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2012.03.31

リストの「キリスト」に「人間」を聴いた…

リハ風景
Img_4583 スト「キリスト」全曲演奏会、盛況のうちに終了いたしまた。
 ご来場くださった皆さま、ありがとうございました。そして、演奏者の皆さま、お疲れ様でした。
 本当に素晴らしい体験をさせていただきました。お誘いくださった淡野弓子、太郎さまありがとうございました。
 私にとっては全くの未体験ゾーン。新たな発見が多数ありました。リストを演奏するのも初めて。というか、19世紀後半の音楽を演奏するのも初めてです。
 私、変なんですよね(笑)。古楽と現代大衆音楽は演奏するけれども、いわゆるジャンルとしての「クラシック」の部分がすっぽり抜けていた。最近皆さまのおかげでそこを埋めつつあります。
 今日もバロック・ヴァイオリンでいつもお世話になっている渡邊慶子さんと話したんですが、「あごで押さえて弾くのも久しぶり」「ヴィブラートのかけ方が分からない」など、モダンの方々からすると、実に妙な状況なんですよね(ま、まんまバロック・チェロでリストを演奏していた猛者もいらっしゃいましたが…笑)。
 私はモダンをちゃんと弾いたことがないので、音楽や楽器や演奏技法の変化(進化かどうかは別として)というのをつくづく感じることが多い。おそらくそうやって歴史の流れ通りに技術を習得していっているのは、世界でも私くらいでしょう(笑)。
Img_4584 あれだけ大きな会場で演奏するのも初めてでしょうかね。新宿文化センター、初めて足を踏み入れたんですが、すごいですね。区でああいうホールを持っているんだ。
 そしてホールに設置してあるパイプオルガン。ああいう大型のパイプオルガンを生で聴くのは実は初めて。初めて聴くのが演奏者として、というのが実に多いですね。
 楽器のみならず、楽曲に関しても、最近そういうことが多くて楽しい。今回の「キリスト」ももちろんそうです。実はロマン派自体初めての経験です。聴くこともほとんどなかったので。私にとってのロマン派は演歌でしたから(笑)。
Img_4580 初めてと言えば、今回の演奏会の一つの目玉、リストが指定した「ハルモニューム」という楽器のことも書かねば。
 私たちヴィオラのすぐ後ろに鎮座したこの楽器がハルモニュームです。まさにリストの時代、19世紀のオリジナルです。日本はもちろん、世界でもなかなかお目にかかれない。
 ものすごく簡単に言ってしまうと、昔幼稚園にあった(今でもあるのかな?)足踏みオルガンですね。実際歴史的に考えてもそういうことです。
Img_4579 私のすぐ後ろで「ふいご」が動いていました。風の音、それも人間が起こす風ということで言えば、やはり管楽器に近いのでしょうか。リストがこの楽器を使いたかった理由がよく分かりました。
 ヨーロッパの演奏家たちによるこのリストの「キリスト」の録音でも、ほとんどがオルガンで代用されています。それが、日本でこうして復元演奏されるすごさ。リストもびっくりというか、喜んでいることでしょう。
 そして、全くの偶然だそうですが、新宿文化センターのパイプオルガンは、ハルモニュームも製作したというかのカヴァエ・コルの様式によるロマンティック・オルガンです。すなわち、強弱がつけられるオルガンですね。19世紀ロマン派の夢とアイデアと工業技術が凝縮した空間となりました。
 もちろん、ロマン派の音楽に対する挑戦と実験、そして発見という点でも興味深かった。いや、大変でしたよ。あんなに♯や♭がたくさんついた楽譜を読むのは初めてですから。そして、いきなりのめちゃくちゃな転調(笑)。♯7つから♭5つとかね。対応するのに必死…というか死亡。
 なぜ、私たち近代人はああいう表現を必要としたのでしょうかね。近代人というか、近代ヨーロッパ人でしょうか。古代日本人(?)である私には、正直別次元での出来事というか、いやある意味新しくも古臭いような気もしましたね。
 つまり、いつも言っている、「近代ヨーロッパ音楽」という世界的に見ると非常に特殊で狭い音楽に対する自己嫌悪というか自己批判というか、それが現れているかなと。五線譜に表現される(表現されてしまう)音楽の異様さというか、不自然さというか、そういうコトに対してモノが湧いてきたような感じでしょうかね。
 その象徴が長三度の気持ち悪さでしょうか(こういうと理解されないことが多いのですが、世界全体で見ると実際そう感じる人の方が多いのです)。そこを克服するために不協和音や半音階、そして異常なほどの珍奇な(!)転調を施したりして、その座りの悪さをごまかそうとした感じがします。
 バッハ(神)に対する絶対的な敬意と、そこから生まれる「人間」の卑屈な精神というか。いや、悪い意味ではなく、人間回帰なんですよ。そして、その後印象派が生まれ、さらにジャズが生まれ、現代の大衆音楽で再び「人間性」を取り戻したと。聖から俗への回帰というか。
250pxliszt_lehmann_portrait そういうプロセスを痛烈に感じながら演奏していました。リストも人間性を取り戻そうと必死だなと。それも「キリスト」の一生を通じて、信仰における「人間性の回復」も含めて、歴史と戦っているなと。
 私は音楽に限らず、ロマン派についてなんの経験も知識もなかったのですが、今回の経験で、急に何かつかんだような気がしましたし、私の中に「ロマン派的なるモノ」があることが分かりました。これは大きな発見でしたね。
 やはり、自分が経験して初めて分かることがたくさんありますね。それも自分の守備範囲外のことを経験すると、ある種の「苦痛」や「困惑」が発見の手助けをしてくれる。今さらながら「成長痛」「筋肉痛」「産みの苦しみ」を味わった気分です。
 本当にありがとうございました。
 最後に、そんなロマン派の原点回帰、人間性回復の祈りを感じた1曲を。今回のオラトリオ「キリスト」の第13曲。ハルモニュームと女声合唱による聖歌です。この古代性こそが実はロマンだったのかと実感して、本番中に涙が出てしまいました。足踏みオルガンの懐かしさってこれだったのか…。
 この動画ではハルモニュームではなくオルガンを使っているようですが、ぜひ聴いてみてください。復活祭のグレゴリオ聖歌です。最後の和音のみ近代人リストが現れていて、それはそれで感動ですね。

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2012.03.30

告知! 31日(土)17:30〜リスト『キリスト』全曲演奏会

Photo

 日の通しリハからいったん富士山に帰って来ました。いやあ、初めて全曲通しましたが(いや1曲目は渋滞のため遅刻しました。スミマセン)、まあすごい曲だ。そしてこれはすごい演奏になりそうです。練習中もゾクゾクさせられっぱなしでした。
 これはぜひ皆さまにも聴いていただきたいと思ったので、今日の記事とさせていただきます。
 CDでもほとんど聴く機会がない曲です。3時間に及ぶ大曲です。イエス・キリストの生涯が描かれたオラトリオです。
 私も集中力を切らさず、頑張って演奏いたします。ぜひ、お越しください。

[日にち] 2012年3月31日(土) 
[タイトル] <受難楽の夕べ2012> ~新しいリスト像を求めて~
リスト生誕200年記念コンサートシリーズ (その3)
(2011年7月31日開催予定公演→震災のため延期)
[曲目] フランツ・リスト オラトリオ <キリスト> 全曲
[会場] 新宿文化センター 大ホール
[時間] 17:30 開演 (16:50開場)
[料金] 指定:5,000円 自由:4,000円 学生・自由:2,500円
[出演] ソプラノ 平松英子
アルト 羽鳥典子
テノール 武田正雄
バリトン[キリスト] 淡野太郎
バス 浦野智行


オーケストラ シンフォニア・ムシカ・ポエティカ

コンサートマスター 瀬戸瑤子
ヴァイオリン 永井由里/渡邊慶子/奥村琳/飯島加奈子/
   伊藤洋美/西村洋美/小穴晶子
ヴィオラ 杉山光太郎/長倉寛/谷口勤 / 山口隆之
チェロ 室野良史/西澤央子/富田牧子/大軒由敬
コントラバス 西澤誠治/西澤桐子
フルート 岩下智子/今中眞美
ピッコロ 常山こずえ
オーボエ 川村正明/鈴木宏子
コーラングレ 後藤望実
クラリネット 柴欽也/高子由佳
ファゴット 井上俊次/小林道子
ホルン 下田太郎/竹内由佳/滝沢菜月/村尾咲枝
トランペット 築地徹/斎藤秀範/山崎千裕
トロンボーン 萩谷克己/宮下宣子/橋本晋哉
テューバ 寺山香澄
ティンパニ 鈴木力
パーカッション 皆川諭
ハープ 小林聡美
ハルモニウム 伊藤園子
オルガン 今井奈緒子

ほか


合唱 ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 & メンデルスゾーン・コーア

S 今村ゆかり/梶山いづみ/神山直子/古武沙織/阪本恭子/
  櫻井尚子/柴田圭子/巽瑞子/玉井千恵/殿広まゆみ/西川真理子/
  松井美奈子/村井あゆみ/山田みどり/山田由紀子/大和美信
A 秋山百合子/石塚瑠美子/大島さち子/影山照子/栗川三千子/
  小西久美子/佐藤道子/高梨愛子/武井紀子/田畑玲子/
  戸井恵子/中村光子
T 大森雄治/甲斐高志/藤本桂太/武藤和明/依田卓
B 石塚正/小家一彦/五月女温/阪本一郎/中村誠一/
  藤田育也/山形明朗


アンサンブル・アクアリウス

S 石井真知子/入山芳子/下島喜代子/田代田鶴子
A 天城素子/荒井敦子/壷内嵩子/西田宏子/二宮素子/森本浩子


指揮 淡野弓子
[お問い合せ] 主催 Musica poetica  マネジメント 菊田音楽事務所
チケット予約
ムシカ・ポエティカ http://www.musicapoetica.jp
 03-3998-8162(Tel&Fax)
菊田音楽事務所
 042-394-0543(Tel&Fax)

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2012.03.29

富士山ラドン濃度と全国の地震の関係について(その2)

 日の「富士山ラドン濃度と全国の地震の関係について(その1)」に続き、データをもう少し詳細に検証してみました。詳細に、と言うよりも視点を変えたと言ったほうが正確かもしれません。
 その1の記事では、ただ「トップ(ピーク)付近では地震が少なく、ボトムに多い」というような言い方をしました。しかし、その後データが積み重なるにつれて、あることに気づき始めたので、ここで紹介しておきます。
 ただし、たった4ヶ月強のデータしかありませんから、ここでの結論は今後変わるかもしれません。ご承知おきください。もちろん、その時はそのたびにこうして報告いたします。
 さて、さっそく最新のグラフをご覧いただきましょうか。ちょっと解説用に手を加えてあります。クリックすると大きくなります。

20120329_205417_4

 では、解説いたします。グラフをご覧になりながらお読みください。
 今回は「ボトム」に注目しました。「ボトム」とは、違う見方をすれば、上り坂の始点です。登山口ですね。
 なぜ、今回この登山口に注目したかというと、もともとラドンと地震には次のような関係があると考えられるからです。
 比較的大きな地震が発生する前段階として、当然地殻に大きな力が加わりますね。いわば歪みが蓄積します。この時、地殻に小さなひびが入り、そこから地中にたまっていたラドンが放出されます。
 富士山の1200メートル地点にある我が家に設置してあるラドン濃度計は、その目に見えないクラック(割れ目)から放出されたラドンに反応しているものと思われます。
 つまり、ラドン濃度が上昇するということは、ここ富士山の地下に力が加わっているということになります。
 全国の地震の前兆が、なぜここ富士山で捉えられるのかは、正直科学的には証明できません。しかたなく(?)私は前回の記事で「富士山は丹田だから」というトンデモな言い方をしていますが、これは実は当たらずとも遠からずの表現だと思っています。人体の「気」の世界も、なかなか科学では説明できませんけれども、しかし、どうもそういうモノがあるということは、皆さん認めざるを得ないところだと思います。
 そういうわけで、グラフで言えば、ボトムすなわち上り坂の始まるところは、富士山に力が加わり始めたところということになります。そして、それは、どこかで発生するであろうある程度大きな地震の前兆が始まったということを示します。
 今回、そうした顕著なボトム(上り坂の始点)を赤い矢印で示し、判別のために番号を付しました。
 そして、そのそれぞれのボトムから2〜3週間後を示す丸を示しました。対応が分かりやすいように、こちらにも番号をふってあります。
 さて、そうして見てみるとどうでしょう。明らかに丸で囲われた部分に地震が多く発生していますよね。
 4,5,6,7あたりの「台地」は、前の記事で仮定したとおり、複数の山が重なったのでしょう。その後、多数の中規模地震が連続して発生したので、その仮説が証明された形となりました。
 今までは、どちらかというとピーク(トップ・頂上)に注目していたのですが、先ほど書いたラドンの発生原理からしても、ボトムに注目するのが正しいのではないかと思います。
 もし、このような傾向が今後も確認されれば、2,3週間前(実際には検証が必要なので1週間前でしょうか)に中規模以上の地震の発生を警告することができますね。
 現在、比較的長いボトム期が続いています。昨日あたりから数値は上がっていますが、まだ平均値以下ですから、単純にボトムを脱した、上り坂が始まったとは判断できそうにありません。もう少し様子を見たいと思います。最低でも25ベクレルを超えないと一つの山が築かれたとは言えません。
 それにしても、こうして見ると、自然というのはなんとも面白いメッセージを送ってきますね。それを解読する楽しみというのもあります。それが結果として皆さんの防災や減災に役立てば、こんな嬉しいことはありません。
 今後の課題は、数値の高低と地震の規模、そして震源の場所の特定ですね。おそらくこのラドン濃度測定だけでは、その課題は乗り越えられないでしょう。いつも書いているように、複合的、総合的に自然からのメッセージを受け取り、それをまとめていかねばなりません。皆さまのご協力をお願いいたします。

富士山ラドン濃度と全国の地震の関係について(その3)

(毎日のラドン濃度はツイッターで報告しています)


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2012.03.28

iPhone用カードポケット付き横開き手帳型ケース (トリニティ)

Gedc2240 日は、昨日東京で活躍した(?)ものを紹介しましょう。
 これはなんでしょう。
 これは、最近気に入っているワタクシのiPhoneのケースであります。
 東京で活躍したというのは通話や通信ではなくて、「おサイフケータイ」としてです。
 そう、iPhoneって、日本独特のおサイフケータイの機能がないじゃないですか。それで不便だと思っている人も多い。
 私が使う可能性があるおサイフケータイ機能と言えば、たまに東京に行った時にSuicaとして使うくらいです。だったらiPhoneにSuicaのカードを貼りつければいいじゃん!と思っていろいろ試したんですけど、なかなかうまくいかない(笑)。
Gedc2241 なら、カードも入れられるケースを探そうということで、見つけたのがこれ。
 昨日試したらちゃんとSuicaとして機能しました(最初裏表間違って反応しなかったけど)。これで、いちいち本物の財布を出さなくてもよくなって、ワタクシ個人的にはとっても気が楽になりました。
 このケース、手帳型ですから、それなりにかさばるし重いのですが、それが案外いいんですよね。手にした時の質感がちょうどいい。
Gedc2242 デザインや素材もなかなかいいでしょう。パッと見iPhoneだとは思えない。それが予想外に功を奏してくれました。というのはですね、会議の時とか、さりげなく机の上に置きやすくなったのですよ。ケータイ、スマフォ然としていると、なかなかそれって難しいじゃないですか。しかし、これだと、そういう気配を消せますし、実際手帳だと思う人がほとんどのようです。
 で、机の上に置いておいて、時々堂々とフタをパカッと開けてメールチェックとかしちゃう(笑)。これがいいですね。
Gedc2243 全体は本革調のポリウレタンレザー。フタのワンポイントであるラインは本物の木材が使われています。この質感がいいですね。天然素材の安心感というか温かみというか。
 フタ付きの上に結構しっかりしているので、落としてしまった時も安心ですね。かなり衝撃を吸収してくれる感じです。
20120329_92602 ちなみにこれ、デザインも素材もいいんですけど、なんとなく工作のレベルはイマイチでして、少し手を加えました。フタのロック具合もきつすぎたので一部削りましたし、iPhoneを収めるプラスチックの枠の部分もなんとなく歪んでいたので修正しました。ま、それも私にとっては楽しみの一つでしたけど。
 なんとなく人と違うケースがほしい、iPhoneをおサイフケータイもどきにしたい、よく落とすという人にはうってつけではないでしょうか。案外お安いですし。他の色合いのも揃えようかな。

Amazon Simplism iPhone 4S/4 横開き PUレザー フリップノートケース ICカードポケット付 ベージュホワイト

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2012.03.27

秋田創作家庭料理 『御燗』(おかん)

★「不二草紙を見た」と言うと「いぶりがっこ」サービス!(まじで)。
85d36929 年春は秋田に行っているのですが、今年はちょっと忙しくて断念しました。そう言えば昨年も震災後で行けなかったんだな。雪解けの秋田も大好きなのですが。
 しかし!その代わりと言ってはなんですけれども、今日は東京で秋田の郷土料理と秋田のお酒をたらふくいただくことができました。もう大満足です。
 それにしても見事なタイミングとシチュエーションだよなあ…。
Img_4568 場所は神保町。日本教育会館の地下にある「御燗」というお店です。なぜ、私がここに行くことになったのか…いろんな事情をご存知の方にはとっても意外に思われることでしょう(笑)…というのは、とりあえず置いといて。
 ジュンサイ、ヒロッコ、比内鶏の串焼き、ハタハタの鍋、ハタハタずし、きりたんぽ、いぶりがっこ、刺身、稲庭うどんなどなど、もう超ぜいたくな秋田ならではの料理と、まんさくの花、白瀑、天寿などの秋田の地酒。本当に気分は秋田に飛んでいました。
Img_4571 今回はカミさんと、そして職場の後輩と一緒にうかがったのですが、そのおいしい料理とお酒、そして温かいお店の雰囲気のおかげで、あっという間に4時間が過ぎてしまいました。こんなに時間が早く感じられたのは初めて。そのくらい満足だったということですね。
 あんまり集中して飲んだり食べたりしゃべったりしてたので、写真を撮るのをついつい忘れてしまいました。
 いや〜、本当に「縁」というのは面白いですね。そう、「縁」というのはですね、ただの「つながり」ではないんですよね。タイミングこそ大切なのです。もう必然としか言えないような、あるいは運命的としか言いようのないようなタイミングに生まれる「つながり」こそが「縁」です。
Img_4570 実は、このお店のおかみさんが、ウチのカミさんの地元の先輩でして、二人は今日24年ぶりに再会したのでした。カミさんの生まれ育ったところは、このブログでも何度か紹介しているとおり、羽後町の山の中でして、地域の人たちはみんな顔見知りという感じのところ。今はお互い地元を離れて違う場所で生活しているのに、こうして四半世紀近くを経て再会できたのは…。
 そう、このブログがきっかけなのですよ。たまたまおかみさんが、地元のことを検索していたところ私のブログが引っかかって、写真を見て行ったら、なんか知ってる顔が!…ということらしいのです。
 それで最近連絡をくださいまして、このたびの再会が実現したということです。それが、なんとも、素晴らしいタイミングだったのですよ、私や今日同席した後輩にとっても。本当に不思議です。ありえないピンポイントが重なっているんです。確率的にはもうほとんどゼロに近いことが普通に起きちゃうんですよねえ。ありがたいことです。
Img_4572 今日もお店は常連さんとおぼしきお客様でいっぱいでした。場所柄教育関係の方が多いようで、今日も山形の先生方とお話をさせてもらったり、お酒を酌み交わしたり、とても貴重な体験をさせていただきました。いろいろ勉強になったなあ。
 そう、団体とか思想とか、そんなの教育の現場にとってはどうでもいいことなんですよね。やっぱり「人」と顔を合わせて話をしなくちゃ。ある意味それこそが教育の根幹でしょう。
 途中カミさんが「秋田音頭」を歌ったりしましてね、言葉を超えた交流もできたような気もします。おいしい料理とお酒、そして歌と笑顔があれば、もうそれでいい…そんな気がしました。
 ぜひ皆さんも一度お店をたずねてみてください。きっと満足していただけると思います。料理やお酒はもちろん、明るく元気にかいがいしく働くおかみさんと、黙々と仕事をする朴訥なご主人にも、秋田の醍醐味を味わうことができますよ。
 ありがとうございました!私たちもまたお邪魔します。本当に私は「縁」に恵まれていますね。ありがたいことです。

日本教育会館テナント案内

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2012.03.26

房総沖に新発見の大断層?

195834314 ュース等でご存知のとおり、29日の日本地理学会において発表があるようです。
 ニュースとしてはM9の可能性という言葉にインパクトがあるので、皆さん恐怖や脅威を感じたことと思われます。
 私は比較的冷静に「まあ、あるだろうな」「でも、ないだろうな」と思いました。
 「あるだろうな」というのは、地理学的に調査や検証をしていけば、このレベルの「大断層」は世界中で無数に見つかると考えられます。地球全体のレベルで言えば、この程度のシワはあって当然だからです。
 「ないだろうな」というのは、すぐにそこが発動してM9の地震が起きるということはないということです。
 だいいち、この「未知の大断層」がいつどのように活動したのかさえ分からない、実際に地学的に、あるいは歴史学的には、そのような痕跡は見当たりません。
 つまり、かなり古い時代、たとえば数万年、数十万年前に活動した可能性が高いということです。そして、それが今日明日再び活動する可能性はほとんどゼロに近いということです。
 どちらかというと、その周辺にある比較的新しい断層、たとえば延宝の房総沖地震の再来の方が可能性はずっと高い。
 もちろん、昨年の3.11の大地震はそういう意味では想定外でした。つまり、あの「大断層」は巨大地震を起こすほどのエネルギーはためていないだろうと考えられていたのです。別の言い方をすれば当分活動しないだろうと。
 ですから、今回新発見の「大断層」も今日活動する可能性は皆無ではないわけですから、当然観測対象にはすべきでしょう。しかし、だからといって必要以上に恐怖することはありません。
 とりあえずはこの新発見の大断層よりも喫緊の状況にある予想震源域はたくさんあります。そちらの前兆現象観察に力を入れるべきだということですね。
 最近、ウチで観測している富士山のラドン濃度が非常に低い状況です。これは直接的に言えば、富士山付近の地殻のひずみ度が低くなっていることを表しています。つまり、富士山は平穏だということです。
 ただ、その前に濃度の高くなった、いわゆるピークが存在しているので、その分の発震がどこかであってもおかしくありません。ただ、ツイッターでも報告したとおり、今回はそのピークがあまり高くなかったこと、そしてそこからの下り坂の期間にずいぶんとたくさんの中規模地震が発生し、分散的にエネルギーが解放されたようです。
 もしかすると、このまま一時収束期に入るかもしれません。なんとなくそんな気がします。というのは、ちょうど昨年の3月から発症した私の五十肩がすっかり良くなったからです(笑)。もちろん、半分冗談ですが。
 いずれにせよ、我々にとって地球スケールの大変動というのは、基本的に全てが想定外です。その空間スケール、時間スケールともに巨大すぎて見えないのです。
 「木を見て森を見ず」は危険であって避けるべきことですが、「木を見て森を想像する」ことは可能であり有用であることを、私は忘れたくありません。
 そういう意味では、今回の「大断層」を見て恐怖するのは「森を見て木を見ず」の状態なのかもしれません。
 やはり、人間の想像力は大切ですね。そして、雛型(フラクタル)的な思考、さらに自然と戦うのではなく、自然に学ぶ謙虚さも常に持っていたいと思います。

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2012.03.25

サミュエル・バーバー 『アニュス・デイ(弦楽のためのアダージョからの編曲)』

 日は公私ともに辛い仕事をしなければなりませんでした。人の命、そして人の生活、人生、歴史、愛が深いからこその哀しみや憎しみ…。本当にいろいろなことを考え、感じる一日でした。
 そんなわけで、今日はなんとなくこの曲を聴きたくなりました。「アニュス・デイ」。
 バーバーの弦楽のためのアダージョはご存知の方も多いのではないでしょうか。作曲家本人の意図に反して、今では「葬送の音楽」というイメージがありますね。
 もとはと言えば、ジョン・F・ケネディ大統領の葬儀の際に用いられたのがその発端です。日本でも昭和天皇崩御の際にN響によって追悼演奏されました。
 その「弦楽のためのアダージョ」は、もともとは弦楽四重奏曲の第2楽章でした。それを弦楽合奏用に声部も増やしつつ編曲したものです。高校時代に演奏した、いや正確に言うと演奏しようとしたことがありましたが、拍数を数えるのが大変なのと、各声部音域が広すぎて(つまり高すぎて)最後まで弾ききれなかった記憶があります。
 そして、あまり知られていないのですが、この有名な弦楽のためのアダージョは、さらに作曲家本人によって編曲されています。それが、この声楽曲「アニュス・デイ(神の子羊)」です。
 バーバー自身がどういう意図をもってこういう編曲を行ったのか。おそらくは「弦楽のためのアダージョ」が自らの意図に反していたとはいえ、非常に有名になり、またいつのまにか葬送のための音楽という認識を持たれるようになったので、つまり作品が勝手に独り歩きをはじめ、そして作曲家自身にも影響を与えたのだと思います。
 では、そんな「バーバーのアニュス・デイ」をじっくりお聴きください。まるで作品自身がこの形になるために生まれてきたかのように聞こえると思います。
 

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2012.03.24

祝『University of Mt.Fuji』開校!

545028934 日めでたくUniversity of Mt.Fuji(富士山大学)が開校いたしました。その最初の講義「フジファブリック学」第1回「茜色の夕日」の講師を担当させていただきました。
 地元の方々はもちろん、愛知や新潟、埼玉、神奈川、東京など、本当に遠くからたくさんの方々にいらしていただき、感謝感謝です。
 皆さんの期待に応えられるような講義ができたかどうか、ちょっと心もとないのですが、私自身も改めて志村正彦くんの楽曲を分析することによって、たくさんの発見がありました。
 もちろん、いろいろなご縁にも感謝です。もともと、この話もひょんなところからひょんなことがあって、そこに偶然も重なったりして実現したものです。全く不思議です。
 そして、今日おいでくださった受講者の皆さんの中にも、教え子はいるし、保護者はいるし、古くからの知り合いもいるし、ネット上では数年来の知り合いだった人もいるし、全く初めての方もいるし、それこそひょんな縁があることが分かった方もいるしで…もう本当に、なんでこの人とこの人とこの人がここに一緒にいるのかというような…こういうご縁を作ってくれた志村くんにも感謝です。
 この「大学」は「スーパーモラトリアム」をテーマに、真剣にまじめにとことん「大学ごっこ」をしようという企画です。私はそういう「まじめ遊び」が大好きですので、すぐにお話に乗っからせてもらいました。地元富士吉田を盛り上げるため、というか、地元の方に地元を知っていただきたいという気持ちもありますし、他地方の方々に定期的に富士吉田を訪れてほしいという気持ちもあります。
 そういう意味で、今回は本当にいろいろな地方の方々に集まっていただきうれしく思っています。そんな皆さんを歓迎するかのように、最初雲に隠れていた富士山も夕方にはきれいに姿を現し、茜色の夕日を浴びて美しくそびえ立っていました。
 さて今日の講義内容ですが、「茜色の夕日」を音楽と文学の面から分析してみました。これがなかなか難しかった。やはり天才の仕事を学問化するのは大変です。
 音楽面では、志村くんの楽曲の特徴である「サブドミナント志向」と「胸キュン進行」、さらにビートルズの音楽との関係、あるいはバッハにまで話が及びまして、ちょっといろいろ言い過ぎたかなと反省。
 ただ助かったのは、受講者になんと我が歌謡曲バンドのキーボーディストがいることが分かりまして、午前中にウチに呼んでちょっと打ち合わせしましてお手伝い願いました。私もヴィオラを持参してメロディーを弾いたりして、まあ受講者の皆さんにとっては、実際の音があったので分かりやすかったのではないでしょうか。
 音楽面よりも文学面の方が難しかったなあ。天才の「詩」だなあと再確認。今日は「時系列」の観点を持ち込むことによって、彼の詩がいかにいろいろな解釈を受け入れる器の大きさを持っているかを確認しました。皆さんからいろいろな意見が出てきて実に面白かった。他人の意見を聞いてさらに広がっていく、あるは研究すればするほど、あるいは経験すればするほど、作者の意図を超えて成長していくのが普遍的な「名作」の条件です。
 講義終了後の懇親会も大変楽しく充実しました。こういう番外編もいいですね。
 次回の私の講義は4月28日土曜日の予定です。春の遅い富士北麓地方は、ちょうどその頃「桜の季節」を迎えます。忠霊塔でのお花見と講義の組み合わせです。曲はもちろん…。次回は定員も増やす予定ですので、ぜひおいでください。楽しく「勉強ごっこ」しましょう。
 「大学」を作ってくださったお二人の有志に感謝です。コンセプトを立ちあげ、こうして人を集め、縁を紡ぎ、コトを実現していくのは大変なことです。尊敬申し上げます。今後の他の講義も楽しみにしています。

 講義の様子が山梨日日新聞に紹介されました。

University of Mt.Fuji 公式

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2012.03.23

『国語教科書の中の「日本」』 石原千秋 (ちくま新書)

41h5ipzlmul 日は国語部会で後輩たちにお話をしました。今まであまり言わなかったことも歯に衣着せず言わせてもらいました。
 あまり時間がないので、簡単に記しますが、とにかく戦後国語教育がこのダメダメな日本を作った一因であること、国語科教員が無反省で極度に保守的、生徒を苦しめている張本人であること、ほとんどの国語のセンセイが大学入試問題を解けないことなど、まあ我々にとっては耳の痛い話ばかり(笑)。
 これは(以前の)私や、ウチの教員に限ったことではありません。光村図書の世界で、大人(先生)の要求する答えを「考えつく感性」を持って、なんとなく「国語が得意だ」と思って、なんとなく国語の先生になってしまった人がほとんどなのですから。
 私は幸運なことに、中学時代、かの国語教育の神様大村はま先生に習い、教員になってからは受験国語の神様出口汪先生と不思議なご縁があったりしまして、まあフツーの国語の先生よりは、フツーでない国語体験をさせていただきました。そのおかげで、今や、国語教育界では実に「うざい」存在になっています(笑)。
 そう、基本的にですね、教員って自分が体験した授業しかできないんですよ。そこが非常に問題ですね。今日も話させてもらいましたっけ。教師になる理由「私はある国語の先生に出会い人生が変わりました。私もあの先生のような先生になって、あの先生のような授業をしたい」とか、「私は中学校時代のある数学の先生のおかげで数学が大好きになりました。私もそういう先生になって、子どもたちに数学の楽しさを伝えたいと思います」なんていうのは、本当にダメダメなんです。もし、採用試験でそういうこと言ったら、即刻不合格にするか、出直してこい!と言うべきですね。
 教師の仕事ってそんな個人的な次元ではないんです。もっともっと総合的です。ある教科でのある生徒とある先生の関係だけをとって、教員になりたいなんて言ってもらいたくありません。しかし、自分も含めてですけれども、実はそういう理由で教師になる若者が多い…。
 話を戻します。国語教育ですね。戦後の国語教育が実は「道徳教育」だったということについては、同じ石原さんの本「国語教科書の思想」の記事で、私も同意しています。
 そうそう、先日県から「道徳読本」のようなものが送られてきたんですが、それがまるっきり「国語」の教科書でビックリしてしまった…いや、笑ってしまいました。非常に象徴的でしたね。あまりに面白かったので、それをすぐに利用させていただき、1年生で面白い授業をさせていただきました。めっちゃ盛り上がりました(笑)。まあ、その程度にしか使えません、国語としては。肝心なところに誤植があるし(苦笑)。
 ええと、また話がそれた。私の授業のようだ(笑)。それで、私はですね、昔から文学鑑賞や道徳教育の「国語」は、それはそれで大切なので、芸術科目「文学」(音楽や美術と同次元)として独立させ、「国語」は日本語を使った論理的な思考とコミュニケーションを徹底的にやるべきだと主張しているわけです(もちろん演出的な極論ですが)。
 いや、実は戦後の国語教育史を勉強するとですね、そういうことが盛んに言われた時期、そういう文学と言語の論争が行われた時期というのもあるんですよ。ある時期には(非常に短期間ですが)、国語の教科書が「言語編」と「文学編」に分かれていた時さえある。
 ま、いずれにせよですね、その二派のうち文学派が勝ってしまい、あの光村図書の国語のような教科書が蔓延して、そうして日本人は「豊かな感性」「豊かな日本語」にどっぷり浸かって、いつのまにかグローバリズムの中でなめられる存在になってしまったわけです。なにしろ、議論も抗議もできない、外交上の言語的国防もできない国になってしまったわけですから。もちろんビジネスの世界でも負け組になってしまいました。
 日本人の望む、あるいは幻想する「豊かな感性」「豊かな日本語」「豊かな文化」というのは、実は意識せずとも、あるいは妄想せずとも自然に備わっているモノです。コトさらコト葉で示さなくてもいいものです。それを変に強調するから極端に偏った国民になってしまった。
 これってGHQによる日本人骨抜き化政策なのかと思ったら、逆なんですよね。アメリカは戦後、言語教育をやろうとした。実際そういう動きがあった。日本人の「根性」は怖いから、論理的に思考する安全な国民にしようとした。ところが、現場の保守的な教員から反発が起きた。「昔は良かった」的な発想ですね。
 そこのところの矛盾は、国語のみならず教育界全体に見られます。たとえば、「子どもたちを戦場に送るな!」と言ってアホ日教組は国旗や国歌に反対するくせに、見てくださいよ、日本の学校は外国人から見るとまんまアーミーなんですよ。ランドセルは背嚢だし、体育や運動会はほとんど軍事教練そのままだし、リコーダーはナチスだし、甲子園とかラジオ体操についてもこのブログで書きましたね。その矛盾に気づかず、国旗や国歌(&国家)を目の敵にしているアホどもに対しては、もう憫笑するしかありません。
 おっとまた話が逸れた。で、私は受験国語、大学入試の国語というのは悪くないと思っているのです。大学は「感性豊かな学生」がほしいのではありません。「論文を読んで論文を書ける学生」がほしいわけですから、ああいう論理的な問題を出して当然です。
 しかし、現在の小中高の国語教育はそれとは反対のことをしているわけですね。「傍線部を説明しなさい」という外見は同じですから、生徒たちは混乱する。
 だから、しっかりそこを分けてあげなさい、感性と論理をしっかり分けて教えてあげなさいという話を今日したわけです。答が無数に分散していくものと、答が一つに収斂していくものと、両方あるのだと。それが言語、日本語、国語の豊かさの実体であり、そしてそれをしっかり使い分けていくのが国語の勉強であるということを生徒にまず伝えてほしいと。
 それをしない国語のセンセイが多すぎるんです。そして、たまたま勉強せずともそれができる生徒だけが国語が得意だと勘違いし、そして国語のセンセイになってしまったりする。そういう悪循環がこの日本をダメにしたということです。
 ちょっと過激な書き方になってしまいましたが、こういうふうに言わないと、この硬直化した教育界は変わりません。
 というわけで、やっと本題。この本は面白い(笑)。光村には動物ばかり出てくる…とか、たしかにそうだな。「古き良き日本」を伝承する「国語」はたしかに素晴らしい。しかし、それだけではダメだということです。石原先生、GJです。

Amazon 国語教科書の中の「日本」

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2012.03.22

人間関係の修復力について

ある意味この二人が私たちを熱くさせた!?
20120321206 お、体が痛い。すねに青あざができている。あいつ強くなったな…。
 親子ゲンカの話を皆さんにするのもなんですが、最近思っていることに関係しているので、ぜひ読んでください(笑)。
 先ほど下の娘(小3)とガチの喧嘩をしました。口げんかではありません。格闘です。
 昨日その娘と一緒にサムライTVでスターダムの後楽園ホール大会の速報を観ていたんですよね。それで、メインの高橋奈苗vs里村明衣子の素晴らしい戦いに感動して、こういう折れない心が大切だ、戦いの中から尊敬の念が生まれる…てなことを語り合っていたわけです。
 その成果がさっそく出ました(笑)。いやあ、負けん気強いわ。
 発端は…たぶんこんな感じでした。娘二人とも、最近はパソコンやiPhoneやDSのディスプレイばかり眺めていて、その中のヴァーチャルな世界にはまりすぎてまして、今日は母親が食事の準備を手伝ってと言ってもそっちのけ、しまいには不機嫌になっていたので、それでこっちもちょっと溜まっていたモノもありましてね、怒鳴ったんですよ。
 そうしたら、なぜか下の娘がいきなり私にローキックをしてきた。その時の妹の怒りは実は姉に向かっていたんですが、そこに乱入してきた私にも何か気に入らないモノを感じたんでしょうね。
 当然心のプロレスラーたる私は格が違うとばかりに、蹴られながらも、全然効いてないよ、もっと打って来いや!と、ノーガードで間を詰めて娘を後退させていきます。迫力で圧倒しようとしたわけです。
 今までなら、そこでやめていたのに、今日の下の娘はなかなか引き下がりません。近距離からパンチを放ってきます。そこで私はパンチを封じるために彼女の両手首をつかみました。すると泣きじゃくりながら、強烈なキックを私の急所に叩きこんできたではありませんか(笑)。
 さあ、こうなったら、木村政彦に金的を打たれた力道山状態です。いきなり私もキレてしまいました。ちょうど居間に昼寝用の布団が敷いてあったので、そこに押し倒してマウントポジションを取ろうとしました。
 しかし娘は、驚くほどの回転と怪力のキックで私の接近を許しません。その中にも数発の金的がチーンと命中し、ますます私は熱くなってしまいました。
 彼女の両足を取って逆エビに持って行こうとしますが、それこそどこから力が出ているのかというほどの馬鹿力でそれを阻止してきます。しかたないので腕と足の両方をつかんで持ち上げ、マットに叩きつけたり、ケツにサッカーボールキックをしたりしましたが、それでも心が折れません。時々、場外(?)のマットのない所に落ちたりして、頭をゴンとか床にぶつけているのに、今日はいつもと違って痛いフリすらしません。
 そのうち、母親が心配して止めに入り…ではなく、父親に暴力を振るう娘にキレて、参戦しようと近づいて来ました。つまり、私の加勢をしようとしたのです(笑)。大声で何か叫んでいます。
 しかし、私は、これはオレとコイツの戦いだ!下がれ!と言って母親をも威嚇します(マジでプロレスの見過ぎでしょ…笑)。上の娘はただ狼狽するだけ。
 で、結局どのくらい戦ったでしょうね。二人ともずっと全力を出していましたから、けっこう息が上がってきました。いや、正直こんな小娘ちょろいと思っていたんですが、本当に予想以上に強いし粘るんですよ。うわぁ、赤ん坊だと思ってた娘も成長したなと、本当に心から思う瞬間でした。
 で、ある意味私の方が先に心が折れちゃったのかもしれません。ずるい戦法に出てしまいました。つまり冷静を装って理屈で攻めはじめてしまったのです。もともと理由がよく分からない戦いでしたしね。
 しかし、ダメなんですよ。「モノ」世界に「コト」を持ち込んでも。その時の娘には「物の怪」が憑依していますから。ある意味自分にもそういうモノが憑いて言葉を超えたコミュニケーションをしていたのに、自分から土俵を下りてしまった。
 そんなにいやだったら出ていけ!…今思えば、それも変な理屈ですが、私はある意味伝統的なずるい攻撃に転じてしまいました。
 娘は無言でこちらをにらみつけ、そして、そこに敷かれていた掛け布団を抱えて、そのまま玄関から外に出ていってしまいました。布団を持っていくところが可愛いっすね(笑)。
 すぐにカミさんが心配して娘を追いかけました…いや、それも違うな、カミさんも怒りが収まらず、そのまま娘に逃げられてはたまらんと、追い打ちをかけたのです。
 なんだか、外で怒鳴りちらしています。優しく「お父さんに謝りなさい」と慰める優しい母親ではなく、まるで鬼神です。いったい何を競い合ってるんだ?ウチの家族は。上の娘だけは冷静なレフェリー(笑)。
 で、庭のデッキに布団を敷いてふて寝しようとしていた下の娘は、母親にとっつかまって部屋に帰って来ました。しかし、私の前は素通りして、二階の子供部屋へ。そこから籠城が始まりました。
 我々3人はそんな下の娘を無視して夕飯を食べ始めました。すると、下半身不随の黒猫ミーが階段の下から、二階に向かってニャーニャー言い始めました。そして、上半身の力だけで階段を昇り始め、途中何度か転げ落ちながらもなんとか二階まで昇りきり、娘の籠城している部屋の閉ざされたドアの前でニャーニャー鳴き続けました。
 私たちが耳を澄ましていると、ガチャとドアの開く音が聞こえました。どうもミーを部屋に招き入れたようです。
 そうして5分くらい経ったでしょうか、再びガチャとドアの開く音がし、まずミーがダダダダダと階段を駆け下りてきました(ほとんど転げ落ちているのですが)。そして、その後ろから静かに娘が階段を下りてきました。
 私があえて目を合わせず無視していると、娘は私の前に回っていきなり土下座したと思うと、泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」を繰り返しました。
 またここからはプロレス的世界です。そう、戦いを終えて互いを尊敬しあう一つの形、すなわち互いに頭を合わせて礼をしあったのです。いやあ、プロレス教育っていいなあ…(泣)。私も思わず涙してしまいました。
 「いいんだよ、いいんだよ」「ごめんな」「お前強くなったな」「大したもんだ、その折れない心」。
 私がそう言うと、娘はおもむろに私の背後に回って、優しく肩をもみ始めました。お互い真剣にぶつかり合って本当によかったと思いました。
20120321207 考えてみると、上の娘にはけっこう体当たりでぶつかっていった記憶があるのですが、下の娘はある意味要領がいいのか、そういうことはなかったんですよね。もしかすると、そういうモノを求めていたのかもしれません、お互いに。
 これを「体罰」だとか「虐待」だとか言う人もいるでしょう。私はそういう次元で子どもに接しているわけではありません。なんと言われようとここは譲れません。
 最近、学校でこういう話をよくします。最近の子どもは人間関係に疲れることが多い。子どもというか若者もだな。
 それは、人間関係の修復力を持っていないからです。いや、持っていないとか身につけていないというのではなく、それを信じていないのです。
 つまり、人間関係には「自然治癒力」があるということを体験していないのです。その人間関係の自然治癒力が絶対的に保証されているのは「家族」の間においてです。ウチの娘どうしを見てもそうですね。ものすごい姉妹ゲンカしますが、すぐにケロッとして一緒に遊んでいる。母親が娘を叱っても叩いても一緒です。すぐに甘えるようになる。
 それは言うまでなく、絶対的な「愛情」に基づいているからです。理屈を超えた本能的世界です。そこで私たちは人間関係の「自然治癒力」を実感し、他者に対してもその存在を信用し、その効果を期待するようになります。それが人間関係の「修復力」です。
 それが最近の親子関係では、ある意味親が子どもに気をつかって体当たりの勝負ができなくなっている。はっきり言ってしまえば、親が子どもとの関係を崩したくないというか、子どもに嫌われたくないというか、そういう気持ちで接してしまっているんですよね。
 そうして育った子どもは、そういうふうに決定的に憎しみ合い、殴り合った(とその時は思っている)ことがあっても、すぐにその関係は修復し、逆にそれを通じて分かりあえたり、そういう可能性があることを知りませんから、まずは人間関係が崩れたり、ちょっと軋轢が生じたり、意見がぶつかり合ったりすることを避けたがります。
 そして、実際にそういう問題が起こると、絶望的な気持ちになってしまい、病んでしまいます。上司に叱責されて出社できなくなる新人社員とか…。
 だから、絶対幼い頃にウチみたいに(いや、ウチは行き過ぎだろ…苦笑)、しっかりぶつかり合った方がいいのです。親もある意味バカみたいに感情に任せて暴れたりした方がいいと思います。あっ、学校の先生もね(笑)。
 そして、もちろんその逆、バカみたいに褒めたり、喜んだり、一緒に遊んだりも必要です。そういう意味でも、ウチはプロレスに育てられていますね。

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2012.03.21

あなたはどれ派?「とりのうた(鳥の歌・鳥の詩)」各種

 変わらず超多忙です。テンション上がっちゃいます(笑)。よって、またまた歌頼み。
 でも、ちゃんと流れがあるんですよ。カタルーニャの民謡つながり。
 そう、カタルーニャ民謡と言えば「鳥の歌」が有名ですよね。そして、鳥の歌と言えばあのパブロ・カザルスの国連でのスピーチと演奏ですよね。カタロニアでは鳥は「PEACE PEACE」と鳴く…。というわけで、聴いてみましょう。

 さて、ヨーロッパの「鳥の歌」でもう一つ有名なのは、フランスルネッサンス期の作曲家クレマン・ジャヌカンの合唱曲ですね。私も歌ったことがありますよ。後半に鳥の鳴きまねが出てきます。ヒリアード・アンサンブルの名唱をどうぞ。

 そして、この名曲を日本が誇る歌手初音ミクが日本語で歌ったものがあります。まったく日本人の、専門性を持った遊び心には感心させられますね(笑)。面白すぎ。私も歌詞を初めて理解できました。では、ミクちゃんお願いします。

 さて、「とりのうた」は「とりのうた」でも、こちらはどうでしょうか。杉田かおるさんの「鳥の詩」です。これ、なんと音楽の教科書に載ってるんですよねえ。阿久悠さんの叙情的な詩がいいですねえ。もちろん、坂田さんの曲も、杉田さんの歌も。なんか懐かしいな。「池中玄太80キロ」挿入歌でした。

 ついでですから、この日本の「民謡」もミクに歌ってもらいましょう。不思議ですね。ミクにも「叙情」があるんですよね。日本人、日本語ってすごい。

 さあ、次の「鳥の詩」もまた超名曲ですぞ。私や私の家族はこれが一番好き(笑)。Liaさんが歌う、歴史的ゲーム「AIR」の主題歌です。いや、これまじで名曲だな。これも「叙情」だ。

 最後は、一番新しい「鳥の歌」。千里愛風さんが歌った、テレビアニメ「獣装機攻ダンクーガノヴァ」のオープニング曲だそうです。

 さあ、皆さんはどの「とりのうた」が一番好きですか?
 世界中探せばもっと「とりのうた」は見つかるでしょう。なにしろ、歌の起源は「鳥の鳴き声」だとも言われますからね。

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2012.03.20

カタルーニャの歌

 日の記事で、スペインはカタルーニャ(カタロニア)地方の民謡を紹介しました。紹介しながら、なんとも懐かしい気持ちになったので、もう少し古いものと新しいものをお聴きいただきましょう。
 まず、昨日のセレロールスで指揮・演奏していたジョルディ・サヴァールの奥さんモンセラート・フィゲーラスのとんでもない美声で「盗賊の歌」です。
 これも有名な民謡ですよね。いろいろな編曲がありますが、このサヴァールによる味付け、私は大好きです。たまりませんね。

 さてさて、ジョルディ・サヴァールとモンセラート・フィゲーラスという天才音楽家の間に生まれた子どもがまた、素晴らしいのですよ。息子さんのフェラン・サヴァールはリュートやテオルボを弾きながら歌います。なかなか渋いいい声です。
 彼の「盗賊の歌」も聴いてみましょうか。お母さんの歌とは全然違って聞こえますよ。テオルボの弾き語りですね。今風なアレンジですぞ。後半ブルース調になったりして。

 そしてそして、娘さんがまたすごい!アリアンナ・サヴァール。彼女はハープを弾きながら歌います。お母さんに負けないほどの歌姫であります。彼女もまた古楽から現代ポップスまで幅広く歌うようです。この「愛」はホント美しいですよ。うっとりします。

 しっかし、すごい家族だな。うらやましい。今度家族で来日する時にはぜひ生で聴きたいと思います。

Amazon Arianna Savall Bella Terra サヴァール一家 Du Temps & De L'Instant

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2012.03.19

セレロールスのビリャンシーコ

 多忙のため、音楽の力を借ります。ちょっと(かなり)マニアックです。
 「セレロールスのビリャンシーコ」と聞いて、「ああ」と思う人はそんなにいないでしょう。へたすると日本に10人いるかいないか…。
 セレロールスはバロック時代スペインの作曲家(演奏家)です。彼の宗教曲、たとえば死者のためのミサ曲などは昔から有名でした。
 スペインらしいというか、ルネッサンスの様式の中に、いかにも半島的な、つまり「非ヨーロッパ」的な雰囲気がうまく配合されていて、魅力的な作品がありますね。
 もう少し詳しく言うと、構築されたポリフォニーと民謡的なホモフォニーが絶妙にブレンドされているということです。
 で、最近、本国スペインでは、このセレロールスの世俗曲も再評価が進んでいるようです。ビリャンシーコというのは、語源に「villano―村人、庶民」が含まれていることからも分かるとおり、「民謡」という意味です。
 もちろん、当時の庶民はキリスト教にどっぷり浸かっていましたから、民謡と言ってもそこには宗教的な色合いも濃くあります。
 私はスペイン語がほとんど分かりませんので、この歌がどういう内容を歌っているものか分かりませんが(苦笑)。
 スペインが誇るイケメン(?)ヴィオール奏者、サバールの演奏指揮です。
 もし日本が1624年にスペインの渡航禁止策をとらなかったら、こういう音楽が九州で、いや江戸でも聴かれたのかもしれませんね。そんなことを妄想すると、また面白いというものです。
 では、どうぞ。なんか心にしみますよ。

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2012.03.18

エトナ火山

 本でも桜島の爆発的噴火のニュースが入って来ました。日本で一番噴火する山は桜島でしょう。
 では、世界一は?
 というわけで、世界で一番噴火する山とも言われる、イタリアはシチリア島のエトナ山の活動も相変わらず活発です。
 昨年だけでも20回近く噴火しており、今年に入ってからも毎月のように爆発的な噴火を起こしているとのことです。
 上の映像は2月に編集されたもののようです。なかなかの迫力ですね。
 しかし、驚くのはずいぶん近くに街があり、人々が普通に生活していることです。
 これはこの山が「世界一噴火する」からでもあります。ほとんど毎月のように噴煙を上げ、溶岩を流しているので、人々もこの火山と共生するすべを身につけているのです。
 ちょっと前に紹介した『もし富士山が噴火したら』にもありましたとおり、火山の噴出物が堆積した土壌は、ミネラル成分に富み、たとえばブドウの生産に適しています。
 ここエトナ山の麓でもブドウの生産が盛んです。そして、もちろんおいしいワインも生まれます。山梨に似ていますね。
 私の住んでいる富士山は、エトナ山のようにいつも噴火しているわけではありません。特にここ300年間ほどはいわばお昼寝状態。だからこそ、一度目を覚ますと大変なことになりそうなのです。
 何が起こるか分からないから不安でもありますし、怖い。そんな山の中腹に住んでいる私は、まったく物好きですね。
 さて、エトナ山と言えば、こういうトンデモな話も思い出されます。あの出口王仁三郎の登場です。
 彼の口述した霊界物語の第2巻・第2篇「善悪正邪」に「エトナの爆発」が登場します。
 実はこれが関東大震災の予言であったことがのちに明かされます。そのへんの事情を大本信徒連合会のホームページから引用させていただきます。

 (出口王仁三郎聖師は)阿蘇から熊本を経て同年9月1日に初めて山鹿に入られた。九州各地より聖師の来訪を聞きつけて滞在先の松風閣(しょうふうかく)に信徒が集まり、聖師との面会に期待に胸をふくらませたが、結局皆に会うことなく部屋からは出られなかった。代わりに随行者の一人であった出口宇知麿(うちまる)さんが霊界物語第31巻第1篇第2章「大地震」、第3章「救世神」の2章を拝読して解散となった。集まった信徒は聖師に面会できずやや不満であったが、翌日驚くべき報道に接したのである。当時の速報は号外が最も広範囲に情報を伝達する手段であった。号外は東京を中心として起こった関東大地震の報であった。しかも9月1日の昼に勃発した。昨夜拝読した箇所は“ヒルの国の大地震”である。昼とヒル。このヒルとは南米のペルーのことではあるが、聖師は「この地震はすでに予言してある。エトナの噴火のことだ。」と。エトは江戸を指し、ナとは土地のことを意味する。エトナは即ち江戸の地となる。

 エトが江戸、ナが万葉の時代の言葉で「地」を表すというのです。まあ普通に考えれば噴飯物の語呂合わせですが、彼にとってはそれこそが言霊的な世界なのでしょう。どうにも笑って済ませられないのが、王仁三郎の不思議な魅力です。おととい紹介した吉本隆明さんの王仁三郎評を思い出します。

「いくらでも侮れるが、侮っても裂け目から、また芽が出てくるような気がして、永遠のたたかいの場を提供しているとおもう」

 さて、そうすると、昨年からの大規模なエトナ山の噴火活動は、来るべき首都直下地震を予言しているのでしょうか…なんて、私が言うとそれこそ笑い話になってしまいますね。
 いや、地球全体が一つの生命体だとすると、日本の地震とイタリアの火山活動に何らかのつながりがあってもおかしくありません。もしかすると、王仁三郎はそういう次元での「経絡」「龍脈」を察知する能力を持っていたのかもしれません。それこそ侮れないのかもしれない。
 私たちの小さな脳ミソが感知、理解する「コト」世界なんて、本当にちっぽけです。その補集合たる「モノ」世界を語ったのが、王仁三郎の霊界物語だったのかもしれません。

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2012.03.17

小泉八雲・中井常蔵 『稲むらの火』

20120318_185400 日は「語り」と朗読にヴィオラでBGMと効果音をつける仕事がありました。得意のぶっつけ本番即興演奏です。まあまあうまく行ったかな。私が参加した演目はあまんきみこ「ちいちゃんのかげおくり」、芥川龍之介「蜘蛛の糸」、小泉八雲「雪女」でした。
 ちなみに小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が焼津滞在の時、私の曽祖父は彼とずいぶん懇意にしていたようです。こうして演奏させていただくのも何かの縁かもしれません。
 その他にも「富嶽百景」や「稲むらの火」の朗読もありました。最近とみに再注目されている「稲むらの火」は、小泉八雲の原文を中井常蔵が日本語訳して一つの短編作品にしたものです。
 ご存知のとおり、1854年(安政元年)の安政の大地震による大津波の時、命がけで村人を救った濱口梧陵の遺業を描いた作品ですね。
 ちなみに濱口梧陵さんってあのヤマサ醤油の七代目なんですよね。
 今日は縦書きでお読みいただきます。

  稲むらの火

 「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。今の地震は、別に烈しいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付かないもののようである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。
 「大変だ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。
 このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。
 「よし」と叫んで、家に駆け込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んであった。
 「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。
 こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。

 山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、急いで山手へ駆け出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うように駆け出した。
 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者が、かけ上がってきた。彼等は、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声で言った。
「うっちゃっておけ。ーー大変だ。村中の人に来てもらうんだ」

 村中の人は、おいおい集まってきた。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。集まってきた人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見比べた。その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。
 「見ろ。やってきたぞ」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指差す方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。
 「津波だ」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。人々は、自分などの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。

 はじめて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。


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2012.03.16

追悼 吉本隆明

2012031600000526san0001view た一つの時代が遠くなりました。我々がそれを「昭和」と呼ぶ時、すでにそこは吉本隆明さんの言う「共同幻想」の原理が働いています。
 エセ思想家の私に言わせると、その「共同幻想」とは、実は非常に単純な「懐古趣味」にほかなりません。「懐古主義」ではありません。「趣味」です。
 そういう意味で、今日、吉本さん自身も立派な共同幻想の象徴となりました。
 彼の一見先鋭的であった「思想」が、実はそういう「趣味」に立脚したものだということを、私は比較的新しい著書によって確認していました。
 以前紹介した『思想のアンソロジー』です。その記事でも引用した、彼の「出口王仁三郎」論をもう一度読んでみましょう。

「天然自然のすべてを万霊とする未開的な宗教性のうえに、仏教、儒教、土俗道教などの信仰や倫理を混合したものだが、王仁三郎の気宇の巨きさで、自在に伸縮される容器を具えているといえよう…野放図すぎる柄の大きさをしめしている。いいかれば、里の活き神信仰としての大本教の反知識性と破れを繕うことをしない庶衆の姿勢が、総合、融和されて出ている。いくらでも侮れるが、侮っても裂け目から、また芽が出てくるような気がして、永遠のたたかいの場を提供しているとおもう」

 この文に、私は彼の本質を見ました。一言で言ってしまうと、つまりは「いやあ、この人、ホントに人のいい日本のおじいちゃんだな」ということです(笑)。そう、ある意味では、戦後、出口王仁三郎的世界、いや、出口王仁三郎的日本人を引き継いだのは吉本隆明さんだったのかもしれません。
2012031600000098mai0003view くしくも今日、新幹線の100系と300系が引退しました。
 時代の思想とは乗り物のようなものです。昭和の乗り物は高速鉄道でした。みんなが同じ方向に向かって同じ線路の上を駆け抜けて行きました。
 今は、自家用車の時代なのでしょうか。好きな時に好きなところを経由して好きなところに行く。結果として同じところに集まるにしても、そのプロセスに「共同体」はありません。ごくごく個人的な空間と時間が移動しているだけです。
 それはすなわち「言語」の解体をも意味します。始原的で最大最強の「共同幻想」たる「言語」に「共同」のプロセスがなくなるということは、そこには辞書的な意味しか残りません。つまり、生きた歴史も時代も国家もそこには立ち現れなくなるということです。
 「言語にとって美とはなにか」…私が最もよく読み、最も理解できなかった吉本さんの本です。そして、今、その意味がようやく分かったような気がします。今日、吉本さんと、プロセスの何かどこか一部分を共有できたからかもしれません。
 ご冥福をお祈りいたします。

Amazon 思想のアンソロジー

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2012.03.15

超小型リニアPCMレコーダー オウルテック N20 「Click Voice Slim」

120316_10_03_46 ょいと忙しいので、今日は軽めに。この前4000円のタブレットPCを紹介しました。そういうアヤシイ安物を買って、テキトーに改造したりして遊ぶのが、私の昔からの趣味です(笑)。
 今日はそういうモノの一つを紹介しましょう。けっこう便利に使っております。なんと名刺大、たった30gのリニアPCMレコーダーです。私が買った時は、特価セール中で1万円しませんでした。
 とにかく小さくて軽くて良い。薄さ6.5mmです。コンサート本番や練習でちょこっと録音するには充分な音質です。
 内蔵フラッシュメモリーは4GB、最高音質で70時間録音可能…と書いてありますが、実際には7時間ですね(笑)。でも、7時間で充分です。
 リチウムイオン電池内蔵で連続駆動時間は7時間。これも充分です。コンサートを丸々録音して、帰り道に全部聞いてもまだ余裕がある。
 まあ安かろう悪かろうですからね、音質はそんなに良くありません。でも許せる程度です。ちょっとだけお聞かせしましょうか。先日のコンサートの録音です。PCMで録音しましてパソコンでMP3に変換しました。フォルテピアノと古楽室内オケです。

1.mp3

 まあこのくらい録れればいいですよね。メモ用としては。マイクはいちおうステレオですが、分離感はほとんどありません。外部マイクも使えますけれども、残念ながらモノラルになってしまいます。まあ、この小ささ手軽さが売りなわけですから、外部マイクなんて使ったら意味ないですけどね。
 ポケットにすっぽり入りますから、ちょっとした会議のメモなんかにも重宝します。バッテリーの心配もないし。
 不便な点は、いろいろありますよ(笑)。ヘッドフォンプラグがミニミニでして、また、付属のカナル型イヤホンは音質がダメダメ。結局変換プラグをかませて普通のヘッドフォンで聴いています。
 また、充電がそのミニミニからUSBにつなぐ特殊なタイプのため、付属のケープルをなくしたら面倒なことになりそうです。
 それから、操作性は非常によくない。慣れるまで時間がかかる、というか慣れません(笑)。ソフト的なバグとしては、再生中に巻き戻すとフリーズします。これは致命的ですね。ファームウェア・アップデートでなんとかしてほしいところです。
 それでも、まあ安かったし、手軽なので私としてはけっこう気に入っています。韓国製でほとんど知られていないようですね。案外掘り出し物かもしれませんよ。

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2012.03.14

三陸沖アウターライズM6.8が発生

Large 日は有感地震が5回しかなく、それも関東・東北は福島沖の1回だけ。まさに嵐の前の静けさでしたね。打って変わって今日は20回以上になりました。
 夕方の三陸沖(十勝沖)には驚きましたね。とうとう来たかとも思いました。思ったよりも早かったかも。
 これは想定される巨大地震の最大余震たるアウターライズ地震の先駆けと思われます。海溝の東側(外側)、つまり太平洋プレートの表面がはがれた地震です。
20120315_81428 三陸沖のアウターライズと言えば、昭和の三陸地震ですね。震源を比較してみましょう。似ていますね。ちなみに昭和三陸地震では、このポイントを始点として南に100キロほどプレート表面が跳ね上がりました。
 マグニチュードは8.1〜8.4と推定されています。結果として最大遡上高30メートル近い津波が沿岸部に押し寄せました。
 地球レベルのスケールで言いますと、この昭和三陸地震は約40年前の明治三陸地震の余震であると言えます。明治三陸地震は昨年の巨大地震と同様の海溝型の地震、マグニチュードは8.4〜8.5と推定されています。
 つまり、海溝型の巨大地震が発生して、のちにほぼ同規模の余震(誘発地震)が発生したということです。
 地震の規模が大きくなれば、この海溝型とアウターライズはペアで発生すると考えるのが自然です。すなわち、3.11の超巨大地震のあとに同じような規模のアウターライズ地震が起きる可能性が高いということです(ほとんど100%でしょう)。
 問題はその時期です。明治と昭和では37年を経て起きています。それこそ「忘れた頃」ですよね。しかし、いつも書いているとおり、37年なんていうのは、地球のスケールからするとほとんど同時と言っても良い。そういう発想が必要なわけです。我々人間中心のスケールでものを考えるから「想定外」ばかり起きる。
 今回の地震、発生した位置や深さ、規模を考えると、やはり前震だと捉えた方がいいと思います。たとえば今回の震源付近が北端(始点)だとすると、間違いなくアウターライズの本震は、昭和の三陸地震よりも大規模になります。もしかすると、200キロ以上にわたって大きく跳ね上がるかもしれません。
 そうすると、東北の太平洋沿岸部は、東北地方太平洋沖地震の時と同じ規模、あるいはもっと大きな津波に襲われるでしょう。
 決して恐怖を煽っているわけではなく、実際にそういうことが起きる可能性が高いわけですから、それなりの覚悟と準備をしていなければならないということです。歴史に学ぶとはそういうことです。
 しかし、それが今日かもしれないし、明日かもしれないし、100年後かもしれない。そこが難しいところです。
  私は、今まで広義の「最大余震」として南側の房総沖を取り上げてきました。それは単に、そちらの方が早い、アウターライズはかなりあと、たとえば数十年後になると考えてきたからです。しかし、今日の地震によって、その考えを改めることとしました。
 ちなみに、夜9時すぎに起きた銚子沖のM6.1は、その房総沖の予兆の一つです。余震が続く、つまり群発となった場合はこちらも要注意です。
 そう考えると、もうどちらが起きてもおかしくない、場合によって近い時期に両方が起きるこそさえ想定しておかねばならないかもしれませんね。 

 

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2012.03.13

EFUN 『nextbook』(AndroidタブレットPC)

Img57395409 間では新型iPadが評判となっています。たしかにあの液晶はすごい。興味はあるけれども、どこで何に使ったらいいのかよくわかりません。よって眺めているだけです。
 でも、なんとなく私もiPad風な遊びもしてみたい…安いオモチャはないかな、と思っていたら、2chなんかで大騒ぎになっていて知ったのがコレ。さっそく流れに乗って買っちゃいました。なんと、実質5000円弱。さらにポイントがずいぶんたまっていたので、0円で手に入れちゃいました。
 いや、実はですね、ちょっと試してみたいことがあったのです。教育現場でこういうタブレットPCを有効利用できないかなって。
 で、まずは、生徒全員用にということではなく、拡大教科書の代わりとして使えないかなと思いましてね。拡大教科書ってめっちゃくちゃかさばるし、重いし、使い勝手悪いし、異常なお値段だし。なら、教科書全部スキャンしてタブレットに入れちゃった方が何かといいのではないかと。
 最終的には適度な大きさと素晴らしい解像度のiPadがいいと思うのですが、試してみるのに買うのもなんだなあと思っていたわけです。それでこいつを買いました。まずこれでやってみる。
 しっかし、なんでこんなに安いんでしょうね。モノが来て驚きましたよ。全然フツーに使えるじゃないですか。これなら試用後もブックリーダーとして普通に使えます。買ってよかった。
 ただ、これってアンドロイドマーケットに対応していないのが致命的です。しかし、ご存知の方も多いと思いますが、ネットに転がっているありがたい情報に従って、チョチョイのチョイで問題は解決いたします。私もそうさせていただきました。これで機能的にはiPad並みとなりました。
 まだ全然使いこなしてないし、Androidは初めてなので、なんとも評価できませんけれども、遊ぶ分には全く問題ないどころか、非常に気に入った点もあります。
 それは大きさです。初代iPadが発売になった時、私はこんな記事を書いています。iPadは日本人には大きすぎると。システム手帳くらいの大きさ、片手で持てるくらいがいいのではないかと。
 そういう意味ではこの7インチのディスプレーはちょうどいいですね。女の人の手には少し大きいかもしれませんが、私にはちょうどいい幅、そして重さです。普通に電車の中や街中で取り出しても自然なサイズではないでしょうか。iPad使っている人見ると、いかにも使ってるなって感じがするんで。
 というわけで、これからいろいろ試してみます。子どもたちもYouTube見るのにちょうどいいらしく気に入っています。これで親のiPhoneやパソコンを取られることが減るでしょう(笑)。
 今は通常の割引価格ですが、それでも1万円切るわけですから、これはオモチャとして買いではないでしょうか。

楽天 「かんたん」「見やすい」「使いやすい」 Androidタブレット端末「nextbook」【アンドロイドタブレット...

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2012.03.12

レッスルジャズ 『プロレスジャズ~リングの伝説~』

Wrestle Jazz 「LEGENDS OF THE RING」
300 ロレスとジャズの親和性は高い。というか、本質が同じなんですよね。
 ある型があって、そこに見えないルールがあって、シナリオもあるけれども、やはりライヴなアドリブこそが命であるところ。
 相手のいいところを引き出すとか、相手を技を受けて、おお、こう来たか、じゃあこれはどうだ!と返すところとか。
 いや、もちろんプロレスにもジャズにもいろいろなジャンルがあったり、思想や流派がありますから、一概には言えませんよ。しかし、私が両者に感じる魅力は、そういう部分にあったりします。
 そして、なんというかなあ、反復と変化というか、パターンと一回性というか、そういう全体のバランスも両者の魅力ですね。さらに言えば、「場」。お客さんとの呼応であったり、その土地との関係性であったり。
 「伝説の…」という冠がつきやすいのも両者の特徴でしょう。そして、それをいつまでも語れる。そういう「物語」世界でもあります。
 スウィング感というのもありますね。アンサンブルもある。そこにちょっとした衝突や事故も起きる。それもまた楽しみ。
 そんなわけで、両方のファンという人もけっこういますね。格闘技畑のジャズファンと言えば松原隆一郎さんとか、それからジャズ畑のプロレスファンと言えば菊地成孔さんとかね。
 で、本題に入りますが、その両者を思いっきり結びつけちゃったのがこのアルバムです。こういう結びつけ方は今までなぜか思いつかなかったなあ。
 そして、結果は…素晴らしい!ううむ、やはり素材がいいなあ。素材、すなわち各伝説のレスラーの入場曲が「スタンダード」になっているわけです。
 それぞれに思い入れがありますからねえ…。いや、私、初代タイガーマスクの幻のテーマソング「ローリング・ソバット」はあんまり印象にありませんでした。しかし、かっこいい曲ですね。おお、大野雄二さんか、なるほど。
 YouTubeに全曲のハイライトがありますから、ぜひ聴いてみて、そして買ってください。iTunesのダウンロード販売限定のようです。ウチではすでにヘビーローテーションですよ。

ピアノ ジョージ・ダリン(George Dulin)
ベース 山本章弘
ドラムス オースティン・ウォーカー(Austion Walker)

1.炎のファイター(アントニオ猪木)
2.ローリング・ソバット(初代タイガーマスク)
3.パワー・ホール(長州力)
4.ドラゴン・スープレックス(藤波辰巳)
5.サンダー・ストーム(天龍源一郎)
6.J (ジャンボ鶴田)
7.王者の魂(ジャイアント馬場)

 ちなみに「隠しメロディー」もあったりして、なかなかマニアックな作りになってますよ。

iTunes

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2012.03.11

富士山ラドン濃度と全国の地震の関係について(その1)

 その2も必ずご覧下さい。

 れから1年。いかなる言葉を並べるよりも、心静かに祈ること、そして実際に行動することこそが、犠牲者の方々への追悼となると思います。
 行動とは何か。具体的に言えばこういうことです。
 「防災、減災につとめ、驕りや油断を捨て、自然に対して謙虚になる」
 私にとってはこれがまず最初の義務であると思います。そういう意識と行動あって初めて、被災地への支援があり、復興への協力があるのだと思っています。
 さて、そういう前提に基づいて、私は震災後いろいろな挑戦をしてきました。その中には、小学生時代から続けている「地震予知」も含まれます。
 この間40年、本当にいろいろな地震予知の方法を模索してきました。潮汐力、地震雲、電磁波、湖の水位、FM波、 UHF波、動物の異常行動、体感などなど、枚挙に暇がありません。
 そして、それらを総合的に組み合わせて来たわけですが、それでも1000年に一度の超巨大地震を予知、予測することはできませんでした。
 かと言って、敗北宣言を出し、完全にあきらめてしまうわけにはいきません。これは戦いというよりは、自然から何かを学ぼうとする姿勢です。だからこそ負けという観念はないわけです。
 さて、そうした飽くなき試みの一つとして、最近ラドン濃度の測定を始めました。地震の発生とラドン濃度の関係は、ずいぶん前からいろいろなところで語られてきました。しかし、ラドン濃度の測定器が比較的高価なこともあって、なかなかそこにまで踏み込むことができなかったのです。
 しかし、あの震災が起き、正直もう少し早くから取り組んでいればよかったと後悔しました。ここ鳴沢村字富士山は言うまでもなく活火山富士山そのものであり、3枚(考え方によっては4枚)の大きなプレートの出会う地点です。
 あえて科学的でない表現をするならば、富士山は日本の臍下丹田だと感じます。パワースポットという言葉はあまり好きではありませんが、やはりここに住んでいると得も言われぬ力を感じざるを得ません。
 臍下丹田ということは、ヘソ自体ではないということです。では、ヘソはどこかというと、長野松代の皆神山だと思っています(勝手に)。
 まあ、それはいいとして、とにかく、ここ富士山では、日本中の気脈が交差しており、日本中の気が集中している所だと感じるのです。まさに、日本の象徴、日本の中心です。
 ですから、富士山で様々な現象を観察、観測することに大きな意味があると思いますし、いつの間にかここに引き寄せられて住むようになった私の人生の意味も、実はそんなところに結びついているのではないか、最近強く思うのです(勝手に)。
 というわけで、今日は3.11から1年ということもありますので、11月から秘密裏に開始していたラドン濃度測定結果から考察されることを皆さんに紹介しようと思います。
 ちなみに今回データとして利用したのは、観測環境が確定した2011年12月14日から本日2012年3月11日までのものです。たった3ヶ月分ではありますが、これだけでも明確な関連性が読み取れましたので、ここに開示いたします。
 では、次のグラフをご覧下さい。
 折れ線グラフは富士山北麓標高1200メートルにある自宅で、朝と夜2回測定したラドン濃度です。単位はベクレル毎立法メートルです。
 棒グラフはこの期間に日本とその周辺で発生したM4.5以上の地震です。単位はマグニチュードです。色分けは凡例にありますように、私の勝手な分類です。富士山からの距離や、プレートの位置などを考慮して実験的に分けてみました。要するに、私の勘による「富士山との関係の距離」による分類です。そういう意味で関係が近いものは濃い色で、遠いものは薄い色で表現されています。

(↓3月28日版です)
20120329_80917

 どうでしょうか。誰が見ても明瞭な傾向があると思うのですが。富士山のラドン濃度が上昇している期間、特に山頂を築こうかというところ、トップのあたりは中規模以上の地震の空白域になっています。
 逆に下り坂、特にボトムの部分で多くの地震が発生しているように見えます。2月中旬から下旬にかけて、まるで台地のように数値が高めの日が続いていますが、これは、いろいろな地域の中規模地震の前兆としていくつかの頂点ができて、その結果、富士山ではなく八ヶ岳のような山容になったという感じがします。
 その結果、3月に入ってからのボトムの方もあまりはっきりしません。2月の28日29日に地震が頻発し、上昇し始めたここ数日に中規模地震が起きたのも、そのように複数の山と谷が重なっていると考えれば説明がつきます。
 ちなみに最も鋭いピーク(38ベクレル)をなした1月15日のあと急落し、28日のボトム(13ベクレル)に見事に富士山直近の道志川断層(山梨県東部富士五湖地方)で群発地震が始まりました。
 これが今後も一定のパターンを示すようであれば、鋭く高いピークのあとボトム付近で、富士山近くを震源として地震が発生すること、やや高めの台地が形成されると、低下が始まってからいろいろな所で中規模地震が発生することが予測されます。
 いずれにせよ、もしこの相関関係がある程度再現性があることが確認されれば、その原理の解明は別として、発震1週間、2週間前に「警告」を出すことはできそうです。ただ、現在のところ、震源の場所を特定するのは難しい。富士山からの距離はある程度分かりますが…。
 今後こうした測定と分析を続け検証を続けていくつもりです。そして、従来続けてきた他の観察対象と複合的に自分なりの予測をしていきたいと思っています。
 科学者ではなく国語教師だからこそできる試みとも言えるかもしれませんね。幼い頃は科学者を夢見ていましたが…結果として挫折して良かったのでしょうか。

富士山ラドン濃度と全国の地震の関係について(その2)

(毎日のラドン濃度はツイッターで報告しています)

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2012.03.10

3.9と3.11の間に何が起きたか。

 日は3.9に発生した「前震」を忘れるなという記事を書きました。今日は、その「前震」のあと「本震」が来るまでの間の地震について考察します。これまた意外に忘れられている部分です。
 なお、ここでの考察はおそらく「科学的」ではないでしょう。なにしろ1000年に一度と言われる現象ですから、ほとんど再現可能性を追求できません。実験を含めた経験が不可能だということです。ですから、私たちは、まずは事実を記憶するしかないわけです。そういう観点での記事となることをご承知おきください。
 さて、3.9のM7.3からあと、どういう地震(有感地震)が記録されているか確認してみましょう。気象庁のデータを羅列します。ちなみに気象庁は発表当時のデータをそのままにしていますので、3.9はM7.2、3.11はM7.9となっていましたが、その二つだけはこちらで修正しました。

2011年3月9日

11時45分 三陸沖 M7.3
11時57分 三陸沖 M6.3
12時2分 三陸沖 M5.2
12時8分 三陸沖 M5.9
12時19分 三陸沖 M5.3
12時59分 熊本県熊本地方 M2.8
13時1分 熊本県熊本地方 M3.1
13時3分 熊本県熊本地方 M2.6
13時6分 三陸沖 M5.5
13時32分 三陸沖 M5.1
13時37分 三陸沖 M6.1
13時46分 三陸沖 M5.1
15時12分 三陸沖 M4.6
15時14分 三陸沖 M4.7
15時25分 三陸沖 M5.1
16時14分 三陸沖 M4.8
16時56分 三陸沖 M5.0
17時2分 三陸沖 M5.2
17時55分 三陸沖 M4.6
19時13分 三陸沖 M4.7
20時28分 三陸沖 M5.2
21時3分 三陸沖 M4.6
23時24分 三陸沖 M4.6

2011年3月10日

1時58分 岐阜県美濃中西部 M3.3
1時59分 三陸沖 M4.7
3時16分 三陸沖 M6.2
3時45分 三陸沖 M6.1
6時1分 三陸沖 M4.8
6時24分 三陸沖 M6.6
8時37分 三陸沖 M5.1
8時58分 三陸沖 M4.8
10時20分 三陸沖 M4.7
17時8分 三陸沖 M5.7
17時59分 三陸沖 M4.7
18時2分 三陸沖 M5.2
20時21分 三陸沖 M5.1
20時30分 三陸沖 M4.5

2011年3月11日

1時55分 三陸沖 M5.3
3時14分 宮城県北部 M3.5
6時41分 茨城県南部 M3.4
6時50分 三陸沖 M4.5
7時44分 三陸沖 M4.8
14時46分 三陸沖 M9.0

 さあ、ざっと見ていかがでしょうか。数字と文字の羅列で分かりにくいですね。まず、文字として目立つのは、やはり「三陸沖」ですよね。これを気象庁も科学者も我々も3.9の余震だと考えてしまったわけです。今考えると、M7.3の余震にしてはやや規模が大きすぎるなとも思いますが…。
 それから熊本での地震にも注目すべきです。科学的には全く別の地方の地震がたまたま起きたと考えることでしょう。しかし、地球や日本列島を我々と同じ生命体だと考えれば、経絡というものがあって、全く別の部位で異常が発生することはありえます。いちおう記憶しておいた方がいいでしょう。
 そういう意味では、岐阜県美濃も注目です。前兆の一つと言えるラドン濃度や湧水量の変化は中部地方で顕著でしたので。
 さらに注意すべきは「前震」の発生時刻でしょう。一連の三陸沖の地震が3.9の余震だと考えると、10日の10時台から17時台までの約7時間の空白は、いわゆる「収束」と捉えられたに違いありません。私もそう思うでしょう。地元の人たちも当然そうです。揺れなくなったねと。
 そして11日になり、宮城県北部と茨城県南部の地震が発生します。これも今思えば、あの巨大な震源域を暗示するかのような地震です。特に茨城のそれは、3.11後の余震域と重なっていますが、3.9の余震、あるいは誘発地震と言うのには無理がありそうです。
 さあ、そしてついに最も注目すべき「前震」の現象が起きます。ご覧のとおり、7時44分の三陸沖の発震のあと、丸々7時間「沈黙」があって、1000年に一度の超巨大地震が発生したわけです。
 これもまた、その時は誰しもが「収束」のサインだと受け取ったことでしょう。しかし、それは全く違いました。
 「嵐の前の静けさ」という言葉が古今東西で使われてきたことの意味がここで問われるわけです。様々な自然現象において、このような事実があるからこそ、それをなんとなく感知してきた私たち人類はこの言葉を使い始め、そして使い続けてきたわけですよね。それは科学ではないかもしれませんが、真理を語り継ぐ一つの知恵であったと思います。
 それを実感していだくために、次の動画をご覧下さい。タイトルやBGMにはある種の悪意を感じますが、それを抜きにすれば優れた「語り」だと思います。沈黙や経絡に注目してご覧下さい。

 ちなみに、阪神大震災(兵庫県南部地震)の前震現象にも「嵐の前の静けさ」がありました。地震前日の16日午後6時半項ごろ明石海峡付近でM3.3か発生し、その後同日午後11時50分頃までに3回の小規模地震があって、そして約6時間「沈黙」し、午前5時46分に本震が発生したのです。
 世界の巨大地震の前震について調べたわけではないので、これを一般化することはできませんが、「嵐の前の静けさ」には注意しなくてはなりません。それはまた「天災は忘れた頃にやってくる」と同義だとも言えますね。油断や思い込みが想定外を生むというわけです。
 私たちはあらゆる意味で先人の経験や知恵、そして言葉に学ばなければなりませんし、自らのそれらも忘れてはいけないのです。

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2012.03.09

2011年3月9日三陸沖地震M7.3を忘れてはいけない。

 ょうど1年前の金曜日にあの東北地方太平洋沖地震が発生しました。ウチの学校としては金曜日の午後であったことがある意味幸いしたなと、今になって思います。
 日付けで考えると今日は2011年3月9日のあの「前震」から1年ということになります。
 今日はその「前震」について思い出してみましょう。
 あの地震が「前震」だったとは、正直誰も思わなかったでしょう。そしてそれを誰も責められません。
 このニュースの後半に、あの「敗北宣言」をした、そしてテレビの生放送で視聴者に「あきらめないで」と励まされ嗚咽した、東大地震研の纐纈さんがインタビューに応じています。
 「引き続き(想定される)宮城県沖地震への備えは続けていただきたい」
 この判断、言葉は、結果として正解だったとも言えるし、不正解だったとも言えます。もちろん纐纈さん自身は不正解であったと感じているわけですが。
Large 我々は3.11と同様に、この3.9も忘れてはいけません。ある意味、この3.9だけが我々に対する警告であったわけですから。
 もちろん、科学的な分析は科学者にまかせるべきです。そして、科学的にはこれが本当に「前震」と言われるものだったのか結論を出すのは難しいかもしれません。
 しかし、M7.3のたった二日後にほぼ同地域でM9.0が起こりうるという事実は変わりません。これは体験的教訓です。
 M7と言えば大地震です。私たちは去年の3.11までは、そういう大地震が起きると、それより小さい余震は起きるが、それ以上の巨大地震は発生しないと思い込んでいました。
 もしかすると、今でもそうかもしれません。これは1000年に一度のことだから、と思っているかもしれません。
 この「前震」の震源の深さは8km〜10km。本震は20km〜50km。結果として見れば、巨大なアスペリティのまず表面部分が破断し、そして奥部に波及したということが素人にも分かります。
 それが専門家でも分からなかった。予言者にも分からなかった。思い込みの恐ろしさです。
 再び「あの日に戻れたら」と後悔することがないように、その「あの日」すなわち2011年3月9日を忘れてはいけないと思います。そしてその日の私たちは無力さと愚かさを。
 それにしてもこのニュースに何度も映る福島第一原発…なんとも言えない気持ちになりますね。

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2012.03.08

最大余震はいつ来るのか。

Chart

 日は「首都直下地震」について書きました。マスコミの報道もそちらが目立ちます。4年で70%(50%)…たしかに喫緊の状況であると言ってもいいでしょう。
 しかし、私たちはある意味もっと身近で現実的、確率も高い大地震のことを忘れてはなりません。それが3.11東北地方太平洋沖地震の「最大余震」です。
 気象庁は今日、東北地方太平洋沖地震に関するここ1年間の余震傾向について発表をしました。
「M7.0以上が6回、M6.0以上が97回、M5.0以上が599回。最大震度4以上を観測した余震は231回。M7以上の余震の可能性は低くなったが、発生地点によっては最大震度5弱以上の揺れや津波の恐れもあり、引き続き注意してほしい」
 上のグラフを見ても分かるとおり、余震の規模と回数は、自然の法則に従って順調に収束しているように見えます。
 しかし、このままあの大地震は過去の記憶となっていくのかというと、そう単純ではないのも自然の法則です。
 イメージとしては、最近の季節の移り変わりを思い浮かべると良いでしょう。このところ、真冬の極寒はたしかに終わり、すっかり暖かくなってきましたが、突然寒さがぶり返したり、大雪が降ったりすることがありますよね。
 それと同じように、「忘れた頃にやってくる」「終わったと思ったらまだだった」というのが自然の法則です。「忘れる」とか「…と思った」とかいう、人間の脳内の勝手な結論付けの方が、実は不自然なわけですね。つまり「想定外」こそが自然なのですね。
 現在のところ、かの巨大地震の最大余震は、本震のたった29分後に茨城県沖で発生したM7.6の地震だとされています。
 ある意味では、それは正しい解釈です。データの上では実際そのとおりです。しかし、地球規模のダイナミックなスケールで考えると、29分は「連動」とも言えますし、あるいは「同時」とも言えます。私はどちらかというと、そういう立場で全体を俯瞰したいと考えています。科学者ではないので。
 私はなるべく広義の余震を認める立場にいたいわけです。たとえば気象庁やその他の科学的な機関が「誘発地震」と呼んでいるものも余震と呼んできました。
 さらに、今回の震源域に隣接する南北の地域、すなわち茨城から千葉沖、青森沖から十勝沖に至る地域での「誘発地震」も余震と呼びたいと考えています。
 まさに地球スケール(時空ともに)で言えば「割れ残り」「余り」ということになるわけです。まあ、そのスケールをあまりに広げてしまうとですね、全ての地殻変動は全て因果関係で結ばれてしまうわけですがね。そのへんのさじ加減は人間の常識に頼るしかありません。
 さて、そうすると、私の中での最大余震というのは「まだ発生していない」ということになります。
 こんな例を考えていただくと分かりやすいかもしれませんね。皆さんもご存知の2004年12月のスマトラ沖地震M9.1と、その3ヶ月後に発生した2005年3月のスマトラ沖地震M8.6の関係です。
 後者は前者に南接する地域で発生しました。震源域の一部は重複しています。この後者の地震を、前者の余震とするか、前者とは別個の地震とするか、前者との連動地震とするか、前者の誘発地震とするか、これはいろいろな説があります。
 この場合、私は「最大余震だった」と言いたいわけですね。「割れ残り」が割れたと感じるからです。
 今まで、このブログでは房総沖地震に注目してきました。たとえば「房総沖大地震はいつ起きるか?」という記事を去年11月に書いていますが、実を言うと、今日の記事の結論はこれと全く同じになってしまいます。なぜなら、私は「最大余震=房総沖地震」と考えているからです。スマトラと似たパターンを想定しているわけですね。
 すなわち、3年以内にM8クラスが起きるということです。もしかすると今日かもしれませんし、明日かもしれませんし、場合によっては5年後になるかもしれません。そんな程度の誤差は誤差のうちに入らないというのが、地球スケールです。
 今日は3月8日。3.11からもうすぐ1年。まさに「忘れた頃」「終わったと思った頃」になろうとしています。3.11を振り返り、忘れないということもとても大切なことです。災害としての、人間の歴史としてのあの日を、こうして記録し、記憶し、検証することは絶対に必要です。
 しかし、それと同時に、その災害を起こした地震の全体像を見ようとすることも忘れてはなりません。少し乱暴な言い方になりますが、「東北地方太平洋沖地震はまだ死んでいない」のです。決して過去の歴史地震ではありません。今も活動を続けている「生き物」であることを忘れてはいけません。
 広義の広義で言えば、首都圏直下地震も「余震」ということになってしまいますが、おそらくは皆さん、そういう意識で語っているわけではないでしょう。あのような震災が自分の身に振りかかるのでは、という次元で考えているのではないでしょうか。地球のスケールはそんなに小さくありません。本気で我々が防災、減災を考えるなら、出来る限り私たちの感覚や判断基準を地球のスケールに合わせなければならないと思います。
 最後にこのことも付け加えておきましょう。原発事故も全く収束していません。原発は生きています。停止しても生き続けます。こちらも「忘れた頃」「終わったと思った頃」は許されません。
 

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2012.03.07

首都直下地震震度7のおそれ…東京の防災について

10002208021 3.11から1年になろうとしています。しばらく防災に関する記事が続くかと思います。今日は東京の話。
 ここ数カ月はほぼ毎週のように週末になると東京に出かけていました。
 東京は狭いと言っても都心から山深い西部まで様々な様相があります。車で走っていても、電車に乗っていても、街を歩いていても、いずれにせよ「今、大地震が来たらヤバイな」と常に緊張を強いられていたのは、やはり都心部です。
 地震の発生確率と、構造物や人間の密度を考えると、ここはたしかに世界で最も危険な地区であると言えそうです。
 そこに国家の政治、経済、防衛の中心が集中し、さらに天皇がいるとなると、実はもうその事実自体が異常に危険な状態なのです。
 関東大震災と東京大空襲によって焼け野原になり、ある意味では計画的都市再開発のチャンスがあったにもかかわらず、残念ながら現在の東京は、よくぞここまでというほどの無計画さ、無秩序さを誇っています。
 さらに、直近の再開発事業であったはずの東京オリンピックの際に突貫で造られた構造物、たとえば首都高速道路の主要部分などが、ちょうど私と同い年なわけですから、私にガタが来ているのと同様、かなり老朽化が進んでいます。
 その後の高度経済成長期には無秩序に住宅が建てられました。いわゆる木密地域と言われる環状7号線や8号線を囲むような、比較的古い木造建築物が密集する地域、そして、その中にひしめく古い江戸の街並みを継ぐ地域…そこには、車も入れないような路地が張り巡らされている…これらが火災の際、どのような惨状を生むかは、90年前の関東大震災を想像するまでもなく明らかだと思います。
20120308_61049 今日、ちょうど「首都直下地震、震度7のおそれ」というニュースが流れましたね。この発表以前の国や東京都の試算によると、震度6強の東京湾北部震源地震が起きた場合、死者は阪神淡路大震災とほぼ同数の6400人ということでした。震度7になることによって当然その数は増えると思いますが、それ以前に、震度6強でも、さすがにこの数字はないでしょう。ケタが違うと思います。関東大震災で10万人ですからね。
 東日本大震災後、東京都はかなり積極的に防災事業に取り組んでいます。今日ちょうどプライムニュースで猪瀬副知事出演のもと、東京の防災についての特集が放送されました。10日間はハイライトムービーが見られますから、ぜひこちらからどうぞ。
 たしかに東京都はかなり積極的に防災に取り組んでいると言えるでしょう。しかし、それが現実的な危険に追いついているかというと、正直焼け石に水と言った感じがしないでもありません。もちろん、焼け石に水をかけることも大切なのですが…。
 少し前に首都直下地震の確率が4年以内に70%と発表されましたね。これはたしかにかなり高い確率だと言えます。東京にお住まいの方々は、ある意味初めて自分が体験するのだと実感したのではないでしょうか。
 その後その確率は50%に下げられましたが、震度が高まったこともあって、とても安心してはいられない、ある程度覚悟が必要だというのには変わりがないのではないでしょうか。
 今日の番組でも説明されていましたとおり、「首都直下地震」と「首都圏直下地震」は違います。前者は震源が東京都の直下、後者は神奈川や茨城など関東一円を含む地域が震源になるということです。
 これに加えて、房総沖のいくつかの地震なども首都にダメージを与えます。さらに去年の3.11の最大余震もまだ起きていません。その震域が南に寄ると再び東京を震度5以上が襲う可能性もあります。そこまで広げると、今、東京を脅かす地震が発生する確率は相当高いものと考えねばなりません。感覚としては、4年で90%と言ってしまっていいと、私は考えます。
 こうなると、もう私たちは出来る限りのことをして、「減災」に努めるしかないということになるでしょう。プライムニュースで山村さんがおっしゃっていたように、「自助・共助」そして「近助」を、その場でしていくしかないでしょうね。そこにはマニュアルは存在しないというのが現実です。
 あとは、やはり国家として、首都機能の移転や分散を早急に進めないといけませんね。これは表向きだけではなく裏側でも。
 東京の機能がマヒするということは、日本が脳死状態になることを意味します。そして、世界の、特に経済に与える衝撃は相当に大きいものと思われます。
 そういう意味では、今、東京の防災・減災は世界に注目されているのです。

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2012.03.06

BBCドキュメンタリー「津波の子供たち」"Japan's children of the tsunami " 3.11

 日紹介した『Inside the Meltdown』(メルトダウンの内実)に続き、イギリスBBCの優れたドキュメンタリーを紹介します。これもぜひ観ていただきたい。
 先に客観的なことを書いておきます。この番組(作品)は、昨日紹介したNHKの番組とは対照的な作り方がされていますね。ご覧になれば分かるでしょう。
 そして、そのどちらが皆さんの心に響くか、残るか、あるいは感情を呼び起こすか、考えを呼び起こすか。それはそれぞれだと思いますが、あらゆる表現作品において、作り手側および受け手側が、実は常に意識していなければならない大切なことでもあります。
 そういう意味で、この2番組(作品)はメディア・リテラシーの教材としても使えそうだなと思いました。
 それにしても、BBCの撮影、編集テクニックは本当に高度ですね。撮影で言えば、被写界深度の浅さを利用した、いわゆるボケ(Bokeh)、映画で言えば「Shallow focus」を多用して、我々視聴者を対象(特に子ども)に集中させることに成功しています。
 今回はそれが功を奏したと感じました。子どもならではの純粋で鋭い言葉や表情を立体的に伝えるには、非常に有効な技術です。
 うん、まず子どもに徹底的に語らせるというコンセプト自体が、日本国内では有り得ないかもしれません。災害弱者である子ども、自然とのつながりが深い子どもに、現実を語らせるのには危険も伴うからです。
 そのあたりの処理もBBCはうまかったと思います。大人を適度に配置してクッションにしているように感じられました。
 大人と言えば、私が業務上深く考えさせられたのは、あの大川小学校の一人生き残った先生の姿です。
 私も生徒の安全を管理する立場です。地震はもちろん、富士山の噴火の際、どうやって生徒や職員を守るか。これは常に考えていることです。
 一定のマニュアルはありますが、もちろんそれにとらわれるつもりはありません。「待機」「避難」「逃げろ!」の判断は私がしなければならないと覚悟していますし、そのための知識や「勘」は人一倍意識的に身につけているつもりです。
 昨日の話で言えば、BBCの作品は見事な「物語」です。総体たる「モノ」を「カタル=コト化する」技術がうまい。「コト」の一部を意図的に構築することによって、補集合であるところの「モノ」の全体像を想起させる技に長けているのです。
 そして、それこそが「ドキュメンタリー=言葉=文書=記録」の醍醐味でもあります。

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2012.03.05

NHKスペシャル 「映像記録3.11~あの日を忘れない~」


NHKスペシャル「映像記録3.11~あの日を忘れない~」 投稿者 gomizeromirai

 夜放映されました。受難曲を演奏した夜に見るにはかなりきつい番組でした。言葉はもちろん、おそらく音楽にもならないであろう恐怖と悲しみに襲われました。
 これに比べてしまうと、やはり、言葉や音楽や宗教といった「コト」世界は、自然、現実という「モノ」世界にはとてもかないません。
 もろちん、これもまた、録画、編集、作品、番組という「コト」世界です。だから「モノ」そのものではありません。
 しかし、昨日の音楽や言葉が、現実や本質という「モノ」を高度に抽象化し一般化した世界であるとすれば、この映像や言葉の数々は、より「モノ」に近い「コト」であります。
 だから、昨日のようには言語化されない「物の怪」的な恐怖がそこにあるわけです。
 今日の午前中、再放送がありましたが、録画をする勇気がありませんでした。情報として記録する(コト化)して所有する恐怖というか、畏怖というか、そういう感じがしたからです。
 しかし、ご覧にならなかった方のために、ここに動画を貼らせていただきます。
 「モノ」とは、我々の脳内の「コト」以外の全てです。コトの補集合がモノです。この世界には圧倒的に「モノ」の方が多い。ここに記録されている映像や音声も全体のほんの一部に過ぎません。その事実に気づくと目に見えない、耳に聞こえない、脳で処理できない、圧倒的なモノの存在に恐怖せざるを得ません。
 歴史を記録すること、そして目撃することの難しさと重要さを痛感しました。

 

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2012.03.04

残酷で愚かな自分を発見…マタイ受難曲全曲演奏

201203 離宮朝日ホールで行われた、東京クラシカルシンガーズ・オーケストラ・オン・ピリオド・トウキョウによるバッハのマタイ受難曲初期稿全曲演奏会、超満員札止めの中、無事そして感動的に終了しました。ご来場くださった皆様、ありがとうございました。
 そして、このような素晴らしい機会を与えてくださった指揮者の坂本徹さんやソリストの皆さんをはじめ、演奏者の皆さんにも感謝を申し上げたいと思います。
 マタイを、それも初期稿をピリオド楽器で演奏する機会があるなど、それこそ全く夢にも思っておりませんでした。
 いつかも言いましたでしょうか、私は本当に幸せ者です。若い頃の夢は実現していませんが、若い頃夢にも思わなかったことはどんどん実現しています。それも全ていろいろな方々のおかげさまによるものです。ありがたいことです。
 そんな感動的な体験であったのと同時に、実は非常にショッキングな体験もさせていただきました。今回、私は第2オケのヴィオラを担当したわけですが、本番中何度も愕然としてしまったのです。
 それは練習中には、いや、今まで数々の録音を何百回も聴いてきた経験の中では、全く味わったことのないことです。
 マタイを演奏することの、ある意味での恐ろしさ、そしてこの曲自体の厳しさの一端を、初めて知ることになりました。ああ、マタイ受難曲とは、イエスの受難の物語ではなく、まさしく人間ドラマなのだと。人間の本質を抉り出した音楽なのだと。
 知識としては知っていたんです。しかし、実際にそれを自分の内側が教えてくれた。それは今までに体験したことのない恐ろしい瞬間でした。
 細かいことは抜きにして、分かりやすい部分でお話しさせてください。こうして書いてしまわないと、自分の中で消化できないのです。
 たとえば、捕縛されたイエスを鞭打ちするシーンがあります。我々弦楽器は鋭い付点と異常にねじれた和声展開によって、その残酷さを表現しなくてはなりません。
 練習の時は、「オレ(エセ坊主)には慈悲の心があるから、とても思いっきり鞭打ちなんてできないな…」などと呑気に構えていました。しかし、本番になって、ストーリーが進行し、奏者(演者)の集中力が高まってくると、私も自然と気持ちが音楽の中に入っていき、そしてそれまでの自分とは全く違う自分が立ち現れて、恐ろしく鋭く強く鞭を打ってしまったのです。それはほとんど狂気でした。
 特にですね、これはマニアックな話になりますが、あの曲の最後の和音、一般に知られている後期稿では短調のままなのに、初期稿では長調に転調するんですよね。g-mollからG-durへ。それを決定するB→Hを担当するのがヴィオラなのです。
 本番までは、なんで最後長調にしちゃったのかなと、その意図が全く分かりませんでした。しかし本番、そのHの音を弾いた瞬間、分かってしまったのです。
 自分の手が痛くなるほどの長い鞭打ち(実際演奏していると弓を持つ手がきつくなる)を経て、つまり異常な興奮状態のあと、あの長調の(明るい)和音を醸した瞬間、得も言われぬ達成感というか、「どうだ!」という快感とでも言うような感覚に襲われたのです(オレってそんなにSだったっけ…笑)。
 また、「十字架につけろ!」と群集が叫ぶシーン(フーガ)でも、それまでになく(それまでは気が抜けて入るのを忘れたりしてましたから…苦笑)興奮して演奏してしまいました。心は「殺せ!殺せ!」です。
 そして、コラールではある意味達観したというか、客観的に自己の罪を反省したり、あるいはイエスの死の後、まこと神の子であった!と手のひらを返すように感嘆したり、どうか安らかにお眠りくださいなどと、懺悔と言うよりも自分に対する慰めとも取れるような言葉を吐いたり…。
 ころころ変わる心、感情、気分。どちらかというと、そういう大衆の集団意識ならぬ「集団気分」に対して、自分はずっと批判的な立場をとって来ました。このブログでも何度もそれを指弾しています。
 しかし、自分にこんな本質があったのかと、正直愕然としました。そういう音楽なのです。このバッハのマタイ受難曲は。まさに人間ドラマ。
 それもこうした個人的なレベルでの視点と、人類に普遍的なレベルでの視点、そして神の視点から、非常に多角的に人間を照射する。私たちは外からも中からも自分が照らし出されるような感じです。恐ろしいレベルの作品であることが、演奏して初めて分かりました。
 私のような異教徒であっても、これだけ辛いのです。敬虔なクリスチャンであったバッハにとって、この曲の作曲はどれほど辛いものだったでしょう。バッハ自身も、自らの残酷さと愚かさに対峙しながら、自らを抉るような音楽を作っていったに違いありません。
 おそるべき精神力です。その領域にまで踏み込んだ作曲家、芸術家、そして宗教家はそうそういないものと思われます。
 そう考えると、初期稿と後期稿の違いもまた興味深く観察されるというものですね。なぜ、先ほどのHをBに書き換えたのか。それは、あまりに恐ろしい自分の本質を覆い隠すためだったのかもしれません。
 いずれにせよ、とんでもない体験をしてしまいました。私もバッハと同様に、あるいは敬虔なキリスト者と同様に、そういう自分の現実の姿とつきあっていかねばなりません。
 仏教的には「自己を捨てなさい」という方法論で片付けられます。あるいは神道的には「そういう両面があるものだ」と説明することもできます。そういう意味では、キリスト教というのは非常に厳しい教えだなと思いました。
 さて、こんなマタイ体験がやっと終わったと思ったら、会場にいらしていた「キリスト」ご自身(キリストを歌う方)から直接楽譜を渡されました。3月31日に行われるリストのオラトリオ「キリスト」全曲演奏会に緊急参戦です。マタイ以上に長大な音楽です。
 今年の受難節は私にとっては修行の時となりそうです。

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2012.03.03

ピーチの節句

396673 日は桃の節句にちなんで、ピーチの話を少し。
 皆様もご存知のとおり、国内初の格安航空会社(LCC)、Peach Aviation株式会社が運行を開始しました。これが日本の航空業界に大きな変革を促すものと思われます。
 そういう意味ではまさに「節目」。節句ということになりますので、今日のタイトルは無理やり「ピーチの節句」(笑)。
 まあ実際のところ、深夜長距離バスよりも安いとなれば、「時間をお金で買う」という観点からすると、これはもう大変にお買い得ということになりますよね。
 こうして空の価格破壊がどんどん進んでいくのでしょう。もちろん、それに伴って地上の価格破壊も進む。
 そう、天上界のことって、ちょっと我々庶民からすると非日常的だったんですよね。で、そういう特別感を伴う時間を高く売って商売していたのが航空業界でした。
 とってもラグジュアリーなシートにキレイで優しい女性が高級なお料理やワインなんかを運んでくれる。そういう時間の対価として、非日常的なお値段がついていたわけです。
 そうした「夢」の時間を切り崩して、地上の論理というか地上の倫理かな、いや地上の常識が食い込んでいくことに、多少の不安がないわけではありませんね。
 なにしろ、空に浮いている、そして超高速で移動しているわけですから、地上の常識からすると、ほとんど気が狂わんばかりの状況なのですよ。何かあったら間違いなく死ねますから。それをごまかすための「非日常感」だったわけですから。つまり「夢」ですよね。
 格安でどこまでその「夢」を構築できるかというのが、ピーチの、いや全てのLCCの課題でしょう。早いとか安いとか安全だとか、そういうこと以前の問題だと思います。
396671 ところでですね、私、人ごとながら桃の将来を心配してしまうんですよ。ピーチというか航空業界全体、いや飛行機という乗り物の存在に関してかな。
 というのは、石油が枯渇したらどうするのかなということなんです。つまり、あらゆる乗り物の中で、飛行機だけが、石油以外の燃料で動いたことがないのです。
 馬とか自転車とかは言うまでもありません。自動車はどうでしょう。そう、昔は木炭で走ってましたし、今なら電気自動車もあります。まあ、電気自動車も火力発電による電力を使っていると考えれば、石油に依存していますがね。それでも、ソーラーカーもありますし。
 船は、たとえばヨットとかね、風力ですよね。鉄道で言えば、ディーゼル機関車以外は基本石油に直接は関わっていません。
 宇宙行くものも、実際宇宙空間に出てしまえば、石油を使わなくても飛ぶことができます。
 そう考えると、ほら、飛行機って基本的に石油に直接依存しているじゃないですか。もちろん、グライダーなんかありますけど、グライダーで旅客機を作れそうにありませんし、あってもあんまり乗りたくありませんね(笑)。
 そうするとですね、たとえば将来的に地上や地中の乗り物、海上や海中の乗り物は、今これを言うと大問題ですけど、現実的には原子力で走らすことができますよね。あるいは原子力発電で得られた電力を使って。
 いや、原子力飛行機というのもあるにはあるんですよね。1950年代あたりから米ソでずいぶんと研究され、試作機なんかも造られたようですけれど、いろいろ問題が多すぎて、結局頓挫しちゃった。
 まあたしかに原子炉積んで空を飛んでる旅客機に乗るとしたら、これはもう美人で優しいスチュワーデスさんが何人いても足りない(笑)。
 というわけで、今後の航空業界が心配なんですよ。代替エネルギーの開発が非常に難しい分野なので。そういう危機がもう数十年後には来るんじゃないかと。
 もうこうなったらテレポーテーションとか、インターネットで人間も送れるようにするとか(?)、そういう技術開発した方がいいんじゃないでしょうか。
 国際社会、グローバル化とか言われていますが、情報がいくら飛び交っても、人間が飛び交えなくなってしまったら、いったいどうなるんでしょうか。心配ですし、興味があります。特に島国日本は…。

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2012.03.02

『英語教師 夏目漱石』 川島幸希 (新潮選書)

419wc5wwfel ミさんが英語のセンセーをやっていることもあり、また、自分自身があまり英語が得意でないからか、「英語教育」にはけっこう興味があります。
 このブログでも何回か「英語教育」について書いてきましたね。いろいろ書いた記憶はありますが、何を書いたか忘れてしまいました(笑)。まあ、そのくらい、私の中でも何が最善なのかよく分からないで来たわけです。
 で、この本を読んでですね、その「最善」とやらをまず否定した方がいいかな、と思ったわけです。それほど、この本はインパクトがあり、本質をとらえているのです。
 この本は、文学者、小説家としての漱石ではなく、その人生の実は最も多くの部分を占めたと言っていい「英語教師」としての漱石を紹介、そして分析、評価している好著です。
 豊かな資料を駆使して、漱石の英語力や教師力を検証し、それを通じて我々の知らない「人間漱石」を明らかにしてくれています。厳しさと優しさを兼ね備えた先生、そして勤勉でまじめな人間であった漱石の、新たな魅力が存分に伝わってきます。だいぶイメージが変わりましたね。
 そして、それよりもなにより、私は大きな発見をしました。英語教育についてです。英語教育(外国語教育)には最善を求めてはいけないのではないかと。
 「変則」と「正則」…これは、当時の英語学習の二つの道でした。漢文訓読と同様に、会話することを前提とせず、すなわち発音は気にせず、ひたすら読解のみを目指すやり方と、発音も正確にやっていこうという、いわば王道。
 現代はその王道を目指していますよね、基本。漱石もそうでした。あの時代としては珍しい方だったようです。
 もちろん、当時と今とでは、世界の状況も違いますし、我々と英語の関係も変わっていますから、現代では「変則」はほとんど認められないでしょう。
 しかし、私はこの本を読んでですね、「変則」もいいなと思ったのです。私自身、漢文を読んだり、教えたり、なんちゃって漢作文したりするのが好きですし、どちらかというと得意です。そして、英語についても、話すことはほとんどないけれども、まあ読むのはそんなに苦手ではないし、それで生活上、そんなに困ることはありません。
 ちなみにウチの中学校では、読解や文法に力を入れています。あまり世の中の流れに迎合していなとも言えますね。それは多分に私の考え方によります。極端なことを言うと、こちら「なぜ大学入試に英語があるのか」に紹介したような意味で、英語をとらえているからでしょう。
 この考え方、教え方、学び方は、大きなくくりではおそらく「変則」に含まれるでしょう。そして、そこを起点として必要がある人には「正則」に向かってほしいというわけです。
 話がいろいろ変わって申し訳ありませんが、こういうこともあったのを思い出しました。ちょっと前、中国からやってきた高校生を担任したのですが、彼女、さぞ漢文が得意だろうと思いきや、あれはやっぱり現地の人からすると「古文」なので、なかなか中国語として読むのは難しいらしい。で、結局、他の生徒たちと同じように「変則」として読むようになりました。
 これは妙な話のようですが、我々日本人も自国の古文をまるで外国語のように読みますよね。そして苦手になる(笑)。古文の学習って思いっきり「変則」ですから。当時の発音なんかで読みませんので(私は学習効率上、少し取り入れていますが)、たとえば平安時代の京都に留学したり、修学旅行に行ったりしても、現地の人とはほとんど会話できないと思いますよ(笑)。だから「変則」です。
 で、英語もですね、これから思い切って二つに分けちゃえばいいと思ったわけです。正と変とで。だから「最善」はないと。
 生徒を見ていると、はっきり二つにタイプを分けられるわけですよ。外人さんと話すのが苦手で、ただ読めればいい、会話の授業は嫌いだけれど文法はそんなに嫌いじゃないというタイプ。そして、文法やら読解なんて面倒くさい、でも会話だったら楽しい、パワーイングリッシュでなんとかなるというタイプ。ちなみに私は前者です。できれば英語で話したくない(笑)。
 だから思い切って、英語を選択制にすればいいんですよ。どちらかを選ぶ。読解クラスと会話クラスに。どちらかを必修とする。
 大学入試は今のように読解中心にならざるを得ませんが、会話を選んだ人たちのために、英語面接かなにかの試験をしてやるんですよ。それでどうでしょう。お互いに幸せだと思うのですが。
 まあ、先ほどの「受験英語論」もそうですが、私の英語教育論はかなりぶっ飛んでいますので、絶対に世間には認めらないでしょう。でも、発想の転換が必要だと思うんだけどなあ。なにしろ、漱石の時代から100年以上ずっと同じことで悩み苦しんでいるんですから。
 
参考 正則リードル獨案内…全然「正則」じゃないような気もするが(笑)。

Amazon 英語教師 夏目漱石
 

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2012.03.01

Googleは暴走するのか!?

K10034240811_1203020755_1203020756 GoogleがEUなどの延期要請を無視し、予定通りに新しいプライバシーポリシーの適用を開始しました。
 このことにいったい何人の日本人が恐怖を感じていることでしょう。正直それほどいないのではないでしょうか。私はその現実も含めて、今日という日がある意味歴史の転換点になるのではないかと危惧しています。
 と言いつつ、今ワタクシはChromeでページを開き、そしてGoogle日本語入力を使って、この文を書いています。
 1日に数十回Google検索をし、Googleカレンダーでしょぼいスケジュールを管理し、時々Gmailも利用し、YouTubeで昔のプロレスを楽しみ、ストリートビューやGoogleEarthでちょっとした旅行を楽しみ、東京に行けばGoogleマップに道案内をまかせます。
 こうした日常の営みが、全てGoogle社によって記録され、そして統合され、データとしての「山口隆之」が肉付けされていく。これはある意味恐ろしいことです。
 今回の、ほとんど強制的な改訂によって強化されたのは、まさにその「統合」の部分ですね。
 今までも、私たちはそれぞれ個別のサービスにおいて、ごく無意識的にその利便性を享受し、あるいはそれを使いこなしているという幻想を抱き、実際には無防備に「自分」を提供してきました。
 それを向こう側で勝手に統合してくれるというのです。今までは手や足や髪の毛など、バラバラに部品として収集されていたものが組み立てられ、いかにも「山口隆之」風なフィギュアとなって、棚に陳列されていくのです。
 それぞれが関連付けられることを前提にしていないのに、ですよ。いや、私たちは、それこそプライパシーポリシーを「読まない」で「はい」だけクリックすることによって、制度上はそういうGoogleの行為を承認してきたのです。
 しかし、さすがに今回はまずいでしょう。と言いつつ、脱グーグルできないのですが。そう、これって何か原発問題と似ているような気がしませんか?日常の利便性にばかり目が行って、その裏に潜む危険性は見ないようにしてしまうという人間の性。そして偽善の皮をかぶり、そこを利用する人々。
 怖いですよね。特に今回私が驚いたのは、新しいプライバシーポリシーの中の、下記の部分ですね。(以下引用)

サービスのご利用時に Google が収集する情報

Google は、ご利用のサービスやそのご利用方法に関する情報を収集することがあります。たとえば、Google の広告サービスを使用しているウェブサイトにアクセスされた場合や、Google の広告やコンテンツを表示または操作された場合です。これには以下の情報が含まれます:

端末情報

Google は、端末固有の情報(たとえば、ハードウェア モデル、オペレーティング システムのバージョン、端末固有の ID、電話番号などのモバイル ネットワーク情報)を収集することがあります。Google では、お客様の端末の ID や電話番号をお客様の Google アカウントと関連付けることがあります。

ログ情報

お客様が Google サービスをご利用になる際または Google が提供するコンテンツを表示される際に、サーバー ログ内の特定の情報が自動的に収集および保存されます。これには以下の情報が含まれることがあります:

お客様による Google サービスの使用状況の詳細(検索キーワードなど)
電話のログ情報(お客様の電話番号、通話の相手方の電話番号、転送先の電話番号、通話の日時、通話時間、SMS ルーティング情報、通話の種類など)
インターネット プロトコル アドレス
端末のイベント情報(クラッシュ、システム アクティビティ、ハードウェアの設定、ブラウザの種類、ブラウザの言語、お客様によるリクエストの日時、参照 URL など)
お客様のブラウザまたはお客様の Google アカウントを特定できる Cookie

(引用終わり)

 この中でも最も恐怖なのは、「電話」に関する部分ではないでしょうか。つまり、Android携帯を使っている場合、自分の電話番号、相手の電話番号、通話の日時なども情報として収集されるということです。
 そこまでやるか、という感じですよね。それはGoogleの広告収入とは関係がないような気がします。
 つまり、Googleの今回の経営戦略とういのは、アメリカの国家戦略(防衛戦略)の一部であることが明確だということです。
 Google、つまりアメリカ国家は、情報による世界征服を狙っているのです。にわかには信じられないかもしれませんが、これはほぼ間違いありません。
 マネーとデータは、ワタクシの「モノ・コト論」からすると、「コト」の権化です。貨幣と文字というのは人間が作り出した共同幻想であり、ある意味悪魔的な存在です。いつも書いているように、私は、そうした自ら創り出した悪魔に魅入られコントロールされている人間社会に、非常に危機感を覚えるのです。
 「世界のインデックス化」がグーグル社の目的だとすると、それはそのまま管理、支配、経済的利益につながっていきます。その表向きに、我々の日常の利便性や経済性や効率性や快楽が結びつけられているのが、まさに悪魔的な部分です。原発と一緒です。快適と快感は理性を奪います。反省や議論を放棄させます。
 震災や原発事故で痛い目にあった私たちなのに、また見えないパワーに屈して、いや踊らされていくのでしょうか。もちろん、私自身、こうやって踊らされていますが。
 ご存知のように、Googleの社是の第一は「邪悪になるべからず」です。これを信用していいのか。いい人ぶっている人ほど怪しいというのは世の公理であります(笑)。はたして、今回の新プライバシーポリシーは暴走の第一歩なのか。あるいは、グーグルさんは本当に純粋な善人で、それを誰か悪者が利用しているのでしょうか。
 これから「クラウド」化が進むと、ますます我々は雲の上の誰かに支配されるようになっていきます。一方的に情報を搾取されつつ、一方的に向こう側からの情報を絶たれる可能性もあります。スイッチ一つでそういう「攻め(責め)」を行うことができるのが現実なのです。
 繰り返しますが、原発と一緒です。ことが起きてからでは遅い。一度立ち止まって考えてみるべきなのではないでしょうか。

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