト」があること自体に、非常な嫌悪感を抱きます。いくら内容に価値があっても、それを取り巻く、いや信奉する人間たちに問題があるのは許せません。
 おそらく、そうした信者たちは、私に対して理論的な攻撃をしかけてくることでしょう。しかし、私はひるみません。なぜなら、先ほど書いた「生理」があるからです。コトよりモノが勝つのは当たり前ですから、私は折伏されない自信があるのです(困った人でしょう…笑)。
 というわけで、この本の主人公たる江部さんについても、今までは向山氏に対するのと同じような感情を抱いていました。ある意味敵の参謀だと思っていた。この本を一読してまた、その感を強くしましたが、しかし一方で江部さんとは案外話ができるかなとも思いました。そこまで生理的な嫌悪を感じないからです(というか、実際に会ってないからか)。
 まあ、最近は日教組関係の方とも仲良く話ができるようになりましたし、もうなんというか、もっと大きな視野でものごとをとらえ動かして行かないとどうにもならないということが分かりましたからね。向山教の教義についても、もっとちゃんと勉強しなければいけないかもしれません。単に嫌悪しているだけじゃダメなのでしょう、これからは。
 そうなんですよねえ、最近は「敵」と思っていた人たちがウチに集まってくる(笑)。
 そのうち、向山氏とも笑顔で話ができるかもしれませんね。事実、あの頃の同窓会をやろうという話もありますから。
 今日いらした方は、ある意味向山教の信者であるわけですが、また別の方面では、私と同じ「宗教」を信奉しているという全く不思議な状況でしたので、ぜひとも一度お会いしてお話しをしてみたいと思いました。
 いやあ、まったく縁というのは不思議ですね。そして、不思議な縁には必ず意味があるはずです。これをチャンスに私の人生のお仕事を更に進めていきたいと思います。

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2012.04.25

缶蹴り

Gedc3040_2 年恒例となっている新入生歓迎お花見&缶蹴り大会。今年もまた盛り上がりましたねえ。自分で言うのもなんですが、ホント面白い学校だと思いますよ。
 そうそう、今年の3年生は、無農薬の米作りにも挑戦しますし、ブルーベリーの栽培、ジャムの製造まで体験します。とにかく自然と格闘する体験を重視しているというわけです。
 昨年はこちらの記事にあるように21日に実施しました。一昨年は13日。ということで、今年の桜の開花は少し遅めということですね。
 さてさて、この「缶蹴り」ですが、昭和以来長く伝承されている遊びですね。とは言え、最近の小学生の缶けり体験率は25%を切ったそうです。なんか寂しいですね。缶蹴りができる環境がなくなったということでしょうし、集団での外遊びの機会も減ってしまったということでしょうか。あるいは、缶を蹴るという行為自体がゴミを散らかす非道徳的なこととされてしまうのでしょうか。
 そういえば、2009年のセンター試験で「かんけりの政治学」という評論が出ましたっけね。こちらで論評しております。あの評論でもどちらかというとノスタルジーの対象として描かれていたような気がします。
Gedc3050 缶蹴りは基本的に鬼ごっことかくれんぼの混合した遊びです。そこに、「缶」というアイテムによって陣取りの要素も加わっています。
 缶の一般家庭への普及を考えると、やはり戦後に発祥した遊びという気がします。陣取り的な発想、捕虜とその解放の発想などからも、戦争へのノスタルジーや子どもならではの憧憬というものが感じられますね。
 そう、今日みんなで缶蹴りをした「忠霊塔」はですね、その名が表すとおり、日清・日露戦争、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦の戦没者の慰霊のためのモニュメントや施設ですから、そこで擬似戦争的遊びをすることには、何か意味があるような気もします。
 私は単純な反戦主義者ではありませんから、その辺に関してはどちらかというと寛容といいますか、子どもたちがこういう遊びをすること自体がむしろ御霊に対する慰めになると考えます。異論はあって当然ですがね。
 まあ、そんなことは抜きとして、毎年のこと、こうして崖から落ちるなどの危険を顧みず、山全体を使ってダイナミックな「集団外遊び」ができる生徒たちは立派だと思いますよ。子どもたちを見ていると、少し安心したりします。
 頭脳戦、集団戦、ゲリラ戦などなど、それぞれ個性が現れて面白いですよ。こういう中から、生きる力=死なない力を身につけるのでしょうね。
 この缶蹴り、我が校の伝統としてこれからも続けていこうと思っています。


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2012.04.24

ぼっち

51bnk7dhtl る意味時代の先端を行っている「ぼっち」。一人ぼっちで行動すること、あるいは行動する人のことです。ネットスラングとして使われるようになり、いつのまにか市民権を得た言葉です。
 私もけっこう「ぼっち」派です。意外に思われるかもしれませんが、基本「ぼっち」が好きなんです。
 実際、高校時代なんか、完全に「ぼっち」でしたね。弁当食べるのも「ぼっち」でしたし。いわゆる「ぼっち飯」「ぼっち弁当」のはしりですな。教室では一緒に食べてくれる人がいなかったので、部室で一人食べたりしてました(笑)。てか、みんなは昼休みまでに全部「早弁」してたんですよ。私はまじめだったので(?)、ちゃんと昼休みに昼ごはん食べてたのです(笑)。
 この「ぼっち」、ご存知と思いますが、「法師」がなまったものです。「ひとりぽうし」が「ひとりぼっち」になった。
 その他、「だいだぼっち」とか「だいだらぼっち」とか「でーだらぼっち」とか「でーたらぼっち」とか言う、あの巨人も元々は「大太法師」とか「大太郎法師」だったと考えられます。
 あとは、さんだらぼっち(桟俵法師)なんていうのもあります。いずれにせよ、「ぼっち」とは元々「法師」すなわち「お坊さん」「僧侶」を表す語です。
 「坊主(ぼうず)」が、僧侶のみならず、男の子(や女の子)を指すようになったのと同じく、「ぼっち」の方も、特に僧侶ではなくとも、一人の男性を指すようになり、さらに意味が拡張して一般的に「人」を表すようになりました。
 ただし、ただの人ではありませんね。そこには、マイナスのイメージがつきまといます。
 僧侶は本来「聖職」ではありますが、敬意の逓減の法則に則ってでしょうか、はたまた実際に破戒僧が増えたからでしょうか、「坊主」も「坊」も「ぼっち」も、どちらかというと蔑みのニュアンスを含むようにもなりました。
 だから、今でも、「〜坊主」とか「〜坊」とか「〜ぼっち」は、あまりいい意味に用いられませんね。
 一人ぼっちの「ひとりぼうし(独法師)」は、江戸期にはそれこそ「ひとりぼっちの坊さん」というような意味で用いられていましたが、のちには一般的に「たった一人でいる人」を表すようになっていったようです。
 そこには、「たった一人でいる」ことに対する卑下や蔑視があるということですね。つまり、日本では「たった一人でいる」ことはいいことだと思われてこなっかったというわけです。
 まあ、人間は社会的な動物であり、独りきりでは生きにくいことはたしかであり、なんとなく友達がたくさんいる方が得するような気もしないでもありません。
 しかし、一方で、世の中や大衆に迎合せず孤高を貫くことにも価値を認めてあげたいような気もしますね。
 今はやっている(?)「ぼっち」という言葉にはどういうニュアンスがあるのでしょうか。やはり、上記の語誌に従って、あまり良いイメージでは使われていませんよね。なんとなく「暗い」「寂しい」という感じです。
 しかし、こうして一種の流行語化するということは、単なる他者に対する蔑視や卑下とは違い、自己蔑視、自己卑下による「ギャグ化」という高度な文化的昇華機能もあるように思えます。
 ある意味、誰しも抱えている(一見社交的で明るい人も持っている)、人間としての本質的な属性に対する共感というか、社会性に対する違和感の共有というか、そういう意味合いもあるような気がしますね。
 実は「ぼっち」でありたいという人もいるでしょうし、私のように「ぼっち」でいる時間が一番くつろげるという人もいるでしょう。「ぼっち」でいられる強さを身につけたい人もいるでしょうし、「ぼっち」にある種のかっこ良さを感じる人もいるかもしれません。
 ちなみに「ふた」という意味の「ぼっち」は語源が違いますよ。「鼻ぼっち」とかね。これはたぶん、「帽子」からの変形だと思います。方言で「帽子」のことを「ぼっち」という地域はけっこうあります。帽子も「ふた」みたいなものですからね。

Amazon ぼっちーズ

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2012.04.23

モンタナーリの「四季(ヴィヴァルディ)」

 日は甲府に出張でした。御坂の桃の花もそろそろ終わりですね。ずいぶんと色が濃くなっていました。季節の移り変わりを感じます。というか、富士北麓はまだ桜も満開ではありませんからね。今日は寒かったし。まだ冬の匂いがしますよ。
 と、そんな「四季」の変化やら、微妙なズレを感じた今日は、久しぶりにヴィヴァルディの四季を聴いてみましょう。それもかな〜り個性的なヤツ。
 まあ、だいたいこの名曲(迷曲)は飽きるほど聴いているので、今ではこのくらいやらないと新鮮味がないんですよね。
 というか、案外ヴィヴァルディはこんな風に演奏したかもしれない。イタリアにおけるヴァイオリンの地位なんか、これくらい野蛮だったはずですから。いったい誰でしょう、ヴァイオリンを高尚な楽器に祭りあげてしまったのは。
 それにしても、イタリア人って面白いですね。イタリアの古楽って、ある意味全然古楽じゃない。このモンタナーリさんにしても、楽団の人たちにしたって、全然考証的な楽器を使っていない。顎当て、肩当てはもちろん、スチール弦でビンビン弾いている人もいるし、アジャスターさえ付いている。
 まあ、彼らにとっては、歴史的な事実なんかどうでもよくて、音楽が「今」イキイキしていればいいわけですよね。それが本当、本道なのかもしれません。さすが音楽の本番です。私は好きですね、こういうスタンス。
 しっかし、この演奏やら映像、いろいろ突っ込みどころがあって楽しいですね。私もこんなふうに弾いてみようかな。風貌は似ていると似ているので(笑)。

「春」 

「夏」

「秋」

「冬」

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2012.04.22

富士山のおっぱい(のむヨーグルト)

14144229 山は大きな災害ももたらしますが、逆に人間生活に対して豊かな恵みをも与えてくれる存在です。
 我が村なんか、高原キャベツや、最近ではブルーベリーの栽培なんかが盛んですね。溶岩台地や火山灰の積もった粘土質の土のおかげですね。
 ああ、それから、これもここ二十年くらいの話ですが、「水」ですね。地下水を汲み上げられるようになってからというもの、水はけの良すぎる溶岩のおかげで慢性的に水不足だった村は、今や「富士山の水」「鳴沢の水」をガソリンよりも高く売る村になりました。このおいしくてバナジウムなどのミネラルを豊かに含む水も火山のおかげですね。
 もう少し大きなスケールで考えますと、火山からの噴出物は「平らな土地」を作ってくれます。以前、静岡大学の小山さんが作った「もし富士山がなかったら地図」を拝見したことがありますが、この辺なんか、丹沢山塊や御坂山系の急峻な山々が複雑に入り組んで、とてもとても人の住めるような土地じゃなかったことが分かりました。
 こうして、人が住み、観光地や工業地帯があるのも、富士山が何度も大噴火をしてくれたおかげということです。
 朝霧高原などの「牧場」も富士山の恵みの一つですね。全国の牧場は火山の麓に集中してあります。
 これもまた、陽当りの良い平坦な広大な土地があるおかげですね。もちろん、朝霧高原もそうだったように、最初は岩がゴロゴロ転がっている荒地だったわけで、そこを開墾して牧草を植え、そして牛などの動物を連れてきて牧場としての経営を成立させるには、とんでもない人間の苦労があったわけです。
 まさに自然の恵みと人間の努力によって、あののどかな風景が創りだされたというわけです。
 さて、そんな富士山の恵みたる牧場で作られているのがこの「富士山のおっぱい」です。かのミルクランドのブランド商品です。
 正確には丹那牛乳の製造なので、富士山からつながる箱根伊豆の火山のおかげでできた製品です。ま、伊豆、箱根、富士山は大きな火山帯ですから、細かいことはいいでしょう。
 この「富士山のおっぱい」という飲むヨーグルトがうまいんですよ。とにかく絶妙な味でおいしい。ウチの子どもたちも大好きで、先日も静岡の父が朝霧の道の駅で500mlのパックを買ってきたのですが、すぐに取り合いというか飲み合いになってしまい、あっという間になくなってしまいました。
 うん、この甘さや酸味のバランスがたまらないんですよね。甘すぎずすっぱすぎず、濃厚すぎることもなく、淡白すぎることもない。なんとも美味であります。
 これなら毎日ガブガブ飲みたいと思いますね。その辺で売ってるフツーの飲むヨーグルトとは明らかに一線を画しています。しかし、通販でも買えますから、ぜひともご賞味あれ。
 「富士山のおっぱい」とはなかなかのネーミングですね。恵みという感じがします。「おっぱい」ということは、やはり富士山は女性ということですね。ええと、ということは、木花咲耶姫か、かぐや姫か、いやいやミルクランド発となればみるく菩薩様でしょうかね(笑)。

さらっとしたのど越しの後、爽やかな甘さが感じられます♪富士朝霧高原 富士山のおっぱい のむヨーグルト

ミルクランド オンラインショップ
 

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2012.04.21

貧乏ゆすり=健康ゆすり

Void0 はいろいろな趣味・特技を持っておりますが、もしかすると一番得意なのは「貧乏揺すり」かもしれません(笑)。
 かなり得意です。いつでもどこでもできます。何時間でもやっていられます。
 今も記事を書きながらガンガンやっております。というか、貧乏揺すりしないと文章書けません。私にとってこの振動は脳への刺激になっているようです(ホントか?)。
 そうそう、いつも思うんですけど、「貧乏揺すり発電」ってできないでしょうかね。このエネルギーが無駄に消費されているのがもったいないような気がするんですが。世界中の「貧乏揺すり」エネルギーを集めれば、原発1基分くらいにはなるでしょう、たぶん(猫の爪とぎ発電というのも考えています)。
 さて、この「貧乏揺すり」、なぜ起きるのか、なぜ揺するのか、よく分かっていないんですね。様々な説があるようですが、とにかく行為としてはあまりよく思われていませんね。
 だから、「貧乏」という悪いイメージの言葉を与えられているわけです。理由はよくわからないけれど、マナーとして許されないことには、そういう命名がされるのが普通です。
 たしかに、近くにいる人はイライラしますよね。実際揺れることもあるし、見た目にも落ち着かない。さらに本人は気づいていないことが多いのでたちが悪い。
 諸外国ではなんと言うのか、ちょっと調べてみましたが、固有の名詞はあまり与えられていないようで、ただ「膝を揺する」とか「神経質に足をふるわせる」とかそういう説明的にしか翻訳できないようです。
 そんな貧乏揺すり、最近、その汚名を払拭するような説が新聞に載りました。日本経済新聞の「貧乏ゆすり、実は健康にプラス エコノミークラス症候群予防にも」という記事です。
 これはすごい。血行促進、軟骨の再生促進。貧乏揺すりではなく「健康揺すり」か。
 私の仮説ではですね、最初に書いたように、脳への刺激にもなっていると思うのです。イライラしている時、ストレスを溜めている時にやっちゃうと言われていますが、実はそういう時というのは、ある種の打開策を思考している状態であるとも言えますよね。脳に刺激を与えてアイデアの誕生を促しているのです。
 もしかすると、ボケ防止とかにも使えるかれしれない。そういう研究もぜひしてもらいたいですね。
 私は、家にいる時は全く遠慮せず貧乏揺すりをフル稼働しています。よって、常に家が揺れている。震度1くらいの揺れです。家族ももう慣れてしまっているようです。そう、男性の方が圧倒的に揺するんですよね。面白いですね。
 考え方によっては、ホンモノの地震も、地球の貧乏揺すりみたいなものかもしれませんね。少しずつストレス解消した方がいいでしょうし、何かの打開につながる刺激になればいいのですが。
 さてさて、ついでにこれを紹介しておきましょうか。おととい、iPhoneの睡眠記録アプリを紹介しましたね。こちらも加速度センサーを利用した面白アプリです。「戒!貧乏ゆすり」。貧乏揺すりを感知するとバイブで警告してくれるそうです(笑)。

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2012.04.20

メキシコ・ポポカテペトル山が噴火

002 18日、メキシコの火山、ポポカテペトル山が久しぶりに噴火しました。
 前回の活発な活動はたしか2004年から2005年くらいだったと記憶していますので、8年ぶりくらいのことでしょうか。
 そう、ちょっと気になるのは、2004年から2005年と言えばですね、例のスマトラ沖地震が連発した時じゃないですか。そして、先日その誘発地震たるスマトラ沖アウターライズ地震が発生して、そして再びポポが噴いたということですね。
 両者にはなんらかの関係があるのでしょうか。もちろん、環太平洋ということで言えば、地球という生命体の同じ部位だとも言えますからね。
 まあ、いずれにしても、東日本大震災以来、環太平洋火山帯(地震帯)の活動が活発化しているのは間違いないでしょう。
 それにしても、写真をご覧になってビックリされたでしょう。まるで富士山が噴火したような光景ですよね。
Popocatc3a9petl_26_cd_de_mc3a9xico ポポカテペトルはなかなか立派な独立峰の成層火山です。富士山よりずっと高く、標高は5,426mもあります。富士山より1.5倍も高い!でっかい山ですね。ま、近くのメキシコシティ自体が2000メートル以上の高地ですから、雄大さは海からそびえ立つ富士山の方が勝るとも言えますが。
 今回はとりあえず周辺住民2万8千人に避難勧告が出たとのこと。また、メキシコシティまでは約90キロということですから、ちょうど東京と富士山の距離と同じくらいということになりますね。風向きによってはそちらにも被害が及ぶのでしょうか。
 富士山もいずれこのように噴煙を上げる時が来ます。100%来ます。その時は、ウチなんかは一発で避難区域に指定されますね。もちろん、そういう覚悟と準備のもとに住んでいるわけですが。
 そして、ご存知のように、私は毎日ラドン濃度等を計測しております。自分で自分と家族の身を守るためであります。
 このブログでは「富士山ラドン濃度と全国の地震の関係」という形で報告させていただいていますが、実は自分として最も知りたいの「富士山噴火の兆候」なのです。富士山自体に動きがあれば、当然ラドン濃度に大きな変化があるはずです。それをとらえるのが第一の目的なのです。
 エトナ火山の時もそうでしたが、世界の火山の噴火に接するたびに、この眼前の美しい富士山の山容もいつか大きく変化する時が来るのだな、この山は生きているのだなと再確認させられます。
 もちろん富士山の噴火は恐るべきものでありますが、しかし同時に生きている間にその様子をこの目で見てみたいと思う気持ちがあるのも事実です。
 山体崩壊で形が変わってしまうのだったら、噴火の方がいいよなあ…なんて思っているのは私だけでしょうか。
 ある意味不謹慎であるのは分かっていますが、火山の噴火という自然の営みに接してみたいのです。自然災害という概念自体、人間中心のものですしね。もっと大きなスケールでの考えだってあっていいと思います。

 

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2012.04.19

ぐっすり~ニャ/睡眠記録(iPhoneアプリ)

Mza_1971488640915140366 このところ体調不良(カゼ)のおかげでゆっくり眠れます(笑)。この前の土日なんかのべ40時間も眠れましたので、不眠ということは全くありません。逆にこんなに眠れる体力があったのかと驚いています。
 まあ、それでも現代はいろいろな条件から睡眠が安定的にとれない環境になっているのはたしかですね。
 ウチのカミさんみたいにどんな状況であろうと死んだように眠れる!という幸せな人もいますが、一般的には睡眠障害で苦しむ方が多いのもうなずけます。
 私も不眠ではありませんけれども、たしかに夜中目が覚めることが多いような気がします。いったい、自分の睡眠が正常なのか、はたまた異常なのか、それを知る一つの手段がこのアプリです。
 まずですね、キャラクターである「レオナルド・フミンチ」という猫ちゃんがカワイイですよね。猫に不眠は、猫に小判と同じくらい縁遠いもののような気がしますが、そこが面白いところでしょうか。猫さえも眠れない現代なのでしょうか。
Mza_7766087334815504467 で、このアプリでは、iPhoneの加速度センサーを利用して、睡眠中の我々の寝返りなどの動作を記録し、眠りの深さ浅さをグラフ化して見せてくれるというものです。
 私もさっそく試してみましたが、途中ホンモノの猫の侵入により、大きくグラフが乱れしてまいました(笑)。
 それでも、毎日欠かさず記録しているとフミンチちゃん(実際はお父さんという設定だが)の着せ替えができるようになったりするらしく、ちょっとした楽しみもあります。
 最近では、そうした「睡眠障害」を薬でなんとか克服しようとする人が多くいますね。睡眠薬や睡眠導入薬です。もちろん、それで症状が緩和するのであれば、一概に悪いとは言えないと思いますが、人間の三大欲求の一つである睡眠欲を薬でコントロールするとなると、これは他の欲求、食欲と性欲を薬で増大させているのと同じわけですから、なんだか変と言えば変なような気もしますね(笑)。
 で、お医者さんで処方される睡眠薬とは違い、もう少し軽い感じで薬局で買えるのが、このアプリが最終的に買わせたいのであろうドリエルのような「睡眠改善薬」ということですね。
 ま、私の場合は、一日一食生活をしていまして、夕飯を食べる(&適度なお酒をいただく)と、すぐに眠気が催されますので、あんまり必要ではないようですが。

App ぐっすり~ニャ/睡眠記録

レオナルド・フミンチ物語


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2012.04.18

ヴィヴァルディ 『調和の霊感op.3-11』

Ottavio Dantone Accademia Bizantina

 学校創立とともに設立された弦楽合奏部も3年目を迎えました。新入生も4人の入部が決まり、なんとか各パート一人ずつ維持できそうです。
 ヴァイオリンやヴィオラ、チェロという、田舎者にとってはハードルの高い楽器への先入観を取り除き、私のように一生楽器に親しみ音楽を楽しむような生徒たちを育てたいと考えて始めたこのクラブ。
 ある意味では「邪道」を思いっきり突っ走ってきました。指導はあくまでワタクシ流。教本も使わないし、いわゆる基礎練習もあまりしないで、いきなり「カノン」を弾かせていきます。
 私自身がちゃんとした教育を受けていない、しかし皆から笑われながらも(面白がられてることが多い)、プロの方々とご一緒できるようになったこの経験を活かそうというわけです。なにしろ、なんの苦労も努力もしないで、ただ楽しく合奏しているうちにこうなってしまったので(笑)。
 これが意外にいいんですよ。生徒たちも全く型にはまらず、それぞれ個性的な演奏スタイルになっていますけど、それなりにうまくなり、そしてなんといっても楽しそう。スパルタで楽器や音楽が嫌いになるなんてことはありません。
 もちろん、楽器はヴァイオリン1万円、ヴィオラ1万5千円、チェロ2万5千円というトンデモなしろものを使わせております(笑)。
 こういうのをプロのヴァイオリン教室の先生が知ったら、まあ大変でしょうね。とんでもない!とお叱りを受けそうです。
 生徒たちの頑張り…いや「楽しみ」のおかげさまで、彼らもなんとか人様の前で演奏できるくらいになってきました。
 最近ではアイネ・クライネ・ナハトムジークの第1楽章をいちおう完成させたので、さあ久しぶりにワタクシの趣味たるバロックに回帰しようかと思い、今回はこの曲を選んでみました。
 なにこれ?つまんない!とか言われると思ったら、「かっこいい!」って言うじゃないですか。さすがヴィヴァルディは「新しい」。
 この曲、私も高校の弦楽合奏部でよく演奏しました。もちろん、プロになってから…いやいや、プロじゃなかった(笑)、人前でバロック・ヴァイオリンを演奏するようになってからも、いろんなパートを弾きましたっけ。そのたびに、「かっこいい!」と思ってきたものです。
 そう、この曲、やっぱりヴィヴァルディの中でも最高傑作だと思いますね。当時の衝撃もすごかったと思います。だって「かっこいい!」んだもん。
 あのバッハも、ご存知のとおり、オルガン・コンチェルトとして編曲しています。これはこれで面白い。バッハがヴィヴァルディをどう評価していたかよく分かります。つまり、まずは絶対的な尊敬の念があったと。手の加え方、音の加え方でよく分かりますよね。

バッハ オルガン・コンチェルト BWV 596

 さて、生徒たち、この難曲をどう弾きこなすのか。ちょっと楽しみです。私も久々にいろんなパートを弾いてみたいと思います。
 あっそうそう、そのうち、ワタクシ独自のメソッドを教本として出版しようと思っています。題して「絶対プロにはなれないヴァイオリン教本」(笑)。

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2012.04.17

全国学力・学習状況調査…

Dscf1995s 日、本校でも全国学力・学習状況調査を実施しました。ウチは抽出校だったので、正確にいうと実施させられたというところでしょうか。
 いや、このテスト自体は受けさせていただけてありがたいと思いますよ。生徒にとってはいい体験でしょう。こういう問題苦手でしょうから。
 そう、今回初めて問題をちゃんと拝見しましてね、ちょっと驚きました。へえ〜こんな問題なんだと。名前とは裏腹に全国の学力や学習状況を測るにはずいぶんと偏った内容だなあと。
 またこんなこと言うとエラい人たちに怒られそうですが、私は恐れるものは何もない、ただ、子どもたちと未来の日本のことを思って、現場の人間として当たり前のことを発言させていただきます。
 簡単に言えば、これは教科書の内容、教室の現状を逸脱したテストです。
 たしかに、真の意味での「生きる力」を観るにはそこそこいい問題揃いだと思いましたが、これを教室で皆に教えるとなると、かなり難しいと感じます。
 つまりですね、このテストおよび付随する校長と生徒に対する質問を見ると、そこに明らかな誘導というか、意図を感じざるを得ないのですよ。
 今の子どもたちは知識偏重で応用力がない、インプットばかりでアウトプットが苦手だ。こういう結論が先にあって造られた問題という感じなのです。
 それも、いわゆる「学力」が低いのはこういう学校、こういう家庭の子ども…という非常に危険な先入観が先にあって、それを実証するための内容に見えてなりません。私は質問に答えながらいらいらしてしまいました。
 このテストや質問は、その生徒、その学校、そして国の「学力」を測り数値化するという目的があるとともに、今後の国策としての教育のあるべき道を模索するための資料という意味合いも強くあります。
 それがですね、とにかく先に結論ありきな感じなんです。その結論とは、非常に単純に感覚的に導き出されたものです。つまり、国際標準という最も実体のない幻想から生まれたものだということ。
 うんざりします。まだPISAとか騒いでいるのですか?◯◯オリンピックで上位に入賞させたいからですか?
 だいたい、「理科離れ」幻想に惑わされて、突然「理科」だけ新規導入して、「国語・数学・理科」という教科で何を測ろうというのでしょう。英語は?社会は?
 ちょっと分かりやすい例として、こんなのはいかがでしょうか。こういう先入観ってありませんか?
 「朝食を食べる子どもは成績が良い。朝食を食べない子どもは集中力がなく成績が悪い」
 そして、すぐに単純に政策として「朝食を食べよう!」ということになる。覚えがありますよね、そういうの。
 じゃあ、全員朝食を食べるようになれば、全員集中力が上がり成績も上がるのか。そういうことです。そんなこと、それこそ小学生でも分かる間違いですね。
 いつかもくどいほど書いた気がします。これは因果関係が逆なんです。「朝食を食べないから成績が悪い」のではなく、「成績が悪い子どもの家庭は朝食を作らない」あるいは「朝起こさない」のですよ。
 だから、家庭をどうしていくかを考えるのが先なはずなんです。お分かりになりますか?
 ウチのカミさんの故郷、そして義理の妹夫婦が公立中学の教員をしている秋田は、このテストでいつも1位をとります。そのカラクリの一部はこちらに書きました。しかし、今回実際の問題を見てみて、また違った視点も必要だなと思いました。
 ここで問われている「学力」は「学校教育力」よりも「家庭教育力」だなと。だから秋田は強いはずです。学校の先生方も頑張っておられるのをよく知っていますが、このテストの内容を全て学校で教えているかというと、絶対Noだと思いますね。
 上の記事に書いた毒舌をさらにパワーアップして言うなら、「中学の全国調査では日本一。高校のセンター試験ではお尻から7番目。そして自殺率は再び日本一」。これで「生きる力」を身につけていると言えるのか秋田よ。
 いや、冗談ではなく、本気で教育について考え、本気で「生きる力」を考えるなら、そこまで深くめないと。
 ちなみに都会はこの調査では下位になりますが、センター試験では軒並み上位になります。つまり、中3で必要だとされる「学力」と、高3で必要とされる「学力」の意味内容は、あまりに違う、いや正反対だと言ってもいいくらい別物なのです。
 これでは、子どもたちが可哀想です。たった3年でここまで翻弄されてしまう。許せません。
 もう一度言います。この調査の内容は悪くありません。これを理想的な学力だと言ってもそんなに大きく間違っているとは思いません。だったら、大学入試もこういう内容に、そして教科書も(つまり指導要領も)変えなければなりません。
 このままでは、子どもたちの「学力」は宙をさまよい続け、そして日本の「国力」も低下の一途を辿るに違いありません。
 ちなみに、山梨県は中3の「学力」でも高3の「学力」でも下位に沈んでいます。ある意味すごいですね。なんとかしないといけません。なんとかします。


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2012.04.16

原発に関するいくつかの報道について

Void0 うにも体調がすぐれません。熱が下がりません。めずらしく参っております。頭が働きません。
 よって、今日もごまかし記事にしてしまいます。ただ今回は、他人のふんどしはやめて、自分のふんどし(?)で相撲を取ってみます。
 今日気になった、原発に関するいくつかのニュースに関して、過去のワタクシの言説を引用します。
 ええと、まずは、この報道から。
 「大飯原発再稼働問題」…数日前に私はこういうツイートをしました。ちょっと言い過ぎではとのご意見もいただきましたが、そんなにずれていないと思いますよ。

『大飯原発再稼働は戦争突入と同じくらい愚かで危険な意志決定である。そこには国家の暴力性が露呈している。つまり国家経済のためなら国民は死んでもいいということだ』

 これは、仙谷さんの「原発動かさないと日本は集団自殺」‎発言ニュースとも関係していますね。つまり、仙谷さんの言いたいことは「犬死するくらいだったら戦って死ね」ということですよ。「戦わないし(危険に身をさらさないし)死なない」という選択肢はないのでしょうか。
 変な話、我々国民はそれこそ有事の際のごとく、一丸となって節電に取り組み国難を乗り切りますよ。国民をなめちゃいかん。そして企業も新たなアイデアを絞って難局を打開します。そういう国力はありますよ。だから、ぜったい電気料金値上げとかの脅し文句は使ってはいけない。まるでチンピラですね。いや実際チンピラか。
 続きまして、「津波21メートルでも浜岡原発は安全」…これは驚きです。どうして安全なんて断言できるんですか。私は25メートルを想定せよと、去年の7月に書いていますよ。ストレステスト!?という記事です。

『浜岡原発を震度7で揺すって、そして25メートル級の津波に襲わせることができるか』

 つまり、実際にこうしてみないと「安全」なんて言えないのです。いや、1回の実験では「安全」だったとしても、次はどうなるか分からない。最低100回は浜岡原発が巨大地震と巨大津波に襲われる必要があるでしょう。
 この記事の冒頭に掲げた、1年前の私のツイートをもう一度復習して終わりにしましょう。

『日本の国土面積は世界の0.07%だが、ここに世界の全火山の7%があり、ここで全地震の10%が起きている。そして、ここに世界の原発の13%がある』


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2012.04.15

下半身不随黒猫ミー

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 いぶんいろいろなところからご連絡をいただきました。「ミーちゃん見たよ!」と。ミーもすっかり有名人いや有名猫ですね。
 全く知らない方からもお電話いただきました。ミーの前向きな姿勢(生き方)に感動したと。ありがたいことです。
 そう、昨日発行のタウン誌「フジマリモ」のペットコーナーでウチの黒猫ミーが紹介されたんです。この写真が掲載されました。なんともカワイイでしょ?
 決して無理やりこういうふうに座らせたのではありませんよ。よくこうやって座ってるんです。もっと器用な座り方することもあるんですよ。ミーは下半身不随なので、こういう座り方が本人にとっても楽なようなのです。
 元はと言えば、知り合いから頼まれて投稿したのですが、こうやって皆さんにカワイイと思っていただけたり、あるいは感動していただけたとあれば、結果としてミーにとっても良かったのではないかと思います。
 ミーについては、今までにも少し書いたことがありましたよね。4年くらい前に、知り合いに保護され、ウチでとりあえず預かったらそのまま我が家の住人になってしまった。
 知り合いに保護された時にはすでに下半身不随の状態でした。その前日までは元気な子猫だったので、おそらくはどこかから転落して脊椎を損傷したのでしょう。
 しかし、本人(本猫)はそんな自らの不幸も分かっているか分かっていないのか…たぶん分かっていないな…全く臆することもなく元気いっぱい。
 いやあ、最初はそんなに長く生きられないと思ったのですよ。なにしろ、自分で排尿できなかったので。獣医さんにも一生介助が必要だと言われていました。正直私はとんでもないお荷物が舞い込んだものだと思いました。最初は粗相ばかりしていましたからね。
 しかし、世界一の猫キチを標榜するウチのカミさんの、家族を顧みない(笑)愛情によって、まあホントに奇跡的に状況は改善し、今では排尿、排便はトイレでちゃんと自らしますし、上半身だけでどこへでも登りますし、全く動かなかったシッポも元気に動くようになったし、足も少しは踏ん張れるようになりました。これには獣医さんもビックリです。
 今年の正月に帰幽した兄貴分の弥右衛門の存在も大きかったなあ。記事に書いたとおりです。今ではもう一人いや一匹の兄貴分、新之介がいいレッスル役になっています。
 たしかに、人間とは違って、己の境遇をそのまま受け入れる姿勢には感心しますね…って、まさしく光村図書の国語で鍛えられた「動物(自然)礼賛」の発想ですな(笑)。
 それこそ動物はそんな人徳者でも努力家でもないのでしょうけど、それでもですね、いかに我々人間が相対的な価値観に縛られて生きているか、あるいは不具(欠落)にばかり目が行き、そこを原点として欲望を無尽蔵に生み出しているかが分かるというものです。
 ミーよ、これからも自然に逞しく、そして楽しく生きていってくれ!見習うべきところは見習うから。
 ん?それ以前に、なんで同居4年にもなるのに、オレと仲良くしてくれないんだよ〜。そうなんです、今でも私を見るとすごいスピードで逃げるんです。ほかの家族には愛想いいのになあ…(苦笑)。

追伸 ミーの我が家での役割の一端はこちらでぜひ。

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2012.04.14

富士山ラドン濃度と全国の地震の関係について(その3)

20120415_92326

 がついに9度を越えました。今日は20時間寝ました。こんなに寝たのは赤ん坊時代以来ではないでしょうか(笑)。
 猫になった気分です。じっと寝て病気をやりすごす。これが一番ですね。自然に学びましょう。
 さてさて、スマトラのアウターライズがあって以来、刺激を受けたのか、日本でも地震が頻発しています。
 「富士山ラドン濃度と全国の地震の関係について(その2)」で示した「ボトムから2〜3週間後に地震が発生する」という仮説からすると、直近のボトムは3月26日でしたから、その2〜3週間後である4月8日から4月15日の間に地震が増えるということは予測されていました。
 しかし、その3月26日のボトム後の山が小さかったので、マグニチュードで言うと5以上は発生しないと予測していました。
 しかし、実際にはM5以上の地震が4回発生しました。これは正直検証不足だったと反省しています。山の低さよりも、ボトムと標高差で考えるべきだったのかもしれません。
 また、ボトム値やピーク値と、震源との距離の関係など検証しなければならないことがたくさんあります。スマトラなど海外の地震との関係も調べなければなりません。
 いずれにせよ、まだデータが少ない状態ですので、あまり確定的なことを言わない方がいいかもしれません。
 今思うと、昨年の3.11周辺でラドン濃度を計測していればと悔やまれます。2010年の8月あたりから電波の伝播状況に異常が見られました。それは3月13日に収束したので、もしかすると3.15の富士山の地震の前兆だったかもしれません。ラドンと電離層の関係は以前から指摘されているので、興味深いところです。
 なんだか頭がフラフラして文章が湧いてきません。今日はこのくらいにします。おやすみなさい。

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2012.04.13

グラッペリとメニューイン

 チに帰ってきた途端頭が痛くなって、熱をはかったら8度越え。忙しすぎたのかなあ。昨日は「have to」は素晴らしい!みたいなこと書きましたが、やっぱり程度というのはありますな(笑)。
 さて、そんなわけで、今日はこれだけ。寝ながら聴いた音楽です。
 ご存知ジャズ・ヴァイオリニストの巨人ステファン・グラッペリと、クラシック・ヴァイオリニストの巨匠ユーディ・メニューインの共演です。
 二人はとても仲が良かったそうですね。それにしても、同じヴァイオリンでもこうも違うかというくらい違いますね。
 メニューインのはいわゆる近代奏法です。グラッペリはジプシー・ヴァイオリンのテクニックです。どちからが正統派なのか、考えるまでもないでしょう。
 私はバロック・ヴァイオリンを弾きますので、当然のこと、グラッペリのようなボウイングや発音が理想です。
 しかし、不思議なもので、ジャズをやろうとすると、メニューインみたいになっちゃうんですよね。楽譜を見ながらメニューインみたいには弾けるけど、グラッペリのような即興は絶対無理。
 ま、メニューインも、グラッペリに「あなたはいったいどうやって弾いてるんだい?」といつも言っていたそうですからね。ヴァイオリンを弾ける人ほど、グラッペリの奏法は理解不能な領域なんです。孤高の天才ですね。

 最後はメニューインさんには退場願いまして、この曲を。

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2012.04.12

「want to」か「have to」か

 〜む忙しい。今年は特に忙しいぞよ。忙しいというのはいいことです。ありがたいことです。
 「want to」ではなくて「have to」が多いということは、自己を滅却できるということなので、悪いことではない。
 禅の修行はそれを徹底している装置です。あそこには「want to」はありません。「have to」だけです。いや、あえて言うなら、「have to」を「want to」して入山するということでしょうか。
 一般社会という虚構の世界では、たとえば人生を充実させるには「have to」ではなく「want to」で行動しなさいと言われますね。たしかにそうです。「want to」なら楽しいでしょう。
20120413_153030 しかし、考えようによっては「want」というのは「欲」ですから、あんまりいいことではないんですよ。
 そうそう、面白い話。「want」の語源も「欲」の語源も全く一緒なんですよね。「want」は「欠けている」「不足している」です。「欲」という字の語源は種々あるようですが、やはりつくりの「欠」に注目すると、「欠けている」「不足している」のニュアンスがあるものと考えられます。ちなみに人間の心理に使う時は「慾」の字を用いるのが正しい。
 つまり、「want」も「欲」も「足りないからほしい」という気持ちが根底にあるわけですね。それが大きな問題だと思います。
 まず「足りない」と思うこと自体、問題がありますね。この「不足感」「不満足感」こそが、人間の、特に近代人の煩悩の原因であります。知足の反対ですね。満ち足りていれば欲することないわけです。
 仏教ではそういう境地を目指しますよね。というか、満ち足りているとも思わない。満ち足りていると思うと、それが基準になって相対的な不足感を生む可能性があるからです。
 要はあるがままの現実を受け入れるということです。ワタクシの「モノ・コト論」から言いますと、「want」や「欲」はコト、受け入れるべき世界はモノということになります。
20120413_152913 私は別に修行をしているわけでもありませんし、悟っているわけでもありませんが、自分の欲望というのはあんまりなくて、それを満たすこと、それが満たされることよりも、外から強制的に働く力、いわば「have to」の方に興味があります。
 なんで、この「have to」は私のところに来たのか考えたりするのが好きなんです(変な趣味ですよね)。なんでオレがやらなきゃならないんだよ!?ではなくて、おおよくぞオレのところに来てくれた!っていう感じ(笑)。
 いつも書いているように、自分の「コト」世界だけだとなんの成長もないんです。昨日の自分と同じなんですね。それより外部から訪れる「モノ」に身を任せている方が、想定外の自己が生まれる。これは実は楽しいことです。現実的にも、無理やりやらされたことによって新たなスキルを身につけることがほとんどですよね。
 have は heavy に通ずる言葉です。重いモノを持たされてハーハーしている感じが「h」に、あるいはブーブー言ってる感じが「v」に現れていますね。そういう「負荷」が現れている。「have to」にもそういう感じがありますよね。
 しかし、筋力もハーハー、ブーブー言いながらトレーニングしないと付かないのと同じく、様々な人間力を付けるにも「have」が必要なんですよ。だから、私はそういう負荷をありがたく思うのであります。
 ちなみに「持」という漢字には、寺にモノを保管する、その状態を持続するという意味があります。
 さてさて、長々と書いてもいられない。私にとって書くことは「have to」ではなくて、実は「want to」だったりして。あんまり成長が見られませんからね(笑)。

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2012.04.11

スマトラ沖アウターライズ地震発生

Pn2012041201001276_2 マトラ島沖でM8.6とM8.2の巨大地震が発生しました。日本も大変な地震国ですが、インドネシアはもっと頻繁に巨大地震が起きていますね。
 2004年12月26日のM9.1と、最大余震の2005年3月28日M8.6、そして2007年9月12日M8.5ののちも、こんなにたくさんM7以上の大地震が起きています。
 そして今回は想定されていた、M9.1の誘発地震(広義の余震)たるアウターライズ地震が発生したわけです。
 このようにアウターライズは本震から数年、あるいは数十年経って発生します。ご存知のとおり、明治三陸地震のアウターライズたる昭和三陸地震は37年後に発生しました。
 今回のスマトラでは7年半後、三陸では37年後と、ずいぶん開きがあるように感じますが、地球の時間スケールで言えば誤差のうちです。というか、本震のあとすぐに起きても、数十年後でも「同時」と言ってよいかと思います。
 この前三陸沖アウターライズM6.8が発生という記事で書いたとおり、もうすでに東北地方太平洋沖地震のアウターライズは起き始めています。
 こちらをご覧になってお分かりのとおり、陸地では無感ですが、コンスタントにアウターライズ領域で小規模から中規模の地震が発生しているのです。
 スマトラと日本とは、似た部分もあれば、当然違う部分もありますので一概には言えませんけれども、M9を超える超巨大地震が発生したことは間違いなく共通していますから、似たような経過をたどる可能性は高いと考えています。
 具体的には、数十年の間に、3.11の震源域に隣接する地域での巨大地震、そして、広大なアウターライズ領域での超巨大津波地震が発生すると考えておいた方がいいと思います。
 今回のスマトラのアウターライズは横滑り型だったので、マグニチュードの割に津波は小さめでした。これが普通にライズしていたら、大変な被害津波になったと思われます。
 日本では最悪のケースを考えると、3.11よりも大きな津波が襲来するおそれがあります。それが今日起きるかもしれないし、数十年後かもしれないということです。
 東北の太平洋側ではようやく復興の動きが活発化してきましたが、まさに復興の期間中にこのアウターライズ地震が発生する確率が高いわけですから、その点をしっかり想定しておかないと、また地域の人々の努力や思いが無駄になりかねません。その点について、学者さんや行政の皆さんは国民に伝える必要があると感じます。
 首都直下地震や西日本の連動超巨大地震について心配することも当然必要ですが、まずは直近の、そして100%発生する地震について対策を立てることの方が重要かと思います。
 今回のスマトラの地震で被災された方のことを考えても、我々は「対岸の地震」などと思ってはいけないと思います。

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2012.04.10

スタンリー・ジョーダン(これはどうなんだ?)

 まで「見た」ジャズのライヴの中で最もインパクトがあったのは、山中湖でのこのプレイでした。
 スタンリー・ジョーダン。知る人ぞ知るギタリストですね。このライヴでは、私はたぶん前から5列目くらいで彼の指先の妙技を拝見していたと思います。
 まあ、とりあえず見てみてくださいな。

 よくやるわ…という感じですね。これは音楽なのか、曲芸なのか。微妙です。
 いわゆる両手タッピング奏法です。ここまでタッピングの可能性を開発したのは、ジョーダンの功績だと思います。しかし、それが音楽にとって幸福なことだったのかというと、ちょっと別問題のような気もします。
 タッピングだとどうしても深みがないんですよね。それもこのライヴではメロディー側(右手側)がシンセギターだったので、さらにそのチープ感というかが増していたように思えます。
 ライヴでは、あまり耳を澄ましていなかったので、それなりに「スゲーッ!」って思いましたが、こうして録画で観ると(ウチにもVHSがあります)、はたして、これがいい演奏なのか疑問に思ってしまいますね。
 同じ「枯葉」でしたら、こちらの方がずっといいと思います。

 やはりタッピングだと、ピッキングやフィンガー・ピッキングとは違って、ギター独特のニュアンスが出ませんよね。
 それでも、なんというか、ギターではなくて、そういう楽器だと思えば、それなりの味わいもないことはないかな。
 どちらかというと、私は彼の左手のバッキングの感じは好きですね。あのコード取りやリズム感は悪くないと思います。
 もうこれはですね、ある種のクラヴィコード、現代のエレキ・クラヴィコードだと思えばいいのではないか、という気もしてきます。
 そういう意味では、このモーツァルトは案外いいのではないでしょうか。逆に言えば、ジャズの表現にはあまり向いていないのではないかと。

 私、ちょっとだけマネしてみたことがあるんですけど、普通のギターではダメなんですよね。当たり前か。

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2012.04.09

夢野久作 『スランプ』

Tky201007020339 めんなさい。とっても忙しくてまたまた他人のふんどしです。今日の他人は「夢野久作」。ふんどしは「スランプ」です。
 こんなマイナーでマニアックな作品を紹介するのには意味があります。
 私、今、短歌をやっています。月に1回歌会があって二首投稿しています。今月の歌もそろそろ作り始めなければ。
 この歌会は出口王仁三郎のスピリット(遺伝子)を継ぐ特別な歌会です。
 出口王仁三郎はご存知のとおり、まあ「何でも屋」でありまして、作品を残さなかった分野はないというくらいのマルチ芸術家でもありました。
 そのそれぞれの分野での評価もまた幅広く、最も有名な焼き物(耀碗)一つとっても、「国宝級」から「子どもの土いじり」に至るまで、毀誉褒貶のごった煮状態です。
 短歌なんか生涯に数十万首、あるいは百万首作ったという、おそらくは人類史上最もたくさんの歌を残した人間でありましょう。
 ですから、その全体像も全く分かっておらず、当然正当な評価などされているわけもなく、いや、評価という作業すら行われていないのが実態であります。いったい誰がその研究・評価をするのか。その作業をした人もまた、歴史に名を残すことになるでしょう。
 さて、そんな怪人、大化物、巨人出口王仁三郎の短歌について、当時の人たちはどのような評価をしていたのでしょう。いくつかその評も残っているようですが、たいがいが多作家に与えられる定型句、すなわち芸術的な価値低しというもののようです。どうせそういう評価をする人たちは全体像をつかんでいないと思いますがね。
 もちろん、王仁三郎自身の評価もそんな感じです。そうそう、前、太宰治の王仁三郎評がうかがえる作品を紹介しましたね。 『HUMAN LOST』 です。
 今日はやはり文学界の大御所による王仁三郎の短歌評がうかがえる作品です。夢野久作の「スランプ」です。まあ、スランプに出てくるわけですからね。あんまり芳しい評ではないといことですよ(笑)。今も昔も変わらず、凡人にはなかなか評価できない人物、作品群なのでありましょう。
 いや、永遠に評価が不可能なのが出口王仁三郎なのかもしれません。それを言い得た吉本隆明はやはりすごいのかも。
 では、縦書きでどうぞ。


  スランプ   夢野久作


 ――ぷろふいる社御中――

 申訳ありません。このあいだ御下命の原稿、一度、御猶予願っておきながら、まだ書けずにおります。ひどいスランプに陥ってしまったのです。

 いささか広告に類しますが、私はスランプに陥った経験がまだ一度もないのです。

 九州日報社で編輯と外交の中ブラリンをつとめております時分に、新聞専門家の間に名編輯長として聞こえていた、同時に自由詩社の元老として有名な加藤介春かいしゅん氏から、神経が千切ちぎれる程いじめ上げられた御蔭で、仕事に対する好き嫌いを全然云わない修業をさせられました。死ぬほどイヤなお提灯ちょうちん記事、御機嫌取り記事、尻拭い原稿なぞいうものを、電話や靴の音がガンガンガタガタと入り乱れるバラックの二階で、一気に、伸び伸びと書き飛ばし得る神経になり切っていたのです。自分の筆を冒涜し、蹂躙じゅうりんする事に、一種の変態的な興味と誇りとさえ感じていたものでした。

 そのうちにその九州日報を首になりましたので、私は書きたい材料をウンウン云うほどペン軸に内訌ないこうさせたまま山の中に引込んで、そんな材料をポツポツペン軸から絞り出して行くうちに、山の中特有の孤独な、静寂な環境のせいでしょうか。次第次第にペン先が我ままを云うようになりました。

 四つも五つも電話が鳴りはためいている中でも平気ですべっていたペンが、蠅の羽音を聞いても停電するようになりました。ペンが動き止まないうちは、一歩も机を離れなくなって、三度の食事は勿論、便所に立つ事も出来なくなりました。ことに一時間五枚という自慢のスピードがグングン落ちて来て、一日平均二枚、乃至ないし、五枚という程度まで低下して来たのにはホトホト閉口したものでした。

 しかし、それでも有難いことに、とにもかくにもペンの方で動いてくれましたので、私もそのペン軸に取りすがり取り縋り、今日まで月日を押し送って来ましたが、最近……と云っても昨年末から、そのペンが一寸ちょっとも動かなくなったのです。



 何故だかその理由はわからないのです。

 昨年の十二月の初めの事です。私は道楽半分に書いておりました千枚ばかりの長篇を或る処へ送り付けましたあと、アタマが暫く馬鹿みたいになっておりました。ところへ十二月初旬までという約束で送り付けておりました或る連載物が、某誌から念入りな註文附きの書直しを要求して、返送して来ましたので、既に予告も出ている事ですから、一生懸命になって書直しにかかりましたが、どうしても註文通りに行きませぬ。某誌の註文通りにしますと筋がどうしても気持ちよく運びませぬので、やっぱり我流かも知れませぬがモトの構成に立帰って来るのです。そこで大いに慌てまして、ほかに数篇の未成稿が在るのにペンを突込んでみましたが、どれも、これも竹箒たけぼうきでドブドロ掻きまわすようにペン先が重たくなって、引っこみの付かない悪臭がプンプンと鼻を打って来るのです。



 この行詰まりを打開する手段といったら普通の場合、まず酒でも飲むことでしょう。又は女を相手に、あばれまわる事でしょう。そうしてじれ固まった神経をバラバラに、ほぐしてしまいますと、一切の行詰まりが同時に打開されて、どんな原稿でもサラサラと書けるようになるに違いない事を、私はよく存じているのです。

 ところが遺憾なことに、こうした局面打開策は、そうした元気旺盛な、精力の強い人にして初めて出来る事で、何回となく死に損ねた、見かけ倒おしの私には全然不向きな更生法なのです。

 ですから私は昨年の十二月から私一流の局面打開策をこころみ初めました。これは今までにも仕事に疲れた時なんかに、よくやって来た事ですが、中学に行っている長男や、私の家に遊びに来ている農村の青年なぞを引っぱって近郷近在の野山を盲目滅法めくらめっぽうに歩きまわるのでした。ヘトヘトに疲れて、上りかまちからやっと這い上るくらい猛烈な試練と、夢一つ見ない睡眠を取った翌日、今一度、午睡をしてから眼を醒しますと、例によって例の如く、今までとは打って変った軽快さで、スラスラと原稿が書けるものと思い込んで、机に向ったものでしたが豈計あにはからんや、一行も書けないのです。おまけにその書きかけの文章が不愉快で不愉快で、筆を入れる勇気も何もないくらい詰まらないものに見えて来るのです。自分はコンナものを発表する気で書初めたものか知らんと思うと我ながら愛想が尽きてしまうのです。



 そこで又、着のみ着のまま家を飛出して、地図も何も持たないまま、盲目滅法に野山を歩るきまわる。言葉なまりの違った山向うの村で、道傍みちばたの知らない小児と遊んだり、祭神のわからない神社の絵馬を眺めまわしたり、溜池に石を投込んだりして、それこそ心の底からルンペン気分になって行くうちに、案内もわからぬ野山の涯で日を暮らして、驚いて帰って来る。すると又、不思議な事が起りました。

 文章は一行も書けないのに俳句と川柳と短歌の出来ること出来ること。むろんろくなものは出来ませぬ。短歌は大本教の王仁三郎おにさぶろう程度、俳句も川柳も月並以下のざるすくえる程度のシロモノばかりですが、それでもその出て来るスピードには我ながら驚きました。俳句、川柳が一時間に二十か三十、短歌でも十四五ぐらいはペラペラと出て来ますので、ノートが忽ち一パイになってしまいます。あとで読み返してみても感心するものが一つもないので、とうとう癇癪を起して、そのノートを道傍の糞溜くそだめの中に投込んでしまいましたが、今から考えてもすこしも惜しいとは思いませぬ。今でも十七八字か三十一二字並んでいるだけなら一時間に二十や三十は平気ですからね。西鶴の二万句も、こんな時に思い立ったんじゃないかと思うのは、すこし僭上でしょうか。

 いずれにしても昨年の暮以来、私の頭が否、ペンが変調子を呈していることは、もはや疑う余地がありませぬ。書きたい材料がコンナにあって、書きたくて書きたくてウズウズしているのに、一行も書けないとなれば、その責任は当然、私のペンに在るに違いありませぬ。

 私にはこうしたスランプのって来るソモソモが薩張さっぱりわからないのです。書きたい事は山積していながら書けない。ペンを奪われて絶海の孤島に罪流されたような自烈度じれったさ。つまらなさ。淋しさ。私は、これを私の老朽のせいとも、行詰まりのせいとも思いたくありませぬ。何よりも私のペンの我ままが、絶頂に達したものと考えるのが、今の私の気持ちに一番ピッタリしているのです。

 それ位書ければスランプじゃないじゃないか……なぞと冷やかさないで下さい。実は私自身にも不思議で仕様がないのです。どうしても創作が書けないままに、そのお詫びをしようと思って書きはじめたら、ついスラスラと筆が辷ってコンナに長くなってしまったのです。読み返してみると決して面白い文章ではありませぬが、しかし、私自身の今の心持だけは、どうやらこうやら書けていると思います。

 いったいこれは何とした事でしょうか。スランプに陥っているペンが、スランプに関する事だけはスラスラと書けるというのは何という皮肉な現象でしょう。心理学者はこうした不思議な現象を何と説明してくれるでしょう。

 私のペンは真実な出来事でなければ書けなくなったのではないでしょうか。心にもない作り事を書きまわすのがほんとうにイヤになったのではないでしょうか。

 万一そうとすれば、それこそ一大事です。創作は大抵作りごとにきまっているのですから、私は将来永久に作り事すなわち創作なるものは書けなくなる訳です。創作の世界では首をくくらなければならぬ事になります。

 ああ。どうしたらいいでしょう。どうしたらこの苦境を通り抜ける事が出来るでしょう。

 私は今一度、創作の世界に蘇る事が、永久に不可能なのでしょうか。私は絵か、和歌か、俳句を作るよりほかに生きる道がなくなるのではないでしょうか。



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2012.04.08

幸せになる唯一の方法

E88ab1e7a5ade3828a  4月8日はお釈迦様の誕生日。降誕会です。
 本校は毎年この日に入学式を行います。ですから今年は日曜日に入学式ということになりました。そのおかげか、ご両親でいらっしゃる家庭が多く、いつにも増して盛大に式が執り行われました。
 私事ではありますが、今年はウチの上の娘が入学してきました。これから6年間毎日一緒に通い、一緒に勉強し、一緒に帰宅することになります。しかし、お互いそんなに不自然でもなく、どちらかというと楽しみにしている感じです。ま、これから難しいお年頃、どうなるか分かりませんがね(笑)。
 本校は仏教(禅宗)系の学校ですので、多少そういう系の話をする機会が多くなります。まあ、そんなに抹香臭くはないのですが。私の趣味もあって、仏様の教えについて語ることは時々あります。
 しかし、皆さんもご存知のとおり、お釈迦様の教えはとても難しい。ちゃんと究めようとすると、どんどん難しい世界に突入していくことになります。哲学というか、科学というか。
 私も私なりにいろいろ勉強しましたが、それを中学生に語ってもチンプンカンプンですよね。自分さえよく分かっていないのだから。
 でも、なんとなく伝えたい。難しいけれど絶対に正しいという実感だけはあるので、その実感だけは共有したい。そういう気持ちはあります。
 そこで最近よく使う表現が「お釈迦様は幸せになる唯一の方法を発見してそれを説いた」という言葉です。
 日本で仏教と言うと、因果応報とか縁起とか諸行無常とか無とか空とか、そういう言葉で表現されることが多いですね。その一つ一つを説明するのも実はとても難しい。
 しかし、それを統合的にとらえないと、お釈迦様の気づかれたことの本質は分かってきません。各論に終始すると哲学や科学、すなわち学問になってしまうんですよね。智慧になりえない。
 そこで、私は思い切って(ある意味乱暴に)全体像を実生活的に捉え直してみたわけです。
 その結論が「自分が幸せになる唯一の方法は、他者を幸せにすることである」です。
 自分への執着を捨て、利他や布施に徹していると、それが巡り巡って自分に返ってくる。自分は他者のおかげによって存在しているわけだから、自分だけが幸せになれるはずはない。そんな、当たり前で単純でありながら、我々人間が忘れがちな「真理」を、お釈迦様は説いたのではないかと。
 私はこの教え(気づき)こそ、学校で教えるべきことだと考えています。「自分の夢の実現のために頑張れ」という、一般的な学校での指導だけでは足りないと思っています。いや、以前「将来の夢」という記事にも書いたとおり、自分の夢の内容をより拡張してやらなければならないと考えています。「自分はこうなりたい」「こういう職業につきたい」ではなく、「こういう世の中を作りたい」「幸せな世界を作りたい」というように。
 私自身もお釈迦様の教えから「気づき」をいただき、その「まこと」を実感していますから、自信をもって生徒たちに語りかけることができるつもりです。
 今日入学してきた子どもたちに、6年間通じてそういう「真理」を教えて、いや伝えていきたいと思っています。責任を感じるとともに、楽しみでもあります。

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2012.04.07

ブラックボード〜時代と戦った教師たち〜(TBS)

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 聴率的には惨敗だったようですね。しかたないか。教育に対する要求は強くなるも、興味や夢は抱けない時代です。
 まず感想というか、結論めいたことを言うなら、非常によくできた脚本の作品だった。学校ドラマの歴史の中では出色だったと思います。井上由美子さんのシナリオ力はすごいですね。
 もちろんドラマはドラマですから、現実の時代性や学校世界のままとは言えませんが、教育史、昭和史についてもドラマについても人一倍厳しい目を持っている(?)私も、充分に満足できる内容でした。もちろん3作通して。
 私の祖父は戦地に赴き、(おそらく)人を殺して復員し、戦後教職に戻りました。今、私の隣で一緒に働いてくれているおじいちゃん先生は、まさに校内暴力に体当たりでぶつかってきたカリスマ(名物)教師です。そして、私は今という時代の中で教師をしています。そう、私がたまたま大田区で育ったというのも、このドラマに対する理解や共感を深くするきっかけになったかもしれません。特に高度成長期の「蒲田」の実態をよく知っていますから。
 結局この連作が言いたかったことになると思いますが、時代は変わりますが子どもは変わらないのです。時代が変わるということは、大人が変わるということです。大人が変わるということは、結果として子どもを「変える」ことになります。
 つまり、子ども(生徒)はいつの時代も純粋な器であり、澄み切った鏡だということです。
 大人が軍国主義化すれば子どもの軍国主義化しますし、大人がカネの亡者となって人間愛を失えば校内暴力がはびこりますし、大人が個人主義に走り他者に無関心になれば学級崩壊が起きます。
 もっと端的に言えば、親子の関係の変化が教室に現れるということになります。これは日々現場で実感していることです。社会の最小単位である家族、特に人間の基本的な紐帯たる親子関係がそこに鮮明に現れます。
 そういう意味で、このドラマは、世間に対して大きなメッセージを送ったと思いますね。学校って、先生って大変だね、ということだけでなく。戦後70年の流れの中で一つのテーマを描いたおかげでしょう。この時代、この季節のこの時間帯にこれだけの大作を投入したTBS。正直見直しました(笑)。
 それぞれの先生像はいわゆる熱血です。しかし、今までの教育ドラマ(たとえば金八先生)と違って、その熱血さが時代(社会・大人)には受け入れられず、様々な問題を引き起こしていきます。そのあたりは、我々プロからすると、なんとなく溜飲を下げられたというか…まあ、どんなドラマもその道のプロからすると、おいおいそんなことで解決するなら苦労しねえよ、ということになるのでしょうが…少し嬉しかったかも(屈折してますかね…笑)。
 実は先生というのは「熱血」であることが最低条件なんですよ。「熱血」とは、時代(社会・一般的大人)に流されないということですね。子どもが変わらないのと一緒で「熱血」も実は変わらないのですよ。ある意味「熱血」とは「子ども」であることでもありますから。
 ただですね、たとえばこの連作の主人公たる3人の先生ですけれども、みんなそういう意味では「熱血」であり、純粋であり、愛に溢れた人間なのですが、それだけではうまく回りません。教育現場、学校はチームプレーが重要です。熱血だけだと衝突するだけです。それをうまく活かす上司や同僚がいなければなりません。
 第三夜で言うと、副担任の熊谷先生なんか、実はなかなか優秀だと思いますよ。もちろん校長先生の存在も大きいけれども。
 あえて言えばですね、今の教育現場は、そういうチームプレーや連携プレー、ある種の補い合いができなくなっているんですね。特に公立。悪い意味での公務員化が極端に進んでいます。サラリーマン化じゃないですよ。公務員化です。ことなかれ主義というか、我関せず主義というか。
 明日は日曜日ですが、私の学校の入学式です。4月8日はお釈迦様の誕生日です。毎年その日に入学式を行います。それへ向けて、この三夜連続の「ブラックボード」は、とても良い刺激となりました。今まで通りやるしかないなと。今まで通りとは「不易流行」ということです。根幹の部分は変えてはいけない。しかし、時代に合わせる部分は合わせないと。変わらない子どもと、変わる大人(社会)、両方に関わっていかねばならないのが「教師」なのですから。
 ちなみに公式サイト、キャストの皆さんのインタビューがどれも興味深い。勉強になりました。

ブラックボード公式

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2012.04.06

芥川龍之介 『好色』

↓これは直接関係ありませんが…
1106130001 間がないので他人のふんどしです。他人も他人、芥川龍之介。そして、ふんどしもふんどし、これは芥川の作品の中でもかなりの下ネタです。
 いや、「好色」というからエロチックなのかというと、そうではなくて、シモもシモ、簡単に言うと、好きな女のクソを喰う色男の話です(笑)。
 いやあ、面白いですね。過激ですね。一般にはこの作品は芥川ワールドにクソならぬミソをつけた作品と評価されていますが、私は好きですね。この壊れちゃった感と、しかし見事にリズミカルな文体と。いやあ、朗読したい作品の第一ですね。
 これこそ私の考える「もののあはれ」の世界そのものです。雅ではなくて、不随意、不本意ということです。
 ちなみに平中こと平貞文は1000年前の地震・噴火活発期に活躍した人物ですね。
 縦書き文庫でお読みください。
 

 最近、 田中弘毅さんの名朗読がYouTubeにアップされましたので、こちらでもぜひ(ちょっと音が悪いのが残念)。

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2012.04.05

昭和史検定

Ico_cat の中、検定ブームですね。
 つまり人間は、ある程度のハードルがないと頑張れないのです。平坦な道なら歩いて行きますが、ハードルがあったら、どうしても助走せざるを得ませんよね。
 あんまりバリアフリーだと退化しちゃうんです。荒川修作の建築みたいに「バリアフル」くらいじゃないと、身体機能も脳みそもダメになっちゃう。
 学校もそういうシステムで成り立っています。小テストがあり、定期テストがあり、入試があり、それでようやく努力することができる。
 ハードルとはすなわちバリアであると同時に目標でもあるわけです。その代表が検定や資格試験。目標をクリアした時の喜びもまた、生きるモチベーションになります。
 それにしても、最近はブームと言われるだけあって、ご当地検定なんかはもう当たり前、まあこんなもんまで!?という面白い検定がたくさんありますね。
 ついでですから、こんなところを覗いてみてください。もしかすると、これ受けたい!というものがあるかもしれませんよ。

おもしろ検定の森
検定ポータル

 このブログを昔からご覧の方には、蘊恥庵庵主と「検定」と言えば、一連の「漢検」との悶着を思い出される方も多いでしょう(笑…えっ?何?という方は、「漢検」でブログ内検索してみてください)。
 実はいまだに和解しておりませぬ。そのせいで、ウチの中学では漢検の受検はできません。協会の根本的な問題(システム、体質)が全く変わっていないからです。ま、大久保親子が有罪になったから、ちょっと許してやってもいいんですけどね。私を敵に回すと面倒なことになるって分かったでしょうから(笑)。
 おっと、また過激な発言をしてしまった。まあ、半分冗談だと思ってやり過ごしてくださいな。
 で、ワタクシ的に最近気になったのは「昭和史検定」です。最近、いろんな意味で昭和史の復習をしているので、これはできるんじゃないかなと思って、第1回検定の過去問をやってみたら、まあ難しいこと(笑)。
 皆さんも上級試験やってみてください。私と同じ世代なら半分くらいはなんとかなるんじゃないですかねえ。しかし、8割という合格のハードルはとても越えられそうにありません。
 よっしゃ、じゃあ頑張って勉強しようかと思っても、何をどう勉強すればいいのか。と思ったら、ちゃんと公式テキストもあるんですね。私もこれを教科書に勉強してみようかな。
 というか、第2回はあるんでしょうか。

昭和史検定公式

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2012.04.04

芯ホルダー

S 年度を迎えるにあたって、またその他のプロジェクトもあって頭の中がガシャガシャです。
 それはそれで嫌いではない状態なのですが、ちょっと断片化が激しいので、脳ミソをデフラグしたい気分です(笑)。
 ということで、今日は軽いネタ。軽いけれど結構大切なネタです。昨日に続いて「鉛筆」の話?高層ビルと違って、これはこういう形が一番いいですね。
 最近気に入って使っている筆記具です。いちおう、これも「鉛筆」に分類されるのかなあ。いちおう正式には「芯ホルダー」って言うんですよね。
 というか、筆記具として機能するためには、「芯ホルダー」+「芯」なわけですよね。いや、「シャーペン」と「シャーペンの芯」の関係と一緒か。
 「シャーペン」を買うとオマケに芯が付いてくるように、「芯ホルダー」にも芯が付いてきますね。
 あれとも似てるか。ヒゲソリ。ホルダー買うと替刃が二つとか付いてきますよね。でも、あれはホルダーが安いのに替刃は高い。プリンタとインクの関係と一緒ですよね。その点、この「芯ホルダー」と「芯」の関係は比較的健全です(笑)。
 芯ホルダーが500円。替芯が6本で200円。赤は300円。まあ妥当なところでしょうか。
Photo 私はまず赤を使い始めました。いちおうセンセーなので赤ペンや赤鉛筆をよく使います。つまり権威を振り回すわけですね(笑)。
 で、昔からいろんなペン類を試してきたんですよ。しかし、どうもどれもしっくりこない。本当は普通の赤鉛筆が良かったのですけれど、やはり鉛筆ならではの不便さというのもあるじゃないですか。芯先が丸くなる、削らないといけない。特にテストの丸付けの時は不便。調子よく◯やら×やら付けているうちに、急に木と紙がぶつかる。つまり、削らなきゃならなくなる。これはリズムが崩れます。
 かと言って、シャーペンだと細すぎて「権威」がありません(笑)。あの太さがいいんですよ、鉛筆の。
 それでこの「芯ホルダー」に逢着したというわけです。これはいいですね。もちろん基本鉛筆の芯ですから、丸くもなりますし、短くもなります。しかし、芯自体にある程度の強度があるので、シャーペンよりもずっとたくさん芯を出しておけますし、適当なタイミングでちょこっと出せばリズムも崩れません。
 そうそう、よく勘違いしている(私もそうでした)のですが、ホルダーのお尻をプッシュすると、芯が滑り落ちます。つまり、シャーペンのようなメカニズムではないので、一押しで少しずつ芯が出るというようなことはありません。基本、机と自分の手の加減で加減します。これも慣れると気持ちよくなってくるから不思議ですね。職人技というか、なんというか、ちょっとプロっぽい(笑)。
 赤は芯の硬度を選べませんが、黒はいろいろ選べます。また、太いものは標準の2ミリの倍以上の太さの芯が使えます。
 たとえば楽譜に記入する時なんかには、よく4Bとか濃い鉛筆を使うのですが、その代わりにもなりますね。あれも途中で芯が折れたり、短くなったりして不便することが多いので。すぐそこに鉛筆削りがあるわけではないし、それこそ練習のリズムが崩れます。
 案外知られていない、あまり市民権を得ていない筆記具ではありますが、実はいろいろな職業のプロが使っています。
 私もこの「芯ホルダー」が似合う年齢になってきたのかなと、そんな気もしますね。ぜひ皆さんもお試しください。木軸のもありますよ。

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2012.04.03

超高層ビルという不自然

480pxskyscrapers_of_shinjuku_2009_ 日の「爆弾低気圧」はすごかったですねえ。というか、「爆弾低気圧」ってなんだ?w そんな言葉ありましたっけ(あったようです)。
 その爆弾のおかげで、富士山周辺もかなりやられました。我が家の近くも何本か木が倒れていましたね。たしかに台風の時と同じです。
 こういう倒木を見るといつも思います。こうして進化して生き残ってきた「自然」でも、そのうちの数%はこんなふうに折れちゃうんだよなと。
 たしかに木々を見ているとある種の「免震構造」が装備されていることが分かりますね。「免震」と言っていいか分かりませんが、しなやかさをもって風圧や雪の重みをかわす術を持っていることが分かります。
 外部からの力に抗するのではなく、身をまかせてやりすごすというのが、「自然」のふるまいであり、ある種経験的な知恵だと言えそうですね。
 では、人間界ではどうでしょうか。昨日紹介のシンポジウムでも語られていた「首都(圏)直下地震」を考えると、はたして人間の造り給うた構造物がそのような「自然」の摂理や知恵にかなったものなのか考えると、はなはだ不安にならざるをえません。
 先日新宿に行った日もとても風が強かった。そこでこんなつぶやきをしました。

『新宿歌舞伎町到着。高層ビル群を見ながら思う。70年代に建ったものは論外として、免震だから大丈夫なんていうのは原発は絶対安全ですというのと同じレベルのまやかしだ。ことが起きて初めて「なんで地震大国にこんなもの造ったのか」ということになるだろう』

 その後このツイートについて、建築関係の複数の知り合いから意見をいただきました。
 一つは「全くそのとおりだ」という意見。一つは「いや大丈夫だ」という意見。そしてもう一つは「正直分からない」という意見。
 ある意味どれも正しいし、全体としてはことの本質をとらえていると思いますね。つまり、一部の悪徳な人間を除いては、この地震大国において、我々の生命と財産を守ろうと真剣に研究し、あるいは施工していることは事実ですし、しかし、その技術はまだまだ発展途上であって、おそら現在においてベストと言われる研究の成果や技術についても、すぐに古くて脆弱なものになりかねないというのも事実なのです。
 ですから、三者三様の意見があって当然です。私はそれぞれ非常に正直な意見と感じました。
 私のようなシロウトが上記のようなつぶやきをすること自体が問題と言えば問題ですが、しかし、シロウトなりの心配というのがあるのもまた事実です。
 たとえば昨年の東日本大震災の際に、免震構造の建物はそれなりに震動を免れ、大きな破壊に至らなかったという報告がなされていますが、一方では「長周期地震動」に対して「免」どころか増幅してしまったという事実もまた報告されましたよね。
 また、最近読んだ雑誌には、基礎に免震を施すことは、本体の耐震を甘くすることにつながるという記事もありました。
 あるいは、予想される「首都直下地震」、特に「東京湾北部」を震源とする大地震の場合、まさに下から突き上げる揺れになるために、従来の横揺れ対応型の免震構造は役に立たないという考え方もあります。役に立たないどころか、基礎自体が破壊されることも懸念されると。
 思えば、都市の超高層ビルなんていうのは、本当に人間の欲望というか、人間のある種の愚かさを象徴しているようにも思えますよね。
 自然界にあのような形状のモノってあるでしょうか。下から上まで同じ太さで、地面から林立しているなんてモノ。子供でもそれが「不自然」だということが分かるでしょう。
 昨日の話にもありましたとおり、あの安定感のある富士山のような円錐形でもけっこう崩壊しますからね。超高層ビルのあの鉛筆のような形状は、自然界においては最も折れやすい、壊れやすいような気もしなくもありません。それが林立しているわけですから心配です。
 樹木というか林や森も似たようなものだと言えなくもありませんが、あの一本一本の中に何千人もの人間が生活しているわけではありませんよね。だから、あのように風で大揺れに揺れてもいいわけです。木々は自分の生命を守ればいいわけですからね。多少枝が折れても構いません。
 人間の林立させた構造物は、基本自分たち人間を守らねばならないので、まず壊れない「耐震」を施し、次に揺れない「免震」や「制震」を発想するのが普通です。
 しかし基本があのような形状なので不安は消えません。9.11を思い出すまでもなく、設計時の「想定外」の事態が発生すれば、大惨事になってしまいます。
 新宿の高層ビルが建ち始めたのは私が小学校の時です。大田区の小学校の屋上で「ベントラ・ベントラ」とか言ってUFOを呼んでいた時(笑)、そこにはすでに4本の鉛筆が立っていました。友達と「UFOに攻撃されて一本倒れればドミノみたいに全部倒れるよな」と笑い合っていたことを思い出します。
 今になって、それが笑い話ではないことに気づきました。人間の叡智(不自然)は、宇宙人ならぬ自然の力に打ち勝つことができるのでしょうか。

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2012.04.02

シンポジウム「首都圏直下地震と富士山噴火」

 ればせながら、ご紹介いたします。昨日1ヶ月ぶりに見まして、やはり面白いし勉強になるなと。
 知りたいことがいろいろ知れるのと同時に、学者の方々の考え方がよく分かります。また、学者の方々のパーソナリティーもよく分かって面白い。だいたい学者さんって面白いんですよ。イメージとは違うことがほとんどです。ま、プロのオタクみたいなものですからね(笑)。

主催 オペレーション・コドモタチ
■ゲスト 早川由紀夫氏、小山真人氏、長尾年恭氏、山岡耕春氏
■聞き役 DELI氏 (オペレーション・コドモタチ)

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2012.04.01

スイスアルプスに行って来ました!

 イプリルフールです。
 4月1日は日本人にとっては特別な日ですよね。新年度が始まります。春入学の日本ならではです。そんな大切な日が四月馬鹿というのも変と言えば変ですね。
 一昨年の反省に基づき、ブログではなるべく嘘をつかないようにしたいと思いますが…。
 そうそう、昔「エイプリル・フールの起源(新説)」という記事を書いたことがありますが、昨日「キリスト」を演奏しながら思ったこと(思ってしまったこと)があったんですよ。キリストの死と復活こそエイプリルフールの起源なのではないかと。怒られそうだから心の中で「うそ、うそ」と打ち消しましたけど(笑)。
 まあ、それはいいとして、とにかく今日から新年度です。今年は日曜日ということで、家族で年度初めの初詣をしました。どこに行ったかというと…写真を撮ったので見てみてください。さて、どこでしょう。

 Gedc2959

 そうです!スイスのアルプスです…というのは嘘で(あれ?嘘ついてるし)、ウチの裏山です(これはホントです)。
 実はこの季節に「裏山」に登るのは珍しいんですよ。初めてかもしれない。それも「王道」で登るのは。
 はい、もうお分かりと思いますが、「裏山」とは富士山、「王道」とは富士スバルラインのことです。
 今日はなんとその「王道」のお誕生日でもあるんですよ。それにもちなんでみました。富士スバルライン、正式名称を「富士山有料道路」と言います。ずいぶん当たり前な名前ですね。
 静岡側の富士山スカイラインは「表富士周遊道路」です。そこから想像されるとおり、スバルラインの方が数年早く開通しました。だから思いっきりフツーな名前です。「裏富士」とか言わない。
 スバルラインが開業したのが1964年4月1日です。なんと私と同い年なんですよね。私より4ヶ月ほど早く48歳になったわけです。ええと、でも4月1日生まれだから学年は一つ上になるのか、スバルの方が。
 ちなみになぜ「スバルライン」というのか、よく分かっていないとのこと。誰が名づけたのでしょうか。なぜ「スバル」なのか。たしかにプレアデス星団もよく見えますが、そんなのはここに限ったことではありません。
 やはり、「スバル」の語源、「すばる・すまる」すなわち「集まる」という意味をかけたのでしょうかね。今では、人が集まりすぎて環境問題が発生していますが。
 さてさて、地元民としてはこのスバルラインはあんまり利用しないのが普通です。なにしろ料金が2000円もするので。でも今日は奮発して1600円払いました。ウチは「富士山ナンバー」じゃないですか、だから地元割引があるんですよ…というのも嘘で、単に軽自動車だからです。
 そうそう、「富士山ナンバー」が大受けでしたよ。これはホント。地元の人は登らないから、すなわち富士山ナンバーが富士山に登っているのは珍しいんですよ。
 今年は除雪が間に合わず、結局四合目駐車場までの営業だったんですが、その駐車場でずいぶんたくさんの人に写真を撮られました。車がね。特に中国人観光客がめざとく「富士山」の文字を見つけまして、パシャパシャ写真撮ってました。なんか嬉しいような恥ずかしいような(笑)。というか、中国人がたくさんいたなあ…。
 というわけで、富士山中腹からの写真を何枚か載せます。ご覧下さい。

↓前景を入れてもまだスイスっぽい?
Gedc2954

↓少し引いて。まだ富士山らしくないですね。
Gedc2953

↓月が昇って来ました。
Gedc2955

↓家族とスイス旅行の記念撮影(笑)。
Gedc2961

↓四合目から西を臨む。ホントは夕焼けを見たかったけれども、スバルラインの営業時間が6時までということで間に合わず。
Gedc2952

↓三合目樹海台駐車場より。
Gedc2965

↓北西の側火山列がよく分かります。2月に湯気が上がったのはこの辺です。
Gedc2963

スバルライン公式

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