『英語教師 夏目漱石』 川島幸希 (新潮選書)
カミさんが英語のセンセーをやっていることもあり、また、自分自身があまり英語が得意でないからか、「英語教育」にはけっこう興味があります。
このブログでも何回か「英語教育」について書いてきましたね。いろいろ書いた記憶はありますが、何を書いたか忘れてしまいました(笑)。まあ、そのくらい、私の中でも何が最善なのかよく分からないで来たわけです。
で、この本を読んでですね、その「最善」とやらをまず否定した方がいいかな、と思ったわけです。それほど、この本はインパクトがあり、本質をとらえているのです。
この本は、文学者、小説家としての漱石ではなく、その人生の実は最も多くの部分を占めたと言っていい「英語教師」としての漱石を紹介、そして分析、評価している好著です。
豊かな資料を駆使して、漱石の英語力や教師力を検証し、それを通じて我々の知らない「人間漱石」を明らかにしてくれています。厳しさと優しさを兼ね備えた先生、そして勤勉でまじめな人間であった漱石の、新たな魅力が存分に伝わってきます。だいぶイメージが変わりましたね。
そして、それよりもなにより、私は大きな発見をしました。英語教育についてです。英語教育(外国語教育)には最善を求めてはいけないのではないかと。
「変則」と「正則」…これは、当時の英語学習の二つの道でした。漢文訓読と同様に、会話することを前提とせず、すなわち発音は気にせず、ひたすら読解のみを目指すやり方と、発音も正確にやっていこうという、いわば王道。
現代はその王道を目指していますよね、基本。漱石もそうでした。あの時代としては珍しい方だったようです。
もちろん、当時と今とでは、世界の状況も違いますし、我々と英語の関係も変わっていますから、現代では「変則」はほとんど認められないでしょう。
しかし、私はこの本を読んでですね、「変則」もいいなと思ったのです。私自身、漢文を読んだり、教えたり、なんちゃって漢作文したりするのが好きですし、どちらかというと得意です。そして、英語についても、話すことはほとんどないけれども、まあ読むのはそんなに苦手ではないし、それで生活上、そんなに困ることはありません。
ちなみにウチの中学校では、読解や文法に力を入れています。あまり世の中の流れに迎合していなとも言えますね。それは多分に私の考え方によります。極端なことを言うと、こちら「なぜ大学入試に英語があるのか」に紹介したような意味で、英語をとらえているからでしょう。
この考え方、教え方、学び方は、大きなくくりではおそらく「変則」に含まれるでしょう。そして、そこを起点として必要がある人には「正則」に向かってほしいというわけです。
話がいろいろ変わって申し訳ありませんが、こういうこともあったのを思い出しました。ちょっと前、中国からやってきた高校生を担任したのですが、彼女、さぞ漢文が得意だろうと思いきや、あれはやっぱり現地の人からすると「古文」なので、なかなか中国語として読むのは難しいらしい。で、結局、他の生徒たちと同じように「変則」として読むようになりました。
これは妙な話のようですが、我々日本人も自国の古文をまるで外国語のように読みますよね。そして苦手になる(笑)。古文の学習って思いっきり「変則」ですから。当時の発音なんかで読みませんので(私は学習効率上、少し取り入れていますが)、たとえば平安時代の京都に留学したり、修学旅行に行ったりしても、現地の人とはほとんど会話できないと思いますよ(笑)。だから「変則」です。
で、英語もですね、これから思い切って二つに分けちゃえばいいと思ったわけです。正と変とで。だから「最善」はないと。
生徒を見ていると、はっきり二つにタイプを分けられるわけですよ。外人さんと話すのが苦手で、ただ読めればいい、会話の授業は嫌いだけれど文法はそんなに嫌いじゃないというタイプ。そして、文法やら読解なんて面倒くさい、でも会話だったら楽しい、パワーイングリッシュでなんとかなるというタイプ。ちなみに私は前者です。できれば英語で話したくない(笑)。
だから思い切って、英語を選択制にすればいいんですよ。どちらかを選ぶ。読解クラスと会話クラスに。どちらかを必修とする。
大学入試は今のように読解中心にならざるを得ませんが、会話を選んだ人たちのために、英語面接かなにかの試験をしてやるんですよ。それでどうでしょう。お互いに幸せだと思うのですが。
まあ、先ほどの「受験英語論」もそうですが、私の英語教育論はかなりぶっ飛んでいますので、絶対に世間には認めらないでしょう。でも、発想の転換が必要だと思うんだけどなあ。なにしろ、漱石の時代から100年以上ずっと同じことで悩み苦しんでいるんですから。
参考 正則リードル獨案内…全然「正則」じゃないような気もするが(笑)。
Amazon 英語教師 夏目漱石
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